滋賀の藤本です。滋賀からの参加は現在、確定しているのが8名です。ささやかですが大会参加の呼びかけの取り組みについて書きます。
メールアドレスを知っている人に何度かメールをしたり、職場の人に声をかけています。
今や学びの共同体の拠点ととなった観のある学校づくりを推進してきた夏原さんですが、最初のメールには、その彼の次のような文章を載せました。
「(前回の京滋大会)から20年あまり経ちました。教育基本法は『改正』され、新自由主義的な学校経営が全国的に広がっているにもかかわらず、いまの学校でまっとうな実践を展開できているのは高生研で学んだおかげだとつくづく思います。もし高生研と出会わなかったら私の教職人生はつまらないものになっていたでしょう。間違いなくそう思います。 ・・・」
次のメールには、7月11日の大会ブログにあった望月さんの「京都大会の魅力」という文章を転載して送りました。「基調は実践のエピソードと主張があり、分かりやすく、当日は、ビジュアルナラティブ(スライドで実践を語る)もあり、酒田基調のイメージを鮮明に私たちに伝えてくれるでしょう。いま、注目されている政治学者、岡野八代さんのコメントも楽しみです。」
ちなみに岡野さんは上野千鶴子も注目する新進気鋭の政治学者です。望月さんが基調とかみ合うように丁寧な打ち合わせをしてくれています。
以下は、それらのメールに対するある女性の返事の一部です。
「わくわくするお誘い文ですね。できる限りたくさんの日程、参加します。高生研、入りますね。やっぱり自主活動ですよ。クラスも生徒会も、まだまだいけるはず。最近、心折れていますゆえ、学校内では実践できていませんが…」
次に紹介するのは、青年部の中心的な方で大阪高生研の方に研修会にきてもらったり、全国教研で絹村さんに出会ったりしている方です。大津であった近ブロには来られなかったので、どうかなと思いつつメールをさしあげたら次のような返事が来ました。 「高生研は、すごく魅力的なので、職場でも声を広げて、できれば参加したいと思います。」
3つめ。私は今、通信部にいますがとなりの昼間部の先生と帰りが一緒になったときには、その途上で彼女の文化祭の取組みの話などをクラス運営の話を私が質問して聞いていきます。さながらミニ例会のようです。その彼女はベテランですが職場の若い先生を2人連れて参加してくれます。
このあとも最後まで高生研と高生研大会の魅力を伝え、参加を呼びかけていきたいと思っています。
話は変わりますが問題別分科会1の紹介を少し。藤木祥史さんは京都の中学校を今年退職された実践家。紀要に掲載するのは大津のいじめ事件が大きな問題になっている時期の講演を今回のためにテープ起こししたものです。彼の学年づくりの取り組みです。彼が赴任したときは大津の中学校とよく似た状況の学校でした。その学年づくりの実践は大津の中学校もこういうふうに別の展開もあり得たのではないかとイメージできるものです。その生活指導的な取り組みに学びながら私たちの高校現場に問われていることを共に考えていきたいと思います。
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五色豆とあんかけうどん
母が言うには、おまえは小さい頃から気散児で、めったなことで駄々を捏ねなかったが、たった一度どうしても買って欲しいと、店の前で寝っ転がってねだったのが「五色豆」らしいが、その記憶は本人にはまったくない。五色豆というのは京都のお菓子で、夷川通りの豆政のが有名である。えんどう豆に砂糖でコーティングして色をつけただけの、和菓子に興味のない私としては、さしておいしくもないお菓子だが、子どもの頃の私からすると、その色合いがたいへんうまそうに見えたのだろう。五色豆の「五色」というのは青・赤・白・黒・黄色の五色で、陰陽五行説に則った色彩であることは言うまでもない。京都という地は三方を山で囲まれ、南が開けていて川(水)があるという風水でいうととても恵まれた自然の地形であるらしいが、そんなことを言うのは科学的ではないと自省する。万城目学が京都を舞台にして書いた「鴨川ホルモー」という珍無類の小説を、京都に来られる前に読んでみるのもいい鴨。
いまは亡き親友のOと一緒に、はじめて京都に行ったのは小学校6年の夏休みだ。京阪電車で行けばよいものを、小学生の行動である、なぜかJR京都駅に到着。目指すは三十三間堂、夏の暑い盛り、昼めしどき、目の前に現れたのは屋台のうどん屋。昭和47年、京都にもまだ屋台のうどん屋があったのですねぇ。お品書きの中、とくに目を引く「あんかけうどん」の文字。自分はさっさときつねうどんを頼んでおきながら、Oは私には「あんかけうどん」をしきりに勧める。彼が「あんかけうどん」の正体を知っていたのか知らなかったのかは、いまとなっては定かではないが、私はうどんに餡子がのったものを想像していたことは確か。はじめてウインナーコーヒーを注文したときも勇気がいったが、ここでも怖いもの見たさで「あんかけうどん」を注文。ちなみに、いまはほとんど餡子を受け付けない(嫌いな)のでどんなことがあっても注文することはないが、子どもの頃はまだ食べることができたのだ。さて、出てきたのは予想に反して片栗粉でとろみをつけた、生姜の味がよく利いた絶品。あんかけうどんというと冬の食べ物みたいに思うが、じつは夏の暑い盛りにもうまい。祇園四条・松葉本店(南座の隣)の「にしんそば」もいいが、どこか気の利いた店で夏のあんかけうどんはいかがですか。
またしても、LINE考
大阪高生研 井沼淳一郎
広島の少女殺害事件。報道によるときっかけになったのは、LINEに書かれた悪口だという。久々の1年担任をして、自分のクラスでも「LINEのなかでのケンカ」の指導に神経を使っていただけに、他人事とは思えない。
マスコミや大人は、バーチャルな世界でのトラブルとリアルな世界でのトラブルの境目がつかない若者の「未熟さ」を指摘したり、LINEが短文、感情的言語が多いことを指摘して、本当の対人理解のためにはちゃんと向き合って話しあうことが必要と提言する。
だけど、なんだか違和感がある。マスコミや大人(多くの識者とよばれる人たちも含めて)は、どうも、リアルな世界の対人関係こそ本物で、バーチャルな世界のそれは2次的副次的なものと捉えているようだ。そこには、リアルな世界の対人関係をうまく取り結べる人間が「大人」、「正常」であり、反対にバーチャルな世界の対人関係に依拠している人間は「未熟」、ときには「病的」とする見方が潜んでいる。
しかし、いま、1年生の担任をしていて思うのは、彼らにとってLINEは、リアルな教室空間と同じくらいリアルな世界なんだということ。最近、文化祭のクラス企画をめぐって、クラスが激しく対立したことがあった。どんどんアイデアを出す人たちが、何も意見を言わない人たちに苛立ち、「どう思ってるん?」と問いただしたときのことだ。「文化祭の話しあいで積極的に意見を言う人はいい人だ」という無言の正義の押しつけに対して、おとなしい男子が手を挙げ、「僕は気の強い人と話をするのが苦手で、言われるだけでドキドキしてしまいます。だから、LINEで議論しませんか?」と応じたのだ。
この提案で、教室の空気が変わった。意見を言わないとされた人たちが続々と話し出し、やがてお互いのテンションや性格の違いを理解し合おうという空気に変わっていったのだった。
このことは、LINEがいいか悪いかという問題ではなく、すでに、彼らにとって、人間関係のミクロポリティクスを読みかえ、編み直すためのリアルなツールになっていることを示しているのではないか。
とはいえ、LINEにはまる若者たちに問題がないわけではない。彼らが恐れるのは、何よりも「気まずい空気」になることであり、なんとかそれを避けようと慎重に言葉を選んだ応答が延々と繰り返される。しかし、ひとたびそれに失敗すると、トラブルを打開するよりも、自分か相手を「退場」させる、あるいは「ブロック」することで、「気まずさ」を解消しようとしがちである。リアルな世界での「退場」は、いとも簡単に退学、転学という結論になったりする。
だとしたら、「退場」や「ブロック」ではなく、バーチャルであれ、リアルであれ、「気まずい関係・空気」を突破する別のやり方をどう見いだすか。そこが、いま、教師の指導のキモだと思う。
もうすぐ完成する高校生活指導196号の巻頭を飾るのは、若手M先生のHR実践「LINEでは伝わらないこと」だ。ベテランといわれる高生研教師からは、つっこみどころ満載の実践だが、僕は彼の立ち位置や言葉から、LINE時代を生きる教師と生徒の「別のやり方」の模索を学んだ。196号は、8月1日に会員の元に届く予定。楽しみにしてほしい。
京都大会の魅力2 グローバル社会を生きるための授業
ヒト、モノ、情報、マネーが地球上を行きかう時代に、高校生に必要な市民的教養とはどんなことでしょうか。相良先生の英語の授業を参観させていただいて、
こんな授業がこれからの高校生に必要だと思った授業でした。発達障害を抱える生徒も含んで相良先生の授業に惹きつけられてしまうのは、同時代を生きる同世代の異文化に出会わせているからなのではないでしょうか。
日本に生まれて日本国籍のない同世代、日本語を使ってはいけない朝鮮学校、文科省からの支援がないので建物も質素です。でも、彼・彼女は、誇りも志も高い。そんな他者に出会う学習経験が他者のなかに共通性を見出させ、共同の催しへと誘います。紀要には相良先生の指導枠組みしか書いていないので、難しそうだなあと思うかもしれません。でも、ぜひ、参加してみてください。
明日の授業を考える上で、これまでの視野を問い直すヒントがたくさんあると確信します。おすすめです。
望月
京都の夏、進行中。あと85名!
本日現在の大会申込は115名。滋賀・大阪の参加申し込みが増えてきました!
今日は、京都府立高校の先生方に「おまかせHR研究会」のメンバーとして、大阪のNさんと一緒に教研のお手伝いをさせていただきました。もちろん、高生研大会へのお誘いもしてきました。来週は会場の同志社中学校、同志社高等学校、そして全私研が開催される城崎温泉でも、記念グッズを先行紹介しながら、現地メンバーは「お誘い」を続けていきます!
京都大会の見どころの一つは、高校生・大学生の活躍です。
「京炎そでふれ」の雅な演舞に続く趣向を凝らしたオープニングイベント(秘)は見逃せません。みなさま、ぜひ13:00までに到着して、全体会会場チャペルで開会をお待ちください。
大阪大会では私も担当していた「おもてなし」関連も、学生が登場。名札デザインや記念グッズ、飲み物など、参加者の学びの環境を全力でサポート。
京都の夏といえば、祇園祭と鱧。そして、今年はSince 1963 の高生研第51回大会。8月3日、同志社中高でお待ちしております。
PS 京都の「ガリレオ」と紹介した栗木久さん(立命館中高)は、本当に月9の「ガリレオ」の実験監修者と縁のある方です。2日目の分科会は、受講生徒も卒業生も参加します。
岸田 康子
「女子は譲らない」
大会まであと半月ほど。基調発題、岡野八代氏の提起、分科会
交流会、全生研とのコラボなど企画は盛りだくさんです。
今年の大会は先ず基調討議が一つのメインです。
実践報告風の発題で、皆さんはきっと参加しやすいと思っています。
時間も4時間あります。じっくりと討議できます。
一般分科会は授業にHRに生徒会にどれも中身があります。
さらに問題別はいじめ、デートDV、実践記録の書き方、授業など
多彩にあります。
きっと参加者に満足を送れる中身だと確信しています。
あと半月、京都の頑張りに応えたいと思います。
私も埼玉の仲間に声をかけています。
是非皆さん、同僚・仲間にあと一声かけてお誘い下さい。
3年ぶりの担任、急遽3年の担任になりました。3年なのに生徒誰も
教えたことがなく、生徒はほとんど私のことを知らなかった学年・HRです。
5月体育祭のクラスTシャツ紛争、Tシャツづくりに立候補したA子たちの図案に
異議ありと、遅れて第2案を作成し始めたB子たち。両方の図案に対して
折り合いがつかず、両者が譲らない事態に。
HR総会を開き、やむをえず採決か?と思ったが、HR総会が日程上間に合わず
A子たちの先行案を朝のSHRでとり入れることになる。
A子たちは私のところに来て「先生、勝ちました!」
(いや、女子のこのこだわりは、すごい!)
特定指定難病を抱えているD子、彼女を2年から支えているE子
ところがある友人の問題で、2人は仲違い、ほとんど挨拶も交わさない仲に。
他の先生も「あの2人は最近おかしいね」と気がつくほど。
さて、これも難しい!
この譲らない女子たちを中心に、文化祭は太鼓とディズニーカフェーを作り上げる
という企画で今盛り上がっています。
森 俊二
細腕二年担任奮闘記⑥(最終回)
沖縄の照屋です。沖縄は梅雨明け以降、雨がぱったりとふらなくなりました。個人的には、仕事から帰ってきて(夜中でも)洗濯してもすぐ乾くのでうれしいのですが、段々と水不足になっていかないか心配です。
さて、文化祭本番前日の金曜日。全校生徒、一斉に朝から夕方まで準備の日でした。
運悪く、僕は出張が入っていました。「最後の仕上げはみんなに任せた。みんななら大丈夫だと思うよ。(クラス全体としては、80%くらい仕上がりと感じていました。僕自身の仕上がりは60%くらいでしたが……)。でも、本番当日は(土曜日)朝7時には学校来るからね。もし、今日中にどうしても連絡取りたかったら、放課後メールちょうだい(うちの学校は携帯持ち込み禁止なので)。」
木曜日、HR長と各リーダーにそう伝えました。「あつし先生、大丈夫だよ。まかせて!」
当日。7時に教室へ行くと、既に10名ほど集まって自主練習をやっていました。僕も早速加わり、
フィナーレで踊るダンスの練習。8時ころになると、ほぼ全員が集まりました。8:30から職員朝会が始まるので、劇全体を、確認しながら通し稽古をしました(本番では、スムーズに進むと約20分の劇でした)。職員朝会、朝のSHRが終わり、全校生徒がオープニングセレモニーの為に体育館に集まりました。一通りの挨拶が終わった後、真っ先に舞台に上がったのは近隣の保育園児童たちの
可愛い「日本太鼓」のお披露目でした。かなり盛り上がり、生徒たちのテンションも揚がりました。
セレモニーが終わると、生徒たちはそれぞれ自分たちのHR教室や待機場所に戻り、一斉に文化祭が始まる11時に(一般のお客さんが入ってくる時間)合わせて準備に入りました。
僕らの本番は13時頃だったので、全員メイクと衣装を着て、HR教室に11:30に集合して最後のリハーサルをする事になりました。
11:25。僕は「ウッディ」の衣装を着てHR教室に向かいました。途中、他の先生や生徒たちに見られる度に驚いた様子で「おお! ウッディですね。照屋先生似合ってますよ!/ 気合い入ってますね! / かっこいい!」と先生たち。生徒たちはストレートに「見てみて! ウッディがいるよ! / そっくりだ! / 体形そっくり(僕はヒョロっとしてるので)!」と、取りあえず「見た目」はオッケーかな(メイク一切無しでした)、と思いました。
さて、HR教室。「おお!」今度は僕が驚きました。ほぼ全員、ハイテンションでした(普段通り大人しい子もいましたが)。全員がばっちりメイク(濃すぎる?という生徒もいましたが…..)して、衣装を着ているのを見るのは初めてでした。やはり変身できる「コスチューム」の力はすごいなあと
思いました。最終リハをすませて(仕上がり具合は80%くらい?僕も含めて)体育館に向かいました。舞台脇に集合し、息をすませて出番を待ちました。本番直前、HR長が、「みんな!円陣組んで気合い入れるぞ!とみんなに呼びかけ、僕も含めて気合いを入れました。
舞台脇から覗くと、うちのクラスは前評判が良かったので、ほぼ満員状態でした。
舞台が暗くなって、いよいよ本番。子どもたちの演技も見つつ、自分の台詞を飛ばさないように「(自分なりに大きな声で・全力で」演じました。最後のフィナーレダンスまで、無我夢中でやりました。
最初から最後まで、かなり(?)ウケてました。子どもたちも、終了後「やったっ~!すごい盛り上がってたよ!」と興奮状態でした。ただ、この日は初日で、実は後日談があります。
紙面がもうないので、後日談が聞きたい方は全国大会で会いましょう。
オープニングのダンス フィナーレのダンス
僕の応援ブログもこれで終わりです。読んでくれてありがとうございました。
問題別分科会4.教師の抱える困難ー福島の女性教師の実情からー
大会応援ページをご覧の皆様今晩は。
大会1日目夜の交流会「魂の脱植民地化とは何か」を主催する、埼玉の内田です。これは「魂の脱植民地化」(青灯社)の著者である深尾葉子さん(大阪大学)をお招きしての交流会です。
私は問題別分科会4「教師の抱える困難~福島の女性教師の実情から~」の運営も担当しますが、「魂の脱植民地化」と福島の現状にはつながりがあると考えています。福島の教師達は、放射能の影響を過小評価し、「安全」を押しつけてくる言説に翻弄されてきました。また、とっくに崩壊したはずの安全神話が形を変えて復活してゆくかのような現状には、共同体至上主義と言ってもいいような社会の問題があります。(この点についても深尾葉子さんは「魂の脱植民地化」の中で、「福島ディアスポラ」として1つの章を書かれています。)
問題別第4分科会では、福島の女性教師である大貫昭子さんに「福島の教育の現状」をお話しいただき、教師がどのような困難を抱えているのか参加者とともに検討し、その背後にある問題を少しでも明らかにしたいと考えています。
もし少しでも興味を持たれた方は、できればつなげて検討したいと思いますので、この交流会と問題別題4分科会の両方にご参加いただけるとありがたいです。
「安宿」、最終のご案内です。
SATOツーリストです。
24人定員のビジネスホテル(会場近く。地下鉄1本)を今のところ全館貸し切っていますが、7月19日付けで空室を返却します。
お申し込みは、7月19日正午までに、以下 SATOツーリストへ。
● 宿泊人数増えれば増えるほど安くなるビジネスホテル」
○京都イン加茂川 (地下鉄鞍馬口 歩8分)http://www.jalan.net/yad338876/
ツインor和室
・1泊 4750円(じゃらんと同じ料金)
・1泊 20人で 4600円
・1泊 23人集まると 4200円
(定員は24名)
※男女別相部屋が原則です。
※原則は2泊宿泊ください。「1泊だけ泊まりたい」は要相談。
※「シングルで使いたい」は8400円です。
京都の「ガリレオ」こと、栗木 久さんと一緒に、学びの原点を体験しよう! ~2日目一般分科会 京都 立命館中学校・高等学校 栗木 久氏~
「学ぶことで、目では見えないことが見えてくる。どんどんイメージが膨らんでくる。物理が嫌いだった私が、もっと学びたいと思う。――
ある日の学級日誌より。
京都の「ガリレオ」こと、栗木 久氏のアクティヴ・ラーニングな授業実践は大変刺激的だ。栗木氏曰く……
「国外ではノーベル物理学賞を受賞したファイマンをはじめ、さまざまな学者が、シンプルな図と最小限の数式(算数)を使って、物理をわかりやすく説明している。自分の学校でもそのように教えることはできないか。日常生活で重要なのは科学的・物理的な考え方のはず。しかし、物理を受講する生徒のほとんどは「受験で必要だから」「理系の学部に進学するから」と選択している。そこで生徒から期待されるのは、教科書に書いてある公式をどのように使うのか、公式を使ってどのように問題を解くのかをわかりやすく説明する授業だ。生徒同士の教え合いを中心とした授業展開をすすめ演習の時間を多くとるようにしたところ、生徒の理解は深まったし、演習そのものを否定するつもりはない。しかし、やはり「現象の理解の深さ」という点では物足りない…」とこだわる栗木氏。
一方、文系コースの生徒が栗木先生の物理の授業で体験するのは「『わかり方』がわかる愉しさ」だ。「もっと身近なもので、身近な言葉で、ほとんど公式を使わずに物理現象を広く理解する手段はないものか」と考えていた栗木先生の挑戦は、文系コースの生徒の高い支持を得て、年を追うごとに受講希望者が倍増。それが「高3文系物理」。
栗木先生の分科会には、現在高校生として授業を受けている生徒、去年まで受けていた卒業生も10名以上参加する。教職志望の学生もいる。近ブロでは限られた時間枠だったが、全国大会では一日分科会設定としたので、私たち現役教師も、教科を越えて「学び手が学習過程で遭遇する困難の原因とそれを解決していく方法の探求」が可能になるはずだ。
栗木実践では、伝統的な授業形態では払拭することが困難な「誤概念(習ったはずの正しい概念を、経験的な自然発生的な思い込みによって間違って再構築したもの)」を学習者自らの手で克服していくことができると証明される!!「月9」で難事件を次々解決した福山演じる湯川帝都大准教授をはるかに越える、栗木氏の「ブレないこだわり」が静かに炸裂する。その現場に一緒に立ち会いませんか? 8月4日(日)9時、同志社高校102号教室集合! 京都 岸田康子
一般分科会1.HR 「思いは、伝わる」 澤山 春(沖縄)
新年度が始まる前の三月、出校日。副担任と共に、学級通信0号を携えて「フライングHR」をクラスで決行し、予想に反する大きな拍手で迎えられた澤山さん。県内でも有数の、「進学に特化した」学校で数年勤務し、進学校ならではの教員と生徒の学校価値観に違和感を持ち続けていた澤山さん。生徒たちの個々の能力は高いものの、人や社会とつながり、理不尽な事には異議を唱えるという経験をしたことがなく、教員(学校)が指示する事には「従う」という選択肢しかなかった生徒たち。そつなく物事はこなすけれど、「やらされているようでいやだ」と感じていたり、周りの教員たちからは「まとまりがない」という評判の中、フライングHRでの大拍手や、LHRでの「男女の仲のいいクラスにしたい」という生徒たちの思いの中で澤山さんが感じたのは、「思いはあるけれども、伝えられないでいるのでは?」というものだった。様々な行事や学校に対する要求活動を通し、「思いは、伝わる」という事を肌で感じ、それを通じて社会に積極的に関わっていけるようになって欲しいと思い取り組んだ、わくわくする実践です。みなさんの参加お待ちしてます
京都大会の魅力
京都大会の魅力は、何と言っても
会場である同志社高校のチャペルや校舎です。
こんな環境で学んでいる高校生がいることを体感してください。
チャペルでは全体会が開催され、酒田孝さんから「話し合いの文化を学校にー生徒会実践を基底として」という基調が提起されます。
18歳を市民にするために学校に話し合いの文化をつくろうというのです。
ところで、文化ってどのようなことでしょうか。一般に文化とは、人間が作り出してきた人工物の集積を意味します。私たちが受け継いできた様々な知識、常識、行動の仕方、好みといったものも人工物の体系に他なりません。人間は文化を自分のなかに取り込み、それを使いながら文化に影響を及ぼしています。人と心と文化は相互に規定的な関係にあるといわれます。
学校に生徒たちや教師たちが話し合う文化ができるならば、学校から民主主義が
生成され、市民としての若者、教師が誕生するのではないかというのです。
基調は実践のエピソードと主張があり、分かりやすく、当日は、ビジュアルナラティブ(スライドで実践を語る)もあり、酒田基調のイメージを鮮明に私たちに伝えてくれるでしょう。
いま、注目されている政治学者、岡野八代さんのコメントも楽しみです。
一般分科会は、HRと授業が一日で設定され、高生研のHRと授業の実践分析がじっくり学べます。半日の分科会は、グローバル化する現代に生きる高校生のアイデンティティ形成、発達障害を抱える生徒と他の生徒の関係を担任としてどう作るかという喫緊の課題です。午後は行事づくりと生徒会の要求運動が用意されています。
どう選べば良いか、迷ってしまうほどどれも魅力にあふれ、明日からの実践に役立つビジョンと方法が埋め込まれた分科会です。
望月
一般:第6分科会(生徒会、午後) 「北海道室蘭東翔高校生徒会の校則改正に関わる取り組み~カーディガン・キャンペーンを中心に~」
今回の学習指導要領「改定」により生徒会活動を取り巻く環境はますます困難を増してきた。比較的活発といわれてきた北海道でも生徒総会、役員選挙の基本的な活動の維持も厳しくなったとの話もよく聞く。特に「自治的活動」に関しては校則改正など、もっとも推進すべき私たちですら、新しい実践者が出てくるのは半ばあきらめざるを得ない現状にただ指をくわえているだけであった。
そんな中、彗星のごとく出てきた実践がこの「カーディガン・キャンペーン」である。生徒会役員の気持ちに寄り添いつつ、三者協議会の枠組みを活用し、学校をとりまく「世論」を生徒の力で変える「しかけ」を見事につくりあげていく。「学校自治」と肩肘はることもなく、現代的な教師と生徒とのやりとりからつくりあげられたこの実践に高校生活指導の「光の一筋」を参加者と共有できれば幸いである。
(北海道高生研事務局)
生徒会に「現実的に夢を見る」ために —吉田真一先生「地域の力で1000人バーベキュー」(第五分科会:生徒会・午後の部)—
船山万里子です。ブログでは初めまして。
中学時代の生徒会執行部経験から、生徒会に何となく胡散臭さを感じてきた私。
高生研に携わるようになってからも、いちばん苦手な分野が「生徒会」でした。
そんな私が酒田孝先生の基調づくりをお手伝いするようになり、「生徒会ってこんなに夢があるんだ!」と思うようになりました。
今年度夏の大会第五分科会でご発表される吉田先生の実践もまた、「夢のある」生徒会のお話です。
でも、「夢」って「理想」であって「非現実的」であって、結局名人芸じゃないの?
酒田基調を聴いてそんなふうに思う方がいらしたら、ぜひ本分科会にいらして、「現実的に夢を見る」方法を一緒に探りませんか?
「現実的に夢を見る」は、私の大学院の師匠である教育学者・佐藤学さんの言葉です。
教育は、ロマンがなければできないけれど、現実には様々な障害や制約があって、ロマンはロマンのまま終わりがち。
じゃあ、どうすれば現実に即しながら夢を見続けられるだろうか?
そんな思いが込められた言葉だと思います。
吉田実践は、地域の方たちと結びついた1000人BBQの実現に向かって、現実の制約の中で、少しずつ着実に、一歩を踏み出されています。
どうやって現実と交渉しているのか? 発想の源は? このあと、生徒会とどうつながろうとしているのか?
そんな問いを投げかけながら、吉田実践を一緒に紐解き、少しでも生徒会実践で「現実的に夢を見る」方法を探ることができれば…。
そんな思いで運営できたらと思います。
「出る杭は打たれる、でも出過ぎた杭は打たれない」「どうやって打って良いか、わからないぐらいの杭になれ」…吉田先生が以前のご同僚に投げかけられたというこの言葉が、とても印象的な実践記録。
第五分科会でお待ちしています☆
急募! 「社会以外」「小学校」の憲法実践
大阪・サトウです。
当京都大会応援ブログトップページにも掲載いただいている全国大会関連緊急企画「学校で憲法を語るつどい」の準備を担当しています。
「何か声をあげねば」の声とともに、「学校で憲法の話をどのようにしていいのかわからない」とのとまどいも聞こえるいま、さまざまな「学校で憲法を語る」実践を集め、ポスターセッション形態での報告会~憲法の授業まつり~です。
いまのところの予定では、
・憲法96条をもとに教室で模擬国会
・「体罰」と9条を同時に考える
・こけてしまった憲法改正の授業
・憲法を守らねばならないのはだれだ?~教師と授業を行った若手弁護士からの報告
など、全民研大会や歴教協大会でも報告される実践や弁護士さんが教師と一緒に行った授業実践、「失敗」した実践をふり返る報告まで、さまざま。
「知り合いの方(中学校数学教師)が憲法記念日の前の学活で憲法の話をしないといけないときに、何をどう話そうか困っていました。社会科の授業のなかで何をどう教えるかだけではないよということを伝えたいなぁ」(Hさん)
こんな声に応えるべく、「社会科以外の実践」「小学校、中学校での実践」など中心に、探しています。
自薦他薦、心当たりあれば、どうぞお知らせください。
なお、授業報告を受けてのミニシンポも、
朝日新聞・氏岡真弓編集委員(教育担当)による全国の動向を取材してのコメント
や、
教科研・歴教協などで生徒の当事者性~どうすれば生徒たちが「自分のこと」として社会事象をとらえられるか~を研究されている久保田貢さん(愛知県立大))に総括コメントをいただく
など、充実したラインナップです。
日時は京都大会最終日の8月5日(月)。
大会実行委員やグループ員で奮闘されている方々も、大会後のあとかたづけや各種会議を終えて駆けつけていただける17:00にスタートします。
「その日のうちに帰らねばならない」という方が新幹線に飛び乗っていただけるよう、京都駅至近の会場(京都テルサ)を確保しました。
大学での研究者の方や弁護士さんたちから参加申し込みをすでにいくつかいただいており、その方たちには高生研大会のリーフレットをお示しし、「セットでいかが?」と呼びかけています。
高生研大会に行くよ!とおっしゃるあなたには、逆にこのつどいも「セットでいかが?」。
「いま、何かせにゃあ」の声を集めたい――。
「参加するよ」の申し込み、お待ちしています。
★問い合わせ・申し込み先
「学校で憲法を語るつどい」事務局 AND29170@nifty.com
こんなことやってていいのかな?
長野:小澤彰一
(紀要担当)
今日7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日、だが、私の生活にはあまり関係がない。3月1日はビキニデーだといって核廃絶を願って焼津へ行くが、朝鮮半島の人々が日本からの独立を訴えた記念すべき「三一独立運動」だと日本の歴史に言及する人はあまりいない。ある人にとっては重要な意味を持つ事柄も、別の人にとってはなんの意義も認識されないことがある。今日は参議院選挙の公示の日である。21日には投開票が行われる。公務員といえどじっとしているわけにはいかない。
昨日は芝居を観てきた。俳優座の「樫の木坂の四姉妹」、松本市民劇場の会員になっているからである。しかも今月は運営のお当番サークルになっている。そのための会議に行くと、会員を増やせと目標をいわされ、目標達成のためにどんな努力をしたかを毎回報告させられ点検される。市民劇場運営委員にとっては会員を増やすことが至上命題なのだ。いつしか自分も成果主義に陥っている。
勤務校では教務の仕事をしている。さまざまな部署の調整役なのだが、学校統合して構成員のアイデンティティーが揺らいでいる。進学実績をあげたいのか、クラブ活動で名をあげたいのか、各学科の実績をあげたいのか、よくわからない。自分の関心事に熱心な分だけ他の事柄に無関心になっていくのである。一つの組織(共同体)としてまとめていくには相当の努力が必要である。方法はいくつもある。だが、どれも手が出ない。
私は、九月の公演に向けてひとり芝居に取り組んでいる。三つの団体が4、50分の短い作品を制作し、発表するという企画である。演劇というのは総合芸術だからこり出すとあれもこれもとやりたくなる。人もまた勝手なことを言いたがる。そうなると稽古の直後などはすべてをかなぐり捨てて芝居に専念したいという衝動に駆られる。
高生研の全国大会の紀要の編集が捗っていない。編集は直線的に進む仕事ではない。いくつもの壁を乗り越えなければならないのである。仕事の片手間でやっていると、余計にいらだちを感じてしまう。締め切りだけは刻々と迫ってくる。これもすべてキャンセルしてこの作業に没頭したい、と強く思う。一日か二日は徹夜も覚悟している。
「スローターハウス5」という映画の主人公になったような気分だ。どの場面でも、「こんなことやっていていいのかな」という不安を感じる。いったいどの場面の自分が本物なのかと思えてくる。
ご心配なく、まだ私の精神は正常の範囲にあります。愚痴をいってストレスを発散しました! これから、雨の中平和行進です。
8日には「紀要」のアウトラインができあがる予定です。一週間で最終チェックして15日16日には印刷、丁合の予定です。 京都で「紀要」をお楽しみに!
マレーシアの村にて
研修旅行の引率に行ってきました。私たちの旅行は、観光旅行ではなくて生徒一人一人が研究テーマを持ってするフィールドワークなのですが、その途上で生徒たちはいろんな人と出会い、新しい体験をします。わたしたち教員にとっても、生徒たちと同様に異文化的非日常との出会いがあります。今回は旅行三日目に訪れたマレーシアのある村での経験を紹介したいと思います。
マレーシアの主要な輸出品にパーム油が挙げられますが、私たちが訪れた村は、パーム油を採取するための椰子の木が整然と植わっている風景が延々と続く地域に位置していました。椰子の木には幾つもの種類があって、ココナツヤシなどそのまま食用にするものもあり、木の高さはまちまちです。油を取る椰子の木は、最盛期には10メートル以上の高さになります。椰子の木は幹の頭頂部に放射状に葉っぱがでていて、油を採る実は葉っぱの軸が出ているあたりにできます。その高いところにできている実を、先端にカマをつけた長い長い棒を使って収穫するのです。実は数百個が塊になっていて、ひとつの塊は20kgにもなり、それらの実を絞って油をとるのだそうです。村の人たちがその作業をするのかと思いましたが、そうではないそうです。マレーシアの人はそんな作業はしない、椰子の実を採ったり油を絞ったりする現業は外国からの出稼ぎ労働者がしているとのことでした。プランテーションの中に、出稼ぎ労働者用宿舎があるとのことでした。マレーシア人は椰子のプランテーションのデスクワークや輸送トラックの運転手などの仕事に就くそうです。
そのヤシ林地域の中のとある小さな集落が第三セクターのような形で地元旅行会社と協定してホームステイ受け入れ事業をしているのでした。生徒たちは昼前に村に到着して集会所で歓迎を受け、ヤシの実採取とゴム採取の実演を見た後で各家庭に迎え入れられて次の日の朝まで過ごします。昼に出される食事はマレーシアのお正月料理と決まっていて、床に広げた布の上に並べられた料理の周囲に座って、習慣通りに右手だけをつかって手で食べます。私たち引率教員も本部として設定された家で老夫婦から昼食を出していただきました。家の主人は食べずにお客に給仕をしたり、大皿から各自の皿に取り分けたりして、とても親切にすすめて下さり、最後はフィンガーボウルを持ってまわって右手の指をすすがせて下さいました。
生徒たちは午後いっぱいテラスでゲームをしたり、庭でバドミントンをしたり、散歩をしたり、家庭ごとに楽しんでいました。私たち教員もゆっくりお茶を飲み、こちらは片言のマレー語、あちらは片言の英語、あとは身ぶり手ぶりで説明を受けて、チョンカと呼ばれるゲームをして遊びました。熱帯ですがヤシ林や熱帯雨林に囲まれているので風が涼しくてエアコンもありません。どの家の庭にもマンごスティンやバナナ、ドリアン、ココナツヤシなどの食べられる果物の木がたくさん植えてあって―それらはほとんど山から来るサルに持っていかれるそうですが―開け放した家のテラスで、まったりとした午後をゲームをして過ごすという、とても贅沢な非日常経験をしました。
壮観!2万羽のツバメが集結
久田晴生
今大会の初日夜、交流会で「ツバメの集団ねぐらを観る」を行います。
ツバメは春、日本に渡ってきて、人家の軒先などで巣を作り子育てすることは皆さん
ご存じですね。では、子育てが終わったツバメ(親子)はその後どう行動するかご存じ
ですか。実は、一時的に特定の場所に集まり、そこで1カ月ほど過ごして体力をつけた
者から順に、三々五々南へ渡っていくのです。その集結地をねぐらと言って(「巣」は
ヒナを育てるためだけ)、全国各地にそういう場所があることが知られています。その
中でも最大級のものが宇治川河川敷のヨシ原にあるのです。
ここには、7月~8月の終わりにかけて、京都盆地で育ったおよそ2万羽のツバメが
集結します。ツバメたちはヨシの茎の中程にとまって夜を過ごします。(地面から襲う
ヘビ、上空から狙うハヤブサから身を守るため、茎の中程で寝る)早朝ここを飛び立ち
餌探しに出かけます。ちょうど宇治川の南には巨椋干拓田(注)が広がり絶好の餌場とな
っています。そして夕方、再び、このヨシ原に戻ってきます。その数2万、空はツバメ
で埋め尽くされます。まるでウンカの大群が来たかのようです。堤防に立っていると、
そのすぐそばを多数のツバメが横切っていきます。ヨシ原のすぐ上を猛スピードで飛び
交います。そして日没直後、一斉にヨシ原に飛び込んでいきます。それはまるで滝のよ
うです。
では何故かれらはこんな習性を持つのか。それは天敵ハヤブサに襲われないためと言
われています。私は毎年(名古屋に引っ越してからも)観察をしていますが、実際にハヤ
ブサがツバメを追いかけるシーンを観たこともあります。ちなみに、宇治市の東にある
喜撰山(かの喜撰法師ゆかりの地)でハヤブサが営巣していることが確認されています
。
ツバメは18時頃から集まり始め、日没10分後にねぐらに飛び込みます。8月3日の京都
の日没は18時58分ですので、19時10分がクライマックス、20分終演です。そのあと、わ
ずかな光の中、コウモリがジタバタ(『うる星やつら』のてんちゃん風)と飛ぶ影だけ
が残ります。
生活指導とは関係ないですが、京都の自然(歴史も少々)に触れてみようということ
で、今回企画しました。
行き方は地下鉄烏丸線(竹田で乗り換え、または直結。約30分)で、近鉄向島下車、
徒歩15分です。久田が案内します。ご希望の方は、全体会終了後、受付前に集まって下
さい。双眼鏡も何台か用意します。帰りは京都駅前あたりで食べていこうかなと思って
います。
注)巨椋干拓田は宇治川の南側にあり、山科川、鴨川、桂川との合流部にできた巨椋
池という大きな遊水池を、1933~41年に食糧増産を目的に干拓したものです。私が最初
に赴任したのはこの干拓田の南端にある西宇治(現、城南菱創)高校です。私が中学の
頃、「日本史地図」を見て京都の南に大きな湖があることを不思議に思っていました。
その長年の謎が西宇治高校赴任で解けた、さらには、干拓田の中の農道を放課後毎日の
ようにランニングしていたという、思い出の地なのです。
LINEはおそろしや…。
井沼淳一郎
大阪高生研恒例の「ぴらいち」が5月16日に行われました。今年の僕の報告です。いま、ほんとに頭悩ませてます。
1.久々の担任 遠足でダッシュ!
中堅総合学科のS高校生は、お行儀よく素直で手がかからない。こちらが仕掛ければ行事は簡単に「盛り上がる」。学年最初の遠足は、過去4回の「史上最強の遠足」で培ったアイデアをてんこ盛りした「当日お買い物つき、てっぱんイケメン!グランプリ」だ。学級代表・HR委員会に僕が活動原案を提案し、議論の上で彼らに修正案「グランプリの賞品を学級代表・HR委員が事前に各班から100円ずつ集め、購入しておく」を作らせる経験もさせ、終わってからは、目標に沿って総括会議、遠足ニュース発行と、セオリーどおりの自治活動を展開した。
このほかに自クラスには、遠足までに全員をフルネームで言えるように名前を覚える、というミッションを与えておいたが、それも本気に出来てしまっていた。さらに、遠足帰りのバスは、班を解体し、完全くじ引きで席を決定。最初は躊躇した生徒たちだが、「グランプリ発表」(学代HR委員)、「○○なMVP」記入(後日担任が集計して発表)、そしてクラスの先を見越したかのようなコミュニケーションゲーム「①あんまり知らない人と話が出来るゲーム」、「②相手のことをほめるゲーム」、「③自分のイヤなところを語るゲーム」と続き、最後に担任が、
「この遠足でこれまでよりもっと仲良くなれたね。でも仲良くなれば、お互いのイヤなところも見えてくるもの。誰でもイヤなところのない人なんていない。直したくてもなかなか直らないのもみんな同じ。だから自分のイヤなところを知ってもらおう。知った人は、今日からその人のよき理解者だね」と。うーん、完璧に決まったね!と思っていた…。
2.「今日は休みます」
体育祭も、応援うちわづくりそして恒例かき氷大会と順調に終えた、と思ったら、体育祭の翌朝、A子の母から突然の℡だった。「クラスの生徒さんとなんだかトラブルがあったみたいで、学校へ行けないと言っています」(ええっ!聞いてねえよお)「隠すより先生にちゃんと伝えた方がいいと思いまして」「わかりました。今晩伺います」。とりあえずこんなときはすぐに会って話を聞くのが一番。
A子は仲良くなったB子たちから「影で私のことこそこそ言ってるやろ」をきっかけにLINEで激しい口撃を受けていた。「私も、娘がこんなにきついこと言われてるのを知ってショックでした。お父さんは『一発殴ってやれ」と言ってます』と母。相手の生徒をあからさまには非難しないが父母とも腹に据えかねている様子。A子にLINEを見せてもらった。「先生、ながいで」と言われたが、こんなに長いとは…!!ほとんどワンフレーズのような感情的な言葉が延々と、夜中まで続いている。途中で何が原因だったかわからなくなってしまいそうになる。私は、「これは神経まいるわ」とげんなりしながら読み終えた。
A子は、こんなに「気まずい関係」になっては、学校へ行けない。ご飯もいっしょに食べられない。私のせいでグループを割ってしまうことになると悪い。で、学校を変わろうと思ってる。
(そこですかー!)、ネットで通信制高校を調べたらなんばに○○というのがあってよさげだ…。お母さんも「本人がこんなに悩んでいるなら、親としては応援するしかないかと…」
「ちょっと待ってくださいね。原因がどこにあるか整理しましょう」(ここは本音を率直に言って切り開くしかないなあ)
3.本当の気持ちは…
LINEでは、B子は「A子、ホンネを言えや!」と苛立ち、B子は「ごめん、ほんまに友だちでいたいと思ってる」を繰り返している。一読すれば、謝っているA子をB子が執拗に責めているように見える。だけど…。
「A子は、本当にB子と友だちを続けていきたいの?それとも自分からは関係を切る勇気がないから相手が離れていくのを待っているの?僕にはそうとも読めるんだけど」
「友だちでいたいけど、向こうが無理なら仕方ないと思ってる。」
「その程度なんだね。B子は、そんなA子のホンネが見えなくて苛立ってるんじゃないの?」
「……」
「友だちを続けるにしても、やめるにして、ちゃんと自分の気持ちを伝えないと、どこへ行っても同じだと思うよ」
お母さんは「先生の言うのは正論だと思います。でも親の気持ちとしたら、この子がこんなに悩んでいるのを見ていられない…」
「うちの娘にもよく言われます。お父さんは『何でもわかったようなこと言う』って」
その後、お父さんも帰ってきて、また一から話は繰り返された。ムダに思えるように見えて、実は同じ物語を繰り返し言葉にしていく中で、少しずつ動き出す。最後はお父さんもお母さんも、娘に「ちゃんと逃げないで気持ちを伝えてほしい」と願いを語ってくれた。
「お気持ちはよくわかりましたから今日はこれくらいにしましょう。明日、まだ無理ならまた℡下さい」といって、席を辞した。あしたはどうなるだろうか…。
※ホームルーム派教師を自認し、技を磨いてきた僕たちだが、やわらかくゲームやワークで「盛り上がる」ことも、固く自治活動で討議・決定・総括を指導することも、どちらも今どきの生徒の「人生の決断」(というか身の処し方「処世」)には、簡単に作用しなくなった。「気まずい」ことがすべてを壊すことになりかねない、自分が消えることでしか解決できない、今どきの生徒の世界に、先生という大人はどうかかわればいいのだろうか? それにしても、げにおそろしきはLINEなるもの…。
週末は「ホームカミングデー」
来夏引っ越しする。プライベートではなくて勤務校のキャンパス移転である。工事は順調、教育改革に関するカリキュラム整備や引っ越し手続きなども進んでいる。新キャンパスに移転すれば、これまで教室条件などの理由から制約を受けていた教育活動が可能になる。しかし、新キャンパスへの期待と現キャンパスへの思い入れは私の場合別のようだ。現キャンパスを26年間使用してきたが、私自身の教員生活は24年。年数的には生徒や卒業生以上に思い入れがあるといっていいかもしれない。
今年度から日常的に卒業生にTAとして来てもらい、まざまな協力を得て教育活動を活性化している。その卒業生たちにとっても「母校」と聞いてイメージするのは現キャンパスだろう。今週末「来ないとできない「さよなら」とまた会う日まで」という卒業生企画が行なわれる。卒業後20年の幹事学年を中心に、十代から90代近い卒業生も参加されるのではないだろうか? 教職員も総出でこのホームカミングデーを迎える。
懐かし授業体験、HRをもう一度体験、記念写真、学食であの頃のメニューを食べよう……などなどさまざまな趣向を凝らした企画が準備されている。私も「懐かし授業」を担当させていただく。その準備で、先日来卒業アルバムや生徒の作品、クラスTシャツなどをみかえしている。1年間だったり6年間だったり(中高一貫校なので)、関わりの長さは様々でも、こんなに多くの若者と接点をもってきたのか…と自分の仕事への責任感を新たにした。教職そのものの引退までカウントダウンに入った今、生徒にとってよりよいと思える教育を教職員集団でどんどん実践してみたいと、ちょっと欲張りになってきた。私が教員になって最初に出会った生徒は今36歳、直近の卒業生は18歳。私の懐かし授業では「アンダー30 VS オーバー30」で「本校に制服を導入すべきか」のディベートをする。ちょうど今年度の授業担当クラスでも実践したばかりで、先週の生徒総会でも議論になった。さあ、卒業生たちとはどんな授業になるだろう? 夏の高生研大会では本校の栗木久さんが授業実践を一日分科会で報告される。そこにも教職志望の卒業生が集う予定だ。この夏、いろいろな再会が楽しみである。 京都大会申し込みがまだの方は今すぐ、Kyoto_kouseiken@yahoo.co.jp へ 岸田 康子