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一般分科会7「学校は楽しく!生徒が学校生活をつくるとき 佐藤理河(北海道)」 の紹介と宣伝です。(司会:白石陽一)

とにかく「おもしろさ」が前面に出る実践です。たとえば、授業態度が悪い生徒に対して、理科教員は「授業の態度が悪いのだから、バスケットも勝てないんだ」と叱ります。(理科教師はバスケの顧問)これは、第三者から見ると「言いがかり」なので、生徒も怒って授業をボイコットします。佐藤さんは、この生徒に味方になって「大事件にしよう」とします。私は、結果としてうまくいっているけど「途中経過」がわからなかったので、以下のように「聞き込み」をしました。

私「大事件にしてうまくいく、という展望はあったのですか?」

佐藤「もちろん、うまくいく自信はありましたよ」

私「でも、一人の生徒が抗議したくらいで学校側が納得しないでしょう」

佐藤「いや、大丈夫だと思ってました」

私「生徒が<もういい、めんどくさい、謝ればいいんでしょう>とあきらめるかもしれないでしょう。」

佐藤「生徒はちゃんと主張できると思ってましたよ」

私「佐藤さんの<楽観>の根拠がみえないですね。ではお尋ねしますけど、佐藤さんは生徒に聞いてみたのですか? たとえば、こんな感じで。

あなた、ほんとうに怒っているのね?

管理職が出てきても、自分の意見は言えますか?

私(佐藤)がついていれば、相手は3人でも大丈夫ですか?

<そもそも、あなたの授業態度が悪いのよ>と言われても、<それとこれとは別です>と言い切れますか?とか話しましたか?」

佐藤「たしかに、生徒に聞きましたよ。」

私「その時の会話を再現してもらえませんか?」

佐藤「・・・・(長くなるので省略)」

私「生徒が強い意思をもつとしても、佐藤さん一人が抗議しても負けるかもしれないでしょう?

おまけに、不幸なことにこの時には、佐藤さんは学校の中では<弱い立場>だったでしょう」

佐藤「私は<学級崩壊>を止められない<甘い>教師だと思われていました。だから立場は弱かったです。なので、徐々に味方を増やしていきました。」

私「具体的には、だれを、どんな風にして、味方にとりこんでいったのですか?

佐藤「・・・・(省略)」

こんな風にして、佐藤さんの「自信の根拠」が次第にあきらかになっていくのです。「生徒を信じることが大事」「佐藤さんの共感力に学ぼう」というスローガン(概念)でまとめて終わりにするだけは、実践は広がりません。

実践記録には「書いていない」けれど佐藤さんは「きちんと実践している」、その貴重な場面を再現してもらうと実践が臨場感をもってきますし、追試できるようになります。

とくに「対話場面」がイメージできると、若い教師や学生も「こんな風に語ればいいんだ」と安心できます。

みなさん、どんどん「聞き込み」をして、「佐藤さん自身も知らない<佐藤さんのおもしろさ>」をみんなで発見してみませんか。

こんなドラマがいくらでも発掘できるので、実践検討会は盛り上がることは確実です。

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8月17日午前の一般分科会「良い授業ってどんな授業?」のお誘い

秋桜高校2年目の2人が、1年半過ごして感じた中で特に授業に焦点を当てて報告します。
どんな授業が良い授業なのか、授業や学校子どもたちとの関係を通して、、、
学校がどんなところであったら、授業がどんなんであったら子どもたちが明日も行きたい、
生きていたいになるのかを私たちのレポートを通してみなさんで悩み考えれたらいいなと思います。
秋桜だからできるのではなくて、自分たちの学校だったらどんなことができるかも一緒に悩み考え、
これからの社会のために子どもたちのためにを思えたらなと思います。

是非、参加していただけたら嬉しく思います。よろしくお願いします。

秋桜高校 竹澤成那
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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会8〔HR〕 「文化祭~カップは踊る、されど回らず~」(報告者:西尾健佑・大阪)

本校は大阪の北部にある私立高校である。生徒数は定員630名に対し550名前後、偏差値は40といわゆる「教育困難校」と呼ばれるところである。男女比率は男9:女1であり、ほとんどが男子生徒である。実際に硬式野球部などの部活動に力を注ぐ教員が多く、抑圧的な教育が行われている部活も少なくない。一方、他の教員の教育実践に関しては不干渉であることが多く、管理職からの抑圧もないが、学校全体の雰囲気として「文化祭を縮小したい」という教員も多くいる中で行った実践である。

昨年度受け持ったクラス(29名)の文化祭の実践報告。ヤングケアラーや気持ちが不安定な生徒など、「問題」を抱える生徒も少なくない。しかし、前向きな生徒が多く、文化祭の出し物はコーヒーカップに決定した。ノウハウも無い中、試行錯誤し文化祭前日に完成したコーヒーカップ。ところが試運転で回らない。リーダーは心が折れて泣きだす。やり方を変えて、何とか本番を迎えるまでの過程を中心に報告する。

ただ、文化祭終了後、多くの生徒がバイトをするようになり、急速に教室の内から外へ彼らの心は動いていった。また、三学期には行事がないため、静かにクラスは終わっていった。文化祭後の「第二の盛り上がり」をどうにかして作ることができたら、もっと変わったのかもしれない。

この文化祭は、私自身かなり「見切り発車」をし、そして生徒たちには「多くのもの」を背負わせたと思う。担任としてもっとなにかできたのではないか、これでよかったのかなどを、参加者のみなさんと話し合いたい。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会7〔HR〕 「学校は楽しく!生徒が学校生活をつくるとき(佐藤理河・北海道)」の紹介 ~これは、楽しさを起点に、みんなが大人になっていく爽快な物語です~

佐藤理河さんが勤務する高校は大都市近郊の町にある。この高校では、町外からの入学生が多く、市内の(地元の)高校には入学できない「逆流」現象が生じており、「本当は来たくなかった、この高校しか入れなかった」という生徒がわざわざバスに乗ってやってくる。ということは、「期待に胸をふくらませて」入学するというニュースの「常套句」は、ここでは通用しない。

このきびしい現実にどうたち向かうのか。「みなさんを歓迎しています」という教師から熱いメッセージを送ること、「この学校に来てよかった」という実感を新入生にできるだけ早く味わってもらうこと以外に対策はないだろう。だからこそ、佐藤さんは入学早々から「楽しくなければ学校じゃない」とばかりに、登校第1日目に「ジャージが配られた」ことを利用してバレーボール大会をしかけていった。いきなり大会を企画してうまくいくのか?これは壮挙というべきか、それとも暴挙なのか。この議論は、当日のお楽しみに。

 

学校を「逆流」の生徒たちの居場所にするために、ダンス、焼きそば、遠足(公園でカレーコンテストをする)など、楽しい企画は不可欠である。だが、この過程には生徒の「プロジェクト」の力を育てるという方針をしたたかにくみ込んである。また、優勝チームには「チュッパ・チャプス」40本をプレゼントして盛り上がるというのは、遊びに熟練した人でなければ思いつかない。このあと、ハロウィンの飾りつけをする、スマホルールを変える、冬季体育大会を復活させる、こんな試みは、佐藤さんの実践のねらいからすれば、必然に向かうべき方向であった。いろいろとトラブルはあったにせよ、40人の入学者があり、1人も退学者を出さなかったという事実も忘れずに書いておきたい。

以上すなわち、「逆流」という特殊な困難の中で培われた成果は、日本の多くの学校にある「息苦しさ」を突破する普遍的なヒントを宿している、ということになる。

だが、学校のルールを変えたり学校行事を変更したりするには、時間がかかる。意見を聞いたり、原案をつくったり、合意をとりつけたり、まことに手間のかかる営みである。改革にとりくんだ生徒たちは自分たちが卒業するまでに改正の「恩恵」を味わうことができないこともある。しかし、生徒たちは生徒総会で、こう発言している。「僕たちは卒業するけど、なんとか永嶺(・・これは高校名)五輪を復活できないか。」

 

これこそが立派な「大人」の発言ではないか。生徒会も政治も「もの取り」ではない。自分の利益のためだけに動くのではない。みんなのために、公の心をもって、将来を見すえて行動できる生徒がいた。この記録は、楽しさを起爆剤にして大人と政治を問いただそうとした人たちの爽快で痛快な物語である。これこそが、高校生活指導の誇りであり、私たちが広く宣伝したい偉業なのである。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会3〔HR〕「行事づくりの中で生徒の課題に向き合い、支える」 報告者:田島直樹(大阪) 

1年生の担任として教員生活をスタートさせてから3年。様々な生きづらさを抱える生徒と向き合い、支えてきました。体育大会の目玉でもある応援団発表。希望者が集って、3年生が1、2年生にダンスを教え、練習を重ねて発表します。

(以下、一部抜粋、改変)

B(女子)が「副団長やりた~い」と教室内で言っていました。Bは、いつも授業中に寝倒しています。クラスメイトの顔や名前も覚える気がないらしく、誰がクラスメイトかも覚えていません。担任としては、人柄は温かいところもあるBに副団長を任せて学校生活全般を頑張らせたいという思いもあるけれど、最後までやり切らせることができるのかという不安も抱いていました。とはいえ、Bを副団長にするからには、他の生徒からの信頼を得るためにも、学校生活全般を頑張るように変化を迫りました。「副団長を任せたいとは思ってるんやけど、今の状態やとちょっと不安やわ。遅刻・欠席をなくして、授業も集中するってこの場で決意できるなら任せようと思ってる」と言うと、Bは「自信ないから応援団やめとこうかな」「勉強とかも頑張れって言われたら嫌になってきた」と言い出しました。私としては「よっしゃ、やったるわ」という返事を期待していたので、かなり動揺してしまいました。「そんなこと言わんと体育大会の取り組みを通して、まずは2週間がんばってみいや」と、なぜかこちらから説得する形になりましたが、Bも最後には「頑張る」と決意をしました。

 

他方で、A(女子)が応援団をやるということなので、彼女にも任せたいと思っていました。Aは生徒会役員でもありますが、あまり人前に出たがらないので、応援団のなかで前に出ていくことで自信をつけさせたいという思惑もありました。Aが素直に引き受けるとも思えなかったですが、ダメもとでAに副団長をしないかと打診しました。私から話を持ち掛けた時は断られましたが、別の教員から話をしてもらうと、引き受けてくれました。

 

他クラスの団長Cは、様々な課題を抱えている生徒ですが、真面目に授業を受けており、部活では女子のキャプテンを任され、学校生活に前向きな生徒でした。そのため、学年主任は応援団長を任せてみようと思ったそうです。しかし、団練習でCがトラブルを招いてしまいます。そこで、練習後、Cを呼び出して、団長を続けるかどうかも含めて指導をすることにしました。話し合いの場でも、Cは自分の非を認められず、他の子たちに謝罪することはできないとの一点張り。応援団長も、「先生にやれって言われたからやってるだけで、私はやりたくなかった」と言い出します。率直に言えば、その日の一部始終を見ていて、私は応援団長を誰か別の生徒に替えるべきではないかと思っていました。ただ、他の教員2人は、このままCを支えていこうという方針でした。生徒2人も「自分たちも頼りないかもしれんけど、協力していきたいと思ってるから一緒に頑張ろう」とCを説得してくれ、数時間に及ぶ話し合いの結果、Cから「団長をやりきる」という言葉を引き出しました。

 

前途多難な体育祭含め、担任として取り組んだことを振り返り、生徒たちの成長、変化を読み解きます。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会2〔生徒会・総合学習〕「協働の力で、学校をそして社会を変えていこう! (報告者:清水直哉・神奈川)」 文責:内田 理(運営担当)

「協働の力で、学校をそして社会を変えていこう!」と題した「生徒会・総合学習」の分科会ですが、神奈川湘南学園での中1から高2までの5年間の学年実践でもあります。

湘南学園では、「社会の『ナマ』に出会い成長する生徒会」(有薗和子『高校生活指導』213号)で報告されているように総合学習と生徒会の活動が連動した、いろいろなプロジェクト活動がおこなわれ、「外部の本物の大人と出会い、生徒が成長して行く教育実践」がなされているところです。その学園で、中学1年生が5年間でどう成長してきたのかが報告されています。

 

報告されている学年(現高3)は、中1のときに「学力的に厳しく、トラブルが絶えない学年で」「『オレたちはどうせできない学年だから』と自分たちのことを諦めたり卑下したりする言動が多」く、「教室では『死ね』という言葉が飛び交い、対人関係のトラブルは男女問わず毎日のように起こってい」た学年だったと書かれています。

 

その生徒たちが高2のレポートで「『考える』とか、『知ってもらう』ことだけでとどまるのではなく、社会のさまざまな問題や矛盾、困っている人たちがいることを、自分達が解決していく。そういう取り組みに、これからはステップアップしていきたい!」と述べることができるまでになっています。

 

「特に中学生の間は、落ち着かない・話をきけない彼らにどのように対応するかは、学年教員にとって本当に悩ましい問題で、毎日学年の教員で話し合っていました。

・・・・理想と現実の間で1人1人の教員が悩みながら、子どもたちと向き合う日々を過ごし」て、学年づくりをしています。このような中で、生徒たちが中心の学年クラス委員会とプロジェクト活動をつくり、「子どもたち自身が考え、悩み、チャレンジするというプロセスを通して、彼らの中で『学年をつくっていくのは自分たちである』という認識が育まれ、また学年のリーダー集団の間に『仲間意識』」が生まれたといいます。この中学時の実践が生徒たちの変化を生み出す土台になっているようです。分科会では、この中学時の成長を何が生み出したのかを分析できれば良いなと考えています。

 

また、この学年は高2のリーダー学年になったときに、様々な活躍をしています。それはどのようにつくられてきたのかも分析したいところです。様々な行事の活動、いろいろな学び、それらがどう結びつき、生徒たちの変化を生み出しているのだろうか。

 

いろいろ興味が尽きない報告で、大会の分科会で参加者の皆さんと分析するのが楽しみです。

最後に、報告者の清水さんの言葉を紹介しておきます。「彼らとともに歩んだ5年間の中で、わたし自身教員として多くのことを学ばされました」という素敵な記述があります。清水さんが何を学んだのか、分科会での分析・議論を通して参加者の皆さんと共有できると良いなと思っています。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会1〔特別支援〕 「過酷な現実(いま)に揺れる生徒に応えるということは」(報告者:河上 馨)

機関誌『高校生活指導216号』特集2に掲載されている特別支援学校での、高校1年次HR実践です。(が、どの教育機関にも共有される内容です)。この実践記録が生まれた経緯を紹介します。

執筆依頼を受けた河上先生の当初の理由は「それなりにうまくいった実践」であったからだと思います。外国にルーツを持つ主人公のタクミくんが巻き込まれていく問題状況に応えようとあきらめずに関わりつづけた理由は、タクミくん本人が自分の新たな在りようを模索していった姿として河上先生の印象に残っていたからです。

しかし、執筆のさなかにその認識が誤りであったことを突き付けられます。配属転換していた河上先生は、元同僚から、タクミくんが「違法薬物の運び屋をやらされ」、「本人も、断ることができずに薬物を摂取し、中毒になってしま」い、「ダルク(薬物依存症患者の社会復帰をサポートする施設)の職員と卒業式に参加」したことを伝えられるからです。

タイトルが、「過酷な現実(いま)に揺れる生徒に応えるということは」という「問い」になっているのは、誰よりも河上先生自身が、この実践記録を執筆していく過程で「どう関わっていたらよかったのか」と問われているからです。本気で関わっていたからこそ突き付けられる、生活指導を模索していく原点ともいえるこの問いを、みなさんと深めていけたらという思いがあります。よろしくお願いいたします。

<高生研会員通信No.189より>

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一般分科会3「しあわせといのちの授業」

 8月4日(日)午前 一般分科会3「しあわせといのちの授業」の司会を担当します。

 皆さん、最近は「~力」ブームですよね。授業でもよく「これこれこういうことをやったから、こういう力がついた、つけられる」とか言いますよね。でもそんなこと、そもそも検証できるんでしょうか?「模擬裁判をやったから論理的思考力がついた、つけられる」などと言い切れるもんなんでしょうか?

 レポーターの宮田さんはそんな風潮や考え方に異を唱えます。一方で宮田さんの授業は「学校の授業の可能性」を考えさせる実践です。学びの貧困化が蔓延る現在、あらためて「授業の持つ可能性」について考えたいと思います。

札埜

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一般分科会9  生徒会 市民性を育む生徒会選挙のとりくみ

国大会の初日、8月4日の午後の分科会で「生徒会 市民性を育む生徒会選挙のとりくみ」のレポートを発表します。このレポートは現在の勤務校で生徒に、少しでも自治的な体験をさせようと思い、選挙管理委員会の顧問として取り組んだ実践です。

もしかしたらどこの学校でもそうかもしれませんが、本校では生徒会選挙はかなりいい加減におこなわれていました。規約を無視したり、得票数を公表しなかったり、投票用紙を後ろから集めたり・・・・。しかし、言うまでもなく学校は教育の場です。絶好の政治教育の場であるにもかかわらず、選挙がなおざりに行われていることは本当に勿体無いことです。

政治は民主主義の「作法」に則って行われます。その「作法」は文字に書いて、教科書で学ぶような性質のものではなく、実際の体験を通してしか学ぶことができません。生徒会選挙においては、投票することによって、あるいは自分が意見表明することによって切実な生活要求が解決する、そういう体験をすることがすべての青年に必要です。

先日の参議院選挙は、全体の投票率は48%でした。1995年の参院選以来の低さです。とりわけ18・19歳の投票率は31%にとどまりました。そのような中、NHKを批判するだけの政党が2%を得票し議席を獲得しました。もはや民主政治の土台が崩れつつあると言わざるを得ない状況になっています。

「政治」とはテレビモニターの向こうで行われているものではありません。生活の中で必然的に発生するさまざまな要求や紛争を解決するのもまた「政治」です。そういう意味で、「政治」は私たちの身近な生活の中にあります。まさに「The personal is political.(個人的なことは政治的なこと)」なのです。

酒田孝(青森)

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一般分科会7  授業 「主体的・対話的で深い学び」とは何なのか?

 滋賀県の西村太志さんと藤本幹人さんが共同開発した教材を使った授業実践報告です。テーマは『「主体的・対話的で深い学び」とは何なのか?』。これまでの一斉授業と一般に行われてきた「参加型」授業を越える試みです。

 目指したのは、自分の意見を出発点に他者の意見を聞き,場合によっては取り入れて,自分の意見を深められるような授業。そのために、現実社会の論争問題を扱い討論によって考えを深め,解決の方向性を見いだす「論争問題熟議授業」を開発。「国立マンション訴訟」の判例を用い、「幸福追求権」と「経済活動の自由(財産権)」という「人権同士の衝突」がおこったとき,どのように解決していけばよいかを生徒たちは議論を通じて深めています。

 限られた時間の中で、どうすれば生徒たちの考えを明確化し、争点化し、有機的に議論ができるのか。班討論・紙上討論(「賛否コメント」と「班回し読みコメント」)・対面討論(ディベート的討論)・小論文(景観論争最終意見)などのいろいろな方法が用いられています。当日は模擬授業形式で進行し、みなさんも生徒の立場に立って、「論争問題熟議授業」を体験しながら実践分析を共同で行おうと思っています。

 子どもたちが「主体的に考える」ためには、どのようなテーマを設定すればよいのか。「対話をしながら考えが深まる」ためには、どのような形態で授業を展開すればよいのか。実践分析をしながら、参加者で共有化できたらと思っています。

世話人 浦崎勇一(熊本)

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 一般分科会4「学びの問いはどこから」の案内と宣伝です。

高校一年生の国語の授業なのですが、授業者の古川優子さんは、投げ込み教材として、柚木麻子「フォーゲットミー、ノットブルー」を使っています。この小説は、私立女子高校での「いじめ」が描かれています。「まじめな」子が、「自由奔放な」子に惹かれつつも、その奔放さに翻弄され、嫉妬・羨望・怒りなどがないまぜになっていじめに手を染めてしまう、というストーリーです。思春期の高校生が読むと「わがこと」のように感じることができるでしょう。「ふつうの」子が「ちょっとしたこと」がきっかけになって「とりかえしのつかない」地点に行ってしまう、こんな高校生の繊細で危うい内面を学ぶことができるという意味では、高校教師にとっても「刺激的資料」だと言えるでしょう。
 この小説には、まじめな主人公が、奔放な友人に「学校は退屈なので江ノ島に行こう」誘われる場面があります。彼女は断ったのですが、友人からは「意気地なし」と言われてしまいます。そのほか高校生が大学生の彼氏の車に乗るような場面もあり、硬いタイプの学校の先生は「悪い影響を受けるかもしれない」などという「道徳的配慮」から敬遠されそうです。
しかし、「道徳と文芸は異なる」のです。ここがわからないと小説を読む意味を説明できません。ちなみに主人公が「意気地なし」と言われた事件は、後の「いじめ」の伏線・端緒にもなっており、古川さんの授業ではこの場面に焦点化した授業展開になっています。
 こんな「おもしろい」小説をよくぞ探してきた古川さんの見識も立派なら、こんな小説を「研究授業でとり扱うことを認める」和光高校の度量も立派だと思うのです。
 みなさま、ふるってご参加ください。ですが、ここで難点が一つだけあります。この教材文は、新書で70ページあるのです。物語の展開は早いのでふつうの大人なら「一気に読める」のですが、そうはいっても「予習、下読み」していただかないと、当日の議論には参加しづらいと思います。
「フォーゲットミー、ノットブルー」は、柚木麻子『終点のあの子』(文集文庫、533円)に載っていますので、事前に読んでいただけるとありがたいです。もちろん、当日の初日から受付で「コピー」も準備していますので、第1日の空いた時間に読んでいただいてもかまいません。               (運営担当者:白石陽一)
『終点のあの子』

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文化祭はいま、生徒が育つ大切な場所 一般分科会5「文化祭を通して『対話』のできるクラスに」

昔と違って、今の文化祭は夏休みの前に実施しているところがあります。
就職試験や受験勉強に影響を最小限にとどめるため、学校運営の側からきている日程だと思われます。おそらくそんな学校の担任は、文化祭の指導や定期テストの成績処理、保護者会準備など、今の時期猛烈な多忙さを抱えているのではないでしょうか。
大会2日目午後の部、一般分科会5「文化祭を通して『対話』のできるクラスに」は、そんな夏休み前の7月最初に文化祭が行われている学校の実践です。
3年生の4月当初から文化祭に向けた取り組みが始まるのです。
生徒たちの熱量がほとばしるような報告になること請け合いです。
是非おこし下さい。

みなさんの学校やクラスではどんな文化祭が行われているのでしょうか。
HR企画を担任として采配したり、黒子に回ったり。担任の立ち振る舞い方で生徒は大きく成長するように思います。「文化」という大きなくくりで非日常を学校の場に作りだす作業は、互いの関係性の中で授業とは違った学びがつくれるのではないでしょうか。
あるいはこんなこともあると思います。
「もっと担任としてHRの生徒と関わりたいのに、部活や課外に追われて生徒も教師も時間がな〜い!」と。
ない時間をどう作るのか?
それこそがHR担任の文化祭づくりのキモではないでしょうか。

私は、生徒同士が顔を合わす時間が極めて少ない総合学科の高校で2年次のHR担任をやっています。生徒が秋の文化祭に向けて「ジェットコースター」の企画を持ち出してきました。
見通しはまだまだできていないのに、夏休み前に皆で顔をそろえるのはあと2日しかありません。
生徒会から支援される予算も少ない! さて、HR、どうする私!

安藤誠也

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一般分科会6「B太と歩んだ3年間」について …レポーター 坂杉隆通

「担任はいい!」私はいつもそう思っています。現在の勤務校が11年目と長くなった私は、今年4月から進路課長をしています。

この学校に残る限り、担任は持てないと思うと、春先は悲しくなりました。

昨年までは保健課長や学年主任と兼務でしたが、3年間HR担任をしました。

生徒たちに大切なことを教わり、実に楽しく充実した3年間でした。最大のトピックは、B太と出会い、共に過ごしたことです。

そんな私にとって、今大会で実践記録を書いて報告し、みなさんに分析してもらうのは総括するのに絶好の機会となりました。

活発な議論ができることを期待していますので、どうぞよろしくお願いします。

以下はリーフレットから抜粋

こだわりが強く、コミュニケーションをとるのが苦手なB太。生きづらさを抱えたB太を担任し、彼を理解することに努めながらHRで周りの生徒とのつながりをつくろうと意識した。数々の失敗や衝突を重ね、多くのことを学びながら、B太と歩んだ3年間を報告する。

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第9 一般分科会 「生徒会」 市民性を育む生徒会選挙のとりくみ

一般分科会は授業、ホームルーム、学年、総合学習、生徒会の5つ、9分科会があります。

教師の仕事は授業を教えるだけでなく、ホームルーム担任、分掌の仕事、部活動と 多岐に渡っています。

生徒会は私も20代のときと40代の時。2度体験しました。
私がこれまで経験した高校の多くでは、生徒会担当の仕事を若い先生や、臨時講師の先生に押しつけているような気がしていました。

しかし、生徒会はこれから大人として成長していく生徒にとって、民主主義の原点を学ぶことができる場所ではないかと考えています。

おかしいことはおかしいと言えず。はっきりと自分の意見を述べることを押さえつけ、毎年、決まった行事をこなすだけの行事屋になってしまっているのではないかと思います。

青森の酒田さんは、前任校では、保護者、教職員、生徒が話し合う三者協議会を開いたり、部活動の予算を生徒会会計担当の生徒がすべて行うということをしてきました。

今回の内容は、「選挙」ということですが、現実の選挙が目の前にあり、高校3年生生が選挙権を持っているという現在、深く学びあいたい内容ではないかと思います。 

青森 吉田

内容はリーフレットから抜粋しました。

選挙管理委員会の顧問として生徒会の選挙に関わってきた実践報告。生徒会選挙は生徒が民主主義を体験し、当事者性を獲得する絶好の機会なのに、それが十分に生かされていない。「本物そっくりの選挙」をキーワードに、民主主義を知識ではなく体験を通して学んでいきたい。

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一般分科会『授業』…スマホからも投稿できます。

今年の一般分科会は9つ。
授業の分科会は2つあります。

先日、青森県の教員採用試験を受ける講師の方々が集団討論を学ぶところで、
『不登校をこれ以上、増やさないためにあなたはどんな取り組みをしますか?』の問いで話し合ったところ、

授業の充実を話した先生がいました。

とても、印象深く、いいなあ。と自然に思いました。

何のために、学ぶのか。

教師になって私たちは生徒たちにどんなことを伝えたいのか。

名古屋大会の分科会とは視点が違うかも知れませんが、交流会などでそんなことも話し合いたいと思っています。

今日は完全休養日。自ら働き方改革をするために、家でもパソコンを開いて仕事はしません。この記事は、スマホから投稿しています。毎日ブログ更新を目指していますが、そろそろ苦しくなってきました。分科会担当の方、現地の方、名古屋大会参加の皆さん。ブログ更新の記事をお願いします。

青森 吉田

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初めての学年主任

みなさん、こんにちは
青森の吉田です。

名古屋大会の第2分科会は「初学年主任の試み」―弱音の吐ける学年―   です。
私も、5年前、初めての学年主任になりました。担任は何度も経験しましたが、
学年主任は初めて。

3年間、毎月、学年通信を出しました。
生徒の声、担任の声を、管理職や、進路部・生徒部の先生に届けること。
ここでは、とても書けないことも経験しました。

名古屋で、ともに学び合えることができればと思います。

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7月になりました。皆さん、8月に名古屋でお会いしましょう。

高生研の皆さん
こんにちは 応援ブログ担当の青森の吉田です。

7月になりました。
青森では、多くの高校が7月に文化祭があります。
我が校は校舎がロの字型で、中庭で3年生6クラスの模擬店が行われます。
1年から3年までがクラスの旗を作り、2年生はゴミ箱を制作します。

名古屋大会の一般分科会では
第1分科会で「文化祭におけるベンチ製作」
第5分科会で「文化祭を通して「対話」のできるクラスに」

と文化祭に係わるものが2つあります。

文化祭でジェットコースターを作った方もいましたね。
大阪の文化祭見て歩きも興味深いものでした。

文化祭を通して生徒が成長していく姿を数多く見てきました。
名古屋大会でも全国の先生方と交流できればと思っています。

青森 吉田

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一般分科会1  行事を通じて生徒の自治と教員集団を育てる試み

学年がリーダー育成や集団的な生徒指導を目標として持たなくなったのはいつからだろうか。現在、私が副担任として関わっている学年も、年度の始めに立てる学年の指導目標は規範指導と進路だけで、リーダーの育成であるとか、行事を通して生徒の社会性を育てるなどという視点は抜け落ちている。いきおい、行事などでは教師が企画して生徒がその通りに従うという構図になりがちである。その際、生徒に求められるのはルールに従うことだけであり、生徒たちがきちんとルールを守れたかどうかでその行事が評価されてしまう。それでは教師たちが、学年という集団、あるいはクラスという集団には教育的な力はないと思っているのかいというと、そうでもない。私を含め教師達は、集団の中で生徒が成長していくことや、傷ついた生徒が癒えていくことなどを日々実感している。

先日も、あるクラスの中の2つの女子生徒の集団が激しく対立する事件が起こった。2つの集団は表面上でも、ネット上でも激しく互いを攻撃しつつ、グループ内部でもトラブルを起こし一部の生徒はグループから離脱していった。狭い教室の中でそんなふうに抗争しているものだから、一方のグループは教室に入れなくなってしまった(このあたりの顛末は別な機会に詳しく紹介したい)。しばらく別室にこもっていた一方のグループの生徒達は、楽しそうな遠足や体育祭などには参加するという。驚いたことに、遠足や体育祭に取り組む中で、この対立は次第に沈静化していったのである。今回、この事件を通して私たちは「集団の教育力」とでもいうべきものをまざまざと実感することができた。このような集団の教育力を意識的に目的化するかしないかでは学年経営やクラス経営に大きな差が出てしまう。かつてはどこの学年も、行事を中心に生徒集団を動かしていたと思うが、次第に踏襲されなくなり、忘れられてしまったのだろう。


今年の全国大会の一般分科会の第一分科会は大阪の山野先生の学年実践「行事を通じて生徒の自治と教員集団を育てる試み」である。学年として「行事を通して生徒を育てる」ということを明確に目標化し、取り組んだ2年間の実践報告である。生徒を巻き込んで行事を作り上げる中で、いろいろな背景を持った生徒が登場し、行事に関わり、成長していく様子が描かれている。生徒とかかわる時、一人ひとりにフォーカスしすぎると行き詰まってしまうが、視点を変えて、集団として生徒を動かしていくといろいろなことがうまくいくことがよくある。このレポートから、「集団の教育力」で個人を成長させる、そんな学年の生活指導を学ぶことができると思う。

T.S(青森高生研)

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一般分科会6 「地域づくり×人づくり」~若者が地域をつくる~

ここに本当の主権者教育があるのではないか?

「村岡高校のような学校で、学んでみたかった」「彼・彼女らの表情やまなざしが、3年間で大きく変わっていった」「私から見れば『地域の隠された魅力』というのは、村高そのもので」あった。これは、地域探求の授業に3年間かかわったある鳥取大学の教員のことばである。この大学教員にこう言わしめる村岡高校とはどういう学校なのだろうか?

A「私は香美(かみ)町職員となって香美町の課題に真正面向き合って活性化に貢献したい」「将来教員として地域と学校へのつなぎ役として恩返ししたい」
B「大学を卒業して地元に帰ってくる。私の地域活性化案実行に移したい」
C「大学に進学し村岡を外から見ることになる。村岡に何ができるかを見つけ出し、地元に恩返しをしたい」
D「教員になり、地域をつくる後輩を育てたい」
E「この3年間は人生を大きく変えた。地域の状況を知り、地元に返ってきて地域の活性化に活躍したい」
一つひとつが卒業生たちの声である。

かつて、兵庫県北部の但馬(たじま)の地で活躍した教育者東井義雄氏は「村を捨てる学力」ではなく「村を育てる学力」の必要性を説いた。これらは、村岡高校が「村を育てる学力」を生み出していることを証明する。
「村を育てる学力」を彼・彼女らの中に生み出すために、今井さんたちはどのようなしくみをつくりあげただろうか?そのしくみの何が生徒たちに変化を生み出したのだろうか?なぜ彼・彼女らは地域を愛するようになったのか?

村岡高校の実践は、過疎地だからできたのではないと思う。真に若者に必要な学力とは何か?そのために必要なしくみは何か?主権者教育としてとらえ直しながら、ともに考えたい。(運営担当 藤本幹人)

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一般分科会3  教育活動をリフレーミングする教育相談

「教育相談」を学校の中でどう位置づけるか?

藤野さんは「(教育相談は)重要度は認知されていても地味な扱いをされている。・・・」と書いています。しかし、教育相談という立場だからこそ、他の教員と異なる視点でみることができ、「学校を問い直す」こともできるのだとも言っています。

そこで、この「リフレーミング」という発想がでてきます。「リフレーミング」とは、あまり聞き慣れないことばかもしれませんが、生徒本人の視点で今起きていることを捉えなおすことです。生徒目線のストーリーで考えると、今起きていることや起こったことの違った面が見えてきます。

私は何回かこの藤野さんの実践報告を聞いたことがありますが、個々の生徒に対応するだけでなく、学校づくりの視点をもって、組織としてどう動いていくのが生徒にとっていいのかを考えている人です。そのため、いつも参考になることがたくさんあります。

今回は具体的な実践の中身は紀要には掲載していませんが、当日は口頭で実践も報告しながら、わかりやすく「リフレーミング」を掘り下げていきます。「教育相談」に関心がある人も、そうでない人もこの「リフレーミング」は生徒を理解するためにはとても参考になると思われます。多くの方に聞いていただけたらと思います。