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8月9日に思う

8月9日と言えば、言わずと知れた長崎原爆の日です。
私の住む沖縄は、太平洋戦争時、地上戦が行われたこともあって
平和の関連行事が多い土地柄ですが、
同じように長崎・広島でも、原爆と関連して
平和について考える機会が多いそうです。
では、それ以外の土地では?
被害を受けた方が身近にいないと、どうしても見方は客観的になり
「肌感覚」でその痛みを意識することは難しいのかもしれません。
しかし、「被曝」という言葉が過去のものになりかけていた昨年、
またしても、唯一の「被爆国」と呼ばれるこの日本で
多くの「被爆者」を出すことになってしまいました。
「被曝」がどれほどに恐ろしいことなのか
六十数年間、毎年、訴え続けてきた長崎・広島の声が
「絵空事」かのように、思われていたような気がしてなりません。
広島で行われた今年の平和祈念式典に、
福島県浪江町の町長が参加したことが話題になりました。
広島の被爆者団体の方から
「みんな内部被曝している。
 それはとても恐ろしいことだ。
 しっかりと対処すなければならない」と聞き
改めて、被曝の重大さに思いを馳せたと報道されていました。
何を今更、と思う方も多いかと思いますが
日本国中で、同じように思っていた、
いえ、今も思っているのが現状ではないかと感じます。
私たちが一生のうちに経験することは、
全世界の悲劇のほんの一部にしか過ぎないかもしれない。
だけれども、全世界の悲劇を、
自分のものとして真摯に考える当事者性を持つことで
少しでもその悲劇は減らせるかもしれない。
明日から始まる全国大会の全体会2において
私が話したいのは、そんな「当事者性」の話です。
沖縄:伊藤

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福島を考える

長野県 小澤彰一

 私が高生研の全国大会で福島を考えたい理由。
1.東京(都民という意味ではなくて)は、福島を植民地か属国扱いしていたのではないか。福島の児童・生徒のおかれている状況に憤りを感じている。
2.福島は地震・津波という自然災害に、原発事故という人為的災害が加わって、他の被災地と違う次元で議論しなければならないと考える。神戸、長岡にも地震直後ボランティアに入ったが、福島では違う空気を感じた。
3.自分の勤務校は木曽町福島(正当な理由ではない)にある。そして、南相馬市小高から長野県に移住した家族の子どもが二人、本校に在籍している。
 
 そもそも、日本人の多くがボランティアに目覚めたのは阪神淡路大震災からだという。私も単独で4日間いったし、作家(?)の田中康夫氏(元長野県知事)すらいったくらいだから、非常時のボランティアが一般化したのは事実だ。定時制の学校で引きこもりだった生徒がボランティアを仕切っていたり、「何をしたらいいか」と聞かないで欲しいといわれたり、老人の話を繰り返し聞き続けることが仕事だといわれたり、とにかくいろんなことを学んだ。中越地震の時は長岡周辺の小・中・高校、養護学校などを回ったが、特に聾学校の地域社会に果たす役割が印象に残っている。聾唖者にとっては、災害時に流れるサイレンや拡声器、ラジオ、テレビといったすべての音による情報が入ってこないのだ。自分の差し迫った情報も相手には容易に伝わらない。学校が唯一の安全な場所になるのだ。そんな当たり前のことに気づかされた。
 福島には今年の2月、そば打ちの道具を携えそば打ち仲間4人で出かけていった。双葉町の本体は埼玉県の加須市に避難しているが、福島市にも小規模の仮説住宅群がある。郊外の不便な場所にあり、小規模故なのでボランティアもなかなか訪れない。不便なので若い夫婦は転居する。仮設住宅村は少子高齢化、限界集落状態になるのである。その区長は仮設居住者の選挙で選ばれるのだが、福島第一原発の従業員であった人である。居住者の多くは近々双葉町に戻ることができると考えているが、彼は放射能の知識があるので、自分たちの生きている間はダメだと腹をくくり、加須との間を往復しては必要物資を運び献身的に働いていた。浜通りは、長野県人なら誰でもうらやむ穏やかな気候で、長閑な海岸の続くすばらしい土地だ。例の20キロ圏バリケードの前までいったが、地震と津波の爪痕が残るばかりで、放射能被害が直接目に見えるわけではない。バリケード前には機動隊が数名と、我々、すぐ近くで営業しているコンビニのあかりがあるばかり、実に閑散としたものだ。
 福島で知り合った方々に「福島を忘れないし、語り続ける」と約束した。ショックドクトリンなどという火事場泥棒みたいな輩の行動に歯止めをかけ、原発再稼働などと平気な顔でのたまう奴らの口を封じるため、繋がり続け、語り続けることが、特に東京でそれをすることが必要だと考える。

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地域で生きる若者、高校生(6) ~Fさんのその後~

 さっき、札幌市定山渓温泉で行われた「全」生研全国大会から帰ってきた。600名近い参加者のうち20代の参加者が2割を占めた。しかも、各地から若手が分科会などで積極的に報告し、活気のある雰囲気だった。実行委員の裏方の役割であったが、いわゆる分科会会場係だったため、ほとんど一参加者のような感じで老若男女様々な先生方と交流ができ、元気をたくさんもらった有意義な時間であった。来年は高生研と同じ京都市内での全国大会となるので、「相乗効果」に期待したいところである。
 さて、このブログの連載も今回が最終回。前回に引き続き、一昨年の札幌大会の問題別分科会で話題提供をしてもらった若者の「その後」を紹介したい。8年余りの不登校だったFさんは「自主夜間中学」で高齢者受講生に囲まれた中で3年間を過ごし、高校通信制に復帰するとともに「自主夜間中学」卒業後に同期生と自主学習サークルを立ち上げたところまでを札幌大会で話してくれた。
 現在、その自主学習サークルは4月に新たな卒業生を仲間に迎えつづけ、3年目を迎えることができた。実は、Fさんが代表だったのは最初の1年だけでその後は新しいリーダーを支える立場として、私たちと同じ「助っ人」(チューター)として活躍している。また、今年の4月からは私が週1回の例会にほとんど出られなくなったが、私の妻と二人で学習者の「学び続けたい」思いに応え続けている。
 Fさんはことしの3月で高校通信制を卒業した。そうすると「次の進路は?」と聞いてしまうのが教師、大人のいけないところである。すでに自らの手で、しかも支援者として、自主学習サークルを3年続けているではないか。これは、「学習権」保障の地域活動の担い手としてである。これが「仕事」にならないのをおかしいと考える見方が私たち「市民」に求められるのではないだろうか。
 先ほどふれた全生研全国大会では、フリーターの若者があるきっかけで高校中退者の居場所(聞いた感じだと「かくれ家」と言った方がしっくりくるが)づくりに取り組み、3年で皆が仕事や結婚など次の進路に進むことができた、という報告があった。そのまちでは高校中退者に対してのサポートが公的にも私的にもほとんどないとのことらしい。
「若者が生きられる」地域をつくる営みは、持続可能な社会をつくる上で「仕事」になるべき欠かせない機能ではないか。「高校生を『市民に』」しようと言うのであれば、このような取り組みに真摯に学び、それぞれの立場から必要な社会的資源を分ける方策を、ぜひ今回の高生研全国大会で議論したいと私は思う。多くの方が8/10~12、東洋大学に参集いただけることを願って筆をおくこととする。
(北海道高生研 井上)

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「なんか、ごめんなさい」

 22→11→18→21→7→11…これは、夏休みに入ってから、9月の文化祭準備のための登校日に来た生徒数の推移です。クラス人数は40名です。
 登校日は、1学期最終日にリーダーが連絡しました。リーダーは、遠足<5月に湖畔でBBQ>で、クラス全員に行き渡るよう冷製デザート<砕いたオレオ生地の上に抹茶ムース>を手作りしてきたラガーマンで、6月に立候補してリーダーになりました。登校日は、彼が夏休み中の各部活の予定を調べたあげた上で案を立てました。
 私の勤務校では、高3は劇が定番です。とはいえ、その準備のために7月だけで6回も集まっているクラスは他にはありません。たいていは7~8月で3~4回です。なのに、うちのクラスは明日も集まります。挑戦するのはミュージカル。これは、「どうしてもイヤという人以外は、できるだけたくさんのひとにステージに上がってもらえるように」と学年<高3です>を意識したリーダーが、自分の思いをクラスメートに伝え、候補を絞った結果です。
 第1回の登校日で役決め、第3回で劇中歌を英語と日本語のどちらで歌うかで揉め、翌日の第4回で英語派が急遽特訓して実際に英語で歌ってみせて、日本語派の了解を得た…しかし、そのあとの集まりがなかなか。例年を知っている教員の私にとっては「こんなもんやろう」でも、リーダーと集まった生徒にとっては高3は初めてなので、7名に落ち込んだ日は、何も活動が始まらず、「どうやったら集まるか」についての作戦会議となりました。
 「ポイントカード、つくろーや」「ラジオ体操みたいに、全出席でアイスもらえるっていうのは?」「SNS<LINEを使ってます>で、めっちゃ集まってめっちゃ進んでるよ~っていう雰囲気を流す」など、来ているメンバーはいろいろ言いました。でも、リーダーは「来ないヤツがアカン…」と元気ないまま、帰りました。
 ところが、そのあと残った女子2人が買い出しリストをサクサク作り、その足で百均に行き、リーダーに「材料は調達したよ~」と電話。同じ日、議長がリーダーを誘って、ファミレスで4時間、食べる、しゃべる<たわいもないおしゃべりだったそうですが>。そして、リーダーと辛苦を共にしているラガーマンの生徒が、「夜分にすいません! みんなクラブとか用事とかで忙しいと思います。けど〇〇<リーダーの名前>も頑張ってるし、高校ラストやし。全員で頑張らないと最後に後悔すると思うんです。やし、ちょっとでもいいんで登校日、顔出して欲しいんです! なんかごめんなさい」とSNSで訴えました。
 そして、昨日は第6回。部活の二部練の日でもあったのに、教室に一番乗りしたリーダーが「◇◇<SNSに投稿した生徒>のLINE、めっちゃうれしかったわ~」と。集まりは11名にしか回復しなかった昨日でしたが、リーダーの元気はちょっと回復していました。
 「来ないヤツがアカン」「来い!」では自由意志の集まりの人数は増えないと私も思います。かといって、「めっちゃ盛り上がってる雰囲気が(SNSに)流れたら、かえって行きづらくなる」と漏らした生徒もいました。その生徒に、対面では、「オマエ、邪魔くさいなー」と苦笑いで返した生徒<◇◇くんです>が流したメッセージの最後が「なんか、ごめんなさい」です。
 距離感や気遣いって、大切ですね。。
 360名、これが、本日7月31日現在の会員数<銀行引き落とし手続済の方のみ>です。「新しい主体による再組織」「組織の大改編」とネーミングは複数あるようですが、私たちも、学び、語り、聞きあい、関係を広げていきたいです。
          京都 岸田 康子

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教師生活30年目に思うこと

 南国からは30度以上の猛暑の便りが聞こえて来ますが、北国は25度前後のちょうど良い毎日を過ごしています。しかし、夏休みはどこに行ってしまったのか?4月から土日も休み無く働き続けている毎日です。
 特に、今年は3年生担任であり、7月20日(金)に一区切りの全校集会を行ったものの(二期制なので終業式はない)翌日から7月いっぱい進学講習。生徒は6時間講習であり、私は2時間担当の講習の合間を使って、クラス40人の保護者との面談。そして、部活動の指導と、休み無く動いているというのが実情です。地方の進学校の宿命というのか、矛盾を抱えながらも生徒と相対しているというのが本音です。
 それでも、クラスの生徒たちの明るさと元気、そして3年学年団のチームワークの良さが支えでここまでやってこれました。
 昨年の名古屋大会は参加できませんでしたが、今回の東京大会は全日程参加する予定です。30年目の教師生活の節目を迎えた今、新たな出会いと原点に立ち返っての学びをこの大会でと考えています。
 
kitataro01.jpgkitataro02.jpg
 
 よっし~の3年4組のブログ http://ameblo.jp/24kizuna/day-20120714.html 
                                   北国 太郎

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「『定年まで』働くことのリアリティー」から考える現場や高生研

 日教組の月刊の機関誌(月刊JTU4月号)に表題括弧の特集が組まれていた。
 まず、このタイトル「『定年まで』働くことのリアリティー」を見たとき2つのリアリティーについて考えてしまった。その1つは、おそらくその特集の主旨だろう「教育現場の過酷な状況が定年まで働きにくくしている」ということ。(生徒指導や進学指導で過酷な教育現場を思い浮かべてしまった。)そしてもう1つは、「今や『定年まで』働くことのできる職業自体が非現実的であるのかもしれない」ということ。(現に教職に就いている者として、自虐的な視点であろうか。)
 特集の内容を読んでみると、前者であることがすぐ理解できた。そればかりか、興味深い内容が取り扱われていた。簡単に要約すると次のような内容である。
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①日教組が行った『教員の働きがいに関する意識調査』を、様々な一般企業労働組合の「働くこと」に関する意識調査の結果と比較、分析している。
②その結果、教職員の働きがい感は一般企業従業員のそれよりも遙かに上回っている。
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③しかし、そういった仕事を続けたいという意欲は、教職員の側が年齢と共に下降する一方、一般企業のそれは徐々に上昇し、50歳代以上ではほぼ拮抗する。
④特に、40歳代から50歳代の教職員の落ち込みは激しい。
⑤男女で分けて見た場合、50歳代で仕事を続けたいという意欲は、一般企業の女性従業員が女性教職員のを逆転している。
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⑥また、働きがいの内発的充足(仕事が楽しい)と外発的充足(休暇、労働時間の充足度)を比較し、教員の働きがいはバランスが良くないと指摘している。
(『教員の働きがいに関する意識調査』で検索。http://www.jtu-net.or.jp/survey11.html)
 紙面には、これに関しての教員と研究者との座談会が取り上げられ、教員からこんな指摘があった。「(静岡県教組の研究所の調査、『50代というのはサポートが受けられない』という結果がある)50代になると、ベテランだから同僚からのサポートも別にいらないでしょ、というような感じになってしまって、いろいろきつくなっているのに、見過ごされている部分が多いのかな、と。それが、50代でガクッと意欲が落ちる原因の1つであるのかなと思います。」 さらに、国際経済労働研究所研究員はこんな分析を加えている。「年齢が上がることに、特に男性は、児童生徒との関係が困難になる、という結果が出ているんです。女性はその点、ソーシャルスキルが高いといいますか、子どもたちとの関係性の面では、年齢とともに下がるということはありません。男性は年齢が上がるごとに、ジェネレーションギャップをうまく処理できないのか、子どもたちとのやりとりに難を感じるようになる。」座談会は、「燃えつきない」ための労働条件整備とサポート体制について組合が機能していくべきだと締めくくっている。
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 このような内容をなぜ取り上げているかというと、まさしく明日は(今も?!)我が身を感じているからだ。現場で働いていて「歳やなぁ」と年齢を意識したり、落ち込んだり、「確かに言わずもがな」の内容であるが、このように分析されると少し視界が広がるような気がする。何か手の打ち方があるのではないかと。家庭も職場も見据え、ジェネレーションギャップやジェンダーの問題をどう越えていくか?
 一見、「未知なるもの(例えば年齢差のある生徒世代とのコミュニケーション)をどう知るか」という問題であるように思う。そして、その方向には解決策は見いだしにくいようにも思う。世代差については様々なとらえ方があるだろうし、様相も多様であろう。「把握できた」と思ったところですぐずれが生じたり、裏切られるのではないだろうか。ならば、超える方法はないのか? いったいどうすればいいのか?
 思い出すのが「ポジショナリティー」と「多様性」という言葉であった。かつて、秋田大の望月さんが高生研の基調発題で取り上げ、公共性や政治参加の論考の中でもよく取り上げられる言葉がポジショナリティーである。当事者性を意識するとともに、自分の立ち位置を他者を意識した上で把握することと認識している。それから「多様性」は、岡村さんが討議空間づくりについて論考した基調で目にとまった言葉だ。多様な他者の受け止める場が保障されなければ、安心して生活したり、働いたり、生きていきにくい状況に陥るのではないか。
 わたしたちができることは、そんな場所や時間を共有できる関係づくりや環境づくり目を向け取り組んでいくことだと思う。組合的な環境整備(労働時間や休暇)はその先にあるのであって、まずは、多様性の保障する意識と空間が無ければ話にならないように思う。

<みえ高生研通信2012/6号から再編集> 
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日本を生きる

 前回、秋田の外国籍の子どもについて書きましたが、7月11日から、朝日新聞で「いま子どもたちは・・日本を生きる・・新宿編」という連載を掲載しています。新宿区には、3万人超の外国人が暮らしているようで、そのうち学齢期の子が1650人と推定されています。しかし、区立学校へ通う子は480人に過ぎません。国・私立や外国人学校に通う子を差し引いても、かなりの子ども達が学校へ行っていないことになります。授業へついて行けず、やめた子もいます。
そうした子どもたちを支援しているNPOが取り上げられています。困難を抱える子どもたちへ親身に関わるボランティアのご苦労には頭が下がります。都会なら、勉強を教えてくれる大学生や社会人がたくさんいます。しかし田舎では、大学生はおらず、退職した教員すら当てに出来ません。対象となる子どもは少なくても、地方でボランティアを確保することは困難です。
 こうした問題を突き詰めれば、教育委員会や学校の無理解が子どもたちの困難を増幅させているように思います。言葉をよく理解できないだけなのに障害児扱いして、それで済ませてしまいがちです。年齢が、日本の中学2年生相当だから、2年生にしなければならない、と言います。当たり前のように見えますが、日本語がおぼつかない子に、これから1年ほどの学校教育で高校を受検させる、ということが可能でしょうか。高校へ必ずしも行かなくてもよい、そういう子のために単位制高校もある、という意見もありますが、それで幸せになることができるでしょうか。つまり、普通の日本人と同じように、社会で生きていく力をつけることができるか、ということです。多くの子どもたちは、学校からドロップアウトしたり、同じ仲間で固まり、社会の片隅で生きているのではないでしょうか。
 記事にあるように、日本が「外国人の子にとって暮らしやすい国」であるかどうか、です。「多文化共生」をうたい、「グローバル化」を推し進めようというのなら、教育には根本的に変えなければならないことがたくさんありそうです。ひょっとしたら、それが日本人の子ども達のためにもなるかも知れません。直接関わる教師にとっては、これからは避けて通ることのできない問題です。
 こうした記事を見ると、学校の実情が出てくることは少なく、出たとしても否定的な例として出てきます。教師として悲しいことと思います。
 少子化が進む日本にとって、外国籍の子どもたちが地域社会を支える市民として育つことは、じつに重要なことであるはずです。「18歳を市民に」は、すべての子どもたちに通ずることです。今でこそ小中学校の問題のように見えますが、つまるところ、高校にも大きく関わる問題になるのではないでしょうか           とらぬ狸@秋田

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揉め事の先には…

 大阪のKです。東京大会、参加できることになりました!しかも父と2人で、青春18切符で10時間かけてのんびり上京します(父はのんびり東京観光をするようです)。いつも全国大会では元気をもらえるので、今年も楽しみにしています♪
 5月のブログ以来、顧問をしている女子バレーボール部の内容を記してきました。今回で最終回、最近の部活動の様子を書いてみます。
 6月の第2週から、新チームが発足。体育会系の部活ならでは?と思う節々が見えてきます。体育館の練習時、日が入り眩しいので、練習開始前にギャラリーのカーテンを閉めます(ギャラリーは体育館フロアより高い位置にあり)。練習後はそのカーテンを開けて、消灯して体育館を定時制に空け渡します。ある日の練習後、1年生が体育館ギャラリーのカーテンを開けるのに戸惑っていると、2年生5人が「もう、やり方教えたのに全然できてへんやん」「遅いわ-」「はよ(早く)しろや」と言って円陣を組んで、必死に頑張る1年生の方を見上げていました。部活動の最後、集合をするために私もその場に居合わせました。2年生の声にイライラして、私「そんなに言うなら、あなた達2年生も上がってカーテン開けるのを手伝ってあげたら?」- 副キャプテンのTさん「一度、やり方を教えたんです。」この言葉に私は結構呆れてしまいました。「一度で全部を理解できていないことが今わかったのだから、何度も教えてあげるのが上級生の役割でしょう。」私がこう言うと、2年は渋々「はい」と返事をしました。
 その日から程なくして、1年生3人が退部届けを取りにきました。理由は「1年生同士での雰囲気が悪い。」話しを聞くと、練習後の更衣室で同じ1年の女バレの選手から悪口を言われているとのこと。この件は2年生の耳にも入り、何度もミーティングを重ねました。訴えてきた1年生と2年生がまず話しをし、1年生同士でも話し合い、顧問も入って全体ミーティングを行いました。悪口を言ったことになっている女子の言い分は「1年で決めた、練習時間の30分前には集合して準備に取り掛かるというルールが守られていない」「練習中も声が小さい」「先輩に注意されたことが改善されていない」というもの。彼女から見ると、退部したいと言う3人の態度は鈍臭く見えるようでした。全体ミーティングで、2年生は全力で3人を引き止め、1年生の中には泣きながら引き止める人もいました。キャプテンから、K先生からも一言と言われ、「辞めるも辞めないもあなた達次第だけど、コートに戻って来ると決めるなら、相当の覚悟が必要になるんやで。」あえて引き止めませんでした。このミーティングの直後、退部希望者のうち2名が私のところにやってきました。「K先生の言う『覚悟』が私達にはありません。」退部していきました。
 体育館の耐震工事がこの7月より始まり、8月末まで体育館が使えない状況にあります。グラウンド練習を放課後に毎日行うようになり、バレー部なのに選手達は日焼けをしながら頑張っています。7月9日より外部コーチの先生をお迎えしました(年間30回の技術指導)。2年生は、新チームとしての方針も考えながら「自分たちで」1勝できる工夫を考えてくれています。男子バレーボール部のN先生のお計らいで昨日(7/17)、近隣校の体育館をお借りしての合同練習&練習試合が実現しました。試合の時の選手の表情を見ていると、楽しそうでいきいきとしていました。そんな彼女達の表情が、正直女バレと関わることがしんどいと思っていた私の背中を押してくれました。この選手達のために、この夏は練習場所をたくさん押さえたいと思います。

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学びの場、2題

 前回このブログに書いてから早くも1ヶ月。この1ヶ月で私にとっての学びの場が2回あった。ひとつは6月17日(日)に行われた本校の「学びの共同体」の公開授業研究会。佐藤学さんをはじめ全国から150名近くの参加者をお迎えして今年で4年目。
 参加者のみなさんからあたたかく鋭い指摘をたくさんいただいた。私が印象に残ったものをいくつか。まず(全教室を公開した)公開授業の感想では「学び合いは形にとらわれがちだが、何のためにそれをするのかという目当てを明確にもっておかないと効果は半減すると感じた」。「機能するクラスとそうでないクラスがありました。」授業検討会を見られた感想では、「子どもの事実から話し合われている(授業検討会は)良いなあと思いましたが、その解釈は個々の子どもの状態や能力、人間関係等にとどまっているように感じ、そこでの〈学び〉やそれを支える授業のデザインまで突っ込んで話していけると良いように思いました。」どれも本校の現状を的確に見ておられる有り難い指摘だ。
 「学びの共同体」でおこなわれる授業研究には、授業や教育に関する専門家コミュニティー(実践共同体)を学校内に構築するという目的がある。私自身は学校をそういう専門家コミュニティーにしようという思いで教師集団の先頭を走ったり、最後尾を走ったりしてきたが、どうしても隊列が渋滞してしまう。学校の小規模化にともなう多忙化の問題(人は減っても仕事は減らない)、マニュアルや指示待ち人間、あるいは規則を待望する人の増加、ビジョンや戦略をもって仕事をするということへの不慣れ、リーダーシップをとりきれない管理職、人事異動による教員の入れ替わり ・・・ 。高校という現場には授業研究の前進を妨げる要素はいくらでもある。いや、それどころか高校教員は一般的に授業研究とは無縁で、授業
究とは何かを知らなかった人が多いのではないか。
 もうひとつの学びは6月23、24日に福井大学の教職大学院の主催する「福井ラウンドテーブル」という研究会。同僚と2人で出張した。ラウンドテーブルは300人ほどの参加者が6人グループに分かれて、ひとつの報告を80分かけて報告・討論するというかたち。私は、いまの本校の授業研究が抱える課題を報告してアドバイスをいただこうと思っていたのたが、逆に「どうしてこういう授業改革ができたのか?」という質問攻めに遭い目的は果たせなかった。「日本一の教育県」の戦略は教職大学院で学んだ現職教師をミドルリーダーとして養成し授業改革による学校改革をすすめようというものらしい。滋賀も隣県に学んでほしいと、私はあらゆるところで「学びの共同体」による授業改革・学校改革を訴えている。よい方策があれ
ばご一報を。(夏原常明)

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文化祭 顛末

沖縄の伊藤です。
 先月15,16日の両日、本校では文化祭が催されました。
 私のクラスは(私の念願の)演劇。
 設定こそテレビドラマのものを借りたものの、
 話自体はオリジナルで20分の芝居を完成させました。
 沖縄では文化祭が三年に一度しかない学校がほとんどで
 学校における文化の蓄積がほとんどありません。
 また、商業演劇も上演が少なく、ほとんどの生徒は見たことがありません。
 そんな中で彼らが「演劇」と言ってイメージするものは
 小中の学芸会のものしかなく、内心、不満を抱えている子もいました。
 しかし、シナリオをカタルシスあふれるものにすること、
 展開の時間をできるだけ短くして流れを滞らせないこと、
 音響、照明を工夫することなど、
 演劇ヲタクの私が某劇団のDVDを見せながら
 (ほとんど趣味の域で)指導した甲斐もあり、
 多くの観客から称賛をいただける満足の行く出来となりました。
 先ほど「指導した」と書きましたが、
 正確に言うと「注文をつけた」という方が的確かもしれません。
 「この脚本じゃ、見てて、憂鬱になるよ。
  見終わったあと、見てよかったと思ってもらわないと
  見なきゃよかったと思われちゃう」とか
 「照明が照らさなきゃ、どんなに演技がうまくても見えない。
  照明は命だからね。臨場感を出すために工夫して!」とか
 「音響一つでイメージはぜんぜん変わる。
  ぴったりな音楽を見つけられたら、すごく変わるから」
 と、具体的なことは殆ど言わず、イメージだけを投げ続けました。
 そんな私の注文を、各班のみんなは軽々とこなし、
 想像以上のものを作り上げてくれました。
 何よりも、多くの生徒が
 みんなでひとつのものを作り上げられて楽しかったと言う
 感想を書いてくれたのが、担任としては嬉しい限りでした。
 ひとりひとりのドラマはたくさんありましたが、
 それはまた、来年の京都大会ででも報告できるといいなと思います(^-^)

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現地「東京」についてちょっと考える

 いろんな事物が東京に集中しているので、つい東京がスタンダードだと思い込み、東京がいかに特殊であるか、一般的にはあまり考えないのかもしれない。私のような山の手(正確に言うと山の上)の住人からすれば、東京というマチには、ガマンのできないほどの違和感をときおり覚えるのだが、そんな自分も住んでいると馴れてしまっていたから不思議なものだ。
 土曜日、長野の革新懇の学習会で、大阪の状況について、大阪教育文化センターの山口隆氏の講演を聴いた。聴いていて少々元気になったのは、マスコミの誇張した報道とは裏腹に、あんなことやってたら民意はすぐに離れ、政権与党などつくれるはずがないという確信を持ったことだ。大阪のSさんからのメールでも事の重大さは認識しているつもりだが、どんな勢力が何を企んでやっておるのかをじっくりと考えてみる必要があると強く感じた。
 山口氏の講演によると、橋下・大阪維新の会の特徴は、「競争の教育の強制」と「強制の教育の競争」であり、新自由主義的教育改革と復古主義的教育の醜い結合がその本質だという。だから、「つくる会」のメンバーとか、ネット右翼などが群がるのかと思うと頷ける。しかしながらそうした勢力は明らかに少数派だ。大阪維新の会を支持しているのは、多くの大阪府民なのである。会場からは、大阪市民アホ論まで飛び出したが、山口氏は、大阪府民は反権力的な気風を持つので、二大政党論に辟易とした多くの市民が何かを変えようと票を投じただけ。本質を見抜いて投票したのではないと応答していた。
 と、そこまで聴いて、東京の石原知事に思いをはせる。似たようなな教育管理を押しつけてきて、それに対して市民の反対運動が広がらないのはなぜか。「東京の状況が全国に広がる」などといっている市民活動家に「そんなことは絶対に起きないよ」と内心思ってしまうのはなぜか。
 田舎者が東京で生活してみるとわかるのだが、東京都民を構成している大多数は、大阪のような反権力ではなく、権力そのものなのである。大企業、巨大マスコミ、巨大流通機構、その関係者、家族、それを取り巻く関連産業、権力構造の構成者を生み出す学校群・・・。その代表として据わりがよい石原は、橋下のような詭弁を弄しなくても絶大な支持を受けてしまうのだ、と考えるのは穿ちすぎか。
 私の若い頃は、東京も大阪も革新の象徴のようなところだった。今は新自由主義の利益に群がる輩、権力保全に躍起になる怪物たちの闊歩するサファリパークのようになっていないか。心の武装をしながら、全国の仲間とともに、東京・大阪をサカナに冷えたビール飲んで、笑い飛ばしてしまいたいものだ。
                                  (長野・小澤)

参加申込数が80人に!
東京大会の受付・千葉高生研より

7月8日現在の参加者申込数が80名となりました。
秋田が9人となりました。秋田大学の学生が増えています。学生・院生の参加申込は6人となりました。
静岡が6人と伸びてきました。
現在は期末試験の学校が多いと思います。忙しいとは思いますが、なるべく早めの参加申込をお願いします。周囲の方への声かけもよろしく。
千葉13
群馬10
秋田9 東京9
静岡6 
熊本4
北海道3 茨城3 大阪3 青森3
埼玉2 神奈川2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1
学生・院生6(上記に含まれています)

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地域で生きる若者、高校生(5) ~T君のその後~

 明後日(7/7)から二日間、北海道八雲町で「山車行列」(http://yakumo-dashi.com/)が行われる。私はこの町には浅からぬ縁がある。一昨年(札幌大会)の問題別分科会「若者のゆくえ」で話題提供してもらったT君は地域の青年団体「若人の集い」で中心的な役割を10年余り務めている。そして、「山車行列」は「若人の集い」を立ち上げた「当時の」若者たちがはじめて今年で30回目を迎える、町の年中行事なのである(現在は町内のあらゆる団体が関わる実行委員会形式で行われている)。
 「若人の集い」は青年団の形態こそとっていないが、「青年問題研究集会」という青年団的研修活動を年1回行っており、院生時代は一参加者として、非常勤講師暮らしになってからは助言者として私はこの集会に10年余り関わってきた。私よりも2つほど若いT君は遠く離れてはいるが(JR特急で2時間の距離ですから)、同じ部活の「後輩」みたいな感じで接してきた。ちなみに泊りがけのこの集会では「飲み明かす」(この場合は「語り」が主役で「酒」はあくまでも脇役)のが鉄則と心得ている?私は、若いのが次々とダウンすると最後にT君をつかまえ延々とつきあわせる。近年、報告集では必ず「こぼれ話」に載っているエピソードである。
 私は「後輩」との約束を一つ果たせていない。それは、「若人の集い」の由緒ある主力活動の一つである「山車行列」を見に行くことである。これまで、T君のみならず「若人の集い」のメンバーの活躍ぶりを目の前で見ることなく、活動のこと、仕事のこと、結婚のこと、生き方のことなどアドバイスしてきた私は「いけすかない」奴と言われてもしょうがないのだろう。
 今回、その約束がやっと果たせそうだ。仕事の都合で初日の夜の一部だけだが、T君の太鼓をたたく勇姿と「若人の集い」のメンバーが堂々と山車を引いている姿は見られそうだ。ただし、雨が降らなければ、である。
(北海道高生研 井上)

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市民としての教師とは

 校内(校舎内じゃない敷地内)の喫煙場所で校長に「山びこ学校」の話しをしたら、校長も読んだことがあり、「遠い山びこ」佐野眞一(2007年新潮文庫)も読んだと言うので借りた。それも読んでから機関誌の原稿を書いた。
 私は教師35年目であるが、学校の中枢の仕事をしたことはない。主任の経験は一度もない。今の学校で特別支援教育コーディネーターとなり、学校の内側と外側をつなぐ役割を得たが残念ながら先生方のニーズがなく、またはニーズを引き出すことができなかった。そこで校長が新たに「広報係」という分掌をつくって私を係長に据えた。何をしているかというと、地元新聞社に連絡して生徒たちの活動を新聞に掲載してもらう仕事だ。学校の宣伝のためじゃない。生徒の表情や言葉を取材してもらって、生徒たちに知らせるためだ。すでに4回生徒たちの活動が新聞掲載された。若くて遠慮のない新聞記者が「暑気払いでもどうですか」と言うので、言葉だけに終わらせるなんていうもったないことはぜす、校長、私、若い新聞記者の4名で懇親した。外の世界の人と交流するのは刺激的だ。私たちも新聞記者を刺激した。ギブアンドテイク。そのとき校長には「遠い山びこ」を借りたお礼に、新聞記者には「いま高校教育の何が問題か」を知ってもらうために、機関誌を贈呈した。
 次の取材依頼文をもう書いた。今度あるNPO法人の主催で南三陸町にボランティア活動に出かける。教員複数名と生徒超複数名。私たち教員は引率者ではなく、同行者である。形式的には学校はかかわらない。しかし、学校という場があり、そこに震災ボランティアや学校の広報に関心をもつ教員がいるから、生徒たちもこのような活動を知るのだし、安心感と同時に意欲も高めつつ参加できる。教員の仕事ではないが学校という場がるからこそ可能な市民の仕事である。
 そういう外と内の仕事の境界にある仕事をできることに私は誇りを感じている。職場には少ない労働組合員がいるが、蓄えられた分会の貯蓄をこの活動に支出することにも同意してもらった。
 ○○○にもこの活動を理解してもらっている。

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工業高校三年生が、福島の人たちに聞きたいこととその答え

                                   熊本高生研    藤川 秀一
<この取り組みの簡単な紹介>
 私の長男が昨年9月から今年1月まで、6か月限定で福島(郡山市)へ転勤したので職場の女性(20代後半)に「工業高校生(三年)」から託された質問を尋てもらいました。中盤の「私たちがやれること」の1~4は、私と長男が一緒に考えことです。12月上旬の考査問題に同じ設問を出しました。工業高校の生徒たちの反応はレポートの最後です。
<福島県の方への質問とその答え>
問・私たち熊本県人が災害を受けた方々のためにできることは何かありますか?
答・特にはないですが、もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。
問・今回のことで日本政府の対応や世界の国々の対応で、身を持って感じたことはど  なことですか。
答・日本政府の原発事故情報のいい加減さに腹が立った。
問・福島第一原発事故後、体調の変化はありましたか。
答・特にありません。
問・今後も福島に住み続けたいと思っていますか?
答・今のところはなんとも言えない。住まざるを得ない。
問・国に今一番やってもらいたいことは何ですか?
答・原発事故対策、原発の安定化や放射能の除染など。
問・震災の前と後では、生活や意識はどのように変わりましたか?
答・放射能の影響に敏感になった。例えば赤ちゃんのミルクを作る時、水道水ではなくミネラルウォーターを使う。(飲み水やお米を研ぐのにミネラルウォーターを使う人ちもいるようです。)
問・生活の中で苦労することは何ですか。
答・子どもたちに放射能の影響が及ばないようにすること。(ちなみに一万円前後の放射線測定器がドラッグ店ではよく売れているそうです。これはエアカウンターという機械です。福島を中心に保護者の方が購入してます。ほぼ他県では販売されていません。テレビで放射線量がでてましたが、あくまでその地域の中心地で測っているだけであり同じ市町村内でも場所によりかなり誤差があるようです。)
問・東京電力のことをどう思いますか。
答・早く事故を収束させて欲しい。
問・原発について今どう思ってますか。
問・日本各地の原発はすべてなくした方が良いと思いますか。
答・ないならそれに越したことはない
問・原発だけが悪いと思ってますか、悪いのは有り得ないレベルの地震や津波のせいゃないでしょうか。
答・悪いのは地震ではなく、事故を起こした原発です。
問・前の福島に戻ると思いますか。
答・わかりません。戻って欲しいです。
問・義援金はちゃんと届いていますか。
答・義援金は関係ありません。放射能は東電の責任ですから。
問・自分と同じ高校三年生もいると思いますが、就職や進学はどうなってますか。
答・福島県内には就職しない方がいい、県外に就職した方がいいという話しもあるそ  です。
問・今高校生はどういうことを目的として生活をされていますか。
問・震災以前の生活と比べると今の生活はどうですか。
答・基本的には変わらない。放射能の心配を除けば。
問・震災があってから約半年、大変なことがたくさんあったと思いますが、その中を  きて中で心の支えになったものはありますか。
答・家族や恋人、友人が一番の支えになった。
問・これから先どんなことが不安ですか?
答・(記録なし)
<私たちがやれること>
 「もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。」という福島の人へ答として。
1.何ができるかを考えることこそが、できることの第一歩ではないだろうか。
2.被災者、被災地のことを記憶し、周りの人たちに伝えること。
3.生きたお金を使うこと。被災地・被災者に還元されるお金の使い方をする。熊本の 鶴屋で東北3県の物産展があれば、そこで物を買う。被災地を旅行し、例えば風評被害にあっている会津若松に観光してお金を使う。
4.しっかり働いて復興財源となる税金を払う。
 ここまでをプリントして生徒たちに読んでもらいました。そして、
<期末考査の「被災者や被災地に対して、わたしたちが出来ることは何でしょうか。」  という問題への3年生の回答と感想>
・この質問の答えにある日本政府の原発事故情報のいい加減さというものは、本当にそのとおりだと思いました。今回の原発事故では炉内の水位や放射能についての情報がはっきりしていなくて、ましてや隠ぺいまでもしていたりして本当に対応がいけなかったと思います。これからできることとしては、自分は電力会社に行くので、発電部門などに携わった時には、しっかりとした正しい情報を伝えていかないといけないと思いました。
・被災地から離れている私たちが出来ることは、募金と早い復興をいのる事だと思います。自分は被災地に行って人助けなどはできないので、自分に出来る一番の事だと思います。
・今すぐ出来ることは義援金だけ。直接出来ることはないと思いますが、これから自分たちはいろいろな土地で日本の発展に貢献します。具体的な例は挙げられませんが自分たちが一生懸命行うことは、巡り巡って福島の人たちの利益になることはまちがいないと思います。自分も電気関係の職に就くので、自分が本当に出来ることを早く見つけだしたいと思っています。できるだけ早く、どのような形ででも福島や周りの県の人たちの力になれたらと思っています。
・今、僕たちがやらなければならないことは、今をしっかり生きることなんじゃないかと思います。また、4月から仕事を始めて、被災地の復興のために生産することだとも思います。
・食料を届けたり、節電することもとても大事だと思う。でも自分が一番大事だと思うのは、福島で起きてしまった事故を自分たちは起こさないことだと思います。福島の人たちの経験を絶対ムダにしてはならないと思うので、自分はこれができることだと思います。
・福島県の人々の原発事故への思いを感じとり、まずそのような原発事故が起こらないように、自分達のような専門の知識を持った者達で頑張り、事故の防止に努めなくてはいけないと思う。
・被災地の人たちに質問と答えを読んで、原子力発電所に対してのいかりがすごいと感じました。放射能は人体に影響を及ぼすものなので、はやく除染してほしいと思いました。それと水の大切さを改めて感じ、節水に心がけようと思いました。
・被災地やそこにいる被災者の要望に応えてあげる事だと思う。義援金や復興の為の応援は勿論大事だけど、それ以上に被災した地域の人達の要望に応えてあげないと、ただ単に支援物資や義援金を送ってハイ終わり、という風な感じに見えてしまい、他人事のように感じてしまうところがあった。それならいっそのこと、大変かもしれないけど一人一人に要望を聞いて、もし、あるならそれに応えてあげた方が助けになる思う。
・被災された方に直接してあげられることは出来ないかもしれないが、政府がより、この問題に対応出来るように他の問題を軽減できたらと思う。そのために節約など小さなことから社会に貢献していかなければいけない。
・今私たちに何ができるかと言われれば、義援金を送る、必要品を送る、また復興をいのることしかできないと思います。原発問題も含め、今の私たちに出来ることは一握りもないと思います。だからこそ「できることはやる」そして「他人ごとにしないことが、今私たちがすべきことだと思います。「協力」「助けあい」が大切だと感じた一年でした。
・まずは募金をしてお金を送る。そしてもし被災者と会ったら快く受け入れてあげ、風評に惑わされず、正しい知識を持つ。将来同じことが起こらないよう高い技術をこれから学んで身に付けていく。
・自分一人で被災された方々になにかしてあげることはないと思うけど、被災された方々の中でも下向きな考え方になっている方々がいると思うので、テレビなどを使って少しでも元気を与えられたらいいなあと思います。
・私たちに出来ることは、これから社会に出ていく上で、一生懸命働いていろいろなものを買って経済を発展させることだと思います。直接被災地に行ってボランティアをすることも大切ですが、なかなか行く余裕はありません。行けないなら行けないで九州から東北へパワーを送って、日本国民全体で東北の復興を支えていけたらいいな思います。
・被災地の為にできることは、自分は、風評被害を減らすことが大切だと思います。実際に現地の食べ物で放射性物質が検出されていないものなら食べても大丈夫だし、食べ物が売れることによってお金が入り復興も早くなると思うからです。
・やはり地震が起きた前と後では、ずいぶん生活が変わったんだと思います。原発事故情報は隠さないで、正確な情報を伝えれば良かったのにと思いました。早く前の福島県に戻ってほしいです。
・今福島はしっかりと立ち直ろうとしていると思います。それを忘れないで生活をしていくこと、それが一番大事なのではないでしょうか?。(原文のまま)
(ふじかわしゅういち)

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モラルとルール

この春から生徒指導部長になりました。
 高校総体の前に『生徒指導部だより』第2号を出しました。この4年間私がこだわって作り続けて来た生徒指導部のニュースレターです。その中で、携帯音楽プレーヤーの使用禁止を打ち出しました。昨年春から教師間・生徒間でいろいろ話し合ってきた懸案事項です。そのため生徒会の生徒を中心にかなり反発をかっています。話し合っている最中に一方的に禁止を打ち出したという訳です。
 もともと私はこのようなルールは不要という立場です。学校にルールが増えれば増えるほ…ど、生徒たちが自己決定する場が減り、子どもたちの自己肯定感を育む機会が減ると思うからです。
それでもあえて今回禁止を打ち出した理由は、担任団からはルールづくりを求める声が強く、作らざるを得なかったという面があります。若い担任達は「モラル」の問題じゃすまなくて、どうしても「ルール」でしか指導できないようです。必要なようです。
 先日の職員会議で三者協議会を設置することが決定しました。実はこの携帯音楽プレーヤー問題、この三者協議会の伏線になっています。最初の協議会(試行)は7月下旬を考えていますが、ここで携帯音楽プレーヤーについて生徒と話し合う予定です。教師側が一方的に作ったルールを生徒が三者協議会の議論の中で覆すというダイナミックな取組みが出来るのではないかと考えています。
けっこう生徒とは腹をわって話をすることもあるのですが、先日バドミントン部の生徒から「(生徒指導部長が)酒田先生になってむしろ厳しくなった」と詰め寄られてしまいました。
生徒指導部長はつらいな~。(青森高生研 酒田)

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「ヲタ芸」をめぐるてんまつ ~昨年の熱い夏から~

 「昨日の日曜日のステージ練習、無断で来なかった人が10人もいました。無断で休むなんて人としてどうなんですか!失礼にもほどがあります!」とキツい口調で訴えたのはNさん。文化祭本番9月6日を数日後に控えた月曜午後のHRだった。
 3年生各クラス、ステージ上での持ち時間は20分と決められている。その範囲内で、なにかしらのパフォーマンスを、全員がステージに立つ場面を少なくとも一つ入れて各クラスが創意工夫する、というのが3年生に課せられたテーマである。他クラスと違って、このクラスはほぼ全員が(指定校や公募制推薦でなく)一般入試での進学希望で、夏休みは受験勉強の一つの山場だ。演劇が課題だった2年生の時は、ミヒャエル・エンデの「モモ」から台本を起こし、役者から大道具・照明・音響にいたるまで全力で取り組んで素晴らしい作品を作り上げた生徒たちだが、「今年はそんなゆとりはありません」という雰囲気が7月当初には漂っていた。
 しかし「受験を理由に文化祭に手を抜くことはしたくない」と宣言したNさんが企画担当に立候補し「音楽とダンスの趣味の合う人同士で小さなダンスグループをいくつか作って、小グループで時間を合わせて練習する。これなら練習に割く時間の負担が少ない。クラス全体では二部合唱をする。合唱の練習は二学期が始まる8月25日以降の午後にする。」という案を出してきた。この案は圧倒的多数で支持された。「小グループのリーダーを先に募ってグループ員を後から募集する方がよくない?」という担任のアドバイスが受け入れられて、いくつかのグループ募集がクラスに掲示された。
 その中に男子(このクラスには13人しかいない)Kくんの「ヲタ芸」も含まれていた。私の反応は「へー、ヲタ芸って何?」という素朴な疑問だったのだが、Nさんたち一部女子の反応は「ヲタ芸?問題外。そんなものをクラスの出しものに入れるんですか?」というもので、Nさんが仕切る企画会議(クラス全員参加)で、「ヲタ芸をクラスの出しものに入れてもいいかどうか、意見をください」と議論の俎上に乗せられてしまったのだ。「ヲタ芸」グループに参加するつもりだと意思表示した男子が8名いたのに加えて、女子を含む圧倒的多数が「入れてもいい」と意思表示したのでこの件は一見落着したが。しかし「なんで僕の案だけが、賛否を問われないといけないんですか!」とKくんは怒っていた。彼の怒りはもっともである。「『ヲタ芸』っていう呼び方がまだ社会的認知を得ていないからかなぁ~~。申し訳なかったよね~~。ライトスティックを持って踊るんだし、グループ名を『ライトスティックダンス』にしたら内容と名前が一致していいのでは?」と私は言った。Kくんのグループ名は「ライトスティックダンス」となった。
 その後各グループの持ち時間の件で「ライトスティックダンス」グループのKくんとNさんたちは再びもめた。全体で20分しか持ち時間がないところに、クラス全体合唱5分、あとの15分を6グループで割るのである。3分を要求したKくんに対してNさんが割り当てたのは2分だった。「2分ではできない」とKくんは粘ったが、「ヲタ芸を3分間も見せられて観客は楽しいですか」とNさんは冷ややかだった。「こういうことはグル―プのリーダーが集まって決めたほうがいいよ。」と私はアドバイスし、進学補習の合間を縫ってリーダー会議が何度も持たれた。結局、グループ毎にだいたいの時間を目安として持ち、通しけいこを始めてから互いに融通して20分におさめる、という方針が確認された。もっともKくんはリーダー会議には来なかったのだが。(Kくんは夏休みに入るやいなや音信不通となった。某人気女子グループのサポートをしているらしかった)
 話は元に戻り、8月後半の午後のHRである。グループ毎のダンスの練習は順調に進み、Kくんグループは8月25日以降の猛練習で完成度を上げつつあった。そのKくんたちが直前の週末のステージ練習に来なかったのである。クラス全体として少しでも良いものを、と焦るNさんの気持ちと、週末の練習は強制ではないだろ、という一部男子たちとに行き違いがあったのだ。そして冒頭のNさんの発言が飛び出したのだった。
 「無断欠席するなんて、人としてなってないと思います」。というNさんの発言に反応してKくんがつぶやいた。「お前のその言い方のほうがなってないやろ」。「え?私に向かって言うてるんですか?」(Nさん)。「そうや。お前の、その、『私の方が正論です』ていう言い方、それ、他の人を見下してるやないか」(Kくん)。「オマエ、自分のすることやってから言えや」(YさんがKくんに向かって)。クラスの雰囲気は大勢がNさんに味方しているかのようだったが・・・・・・・。
 それまで教壇の端に座りこんで聞いていた私は問うた。「みなさんはどう思うんですか?」生徒たちのクラス内での立ち位置が相対的に安定していて何かと無難にことをやり過ごしてきた生徒たちである。積極的に手は挙がらなかった。しかし私は「全員に発言してもらいます」と言って、順に生徒を充てていった。Nさんの気持ちに理解を示しつつも、メンバー員を猛特訓しているKくんの頑張りを評価する女子の発言内容が多く、Kくんを非難する声はごく少数だった。「それぞれが、できる形で力を出すと言うのが今年の方針だし、土曜の練習に来なかったのは悪くない。」という、Nさんに近い女子からの発言もあった。そのことはNさんにとっては意外で大きな衝撃だったようだ。この出来事はNさんに一時的ではあれ大きな孤独感を抱かせることとなり、この日から発表が終わるまでNさんを支えるのが私の仕事となった。(しかし後にNさんは、この事を通して自分を振り返ることができたと言っている)。
 クラスのダンスは各グループが完成度の高いパフォーマンスを見せたが、特にKくんグループのヲタ芸「ライトスティックダンス」が大喝采を受けた。私もその完成度の高さに率直に感動して見ていた。「ヲタ芸があんなすごいものだとは知らなかった。」「Kのグループはキレが全然違いますね!」と職員からも感想を寄せられたほどだった。この後、ヲタ芸は若者文化の一ジャンルとしてクラスの中に公然と位置づいたのだった。
                                      京都(田中)

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学校の「国際化」

 火曜日の夜、公民館の一室に、日本語を学ぶ外国籍の母親と一緒に、幼稚園から高校までの子ども達が公民館にやってきます。日本語を学ぶのは、当初は、中国帰国家族でしたが、今は、中国やフィリピンなどからのお嫁さんがほとんどです。お母さんの都合で、言葉も知らず友達もいない日本に突然来た連れ子の戸惑いは気の毒なほどです。その上、学校になじめずいじめもあります。もちろん、日本で生まれた子ども達もいます。日本語教室では、日常生活にも関わって支援してきました。その結果、子供たちは元気に学校へ通っています。
 問題は学校の勉強です。日常会話はすぐできますが、「学習言語」となると大変です。学校の先生は、子ども達がおしゃべり上手だから勉強にもついてこられる、と誤解をしてしまいます。「先生は、勉強に関係ないことをしゃべって、何言ってるか分からない。」と言う子がいました。先生の言う冗談が理解できないのです。
 そして、高校入試があります。20年ほど前は、定時制しか行けなかったのですが、今は、一般入試で合格するようになりました。工業高校や商業高校、普通高校、ついには進学校にまで入るようになりました。東京外大に入り、「日中の架け橋になる」と頑張っている子もいます。その子たちは、小学校から日本語教室に通っていました。小学校の頃、日本語を上手に話すから学ばせる必要がない、と言われて来なくなった子も、高校に入ってからどうも勉強が分からない、というので話してみると、小学校3~4年生の頃の言葉が抜けていると言います。今、大学進学を目指して、また通ってきています。改めて言葉の基礎の大切さを知りました。
 実際、どの子の親が外国人なのか、分かりません。見るからに「外国人」という子は少なく、アジア系の親の場合、顔や名前で判断できない場合が多いです。特に、お母さんが外国人の場合は、子供と密接に関わりながら言葉を伝えられない、という点で子供は難しい状況に置かれます。日本人にとって当たり前な言葉が伝えられていません。母親はチラシが読めず、風習が分からないので子供に無関心な親のように見えます。ある小学校では、それまで日本語指導を必要とする子供はいない、としていたそうですが、詳しく再調査したら十数人いたそうです。ちょっと変わった子、勉強の出来ない子、親が無関心な子、という風に理解されていたそうです。現在は補助員が付き、勉強の世話だけではなく、学校の通知の説明なども親にしています。
 では、高校ではどうでしょうか。今はあまり家庭に関わらない時代で、そのことにより、多くのことが見えなくなってはいないでしょうか。昔は、夏休み中までにクラス全員の家庭訪問をすることが当然とされていました。時代の変化と言えばそれまでですが、担任が生徒の家庭に関心を持たなくなったことは正しいのでしょうか。学校でみせる生徒の姿で判断していないでしょうか。教師と保護者が仲良く出来ればよいのですが、教師側が拒んでいるような気がします。先の小学校のように、「変わった生徒」の本当の姿を知らなかった、ということはないでしょうか。
 以上は、外国人が少ない秋田の話です。愛知、神奈川、東京、静岡、大阪はそうした児童生徒の多いベスト5です。そこではまた違った問題がありますが、日本国中、いない地域はありません。身近な「国際化」への対応が、どこの学校・教師にも求められているのです。しかも、英語では対応できません。      とらぬ狸@秋田

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揉め事も終わり?

 大阪のKです。不慣れな女子バレーボール部顧問も2年目。前回の投稿の続きを記します。
2012年5月23日(水)体育館での練習後、職員室にいる私に男子バレーボール部のN先生がこう話しかけてきました。「K先生、女バレまた揉めたんですか?体育館前でA子が大泣きしてましたけど…」-私が体育館前に駆けつけた時には部員の姿はなく、もう更衣を始めていました。A子を訪ねて部室に行きましたが彼女はいませんでした。部室にいたCさんと私との会話-私「今日、何かあったの?」-C「いや、別に…」-私「A子、最近またしんどくなってるんじゃない?」-C「それはあると思う。Dも脚を故障したし。頼れる人がおらんくなったから。」-DはA子と同級生であり、A子の暴走を止められる唯一のメンバーだったが練習中に脚を痛めて手術をし、ギプス生活となっていました。D子は引退試合にも出られない。C子から聞き取りをした後、私は、この日の付き添いだった先生のもとへ。毎日の練習前と練習後は付き添い教員の所へ部活開始と終了の報告をすることになっています。終了報告の時、A子が目に涙をいっぱい貯めてやって来たので、それをご覧になった付き添いの先生が訳を聞こうとしたところ、大泣きし始めたそうです。A子「私たち3年生のやりたいように後輩も気を遣ってくれているのに、自分は上手くチームをまとめられていない。3年生と1、2年生とのプレイに対する考え方の違いもあって辛い。」これまで私の知るA子とは違う一面を聞いたような気がしました。すぐにN先生へ報告。N先生は私に”これから”のヒントをくださいました。「A子達3年生は、おそらく引退試合になる次の公式戦をどんな試合にしたいと思っているんでしょうか。3年生の厳しいやり方に耐え忍んできた2年生にも、4月から入部してきた1年生にも、3年生の引退=やったぁ~!って思われるのは、3年生にしてみたら可哀想ですよね。あの子達も無茶苦茶なやり方してきたけど、バレーボール生活で出来たこと・やり残したこといっぱいあると思う。次の試合をどう締めくくりたいと思ってるんでしょうか。」-この日の帰り道、N先生の言葉を思い出しながら歩いて、反省しました。私も、3年生の現役終了のカウントダウンをしていたなぁ。あと少しであの子達の代も終わる…そう思ってしまっていたことを深く反省しました。
 翌日、女バレの主顧問の先生に相談し、練習後3年生だけ残してミーティングをすることになりました。そのミーティングでA子・Bさん・Cさんの思いを聞いて、主顧問の先生も私も泣いてしまいました。「勝ちたい」という思いから空回りしていた3年生の手当をせずに、辞めていった部員に寄り添ってクラブ活動を見守ってきた顧問だったことを悔やみました。そのことに関して3年生は顧問を責めませんでした。辞めていった部員たち同様3年生も辛かったんだと思います。「とにかく1勝したい。」彼女達の思いでした。
 2012年6月3日(日)引退試合は1勝できました。Dさんも松葉杖で会場に駆けつけ、退職された元顧問の先生もお見えになり、顧問団4人のうち3名が付き添い、選手たちのご家族も見えました。素晴らしい環境の中で1勝できたことは、後輩から先輩への最高のプレゼントになったと思います。2012年6月4日(月)新チームが発足しました。
50人突破! 
東京大会の受付・千葉高生研より 
 東京大会参加申込者数が50名の大台を突破し、53名となりました。(6月17日現在)
 東京大会の参加目標は200名ですので、これでもやっと4分の1です。都道府県別の申込者数は下記の通りです。この4倍くらいお願いします。
群馬8
秋田6 千葉6
東京4 熊本4
大阪3
北海道2 青森2 埼玉2 静岡2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 茨城1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1

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最近考えたこと

 小学校では、近隣の産業や史跡を調べてまとめる授業がよく行われるが、中学、高校となるとそういう機会が極端に少なくなる。従って学校に毎日通っているがその学校のある地域のことについては意外と知らないという生徒も多い。先日3年生の課題研究の一環でアンケートが実施された。テーマは「菊池のイベント」である。年間を通して菊池市で行われる祭りや催し11項目について、私が担任するクラス(34名)の生徒のうちすべて知っていると回答した生徒は0であった。もちろん菊池市出身の生徒も3割程はいるのだが、それでも知っている項目は多くて4つというところだ。この結果から察するに、菊池の産業や歴史をよく知っている生徒はさほど多くないことが予想される。
 菊池は熊本県北東部に位置し、北東部は阿蘇外輪山系を有する中山間地、南西部は菊池川、白川流域に広がる台地・平野部からなっています。農業は菊池・七城の水田地帯で評判の米を産出し、水田を利用した水田ゴボウも有名、また旭志・泗水では県内有数の畜産地帯を形成しています。台地・平野部の大津・菊陽ではニンジン・カンショの産地となっています。
 これはJAのホームページに書かれた菊池の紹介文である。比較的近い所の出身である私も知らないことがある。この菊池にある100年以上の歴史を誇る菊池高校にこの春赴任し、入学式の翌日に行われた「1000人バーベキュー」に驚いた。1000人とは、全校生徒と職員、そして参加してくださる保護者を含めた数である。使った食材はお茶も含めてすべて菊池産。肉を焼くトングは学校林の竹を加工したものであった。実は、上記のアンケートを行っている生徒の指導者もこの1000人バーベキューの仕掛け人も同じ本校の教員である。また、この先生は昨年度赴任したばかりにもかかわらず、1年生の総合的な学習の時間で「菊池の歴史探訪」という企画を打ち出し、学年全員で学校周辺を散策して学習していたというバイタリティーあふれる人物である。
これらのことから、地域に根ざした生きた学習をすることが、地域に(そこに住む・通う自分に)誇りを持てる生徒を育てることにつながるのではないか・・・と最近考えている。 この先生には、7月の熊本高生研例会で報告をしてもらう予定である。いずれ「すこぶる」にも掲載されると思う(編集長の説得次第)のでお楽しみに。

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学ぶ意欲が伝わった大学生たちの授業検討会

 私の勤務校では「学びの共同体」による授業改革・学校改革をおこなって4年目になります。数年前、大阪の全国大会でその状況報告をしました。学びから疎外されてきた生徒たちが学ぶことへの意欲をもつようになってきた実感はあります。今日は「学びの共同体」のもうひとつの側面、教師の「同僚性の構築」に関して近況を報告します。
 「学びの共同体」には「ひとり残らず教師の成長を保障する」という理念があります。その理念を実現するしくみとして本校では教員を6つのグループに分けて、どのグループも学期に1回は授業検討会を実施しています。他のグループの検討会にも出入りできるので、やる気があればたくさんの検討会に参加できます。6月はこの検討会5回と全校あげての公開授業研究会(注)があります。
 授業検討会は教師の指導の巧拙を云々するのではなく、生徒の「学びの事実」に焦点を当てた対話的な場を追究して実施しています。4年目に入って教師の世界も「学びの共同体」になったと言いたいところですが、人事異動による入れ替わりや同僚への必要以上の配慮もあり、断言はできません。でも、フツーの高校にはないOJTであることには間違いありません。
 そんななか6月6日(水)の午後、県立大学の学生22名が大学の教員3名といっしょに本校の授業を観察して、その後、授業検討会をおこないました。3月に福井大学教職大学院の研究会に参加して知り合った県立大学の准教授との間でトントンと進んだ企画です。
1年生の現代文の授業を観察した後に、学生たちと90分の授業検討会を実施しました。グループ討論で出された意見や疑問に授業者である本校の教員Sさんが一つひとつ丁寧に応答しました。世話役として検討会に参加していた私はやりとりを聴いてあらためて新鮮な気分で学ぶことができました。
 学生の授業観察の細やかさに感心するとともに、彼らの「学ぼう」「教えてもらおう」という意欲の高さに驚きました。「グループになったときに、先生の指示と違うことをしていた子がいた」「グループ内でできた子のものを写しているだけの子がいた。プリントを提出させないのか?」「おとなしい生徒への働きかけはできていたのか?」など意見や質問がどんどん出てきました。また、「グループ学習をする前に、個人で考える時間が必要ではないか?」という核心に触れるような疑問も出されました。以下、学生の発言で私が感心させられたことを箇条書きします。
・(授業の冒頭に示された)「メニュー」(授業の流れ)は新鮮だった。
・大学での経験で6人のグループではお客さんになる人もいるが、4人のグループだと対角線で話し合うため、しっかりと話し合える。
・文法のようにあらかじめ決まった世界の内容にもグループ学習は有効か?
・グループの意見を全体で共有するときに机を「コの字型」に戻されたのはどういう意味か?
・4人グループは笑顔で話している。一斉授業は身体がこわばっている。
・先生と生徒のやりとりが和気藹々としていた。「学びの共同体」は信頼関係がないとできないと思う。
・4人グループにしたときに机がズレている生徒は「問題」を抱えている生徒のようだ。
 後に学生たちが書いたレポートが送られてくるというので楽しみです。参加された教授から教職課程の授業でもぜひこの企画をやってみたいという話もありました。このような意見が飛び交う研究会が当たり前になるような開かれた学校になることを願っています。
(注)6月17日(日) 公開授業、研究授業、佐藤学さんの講演「高校における『学びの共同体』の創造」、授業検討会 詳細は本校のHP
                                          滋賀 夏原常明