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日本を生きる

 前回、秋田の外国籍の子どもについて書きましたが、7月11日から、朝日新聞で「いま子どもたちは・・日本を生きる・・新宿編」という連載を掲載しています。新宿区には、3万人超の外国人が暮らしているようで、そのうち学齢期の子が1650人と推定されています。しかし、区立学校へ通う子は480人に過ぎません。国・私立や外国人学校に通う子を差し引いても、かなりの子ども達が学校へ行っていないことになります。授業へついて行けず、やめた子もいます。
そうした子どもたちを支援しているNPOが取り上げられています。困難を抱える子どもたちへ親身に関わるボランティアのご苦労には頭が下がります。都会なら、勉強を教えてくれる大学生や社会人がたくさんいます。しかし田舎では、大学生はおらず、退職した教員すら当てに出来ません。対象となる子どもは少なくても、地方でボランティアを確保することは困難です。
 こうした問題を突き詰めれば、教育委員会や学校の無理解が子どもたちの困難を増幅させているように思います。言葉をよく理解できないだけなのに障害児扱いして、それで済ませてしまいがちです。年齢が、日本の中学2年生相当だから、2年生にしなければならない、と言います。当たり前のように見えますが、日本語がおぼつかない子に、これから1年ほどの学校教育で高校を受検させる、ということが可能でしょうか。高校へ必ずしも行かなくてもよい、そういう子のために単位制高校もある、という意見もありますが、それで幸せになることができるでしょうか。つまり、普通の日本人と同じように、社会で生きていく力をつけることができるか、ということです。多くの子どもたちは、学校からドロップアウトしたり、同じ仲間で固まり、社会の片隅で生きているのではないでしょうか。
 記事にあるように、日本が「外国人の子にとって暮らしやすい国」であるかどうか、です。「多文化共生」をうたい、「グローバル化」を推し進めようというのなら、教育には根本的に変えなければならないことがたくさんありそうです。ひょっとしたら、それが日本人の子ども達のためにもなるかも知れません。直接関わる教師にとっては、これからは避けて通ることのできない問題です。
 こうした記事を見ると、学校の実情が出てくることは少なく、出たとしても否定的な例として出てきます。教師として悲しいことと思います。
 少子化が進む日本にとって、外国籍の子どもたちが地域社会を支える市民として育つことは、じつに重要なことであるはずです。「18歳を市民に」は、すべての子どもたちに通ずることです。今でこそ小中学校の問題のように見えますが、つまるところ、高校にも大きく関わる問題になるのではないでしょうか           とらぬ狸@秋田

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