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問題別分科会4「高校生が一般質問で地域を動かした―模擬議会の取り組み―」の運営担当の佐藤岬平(大阪)です。

先日、分科会の打ち合わせをおこないました。そのなかで望月さんがこの実践を「ぜひ本にしたい」と言っておりましたが、その言葉通り「すごい」実践です。

高校生が模擬議会での一般質問に取り組み、この取り組みを通じて、生徒たちは学び、地域に影響を与えます。政治と距離を置く実践が多いなか、リアルな政治と生徒をつなげる実践です。実践者の酒田さんは、生徒たちが地方政治に将来関わってくれたらとの思いで取り組んでいきます。そして、そこにはさまざまな「しかけ」があり、

とりわけ注目したいのが、「ジェンダー」をテーマにした班です。「生徒は何を学んだのか?」、そのポイントはどの場面だったのか(「それはなぜか?」)、地域にどのような影響を及ぼしたのか?自分事として生徒たちが学んだこの実践を、参加者の皆様と深めていけたらと思います。

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大会参加のお誘い 久田晴生(愛知) 

問題別分科会2「対話と共同によるナラティブ(語り・物語)の生成とエンパワーメント」の運営担当(報告者)の藤本です。先日、分科会の打ち合わせを行いました。司会の久田さんと話し合う中で、分科会で深めたことなどが議論されました。久田さんの日ごろの問題意識とも共通することが分かりました。

久田さんからコメントをもらいましたので、以下にご紹介します。この分科会に限らずぜひ全国大会にご参加ください!

なお渡部基調はこれまでオンラインでしか議論できていません。是非対面で渡部基調を議論したいです。以下久田さんからの「大会参加のお誘い」です。

大会参加のお誘い 久田晴生(愛知)

 問題別分科会2 「対話と共同によるナラティブ(語り・物語)の生成とエンパワーメント

報告者:藤本幹人、見波由美子

皆さんは、職場の慣行とか学校の規則といったもの(ドミナント・ストーリー「支配的な物語」)に息苦しさや疑問を感じたことはないだろうか。あるいは、息苦しさや疑問をどこかに感じつつも、「支配的な物語」に縛られ無難な道を選んでしまった自分に気づいたことはないだろうか。

2020年・21年の基調発題(発題者:渡部翔子)は、Mという性自認に悩む一人の生徒に入学から卒業まで伴走した渡部(および学年団と学校)の実践をもとにした発題である。本分科会の報告者の一人である藤本は「ナラティブ(語り・物語)」の側面からこの実践の分析を試みた。藤本が提起していることを筆者(久田)がごく単純にまとめると次の通りである。

「Mが卒業式でスカートをはけたのはなぜか。学校がそれを認めたのはなぜか。ナラティブの観点からそれをあきらかにしたい。」

  ここで言う物語とは「現在の何かを結末として、その結末を巡って過去の出来事・経験・感情といったものが組織化されている文章」を指す。つまり、この分科会では「この3年間に、M、渡部、教員集団、生徒集団にどんなことが起き、そのときかれらはどう考えどう行動したのか。そして、それらは卒業式でMがスカートをはくという結末にどう結びついたのか。」を明らかにしたいということである。そしてその議論を通して、新たな学校像・教育像(オールタナティヴ・ストーリー)を提示したい。

渡部は、生徒の人権をまもるため、学校の慣行とか規則に異議を唱えるが、時に「支配的な物語」に縛られている自分を発見する。そのような揺れを伴いながら、できることを少しずつ広げていった。今世紀に入って特に、高生研は一人一人が抱える弱さとか集団内の少数者に光を当て、そこから、現在の学校・教育の抱える問題に切り込み、新たな学校像・教育像を提示してきた。それは、理論だけでなく、渡部が経験したような揺れを伴うリアルな実践を通して、である。

本分科会は、とりわけ性自認を巡る問題から新たな学校像・教育像を追求する。そして、(全体会はもちろんのこと)他分科会でも交流会でも、題材は違えど、同様の追求が行われるであろう。多くの人たちと語り合いたい。大会参加を切に願う。
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大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」問題別分科会4 「高校生が一般質問で地域を動かした― 模擬議会の取り組み ―」

昨年(2022年)の12月16日に、六戸町議会で、六戸高校の3年生による模擬議会が行われました。この模擬議会は12名の生徒が模擬議員として一般質問を行い、町長執行部側がそれに答弁するというものでした。

この日のために、5月から、町議員の指導を受けながら、「現代社会」の時間やLHRの時間などを使って準備を進めてきました。模擬議員になった生徒たちは、本番では2回のリハーサルのおかげで落ち着いて質問しました。心配していた再質問の場面では、町長の答弁に対して議員役の生徒が鋭い再質問を行ない、それに対し町役場の執行部が答弁できず休憩になる場面なども見られました。いっぽうで、うまく再質問できず、町長が助け舟を出す場面も見られました。また、議長役を担当したSさんは落ち着いて堂々と進行し、とても立派でした。

質問は6つの大テーマについてそれぞれ2人が質問しました。ジェンダー平等について質問した生徒は「この場にいる人を見ると分かるとおり、議員さんも課長さんも全員男性です。そして男女共同参画の担当者の方も男性でした。私は少なくとも担当者を女性にするべきだと思います。問題意識を持った女性自身が、男女共同参画の担当者になることによって、今の六戸町の現状や改善しなければいけないところが見えてくると思います。」という再質問には議場内からどよめきと笑いが起こりました。これに対し、町長は「私どもは、あえて女性を省いて男性のほうにしたとか、そういうわけではございません。逆にお願いしたくても断られた」などと逃げの答弁を行いました。結局、ジェンダー平等については、町の男女参画推進計画に目標数値を入れる方向で検討する、環境問題についてはゼロカーボンシティ宣言を実施する、公園のキャンプ場のトイレの洋式化などの公園整備を行うことなど、前向きな回答を引き出すことができました。

 

こうして模擬議会は無事終了しました。議員議会事務局町の執行部は、生徒の質問は簡単なもので、時間が大幅に余ると思っていたようですが、実際には、時間がないので発言をまとめるように議長役が促す場面が何度かあったり、執行部側が答弁に窮する場面があったりするなど、予想以上に内容のあるものでした。また、ジェンダー、農業の六次産業化、外国人との共生などのテーマの質問は町議会で前例がなかったらしく、驚かれました。そのことは、今回の担当である副議長が模擬議会の終わりの挨拶の中で「(六戸高校との模擬議会を)もっと早くやるべきでした」と悔やんだことからも伺えました。

模擬議会はコロナ感染予防のため一般傍聴者は入れませんでしたが、役場のロビーで映像を見ることができました。学校で子育ての話をしてくれたTさんがわざわざ模擬議会の様子を見に来てくれました。自分が学校で生徒に話をしたことを、生徒が政策にまとめ質問してくれたことに感激していました。この模擬議会の様子は、後日地元の新聞3紙が比較的大きな記事を掲載してくれました。さらに、議論内容は、正式な会議録として町の議会のHPに掲載されました。

生徒たちは議会側から絶賛されるような一般質問を考え、実際に質問することができました。生徒たちは、模擬議会を通してリアルな政治の姿を学んだだけでなく、自分たちの質問が実際に政治を動かすことができたという実感を得ることができました。

この実践は、文部科学省の『令和4年度主権者教育(政治的教養の教育)実施状況調査報告書』の中で、政治の働きを身近に感じさせるための「特徴的な取組の工夫等」の事例として紹介されました。

 

※実際の町長・町の執行部・課長・議会・副議長・町議員・議会事務局をゴシック体にしてあります。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」問題別分科会3 「地域高生研の『外』と『内』をつなぐ」

提案趣旨

熊本高生研(サークルおよび会員)は、「高校生を市民に!」を目標に教育実践を行い、例会で報告しあい、意見を交換し、そして感想などを通信に掲載し、学びあっている。しかし高校の教員の取り組みや学びだけで、「高校生を市民に」することは難しい。だから熊本高生研では、“市民”と手を繋ぐことを選択した。会員とつながりのある高校生も大学生も、親たちや議員も毎月の例会に参加し、時にはレポート報告をしてもらい、共に学びあっている。この共同の学び合いが「シチズンシップ育成への近道」だという認識が、私たちの中で深まってきた。

 

熊本高生研の活動スタイル

熊本高生研の例会や大会には、通信制に通う高校生やその保護者が参加し、時にはレポーターとして不登校体験を話してくれる。不登校の「当事者」の本音を聴ける貴重な機会である。このような積み重ねがあったことで、問題別分科会「不登校の子どもたちとその家族」を2021年全国大会で実現できた。またその後、スピンオフ原稿も3本、保護者が全国通信用に寄稿してくれた。互いの意見を聴きあい「違う意見っておもしろい」と高校生・大学生・保護者・教員が実感し、互いにエンパワーメントされている。

「18歳を市民に」と掲げる高生研「会員」としてどのような「市民」的活動の展開が求められているのか。主権者教育は、私たち「高生研会員」から「高校生」へのバトンパスであり、同じ「市民」として地域にある社会的課題と社会的要求の分析を行い、共に課題の解決方法を考え、取り組むことだと考える。

高生研では、1~5の研究指標にもとづき研究活動を進めている。この研究指標は、一年以上にわたる議論をもとに、つくられたが、今後、研究の進展と教育を取り巻く情勢の変化により改変されることもあると但し書きがある。

今回の分科会報告には、最近の例会のレポーター4名が登場。熊本高生研がどのような学びあいをしているのかを追体験してもらう。そして「高生研研究指標」に基づく高生研活動とは何か、分科会参加者と意見交換を行い、求められている高生研活動を明らかにしたい。(レポートは、まるっと「熊本編」に掲載)

 

「高生研研究指標」(1997 8.1 改正)

1 私たちは、憲法と教育基本法の平和と民主主義の理念を今日的に発展させる

立場から、人権の発展を目指すグローバルな動向に学び、すべての子ども・青年

の個人的権利と集団的権利の実現につとめ、民主的な高校教育を追求する。

2 高校生が学校をはじめとした生活の中で、多様で豊かな社会関係をとり結び、

主体的・創造的な学びを獲得し、他者と共存・共生するわざや見通しを身につけ

よう指導する。

3 高校生が自治的な諸活動をつくり出し、青年・父母・市民と協同・連帯して

社会の発展に参加する中で、社会の民主的形成者としての品性と自治的能力を身

につけるよう指導することを原則とする。

4 個の成長と集団の発展の関係に着目した「集団づくり」の実践的伝統を引き

継ぎ、国家および市場による教育支配に対抗しうる文化・社会・学校を創造する

新たな実践の筋道を探る。

5 広く子ども・青年、父母、地域住民、近接領域の専門家と交流・提携しつつ、

教育慣行と教育政策・制度の民主的転換に取り組み、十代のこども・青年の自立

に関わるすべての教育機関の総合的発展に寄与する。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」問題別分科会2 「対話と共同によるナラティヴ(語り・物語)の生成とエンパワーメント」

2020年及び21年の渡部基調をもとに、「ケアと対話」「ナラティヴ(語り・物語)」「共同(行動)」「エンパワーメント」とは何か、それらがどのように関連し合っているのか、実践においてなぜ重要なのかを共に考えていきたい。当時か関わっていた渡部以外の教師にも参加してもらい、学校で何が起こっていたのかをふまえながら、下の二つのさしあたりの〈問い〉と〈読み〉を参考にして、参加者で多角的に検討したい。

〈問い〉中学時代にカミングアウトがうまくいかず、高校入学直前まで自分の性自認を親にもだまっていたMだが、なぜ、高校生活の中で友だちに次々とカミングアウトし、最後は卒業式でスカートをはくという自己表現の決断ができたのだろうか?

〈読み〉頭髪規定や制服に不安感をおぼえたMは入学前の個別相談で渡部に自分の性自認を打ち明ける。渡部は、Mの苦しい思いを汲み、励まし、学年通信や「性の多様性」の講演会を設定するなどで応答していく。Mは担任のZ先生の注視に助けられて同じ性的マイノリティであるRと出会いカミングアウトする。担任、渡部、Rと話す中で、思いを聴き取られ、Mは修学旅行にいける。前後してMは信頼できる友だちに次々とカミングアウトし友だちもそれを受け止める。渡部は生徒を主人公とした行事をつくりだしていき、Mはその共同の行動のなかで活躍する。Mはこのような対話と共同行動によって、他者と言語的・非言語的コミュニケーションを重ねる中で自分らしく生きる物語を紡ぎ出し、その物語にエンパワーされることによってスカートで卒業式に出る決断をしたのではないか。

 

〈問い〉一方で、渡部の学校は「思うとおりに言うこときかす」指導が幅を利かせていた。そのような学校でなぜMのスカートが受け入れられたのか?

 

〈読み〉渡部は、毎年の学年方針で「思いを汲むような対話が必要」だと提起する。毎週の学年会議ではレジメにいれて生徒の成長を語ってもらう。Mが安心してトイレに行けるよう共用トイレの設置を職員会議で訴える。修学旅行後、今まで一度も学校では生理現象さえ起きなかったMが、授業中ではあるが、トイレに行けるようになる。そのことを学年外の授業担当者が職員室で報告してくれ、その場にいた教員で喜び合った。総括の職員会議でもそのことを取り上げた。他の担任も職員会議の場でそれぞれのクラスの生徒の成長を語る。他の学年団ではほとんど見られないことだ。

変容する担任団であったが、それでもMからスカートで卒業式に出たいと申し出があったときには揺れる。その揺れに渡部はエンパワーされ、担任団の不安や懸念に寄り添うように応答していく。ここまで我慢してきたなら最後まで男性のフリをしてほしいというある担任に対してZ先生はMは「自分を偽らずに卒業したい」と言っていると応答する。

このようにして担任団を中心としてMの物語が対話と共同によって共有され、そのMの物語が教師たちを動かした(エンパワーした)と言えないだろうか。そしてこの物語は渡部の異動後の今も学校に記憶され生きているのではないか。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」 ◆問題別分科会1 「愛着障害とセクシュアリティ~児童養護施設、大友実践をもとに~」

新自由主義のもと、家庭での暴力による虐待や「教育虐待」ともいわれる過度な学歴主義、孤立的な子育て、そして押しつけ・干渉・支配などにより、今や子どもたちの3人に1人が愛着障害を抱えていると言われる。さらに、家族やパートナーに愛着不安を抱える人は2人に1人とも言われる。

不安定な愛着におかれた子どもは、養育者や教師の顔色を窺ったり、良い子を振舞ったり、攻撃的になったりする。摂食障害、リストカット、依存(ゲーム等)、クレプトマニア(窃盗)等もその現われとも言われる。また養育者の意思が優先するため、気分の揺れが激しくなったり、自分の感情がわからなくなったりする子どもも多くみられる。しかし、こうした子どもたちは、教師等信頼できる大人の呼びかけと共感的な応答によって、安心・安全基地を獲得し、その苦しみと困難が修復されていく例は少なくない。そして、愛着の修復は何歳からでも可能であるといわれる。愛着障害や不安定な愛着などの背景とともに、具体的な対応策も提起したい。

またLGBTという言葉が認知されてきたが、セクシュアルマイノリティであると自覚した子どもたちは「フツー」でありたいという呪縛にとらわれたり、自らの性自認や性的指向に苦しんだりして、私個人の問題だとして孤立している。そうした子どもたちの個々の苦悩に寄り添いながら、彼らと一緒に「フツー」という概念を問い直し、彼らを生きづらくさせている差別的な構造をなくし、誰もがありのままに受け入れられる社会づくりに努めたい。

 

ここでは、愛着とセクシュアリティについて、誰もが生きやすい社会と関係をつくる社会の問題、関係性の問題ととらえ、そうした実践事例として、児童養護施設に勤務する大友実践をもとに考えたい。当日は、児童養護施設職員大友明(仮名)さんが対面で参加し、新卒の新任職員としてRと関わった実践記録を報告する(大友さんは、森ゼミ(自主ゼミ)の運営メンバーであり、昨年9月ゼミの報告である)。児童養護施設の実践報告は、高生研では近年にはなく、その詳細な実情もわかり、報告は必見である。

 

自閉的傾向があり発達障害を抱える、高校1年のRは他の子どもへの性加害があったとして、養護施設のなかで他の子と遊ぶことを一切禁止されている半監禁状態にある。就寝前の30分間だけ個別時間が設けられている。その時間だけがRにとって安らげる時間である。あるとき、小学 2 年児が 39℃の熱を出して体調を崩した。新米職員の大友は、引き継ぎ事項が重なりRの個別時間がなくなってしまうと、Rは「俺の相手をしろ」と、怒りを爆発させる。大友は、Rへ手紙を書いたり、食事を大盛にしたり、声がけを欠かさないように寄り添いを続けた。徐々にRとの関係が良くなってきたとき、Rは学校に疲れ、「死にたい」と大友に語り、「自分はLGBTだと思う」と、カムアウトする。(この後の実践は、紙幅もあるため、当日の大会紀要を見られたい)

大友さんの現在の取り組みの報告も聞きながら、皆さんと共に考えたい。

<高生研会員通信No.189より>

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問題別分科会 1 新学習指導要領と探究学習とどう関わるか  に関連して

問題別分科会は 8 月 5 日(月)9:00~12:00に行われます。

1 新学習指導要領と探究学習とどう関わるか -生徒のための探究とは-

この中で少しばかり

共通テスト(新テスト)

について話し合われるようですが、
現在、進路部主任である私にとって、とても心配なことがあります。

・英語外部試験について、全国ではどのように取り組んでいるのか?
  来年の英検を受けるために今年の9月に申込しなければならないことに疑問。
  (しかも3000円納入しなければいけない)
  英検は来年の試験日が、現在のところ決まっていないことに疑問。
  英検・GTECともに、試験会場が健在のところ決まっていないことに疑問

・英語外部試験について、各大学で対応がまちまちなことに疑問
  東北大学は入試の出願条件にしない
  多くの国公立大学で出願条件にして、加点する

・現場の先生方が来年度の入試の大きな変化に気づいていない、わからない
  大学入試に門前払いになる生徒が出るのではないか?
  現3年生への対応がわからない(浪人したときはどうなるのか)

TOEICが撤退、数学の記述試験が初年度はなし など 不安がいっぱいです。

全国の高校の状況を名古屋大会では知りたいと思っています。

名古屋大会まで2週間。皆さん、名古屋でお会いしましょう。

青森 吉田

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問題別分科会3「生活指導をコミュニケーションと関係性の視点から捉え直す」

高生研大会応援ブログをご覧の皆さま、今日は。問題別分科会3で提起をする内田です。

 問題別分科会3は「生活指導をコミュニケーションと関係性の視点から捉え直す」と題しての提起を行います。コミュニケーションの原理と人格形成の関わりを手がかりに、生活指導を捉え直します。原理的な話には触れますが、具体的な実践、基調発題で述べられていることをベースに議論する予定です。

取り上げている実践は、中野譲さん(小学校/「地域を生きる子どもと教師」高文研)、城塚俊彦さん(「高校生活指導」206号)、小柴加奈子さん(基調発題)の3つで、コミュニケーションと関係性の視点から分析します。

 コミュニケーション??何を今更、と思われる方もいるでしょうが、生活指導を考えるうえで重要な視点なのです。私たちの周り、教師と生徒の間、生徒達の間でも、相互理解にならない会話が横行しています。相手を支配する、相手より自分がすぐれていることを誇示・確認するコンテキストが含まれている会話がけっこうあったりします。そして、生徒達がどんなコミュニケーションをしているかしていないかは、生徒達がつくる関係性の反映でもあるので、この点が生活指導を考えるうえで重要になります。

 また、人は周囲とのコミュニケーション、様々な体験などからいろいろと学習しています。それと人格の形成がどう関わるのかについても触れ、この点も生活指導実践の重要な視点として、議論したいと考えています。なお、この分科会の提起には、小柴さんの基調発題から触発された点がいくつかありますので、ゲストとして小柴さんをお呼びしています。

 多様な視点から議論をしたいので、多くの皆さまが参加してくださることを期待しています。

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問題別分科会 1 新学習指導要領と探究学習とどう関わるか -生徒のための探究とは-

第3日目 8月5日(月)に行われる問題別分科会1 「新学習指導横領と探究学習」

皆さんは新学習指導要領の説明会で内容を確認されたでしょうか。
青森県では、昨年度より、夏休みにおいて説明会を県内3カ所で行っています。

私も7月30日(火)に行われる説明会に参加する予定です。
昨年度、参加した先生方からは、説明される内容が膨大で、説明する方がとても早口だったという話を聞きました。
また、教科編については各自がホームページからダウンロードするように指示されています。
(数学編・理数編は裏表で100枚ほどになりました。)

分科会のなかでは、大学共通テストのことも話題にするようですが、
今、入試改革が脇目もふらず、突き進もうとしている現状に危機感を感じています。

青森 吉田

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生徒とのかかわりをどうつくってきたか ―若いあなたが教師であり続けるために―

3日目の問題別分科会(第4)は若い先生方が教師であり続けるために
何が必要なのかを語り合える分科会ではないでしょうか。

誰もが若いときがあり、先輩教師や仲間と一緒に
生徒のことを語り、教師にとって何が大切なのかを自問自答してきたのではないでしょうか。

「日本の高校教育が 1990 年を境に構造転換」とリーフレットに書かれていますが、
何があったのか、どう変わったのか、今、私たちはどう生徒と向き合えば良いのか。

若い先生も、経験を重ねた先生も一緒になって考えていける分科会ではないでしょうか。

吉田

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問題別分科会3「コミュニケーションとハラスメントの問題から生活指導実践の課題を探る」

高生研全国大会に興味を持ち、このブログと読まれているみなさん今日は。

問題別分科会3「コミュニケーションとハラスメントの問題から生活指導実践の課題を探る」を担当する、埼玉の内田です。

ずいぶん長ったらしいテーマですが、要するに生活指導の実践課題をみなさんと探りたい、という分科会です。でも、そもそも「生活指導」とは何でしょうか?「生徒指導」とどうちがうの?それも含めて参加者とともに考えたいのです。そのために、3つの実践を題材として用意します。一つは、2014年大会基調発題の関谷実践、もう一つが一昨年の全国フォーラムで報告された大阪の城塚さんのHR実践、3つめが、昨年の全国大会で報告された浦和実践です。それぞれ、優れたテーマを含んだ実践だと捉えています。この3つの実践を、コミュニケーションとハラスメントの視点を加味して分析、議論することを通して、生活指導の実践課題は何かを探ってゆきます。

昨年つくった「『ケアの倫理』と『コミュニケーション』から実践の課題を探る」という問題別分科会では、原理的なことの説明に重点を置いていました。今回は実践の分析に重点を置きたいと思っています。皆さんのご参加をお待ちしております。

 

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問題別分科会3 「ケアの倫理」と「コミュニケーション」から実践の課題を探る

問題別分科会3の運営を担当する藤本幹人です。すでに報告者の内田理さんから、この問題別分科会のねらいが当ブログに投稿されていますが、そこで触れられているハラスメントについて少し書きます。

 

セクハラ、パワハラなど世の中はハラスメントという言葉であふれています。ハラスメントは学校現場を見るひとつのキーワードであるように思います。

 

それでは、ハラスメントとはなんでしょうか。辞書で引くと、いやがらせと出てきます。内田さんが参考にする『ハラスメントは連鎖する』(安富歩)の説明によると、ハラスメントは、単なるいやがらせではなく、継続しておこなわれる一方的な意思のおしつけです。しかもその一方的なおしつけという意図は隠されているという特徴を持っています。

それは、もっともらしい理由をつけておこなわれることによって、一方的な押しつけであることを隠します。

たとえば、提出期限を守れなかった場合は、その日のうちに家に取りに帰りなさいとか、成績が不十分な場合は、大量の欠点課題を夏休みにやってもらいますなどというような場合、これは、あなたが将来、提出物に遅れない人間になるために、勉強をしっかりやる人間になってもらうため、つまり、あなたのためを思ってやっているのです、というようにです。

 

これらのかかわりは、一見、やり取りがあるように見えますが、コミュニケーションは不在です。

それではまっとうなコミュニケーションとはどういうものでしょうか?また、まっとうなコミュニケーションと学びはどういう関係にあるのでしょうか?安富氏は、まっとうなコミュニケ―ションとして次のような例を挙げています。

 

昼寝から少年が起きたとき、すでに花火大会は終わっていた。翌朝少年はぐずり始めた。母は尋(たず)ねた。「何が悲しいの?花火が見られなくて残念なの?」。少年は何かを考えていたが、しばらくすると再びぐずり始めた。「お姉ちゃんと一緒に行けなかったことが悲しいの?」。少年は再び何かを考えていたが、しばらくするとまたぐずり始めた。「出店(でみせ)でおやつが食べられなくて悔しいの?」。少年はそれまでとちがう反応をした。「そうだ。僕は悔(くや)しいんだ。寝過ごしてしまった自分が悔(くや)しいんだ」。悔(くや)しいという言葉をきっかけに少年は、これ以上、ぐずることがなかった。

 

このように、他者(この場合は母)の力を借りながら、言葉を介して世界に対する自分の情動反応を探(さぐ)り当て、自分の文脈をつくりあげる営みこそが「学び」であり、そのような学びを生み出すやり取りが、まっとうなコミュニケーションだと安富氏は言うのです。

(滋賀県・藤本幹人)

 

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問題別分科会 2 「いまの学校にもうひとつの在り方をひらく」

本分科会では、教育学者・里見実さん、早川さん、酒田さん、

3人の報告を受けて、今の学校の当たり前を問い直します。

いまの学校に、生徒・教師・保護者や地域の人々の参加を促すことで、

学校のもう一つの在り方がひらかれると思います。

それは、教師がちょっと視点を変えて目の前の生徒や出来事に対することだと考えました。

参加者それぞれの「もう一つ」が紡ぎだされる分科会にしたいと思います。

ぜひ、ご参加ください。

望月一枝

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8月7日(月)問題別分科会

九州では大雨で大きな被害が出ています。

また、全国各地で今日は30度を超える熱波。

涼しいと思われている北国でも30度越えの日々がこれから続く予定です。

人生50年以上を経験している人にとっては、こんな異常気象が頻繁に起こるのは

おかしい感じている人も多いのではないでしょうか。

目先の利益を追求するのではなく、

もっと地道にもっとゆっくりと時間を過ごすことが大切なのではないでしょうか。

さて、静岡大会の問題別分科会は以下の4本です。

1 「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニングの視点)をどう捉え、向き合うか。

2 いまの学校にもう一つの在り方をひらく

3 「ケアの倫理」と「コミュニケーション」から実践の課題を探る

4 学校の”困っていること”を読み解く~若い先生の実践を手がかりに~

現場ではなかなか、これらの課題に向き合って職場の仲間と話し合うことは難しいのではないでしょうか。

自分の考えをしっかりと受け止めてくれる高生研の仲間とともに学びあいましょう。

ブログ担当

青森 吉田

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問題別分科会3応援ブログ記事その1

『「ケアの倫理」と「コミュニケーション」から実践の課題を探る』分科会担当、埼玉の内田です。分科会に関する紹介を何回かに分けて投稿します。

 この分科会は、理論研究グループで「学校の息苦しさ」について何か取り上げられないか、ということから始まっています。

 「息苦しさ」の元は何にか?

 「生活指導の課題は何?」という問題関心がそれに絡みます。

 高生研は高校の生活指導の実践研究をしているところですが、生活指導が何を意味することなのか、現状の問題に対してどのような実践の方向性を示せているのか、あまりはっきりしていないのでは、という問題意識が担当者にありました。2015年に、高生研の生みの親のひとりでもある、竹内常一氏が「新・生活指導の理論」を書かれ、その中に「ケアの倫理」という言葉が出てくるわけです。また、そこには「他者の我有化」の問題が指摘されています。

 「ケアの倫理」って何?「我有化」って何?

 「ケアの倫理」については、全国大会に何度か来ていただいている政治哲学者岡野八代さんが、「フェミニズムの政治学」のなかで詳しく書いています。その中に、リベラリズムへのフェミニズムからの批判の論点が詳しく書かれ、ハンナ・アーレントの自由とコミュニケーションに関する主張が解説されていました。

 担当者は、もともと生活指導とコミュニケーションの問題に関心があり、つくば大会(2014年)で問題別分科会「福島の現状からコミュニケーションの問題を考える」をつくっていました。そして息苦しさの背後には、ハラスメントなコミュニケーションがあると推測しています。

 そこで、フェミニズムからのリベラリズム批判の論点、ケアの倫理、コミュニケーションの原理とハラスメントをつなげて、現状における生活指導の課題を参加者とともに考えたいと、企んだわけです。

 この3つをつなげるなどという、無謀なというか身の程知らずな試みが成功するかは分かりませんが、担当者の提起を材料に、参加者の皆さんと議論したいと思っています。その材料として、ここ数年の基調発題から、関わる部分を取り出して検討します。(つづく)   埼玉県・内田理

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問題別分科会2PR「実践分析をより確かなものもとするために」

久田晴生

私には、多くのテレビ番組を予約録画して夜中こっそり一人で鑑賞するという、暗い趣味があります。その中で今一番興味を持っている番組が『総合診療医・ドクターG』です。総合診療医が実際に出会った症例を、NHKが再現ドラマ化し、3名の研修医がそれを見て病名を突き止めるという科学教養番組です。医師が患者や家族から聞き出したこと、患者のちょっとした症状、バイタルデータといったものをもとにして病気の真の原因にたどり着くさまは、まるで推理ドラマを見ているようです。
 いきなり何故こんなことを書いたかというと、この番組を見るたびに、高生研大会での実践分析に共通するものを感じるからです。
 研修医たちは、再現ドラマの中で出てくる症例を説明しようと、かれの持つ膨大な知識から病名を選び取っていきます。それに対して総合診療医は、「このような高熱が出るのはなぜ?」「その前兆はなかったか」「手足の脱力が意味しているものは何?」等々、研修医がその病名を上げるに至った根拠とその是非を問うていきます。そして、症例を矛盾なく説明できた時、答にたどり着き、最後にその患者へのケアを考えます。

 私たちが教育実践を分析するときも同様です。「なぜA君は担任の指示を無視したのか」「彼がそのような行動を取るようになるまでに何があったのか」「彼が急に怒り出したのは何を意味しているのか」…
 かれら研修医と同様に、私たちも教育の場で日々問が突きつけられているのです。
 今大会の問題別分科会「実践分析…」を設定したのは、私たちが「分析」の根拠にしているものを、あらためて考えてみたいと思ったからです。
 医師たちは、膨大な科学的知見を根拠に症例を分析していきます。「教育では、医学のように原因と結果が直結するとは限らない」という反論があろうかと思いますが、それでもなお「分析の根拠となるものがあるはずだ。単なる経験から分析しているのではないはず。」と、私は考えるのです。

 これまでこのブログで高生研の意義について述べてきました。それをざっとまとめると、1つは自助グループとしての意義、2つは実践を出し合い聞き合うことであらたな実践へつなげていくという意義です。しかしここまでなら、他の民間教育団体、多くの民主的な運動を進めている団体にも当てはまることです。
 そしてもう1つの意義、それこそが高生研を高生研たらしめているものと思っています。それが、私たちが分析の根拠にしているものにあると、私は考えているのです。
 問題別分科会で議論しましょう。

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問題別分科会3PR 「『 みんなの学校』から学ぶこと 」であるべき学校を社会を語り合いましょう!

絹村俊明
  大阪市立大空小学校は、「自分がされていやなこと、言われていやなことは、人にしない、言わない」というたった一つのきまりと、「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念のもと、障害のある子もない子もすべての子どもが、いっしょに同じ教室で学び合い、育ち合う「みんなの学校」です。教職員だけでなく保護者や地域の人たちも「サポーター」として教育活動に参加しています。この大空小学校の実践は、ドキュメンタリーとして2013年にテレビ放映され数々の賞を受賞し、2015年2月から映画が全国で公開されています。、
 この分科会では、実際のドキュメンタリー映像を視聴した後、3人の問題提起者が、①インクルーシブ教育への希望、②ケアにかかわる権利、③「みんなの学校」と育ち合うおとな、という3つの角度から「みんなの学校」の意味することに迫ります。そして、それを受けた参加者の討論で提起内容を深めていきます。
 「みんなの学校」が指し示す「あるべき学校」「あるべき社会」の姿について、参加者みんなで語り合いたい、それがこの分科会の主眼です。是非多くの方々のご参加をお待ちしています。

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問題別分科会5PR「ホンマにできるの? 今までもやってる!? 主権者教育~生徒が主権者に育つ授業・生活指導の道筋を探る~」

 参議院選挙が終わりました。注目された18歳選挙権ですが、選挙デビューの若者は18歳が51・17%、19歳が39・66%で、18歳と19歳を合わせた投票率は45・45%だったと言います(総務省調査速報値・読売新聞)。この間、多くの学校で旺盛に主権者教育がとりくまれました。元より選挙にまつわる教育が主権者教育のすべてではありませんが、今回の参議院選挙が主権者教育の絶好の機会であったことは間違いありません。全体の投票率が54%程度だったので、微妙な数字というところでしょう・・・。
 さて、問題別分科会の「5.ホンマにできるの? 今までもやってる!? 主権者教育~生徒が主権者に育つ授業・生活指導の道筋を探る~」は、各学校でとりくまれた主権者教育の事例をもとに、主権者教育の意義と課題を考えます。懸念されるのは、「18歳選挙権バブル」が終わるだろうということ。潮が引いたように生徒も教師も関心がうすれていく一方で、日本社会がかかえる矛盾は深化していくのではない
か・・・。そのギャップが怖いところです。一時的なブームで終わらせることなく、18歳の若者が市民・主権者として育っていくためにはどんなとりくみが必要なのか、みなさん、ご一緒に考えましょう。ゲストは、総務省・文科省「副教材」の執筆協力者で若者の政治参加の活動をすすめてきた原田謙介さん(NPO法人YouthCreate代表理事)。報告者には同じく副教材執筆協力者で公民科教育のエキスパート杉浦真理さん
(立命館宇治高校)。他に大阪の実践も紹介して、主権者教育を考えます。
ぜひご参加ください。

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閉塞した高校教育に風穴をあける >問題別分科会1PR 「18歳選挙権から学力の市民化を問う~「学力幻想」を超えて~」

 私たちは、学力をつけることが、自動的に、市民を育て、生徒のためになると思い込んでいたのではないだろうか?教師は、真理のエージェント(代理人)であって、真理をわかりやすく伝えることができれば、生徒は、自然と、市民に育ってくれるという幻想にとらわれてこなかったか?そしてそのような考え方は、過度の受験競争への暗黙の肯定、消極的容認を生み出し、市民を育てる意識的な教育を衰退させてはこなかったか?
 提起者の小玉重夫氏(東京大学)は、18歳選挙権をめぐってマスコミでもしばしばコメントが求められている論者である。氏の提起をもとに、そのような幻想に私たちがとらわれてしまったのはなぜか?そのような幻想が生み出された、歴史的背景を確認していきたい。
 また18歳選挙権時代にふさわしい学力のあり方として、小玉氏は、学力の市民化を提唱する。学力の市民化とは、たとえば、教師が真理のエージェントではなくパブリックな市民社会のコーディネーター(媒介者)となることであり、また、生徒が、民主主義の実践に絶えずさらされることであり、また学力を個人の資質と考えるのではなく関係性を含んだ概念として考えることであり、そのようなものとして学力を数値化し可視化することであり、教室や学校を論争的な対話空間に組み替えていくことであるという。
 これらの提起を受けて、授業や自治活動、高校教育の在り方について考え、閉塞した高校教育に風穴をあける道筋についてリアルに考えていきたい。(藤本幹人)

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問題別分科会4「この国の人びとに 私は 何を問いたいのか」PR

高生研全国大会史上初!?沖縄からきた大学生3人によるレポート報告!数々の実践を積み上げ、つい先日沖縄で行われた県民大会で知名度も全国レベルになりつつある玉城愛をはじめ、同じ大学に通う4年生の真鍋詩苑、3年生の小波津義嵩も共同でレポートを作成。日ごろの活動で地元紙にしばしば取り上げられ、またSNS等でも発信しているため、「実践は立派!」そういう声は聞こえてきそう・・・
しかし今回は、なぜ私たちが立ち上がったのか、行動をし続けることができたパワーの源は何だったのか、当時の気持ちや考えたことをリアルに書き起こした。高生研のメインテーマである、「18歳を市民に」。ちょうど18歳の頃から今に至るまでの記録、そして3人の各々が書いた、今感じている「大切な価値」。ここから、「18歳を市民」にする上でのヒントを何か与えられるかもしれない。
この報告会では、参加者との議論を重視!今、この国に住む人々が一度は考えなければならない問題、そして学校という場所で出来ること、必要なことをまず学生の3人が提言する。
そしてそれを踏まえて、日本、世界にまで通用する大切な価値とは何か、私たちが日常からできることは何か、その他にもいろいろ、大いに議論しましょう!!

あなたの見解がこの分科会をつくります。一緒に幸せになるために、参加してみませんか?