2020年及び21年の渡部基調をもとに、「ケアと対話」「ナラティヴ(語り・物語)」「共同(行動)」「エンパワーメント」とは何か、それらがどのように関連し合っているのか、実践においてなぜ重要なのかを共に考えていきたい。当時か関わっていた渡部以外の教師にも参加してもらい、学校で何が起こっていたのかをふまえながら、下の二つのさしあたりの〈問い〉と〈読み〉を参考にして、参加者で多角的に検討したい。
〈問い〉中学時代にカミングアウトがうまくいかず、高校入学直前まで自分の性自認を親にもだまっていたMだが、なぜ、高校生活の中で友だちに次々とカミングアウトし、最後は卒業式でスカートをはくという自己表現の決断ができたのだろうか?
〈読み〉頭髪規定や制服に不安感をおぼえたMは入学前の個別相談で渡部に自分の性自認を打ち明ける。渡部は、Mの苦しい思いを汲み、励まし、学年通信や「性の多様性」の講演会を設定するなどで応答していく。Mは担任のZ先生の注視に助けられて同じ性的マイノリティであるRと出会いカミングアウトする。担任、渡部、Rと話す中で、思いを聴き取られ、Mは修学旅行にいける。前後してMは信頼できる友だちに次々とカミングアウトし友だちもそれを受け止める。渡部は生徒を主人公とした行事をつくりだしていき、Mはその共同の行動のなかで活躍する。Mはこのような対話と共同行動によって、他者と言語的・非言語的コミュニケーションを重ねる中で自分らしく生きる物語を紡ぎ出し、その物語にエンパワーされることによってスカートで卒業式に出る決断をしたのではないか。
〈問い〉一方で、渡部の学校は「思うとおりに言うこときかす」指導が幅を利かせていた。そのような学校でなぜMのスカートが受け入れられたのか?
〈読み〉渡部は、毎年の学年方針で「思いを汲むような対話が必要」だと提起する。毎週の学年会議ではレジメにいれて生徒の成長を語ってもらう。Mが安心してトイレに行けるよう共用トイレの設置を職員会議で訴える。修学旅行後、今まで一度も学校では生理現象さえ起きなかったMが、授業中ではあるが、トイレに行けるようになる。そのことを学年外の授業担当者が職員室で報告してくれ、その場にいた教員で喜び合った。総括の職員会議でもそのことを取り上げた。他の担任も職員会議の場でそれぞれのクラスの生徒の成長を語る。他の学年団ではほとんど見られないことだ。
変容する担任団であったが、それでもMからスカートで卒業式に出たいと申し出があったときには揺れる。その揺れに渡部はエンパワーされ、担任団の不安や懸念に寄り添うように応答していく。ここまで我慢してきたなら最後まで男性のフリをしてほしいというある担任に対してZ先生はMは「自分を偽らずに卒業したい」と言っていると応答する。
このようにして担任団を中心としてMの物語が対話と共同によって共有され、そのMの物語が教師たちを動かした(エンパワーした)と言えないだろうか。そしてこの物語は渡部の異動後の今も学校に記憶され生きているのではないか。
<高生研会員通信No.189より>