『常陽リビング』2014年5月24日号より
南米ペルーやボリビア発祥の民族楽器「ケーナ」に魅せられた渡辺大輔さん(つくば市、33歳)は、2013年春8年間務めた公務員を辞めプロ奏者としてスタートを切った。日々「究極の音色」を求めながら、伝統音楽のほか幅広いジャンルの音楽に取り組み、源流は紀元前にまでさかのぼるというケーナの可能性を引き出そうと活動。5月31日(土)には「音楽世界紀行」と題したコンサートをかすみがうら市とつくば市で開く。
朗々とした音色は、遥か遠くまで響き渡る。
「丸い息やとがった息、板状の息をどんな角度で当てるとより良い音になるか、日々試行錯誤しています」
楽譜がなく、先人の演奏やアンデスに伝わる歌を階名や奏者の「耳」で伝えてきたとされるケーナは音程によって長さもさまざま。表裏7つの穴を指で押さえて音を操るが、大事なのは息の吹き込み方。練習では一音に3時間以上かけ音を磨き上げることもしばしば。
尺八とフルートとオカリナを足して3で割ったような音と説明されることもあるが「ケーナにはそのどれにも当てはまらない、美しい音があるんです」。
中学でXJAPANにはまりエレキギターを手にしたが、ある程度のレベルに達すると限界を感じた。そんなロック少年に運命の出会いが訪れたのは筑波大学入試の帰り道。まずまずの出来に満足しながら大学構内のバス停に立っていると、付近の茂みから聞こえてきた音に体が震えた。
南米の伝統曲「リャキルナ」のメロディーラインに、かつて夢中になったXJAPANや久石譲の音楽に通ずるものを感じた。
入学後にその演奏者を探し出してフォルクローレ愛好会に入り、毎日のように夕方から翌朝まで練習に没頭しめきめきと上達。
四六時中ケーナと一緒だったが、3年生の時スランプに陥った。限りなく完璧に近い音が出せた前年冬の演奏会の成功体験がどうしても忘れられなかった。
そんなある日、ある漫画で宮本武蔵が力任せに太刀を振り回す描写を目にした。肩の力を抜き、再び武蔵が刀を振るうと太刀はうなりを上げた。
それは、良い音を出そうと躍起になり周囲に自分の能力を見せびらかそうとしていた自分を思い起こさせ、無駄な自尊心は音に微妙な雑味を生み出すことを気付かせてくれた。
やがて就職活動や卒業論文のため半年ほどケーナから遠ざかると、無性に吹きたい気持ちがこみ上げ「ケーナが本当に好きなんだ」と再認識した。
頭の片隅で「いつかプロに」と思ってはいたものの、国内のプロ奏者はごくわずか。
卒業後は紆余曲折ありながらも25歳で土浦市役所に就職。環境や障害者福祉の分野を担当し、市のイベントや施設のクリスマス会などで演奏を披露した。
また、フォルクローレの国内トップを走るグループ「マヤ」にも認められ、コンサートやツアーに参加。そんな日々でもプロへの夢は断ち難かった。
かつては両親と進路を巡って大喧嘩になるなど「家族が賛成してくれる夢を何度も見ましたよ。うれし泣きして目が覚め、『ああ、また夢か』と」。
ところが2012年秋、突然母親から「やりたいことをやりなさい」と逆に背中を押された。職場でも遅咲きの挑戦を祝福してくれた。
現在はライブ活動や個人レッスンのほか、公民館講座の講師や自身のセルフプロディースなど多忙な日々が続く。
今後はフォルクローレという音楽の枠を超え、ケーナが生きる音楽ならばアイリッシュや北欧のメロディーなどどんなものにでも挑戦したい。
そのためにも大学2年のコンサート以来ほとんど出せていない「あの音」を常に出せるようにしたい。
ケーナの長い歴史の中で誰も出したことのない「究極の音」を確立することが、さまざまなプロが技術を競う中で自分に残された最後の領域だと思っている。
同時に、18歳の運命の日に聞いたあの感動を多くの人に伝えたい。
原点である「リャキルナ(人々の悲しみ)」に込められた情感を風に乗せれば、アンデスの響きは山を越えて谷を越え、聴く人の胸に届けられる。
ライブの問い合わせ:090(9108)8357/渡辺さん