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高生研オンライン基調討論会のすすめ  「ためらい」と「したたかさ」をつなぐ渡部翔子の「震えるアンテナ」

いじめやLGBTという難問については、自分が対応するだけでも困難であるが、学年主任という立場に立つと、意見を異にする同僚の同意をとるという難題もつけ加わってくる。同僚の中には「ダメなものはダメ」という強権をかざす年配者もいれば、「自信のなさ」を告白してくる若手もいる。

「排除されがちな生徒と一緒に修学旅行に行く」という困難な課題に挑むべく、渡部は考え方の違う同僚を説得し、繊細な感性の若手教師によりそっていく。そのさい、自分の良心と相手の価値観を考量するがゆえに「ためらい」が生じる。「ためらい」は、複雑な課題に対応する時にあらわれる倫理であるがゆえに、実践に深みを与えている。他の教師と信念のレベルで争わないで実践の実をとるとか、若手教師の成長に渡部自身が励まされるとか、渡部がためらいながら蒔いた実践の種は、修学旅行後の教師たちの明るい会話の中で実を結んでいる。今日、職員室で子どもの成長を話題にして明るく盛り上がる、ということは称賛に値することである。

「ためらい」の姿勢は困難な状況に臨んで複数の選択肢を用意するがゆえに、「したたかな」実践と結びつく。つまり、プランAでダメならそれで終わり、というのではなく、プランB・Cまで用意できるからこそ、自分の意見に同意してくれない人たちとも対話を継続できる。そして、「ためらい」と「したたかさ」をつなぐものが、渡部によれば、すなわち「震えるアンテナ」なのである。

渡部が「震えるアンテナ」としか表現できなかったことを、私たちなりに自分の言葉で語り直していきましょう。この作業が、基調を活かし・発題者の労に報いることになり、かつ自分の実践を更新していくことなるはずですから。

                    (熊本高生研、白石陽一)

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基調発題 教師の「傷つき」を意識することから、学校の寛容性を「耕す」

みなさん こんにちは
名古屋大会まで1ヶ月足らずとなりました。
2年間、毎日学級ブログを書いたことがある青森の吉田です。

さて
今年の基調発題は茨城の小柴さんです。
今年の2月の青森高生研・冬の集会(第98回)に来ていただき、
「 頑張らない、生活を犠牲にしない、生徒を縛らない教師になるために」という演題で
講演していただきました。

2019 青森高生研_冬の集会_(第98回)のサムネイル

名古屋で再び学びあえることを楽しみにしています。

ちなみに、青森高生研は
第99回大会を 2019年7月27日(土)~28日(日)
酸ヶ湯キャンプ場(毎冬、日本一雪が多いと報道される酸ヶ湯温泉に隣接)で
サマーセミナーを行います。
詳細は後ほど。

そして、記念すべき第100回大会は
2020年2月8日(土)9日(日)
青森教育会館にて実施する予定です。

名古屋は8月は暑いのでしょうか。
お天気情報も現地からいただけると嬉しいです。

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東と西のはざまで3

いよいよ、明日から全国大会である。

こ のブログも今日が最終回ということで、自ら選んだとはいえプレッシャーがかかる。担当者からも心配していただき、痛み入る。「東と西のはざま」ということ で3回連続の最終話は、私が今年4月から「東住吉高校」に転勤したことから東西南北のつく学校名をあげて話を構成しようと思っていたが、1話、2話よりさ らにどうでもよい話で、ブログ最終回には到底ふさわしくない。よって、この話は今後どうでもよいときのネタにとっておくことにする。では、いまからの話はどうでもよくない話かというとそうでもないが、まあ、高生研のことについて書く。

みなさんは、高生研がリニュアルしてからの大会や基調や機関誌に、なにがしかの違和感を抱いたことはなかっただろうか?“違和感”というと語弊があるのでもっとフィットした言い方があるかもしれないが、そ れまでの高生研にはなかった、あるいはあったが顕著でなかった、または何かの陰に隠れていた、そんなもの。その感覚は12月の「なめ教」分析で一層強まっ た。この感覚をいまは言語化することはできない。ただ単に思いすごしなのか、はたまた高生研の新たなストリームを創っていくものなのか。そんな思いで臨む 全国大会、懐かしい顔との再会と新たな出会いに期待する。では、全国大会でお会いしましょう。

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基調発題について その2

 今晩は。
 大会実行委員長の埼玉の内田です。
 基調発題の魅力について、その2です。
 基調発題というと、小難しくてわからないと言う印象を持たれる方もいると思いますが、伊藤さんの基調発題は、自分の実践と沖縄が抱える問題から生まれているので、わかりやすいものになっています。
 伊藤さんの基調の魅力は、人が公共的な場で通用することばを獲得して行く過程が、構造的に見えるよう整理された提起となっているところにあると、私は見ています。
 ①教師の権力性を停止させ、そばにいる大人として生徒の前に現れることで生み出されることば。②行事の中でつくり出される生徒たちの新たな関係性の意味とそこから生まれてくる生徒のことば。③国語の授業(『こころ』の授業実践、憲法を読む実践)で生徒のことばを引き出し、鍛えてゆく過程。④担任として服装規定改定要求に生徒と取り組んだときに、生徒達が学校の支配的文脈を相対化し、自分たちに必要な公共性をつくり出していったこと。以上の4点が発題の柱になっています。
 さらにこの4点に共通する特徴として、⑤ことばを獲得して行く生徒達と伊藤さんとの間に相互作用があります。相互作用、すなわち互いに理解を深め相互に学ぶ、まっとうなコミュニケーションが成立しているということです。
 まあ、こんなふうに書くと、やっぱり小難しい、と言われてしまいそうですが、ここで基調の文章を公開するわけには行きませんので、こんなまとめで勘弁して下さい。
 提起されている内容の構造がはっきりしているので、議論も組み立てやすく、参加しやすいのではないでしょうか。大会当日の全体会で、①~⑤の論点にいろいろな視点から意見が出され、議論が進むことを期待したいと思います。

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基調発題について その1

 今晩は。
 大会実行委員長の埼玉の内田です。
 全国高生研の理論研究グループに所属し、基調発題の制作過程の議論に関わりましたので、基調発題の魅力について書きたいと思います。
 今年の発題は「封じ込められたことばを解き放つ~小さな私が大きな世界と語るために~」で、沖縄の伊藤香織さんが発題者です。伊藤さんは、これまで「高校生活指導」にいくつも優れた実践を報告してきました。今回の基調発題は、その実践の積み重ねと沖縄が抱え込まされている問題の中から生まれてたものです。
 「ことばを解き放つ」と言えば、昨年安保法制に関わる様々な動きの中で、SEALDsの活動が注目を集め、彼らのことばが大きな力ともなったことともつながります。彼らのスピーチは、「私は」という一人称単数で語られています。「われわれは」ではないところに特徴がありました。先日「わたしたちの自由について」というSEALDsの記録映画を見てきましたが、彼らが意識してそのようなスピーチをつくっていることや、人に伝わることばを意識していることが改めてわかりました。
 伊藤さんの基調発題でも、SEALDsの橋本紅子さんのスピーチを引用し、「『私、今日ここに来る前に、夏に着る水着を買ってきて、マツエク(まつげエクステ)いつつけようかなーとか悩んでました。なんか、そんな、水着とかマツエクいつ付けるかとかで悩んでる人間が、政治について口を開くことはスタンダードであるべきだと思うし、スタンダードにしたいから、スタンダードになるまで繰り返し声を上げ続けなくてはいけないんだと思ってここに立っています。』という締めの部分を、私は今、生徒とともに目指す目標にしている。政治は、『意識の高い』『クソ真面目な』『特別な』人間だけが語るものではなく、・・・・・」と、基調のまとめ部分で述べています。
 人に伝わる自分の主張をもったことばは、どのようにしてつくり得るのでしょうか。多様な人の多様な意見が出会い、相互に理解が進み、議論されてはじめて何がこの社会にとって必要なのか、何が正しいのか見えてくる、それが民主主義ってものだと思うのです。しかし、わたしたち教師は、生徒達にそのためのことばを獲得させることができているのでしょうか。
 伊藤さんの基調発題は、そのことばの獲得について提起をしてくれます。
 皆さん、ぜひ大会の全体会での議論に参加し、この問題をともに議論し深めましょう。