いじめやLGBTという難問については、自分が対応するだけでも困難であるが、学年主任という立場に立つと、意見を異にする同僚の同意をとるという難題もつけ加わってくる。同僚の中には「ダメなものはダメ」という強権をかざす年配者もいれば、「自信のなさ」を告白してくる若手もいる。
「排除されがちな生徒と一緒に修学旅行に行く」という困難な課題に挑むべく、渡部は考え方の違う同僚を説得し、繊細な感性の若手教師によりそっていく。そのさい、自分の良心と相手の価値観を考量するがゆえに「ためらい」が生じる。「ためらい」は、複雑な課題に対応する時にあらわれる倫理であるがゆえに、実践に深みを与えている。他の教師と信念のレベルで争わないで実践の実をとるとか、若手教師の成長に渡部自身が励まされるとか、渡部がためらいながら蒔いた実践の種は、修学旅行後の教師たちの明るい会話の中で実を結んでいる。今日、職員室で子どもの成長を話題にして明るく盛り上がる、ということは称賛に値することである。
「ためらい」の姿勢は困難な状況に臨んで複数の選択肢を用意するがゆえに、「したたかな」実践と結びつく。つまり、プランAでダメならそれで終わり、というのではなく、プランB・Cまで用意できるからこそ、自分の意見に同意してくれない人たちとも対話を継続できる。そして、「ためらい」と「したたかさ」をつなぐものが、渡部によれば、すなわち「震えるアンテナ」なのである。
渡部が「震えるアンテナ」としか表現できなかったことを、私たちなりに自分の言葉で語り直していきましょう。この作業が、基調を活かし・発題者の労に報いることになり、かつ自分の実践を更新していくことなるはずですから。
(熊本高生研、白石陽一)