に投稿 コメントを残す

細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)④

 こんにちは。沖縄高生研の照屋です。うちの学校では文化祭が始まり、今日が初日でした。大雨が降ってしまいましたが、来校者は700人を超えていたそうです。舞台・展示・出店…..例年6月中旬に開催されますが、短い準備期間内で生徒たちはきっちりと仕上げてきます。明日は晴れてくれたらいいなあ。

 さて、インド滞在シリーズ「宿編」。インドについて最初の一週間ほどは、駅近くでホテルを探してタカシとヒロシを含めた僕の三人で泊まってました。三人でお金を出し合うので、そこそこのホテルを見つける事ができ、どこへ行くにも安心して出かけられました。10日ほど経ち、それぞれがインドに慣れてきた頃、個人で行動する事になりました。三人で行動していると心強いのですが、どうしても行動が一緒になりがちになってしまうので、「インドでの残りの滞在を一人で生きていこう(ちょっと大げさですが)」と三人で確認し、僕は次の目的地のアグラー(タージマハールがあることで有名。別名ピンクシティ)、タカシとヒロシもそれぞれの目的地へ向かいました。
 さて、一人で泊まるとなると、シングルの部屋がある安宿を探さなければいけません。一日の滞在費(宿泊・食事・移動・雑費等)は200ルピー(日本円で800程度)くらいで抑えるようにしていました。一泊30~40ルピーくらいのホテルを探し、居心地が良ければ連泊し、悪ければ1泊でホテルを変えました。さて、僕が泊まった範囲でのその当時のインドのホテル&トイレ事情。
 シングルで30~40ルピーくらいのホテルだと、観光地だとしても部屋の鍵は「針金を引っかける」程度のものでした。ドアの外から名刺ほどの細い物を差し込んだら簡単に開いてしまう作りだと考えて下さい。運がよければ天井に扇風機があります。ベッドの寝心地はまあまあでした。トイレには紙がありません。その代わりに、後ろの方にビアジョッキほどの大きさの容器と蛇口があります。インドを訪れたことがある人はわかると思いますが、現地の人はトイレで「大きい方」をした後は紙ではなく左手で汚れを拭き取り、最後に水で左手を洗います。インドでの滞在中は右手で食事をして左手でトイレ処理をしていました。ヒンズー教の考えでは「右手が聖なる手」で左手が「不浄な手」だったからです。ホテルによってはトイレットペーパーを売ってますが、品質があまり良くなく硬いので僕はずっと左手を使ってました。ヨーロッパからの旅行者はよく買ってましたが。
 インドで、生まれて初めて左手で自分のおしりを洗った時は相当な違和感がありました。でも、僕が行った季節、インドは冬でなおかつ乾期だったので慣れてくると洗った後はサラサラして快適に感じるようになりました。
 次にシャワー。安いホテルではまず例外なくシャワーは共同でした。ドアの鍵も既に述べたように
お粗末だったので、パスポートとトラベラーズチェック(以下TC)は肌身離さずにシャワー室で持っていきました。安宿では、お湯は出ません。真冬でも水しかつ使えないので、シャワーを浴びる時は気合いを入れます。タオルや歯ブラシ等もありません。荷物を減らすために必要最低限の衣類や荷物しか持っていかなかったので、タオルはハンドタオルだけを使っていました。洗濯設備もなかったので衣類やタオルが汚れてきたらシャワー室内で洗ってました。洗った後は室内にひもを張り、そこへかけておくと一晩で十分に乾きました。
 アグラーで5泊ほど過ごし、次はガンジス川ほとりのバラナシへ向かうことにしました。
さて、バラナシでは初めて「ドミトリー」に泊まりました。広い床で旅行者が寝袋を使って雑魚寝する宿です。ホテルに比べるとプライバシーはありませんが、                          

ドミトリーこんな感じです
ドミトリーこんな感じです

①宿泊費が安い
②旅行者が常に誰かいるので安全
③日本人を含め、いろんな国の人たちと
  交流できて情報交換できる

というメリットがありました。

バラナシに「久美子ハウス」というとても有名な宿が
 ありますが、そこでかなり強烈な経験をしました。
 次回をお楽しみに…….

に投稿 コメントを残す

細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)③

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。GW後半に梅雨入りしました。激しく降る日が多いので、
洗濯物もこの時期は部屋干しになります。雨&曇りの天気が来月中旬まで続いた後、夏に突入です。
気温自体も既に27℃になっているので、梅雨が明けたら今年も30℃の世界がやってきます。

さて、インド最初の夜のホテルの続き。ニューデリー市内のホテルへ到着。ここでの従業員さんも、迫力があるシーク教徒のおじさんでした。荷物を持って部屋まで案内されて、早速その場で「チップ!チップ」と要求されました。「ワンダラー!ワンダラー!」と言うので、チップにしては少し高くないか?と思いながらも迫力に負けてチップを払いました。タカシと荷ほどきをして、お互いに落ち着いた時には真夜中だったと思います。1月中旬だったので、インドでも真冬でした。暑いシャワーを浴びたいと思い浴室に入りましたが、お湯の出し方がわかりません。あの迫力ある従業員のおじさんを呼びたくなかったので、何とかお湯を出そうとしました。長い時間、タカシと挑戦しましたが、
どうしてもお湯が出ません。氷のように冷たい水でシャワーを浴びるのはさすがに無理なので、しょうがなくおじさんを呼びました。そのホテルでは、浴槽内のタンクにあるスイッチを入れて20分ほど待つとお湯が使えるしくみでした。説明を聞くと簡単ですが、初めての旅行者にはわかりずらい場所にスイッチがありました。説明を終えた後、おじさんはうれしそうに「チップ!チップ、ワンダラー!ワンダラー!」と手を伸ばしてきました。値切る元気もなく、チップを払いました。
30分ほど待った後、ようやく温かいお湯でシャワーを浴びた事を覚えています。
翌日はすぐにチェックアウトし(宿泊料がいくらだったか覚えてない)、タカシと市内をうろうろしながら別の宿を探しました。

さて、現地での金銭感覚について。インドの通貨はルピー・パイサ(100パイサ=1ルピー)です。
その当時のレートは1ルピー=4円でした。1ルピーで清涼飲料水(よく飲んだのは「ルミカ;レモネードソーダのような味」)が買えます。1本が1ルピーなので、日本円で大体100円くらいの価値です。食堂や屋台でよく食べたターリー(カリー+ナンあるいはライス+野菜のみじん切り+ダール【スープ】;)が2ルピーでした。
つまり4円でコーラ1本、8円で定食が食べられる、という感覚です。しかし、安いと思わずにあくまで現地の金銭感覚で考えた方がいいです。町中の食堂での給仕や駅、そして公園などでボロボロの服を着て、新聞などの売り子をしてる幼い子どもたち(5~10歳くらい)が沢山いました。彼らは一日16~17時間一生懸命働いて、日収が1ルピーという話を聞きました。彼らにとって、1ルピーはそれほどの価値がありました。一日一生懸命働いても、清涼飲料水を一本飲んでしまうとなくなります。定食を食べるには二日働かなくてはいけません。それを考えたら、1ルピーの重さが痛いほどわかりました。

ホテルでチップとして1ドル払いましたが、それは30ルピー(!)ほどの価値になります。極端に言うと、子どもたちの月収と同じくらいの金額です。初めての旅行で慣れてないというのもありましたが、チップの相場は1ルピー(高級ホテルでも5ルピーほど)だという事を後になって知りました。

さて、インドには5週間滞在しました。宿は基本的にはいきあたりばったりか、ガイドブックに載っていた所を探すようにしました。来月のブログは宿の事を中心に書きます。

(公園にて。子どもたちが「ジャパーニー!」と近寄ってきた)
(公園にて。子どもたちが「ジャパーニー!」と近寄ってきた)
に投稿 コメントを残す

「細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)」②

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。心地よいポカポカ陽気が続いています。新年度が始まりました。4月7日の始業式・入学式・新入生オリエンテーション・LHR、翌日からの通常授業、そして最初の土曜日には全学年の必修模試!とタイトなスケジュールで生徒たちは(特に新入生)大変だったと思いますが、同じように先生たち(特に新任職員)もかなりパタパタしていました。僕自身も新しい部署での仕事と、新しい教科書の教材研究でかなり忙しいです。

さて、インド旅行紀の続き。深夜12時近いインディラガンディ国際空港ロビー。窓の外から伸びるゾンビのような「無数の手」と叫び声とは…….
「おい!おまえ!こっちへ来い! いいホテルがあるぞ!」「いや、こっちの方がいいホテルだ!こっちへ来い!」(実際は英語。「Hey you, come here! Good hotel!」という感じ。イギリスの植民地だったので英語を話す人がけっこういた。)という何十人もの客引きの叫び声でした。その当時のインドでは、航空券を持ってないと空港の建物には入れませんでした。でも、客引きのおじさんたちは稼ぐためには夜中だろうと外国人観光客をホテルへ呼びこむのに必死に働かなくてはならなかったのです。知り合いが経営しているホテルや宿に観光客を連れてくるとリベートがもらえるそうで、なりふり構わず窓の外から手を伸ばして旅行者を捕まえようとします。初めての海外旅行で見た強烈な光景でした。うっかり窓の近くによろうものなら、それこそゾンビ映画のように捕獲されて食われてしまうんじゃないかと思ってしまいました。沖縄を出発する前は「インドに行ってくるぜ!」と少しカッコつけていましたが、実際に着いてみると、「海外に来てしまった」と初めて不安になりました。

貧乏旅行で行こうと決めていたのでホテルの予約は全くせず、さらに空港から出たとしてもどこに向かえばいいのか全然あてもありませんでした。今になって考えると、本当に無謀だったなあと思います。「客引きゾンビの手」から離れ、少し心が落ち着いたところで今夜の宿をどうしようか考えました。すると、日本人らしき男性が二人、ウロウロしているのを見つけました。彼らはどちらも眼鏡をかけ、スリッパを履いていました。思い切って話しかけてみると、京都からやってきた大学生タカシと大阪からやって来たヒロシでした。彼らも海外旅行は初めてで、なんと二人とも外国語は全く話せないと事!度胸あるなあと感じました。彼らも宿を決めてなかったので、取りあえず僕を含めた三人でしばらく一緒に行動することにしました。インフォメーションのごついおじさん(シーク教徒だったのでターバンを巻いていた)にホテルを紹介してもらい、そこへ向かうためのタクシーも手配してもらいました。空港の外へ出て、どうやって「客引きゾンビの手」から逃れたのか覚えてません。記憶があるのは、タクシーで夜道を走っている時に「牛が多いなあ..」という事でした。ヒンズーの教えで牛は聖なる動物なので、牛さんたちが道路を占拠していても彼ら(彼女ら?)を無理矢理どかす事はできません。車の方がよけなければなりません。いろんな牛(標準体型?もいればガリガリにやせた牛も)が道路やそこら中にたくさん寝ていて、そのたびにタクシーが速度を落としてよけていたのを覚えています。真夜中、外国の暗い道中でのタクシー。このまま三人とも人気のない場所に連れていかれ、身ぐるみはがされてしまうんじゃないか…….と考えた事も覚えています。
 やけに長い間、タクシー乗っていたような気がしますが、なんとかホテルに着きました。

  ようやくリラックスできてぐっすり眠れるかと思いきや…………..(続きは次回)

インド2.fw
(独立記念日の人集り)
に投稿 コメントを残す

「細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)」①

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。新任校での慌ただしい年度が終わりに近づき、すこし落ち着いたところで次年度に向けての準備をやっているところです。今日の最高気温は24℃。かなり暖かくなってきました。去年の京都大会は二日間しか参加出来なかったので、今年の筑波大会は三日間フルで参加するつもりです。

さて、今年の応援ブログは、僕がこれまでに訪れた外国旅行紀を載せようと考えてます。
初めての外国としてインドへ行ったのを皮切りに、これまでハワイ・グアム等を旅行しました。
そして、生徒たちの研修の引率として先週まで二週間イギリスにいました。今年の応援ブログは、
そのシーズン1としてインド旅行紀を綴りたいと思います(インド以外の国は来年以降の予定?)。

20年ほど前の話です。大学を一年間休学して海外旅行をしようと思いたちました。。当時は学費のために大学の講義後にバイトをしていましたが、休学して朝からそのバイトをして学費と旅費を貯めてからインドへ行こうと決めました。「なんで休学してまで行くの?卒業してからでも行けるでしょ?」と両親は猛反対。僕は「卒業してしまうと、自由になる時間は少なくなる。今行くしかない!」と反対を押し切り休学手続きをしました。強引でした。約10ヶ月バイトし、学費とインドへの旅費を貯めてインドへ出発する事になりました。一月中旬、真冬でした。

その当時、沖縄からインドへは直行便がなく(今でもないかも)、関西国際空港もない時代でした。まずは那覇空港から伊丹空港へ飛び、そこから香港経由でインドの首都ニューデリーへと飛びました。
飛行機はエアインディアで、壁紙はターバンを着た男性のデザイン。機内食もノンベジ・ベジが選べて「おお~、インドだなあ!」とうれしくなりました。また当時は機内席で喫煙OKの時代で(学生の頃、僕はタバコ吸ってました)、隣に座った男性に「May I smoke?」と確認してタバコに火をつけました。その男性は(たぶんヨーロッパ系)は「Yes, off course.」と答え、映画でよく出てくる手持ちの小さな金属製ボトルでウィスキーをグビッと飲み始めました。インドまで13時間(それくらいかかったと思います)、その男性とおしゃべりしたり、機内のスクリーンで映画を見たり、機内食を味わったりしながら過ごしました。

さて、IGIA(インディラガンディインターナショナルエアポート!長い。)に到着。24時間体制の空港なので、着いたのは夜11時半ころだったと思います。「おお~、インドだなあ!」と、また思いました。実際にインドに行ったことがある人はわかると思いますが、まず「空気」が違います。
うまく表現出来ないけど、呼吸すると明らかに「空気」が違います。その違いを体感してみたい人は、実際に訪れてみて下さい、としか言えません。

 補足説明。「貧乏旅行」をイメージしていたので、ホテル等の予約は一切してませんでした。インドへ来る前に購入したのは往復の航空券と米ドルだけでした。英語が多少話せるとはいえ、海外旅行は初体験。スーツケースがターンテーブルへ現れるまで少し不安でしたが、キチンと出てきました。
入国審査の係員は多少インドなまりの強い英語(かなり『巻き舌』の発音。後ほど詳しく説明します)で少し聞き取りずらかったものの、何とか審査をクリア。さて、到着ロビーへ。

その時すでに深夜12近く。夜の空港だから、出迎える人はほとんどいないだろうと思ったら……..
なんと到着ロビーでは、ゾンビのような多くの「無数の手」が叫び声と一緒に開いている窓から一斉に伸びていました!

(独立記念日のパレードにて)
(独立記念日のパレードにて)

「何!? あれ!?」と思てビビってしまいました 

さて、その「無数の手」と叫び声とは…….(続きは次回)