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問題別分科会4 国語科若手教員が「請願」で声をあげてみたら

みなさんは「市民」を育てていますか?
…いや、その前に、ご自身は「市民」してますか?
私の勤務する農業高校には「Learning by Doing」というデューイの言葉が掲げてあります。「為すことによって学ぶ」の字義通り、「市民する」こと抜きに市民としての学びは深まりません。
翻って、シティズンシップ教育や生徒によるルールメイキングが流行っていますが、よく見ると単なる投票促進や「どんな髪型なら許されるか」の線引きを考えさせる、という看板倒れの「市民教育」もあります。大人にしても「民主的な職場」とは到底言い難い学校で、「自分たちの学校のことを自分たちで決めるには?」という問いすら立てづらい日々です。
本実践では、報告者たちがひたすら市民としてDoingしています。さらに、この実践には、若手(超多忙&経験値は蓄積途上)、国語科(政治は門外漢)、政治的タブー(リスキーで触れたくない)、(最初は)思い入れも覚悟もなかった、職場の無関心…等々、普通だったらDoingに踏み出せない理由(言い訳の種)が満載です。
では、「自分たちのことを自分たちで決めたい」という当たり前で切実な願いを、報告者たちはどのように行動につなげていったのでしょうか。そして、全国高生研や大阪高生研がこれまでに培ってきた学びや活動(Learning by Doing)が、どう関わっているのでしょうか。

報告者の「市民」活動は数多ありますが、簡単にまとめるとこんな感じです。
〇「どど万(どどばん)」の立ち上げ
大阪府の「万博子ども招待事業」の発表をきっかけに、若手教員たちが行政主導で決められることへの違和感や安全への懸念を膨らませ、「どうする⁉どうなる⁉大阪の2025年遠足~大阪・関西万博~(どど万)」を立ち上げます。
〇声明、陳情、請願などの政治活動
「招待事業は強制ではないことの確認を」「学びや安心安全が保障される招待事業を」という柱を立て、タブー視されている政治的な話題を正面から取り上げ、戦略を立て、行動を起こします。
〇メディア対応や議員訪問、様々な初めての体験
メディア露出の不安、政治家を訪問する緊張感など未知への不安を抱えつつも、対話によって立場の異なる者同士が同じ景色を共有できた、という手ごたえを得ます。
その結果、大阪府議会において全会一致で「どど万」の請願が採択される(教育関係の請願としては令和初!)という快挙を果たしました。
困難を乗り越えた若者の成功譚を聞く場ではありません。忙しくても経験がなくてもリスキーでも、仲間と「市民する」ための組織づくりについて、様々な環境を言い訳にせずに「市民する」教員の在り方について、一緒に考えませんか?

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問題別分科会3 生徒たちが市民として参加する実践視角

「集団づくり」という言葉
高生研会員の中には、意識的に「集団づくり」という言葉の使用を避けている方が多いのではないだろうか。特に「ベテラン」といわれる教師たち程その傾向がみられるように思う。またおもしろいことに、「若手」といわれる教師たちの方が「集団づくり」という言葉を使用することにあまりためらいがなく、その言葉に含まれるエッセンスに価値を見出しているように思われる。このように世代によって安易に二分して考えることはできないかもしれないが、このような一部の状況を引き受けて次のような問いを導くことができるだろう。それは、「集団づくり」の何をこそ批判し、何をこそ発展させ継承するべきかという問いである。高生研研究指標(1997年)には、「個の成長と集団の発展に着目した『集団づくり』の実践的伝統を引き継ぎ、国家および市場による教育支配に対抗しうる文化・社会・学校を創造する新たな実践の筋道を探る」というものがある。この問題別分科会では、まさにこの研究指標を引き受け、現代における実践の方途を探るというねらいがある。
高生研は発足以来、子どもが「社会」に参加する市民・主体として育つことを目指して、研究や実践を追求してきた組織であるといえる。民主主義という言葉には様々な意味が付与される可能性があるが、ここではそれについての明示は避ける。高生研における議論や機関誌の場でつかわれる民主主義という言葉は「個人の成長と集団の発展の過程で培われる思想と、それを実践することができるちから」という認識に留めておく。
民主主義を実感して主体的に実践するようになるには、様々なかかわりや活動が媒介となることが重要な役割をもつと高生研に集う教師たちは考えてきたと考えられる。子どもへのかかわりや、子どもが参加する活動に対して、教師はどのような構えや視角をもつ必要があるのだろうか。さらにいえば、生徒たちが市民として参加することができるようになるためには、教師としてどのような実践視角を持つべきであるのか。本分科会は、以上の問題意識のもと、「生徒たちが市民として参加する」実践の特徴を捉えることを試みるものである。その際、近年の実践を足がかかりとしつつ、参加者とともに深め合いたい。
本分科会では、「集団づくり」という言葉を歴史的に整理したり、理論的に検討したりすることを目指しているわけではない。「生徒が市民として参加する」うえで重要であると考えられる実践の特徴を捉えることを目指している。そのため、発表者によって紹介することができないその他の多様な実践にかんする知識や、参加者が持っている実践知を結集させて、少しでも今後の展望をひらく議論の機会としたい。

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問題別分科会2 「いじめ・トラブル」を問い合うHR・授業 対話、ケアと「心の傷」をめぐって―渡部実践を元に

渡部のクラスは男子6名となった、定時制高校4年生である。修学旅行前、理科室のドアを開けたままにした、発達課題を持つHに対し、気の短いIが高圧的な態度だったことがわかる。渡部は、Iには、自分と合わない者を排除しようとする傾向が若干あるので、注意を促さなければと思いながら、Iが所属するバドミントン部の顧問に話をした。そして事情がわかる。体育の授業の時もHが毎回ドアを開けっ放しで自分から閉めることがない。Iはバドミントン部で、日頃から風の影響を受ける扉には過敏だとわかる。それぞれの感じ方の違いからトラブルが起きている。渡部は担当する国語表現の授業で、自分の見聞きしたときの感情やそのときの他者の感情を書きださせるシートを作成した。そして渡部が読み上げながら全体に確認していく。生徒たちの話し合いが始まる。Iを初め、生徒たちはHが心配でHのバイトの話しをする。 I「Hさ、バイトやめた時上司に文句言ったんでしょ」「ご飯一緒に食べるような友だちっている?」「Hもさ、何か自分から動いて喜ばせてやりたいと思える友だちつくれよ~」。渡部はHの1年次の作文に書いた、いじめられ体験を寄り添いながら語る。そしてH「クラスの人たちとこういう風に話し合えたの初めてで……なんか、涙が出てきちゃいます」(と涙を流す)。Hはその後の修学旅行で成長を遂げる。
渡部は2人を呼んで個別に注意するということはしないで、クラスみんなの話し合いの課題と位置づけた。定時制で人数が少ないとは言え、渡部のクラスはなぜこうした話し合いができるのだろう。また、トラブルの際に互いの見え方の違いをHRで共有し合うことには、どのような意味があるのだろうか。そして渡部が生徒と相互応答することで立ち上がってくる、生徒の生活世界は渡部と生徒たちに何をもたらすのだろう。彼らの活動(行為、言葉)と認知認識、関係性の変容とその深化について深めたい。一方で、私は大学で学生たちの「いじめ」や虐待被害の酷さとその「心の傷」に長く心を痛めてきた。そして、「いじめ・トラブル」がなくならないにしても、それを「予防」できる学びの活動が必要ではないかと考えた。そこで、認知行動療法を用いて、「いじめ・トラブル」を問い合う授業を非常勤の高校で約6時間実施した。そのなかで彼らは自らの認知のゆがみを考え、互いの認知の違いを問い合い、学び合う。そして最後に、科学的な認知療法の対話スキルを越える、寄り添う応答を発信していくようになる。
渡部のHRの話し合いは、私の授業の問い合いと異なり、そこには活動と関係性をベースにしたリアルな生活指導が行われている。そこから見えるものを確認したい。最後に子どもたちに今増加する、渡部実践のいじめ被害のHと基調のSが抱える「心の傷」(心的外傷)についても、教師の向き合い方を含め提起をしたい。

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問題別分科会1 声にならない声を聴く

虐待、ネグレクト、貧困…様々な事情から親を頼ることができない10代~20代の若者たちを支援する NPO 法人トナリビトでは、若者たちと関係性を築く中で、多くのことを若者たちに教えられ、葛藤を繰り返 しながら若者たちの「声にならない声」を聴く取り組みを続けてきた。

代表の山下祈恵さんは、高校時代、進路選択にあたって、それまでずっと考えていた医学部進学を止め、海外留学を決めた。担任からは「経験もないので進路への助言はできない」と言われ、すべてひとりで手続きを行い、アメリカの大学へ留学した。

帰国後、病院の事務職として就職。働きながら、児童養護施設で家庭教師ボランティアを行う。そこで入所している子どもたちと出会い、想像をはるかに超えてシビアな状況で生きていることを知った。「失敗しても安心して過ごせるおうちが欲しい」と言った子に「そんな場所を、いつかつくるから待っていてね」と言ったものの、自分にいったい何ができるのか、悶々としていた。
そんな時、世界中のスラム街で子ども支援をしているMetro Child Worldの創設者の講演を聴いた。「子どもたちがかわいそうだと、ただべちゃくちゃしておしゃべりするだけの人間に私は疲れました。行動を起こす気がある人だけ、私のところに来てください」という言葉に、「私はぺちゃくちゃおしゃべりするだけの人間だ」と強烈に突き付けられた気がして、講演後、創設者のところに話に行くと「一度、ニューヨークに来なさい」と言われ、3週間後にニューヨークに行く予定があったので、あまり時間が取れなかったが、話ができた。
その後、半年ほど休職し、「本当に自分がこういう問題に関わっていけるのかどうか、そこで見極めたい」と思い、スラム街の子ども支援団体のキャンプトレーニングに参加。「もし喜んでできなかったら、やるべきではない」と。12時間以上働き詰めの毎日だったが、スラムの子どもたちと一緒に過ごすのがすごく楽しくて、満たされた日々だった。

同年(2018年)夏に帰国後、起業準備を始め、2019 年に自立支援シェアハウス「IPPO」を立ち上げ、トナリビトの活動をスタートした。トナリビトでは、親を頼れない子ども・若者を対象に、シェアハウス等の住居支援、緊急シェルターや居場所の提供、公式 LINE や SNS 等での相談対応をメインに普及啓発や支援者育成等を行っている。
トナリビトでは「若者がしてほしくないことに気をつける。若者の主体性を奪わない」ことをスタッフで共有している。共有していることの食い違いから、失敗することもあるが、失敗したら謝ることにしている。謝ってからが「スタート」で、これが学びを作る活動につながっていく。
警察で保護された若者の「引き取り手がない」とトナリビトに連絡が来たりする。様々な生き辛さや家族関係の問題に起因する問題で行き場を失い、社会からはじき出された若者の「居場所」となっている。しかし、行政はこの若者たちの抱える問題に積極的な対応をせず、トナリビトにおまかせの状態である。行き場を失った若者の実態を聞くにつれ、トナリビトだけの若者支援だけでは、解決できない感がある。
そこで、分科会には山下さんとも交流のある岡田行雄さん(熊本大学法学部教授)に助言を求めることにした。岡田さんは、少年法を専門とする研究者である。少年院を訪問し、非行少年たちと日常的に面会を重ね、保護司とも意見交流をしてきた。家庭や社会に起因する非行と呼ばれる行動の背景に、トナリビトがコミットしている。子ども・若者を取り巻く課題が複雑化する今、私たちは若者の「声」にどう向き合っていけばいいのか、ともに考えたい。また、トナリビトの活動に対して、行政機関や教育機関、そして様々な団体がどのような役割を担い、連携していけば子ども・若者の自立支援になるのか、意見交換をしていきたい。

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一般分科会8 [ 授業 〕 「隣人」である東アジアとの関係を問い直す授業

今年の初めに『東京サラダボウル』(NHK)というドラマが話題を呼びました。「ひとびとが無意識のうちに排外思想を抱いてしまうのは……私たちが生きている社会制度のなかに偏見が刷り込まれている」からだと本作の在日外国人社会考証の担当者は言います。だとすればそれを見抜く目を養うのは学校の役割でしょう。
また、小池百合子東京都知事は、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を2017年以降送っていませんが、その理由を聞かれ、事実とデマを並べて「いろいろな史実がある」として誠実には答えていません。ところが、歴史の事実を否定する小池氏の態度は、選挙戦にはほとんど影響を与えていないかのように、昨年の都知事選では、300万票弱(42.8%)を獲得して3選を果たしました。
いまネット上で繰り広げられている論争(論争と言えるほどの内容の深まりはないですが)は、少なくない人々に影響を与えています。私が一番苦々しく思うのは、「事実とデマ」がない交ぜになった「論争」を見て、少なくない人々が片方の主張を鵜呑みにし、また多くの人々が「どっちもどっち論」に陥り、問題の本質を見失ってはいないかということです。高校生も例外ではないでしょう。
国会パブリックビューイングで有名な上西充子さんは「双方の主張を見て、その間を取ろうと考える人は少なくないが、間を取るだけでは、マイノリティー側が不利になります。そうではなく、互いの主張の根拠はどこにあるのか、よりまっとうなのはどちらなのか、一歩踏み込んで判断してほしい」と言います。
さて、本分科会では、「『在日韓国・朝鮮人をはじめとする在日外国人へのヘイト』、『SNSなどによる個人や集団への攻撃』が横行する現在、『隣人』である東アジアの人々や在日外国人に対する『思い込み』・『好ましくない関係』を問い直す授業はどのようにつくれるのか」という問題意識の下に、いくつかの科目で試みた実践を池上聡一さんが報告されます。また、池上さんは、今まで高生研は「様々な個人が対等平等に意見を出し合い相互に承認・成長」していくような実践を目指してきたが、国境・国籍なども越えて「対等平等に相互承認、相互成長する関係」をつくりだすためには、教科学習を通しての知的な学び、事実にもとづく意見交換や「問題」について考える機会が不可欠だと痛感しておられます。
この報告を聞き、このことに関して、目の前の生徒たちはどのような状況なのか、「『思い込み』・『好ましくない関係』を問い直す授業」は如何にすれば可能なのか、参加者の経験や実践も出し合い、考えあいたいと思います。
報告は、社会科の授業実践ですが、社会科の教師とは別の視点での感想・意見は貴重だと考えているので、他教科の方々の参加を大いに歓迎します。

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一般分科会7 [ HR ] 1年間の担任を振り返って

報告者の鳥海さんは、工業科で機械を専門とする初任4年目の教師です。『高校生活指導』の一読者として高生研と出会い、2023年の東京大会では現地実行委員として交流会を企画するなど活躍されてきました。分科会で報告するのは今回がはじめてで、実践記録を書こうと思った動機の一つとして、「担任3年目、最終学年まで持ちあがってきた今、これまでの実践を振り返りたい」という思いを聞かせてくれました。この報告のなかでは、昨年の2学年を担任していたときのことがメインに書かれていますが、さらに時を遡って聴きたくなるような実践を担任1年目から重ねてきました。そんな期待を抱かせる鳥海実践の魅力をいくつか挙げていきます。
魅力その① 生徒に注がれるまなざしの温かさ、柔らかさ
実践記録は、まず勤務校の持つ特色にはじまり、次に生徒像を描いていきますが、学力や生活態度、発達における課題を挙げながらも、目の前の生徒への愛おしさが言葉の端々に溢れています。実際の場面では、この実践の中心人物でもあるリンという生徒と保健室のストーブの前で地べたに座って話をするなど、鳥海さんが無意識にとる行動にも表れています。そのまなざしは、一方通行の慈悲的なものではありません。リンとのやりとりを通して彼女の見ている世界を捉え、鳥海さんがリンの周辺の人間関係を読み替え、さらにはクラスの生徒たちがリンに向けるまなざしをも変えていく出来事につながっていきます。
魅力その② 普遍的な問いを深められる
鳥海さんの書いたリーフレットの紹介文に、「この1年間にどんな意味があったのか、より実践を深めるにはどうしたらいいのか。参加者の皆様と考えたい」とあることから、実践を振り返ったときに納得のいく指導もあれば、「あのときどうすればよかったのだろう」と思う場面もあったのだろうと想像します。この実践ではもう一人、とあるきっかけでカッとなり、ナイフを向けてしまった生徒が登場します。このときの担任としての対応については大いに議論したいところです。
魅力その③ 実践の舞台であるT高校
戦前の昭和初期に開講した工業学校を母体に持つT高校。近年は定員割れがありながらも、学校斡旋で就職する生徒が7割を占めていることから、学校が生徒の進路保障と地域で求められる人材育成の両方を担っていることがわかります。近年、DXハイスクールやSTEAM教育、普通科改革など、少ない教育予算をエリート育成にあてるための競争システムに翻弄され、教師と生徒の他愛もない日常が奪われている学校現場が多いなか、T高校のようないわゆる “ふつうの”工業高校のHR実践はある意味で貴重。これから教師生活を送ろうという人も、もう十分に味わったという人も、幅広い属性や年齢層の参加者と共に、鳥海実践を通して学び合いたいと思います。

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一般分科会6 [不登校] 「親の会」での親と教員の学び及び運営の在り方

「たとえば、学校を鯖に例えてみましょう。
多くの大人たちは『鯖はとっても栄養があって、食べると頭がよくなる』と信じています。だから『食べなさい』と勧めます。子どもが少しためらっていると『食べないと賢くならないから、少しでもいいから食べなさい!』と勧めます。そうすることが大人たちの義務だと信じているからです。
ある子は喜んで食べます。またある子は仕方なく食べます。そんな中、鯖を頑張って食べた子が、腹痛を訴えました。鯖が少し傷んでいたようです。でも大人たちは、原因に気付かず『これはとっても栄養があるから』と、また鯖を食べさせようとします。子どもは『食べられないと恥ずかしい』という思いもあり、少し無理して食べてみますけど、またお腹が痛くなってしまいます。
そんなことを繰り返していると、子どもは鯖を見るだけで脂汗が出たり吐き気がしたりするようになり、少しも食べられないようになります。
大人たちは首をかしげ、対策を話し合います。『どうしたらあの子が鯖を食べるようになるか?』という話し合いです。ごく一部の人はここで気づくのですけど、多くの大人は『鯖を食べないと頭が良くならない。先々生きていけない』とまで思い込んでいますから、自分たちが食べさせようとする鯖がその子にとって危険なものになっていることに、気づくはずもありません。・・・・」
石井嘉寿絵 著『たとえば鯖 不登校・ひきこもり・発達障がい に思う』(2022)より

この分科会では、300回以上「親の会」を運営し、「900人以上の不登校で悩む方々のお話を聴いている」親であり運営委員である石井さんの報告から、団体名「不登校に学ぶ」の「学ぶ」に込められた「学校をよりよい環境に、魅力的なところにしてほしい」、「学校の先生も楽しく過ごせる学校を」という「フレンズネットワーク」の願いを確認し、そうした学校の在り方を考えていきたい。
また、親の会が大切にしている、「受け止める」ということ。「『親の会』の参加者は、一番つらいことは中々話されない、その場が安心して話せる場だと話せることもあるが、本音ではないこともある」と石井さんは言う。「親の会」の運営の在り方を聞き取りながら、「親の会」の存在意義を考えていきたい。その際、上記『たとえば鯖』に著される不登校への捉え方を参加者と共有したい。
そして、定時制に異動になり、これまでの指導法で壁にぶち当たった山本先生が、「フレンズ」に参加することで、最初は「教員の悪い癖が出て」、「悩まれている保護者の方に“アドバイス”や“助言”をしたくなり、」「真逆の空気を作ってしまっていた」が、「親の会に関わらせてもらい、私自身も聴いてもらうことを繰り返すうちに、人の話を聴くことが幾分か出来ているなと思える」ようになった変容、つまり自分の教育観が崩され、自分の教育スタイルを再構築していった過程を参加者と一緒に読み解き、教育と子育てと福祉の繋がり方を考えたい。

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一般分科会5 [ HR ] 見え方のちがいをこえて 授業改善要望書づくり

夜間定時制高校に勤務する渡部のHRでは、3年間HRの中心だった女子Rが退学し、男子6人が4年生に進級した。修学旅行を2週間後に控えるなか、「理科室のドアをだれが閉めるか」でIとHが険悪な雰囲気になる。渡部はそのトラブルを自身が担当する国語表現の授業で「物事の見え方の違いを知って、考えよう」シートを使って、一人ひとりの行動の背景や裏にある感情を読み解くよう促す。シートに書いたことを発表しあうなかで他者の行動の意図や感情のちがいに気づき、お互いの距離が縮まる。自分の体験を積極的に語ったり、人間関係についてのアドバイスをしたりするなど、クラスメイトへの関心が一気に高まり、6人の会話は弾んでいった。こうして迎えた修学旅行では、Hは人生で初めて一人で食事をし、周囲への気遣いもできるようになり、劇的な成長を遂げることができた。
進路も決まった11月、Iの心の中にくすぶっていた数学の授業中への不満が爆発してしまう。渡部は一人ひとりの授業への不満を聴きながら、社会に出る前に、みんなで不当な扱いに対する具体的な声のあげ方を学ぶ絶好の機会と考えた。
生徒たちは渡部と「要望書の書き方」について学び、一緒に作成。そしてIをHRの代表として、数学の授業担当者に要望書を渡すことになる。

定時制4年目、Rの後に残された6人の男子の物語
―バラバラだった男子生徒が団結できたのはなぜ―
級友への関心を素直に表せないまま、積極的に他者と関わろうとせず、ばらばらだった生徒たちが、4年1学期の修学旅行前の国語表現でトラブルを紐解く話し合いの時間を経て、旅行先では親密で濃密な時間を過ごすことができた。
11月のある日、数学の授業でキレてしまったIに共感し、話し合い、結束して教師へ要望書を出せたのはなぜか?どこからそんな力が湧いてきたのか?声を上げること、声の上げ方を学び、生徒たちはどのように変わったか?

生徒が、意見表明ができるようになるまでに必要なこととは?
子どもの権利条約批准から30年がたってようやく「こども基本法」が日本でも制定された。子どもを管理することが優先されがちな学校で、生徒に声の上げ方を教え、意見表明権を行使させることは喫緊の課題である。しかし生徒はすぐに意見表明ができるものではない。生徒が声を上げる主体となるためには何が必要か?渡部実践から学ぶべきは何か?6人が声を上げるような力はどこからきたのか?いつの間にこんなに力を蓄えていたのか?皆さんで渡部実践を読み込んでたくさんの気づきを共有しましょう!!

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一般分科会4 [ HR ] 新しい景色が見えた文化祭

この実践報告「新しい景色が見えた文化祭」は、特別支援学校における文化祭という行事を通じて、教員と生徒、そして学年団全体の「本気」と「信頼」が紡ぎ出した二年間の記録です。その魅力は、教育の現場で起きているリアルな葛藤と、生徒・教員・卒業生・保護者など関わるすべての人との創造のプロセスにあります。
最初の年、「特に大変な学年」と評される生徒たちを前に、学校方針の「演劇から学習発表へ」という転換に直面します。しかし河上さんはそこで妥協せず、「本気は伝染する」という信念をもとに、学年団教員との対話や不安の自己開示、信頼関係の構築から実践をスタートしました。そして、教員だけでなく生徒一人ひとりとも丁寧に向き合い、全員が対等に意見を出し合いながら劇が形づくられていきます。時には学年主任の考えに「NO」と伝える場面や、他の教員の提案に対し自身の不甲斐なさから思わず涙する場面もありましたが、こうした葛藤こそが「本気」の証であり、それが教員や生徒へと広がっていったのです。そうした過程を経て、「青春」というテーマが命を持って輝いていきました。
2年目はさらに深まり、「自己対話」や「人生の物語」という繊細なテーマに挑戦します。より高度なメッセージと構成を目指す中で、脚本の試行錯誤や生徒への細やかな配慮など、教育現場の「難しさ」と「可能性」が色濃く描かれています。
特に印象的なのが、冬美さんや修人さんの姿です。心の葛藤と向き合いながらも、教員や仲間との信頼の中で舞台に立ち、成長していく様子は、まさに教育の核心を示しています。「修人が“修太モード”で面接に挑んだ話」や、「生徒たちが自主的に小演劇をつくったエピソード」など、文化祭が彼らの人生に与えた影響が深く伝わってきます。
この実践の本質は、演劇という手段を通じて、生徒だけでなく教員自身も再構築されていく点にあります。信頼し、委ね、自分の言葉で語り、他者の声に耳を傾ける。その先に「新しい景色」があることを、私たちに実感させてくれる報告です。
この分科会では、河上さんの実践報告を受けて、「本気」や「信頼」をキーワードに、参加者のみなさんが自分の言葉で語り、他者の声を聴き合う場にしたいと考えています。河上さんが生徒に語った、「想いは最初からしっかりとした形で心の中にあるのではない。自分で言葉にすることではじめて具体的になり、行動が変わっていくのだ」という言葉のように、この会でもその場その時の想いを共有し、語り合う中で、参加者同士の化学反応を起こしていければ幸いです。

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一般分科会3 [生徒会] 生徒の意見表明で学校が変わる

なんと、びっくりすることに生徒総会をやらない学校が北海道では増えている。生徒からの意見もない、形骸化していてやっても意味が無い、などが理由らしい。教師も楽だ。でも、これってそもそも規約違反だし、意味が無いなら意味のある生徒総会にすべきだ。山本の実践は三者協議会にはじまり、生徒総会だけでなく、意見や要望書・談話などが飛び交い、生徒の声を思いっきり聞き、要求につなげる。まるで1つの「くに」のような取り組みである。

・ここがいい①「義務を果たして権利を叫べ」じゃないところ
山本の根底にあるものは、「生徒の意見表明は誰に対しても保証されるもの」であり、意見が尊重されているという経験は社会への積極的参加につながるという人権感覚だ。「従順な生徒を作りたがる学校」ではなく、おかしいことは、おかしいと叫ぶ。それは実現しなくてもいい。仲間の要求を聞き、行動することが重要だ。山本は生徒にどんな声をかけ続けたのか。そこを深く追求したい。

・ここがいい②「要求を叫び、成長する生徒」
実践では「女子のソックスも黒と紺を」、「男子の髪型に自由を」、「行事でスマホを使いたい」、「メイクをしたら元気に学校に来れるのに」など、生徒の要求はかわいいというか、すぐに実現できそうな、社会ではごくごく当たり前のことだ。でも学校では簡単に「だめです」となる。生徒会執行部は三者協議会、生徒総会や校長に要望書を提出し、その要求の意味を理論的に展開する。「これからもがつがつ要求を出して新しい学校をつくりたい」(生徒会長のことば)と生徒も変化していく。「どうせ何を言っても変わらないし」とあきらめない学校づくりを学びたい。

・ここがいい③「でも、ちゃんと敵はいる?」
山本は文化祭の新企画を提案するが学年主任は、「もう、決まってる。生徒がワチャワチャするのは苦手だ」と一度は拒否をされるが、「みんなのリアル動物園」(高校生活指導219号)を実現する。「メイクをしたい」という要求は実現しないが服装指導が威圧的でなくなった。「遠足をしたい」も実現はしなかった。「生徒は刺激せず、従順に。生徒会行事はなくす方向で」という教員は多い。実践には書かれていない山本対教員集団の戦い方があるのでは。ぜひ、全国大会で深めましょう。

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一般分科会2 [通信制] 理想の学校への歩み~通信制高校での実践

全日制に勤務されている教職員のみなさんは「通信制高校」(特に広域通信制)にどのようなイメージを持っておられるだろうか? 退職してしばらくたつ私(福永)は定時制勤務が勤続年数の半分以上を占めることもあって、全日制プロパーの方々より通信制高校には好意的な評価をしていたつもりだが、それでも「高校教育の最後の砦」(定時制を辞めた生徒を受け入れてくれる学校)といったいささか短絡的な見方をしていたことは否めない。だが、ここ数年間の清田・丸内両氏との関わりの中で「通信制高校の中に理想の学校があるのではないか」という新たな視点が私の胸中に培われているのも事実である。
清田さんは、熊本市にある通信制高校に勤務されている60代前半の教員であり、丸内さんはその高校の卒業生で現在大学4年生、清田さんの教え子とのこと。両者とも熊本高生研の事務局員として、毎月の学習会(事務局会)では積極的に発言し、「ベテランと最若手の視点」から研究会になくてはならないメンバーとなっている。このレポートは、大きく「教師編」と「生徒編」の二つに分かれており、「理想の学校づくり」に取り組んだ軌跡を詳細に報告している。
もちろん「教師編」と「生徒編」は、本実践の「コインの裏表」である。清田さんは「教師編」の冒頭で、2018年度卒業式の答辞を「通信制高校への偏見が社会の中に顕著に見られ、それを変えてほしい」というメッセージとして捉えたと語る。そしてそのメッセージに心を動かされた後輩たちが、翌年、他の通信制高校に呼びかけ「くまもと通信制高校等スポーツフェスティバル」を立ち上げた(その際、実行委員として関わり、2020年の第2回フェスの実行委員長となるのが丸内さん)。さらに清田さんは「地元紙への投稿」等を通じ、通信制や不登校の現状と課題(さらに展望)を記し、最後に「理想の学校は、風通しの良い学校」と(一応の)結論を述べている。また、丸内さんは「生徒編」で、「なぜ不登校経験者であった自分が通信制高校では主体的に行動できるようになったのか」を率直に述べ、生徒会役員として、イベント実行委員(長)として、どのように取り組んでいったのかを(悩みや挫折も含め)記している。
もう一人の運営責任者(と二人の報告者)とさらに打ち合わせは必要だが、論点(討議の柱)として2点を示す。①清田・丸内の「理想の学校づくり」への評価、②あなたの勤務校での「理想の学校づくり」とは何か、である。「通信制高校の中に理想の学校があるのではないか」という私の疑問(確信?)を崩壊あるいは補強させるような学びを、ぜひこの分科会で体験してもらいたい。そして「教師と教え子が共に作り上げた実践」を論議する分科会として、学び甲斐のある3時間となるよう微力を尽くしたい。      

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一般分科会のお勧め・推しポイント

日本全国、暑い日が続いています。
今年は熊本での全国大会

是非、皆さん、ご参加を。

今日から、一般分科会の概要をこちらの応援ブログに掲載します。(全国会員通信から抜粋しました)

一般分科会1[ HR ] 「単位制高校1年生 初担任の取り組み

小川による実践記録からは、教師にとっての無念と希望が読み取れる。飾らない言葉で、細かな点まで記録されている文章全体を眺めてみると、初担任としての初々しさやたくましさだけでなく、教師としての鋭い観察眼も兼ね備えていると感じられるだろう。
実践の前半部は主に小川が直面した困難や無念さが伝わる内容となっている。単位制高校であるという制度の特性上、生徒らがHR等で交流することができる時間は少ない。小川は「帰ってきてホッとする、安心できる場所」にしたいという願いをもって、意気揚々とHR実践に取り組みはじめる。
そんな中、田中という生徒が長期にわたり欠席を繰り返すようになる。小川は田中の家庭訪問に行きたいと早急に校内の教員らに働きかけるが、そこである困難に直面する。それは、「そこまでしなくていい」というような、生徒へ対するあきらめともとれるような教員らによるまなざしと、空気である。小川はそれに臆することなく、またのまれることもなく、したたかに田中のために、関係する教員らに働きかけ続けた。また、大人だけではなく、HRの田中と関係性がある生徒らにも働きかけ、田中が学校に来やすくなるよう工夫をしていた。幾何の困難を乗り越え、家庭訪問が実現するも、そこには疲れた表情で変わり果てた田中の姿があった。「学校に行きたい」という思いをにじませつつ、ヤングケアラーとして家に縛り付けられているようにも見える田中であった。最終的に田中は退学することとなってしまう。最後に小川が田中の母に伝えた言葉からは、田中に対する小川の思いがあふれている。
後半部からは、トラブルを経験しながらも小川とかかわる生徒らが文化祭に取り組む様子が記されている。大島はかつて不登校となり、過年度生として転入してきた生徒である。大島は、あるトラブルをきっかけに学校に行きたくなくなってしまう。小川は、この状況を打破するべく、恩師から助言をもらいながら生徒にかかわっていく。当事者らを巻き込んで話し合いの機会を設けた結果、険悪な関係にあったようにみえた者同士は関係性が改善したかのようにみえた。しかし、大島は友だちを心の底から信頼できていないことがわかる。そんな中、文化祭準備がはじまる。小川は文化祭準備が停滞する様子を見ながらも、むやみに介入したり、誘導したりしない。生徒の変化の機微を見逃すことなく、言葉をかけながら生徒が立ち上がってくるまでどっしりと構えている。何とか文化祭を満足するものに仕上げられたものの、そこで得られたものは何だったのだろうか。HRといった集団が事実上無いともいえる学校での希望や、教師としての無念さについて、大いに議論し、共に考えていきたい。

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学校に居場所がないと訴える生徒たちにどのように向き合い、実践を紡いでいくか 一般分科会7HRに「居場所がない生徒たちにどうかかわるか」PR

 新任の太田さんが初めて担任となった2年A組。
 1年生の時には「厳しくしつけてきた」ため「お利口」な学年だと自信をもっている持ち上がりの同僚教員。けれども実際は……

「学校へ行きたくない」、「学校をやめたい」、と訴える生徒たち。
 そんな生徒たちとの出会い、対話を通じて太田さんは「学校に居場所がない……」という問題意識を持つようになり、本報告へと結びつきます。
 居場所がないため退学を検討するそれぞれの生徒たちの生き方とどのように向き合い、実践を紡いでいくかを検討することは、まさに生活指導の探求と言えるでしょう。

(上森 さくら)

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一般分科会7 「国語で扱う原発授業~授業の枠組みを考える」

ええーっ、残念やなー。
なんで応援ブログに札埜分科会の紹介がないのよ。

「憲法」のことにしろ「集団的自衛権」のことにしろ、授業でとりあげることさえ「政治的」とか「偏向」とか言われて指弾されそうなご時世ですやん。
そんななか、あえて国語の授業で、進学校での受験圧力ともたたかいながら、「政治的」事象をがんがん扱ってる札埜さんの報告ですよ。

はっきり言ってこの分科会1本参加するだけでも、遠く筑波までいく価値あるってなモンだい。

特に今回は「原発再稼働」の是非を、電力会社の社員さんと反原発運動の活動家の方の両者を教室に招き、生徒たちに問うたもの。
その結果、授業後、「再稼働賛成派」の生徒が増え、いろんな意味で「微妙」な結果と相成った。

討論を仕掛ける際の教師の立ち位置は?
結局、「何が事実か」よりも「伝え方(プレゼンや口のうまさ?)」によって子どもたちは動かされてしまうの?
いえいえ、オープンエンドで考え続ける生徒を育てられたらオールOK?

重ね重ね残念だ。
なんで応援ブログに札埜分科会の紹介がないのよ。

これは当日行って確かめるしかないってか。

(大阪・サトウ)

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問題別第4分科会「福島の問題からコミュニケーションを考える」

 問題別第4分科会「福島の問題からコミュニケーションを考える」担当の内田です。
 福島のことを取り上げる問題別分科会は3回目を迎えます。今回はゲストとして事故前には原発近くの楢葉町に住んでおられ、現在茨城県に在住の森田省一さんに参加していただき、福島の置かれてきた状況を説明していただきます。森田さんには、事故前に集めていた原発で働く人達の声など、現地の方にしかわからないことをお話しいただきます。
 今年の分科会のテーマは、「コミュニケーションを考える」としました。原発の問題を探ってゆき森田さんのお話を伺うと、事故前も、事故後も、復興事業でも、様々なところでコミュニケーション不全と言えるような現象と社会的ハラスメントが見て取れます。それは、今の学校が抱えている問題とリンクしているように見えるのです。今年の基調発題でも議論される学校の中の「壁」、昨年の基調発題論議で取り上げられたゼロトレランスなど、学校の中に現れている問題なことは、コミュニケーションの拒否と言える側面を持ちます。
 そこで、この共通性を議論の俎上に上げ、支配のための“コミュニケーション”について参加者とともに考えたいと計画しています。
 皆様の参加をお待ちしています。
内田 理

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一般分科会3 「HR初任研 ~はじめての学級担任~」PR

大阪の三木です。今回、第3分科会「HR初任研 ~はじめての学級担任~」の運営をし
ます。思い返せば、私も3年前の名古屋大会で初担任の1年を報告しましたが、伊藤さ
んの報告も初担任の1年を振り返ったものです。
36名で始まった1年C組。去年できなかった進級を目標とする留年生のKさん。部活動
の人間関係で悩むYさん。さまざまな課題を抱える生徒たちがいる中で、普段からコ
ミュニケーションを取ることで信頼関係を築くことに努めてきた1年。振り返ってみ
ると、「自分は担任として生徒たちに何がしてやれたのか」という思いを伊藤さんは
感じました。
分科会では伊藤さんが感じた疑問を軸に議論をしたいと思います。教師を目指す学
生さんや若手の先生と「担任ってなんだろう」ということを一緒に考え、ベテランの先
生方と「こういうアイディアもがあるよ」ということを考えられるような分科会にして
いきたいと思います。ぜひ、ご参加ください。

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一般分科会5  判断を揺らし、認識の変容を促す授業

対話・討論・ディベートを通じて生徒を市民に遇しうる授業とは? 森俊二先生の実践(提起)をもとに考える分科会です。

  森先生は、 判断を深める教材を提示して、生徒が対話し応答する授業を仕掛けています。どんな発言でも否定せず、価値の探究に議論の焦点を当てていきます。また「教師が」仮説を提示します。あえて教師が自分の意見をつきだすことで、彼らの判断を生徒間で交差させる。森先生はこの主旨を個々の具体的な判断を明らかにする為(生徒に認識をより揺さぶる為)。またディベートの 2 項対立を乗り越える為だと説明します。

  今報告は社会科(高3現代社会)の実践ですが、授業作りにおける森先生の様々な関わり・仕掛けは、社会科に限られた話に留まりません。話し合いを授業作りの一つの柱として励んでいる先生であれば、自らの実践作りを振り返り、批判的に問い直す契機となるはずです。是非、ご参加下さい。(相良)

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一般分科会1 HRづくり分科会 S君との関わりの中で 大阪・城塚俊彦

 みなさん、こんにちは。城塚俊彦と申します。商大堺高校に赴任したのは7年前。5年前に初担任を持ち、2度卒業生を送りました。今年度は1年生のグローバルコースの担任を持ち、学年副主任・生徒指導学年チーフを担当しています。新入生の担任はまだ2回目なので、担任としても、一教員としてもどれだけのことを教えられたかわからないですが、どうにか1年半を終えることができました。その中で集団づくりをどのようにしていくか、と意気込んでいました。…(大会紀要原稿より)

 ところが、城塚先生、初日からS君に面食らいます。

「始業式の日、朝のHRは当然全員そろって挨拶を。と思っていたが彼(S君)は挨拶終了後10秒ほどして「あ~~~」と大きなあくびをしながら入って来た。「おはよう!早速どうしたねん?寝坊か?」と聞く僕に「いや別に……。教室わからんかったから」と答えた。手には紙パックのジュース「いちごミルク」を持っていた。…(その次の日もチコクしてくるS君)…「おはよう。おい、2日連続やぞ。どういうこと?」と聞くと「いや、別に……」とS君。手には同じく「いちごミルク」。…その日から彼のニックネーム?裏の呼び名は「いちごミルク」になった。そして、LINEで「いちごミルク君、変じゃない」「いちごミルク高校デビュー?」などがグループで書き込みされるようになる。…」(同上)

 S君は、入学にあたってこんな作文を綴っていました。

「落ちると思っていた。別にこの高校にどうしても行きたいって思っていた訳でもない。…小学校はずっといじめを受けていた。学校に行けば靴がなかったり、教科書が破られていたりした。殴られもすれば蹴られることだってあった。…中学では今思うと恥ずかしいくらい、いきがっていたと思う。自業自得。その言葉通りの中学生活。…気付くとまた一人だった。…この作文を読んで同情したりしてほしくない。過去について、別に気にしていない。ただ、書いた。それだけ。それ以上でもそれ以下でもない。」

 こうして、S君とクラスと城塚さんの波瀾万丈の1年間が始まります。S君はどうなったか。お楽しみに!

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問題別分科会3 「クラスに溶け込めるようになるための方法あれこれ」PR

ワークショップ形式の研修会は、教育現場に限らず多くの分野で行われている。私が教師に成り立ての頃は、ワークショップという言葉も知らなかったのではないだろうか。そんな、体を使った(参加者の活動を意図的に盛り込んだ)分科会は、いつの間にか市民権を得ている。もちろん、その効果に理由があっての内容となっているのだが、大方、参加者はその進行にあまり口出しできないことになっている。ファシリテーターといわれる<介入・促進者>があらかじめ描いた内容に即する進行にならざるをえない。

 

私は、どうもこの「とってつけられたような」進行が苦手だ。「はい、今からお互いに<話し手>と<聞き手>に分かれて、自己紹介をしあってください!」とファシリテーターは言う。まあ、それなりに従い、自己紹介をやり合う。特段、嫌な感じもしない。むしろ、真剣に相手に<傾聴>されるので安心感はある。問題は、その先の話し合いのテーマである。そこにはどうしても「とってつけた感」丸出しの内容になってしまう。

 

高生研では、大阪を中心とした「おまかせHR研究会」が、<行商>と称したワークショップを全国各地で展開している。私もそれには参加したことがあるのだが、このワークショップは上記の「とってつけた感」がかなり薄まっている。そもそも、話し合いの内容が教師に卑近なものであるからだろう。ただ、「薄まっている」というのは、「とってつけた感」が0にはなっていないということだ。つまり、その会で身につけようとする参加者の目的と、運営側が狙う意図と、ずれがあったり、あるいはずれがなくても狙いが見えなかったりすることによるものだと思う。

 

そもそも私は、身を任せるということが苦手な人間なのかも知れない。

 

さて、前置きが長くなった。久田さんが提起する問題別の分科会である。

想定されているのは、教師の教室での身のこなしや、生徒間での話し合いがどのように成立するのかを深めたいと考える参加者だろう。紀要原稿を見るに、ワークショップのような進行場面があるものの、すべてがそのワークショップに終始するものではない。むしろ、その合間や後に行う考察や協議の題材になるもので、「とってつけた感」が(仮に)あったとしてつきまとうものではない。さらに言えば、そのワークショップは、極めて旧来の高生研の分科会進行的な要素を持っているのではないかと感じた。古いというのではない。アプローチや進め方は決して押しつけがましくなく、行動心理にも相応ているものだと思う。それはあたかも、「おまかせHR研究会」がHow toといいながらワークショップの中から100連発を引き出していく手法にも通じているし、討議づくりを訓練論の理論の中から紡いでいるようにも感じる。

 

真価は全国大会にて明かされます。多くの方の参加をお待ちしています。

 

<文責  アンドウ@みえ>

 

 

 

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一般分科会>第4分科会「細腕学年主任奮闘記 season Ⅰ~Ⅱ」PRその2

■みなさん、こんにちは。首藤です。第4分科会「細腕学年主任奮闘記」の運営をし
ます。すでに藤本さんが概要をブログにアップされています。
私もこの3月まで学年主任をして卒業生を送り出しました。照屋さんも「心がけたこ
と」を書いておられますが、全体として共感するところ大でした。
思えば学年主任とはどんな役回りなのでしょうか。自分をふりかえってみれば、あれ
もやりたいこれもやりたいとずいぶん引き回してしまった感があります。
うまくいったこともあればそうでないことも・・・。担任団との協働をどうつくりだ
し、学校全体の調整をどうはかっていくか、なかなか難しいところもあります。
照屋さんの実践は生徒会の運動ともつながって「学校づくり」という視点でもたいへ
ん興味深い報告です。楽しみです。