『「ケアの倫理」と「コミュニケーション」から実践の課題を探る』分科会担当、埼玉の内田です。分科会に関する紹介を何回かに分けて投稿します。
この分科会は、理論研究グループで「学校の息苦しさ」について何か取り上げられないか、ということから始まっています。
「息苦しさ」の元は何にか?
「生活指導の課題は何?」という問題関心がそれに絡みます。
高生研は高校の生活指導の実践研究をしているところですが、生活指導が何を意味することなのか、現状の問題に対してどのような実践の方向性を示せているのか、あまりはっきりしていないのでは、という問題意識が担当者にありました。2015年に、高生研の生みの親のひとりでもある、竹内常一氏が「新・生活指導の理論」を書かれ、その中に「ケアの倫理」という言葉が出てくるわけです。また、そこには「他者の我有化」の問題が指摘されています。
「ケアの倫理」って何?「我有化」って何?
「ケアの倫理」については、全国大会に何度か来ていただいている政治哲学者岡野八代さんが、「フェミニズムの政治学」のなかで詳しく書いています。その中に、リベラリズムへのフェミニズムからの批判の論点が詳しく書かれ、ハンナ・アーレントの自由とコミュニケーションに関する主張が解説されていました。
担当者は、もともと生活指導とコミュニケーションの問題に関心があり、つくば大会(2014年)で問題別分科会「福島の現状からコミュニケーションの問題を考える」をつくっていました。そして息苦しさの背後には、ハラスメントなコミュニケーションがあると推測しています。
そこで、フェミニズムからのリベラリズム批判の論点、ケアの倫理、コミュニケーションの原理とハラスメントをつなげて、現状における生活指導の課題を参加者とともに考えたいと、企んだわけです。
この3つをつなげるなどという、無謀なというか身の程知らずな試みが成功するかは分かりませんが、担当者の提起を材料に、参加者の皆さんと議論したいと思っています。その材料として、ここ数年の基調発題から、関わる部分を取り出して検討します。(つづく) 埼玉県・内田理