久田晴生
私には、多くのテレビ番組を予約録画して夜中こっそり一人で鑑賞するという、暗い趣味があります。その中で今一番興味を持っている番組が『総合診療医・ドクターG』です。総合診療医が実際に出会った症例を、NHKが再現ドラマ化し、3名の研修医がそれを見て病名を突き止めるという科学教養番組です。医師が患者や家族から聞き出したこと、患者のちょっとした症状、バイタルデータといったものをもとにして病気の真の原因にたどり着くさまは、まるで推理ドラマを見ているようです。
いきなり何故こんなことを書いたかというと、この番組を見るたびに、高生研大会での実践分析に共通するものを感じるからです。
研修医たちは、再現ドラマの中で出てくる症例を説明しようと、かれの持つ膨大な知識から病名を選び取っていきます。それに対して総合診療医は、「このような高熱が出るのはなぜ?」「その前兆はなかったか」「手足の脱力が意味しているものは何?」等々、研修医がその病名を上げるに至った根拠とその是非を問うていきます。そして、症例を矛盾なく説明できた時、答にたどり着き、最後にその患者へのケアを考えます。
私たちが教育実践を分析するときも同様です。「なぜA君は担任の指示を無視したのか」「彼がそのような行動を取るようになるまでに何があったのか」「彼が急に怒り出したのは何を意味しているのか」…
かれら研修医と同様に、私たちも教育の場で日々問が突きつけられているのです。
今大会の問題別分科会「実践分析…」を設定したのは、私たちが「分析」の根拠にしているものを、あらためて考えてみたいと思ったからです。
医師たちは、膨大な科学的知見を根拠に症例を分析していきます。「教育では、医学のように原因と結果が直結するとは限らない」という反論があろうかと思いますが、それでもなお「分析の根拠となるものがあるはずだ。単なる経験から分析しているのではないはず。」と、私は考えるのです。
これまでこのブログで高生研の意義について述べてきました。それをざっとまとめると、1つは自助グループとしての意義、2つは実践を出し合い聞き合うことであらたな実践へつなげていくという意義です。しかしここまでなら、他の民間教育団体、多くの民主的な運動を進めている団体にも当てはまることです。
そしてもう1つの意義、それこそが高生研を高生研たらしめているものと思っています。それが、私たちが分析の根拠にしているものにあると、私は考えているのです。
問題別分科会で議論しましょう。