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8月9日に思う

8月9日と言えば、言わずと知れた長崎原爆の日です。
私の住む沖縄は、太平洋戦争時、地上戦が行われたこともあって
平和の関連行事が多い土地柄ですが、
同じように長崎・広島でも、原爆と関連して
平和について考える機会が多いそうです。
では、それ以外の土地では?
被害を受けた方が身近にいないと、どうしても見方は客観的になり
「肌感覚」でその痛みを意識することは難しいのかもしれません。
しかし、「被曝」という言葉が過去のものになりかけていた昨年、
またしても、唯一の「被爆国」と呼ばれるこの日本で
多くの「被爆者」を出すことになってしまいました。
「被曝」がどれほどに恐ろしいことなのか
六十数年間、毎年、訴え続けてきた長崎・広島の声が
「絵空事」かのように、思われていたような気がしてなりません。
広島で行われた今年の平和祈念式典に、
福島県浪江町の町長が参加したことが話題になりました。
広島の被爆者団体の方から
「みんな内部被曝している。
 それはとても恐ろしいことだ。
 しっかりと対処すなければならない」と聞き
改めて、被曝の重大さに思いを馳せたと報道されていました。
何を今更、と思う方も多いかと思いますが
日本国中で、同じように思っていた、
いえ、今も思っているのが現状ではないかと感じます。
私たちが一生のうちに経験することは、
全世界の悲劇のほんの一部にしか過ぎないかもしれない。
だけれども、全世界の悲劇を、
自分のものとして真摯に考える当事者性を持つことで
少しでもその悲劇は減らせるかもしれない。
明日から始まる全国大会の全体会2において
私が話したいのは、そんな「当事者性」の話です。
沖縄:伊藤

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