校内(校舎内じゃない敷地内)の喫煙場所で校長に「山びこ学校」の話しをしたら、校長も読んだことがあり、「遠い山びこ」佐野眞一(2007年新潮文庫)も読んだと言うので借りた。それも読んでから機関誌の原稿を書いた。
私は教師35年目であるが、学校の中枢の仕事をしたことはない。主任の経験は一度もない。今の学校で特別支援教育コーディネーターとなり、学校の内側と外側をつなぐ役割を得たが残念ながら先生方のニーズがなく、またはニーズを引き出すことができなかった。そこで校長が新たに「広報係」という分掌をつくって私を係長に据えた。何をしているかというと、地元新聞社に連絡して生徒たちの活動を新聞に掲載してもらう仕事だ。学校の宣伝のためじゃない。生徒の表情や言葉を取材してもらって、生徒たちに知らせるためだ。すでに4回生徒たちの活動が新聞掲載された。若くて遠慮のない新聞記者が「暑気払いでもどうですか」と言うので、言葉だけに終わらせるなんていうもったないことはぜす、校長、私、若い新聞記者の4名で懇親した。外の世界の人と交流するのは刺激的だ。私たちも新聞記者を刺激した。ギブアンドテイク。そのとき校長には「遠い山びこ」を借りたお礼に、新聞記者には「いま高校教育の何が問題か」を知ってもらうために、機関誌を贈呈した。
次の取材依頼文をもう書いた。今度あるNPO法人の主催で南三陸町にボランティア活動に出かける。教員複数名と生徒超複数名。私たち教員は引率者ではなく、同行者である。形式的には学校はかかわらない。しかし、学校という場があり、そこに震災ボランティアや学校の広報に関心をもつ教員がいるから、生徒たちもこのような活動を知るのだし、安心感と同時に意欲も高めつつ参加できる。教員の仕事ではないが学校という場がるからこそ可能な市民の仕事である。
そういう外と内の仕事の境界にある仕事をできることに私は誇りを感じている。職場には少ない労働組合員がいるが、蓄えられた分会の貯蓄をこの活動に支出することにも同意してもらった。
○○○にもこの活動を理解してもらっている。