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学校の「国際化」

 火曜日の夜、公民館の一室に、日本語を学ぶ外国籍の母親と一緒に、幼稚園から高校までの子ども達が公民館にやってきます。日本語を学ぶのは、当初は、中国帰国家族でしたが、今は、中国やフィリピンなどからのお嫁さんがほとんどです。お母さんの都合で、言葉も知らず友達もいない日本に突然来た連れ子の戸惑いは気の毒なほどです。その上、学校になじめずいじめもあります。もちろん、日本で生まれた子ども達もいます。日本語教室では、日常生活にも関わって支援してきました。その結果、子供たちは元気に学校へ通っています。
 問題は学校の勉強です。日常会話はすぐできますが、「学習言語」となると大変です。学校の先生は、子ども達がおしゃべり上手だから勉強にもついてこられる、と誤解をしてしまいます。「先生は、勉強に関係ないことをしゃべって、何言ってるか分からない。」と言う子がいました。先生の言う冗談が理解できないのです。
 そして、高校入試があります。20年ほど前は、定時制しか行けなかったのですが、今は、一般入試で合格するようになりました。工業高校や商業高校、普通高校、ついには進学校にまで入るようになりました。東京外大に入り、「日中の架け橋になる」と頑張っている子もいます。その子たちは、小学校から日本語教室に通っていました。小学校の頃、日本語を上手に話すから学ばせる必要がない、と言われて来なくなった子も、高校に入ってからどうも勉強が分からない、というので話してみると、小学校3~4年生の頃の言葉が抜けていると言います。今、大学進学を目指して、また通ってきています。改めて言葉の基礎の大切さを知りました。
 実際、どの子の親が外国人なのか、分かりません。見るからに「外国人」という子は少なく、アジア系の親の場合、顔や名前で判断できない場合が多いです。特に、お母さんが外国人の場合は、子供と密接に関わりながら言葉を伝えられない、という点で子供は難しい状況に置かれます。日本人にとって当たり前な言葉が伝えられていません。母親はチラシが読めず、風習が分からないので子供に無関心な親のように見えます。ある小学校では、それまで日本語指導を必要とする子供はいない、としていたそうですが、詳しく再調査したら十数人いたそうです。ちょっと変わった子、勉強の出来ない子、親が無関心な子、という風に理解されていたそうです。現在は補助員が付き、勉強の世話だけではなく、学校の通知の説明なども親にしています。
 では、高校ではどうでしょうか。今はあまり家庭に関わらない時代で、そのことにより、多くのことが見えなくなってはいないでしょうか。昔は、夏休み中までにクラス全員の家庭訪問をすることが当然とされていました。時代の変化と言えばそれまでですが、担任が生徒の家庭に関心を持たなくなったことは正しいのでしょうか。学校でみせる生徒の姿で判断していないでしょうか。教師と保護者が仲良く出来ればよいのですが、教師側が拒んでいるような気がします。先の小学校のように、「変わった生徒」の本当の姿を知らなかった、ということはないでしょうか。
 以上は、外国人が少ない秋田の話です。愛知、神奈川、東京、静岡、大阪はそうした児童生徒の多いベスト5です。そこではまた違った問題がありますが、日本国中、いない地域はありません。身近な「国際化」への対応が、どこの学校・教師にも求められているのです。しかも、英語では対応できません。      とらぬ狸@秋田

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