ここに本当の主権者教育があるのではないか?
「村岡高校のような学校で、学んでみたかった」「彼・彼女らの表情やまなざしが、3年間で大きく変わっていった」「私から見れば『地域の隠された魅力』というのは、村高そのもので」あった。これは、地域探求の授業に3年間かかわったある鳥取大学の教員のことばである。この大学教員にこう言わしめる村岡高校とはどういう学校なのだろうか?
A「私は香美(かみ)町職員となって香美町の課題に真正面向き合って活性化に貢献したい」「将来教員として地域と学校へのつなぎ役として恩返ししたい」
B「大学を卒業して地元に帰ってくる。私の地域活性化案実行に移したい」
C「大学に進学し村岡を外から見ることになる。村岡に何ができるかを見つけ出し、地元に恩返しをしたい」
D「教員になり、地域をつくる後輩を育てたい」
E「この3年間は人生を大きく変えた。地域の状況を知り、地元に返ってきて地域の活性化に活躍したい」
一つひとつが卒業生たちの声である。
かつて、兵庫県北部の但馬(たじま)の地で活躍した教育者東井義雄氏は「村を捨てる学力」ではなく「村を育てる学力」の必要性を説いた。これらは、村岡高校が「村を育てる学力」を生み出していることを証明する。
「村を育てる学力」を彼・彼女らの中に生み出すために、今井さんたちはどのようなしくみをつくりあげただろうか?そのしくみの何が生徒たちに変化を生み出したのだろうか?なぜ彼・彼女らは地域を愛するようになったのか?
村岡高校の実践は、過疎地だからできたのではないと思う。真に若者に必要な学力とは何か?そのために必要なしくみは何か?主権者教育としてとらえ直しながら、ともに考えたい。(運営担当 藤本幹人)