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学ぶ意欲が伝わった大学生たちの授業検討会

 私の勤務校では「学びの共同体」による授業改革・学校改革をおこなって4年目になります。数年前、大阪の全国大会でその状況報告をしました。学びから疎外されてきた生徒たちが学ぶことへの意欲をもつようになってきた実感はあります。今日は「学びの共同体」のもうひとつの側面、教師の「同僚性の構築」に関して近況を報告します。
 「学びの共同体」には「ひとり残らず教師の成長を保障する」という理念があります。その理念を実現するしくみとして本校では教員を6つのグループに分けて、どのグループも学期に1回は授業検討会を実施しています。他のグループの検討会にも出入りできるので、やる気があればたくさんの検討会に参加できます。6月はこの検討会5回と全校あげての公開授業研究会(注)があります。
 授業検討会は教師の指導の巧拙を云々するのではなく、生徒の「学びの事実」に焦点を当てた対話的な場を追究して実施しています。4年目に入って教師の世界も「学びの共同体」になったと言いたいところですが、人事異動による入れ替わりや同僚への必要以上の配慮もあり、断言はできません。でも、フツーの高校にはないOJTであることには間違いありません。
 そんななか6月6日(水)の午後、県立大学の学生22名が大学の教員3名といっしょに本校の授業を観察して、その後、授業検討会をおこないました。3月に福井大学教職大学院の研究会に参加して知り合った県立大学の准教授との間でトントンと進んだ企画です。
1年生の現代文の授業を観察した後に、学生たちと90分の授業検討会を実施しました。グループ討論で出された意見や疑問に授業者である本校の教員Sさんが一つひとつ丁寧に応答しました。世話役として検討会に参加していた私はやりとりを聴いてあらためて新鮮な気分で学ぶことができました。
 学生の授業観察の細やかさに感心するとともに、彼らの「学ぼう」「教えてもらおう」という意欲の高さに驚きました。「グループになったときに、先生の指示と違うことをしていた子がいた」「グループ内でできた子のものを写しているだけの子がいた。プリントを提出させないのか?」「おとなしい生徒への働きかけはできていたのか?」など意見や質問がどんどん出てきました。また、「グループ学習をする前に、個人で考える時間が必要ではないか?」という核心に触れるような疑問も出されました。以下、学生の発言で私が感心させられたことを箇条書きします。
・(授業の冒頭に示された)「メニュー」(授業の流れ)は新鮮だった。
・大学での経験で6人のグループではお客さんになる人もいるが、4人のグループだと対角線で話し合うため、しっかりと話し合える。
・文法のようにあらかじめ決まった世界の内容にもグループ学習は有効か?
・グループの意見を全体で共有するときに机を「コの字型」に戻されたのはどういう意味か?
・4人グループは笑顔で話している。一斉授業は身体がこわばっている。
・先生と生徒のやりとりが和気藹々としていた。「学びの共同体」は信頼関係がないとできないと思う。
・4人グループにしたときに机がズレている生徒は「問題」を抱えている生徒のようだ。
 後に学生たちが書いたレポートが送られてくるというので楽しみです。参加された教授から教職課程の授業でもぜひこの企画をやってみたいという話もありました。このような意見が飛び交う研究会が当たり前になるような開かれた学校になることを願っています。
(注)6月17日(日) 公開授業、研究授業、佐藤学さんの講演「高校における『学びの共同体』の創造」、授業検討会 詳細は本校のHP
 滋賀 夏原常明

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授業中に笑うと・・

学校が強権的、圧力的になっているのが顕著になっています。
先日、同僚の若い先生が生徒を授業中にダジャレを言って笑わせようとしたら、笑わないので、聞くと「授業中に笑うと、授業態度が悪いと評価されるので、笑わない」と何人かの生徒に言われたそうです。
笑えない話です(笑)。
先の組合の定期大会で、学校協議会で有名な学校から職員会議で議論がなくなり、管理職に反対の意見を言うと翌年転勤させられるという、耳を疑う発言も出ました。
埼玉東部でもそうですが、職員会議の提出議案はすべて企画委員会に事前に提出し、審査され、職員会議は採決がないどころか、実質説明と質問のみという学校も少なくないでしょう。
生徒会の文化祭の原案を審議するHR委員会(中央委員会)でも、ほおっておくと、もう決められたこととして生徒はとらえ、修正したり、反対意見を出すことはありません。
民主主義は反対意見、対立意見があるときこそ参加者するメンバーの意見が届き、活性化するものです。
東京大会の全体講演は「今、市民像・民主主義像を問い直す~多層的な熟議民主主義とシティズンシップ~」です。
「熟議民主主義」では現代を再帰的近代としてとらえます。再帰性とは価値や判断が問い直され吟味されることです。
再帰的近代では個人に判断や行動がゆだねられるため、社会は個人化し私的な意見が蔓延します。
その結果、再帰的近代にあっては「政治」が衰退するととらえます。
私たちは民主主義はともすれば、多数決や代表制のイメージが強いのではないかと思います。
熟議民主主義は個人の見解の変容を重視します。他者との対話を通して自己をとらえ直すイメージです。
そして熟議民主主義で個人は「市民」になるとい言います。
対話と「政治」をつなげたイメージが「熟議民主主義」ではないかと思います。
田村さんは新進気鋭の若手の政治学者です。
「熟議民主主義」と高生研の実践・理論をどうつなげるか、指定討論者も2名発言します。
皆さん、是非同僚・仲間を誘って、大会に参加しましょう。
埼玉 森 俊二

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部活教師の悩み

大会担当なのに大会以外のことを書きます。
毎年この時期は授業をカットして保護者面談を実施しています。そして、担任以外の先生は、企業や中学校への挨拶回りと、この期間を有効(?)に活用します。
しかし、部活教師の私としては大きな悩みを同時に抱えます。この時期というのは、高校総体の予選(県大会)が実施される時期でもあるからです。授業は半日なので、練習時間は確保できるのですが顧問(私)は出られません。かつては、自分のクラスだけ面談の時期をずらしていたこともあったのですが、転勤したばかりの学校ではそれもちょっと・・・。
そんな訳で、3年生最後の練習をほとんど直接見ること無しに試合に臨むことになります。まあ、見たからと言って結果が大きく変わるかというと、必ずしもそうではないのでしょうが、それでも選手(特に3年生)には気の毒な気がします。そして、彼らは「最後の練習に先生は来てくれなかった・・・」という印象を持って散って行くわけです。
もちろん、最後の印象でそれまでが全てご破算になってしまうような関わり方はしていないつもりですが、やはり最後はもうちょっと濃い感じで終わりたいですよね・・・  
                                        片桐哲郎

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地域で生きる若者、高校生(4)~「通い住民」という考え方~

 そろそろ高生研らしい話題をしなくてはと考えつつ、このブログの題材を探しているのだが、ここ1週間は一つどころに落ち着くこともできず、実習巡回の保育園回りと学会の東京出張であっという間にすぎてしまった。
 私の今の生活スタイルは典型的な「職住接近」である。同じ地区に私の勤める大学もある。その割には住み始めて三カ月もたつのに地域行事の一つも出てないので、そのメリットはあまり活かせてないかもしれない。と、いうのも私がいる地区が新しいまちで、回覧板など日常的なコミュニケーションツールはまだこれからという状況からである。
 さて、私の所属する学科の学生は半数近くを近くの大都市出身(在住)で占められている。近隣市町を含めてこの大学を「地元」と言える学生はおそらく2割もいないであろう。また、一人暮らしの学生も2割ほどいるが、新しいまちであるが故、日常的には住民とのつながりはほとんどないようである。
 しかし、まちの教育関係者からするとわが大学はある意味「顔なじみ」である。それは通学合宿や障がい児支援をはじめ、地域教育がかなり活性化されているわがまちでは、わが大学、特に教員養成を行うわが学科の学生のほぼ全員がどこかのボランティアに関わっており、サークルをしながらの複数のボランティアのかけもちもめずらしくないのである。
今日、巡回指導で訪れた保育園で、子どもへの関わり方について園長がとても感心してくださっていた。私がボランティアの話を紹介すると、「大事だよねえ。現場では勉強ばっかりで頭でっかちよりも、フットワークの軽い方が保育士としては当然、役にたつからね」と一言。また、昨日の酒席では、私の研究室の先輩であるまちの社会教育主事も「子どもに関わることで、地域も学生も、子どもと一緒に変わるんだよな」と言ってくれ、現場レベルでの大学との連携の意義を強調してくれた。
 高校も大学区になって久しい。あちこちのまちから生徒が集まっては、授業終了のチャイムとともに雲の子を散らすようにいなくなる学校も珍しくない。大人のみなさん、ぜひ、通い婚ならぬ「通い住民」として、地域の学校に通う高校生や学生を社会参加させる機会を考えてみませんか?教員のみなさんは、声をかけてくれる貴重な住民の方々の受け入れ態勢を。そんなたいそうなことはいらないでしょう。基本的には「お任せ」し、生徒・学生の活躍の場となおらいの「酒席」に顔見せする。そうしているうちに、あなたも立派な「通い住民」になれますよ。
                                         (北海道高生研 井上)

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『オウム真理教の真実』より

 5月26日(第1,2回)、27日(第3回)に放映された『NHKスペシャル・未解決事件02
 オウム真理教17年目の真実』を見た。死刑が確定した教団幹部の手紙、麻原演説を記
録した膨大な量のテープ、NHK独自の取材、こういったものをもとに、ドラマ仕立て
でオウム真理教とは何だったのかを追求するドキュメンタリーである。
 ドラマ(第1,2回)は、一人のNHK記者が今は夫婦になっている二人の元信者から当
時の状況を聞くという展開になっていて、信者が信じるところの「救済」が、いつから
「武装化」に転じたのかを問うことがポイントである。ドラマでは、一人の信者が修行
中偶発的に事故死したことを麻原の指示で隠蔽したこと、及びその翌年、脱会を図る信
者をやはり麻原の指示で殺したこと、この2つをきっかけに、「救済」の名のもとで人
殺し(ポア)を容認するという方向へ舵を切ったのではないかと推理している。一方、
第3回では、元幹部の上祐の証言、教団の出版物、前述のテープなどを通して、教団設
立当初から、麻原は武装化を企図していたと分析する。私が注目したのは実は、この武
装化の時期の問題ではなく、「救済」そのものに潜む落とし穴についてである。
 世の中には、困っている人、悩んでいる人を「救済」する様々な「宗教」や「ビジネ
ス」がある。「ビジネス」はともかくとして、宗教はそもそも救済することを目的とす
るものだと思うのだが、そこはくわしい人に譲るとして、私が問題にしたいのは、「救
済」の名の下、人の弱さにつけ込むことの危うさである。同番組のドラマ部分でも、一
人の若い女性が、仕事上の悩みがきっかけとなってオウムに入り、修業によって達成感
を得て、オウムに「救済」された、と感じる。
 翻って、高生研でも、2009年の基調で礒山さんが「〈弱さ〉で支え合う関係を学校に
」と題して、「弱さを自覚した子どもたちと自分の無力さを自覚した教師がケアと癒し
を含み込んだ応答的な場」として学校を再構築する必要性を説いた。聞く人によっては
、これは、人の弱さにつけ込んだ「ビジネス」「宗教」とも受け取られかねない。例え
ば、悩みを抱えた生徒や教師がいて、その場に居合わせた善良な教師がその悩みを解決
してあげたいと考えたとしよう。その瞬間、その教師は「麻原」ではなかろうか。悩む
者とそれを解決してあげる者という一方向的な関係しか、そこにはないからである。こ
こに「救済」の落とし穴があると、私は考える。
 では、どこに着目し、どう実践することで「救済」の落とし穴にはまらないですむの
か。
 前述の元信者は、オウムが武装化していることを知り、オウムに疑問を呈するように
なる。その都度マインドコントロールされ、抜け出せずにいたのだが、地下鉄サリン事
件がおき、その直後、ついに脱出する。つまり、疑問を呈するという主体性を残してい
たことが、皮肉なことに、彼女自身を救うことになったのである。
 これまで高生研は、予定調和的な「団結」に懐疑の目を向けてきた。「子どもは無垢
で善良」という楽観主義的な子ども観を排してきた。「文化祭で優勝しよう!」という
ような物取り実践を否定してきた。また、班とは「矛盾を顕在化させる装置」と定義し
たこともあった。つまり、集団の中で個々の主体性が保障されていることが必要で、そ
こで生じる矛盾・対立を敢えて引き受けることで、集団の発展があると考えてきたので
ある。平たく言えば「文句が言える」場の保障である。つまり、「救済」に関して言え
ば、「あなたの悩みを私が解決してあげる」という関係を作るのではなく、悩みを悩み
として、疑問を疑問として出せる場を保障し、その解決に向けてともに考え、実践して
いく。その際、矛盾対立が起きることも、悩む者・聴く者双方が自己変革を迫られるこ
とも辞さない、ということである。礒山さんがいう「応答的な場」には、そんな意味が
含まれているように思う。
 オウムの問題は、ただの狂信的な集団の犯罪としてみるのではなく、集団というもの
が潜在的に持っている陥穽に対する警鐘としてみる、この番組を見て、私はそう受け取
った。
 追伸。番組の中でもう一つ面白い指摘があった。それは、麻原が信者を洗脳する手口
が、学校で教師が生徒に発問し正解にたどり着かせる指導法と酷似しているというもの
である。「学ぶ」とはどういうことか。改めて考え直す必要があると思った。
久田晴生

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遠足でキュン【♡】

 遠足とは何ぞや?
 昨日の学年会議のレジュメに、一昨日行われた
 高校最後の遠足の総括を生徒に促すようにとの、
 一項目がありました。
 議長が集合して、学年協議会で論議をして、それを
 再びHRで議論し…を学年主任会議が指導した今回の行事。
 うちのクラスの遠足は、主任から「直前に行き先が変わるなんて、
 計画性が…」と議長がお叱りを受けましたが、
 担任も副担も、参加した生徒はおそらくみんな、きっとそれなりに
 楽しめました。それなりに、というのが、生徒同士の気遣いの
 結果かと思います。
 楽しい思い出を!!というより、居心地の悪い思いをする人が
 いないように!
 4月に組替えして、テスト直後の年度最初の
 生徒主体企画・運営行事。
 そんな気遣いを感じた一日でした。
 
 まず、「アウトドアなら、ウチらに任せて料理選手権」の開催
 (担任&副担主催)を発表し、班内のメニューや材料調達の議論を
 通じて、関係を築かせる仕掛け。
DSC_0028.jpg
 議長&レク係の「奮闘」(主には校内での協議・調整)で、湖畔の
 雨天対応のベストプレイス&プライスのBBQグッズレンタル店の
 予約も完了。
 当日、担任&副担のサプライズで賞状と賞品、全員分の参加賞
 を用意していったのですが、サプライズは生徒のほうが数段上。
 これがBBQで?というような煮込み料理やトッピング充実の
 デザートまで登場、審査に苦労しました。
 さらに、「これは審査対象ではありません。審査の一皿まで、
 先生がお腹、空いてはらへんかなーという『気遣い』です
。」 
 と料理を差し入れに来る班も。(ワイロ??)
 ヨット部の生徒がいて、雲と風向きを読めたため、
 にわか雨の合間を縫ってのレクも順調に進行。
 
 ほかにも、みんなに知られていない得意技を披露できた
 生徒が何人もでました。
(レクは、自分たちで歌いながらマイムマイムやったんですよー♪)
 精算・片づけもスムーズでした。
 そして表彰式。
 担任・副担・議長のそれぞれが賞を授与、無事帰途につきました。
 私たち教員にとって、一番うれしかったのは、
 最後にクラス集合写真をとって解散のはずが、解散の指示のあと、
 班ごとに写真を撮り始めたこと。
 担任・副担とも20年以上の教員生活で初めてのこと。
 キュンとなりました。
 遠足でキュン、いいもん、見せてもらいました。
 しばらく、がんばれそう☆
DSC_0004.jpg
 京都 岸田康子

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サッカー岡田監督に学ぶ

 NHKプロフェッショナル仕事の流儀5月21日放送【日本代表から、中国へサッカー岡田武史監督初密着!チーム舞台裏W杯、敗戦と挫折】のテレビを見た。
 勝つための戦術を教えるのではなく、選手たちが戦術を考えてチームとしてどのように戦うかを決めていくことが重要という課題は、生徒達を指導する場合も、示唆に富んだ重要な指摘だと感じた。勝つための戦術優先ではなく、自発的に選手たちが問題点に気付いていくことが重要で、それをもとにチームのメンバーで戦術を相談し、決定していくプロセスを大切にしている。受け身では成長しないと岡田監督は言っている。
 われわれも、様々な環境の中で育った生徒たちを抱えて「十八才を市民に」と取り組んでいるが、課題はさまざまである。彼らが自分で気づき、取り組むことがもっとも重要なのではないかと改めて考えた。
 大人との関係が作れない
 このごろ、東京の定時制高校の在籍の30~40%が中学時代の不登校経験者である。Aも中学時代不登校経験者で4年生になり、私が課題研究の担当になった。Aは大人との人間関係がうまく作れず、一学期は、かなりAに注意した。Aには言ってやらないと卒業したら社会に適応できないのではないかと言う懸念があった。アルバイト先では、先輩とケンカをして、すぐにやめてしまったということを聞いていた。
 Aは、自分の責任になることを極力さけるのである。たとえば、Aが私に「ここはどうやるのですか」と聞くが教えてやっても自分ではなかなかやろうとしない。教師がやってやると失敗したら教師のせいにできる。また、自分がやって失敗したら、教えた私のせいにする。自分の責任を言われるのがいやで、自分でやらないようにしているのである。結局、自分で判断し行動をし、その責任を取ることをしないのである。また、私にため口で話し、必要なものを持ってくるように頼む。「おれはおまえの担当だが、使いパシリではない」と何度か注意した。私の指導に自分の行動を反省し、冷静になったときに謝ってくることもあった。
 担任の指導もあり、二学期は注意をすることが少なくなったが、二学期の終わりに、最後に指摘したのは、報告書の内容であった。課題研究で取り組んだ課題を決めるとき、楽なものを決めたくて、友達が自分に勧めたものに決めた。結果的には、作るのに時間がかかり、作業も簡単ではなかった。課題研究の報告書の「はじめに」のところで、この課題を選び、大変だったのは友達Bのせいであると書いてきたのである。私は「君は友達を無くすよ。君が友達に相談し、友達がアドバイスをしたのに、それを自分で選んでおいて、友達が勧めたのが悪いというのでは、だれも君の相談には載らないし、友達になろうとはしなくなる。」と諭した。さすがに二学期の後半であったので私が言いたいことが理解できたのか、反論はせず、納得したようだった。
 支え合う彼ら
 そのAに、アドバイスをしたのも中学時代不登校経験者のBであった。彼も先生に対して敬語を使えないなど課題をもっているが、担任によると二人はお互いに支え合っているから4年間学校に通えたのではないかと言っていた。お互いにゲーム好きで甘えたところがあるが、Aは話し好きでBに話しかけをし、話し下手なBはそれに応じる形で話をしていた。Aがいなかったら、Bも学校が続かなかったのではと担任が話していた。彼らは「支え合っているのだなあ」と感じた。
 卒業式の日にAは、職員室に「4年間ありがとうございました」とお礼に来た生徒の一人になっていたのは嬉しかった。 
                               K(東京)

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楽しいからやっただけです

「すてきな合唱、すばらしかった!ほんとに、AくんIくんたちの力やわ~。」
「いや~、楽しかったしおもしろかったっす。楽しいからやっただけです。」
「仰げば尊し」を歌うのが慣例であった私たちの学校の卒業式に、交渉の末「前例としない」ことを条件に生徒が選んだ歌を歌わせる方針をとったのが私たちの一つ上の学年でした。私たちの学年はどうしましょう?と昨年度の11月に5人の担任で話し合った末、「生徒の希望を聞きましょう」ということになり、全生徒にアンケート実施。その結果「歌は自分たちで選びたい」との回答が三分の二を占めたため、有志生徒を募って卒業式プロジェクトチームを立ち上げました。その時出てきてくれたのがAくんやIくんたちでした。昼休みにお弁当持ちで集まって話すうちに、「オレらの卒業式は何かを二部合唱したい」ということになり、何度も生徒アンケートを重ねて曲を絞り込み、“いきものがかり”のYELLに決まりました。
練習時間がほとんどない条件の中で200人の卒業生の二部合唱ができるだろうか?…少し合唱を知っている私は疑いましたが、とりあえずAくんIくんFくんHくんYくんの有志5人と私とで男子パートの練習を始めました。5人とも熱心でしたが、大きく音をはずすことなく歌えるのはAくんだけで…。しかし毎日昼休みに一緒に歌うのがとても楽しいらしく、そのうちに仲間を連れてくるようになりました。同心円が次第に大きくなるように練習の有志参加者が増えていったのでした。(女子パートは楽譜を読める人を中心に自主練習が進んでいました。)しかし、なかなか男女で「ハモる」ところまではいきません。学年全員参加の練習を3学期に数回行ったのちに、吹奏楽部のBさんに指揮を頼み、2月29日の卒業式予行でいよいよ最後の練習となり…。
卒業証書授与の時には名簿順に前を向いて座っている生徒たちが、合唱の時だけ保護者席に向き直りながら男女別に並び直します。男子が前・女子が後ろと決められた指定の合唱体形への移動から歌までを練習しました。男声女声の掛け合いがうまくあわない、男声の音が外れる、女声が弱い、等々の問題点が浮かび上がりましたが、私は「仕方ない、妥協しよう。歌うだけで十分。」と考えて、あまり指摘しませんでした。ところがプロジェクトチームからもそれ以外の生徒たちからも、「バラバラで合唱になってません」「男女の立ち位置を逆にしたほうがいいと思います」「女声が弱いから聞こえなくて掛け合いがあいません」という、もっと良くしたいという意見が次々と出てきました。予行練習終了の時間が迫っていたのですが、私は「しゃべっていい?」とプロジェクトチームに許可を得てマイクを握り、「女子が前で男子が後ろに変更します。各クラスの音量が最も大きくなるだろうと思われるように工夫して並んでください。時間が迫っているから15秒でやって。」と言いました。どのクラスも10秒かからずに並び直していました。男女とも、声の大きい人たちを前方に集めていました。その後もう一回行った練習では見違えるように音量が増え、そのまま卒業式当日の合唱へとつながったのでした。
「田中先生が並び方を生徒に任せた時は『なんてことするんや!』と思いましたけど、うまいこといってびっくりしました。」と他の先生が言ってました。ホントに、うまくいってよかったです。
                        (京都:田中)

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門前の小僧

 現在の勤務校に転勤すると共に高生研に加入し、28年間経ち、定年退職しました。工学部出身なので、教師の勉強はほとんどしておらず、教育学部出の先生には引け目を感じていましたが、とらわれずやった自己流でも通じたのは、若さからだと思います。若さが足りなくなると、それ相応の技術も必要となります。
 そんな中、何も考えず高生研にはいると同時にたった一人の県の事務局となりました。全国委員会に一升瓶を必ず持って行くことだけを教わり、ふたき旅館に来ました。難しい言葉が飛び交い、夜遅くまでの激論、大変なところだと思いました。それでも、出来るだけ参加したのは、秋田に帰ると何となく「やるぞ」という気分になったからです。何か分からないけど元気が出たのです。何年も参加していると、門前の小僧何とやらで、高生研風の考え方で学校を見るようになったと思います。でもやっぱり、学校や教師を変えるのは難しい。
 高生研が新しい道を進み始め、秋田も同様です。大いに期待を寄せています。東京大会は今まで無かったような老若男女?の期待を一身に集めているのではないでしょうか。
 さて、3月で定年退職してから、引き続き非常勤講師を務めています。秋田県は再雇用の制度はないのですが、教員不足のため、たいてい引き留められます(そのくせ教員採用数は非常に少ないのです)。週8時間3日です。昨年まで教科を担当していた2年生のクラスが、授業中うるさく勉強に意欲が少ないので、3月まで我慢をすれば、と考えていたのですが、結局週8時間そのクラスだけを担当することになりました。それじゃ卒業まで面倒見よう、と考え直し、いまさらですが、もっと興味を持てるよう授業を工夫しようとしています。担当する授業時間だけなので、非常にゆったりとした日々を送っています。学校行事なども、つい先日までは先頭になって取り仕切っていたのに、いまは離れた場所から、幽体離脱して見下ろしているような気分で見ています。不思議な気分です。
 授業ですが、実習棟の教室を自分専用とし、そこへプロジェクターを常備して授業をしています。理科室や音楽室のように、各教科の教室がないのが不満でした。欧米のように、教師の教室があればと思います。また、受験は関係ないのと他のクラスと進度を合わす必要もないので、理解できるまで時間を使っています。今、中間試験中なのですが、数字は見るのもいやだ、と言っていた生徒達のほとんどが、構造計算の初歩である「反力を求める」事が出来るようになりました。授業中も静かになってきましたし、質問もするようになりました。3年生になったせいもあると思いますが、失望しかけた昨年がウソのようです。生徒に「頑張ってください」と励まされました。分掌の仕事の合間に授業をするような状況から、余裕を持って日々暮らしている気がし、授業の準備も改めて勉強している気分で、とてもおもしろいです。
 組合や地域での運動は続いています。また、「にほんご教室」への比重も大きくなったので、次回は外国籍の子ども達のことを話題にします。
                             とらぬ狸@秋田

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PTA総会の一日

 4月に転勤した。昨日(5月19日)は、勤務校のPTA総会だった。どこの高校でもそれほど違わないと思うが、私の一日を紹介しよう。
 夜、飲み会があるので、同僚のS氏の車に乗せてもらって出勤。帰りは代行代金をS氏と割り勘して帰宅。S氏の通勤経路上に私の自宅があるので、飲み会があるとこのパターンで、昨日で3回目だ。
 1時間目は
 授業公開(保護者の授業参観) だ。ちょっと違うのは、近隣の中学校に公開授業の案内を出し、中学校の先生6名が授業を見に来たこと。私は2年3組の英語Ⅱの授業を公開。教室内に入って参観した保護者は3人ほどで、多くの保護者は廊下から見ている。おしゃべりをしている保護者もいる。小さい子を連れた保護者もいて、その小さい子に気をとられてしまう生徒もいて、ちょっと落ち着かない雰囲気だった。
 授業公開の後は体育館で
 PTA総会 。参加率は40数%で、私の担任する2年4組は31人中14人が参加し、45.2%の参加率だ。
 
 PTA総会 の後、支部ごとに別れて支部総会。支部長・副支部長の挨拶と支部担当職員の紹介と挨拶で20分ほどで終了。
 その後、支部総会会場でお弁当を配り、昼食後1年生・2年生は学級懇談で、3年生は学年PTAだ。総会出席者が14名だったので、学級懇談参加者は10名くらいかと予想して、学級懇談資料を15部用意して教室に向かう。開始時間までに来た保護者は3名。開始を5分遅らせて懇談会を始めたが、参加者は5名だった。5人の保護者とこじんまりと懇談会を行ったが、予定の半分の30分で終了。終了後お二人の保護者が相談があるというので、個人的にお話をうかがった。
 夕方から
 PTA・同窓会合同歓送迎会 ということで、退職された先生、転出された先生、転入してきた先生と、主任・部長クラスの先生と、PTA役員、同窓会役員で懇親会があった。私は転入職員を代表して挨拶を頼まれた。30年あまりの教員生活で、このような会は初めてだった。
(茨城のイソヤマ)

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「揉め事」

 大阪のKです。私は中学生の時に吹奏楽部、大学時代は管弦楽部に入っていて運動部には縁がありませんでした。それなのに現在、女子バレーボールの顧問をしています。顧問は私を入れて4名いますが、全員がバレーボール未経験者で指導ができない状態。この状況は昨年度(2010年度)から続いています。一番かわいそうなのは選手たち…毎日の練習はキャプテン(Aさん)が指導します。毎日の練習メニューもAさんが考えて他の選手の技術指導をしてくれています。顧問の役割は、毎日の活動付き添い、体育館練習日程の調整、対外試合の申し込み、公式戦の付き添い、揉め事対応。昨年度は、この「揉め事」対応に追われていました。

 Aさんがキャプテンとして部を引っ張って行くことになったのは、彼女が2年生の時の6月から。当時、彼女と同じ学年(2)5人、後輩にあたる1年生が7人、部に所属していました。Aさんは前任の指導者のやり方を真似ようと苦戦。「はい」もしくは「いいえ」で応答する世界、Aさんの言うことは絶対服従、Aさんの気に入らないプレーをした選手はコートに入らせてもらえない…夏休みに入った7月末、前任の指導者が、勤務先のバレーボール部員を引率して練習試合の相手になってくれるとのお話しが。私たち顧問は、この練習試合がクラブの雰囲気づくりのヒントになればいいなと考えて、この練習試合を受けました。Aさんも、久しぶりに前任者と会うことを楽しみにしている様子でした。しかし、この試合の話しを受けてからAさんの技術指導はエスカレートしていきます。「こんな型(フォーム)では先生に見せられへん」「何回も同じこと言わせんといて」「前に教えたことができてないならコートに入らんといて」「ボールに触らんといて」。1年生は7名中5名がバレーボール経験者でしたが、Aさんのこのやり方でどんどん萎縮していきました。さらに練習試合の最中には、前任者から「中学生のバレーが抜けてない」と言われてしまいます。Aさんは練習試合のあとすぐにこの先生の元へ駆け寄り、泣きながら指導を仰いでいました。そこでAさんが何を話して泣いたのか、はっきりとはわかりません。しかし、その後夏休みの練習で心を痛めていく選手が出始めました。

 84日、2年生のBさんが朝イチから学年の先生の傍で大泣き。クラスの心配ごとかな?と思いきや、バレーボール部のことでした。事情を聴くと「Aさんのやり方にはついていけない」という訴え。この日は午前中が練習でしたが、Bさんはユニフォームを持ってきていませんでした。顧問である私と一通り話しをして、Bさんは泣きながら帰宅しました。私が職員室に戻ると、男子バレーボール部の顧問のN先生(女性)が話しかけてきてくださいました。「最近の女バレ、雰囲気が異様ですよ。コートに入れてもらえない選手が何人もいる。体育館には頻繁に行ってあげてください。」私たち顧問は、技術指導をAさんに任せきりにしてしまい、あまり体育館に足を運んでいませんでした(練習開始を練習終了後の集合で顔を合わす程度)。ここでようやく私は、Aさんがかなり追い詰められているのではないかと思い当たるようになりました。

 この日、練習時間のほとんどをミーティングに充てました。私が代弁したBさんの訴えを引き取って、選手達は積極的に意見を出してくれました。「楽しくバレーをしたい」「Aさんの指導は厳しいけど、頑張ってついていく」。Aさんの気持ちもここで確認しました。彼女は、楽しいバレーではなく強いチームを作っていきたい、と言って泣き崩れました。

 ミーティングの最後に私はこう言いました。「なぜバレーを始めたのか、初心はどうだったのか、皆にはよく思い出してもらいたい。根本には楽しさがあるのではないのかな。上手くいかないことがあっても、Aさんには、部員に罰を与えるようなことはしないでほしい。Aさんには技術指導を任せきりにしてしまってごめんなさい。Aさんが頑張ってくれて頼もしいけれど、一人だけでこのクラブを引っ張っているとは思わないでね。2年の仲間も頼って、強いチームを作っていこうよ。」

 Bさんはその後、N先生の励ましにより女子バレーボール部に戻ってきました。しかしBさんと入れ替わるように、「Aさんのやり方についていけない」という同じ訴えで一人また一人、退部していきました。辞めていった人たちへの聴き取りは私が一手に担いましたが、皆一様に心を痛めていました。「死なない程度に大怪我しないかなと考えてしまう」ということを言う人もいました。クラブを辞めるということも許されない雰囲気になってしまっていたのです。あの8月のミーティングから、Aさんはますます固い殻を作ってしまったようで、顧問の先生に対しても、体育の先生に対しても、男バレのN先生にも、反抗的になっていきました。

なぜこんな状況になってしまったのか、してしまったのか、Aさんの引退を間近にして、いま振り返っているところです。

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千載一遇の夢?

教員生活も20年近くなってきたが、今まで実現できなかった夢がふたつある。
しかし、そのうちひとつは、どうも今年、実現できそうだ。
それは、文化祭で演劇に取り組むこと。
沖縄では文化祭が三年に一度しか無い学校が多いので
担任をしている時に文化祭に当たる確率も低く、
さらに、その時クラスが演劇を選んでくれなければいけないので
何度も涙をのんできた(^^;;
しかし、今年のクラスは、クラス替えの時から話題になるほど
芸達者な生徒が多く、自然な流れで演劇に取り組むことになった。
とはいえ、1年、2年と演劇を経験した生徒はおらず、雲をもつかむ状態の様子。
ここは、年に十本以上演劇を見る芝居ヲタクの私も一肌脱がねば、と
有志のシナリオ会議に参加した。
学級役員と文化祭実行委員を中心に8人も集まったが、
なかなかいいアイディアが出ない。
そこで、前にクラスで決定したコンセプトを最確認する。
文化祭全体のテーマとして提出した
「和 ~わっつ あ わんだふる ワールド~」が
次点で没になったため、クラスのテーマにしたのだが、
ここには様々な思いが込められている。
わ、は平和の「和」であり、
みんなで「輪」になることであり、
言葉をかわす「話」でもある。
東日本大震災のことも念頭に置きながら
クラス全員が団結して、来てくれた人とも
人と人とのつながりの大切さを実感できる、
そんな作品を作りたいというのがクラスの願いだ。
それを考えた時、一人の男生徒が
『ロスタイムライフ』はどうかな?」というアイディアを出した。
『ロスタイムライフ』とは、死の瞬間に人生のロスタイムを与えられたら
どう過ごすかということを命題にしたテレビドラマだそうで
一生懸命生きることの大切さを描けるのではないかという提案だった。
「感動」「青春」「友情」といった描きたかった要素が全て盛り込めそうで
生命の大切さもメッセージに込められるということで、演目が決定。
数人が場面ごとにシナリオを作成することが決まった。
本日は、文化祭出し物ぎめのプレゼンテーション。
職員実行委員の前で、演目について説明をし、上演許可をもらう大切な日である。
明日、実行委員が朗報を届けてくれれば、
ひと月後、またここで進捗状況を紹介したいと思っている。

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地域で生きる若者、高校生(3) ~「若者」の境界線:となりまちでの出来事から~

 ゴールデンウィークもそろそろ終わりに近づいている。「九連休」なんて羨ましい人も世の中にはいるようだ。しかし、学校というのは意外と杓子定規で5/1,2と暦通りに授業を行っているところがほとんどであろう。むしろ専門学校などの方が柔軟に休みにしているようで。
 さて、私たち夫婦はというとゴールデンウィークらしいことはほとんどせず、私はたまった仕事を片付け、妻はたまっている段ボールの塊と格闘していた。唯一のお出かけは、実家に帰省していた妹夫婦をとなりまちの空港まで見送ったくらいだろうか。妹が私を「知らないおじさん」と教え込んでいるせいか1歳のめいは全くといいほどなつかない。
 さて、空港からの帰りにスーパーで買い物をした。となりどうしのまちで人口規模も主要産業がほとんど変わらないのだが、まちの風景はずいぶんと違う。私の住んでいるまちのスーパーはほとんどが若い夫婦や家族である。となりまちのスーパーの客は若い人もいればお年寄りもいて、中高生がたむろし歩き回っている。一通り買い物を済ませて、キャンペーンの応募はがきを出そうとしていると、金髪のお年寄りが白紙のキャンペーンのはがきを「どうぞ」とよこしてくれた。また、喫茶店で一休みしていると、別のお年寄り夫婦がまたもや喫茶店のキャンペーンのはがきを2枚置いていってくれた。私たち夫婦はどこからみても30代半ばの年相応のかっこうなのだが、まるで若いのにおだちんをあげる感覚だったことに最初は「えっ」という反応をしてしまった。おかげで、喫茶店では犬柄のタオルをもらうことができ、妻はご満悦であった。
 帰りの電車でさっきの出来事を振り返ると、あのスーパーでは意外と私たち世代の客が少なかったことに気づいた。あのまちのお年寄りの方々にとっては30代半ばでも20歳前後の「若僧」と同じように見えたのだろう。「若者」「大人」の境界線はまちによって「まちまち」なのかもしれない。
(北海道高生研 井上)

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交流の始まり

大会事務局長の船橋聖一です。
 3日が私の担当日であることを安藤さんからメールで伝えてくれました。「おっと書かなくては」。でも5月2日は厩橋チンドン倶楽部の稽古日です。かつ終わってから群馬大学の学生で「地域の活性化」をテーマに研究を進めている若者からのインタビューを受けることになっている。その後ふたりで懇親することになっている。 
 3日の昼間は群馬フラワーパークでのアトラクションに倶楽部の9人で出演しました。あいにくの雨で1回目は人もまばら。昼食休憩とわずかのお昼寝の後、2回目をやりました。150人座れるテントの会場に50人ぐらいでしょうか。古い歌、童謡、春の歌など10曲あまりを演奏してお客さんといっしょに歌いました。
 で、帰ってから3日のこの原稿を書こうと思ったら3日の原稿がアップされているではありませんか。きっとこれは安藤さんの計らいなのでしょう。ありがとうございます。
 ではこれから5月3日のその②をアップします。
 
 ちょっとした授業の工夫です。
 今年は世界史A2クラス(2年生各約40人でHR単位)、地理A2クラス(3年生各約23人で2HRを3分割した集団)、現代社会2クラス(3年生各約23人で2HRを3分割した集団)、世界史B(3年5人、うち女4人)を担当しています。全部で16時間。
 地歴公民の教員は4人です。地理Aは3人が交代で共通プリント共通テストを作ってやることになっています。教科の会議で「評価の平等性を確保する」ことからこのようになりました。私はその観点も大切であることを認めつつ、3人が担当する生徒たちに合うと思われる方法を模索する必要性を話したうえで、とりあえず共通プリント共通テストに合意しました。
 最初のプリントは別の先生が作った日本の都道府県名と位置の確認と世界の大地形の確認でした。私は模造紙大に拡大した白地図を黒板に貼って、まず原子力発電所のある位置に赤丸をつけて、その県名を言わせていきます。次にその場所の共通の特徴を確認します。「じゃあ私が県名を言うので後に続いて声を出して」と言って復唱させます。半分くらいの生徒たちが復唱します。これで1時間終わり。次の時間に復習を復唱でやって、「じゃあ今日は人口が増えた県ベスト5と減少した県ベスト5はどこでしょう」と聞きます。私は手にその数字が記された昨日の新聞記事の切り抜きを持っています。いくつもの質問や発言があって10都県が出され、また復唱。
 「じゃあ、他の府県も覚えてほしいので47都道府県を言うから復唱しよう」と言うと、もうその指示を復唱しはじめる生徒たちが現れて、和やかな雰囲気になりました。「じゃあ、東北地方から」「じゃあ東北地方から」・・・
 世界史Bの5人はそれぞれがちょっと変わっている。私も変わっている。「変人集団」。その変わりようはここに書けないのが残念です。世界史Aを除いて私の授業は学校の一番奧まったところにある人文科学研究室で行っています。私が赴任した8年前は物置のようで埃だらけというか、春の嵐でサッシの隙間から入り込んだ畑の土が積もっていました。それを私が数年かけて教室に戻しました。私はそこで授業の始まりを待つ。生徒たちがやってくる。たいていドアの前に立って「いらしゃいませ」と声をかける。大きな6人掛けの机が6個、そこに生徒たちは4人づつ私の指示で座ります。背もたれのない小さい椅子。世界史Bの5人には「どこに座ってもいいよ」と言うと一人の女子と一人の男子は私の前の机に就きました。あとの3人はちょっと困惑気味で、それぞれが別々の机に就きました。この5人の分散状態は予想通りのことでした。
 最初の時間のガイダンスで「わかってもわからなくても教科書をみんなで音読していく。読んだら私が用意したプリントの問題をやる(20問)。教科書は前期で全部終わらせる。定期試験はしない。週4回(2時間続きが2回)の授業の4回目で毎週試験を行うが、その試験問題は5人が順番で作る」と言いました。
 こうして4月の授業が終わって、変人集団の変人ぶりが露わになり、交流が始まりました。
 

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バス事故に思う

 京都から名古屋に越してきて丸2年経ったが、今でも月2,3回、名古屋と京都を往
復する。その移動のほとんどは自分で運転する車によるもので、その際、高速道路をも
っぱら利用する。運転するたびに思うのは、「高速道路は怖い」ということである。特
に、一人で運転していて眠気に襲われるのが最も怖い。そのたびに、長距離トラック、
バスの運転手は大変だなあと思っていた。さらに、以前NHKスペシャルで高速バスの
問題を知って、「あのバスは、なんぼ安かろうと乗らんとこ」と思っていた。そんな矢
先、関越自動車道で大事故が起きた。運転手の居眠りが原因だが、その背景に、過当な
安売り競争があることは間違いないだろう。亡くなったりケガをされたりした乗客の皆
さんには申し訳ない言い方になるが、「安けりゃいい」という価値観からはもう卒業し
よう。スーパーの野菜や肉もそうだ。安くても何が入っているか分からん○○国産より
、少々高くても安全で運送によるCO2排出の少ない地元の農産物を買おう。
 私は生物を教えていたので、ついつい生物の進化の歴史となぞらえて考えてしまう。
確かに、生物は競争によって進化してきた。同様に、人間社会が競争によって進歩して
きた面があることは否定しない。しかし生物は競争だけで繁栄を勝ち取ってきたわけで
はない。むしろ現在繁栄している生物のほとんどは、共生に成功した生物だ。被子植物
がミツや果実を提供する代わりに、昆虫・鳥・ホニュウ類が受粉や種子散布を手助けし
ている関係を見れば明らかである。さらに、今世界中で最も繁栄している植物はブナ科
(シイやカシなど)とラン科であるが、かれらはいずれも菌類(キノコ)との共生に成
功した植物である。競争では限界があるのだ。共生することで安定するのだ。
 人間社会も、他者と如何に共存共生できるか、それが本当の意味での繁栄、安定につ
ながると思う。産業面でもそうだ、教育面でもそうだ。適度な競争と確かな共生、これ
が持続可能な社会の決め手になると思う。
 ところで、今私の一番の心配は、安売り航空券である。もし飛行機が事故を起こした
ら、バス事故の比ではない。安売り競争の果てに安全性が蔑ろにされていないことをた
だ願うばかりだ。
久田晴生

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新採のつもりで異動の学校へ

 東京のKです。2年前、私は退職し、再雇用(東京では非常勤教員といい、月の勤務が16日)になり、新しい学校へ異動しました。異動の回数は、現役時代から数えて5回目、定時制高校を異動しています。その経験から、私の異動の時の心構えを書きたいと思います。
1、生徒達は、私を教師と認めていません。人生の先輩とも思ってもいないのです。むしろ自分たちの方が、この学校では先輩と思っているのです。
2、ゆえに、最初から教師顔で生徒達に接しないことにしています。
3、人間的な関係をできるだけ早く作ることを心がけています。それが自分の精神的な安定につながっています。
 以上を心がけて、新しい学校に勤めることにしています。最初の生徒たちとの関係には気を遣います。教職員との関係はあまり気を遣わないですむのが助かっています。
生徒達との関わりを持つには、授業が勝負・クラブ活動でも人間的な関係を
 教師だから授業が勝負なのは当たり前ですが、新しい学校では特に重要になると思います。ここで信頼を勝ち取らないとまともな関係を作ってもらえないのです。
 私は工業科の教師なので、座学(教室での授業)を2単位持つことになっていました。
 どのような授業をしたかの一例を上げてみます。
私:「ここにアルミと鉄の丸棒があります。どちらが堅いかどうやって調べますか?」
生徒A:「たたいてみる。」
生徒B:「落としてみる」
 などいろいろな意見がでてきます。最初の授業で私は、生徒達に「教室は間違える場所だ」「生徒が間違えなければ教師はいらない」と、間違えることは恥ずかしいという気持ちを打ち消すように伝えているので、わりと授業での発言はするようになっていました。
 ここで、物理の仮説実験授業のまねをして、堅さを調べるため、プラスチックの筒(水槽用空気排出管)とパチンコ玉を用意し、それぞれの金属の上にプラスチックの筒を立て、パチンコ玉を同じ高さから落とし、その高さの予想をさせました。やはり、教室での実験と予想は生徒たちには新鮮であって、興味をもったようです。
 そのあと、生徒達から「前回のような授業をしてくれ」と要望されることもあります。教科の教える内容の関係で、いつもこういう授業ができるわけではないですが、生徒達が理解しやすい授業を目指しています。その中で生徒達との信頼関係を作るようにしています。

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地方進学校の呪縛の中で

 北国にもようやく春が訪れ、もう少しで桜が咲く季節になりました。豪雪の影響でまだ日陰となるところでは雪が少し残っています。学校のグラウンドも雪解けが遅く、高校野球も1週間ほど春の大会が遅れました。
 今年、30年目の教師生活を迎えることになりました。地区2番手の進学校の3年担任。数学の主担当。長男も大学受験、二男は高校受験と精神的に追い込まれているというのが実情です。国公立大学に何人入るのかを問うのは邪道だと多くの人は言うでしょうが、実際にその渦中にいると、土曜講習や平常講習など地方の進学校ではせざるを得ないジレンマの中にいます。
 ひとりひとりの進路を達成するために、どんなことができるのか。学年主任を中心に7人の担任ががっちりとスクラムを組み、ひとりひとりの生徒を大切に3年間育ててきました。今年、新任で来た校長は20代の時に、リーダー研修会でともに生徒のために話し合った方。高生研の話をすると笑顔で対応してくれました。
今年も学級通信、学年通信、そして学級ブログで生徒たちや保護者のかたにいろんな情報を伝える取り組みをしています。
 また、授業や学年集会で積極的に生徒が発言し、行動を起こせるようなしかけも考えています。ぴらいち学習会をAO入試や推薦入試などの指導にも活用できないかも模索しています。部活動もバドミントン顧問になって20年目の節目。進学校であるが故の練習時間の少なさの中で、昨年は県ベスト8。今年はさらにその上を目指しています。
 30年目の教師生活を経て高生研での学びが今こそ必要と考える今日このごろです。
 新クラスになっての最初の行事は5月の炊事遠足です。3年連続となる今年の生徒たちの手料理を今から楽しみにしているところです。 (よしだ)
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ついに登場、カラー版早蕨(さわらび)

写真は、週刊情報誌ではありません!
れっきとした、大阪高生研発行の月刊機関誌早蕨です。
表紙の見出しは、内容雰囲気まで伝えるようで、どうしても放っておけない気分にしてくれます。
しかも新学期ネタばりばりで、新人教員でなくても頷きながら読める内容。
恐るべし大阪高生研。
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担任拝命!

 2年間、教育相談係でくすぶってたのですが
 今年は花の3年担任を拝命しました。
 
 うちの学校の始業式は、今年は9日(月曜日)なのですが、
 クラス発表は、6日の金曜日に行われました。
 例年、始業式の前日に、行われる慣習なので、
 この日を狙ってゲリラ的に初SHRを決行。
 今年は、初めて臨時教員をするフレッシュな副担任と一緒に
 机移動の終わった教室に入り、
 着席させ、出席番号1番の子に号令をかけてもらい、
 「3年2組の担任をすることになりました伊藤香織です」と
 軽く自己紹介。
 予想外に盛大な拍手をもらい、テンションもアゲアゲ(笑)
 副担任にも自己紹介してもらったあと、
 早速、クラス名簿、時間割、月曜日の日程等の入った
 学級通信0号を配布。
 「はや!」「すげ!」というサプライズに満ちた反応に
 一層気を良くしつつ、わずか10分足らずのパフォーマンスを終了。
 
 職員室に帰る道すがら、副担任の先生が
 「みんな、すっごくニコニコしてましたね!
  楽しそうでした!」と言ってくれて、
 客観的にも上手く行ったんだなぁ、と実感。
 「他のクラスを出し抜いてね、
  「なんだかこのクラス、楽しそう!」って最初に思わせるのが
  結構効果的なんだよ。」
 と、ちょっと姑息な手段を伝授。
 でも、ホントに、効果あるんですよね(^-^)
 さて、明日は本番。
 これから本物の学級通信創刊号を仕上げます。

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地域で生きる若者、高校生(2) ~若者が多いまちの雰囲気~

 新しいまちでの1カ月は「住めば都」を肌身をもって実感した。最初は徒歩5分以内にコンビニのない生活に辟易としていたが、今では徒歩30分程度なら夫婦で買い物、食事にといそいそと出かけるまでになった。仕事や生活が不規則な私たちはよく出前を注文する。都会に住むとインターネットでも「出前館」なるサイトなど気軽にオンラインで、ご飯ものでもピザでもスープカレーでも寿司でも何でも食べることができた。今は、タウンページなどで住所が書いてあっても土地勘がないので、自分の足、目、舌など身体のあらゆる機能を使っておいしい店を「開拓」する。とにかく、便利のない分、何でも自分から動いて生活することはある意味「人間らしい」営みに戻ったのかもしれない。
 新しいまちを歩いているととにかく2,30代の若い人たちが目につく。北海道であらゆる市町村を回ったが高齢者以上に多く会う世代がいないのでかなり新鮮な光景に見えた。自宅から10分近く歩けば有名会社も軒を連ねる工業団地があり、直近のコンビニには作業着の人たちが買い物に押し寄せる。バイパス沿いの安売り店や飲食店に行くと若夫婦や小さい子ども連れの家族、学生かもしれないカップルなどが多く見られる。ちなみに自宅は賃貸であるがここの管理会社の担当社員も、休日なのにガスを開けに来てくれた作業員も地元企業に勤める若者であった。ちなみに向かいは大家さんの息子夫婦と小さい子どもの3人家族であり、小さい子どもには目のない小学校勤めの妻はさっそく子どもと仲良くなり、母親とはメル友になったようだ。
 ちなみにここの役所には出身学部・院の同じ先輩、後輩が数人勤めている。先輩は中堅どころであるが、外から見るところかなり重要な仕事を任されているようであり、地域でもずいぶん信頼を集めているようであった。また、この先輩を中心に月1回終業後にまちづくりの勉強会を開いており、あらゆる部署から若手の積極的な参加が見られた。さっそくその集まりに私も顔を出したが、そこには旧態依然とした公務員気質はどこにも感じられなかった。やはり、若い人の新鮮な感覚はどの組織や地域の活性化にも欠かせないものなのかもしれない。
                                              (北海道高生研 井上)