大阪のKです。私は中学生の時に吹奏楽部、大学時代は管弦楽部に入っていて運動部には縁がありませんでした。それなのに現在、女子バレーボールの顧問をしています。顧問は私を入れて4名いますが、全員がバレーボール未経験者で指導ができない状態。この状況は昨年度(2010年度)から続いています。一番かわいそうなのは選手たち…毎日の練習はキャプテン(Aさん)が指導します。毎日の練習メニューもAさんが考えて他の選手の技術指導をしてくれています。顧問の役割は、毎日の活動付き添い、体育館練習日程の調整、対外試合の申し込み、公式戦の付き添い、揉め事対応。昨年度は、この「揉め事」対応に追われていました。
Aさんがキャプテンとして部を引っ張って行くことになったのは、彼女が2年生の時の6月から。当時、彼女と同じ学年(2年)に5人、後輩にあたる1年生が7人、部に所属していました。Aさんは前任の指導者のやり方を真似ようと苦戦。「はい」もしくは「いいえ」で応答する世界、Aさんの言うことは絶対服従、Aさんの気に入らないプレーをした選手はコートに入らせてもらえない…夏休みに入った7月末、前任の指導者が、勤務先のバレーボール部員を引率して練習試合の相手になってくれるとのお話しが。私たち顧問は、この練習試合がクラブの雰囲気づくりのヒントになればいいなと考えて、この練習試合を受けました。Aさんも、久しぶりに前任者と会うことを楽しみにしている様子でした。しかし、この試合の話しを受けてからAさんの技術指導はエスカレートしていきます。「こんな型(フォーム)では先生に見せられへん」「何回も同じこと言わせんといて」「前に教えたことができてないならコートに入らんといて」「ボールに触らんといて」。1年生は7名中5名がバレーボール経験者でしたが、Aさんのこのやり方でどんどん萎縮していきました。さらに練習試合の最中には、前任者から「中学生のバレーが抜けてない」と言われてしまいます。Aさんは練習試合のあとすぐにこの先生の元へ駆け寄り、泣きながら指導を仰いでいました。そこでAさんが何を話して泣いたのか、はっきりとはわかりません。しかし、その後夏休みの練習で心を痛めていく選手が出始めました。
8月4日、2年生のBさんが朝イチから学年の先生の傍で大泣き。クラスの心配ごとかな?と思いきや、バレーボール部のことでした。事情を聴くと「Aさんのやり方にはついていけない」という訴え。この日は午前中が練習でしたが、Bさんはユニフォームを持ってきていませんでした。顧問である私と一通り話しをして、Bさんは泣きながら帰宅しました。私が職員室に戻ると、男子バレーボール部の顧問のN先生(女性)が話しかけてきてくださいました。「最近の女バレ、雰囲気が異様ですよ。コートに入れてもらえない選手が何人もいる。体育館には頻繁に行ってあげてください。」私たち顧問は、技術指導をAさんに任せきりにしてしまい、あまり体育館に足を運んでいませんでした(練習開始を練習終了後の集合で顔を合わす程度)。ここでようやく私は、Aさんがかなり追い詰められているのではないかと思い当たるようになりました。
この日、練習時間のほとんどをミーティングに充てました。私が代弁したBさんの訴えを引き取って、選手達は積極的に意見を出してくれました。「楽しくバレーをしたい」「Aさんの指導は厳しいけど、頑張ってついていく」。Aさんの気持ちもここで確認しました。彼女は、楽しいバレーではなく強いチームを作っていきたい、と言って泣き崩れました。
ミーティングの最後に私はこう言いました。「なぜバレーを始めたのか、初心はどうだったのか、皆にはよく思い出してもらいたい。根本には楽しさがあるのではないのかな。上手くいかないことがあっても、Aさんには、部員に罰を与えるようなことはしないでほしい。Aさんには技術指導を任せきりにしてしまってごめんなさい。Aさんが頑張ってくれて頼もしいけれど、一人だけでこのクラブを引っ張っているとは思わないでね。2年の仲間も頼って、強いチームを作っていこうよ。」
Bさんはその後、N先生の励ましにより女子バレーボール部に戻ってきました。しかしBさんと入れ替わるように、「Aさんのやり方についていけない」という同じ訴えで一人また一人、退部していきました。辞めていった人たちへの聴き取りは私が一手に担いましたが、皆一様に心を痛めていました。「死なない程度に大怪我しないかなと考えてしまう」ということを言う人もいました。クラブを辞めるということも許されない雰囲気になってしまっていたのです。あの8月のミーティングから、Aさんはますます固い殻を作ってしまったようで、顧問の先生に対しても、体育の先生に対しても、男バレのN先生にも、反抗的になっていきました。
なぜこんな状況になってしまったのか、してしまったのか、Aさんの引退を間近にして、いま振り返っているところです。