沖縄の伊藤です。
先月15,16日の両日、本校では文化祭が催されました。
私のクラスは(私の念願の)演劇。
設定こそテレビドラマのものを借りたものの、
話自体はオリジナルで20分の芝居を完成させました。
沖縄では文化祭が三年に一度しかない学校がほとんどで
学校における文化の蓄積がほとんどありません。
また、商業演劇も上演が少なく、ほとんどの生徒は見たことがありません。
そんな中で彼らが「演劇」と言ってイメージするものは
小中の学芸会のものしかなく、内心、不満を抱えている子もいました。
しかし、シナリオをカタルシスあふれるものにすること、
展開の時間をできるだけ短くして流れを滞らせないこと、
音響、照明を工夫することなど、
演劇ヲタクの私が某劇団のDVDを見せながら
(ほとんど趣味の域で)指導した甲斐もあり、
多くの観客から称賛をいただける満足の行く出来となりました。
先ほど「指導した」と書きましたが、
正確に言うと「注文をつけた」という方が的確かもしれません。
「この脚本じゃ、見てて、憂鬱になるよ。
見終わったあと、見てよかったと思ってもらわないと
見なきゃよかったと思われちゃう」とか
「照明が照らさなきゃ、どんなに演技がうまくても見えない。
照明は命だからね。臨場感を出すために工夫して!」とか
「音響一つでイメージはぜんぜん変わる。
ぴったりな音楽を見つけられたら、すごく変わるから」
と、具体的なことは殆ど言わず、イメージだけを投げ続けました。
そんな私の注文を、各班のみんなは軽々とこなし、
想像以上のものを作り上げてくれました。
何よりも、多くの生徒が
みんなでひとつのものを作り上げられて楽しかったと言う
感想を書いてくれたのが、担任としては嬉しい限りでした。
ひとりひとりのドラマはたくさんありましたが、
それはまた、来年の京都大会ででも報告できるといいなと思います(^-^)
現地「東京」についてちょっと考える
いろんな事物が東京に集中しているので、つい東京がスタンダードだと思い込み、東京がいかに特殊であるか、一般的にはあまり考えないのかもしれない。私のような山の手(正確に言うと山の上)の住人からすれば、東京というマチには、ガマンのできないほどの違和感をときおり覚えるのだが、そんな自分も住んでいると馴れてしまっていたから不思議なものだ。
土曜日、長野の革新懇の学習会で、大阪の状況について、大阪教育文化センターの山口隆氏の講演を聴いた。聴いていて少々元気になったのは、マスコミの誇張した報道とは裏腹に、あんなことやってたら民意はすぐに離れ、政権与党などつくれるはずがないという確信を持ったことだ。大阪のSさんからのメールでも事の重大さは認識しているつもりだが、どんな勢力が何を企んでやっておるのかをじっくりと考えてみる必要があると強く感じた。
山口氏の講演によると、橋下・大阪維新の会の特徴は、「競争の教育の強制」と「強制の教育の競争」であり、新自由主義的教育改革と復古主義的教育の醜い結合がその本質だという。だから、「つくる会」のメンバーとか、ネット右翼などが群がるのかと思うと頷ける。しかしながらそうした勢力は明らかに少数派だ。大阪維新の会を支持しているのは、多くの大阪府民なのである。会場からは、大阪市民アホ論まで飛び出したが、山口氏は、大阪府民は反権力的な気風を持つので、二大政党論に辟易とした多くの市民が何かを変えようと票を投じただけ。本質を見抜いて投票したのではないと応答していた。
と、そこまで聴いて、東京の石原知事に思いをはせる。似たようなな教育管理を押しつけてきて、それに対して市民の反対運動が広がらないのはなぜか。「東京の状況が全国に広がる」などといっている市民活動家に「そんなことは絶対に起きないよ」と内心思ってしまうのはなぜか。
田舎者が東京で生活してみるとわかるのだが、東京都民を構成している大多数は、大阪のような反権力ではなく、権力そのものなのである。大企業、巨大マスコミ、巨大流通機構、その関係者、家族、それを取り巻く関連産業、権力構造の構成者を生み出す学校群・・・。その代表として据わりがよい石原は、橋下のような詭弁を弄しなくても絶大な支持を受けてしまうのだ、と考えるのは穿ちすぎか。
私の若い頃は、東京も大阪も革新の象徴のようなところだった。今は新自由主義の利益に群がる輩、権力保全に躍起になる怪物たちの闊歩するサファリパークのようになっていないか。心の武装をしながら、全国の仲間とともに、東京・大阪をサカナに冷えたビール飲んで、笑い飛ばしてしまいたいものだ。
(長野・小澤)
参加申込数が80人に!
東京大会の受付・千葉高生研より
7月8日現在の参加者申込数が80名となりました。
秋田が9人となりました。秋田大学の学生が増えています。学生・院生の参加申込は6人となりました。
静岡が6人と伸びてきました。
現在は期末試験の学校が多いと思います。忙しいとは思いますが、なるべく早めの参加申込をお願いします。周囲の方への声かけもよろしく。
千葉13
群馬10
秋田9 東京9
静岡6
熊本4
北海道3 茨城3 大阪3 青森3
埼玉2 神奈川2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1
学生・院生6(上記に含まれています)
最後の常任委員会
本日、最後の常任委員会を行ないました。参加者は内田さん、森さん、礒山さん、船橋さん、池野さんと私の6人。午前10時に桶川高校に集まって、まずは全国通信の発送作業です。午前中一杯かけて製本と封筒詰めを400通以上。お昼は、クロネコヤマトの配送所に封筒を持って行きがてら、近くのレストランでランチメニューを食べました。昼食休憩を1時間ほど取って、午後からは紀要原稿の校正です。それが終わったのは3時過ぎでしょうか。そこからようやく会議が始まりました。昨日、池野さんと船橋さんが変更後の会場を下見してくれたので、その報告と、大会関係の確認、協議を行ないました。合わせて第3回実行委員会も開かれ、すべてが終わった頃には5時半を回っていました。
長い1日でした。皆さん口々に「今日で最後か・・・」「もうこんなことすることもないんだなぁ・・・」と感慨深げでした。私も「これからは、この人たちと会うのも年に1~2回になってしまうのか・・・」と思うと、何となく淋しいような気持ちになりました。
片桐哲郎
工業高校三年生が、福島の人たちに聞きたいこととその答え
熊本高生研 藤川 秀一
<この取り組みの簡単な紹介>
私の長男が昨年9月から今年1月まで、6か月限定で福島(郡山市)へ転勤したので職場の女性(20代後半)に「工業高校生(三年)」から託された質問を尋てもらいました。中盤の「私たちがやれること」の1~4は、私と長男が一緒に考えたことです。12月上旬の考査問題に同じ設問を出しました。工業高校の生徒たちの反応はレポートの最後です。
<福島県の方への質問とその答え>
問・私たち熊本県人が災害を受けた方々のためにできることは何かありますか?
答・特にはないですが、もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。
問・今回のことで日本政府の対応や世界の国々の対応で、身を持って感じたことはどんなことですか。
答・日本政府の原発事故情報のいい加減さに腹が立った。
問・福島第一原発事故後、体調の変化はありましたか。
答・特にありません。
問・今後も福島に住み続けたいと思っていますか?
答・今のところはなんとも言えない。住まざるを得ない。
問・国に今一番やってもらいたいことは何ですか?
答・原発事故対策、原発の安定化や放射能の除染など。
問・震災の前と後では、生活や意識はどのように変わりましたか?
答・放射能の影響に敏感になった。例えば赤ちゃんのミルクを作る時、水道水ではなくミネラルウォーターを使う。(飲み水やお米を研ぐのにミネラルウォーターを使う人ちもいるようです。)
問・生活の中で苦労することは何ですか。
答・子どもたちに放射能の影響が及ばないようにすること。(ちなみに一万円前後の放射線測定器がドラッグ店ではよく売れているそうです。これはエアカウンターという機械です。福島を中心に保護者の方が購入してます。ほぼ他県では販売されていません。テレビで放射線量がでてましたが、あくまでその地域の中心地で測っているだけであり同じ市町村内でも場所によりかなり誤差があるようです。)
問・東京電力のことをどう思いますか。
答・早く事故を収束させて欲しい。
問・原発について今どう思ってますか。
問・日本各地の原発はすべてなくした方が良いと思いますか。
答・ないならそれに越したことはない
問・原発だけが悪いと思ってますか、悪いのは有り得ないレベルの地震や津波のせいゃないでしょうか。
答・悪いのは地震ではなく、事故を起こした原発です。
問・前の福島に戻ると思いますか。
答・わかりません。戻って欲しいです。
問・義援金はちゃんと届いていますか。
答・義援金は関係ありません。放射能は東電の責任ですから。
問・自分と同じ高校三年生もいると思いますが、就職や進学はどうなってますか。
答・福島県内には就職しない方がいい、県外に就職した方がいいという話しもあるそ です。
問・今高校生はどういうことを目的として生活をされていますか。
問・震災以前の生活と比べると今の生活はどうですか。
答・基本的には変わらない。放射能の心配を除けば。
問・震災があってから約半年、大変なことがたくさんあったと思いますが、その中を きて中で心の支えになったものはありますか。
答・家族や恋人、友人が一番の支えになった。
問・これから先どんなことが不安ですか?
答・(記録なし)
<私たちがやれること>
「もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。」という福島の人へ答として。
1.何ができるかを考えることこそが、できることの第一歩ではないだろうか。
2.被災者、被災地のことを記憶し、周りの人たちに伝えること。
3.生きたお金を使うこと。被災地・被災者に還元されるお金の使い方をする。熊本の 鶴屋で東北3県の物産展があれば、そこで物を買う。被災地を旅行し、例えば風評被害にあっている会津若松に観光してお金を使う。
4.しっかり働いて復興財源となる税金を払う。
ここまでをプリントして生徒たちに読んでもらいました。そして、
<期末考査の「被災者や被災地に対して、わたしたちが出来ることは何でしょうか。」 という問題への3年生の回答と感想>
・この質問の答えにある日本政府の原発事故情報のいい加減さというものは、本当にそのとおりだと思いました。今回の原発事故では炉内の水位や放射能についての情報がはっきりしていなくて、ましてや隠ぺいまでもしていたりして本当に対応がいけなかったと思います。これからできることとしては、自分は電力会社に行くので、発電部門などに携わった時には、しっかりとした正しい情報を伝えていかないといけないと思いました。
・被災地から離れている私たちが出来ることは、募金と早い復興をいのる事だと思います。自分は被災地に行って人助けなどはできないので、自分に出来る一番の事だと思います。
・今すぐ出来ることは義援金だけ。直接出来ることはないと思いますが、これから自分たちはいろいろな土地で日本の発展に貢献します。具体的な例は挙げられませんが自分たちが一生懸命行うことは、巡り巡って福島の人たちの利益になることはまちがいないと思います。自分も電気関係の職に就くので、自分が本当に出来ることを早く見つけだしたいと思っています。できるだけ早く、どのような形ででも福島や周りの県の人たちの力になれたらと思っています。
・今、僕たちがやらなければならないことは、今をしっかり生きることなんじゃないかと思います。また、4月から仕事を始めて、被災地の復興のために生産することだとも思います。
・食料を届けたり、節電することもとても大事だと思う。でも自分が一番大事だと思うのは、福島で起きてしまった事故を自分たちは起こさないことだと思います。福島の人たちの経験を絶対ムダにしてはならないと思うので、自分はこれができることだと思います。
・福島県の人々の原発事故への思いを感じとり、まずそのような原発事故が起こらないように、自分達のような専門の知識を持った者達で頑張り、事故の防止に努めなくてはいけないと思う。
・被災地の人たちに質問と答えを読んで、原子力発電所に対してのいかりがすごいと感じました。放射能は人体に影響を及ぼすものなので、はやく除染してほしいと思いました。それと水の大切さを改めて感じ、節水に心がけようと思いました。
・被災地やそこにいる被災者の要望に応えてあげる事だと思う。義援金や復興の為の応援は勿論大事だけど、それ以上に被災した地域の人達の要望に応えてあげないと、ただ単に支援物資や義援金を送ってハイ終わり、という風な感じに見えてしまい、他人事のように感じてしまうところがあった。それならいっそのこと、大変かもしれないけど一人一人に要望を聞いて、もし、あるならそれに応えてあげた方が助けになる思う。
・被災された方に直接してあげられることは出来ないかもしれないが、政府がより、この問題に対応出来るように他の問題を軽減できたらと思う。そのために節約など小さなことから社会に貢献していかなければいけない。
・今私たちに何ができるかと言われれば、義援金を送る、必要品を送る、また復興をいのることしかできないと思います。原発問題も含め、今の私たちに出来ることは一握りもないと思います。だからこそ「できることはやる」そして「他人ごとにしないことが、今私たちがすべきことだと思います。「協力」「助けあい」が大切だと感じた一年でした。
・まずは募金をしてお金を送る。そしてもし被災者と会ったら快く受け入れてあげ、風評に惑わされず、正しい知識を持つ。将来同じことが起こらないよう高い技術をこれから学んで身に付けていく。
・自分一人で被災された方々になにかしてあげることはないと思うけど、被災された方々の中でも下向きな考え方になっている方々がいると思うので、テレビなどを使って少しでも元気を与えられたらいいなあと思います。
・私たちに出来ることは、これから社会に出ていく上で、一生懸命働いていろいろなものを買って経済を発展させることだと思います。直接被災地に行ってボランティアをすることも大切ですが、なかなか行く余裕はありません。行けないなら行けないで九州から東北へパワーを送って、日本国民全体で東北の復興を支えていけたらいいな思います。
・被災地の為にできることは、自分は、風評被害を減らすことが大切だと思います。実際に現地の食べ物で放射性物質が検出されていないものなら食べても大丈夫だし、食べ物が売れることによってお金が入り復興も早くなると思うからです。
・やはり地震が起きた前と後では、ずいぶん生活が変わったんだと思います。原発事故情報は隠さないで、正確な情報を伝えれば良かったのにと思いました。早く前の福島県に戻ってほしいです。
・今福島はしっかりと立ち直ろうとしていると思います。それを忘れないで生活をしていくこと、それが一番大事なのではないでしょうか?。(原文のまま)
(ふじかわしゅういち)
地域で生きる若者、高校生(5) ~T君のその後~
明後日(7/7)から二日間、北海道八雲町で「山車行列」(http://yakumo-dashi.com/)が行われる。私はこの町には浅からぬ縁がある。一昨年(札幌大会)の問題別分科会「若者のゆくえ」で話題提供してもらったT君は地域の青年団体「若人の集い」で中心的な役割を10年余り務めている。そして、「山車行列」は「若人の集い」を立ち上げた「当時の」若者たちがはじめて今年で30回目を迎える、町の年中行事なのである(現在は町内のあらゆる団体が関わる実行委員会形式で行われている)。
「若人の集い」は青年団の形態こそとっていないが、「青年問題研究集会」という青年団的研修活動を年1回行っており、院生時代は一参加者として、非常勤講師暮らしになってからは助言者として私はこの集会に10年余り関わってきた。私よりも2つほど若いT君は遠く離れてはいるが(JR特急で2時間の距離ですから)、同じ部活の「後輩」みたいな感じで接してきた。ちなみに泊りがけのこの集会では「飲み明かす」(この場合は「語り」が主役で「酒」はあくまでも脇役)のが鉄則と心得ている?私は、若いのが次々とダウンすると最後にT君をつかまえ延々とつきあわせる。近年、報告集では必ず「こぼれ話」に載っているエピソードである。
私は「後輩」との約束を一つ果たせていない。それは、「若人の集い」の由緒ある主力活動の一つである「山車行列」を見に行くことである。これまで、T君のみならず「若人の集い」のメンバーの活躍ぶりを目の前で見ることなく、活動のこと、仕事のこと、結婚のこと、生き方のことなどアドバイスしてきた私は「いけすかない」奴と言われてもしょうがないのだろう。
今回、その約束がやっと果たせそうだ。仕事の都合で初日の夜の一部だけだが、T君の太鼓をたたく勇姿と「若人の集い」のメンバーが堂々と山車を引いている姿は見られそうだ。ただし、雨が降らなければ、である。
(北海道高生研 井上)
今までとこれから
青森高生研の田村です。
学校現場に帰って5年目になります。今年は、一年生の担任です。入学式を終え、班やクラスの役割を決定しクラス経営が始まりました。新たな子どもたちとの出会いにわくわくしながら、生徒の前に立ちました。しかし、4月から6月までの間に、問題行動や様々なトラブルが起こり、担任の私は日々振り回されています。中でも、メールやネット上のトラブルは以前より多く、時代の流れを感じます。また、幼稚な行動が多く、自分の年齢を感じると共に、子どもたちが人間として育っていないことを痛感する毎日です。
今まで6つのクラスの担任をしています。高生研に出会ったのは2クラス目。3クラス目から高生研流のホームルーム、授業、生徒会活動などを実践してきました。それまでは、生徒を枠の中に閉じこめ、それからはみ出した生徒は徹底的に暴力的に指導していました。その指導には限界があることを感じていた時に高生研に出会いました。教育書を読みあさるうちに、高生研の班指導、集団指導が気にかかり出しました。対馬文夫先生、両角憲二先生にあこがれ、高生研に加入しました。その数年後、青森高生研の事務局長を10年間努め、今でも青森高生研の常任の末席に名を連ねています。
学校現場は管理と多忙化が進み高生研流の指導は困難になっています。学校の校務や雑務に振り回され、生徒とじっくり話したり、指導する時間はそぎ落とされてしまっています。そのため、生徒の自主性、自発性、自立性は育っていません。また、それを育てる教師も育っていません。
私たちのこれからの役割は、高生研が今まで累々と積み重ねてきた知識・経験・技術を次代の教師に引き継ぐことです。また、それを更に発展させて、新しい時代に要求される高生研流を模索することです。新高生研がその責務を担ってくれることを願っています。また、私がその一翼を担えればと思っています。青森高生研
田村儀則
市民としての教師とは
校内(校舎内じゃない敷地内)の喫煙場所で校長に「山びこ学校」の話しをしたら、校長も読んだことがあり、「遠い山びこ」佐野眞一(2007年新潮文庫)も読んだと言うので借りた。それも読んでから機関誌の原稿を書いた。
私は教師35年目であるが、学校の中枢の仕事をしたことはない。主任の経験は一度もない。今の学校で特別支援教育コーディネーターとなり、学校の内側と外側をつなぐ役割を得たが残念ながら先生方のニーズがなく、またはニーズを引き出すことができなかった。そこで校長が新たに「広報係」という分掌をつくって私を係長に据えた。何をしているかというと、地元新聞社に連絡して生徒たちの活動を新聞に掲載してもらう仕事だ。学校の宣伝のためじゃない。生徒の表情や言葉を取材してもらって、生徒たちに知らせるためだ。すでに4回生徒たちの活動が新聞掲載された。若くて遠慮のない新聞記者が「暑気払いでもどうですか」と言うので、言葉だけに終わらせるなんていうもったないことはぜす、校長、私、若い新聞記者の4名で懇親した。外の世界の人と交流するのは刺激的だ。私たちも新聞記者を刺激した。ギブアンドテイク。そのとき校長には「遠い山びこ」を借りたお礼に、新聞記者には「いま高校教育の何が問題か」を知ってもらうために、機関誌を贈呈した。
次の取材依頼文をもう書いた。今度あるNPO法人の主催で南三陸町にボランティア活動に出かける。教員複数名と生徒超複数名。私たち教員は引率者ではなく、同行者である。形式的には学校はかかわらない。しかし、学校という場があり、そこに震災ボランティアや学校の広報に関心をもつ教員がいるから、生徒たちもこのような活動を知るのだし、安心感と同時に意欲も高めつつ参加できる。教員の仕事ではないが学校という場がるからこそ可能な市民の仕事である。
そういう外と内の仕事の境界にある仕事をできることに私は誇りを感じている。職場には少ない労働組合員がいるが、蓄えられた分会の貯蓄をこの活動に支出することにも同意してもらった。
○○○にもこの活動を理解してもらっている。
「『集団づくり』の実践的伝統を引き継ぐ」とは 久田晴生(愛知)
今全国大会の一般分科会で、私はHR分科会1を担当する。レポートは松本源太郎さんの「核を意識した学級」である。すでに何人かの方がこのブログで紹介されているとおり、かの大西忠治が著した『核のいる学級』(明治図書,1964)に触発されて行った実践である。送られてきたレポートと『核のいる学級』を読んで、「大変な分科会を担当することになってしまった」というのが率直な感想である。
高生研は、1997年夏に現在の指標を採択した際、合わせて会則改正も行った。それ以前の会則には「集団主義」という言葉があったのだが、それを削除し、その代わり、新設した指標の中に「『集団づくり』の実践的伝統を引き継ぎ」という語句を盛り込んだのである。「集団主義」を会の目的から外し、「集団づくり」は伝統としては重んじるけど、かならずしもそれに囚われる必要がないとも読める方向に転換したわけである。
あれから15年、松本さんが前述のレポートを引っさげて全国大会に乗り込んできた。聞くところによると、松本さんは高生研の会員ではなく、たまたま古書店で前述書に出会ったことが実践のきっかけと聞く。とすると、今回の全国大会は松本さんにしてみれば、「集団主義」という看板を出していた道場に対外試合を申し込みにきたつもりなのに、道場はいつの間にかその看板を外していた、みたいなものである。
私が「大変な分科会」と言ったのは、この分科会は、松本さんのレポートを分析・検討することにとどまらず、高生研が「集団主義」「集団づくり」をどう総括し、これからどう受け継いでいくべきかということまで問われていると思ったからである。いや、その総括を十分検討してこなかったのではないか、と松本さんに突きつけられた思いがしたのである。その意味では、高生研のリニューアルにふさわしい分科会であると思う。と同時に、1分科会に留めるのではなく、高生研全体で検討する必要があると考える。
さてもう一題。最近「管理」について考えさせられることが2度あった。1つは、先週の三重高生研の合宿研究会で報告されたHR実践レポートである。毎回のLHRで、団扇作り、生徒の自作川柳が書かれた巨大なカルタ大会、手製まわし着用の相撲大会、そして年度末には自家製アルバム等々、いわば「百連発」を地で行くHR実践である。その一方で実践者H氏は管理の必要性を説く。初任校で荒れたクラスの担任をいきなり持たされたことがきっかけとなって管理の必要性を感じ、その後、転勤先で生徒部長を担当したこともあって管理の徹底を図っていく。
もう一つは、先日の金曜日、全生研のあるサークルでのこと。そこに参加した一人の大学生が「大学では子どもたちの発達の可能性とか支援・指導の必要性は学ぶが、管理についてはほとんど学んでいない。今多くの若い先生が挫折するのは、管理の仕方が分からないからではないか。」と語ったのである。これを聞いて私は、彼が言うところの、あるいは最近よく見聞きする若い人たちの困難と苦悩、および上記の松本レポート、そしてH氏のHR実践が、一つながりになって目の前に現れたような感覚を持ったのである。その例会では「安心、安全を保障するために管理をする」ということで落ち着いたが、確かに、全生研にしても高生研にしても名だたる実践家は管理もうまい。H氏もHR実践をするためには落ち着いたクラスが必要であり、そのためには管理が必要と考えたのである。
かつて高生研は「レジム」という言葉をよく使った。「体制」「構造」あるいは「枠組み」とでも訳したら良いであろうか。例えば、「班」とか「班長会」というのはクラス内のレジムである。高生研・全生研は、このレジムを活用することで私的なトラブルが公的イシューへとせり上がることを可能にすることに、レジムの意義を見出してきた。『核のいる学級』で盛んに登場する日直は、集団が自主管理するためのレジムである。松本さんもこの自主管理の部分に注目している。高生研・全生研の実践は、指導と管理を峻別しつつ、しかし管理抜きにして考えてはこなかったのである。
指導と管理、レジム、班、日直……、私たちは、「集団主義」「集団づくり」をどう総括し、どうこれからに受け継いでいったらいいのだろうか。高生研のリニューアルのために乗り越えなければならない課題が、今突きつけられている。
群馬も二桁参加に
東京大会の受付・千葉高生研より
7月1日現在の参加者申込数が72人となりました。毎週ほぼ10人ずつ増えております。いよいよ7月となり大会まであと1ヵ月余り、各支部とも本腰を入れて参加者増に取り組んで下さい。
神奈川から初の申込がありました。これで21都道府県になりました。また、大学生・院生の参加申込が3人になりました。
千葉12
群馬10
東京9
秋田7
静岡4 熊本4
大阪3 青森3
北海道2 茨城2 埼玉2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 神奈川1人 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1
いよいよベールを脱ぐ!? 高校生活指導 18歳を市民に 194号
194号は校正戻しもすべて終え、7月1日、日帰りで上京して、出版社と最後の詰めを行いました。あとは、いよいよ8月1日の発売を待つのみ! 引き落とし会員、直接購読の方にはこれまでどおり郵送されます。
第1特集「シティズンシップ実践を始めよう」は、「シティズンシップ実践って、なんだか遠いよね」と思っている方にゼヒ読んでもらいたい。4つの実践とその分析、小玉論文と現場教師の応答を通じて、ふだんの実践から生徒の市民性を育てていく道すじが スッキリハッキリ!見えてくるはずです。
高生研の魅力は、よく書き込まれた実践記録と実践者を励ます分析。実践者(記録者)と分析者の1対1の応答で、より議論が深まるように意図しました。
森野実践は、発達障がいを持つA君の「喫煙」事件をめぐる記録です。さまざまな登場人物を通して、不器用な人間に「普通」の基準を押し付け、はみ出させてしまう政治が見えてきます。
伊藤実践は、メディア研究部の文化祭の取り組みです。生徒たちが設定したテーマは、「NIMBY?」。「Not In My Back Yard(関係ない)」の略語です。自由に表現することや知ることで傷ついたり他人を傷つけるこわさに立ちすくんでしまう自分を乗りこえて、無関心で閉ざされた世界の扉を開けようとする生徒たちが報告されます。
酒田実践は、震災復興募金に取り組んだ生徒会の記録です。地元が震災にあう中で、高校生が自分たちの地域の復興の問題として、生徒会方針で募金を決定し行動を起こします。「困っている人に手をさしのべる」というまさに政治の原点のような活動が、公立高校の社会的存在意義を考えさせてくれます。
佐藤実践は、教育基本条例問題で政治的な自主規制が働きがちな大阪で、言論の自由を生徒とともに作り出していく授業実践です。異質の意見を認め合う関係づくりは、単に授業技術のレベルを超えて、私たちの市民社会観を揺さぶるでしょう。
小玉重夫論文「シティズンシップ教育再入門 ―市民教育に求められる教師の指導性―」では、シティズンシップ教育をわかりやすく整理し、実践するための視点を提起してもらいました。「難民から市民へ」、「権力の遂行中断性」という提起は、私たちの実践に深い示唆を与えると思います。(つづく)
工業高校三年生が、福島の人たちに聞きたいこととその答え
熊本高生研 藤川 秀一
<この取り組みの簡単な紹介>
私の長男が昨年9月から今年1月まで、6か月限定で福島(郡山市)へ転勤したので職場の女性(20代後半)に「工業高校生(三年)」から託された質問を尋てもらいました。中盤の「私たちがやれること」の1~4は、私と長男が一緒に考えことです。12月上旬の考査問題に同じ設問を出しました。工業高校の生徒たちの反応はレポートの最後です。
<福島県の方への質問とその答え>
問・私たち熊本県人が災害を受けた方々のためにできることは何かありますか?
答・特にはないですが、もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。
問・今回のことで日本政府の対応や世界の国々の対応で、身を持って感じたことはど なことですか。
答・日本政府の原発事故情報のいい加減さに腹が立った。
問・福島第一原発事故後、体調の変化はありましたか。
答・特にありません。
問・今後も福島に住み続けたいと思っていますか?
答・今のところはなんとも言えない。住まざるを得ない。
問・国に今一番やってもらいたいことは何ですか?
答・原発事故対策、原発の安定化や放射能の除染など。
問・震災の前と後では、生活や意識はどのように変わりましたか?
答・放射能の影響に敏感になった。例えば赤ちゃんのミルクを作る時、水道水ではなくミネラルウォーターを使う。(飲み水やお米を研ぐのにミネラルウォーターを使う人ちもいるようです。)
問・生活の中で苦労することは何ですか。
答・子どもたちに放射能の影響が及ばないようにすること。(ちなみに一万円前後の放射線測定器がドラッグ店ではよく売れているそうです。これはエアカウンターという機械です。福島を中心に保護者の方が購入してます。ほぼ他県では販売されていません。テレビで放射線量がでてましたが、あくまでその地域の中心地で測っているだけであり同じ市町村内でも場所によりかなり誤差があるようです。)
問・東京電力のことをどう思いますか。
答・早く事故を収束させて欲しい。
問・原発について今どう思ってますか。
問・日本各地の原発はすべてなくした方が良いと思いますか。
答・ないならそれに越したことはない
問・原発だけが悪いと思ってますか、悪いのは有り得ないレベルの地震や津波のせいゃないでしょうか。
答・悪いのは地震ではなく、事故を起こした原発です。
問・前の福島に戻ると思いますか。
答・わかりません。戻って欲しいです。
問・義援金はちゃんと届いていますか。
答・義援金は関係ありません。放射能は東電の責任ですから。
問・自分と同じ高校三年生もいると思いますが、就職や進学はどうなってますか。
答・福島県内には就職しない方がいい、県外に就職した方がいいという話しもあるそ です。
問・今高校生はどういうことを目的として生活をされていますか。
問・震災以前の生活と比べると今の生活はどうですか。
答・基本的には変わらない。放射能の心配を除けば。
問・震災があってから約半年、大変なことがたくさんあったと思いますが、その中を きて中で心の支えになったものはありますか。
答・家族や恋人、友人が一番の支えになった。
問・これから先どんなことが不安ですか?
答・(記録なし)
<私たちがやれること>
「もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。」という福島の人へ答として。
1.何ができるかを考えることこそが、できることの第一歩ではないだろうか。
2.被災者、被災地のことを記憶し、周りの人たちに伝えること。
3.生きたお金を使うこと。被災地・被災者に還元されるお金の使い方をする。熊本の 鶴屋で東北3県の物産展があれば、そこで物を買う。被災地を旅行し、例えば風評被害にあっている会津若松に観光してお金を使う。
4.しっかり働いて復興財源となる税金を払う。
ここまでをプリントして生徒たちに読んでもらいました。そして、
<期末考査の「被災者や被災地に対して、わたしたちが出来ることは何でしょうか。」 という問題への3年生の回答と感想>
・この質問の答えにある日本政府の原発事故情報のいい加減さというものは、本当にそのとおりだと思いました。今回の原発事故では炉内の水位や放射能についての情報がはっきりしていなくて、ましてや隠ぺいまでもしていたりして本当に対応がいけなかったと思います。これからできることとしては、自分は電力会社に行くので、発電部門などに携わった時には、しっかりとした正しい情報を伝えていかないといけないと思いました。
・被災地から離れている私たちが出来ることは、募金と早い復興をいのる事だと思います。自分は被災地に行って人助けなどはできないので、自分に出来る一番の事だと思います。
・今すぐ出来ることは義援金だけ。直接出来ることはないと思いますが、これから自分たちはいろいろな土地で日本の発展に貢献します。具体的な例は挙げられませんが自分たちが一生懸命行うことは、巡り巡って福島の人たちの利益になることはまちがいないと思います。自分も電気関係の職に就くので、自分が本当に出来ることを早く見つけだしたいと思っています。できるだけ早く、どのような形ででも福島や周りの県の人たちの力になれたらと思っています。
・今、僕たちがやらなければならないことは、今をしっかり生きることなんじゃないかと思います。また、4月から仕事を始めて、被災地の復興のために生産することだとも思います。
・食料を届けたり、節電することもとても大事だと思う。でも自分が一番大事だと思うのは、福島で起きてしまった事故を自分たちは起こさないことだと思います。福島の人たちの経験を絶対ムダにしてはならないと思うので、自分はこれができることだと思います。
・福島県の人々の原発事故への思いを感じとり、まずそのような原発事故が起こらないように、自分達のような専門の知識を持った者達で頑張り、事故の防止に努めなくてはいけないと思う。
・被災地の人たちに質問と答えを読んで、原子力発電所に対してのいかりがすごいと感じました。放射能は人体に影響を及ぼすものなので、はやく除染してほしいと思いました。それと水の大切さを改めて感じ、節水に心がけようと思いました。
・被災地やそこにいる被災者の要望に応えてあげる事だと思う。義援金や復興の為の応援は勿論大事だけど、それ以上に被災した地域の人達の要望に応えてあげないと、ただ単に支援物資や義援金を送ってハイ終わり、という風な感じに見えてしまい、他人事のように感じてしまうところがあった。それならいっそのこと、大変かもしれないけど一人一人に要望を聞いて、もし、あるならそれに応えてあげた方が助けになる思う。
・被災された方に直接してあげられることは出来ないかもしれないが、政府がより、この問題に対応出来るように他の問題を軽減できたらと思う。そのために節約など小さなことから社会に貢献していかなければいけない。
・今私たちに何ができるかと言われれば、義援金を送る、必要品を送る、また復興をいのることしかできないと思います。原発問題も含め、今の私たちに出来ることは一握りもないと思います。だからこそ「できることはやる」そして「他人ごとにしないことが、今私たちがすべきことだと思います。「協力」「助けあい」が大切だと感じた一年でした。
・まずは募金をしてお金を送る。そしてもし被災者と会ったら快く受け入れてあげ、風評に惑わされず、正しい知識を持つ。将来同じことが起こらないよう高い技術をこれから学んで身に付けていく。
・自分一人で被災された方々になにかしてあげることはないと思うけど、被災された方々の中でも下向きな考え方になっている方々がいると思うので、テレビなどを使って少しでも元気を与えられたらいいなあと思います。
・私たちに出来ることは、これから社会に出ていく上で、一生懸命働いていろいろなものを買って経済を発展させることだと思います。直接被災地に行ってボランティアをすることも大切ですが、なかなか行く余裕はありません。行けないなら行けないで九州から東北へパワーを送って、日本国民全体で東北の復興を支えていけたらいいな思います。
・被災地の為にできることは、自分は、風評被害を減らすことが大切だと思います。実際に現地の食べ物で放射性物質が検出されていないものなら食べても大丈夫だし、食べ物が売れることによってお金が入り復興も早くなると思うからです。
・やはり地震が起きた前と後では、ずいぶん生活が変わったんだと思います。原発事故情報は隠さないで、正確な情報を伝えれば良かったのにと思いました。早く前の福島県に戻ってほしいです。
・今福島はしっかりと立ち直ろうとしていると思います。それを忘れないで生活をしていくこと、それが一番大事なのではないでしょうか?。(原文のまま)
(ふじかわしゅういち)
つづいて、SATOツーリストです
「安宿プラン、まだあいてますか?」というメールをあちこちからいただく時期となりました。
20数室おさえたのが、あと、シングル2部屋、ツイン2部屋、8/11(土)1泊だけのシングル2部屋だけになってしまいました。
ご用命はどうぞお早めに。
基本は、「8/10、11 2泊。JR巣鴨駅前(東洋大学まで徒歩圏内)、シングル素泊まり 2泊で9900円。ツイン素泊まり1人2泊で8900円」です。
今年の特徴は、大阪だけでなく、他県の方々からのご用命が多いこと。
滋賀、長野、秋田、和歌山、鳥取……。
そして今年ももちろん、「安宿」ですから、若手のご用命、多いです。
(秋田のSさん(新採女性3人で)や和歌山のHさんら、リピーター御礼!)
今年も元気な顔お互いに合わせられること、楽しみにしております。
ご用命は、わがままいいますききますお互いに! のSATOツーリストでした。
taikanokaisin@kd6.so-net.ne.jp
教科研大会と高生研大会、ハシゴできます。
大阪高生研・サトウです。
教科研大会が8月の9日(木)~11日(土)、高生研大会が同10日(金)~12日(日)。
どちらも東京。前者が法政大学、後者東洋大学。
これを「日程カブって残念やなあ」とみる向きもありますが、サトウは、「やった! ハシゴできる!」と、初の教科研大会参加を楽しみにしています。
大田堯さんのドキュメント映画「かすかな光へ」の上映がある(9日朝)し、太田さんご自身のトークもあるようだ。積極的にフクシマにかかわる詩人、アーサー・ビナードさんの語りライブもおもしろそう。
そしてナント。
10日(金)午前の「社会認識と平和」分科会では、サトウが報告するという「他流試合」もあるんです。
サトウの報告タイトルは、「大阪府教育基本条例案を私情をまじえず教えてみた」。
おっとこれって、高生研大会にあわせて発刊する「高校生活指導」194号に載せた実践記録そのままで、毎度のごとく、「う~ん、残念。報告時間が足りません」となるのは必至。
ならばここは、「続きは、これ(高校生活指導)を買ってね」と分科会に来てくれた方々に売り込むことにしよう。
サトウに報告依頼をくださった運営担当・久保田貢さん(愛知県立大学)からは、
「この間の大阪の動向については、教科研でも最重要検討課題として位置付けていて、先週末からの全国委員会でも大いに議論をしました」
とのメールをもらいました。
ならば、高生研大会の
・8月10日(金)夜 「渡部謙一さん(もと東京都立高校校長)を囲んで「教育改革」を改革する道を考える」交流会
・8月12日(日) 午前「政治と教育の“間”を考える 大阪の状況から、全国の状況から」 提起:大阪高生研 ゲスト:岡本厚 氏(岩波書店『世界』前編集長)
も“関連企画”として、「高生研大会もハシゴできますよ」といっぱい宣伝してこよう!
教科研大会。
サトウは9日から行く予定です。 ご一緒しませんか?
教科研大会チラシ http://homepage3.nifty.com/kyoukaken/2012taikaichiRM_0630.pdf
高生研大会リーフレット http://kouseiken.jp/thk3701/12TokyoTaikaiLeaf.PDF
熊本高生研 7月学習会へのお誘い
熊本高生研学習担当 今田隆恵(御船高校)
夏休みが迫ってきました。夏休み(又は2学期)は何か楽しいことをしたい!でも何をどうやったらいいか分からない、という方のための学習会、「菊池高校1000人バーベキュー」の仕掛け人から学ぶ、を計画しました。
以下、レポートの内容をちょっとだけ紹介します。
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昨年4月の転任早々、生徒会顧問の主査を任され、行事の波が押し寄せる中、持ち前のバイタリティあふれる行動力と交渉術で、顧問団の先生方・生徒会役員の生徒たちと共に1年間を乗り切る。そして、2年目の4月の新入生対面式。数ヶ月前から水面下で計画されてきたある構想が、菊池の街全体を巻き込んで炸裂する!その名も1000人バーベキュー!!(生徒700人、教師100人、保護者100人、同窓会100人)肉や野菜、そして使われる炭までこだわりの地元産。関わった企業10社以上・・・。当日は生徒たちの笑顔が校庭中にあふれた。実はしかし、そこまでの道のりは決して容易なものではなかった・・・。 前年度、「君たちのやりたいことはなんだ?なにか独自の新しい企画のアイディアは?」の問いかけに生徒会役員の生徒たちは、「先生、ただでさえこなすのに大変なのに・・・例年通りでいいですよ」との返答の繰り返し。「何が楽しくて、役員なんかやっているんだ?もう、やってみせるしかない。俺が楽しいと思うことをやろう!」 |
2年目にして、どのようにしてこの壮大な企画が成功したのか?その技と熱い思いを聞いて、一緒に学びませんか?是非ご参加ください!!
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日時:7月14日(土) 15:00~17:00→いつもと時間が違います! 場所:熊本市中央公民館(白川公園そば) 熊本市草葉町5-1 096-353-0151 学習内容:実践分析「菊池高校1000人バーベキュー」 吉田真一先生(菊池高校) |
※お問い合わせは今田またはこのチラシをもらったお近くの高生研会員まで。
モラルとルール
この春から生徒指導部長になりました。
高校総体の前に『生徒指導部だより』第2号を出しました。この4年間私がこだわって作り続けて来た生徒指導部のニュースレターです。その中で、携帯音楽プレーヤーの使用禁止を打ち出しました。昨年春から教師間・生徒間でいろいろ話し合ってきた懸案事項です。そのため生徒会の生徒を中心にかなり反発をかっています。話し合っている最中に一方的に禁止を打ち出したという訳です。
もともと私はこのようなルールは不要という立場です。学校にルールが増えれば増えるほ…ど、生徒たちが自己決定する場が減り、子どもたちの自己肯定感を育む機会が減ると思うからです。
それでもあえて今回禁止を打ち出した理由は、担任団からはルールづくりを求める声が強く、作らざるを得なかったという面があります。若い担任達は「モラル」の問題じゃすまなくて、どうしても「ルール」でしか指導できないようです。必要なようです。
先日の職員会議で三者協議会を設置することが決定しました。実はこの携帯音楽プレーヤー問題、この三者協議会の伏線になっています。最初の協議会(試行)は7月下旬を考えていますが、ここで携帯音楽プレーヤーについて生徒と話し合う予定です。教師側が一方的に作ったルールを生徒が三者協議会の議論の中で覆すというダイナミックな取組みが出来るのではないかと考えています。
けっこう生徒とは腹をわって話をすることもあるのですが、先日バドミントン部の生徒から「(生徒指導部長が)酒田先生になってむしろ厳しくなった」と詰め寄られてしまいました。
生徒指導部長はつらいな~。(青森高生研 酒田)
東京大会へのお誘い
申込み状況をみると群馬の申込みは現在8名。5月の全国委員会で20名という目標をあげたので、今働きかけを強めています。私は6月21日に9名の方々にリーフレットと手紙を送りました。今回の大会のテーマは「18歳を市民に」~学校に対話と討論を~です。
その手紙には次のように書きました。
私は1981年(27歳)のときに高生研に出会い 以後ずっと研究会に参加し 支え その運営を担ってきました
学校という職場以外のそのような公共的な学びと交流の場所がなかったら 今の私はどんな私であったか想像もつきません
話を聴き 話し合う場が そこに置かれる そこにつくり出されるだけで 私たち自身の教育を含む教育の仕事が開始される そのことを今改めて考えています
しかし この置かれる つくりだされるだけ ということがいかに困難でかつ不思議さを含んだ興味深いことであるかも
東洋大学板倉で「教職概論」の講義をはじめて3年目になります
私は高校では授業のなかで話し合うという場を置くことはありませんが この大学1年生を対象とした講義では 話し合うこと 発表すること 書かせることを毎回取り入れています
「他の人と意見がかみ合わず最後までまとめることができなかった。しかし、話し合っている途中にも相手の意見も一理あると考え、その意見をつぶすのは勿体ないと思った。と同時に自分の意見も伝えて(多分)相手にも理解してもらった。私は今まで人に嫌われるのが恐くて、他人と意見が食い違えば自分の気持ちを押し殺してきたが、こうしてお互いの意見に納得しあうこともできるのだなと思った」と書いた女子学生がいます
この小さな一歩は実は大きな一歩であること このあたりまえに思えることが 今この世界に求められていることなのだと思います
全国委員会で関東都府県の全国委員があげた目標数を記します。
埼玉 6→10
東京 20→40
神奈川 8→15
群馬 10→20
千葉 10→20
茨城 7→10
これで合計115名です。
その他の府県でも職場の友人やかかわりのある学生のみなさんへの働きかけをお願いします。
実行委員会事務局長 船橋聖一
全国大会回想記 その③
大阪高生研の西村です。前回の続きです。
1993年の全国大会は山形で開催されましたが、残念ながら私は参加しませんでした。3年の担任だったこと、当時、東北地方はいかにも遠方に感じられたこと、そしてなによりいままで一緒に行っていた同僚の先生も不参加だったことが重なって、1991年から現在までで唯一、この大会だけが不参加でした。後日、おまかせの行商で開催地を訪れ、素敵な場所に不参加だったことをたいへん悔やみました。
1994年の長崎大会には、はじめて職場から一人で参加しました。もし、他の場所で開催されていたら参加していたかどうか…。というのも、大会参加もさることながら、当時傾倒していた坂本竜馬の足跡を訪ねることが長崎行きの重要な要因だったのです。が、大会での太鼓教室や深夜までのホテルのロビーでの語らい、早朝のソーラン節講習など、高生研全国大会の魅力にはじめて触れた大会でもありました。
翌年は山梨大会で、大阪からの参加者は少なかったように記憶しています。私としては東京の劇団・青年劇場のM氏との語らいが非常に印象深く、さまざまなところで語ってきました。あと、帰りがけに上九一色村のサティアンを見に行ったことですか。最近、指名手配中の容疑者が次々と逮捕され、またクローズアップされていますが、当時はサティアンでの逮捕劇の直後で、現場近くは警察が交通規制をしていて遠くから眺めた程度でした。
1995年は青森大会で、三沢温泉での開催でした。2年後に大阪で全国大会を引き受けることになり、ただ大会に参加するだけではなく、大会運営の下見としての大会参加でもありました。その歓迎の夕べでいきなり「振鈴」を見せられ仰天し、別れの集いのクライマックスに感動し、たいへん心を揺さぶられる大会でした。大会後、はじめてねぶた祭りに出会ったことをはじめ、青森・函館を堪能したことも印象的でした。
翌年の神奈川大会は、次年度の大阪大会をかなり意識して参加した大会でした。大阪高生研のメンバーがどんどん結束していったような印象があります。とにかく、大阪大会のアッピールばっかりしていたような気がします。そのぶん、せっかくの箱根を満喫できなかったのが残念でした。 (つづく)
千葉の参加申込者が2桁に
東京大会の受付・千葉高生研より
恒例の月曜日の東京大会参加申込者数速報です。わが千葉高生研が、地元受付の名誉にかけて2桁の大台に乗せ、トップとなりました。先週の土曜日に、千葉高生研としては最後の例会を行い、そこでの検討の結果、目標の20名はいくだろうという予測が成り立ちました。(ちなみに、千葉高生研としての例会は最後ですが、有志の研究会は続けてくことになっています。ただし、参加を広く呼びかけたりというような活動はしません)
合計の参加申込者数は64名となりました。
千葉12
群馬9
秋田6 東京6
静岡4 熊本4
大阪3
北海道2 青森2 埼玉2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 茨城1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1
一般分科会6 「市民になるための学び・市民のための学び-原発と放射能の授業から考える-」
高生研 第50回(東京)大会
分科会B(午後)
市民になるための学び・市民のための学び-原発と放射能の授業から考える-
川原茂雄(北海道)
2011年3月11日は多くの人々にとって「人生の転機」になりました。社会科系を教え生活指導であまたの生徒たちを「主権者」に育ててきた高校教師「川原茂雄」にとっては、「懺悔」の1日であったのです。自分は原発や放射能の危険性について知っていたのに、結局は「何もできなかった」、市民として「行動できてなかった」のではないか、と。
即断即決で展開した「原発特別授業」は新聞を通じ多くの市民の反響があり、同じく3.11で立ち上がった市民との出会いあり、そこから「原発出前」教師「かわはらしげお」が誕生します。
「18歳を市民に」を前面に掲げて再スタートを切る全国高生研。これに対し北海道からは「教師の市民性」「主権者としての当事者意識」についてこの分科会を通じて問題提起します。また、父親として深い愛情が感じられるエピソードなど、ここでしか聞けない話満載です!
(文責:運営担当 北海道高生研 井上)
「ヲタ芸」をめぐるてんまつ ~昨年の熱い夏から~
「昨日の日曜日のステージ練習、無断で来なかった人が10人もいました。無断で休むなんて人としてどうなんですか!失礼にもほどがあります!」とキツい口調で訴えたのはNさん。文化祭本番9月6日を数日後に控えた月曜午後のHRだった。
3年生各クラス、ステージ上での持ち時間は20分と決められている。その範囲内で、なにかしらのパフォーマンスを、全員がステージに立つ場面を少なくとも一つ入れて各クラスが創意工夫する、というのが3年生に課せられたテーマである。他クラスと違って、このクラスはほぼ全員が(指定校や公募制推薦でなく)一般入試での進学希望で、夏休みは受験勉強の一つの山場だ。演劇が課題だった2年生の時は、ミヒャエル・エンデの「モモ」から台本を起こし、役者から大道具・照明・音響にいたるまで全力で取り組んで素晴らしい作品を作り上げた生徒たちだが、「今年はそんなゆとりはありません」という雰囲気が7月当初には漂っていた。
しかし「受験を理由に文化祭に手を抜くことはしたくない」と宣言したNさんが企画担当に立候補し「音楽とダンスの趣味の合う人同士で小さなダンスグループをいくつか作って、小グループで時間を合わせて練習する。これなら練習に割く時間の負担が少ない。クラス全体では二部合唱をする。合唱の練習は二学期が始まる8月25日以降の午後にする。」という案を出してきた。この案は圧倒的多数で支持された。「小グループのリーダーを先に募ってグループ員を後から募集する方がよくない?」という担任のアドバイスが受け入れられて、いくつかのグループ募集がクラスに掲示された。
その中に男子(このクラスには13人しかいない)Kくんの「ヲタ芸」も含まれていた。私の反応は「へー、ヲタ芸って何?」という素朴な疑問だったのだが、Nさんたち一部女子の反応は「ヲタ芸?問題外。そんなものをクラスの出しものに入れるんですか?」というもので、Nさんが仕切る企画会議(クラス全員参加)で、「ヲタ芸をクラスの出しものに入れてもいいかどうか、意見をください」と議論の俎上に乗せられてしまったのだ。「ヲタ芸」グループに参加するつもりだと意思表示した男子が8名いたのに加えて、女子を含む圧倒的多数が「入れてもいい」と意思表示したのでこの件は一見落着したが。しかし「なんで僕の案だけが、賛否を問われないといけないんですか!」とKくんは怒っていた。彼の怒りはもっともである。「『ヲタ芸』っていう呼び方がまだ社会的認知を得ていないからかなぁ~~。申し訳なかったよね~~。ライトスティックを持って踊るんだし、グループ名を『ライトスティックダンス』にしたら内容と名前が一致していいのでは?」と私は言った。Kくんのグループ名は「ライトスティックダンス」となった。
その後各グループの持ち時間の件で「ライトスティックダンス」グループのKくんとNさんたちは再びもめた。全体で20分しか持ち時間がないところに、クラス全体合唱5分、あとの15分を6グループで割るのである。3分を要求したKくんに対してNさんが割り当てたのは2分だった。「2分ではできない」とKくんは粘ったが、「ヲタ芸を3分間も見せられて観客は楽しいですか」とNさんは冷ややかだった。「こういうことはグル―プのリーダーが集まって決めたほうがいいよ。」と私はアドバイスし、進学補習の合間を縫ってリーダー会議が何度も持たれた。結局、グループ毎にだいたいの時間を目安として持ち、通しけいこを始めてから互いに融通して20分におさめる、という方針が確認された。もっともKくんはリーダー会議には来なかったのだが。(Kくんは夏休みに入るやいなや音信不通となった。某人気女子グループのサポートをしているらしかった)
話は元に戻り、8月後半の午後のHRである。グループ毎のダンスの練習は順調に進み、Kくんグループは8月25日以降の猛練習で完成度を上げつつあった。そのKくんたちが直前の週末のステージ練習に来なかったのである。クラス全体として少しでも良いものを、と焦るNさんの気持ちと、週末の練習は強制ではないだろ、という一部男子たちとに行き違いがあったのだ。そして冒頭のNさんの発言が飛び出したのだった。
「無断欠席するなんて、人としてなってないと思います」。というNさんの発言に反応してKくんがつぶやいた。「お前のその言い方のほうがなってないやろ」。「え?私に向かって言うてるんですか?」(Nさん)。「そうや。お前の、その、『私の方が正論です』ていう言い方、それ、他の人を見下してるやないか」(Kくん)。「オマエ、自分のすることやってから言えや」(YさんがKくんに向かって)。クラスの雰囲気は大勢がNさんに味方しているかのようだったが・・・・・・・。
それまで教壇の端に座りこんで聞いていた私は問うた。「みなさんはどう思うんですか?」生徒たちのクラス内での立ち位置が相対的に安定していて何かと無難にことをやり過ごしてきた生徒たちである。積極的に手は挙がらなかった。しかし私は「全員に発言してもらいます」と言って、順に生徒を充てていった。Nさんの気持ちに理解を示しつつも、メンバー員を猛特訓しているKくんの頑張りを評価する女子の発言内容が多く、Kくんを非難する声はごく少数だった。「それぞれが、できる形で力を出すと言うのが今年の方針だし、土曜の練習に来なかったのは悪くない。」という、Nさんに近い女子からの発言もあった。そのことはNさんにとっては意外で大きな衝撃だったようだ。この出来事はNさんに一時的ではあれ大きな孤独感を抱かせることとなり、この日から発表が終わるまでNさんを支えるのが私の仕事となった。(しかし後にNさんは、この事を通して自分を振り返ることができたと言っている)。
クラスのダンスは各グループが完成度の高いパフォーマンスを見せたが、特にKくんグループのヲタ芸「ライトスティックダンス」が大喝采を受けた。私もその完成度の高さに率直に感動して見ていた。「ヲタ芸があんなすごいものだとは知らなかった。」「Kのグループはキレが全然違いますね!」と職員からも感想を寄せられたほどだった。この後、ヲタ芸は若者文化の一ジャンルとしてクラスの中に公然と位置づいたのだった。
京都(田中)
交流会のお知らせ「多様なセクシャリティについて学ぼう」
交流会のお知らせ
「多様なセクシュアリティについて学ぼう
日時 ; 8月10日(金)19:00~21:00(18:30~お茶会開催)
場所 ; 東洋大学1号館 4 階
自分の周りに性同一障害や同性愛者などセクシュアルマイノリティがいると考えたことがありますか?性自認と体の性は同じで異性愛が当たり前と思っていませんか?無意識に生徒へ異性愛を強要したり、「ホモネタ」を笑う生徒をそのままにしていませんか?生徒の中には、男女別の制服や男女別に行う体育の授業に違和感を持っている子がいるかもしれません。
セクシュアルマイノリティと教育の専門家である渡辺さんを囲んで、「性」のしばりから自由になる第1歩を体験しましょう。もちろんジェンダーの問題もおおいに絡んでくる交流会になるはずです。
18:30くらいから、全国津々浦々から届いた美味しいお菓子をいただきながら食後のデザートを楽しみましょう。
渡辺大輔さんのプロフィール
千葉大学・埼玉大学・都留文科大学・東京都立大学・首都大学東京
法政大学・千葉市青葉看護専門学校 非常勤講師 博士(教育学)
専門:セクシュアルマイノリティ/セクシュアルマイノリティと教育
学校の「国際化」
火曜日の夜、公民館の一室に、日本語を学ぶ外国籍の母親と一緒に、幼稚園から高校までの子ども達が公民館にやってきます。日本語を学ぶのは、当初は、中国帰国家族でしたが、今は、中国やフィリピンなどからのお嫁さんがほとんどです。お母さんの都合で、言葉も知らず友達もいない日本に突然来た連れ子の戸惑いは気の毒なほどです。その上、学校になじめずいじめもあります。もちろん、日本で生まれた子ども達もいます。日本語教室では、日常生活にも関わって支援してきました。その結果、子供たちは元気に学校へ通っています。
問題は学校の勉強です。日常会話はすぐできますが、「学習言語」となると大変です。学校の先生は、子ども達がおしゃべり上手だから勉強にもついてこられる、と誤解をしてしまいます。「先生は、勉強に関係ないことをしゃべって、何言ってるか分からない。」と言う子がいました。先生の言う冗談が理解できないのです。
そして、高校入試があります。20年ほど前は、定時制しか行けなかったのですが、今は、一般入試で合格するようになりました。工業高校や商業高校、普通高校、ついには進学校にまで入るようになりました。東京外大に入り、「日中の架け橋になる」と頑張っている子もいます。その子たちは、小学校から日本語教室に通っていました。小学校の頃、日本語を上手に話すから学ばせる必要がない、と言われて来なくなった子も、高校に入ってからどうも勉強が分からない、というので話してみると、小学校3~4年生の頃の言葉が抜けていると言います。今、大学進学を目指して、また通ってきています。改めて言葉の基礎の大切さを知りました。
実際、どの子の親が外国人なのか、分かりません。見るからに「外国人」という子は少なく、アジア系の親の場合、顔や名前で判断できない場合が多いです。特に、お母さんが外国人の場合は、子供と密接に関わりながら言葉を伝えられない、という点で子供は難しい状況に置かれます。日本人にとって当たり前な言葉が伝えられていません。母親はチラシが読めず、風習が分からないので子供に無関心な親のように見えます。ある小学校では、それまで日本語指導を必要とする子供はいない、としていたそうですが、詳しく再調査したら十数人いたそうです。ちょっと変わった子、勉強の出来ない子、親が無関心な子、という風に理解されていたそうです。現在は補助員が付き、勉強の世話だけではなく、学校の通知の説明なども親にしています。
では、高校ではどうでしょうか。今はあまり家庭に関わらない時代で、そのことにより、多くのことが見えなくなってはいないでしょうか。昔は、夏休み中までにクラス全員の家庭訪問をすることが当然とされていました。時代の変化と言えばそれまでですが、担任が生徒の家庭に関心を持たなくなったことは正しいのでしょうか。学校でみせる生徒の姿で判断していないでしょうか。教師と保護者が仲良く出来ればよいのですが、教師側が拒んでいるような気がします。先の小学校のように、「変わった生徒」の本当の姿を知らなかった、ということはないでしょうか。
以上は、外国人が少ない秋田の話です。愛知、神奈川、東京、静岡、大阪はそうした児童生徒の多いベスト5です。そこではまた違った問題がありますが、日本国中、いない地域はありません。身近な「国際化」への対応が、どこの学校・教師にも求められているのです。しかも、英語では対応できません。 とらぬ狸@秋田