今からちょうど3年前、2009年5月の全国委員会において「2012年の大会までしか現状の常任委員会体制は維持できないことを確認する」という意味での「常任委員会の解散」が提起されました。新たな研究活動と組織活動の主体について高生研は討議すること、常任委員会は、その有志による討議に財政面を除いて介入しないこと、有志による討議の場を全国委員会や総会に保障することを提起し、全国委員会はそれを承認します。それをうけるかたちで絹村と藤本は、有志による組織検討委員会を立ち上げることを呼びかけます。
2009年8月の大阪大会総会終了後、十数名の有志による組織検討委員会が立ち上がります。
2010年8月の札幌大会総会では、組織検討委員会の「個人会員制を基本とし、有志グループの活動を中心とする」という検討結果が提起され、これが、現在の新会則案の原型となっていきます。また検討結果を受けて新高生研仮事務局が設置されることが決まります。
2010年12月の全国委員会終了後、17名の有志会員が集まり、新高生研仮事務局が発足しました。これまで10回以上の会議を重ね、新会則案、財政、新機関誌などについて討議を重ね、新体制の準備を整えてきたのです。
このようにして高生研という組織の中に有志による新たな主体が立ち上がったのです。高生研は、有志による新しい主体の出現にこだわってきました。この有志の精神は、新高生研の新しい組織原則にもなっています。
高生研は解散しないのですから従来の高生研とはまったく別の組織が生まれるのではありません。かといって、たんなる会則の変更でもないのだと思います。「新組織の発足」でもなく「組織の改変」でもないのです。あえて言うならそれは「新たな主体による再組織」ということになるのでしょう。これは、民間教育研究団体における大いなる実験的試みと言えるのかもしれません。
全国通信春号の「新高生研仮事務局からの経過報告とお願い」もあわせてお読みいただければ幸いです。
(新高生研仮事務局長 藤本幹人)
東京大会を考える(その④目撃 東洋大学 白山キャンパス)
東洋大学白山キャンパスを目撃してきました。
全国委員会のあと、第50回高生研全国大会2012東京大会会場の下見に行ってきました。
百聞は一見にしかず。話に聞いていた以上のものがありました。
ビジュアルに報告します。(写真をクリックすると大きく表示します。)
地下鉄白山駅をA3出口から出ます。向こうからリクルート姿の若者が大勢やってきます。
これは東洋大でセミナーか何かが行われてたに違いないと、その人並みが来る方向に進んでいきます。
125周年記念棟の建設工事を左手に正門にたどり着きました。
東洋大学正門。(写真①です)
奥にそびえるのがシンボル的建物2号館。この奥に分科会や全体会が行われる6号館や
大交流会が行われる食堂スエヒロが3号館地下にあります。さすがにこの日は日曜の夕方で食堂は閉まっていましたが、
6号館はしっかり見てきました。
6号館、西側からの外観。
(写真②です。こちら側からの出入りも出来ますが、やはり最寄りの地下鉄は白山駅とか千石駅になります)
分科会が行われる講義室を吹く抜け廊下2階から撮影。(写真③です)
吹き抜けの周りの廊下には、思い思いにくつろげるベンチがそこそこあって、互いの息づかいが感じられるいい空間になっています。
学食ランキング上位に位置する食堂はこの6号館地下にあります。
「なるほど、これなら人気があるのも納得。」といった建築空間なのでした。
大会中、そこが開いているかはまだ分からないそうです。
それよりもなによりも、私たちがおもいっきり学習できる環境が整っていることを確信しjました。
(アンドウ@みえ)
「佐藤レポートの司会をして」
玉名工業高校 藤川 秀一
分析会が始まるやいなや、大阪高生研代表の中村さんが班分けの妙技を見せてくれました。みなさんも活用してみて下さい。
参加者に年頭の抱負を漢字一字で書いてもらい、何人かにその意味を発表してもらいます。次に漢字の画数の順に一列に並んでもらい、5班に分けるなら「いち、に・・ご」と号令を掛け、5班に分けるというものです。「班分け」一つとっても、これまで大阪高生研は様々なやり方を教えてくれましたが、これはまたユニークな方法です。パクリたいと思います。
さて佐藤レポートは、20年間ずっと生徒会やクラス担任ばかりを担当してきた「HR派」教師が、慣れない「学年生徒指導主担」をすることになった。近隣有数の厳しい生徒指導が行われている学校で、「軟弱生徒指導主担」は、1年目の若手教師とタッグでどう取り組んだか、という内容です。
1年目の若手教師とタッグでどう取り組んだかの部分は、学代会議(各クラスの委員長、HR委員が出席)による学年自治の追求、具体的には「綱引き大会」や「球技大会」の自主運営、クラスの「席替えのルールづくり」の取り組み、さらには学年の生徒たちの要求をアンケートで募り、その中から「勉強会」を実現するなど、興味深い内容なのですが、当の若者教師のご都合が悪く、しかも時間的制約もあり、論議出来なかったのが大変残念でした。
今回の分析会の特徴は、参加者のみなさんの意欲的な質問(レポーターへの聞き込み)によって、佐藤さんの報告そのままからは見えなかった側面が明らかになったことでした。
例えば、「指導拒否は生指扱い」「頭髪違反は帰宅指導」など、いわゆる「毅然とした指導」は佐藤さんらしくない指導のやり方ではないか、という質問が明らかにした側面は、佐藤さんが生徒や親といつもじっくり話し込み、帰宅指導は極力避けることが出来るよう、事前に粘り強い語り掛けを続けていたということです。その意味で佐藤実践は排除しない実践だと言えるのではないでしょうか。さらに言えばゼロ・トレランス的な学校をまず学年から換骨奪胎していく学校づくりの実践と言えるでしょう。
また「だめなものはだめ」と厳格に生徒に迫ることの出来る同僚教師が、共に生徒指導に取り組む中で、次第に柔軟な指導もされるようになったのも、異質なものを異質なものとして終わらせない佐藤実践の懐の深さではないでしょうか。
今年の夏の東京での全国大会では、このレポートがぜひ一日通しの分科会で論議されることを期待します。 以上
TPPではなくTP参加
東京高生研 上條隆志
教師になったころと今と比べて、一番変わったと感じているのがLHRのあり方です。前はどんな学校でも、LHRは生徒自身のものであり、生徒が自主的に計画を立て実行するのが原則でした。従って連絡はすべてSHRで済ませます。それが、生徒会から降りてきた議題を討議する以外は、進路ガイダンスか教師の講話など大多数が「先生の時間」に変わってしまいました。生徒の企画は、遊びとか、散歩とか、食べ物をつくるなど多くなりますが、それも楽しい。もちろん教師からも提案して討論もしますがあくまで生徒の議決を経てです。私も脳裏に浮かぶのは高校時代の「男女手つなぎおに」のあのほのかなときめきです。
さて前回に続いて、物理の授業です。生徒からみんなで何かやりたいの声が大きくなってきました。物理のレパートリーには「電気パン」「べっこう飴」「綿あめ」がありますが(クラスで文化祭に物理縁日というのをやったことがあります。メインは黒板消しクリーナーを密かに分解してつくったホバークラフトです。)みんなの意見は、ぜひ学校でたこ焼きをやってみたい、ということでした。うーむ。さいわい物理実験室は強力な電源を備えています。いきましょうか。
誰か準備を担当してくれるかなの声に答えて、数名の実行委員会ができあがりました。ことは秘密を要します。他に口外せず知られず進めることにします。たこ焼き器数台を家から持ってくる人を決めること、材料、調理器具、石鹸などの調達があります。計画進行状況を共有しなければなりません。黒板で連絡しますが、符牒を決めましょう。タコヤキパーティーの頭文字をとって「TP」でどうか。これには爆笑。以後しばらく流行語となりました。「今日、TP参加についての話し合いがあります」。
さて当日、5時間目なので昼休みから準備開始。数名が近くのスーパーに買い出しに。教室の廊下側は締め切り、においが洩れないように工夫を凝らします。たこ焼き器を囲んで談笑しながらみんなでつくります。いい手つきです。Kさんがにこやかな笑みを浮かべながら「最初に焼いたのは先生に食べてほしいので」と持ってきます。うれしいなあと一口でほおばると、なんとわさびが充填されています。鳴り響く携帯のシャッター音。これが若者の得意ワザですね。チョコレートとかいろんなものを入れています。
ギターで歌を奏でる2人。「先生の曲を作ったので」と演奏してくれましたが、歌詞がないのでほめているのかけなしているのか分からず。
私は食中毒を起こしてはいかんと老婆心から「そこまだ早い!もっと焼いて」と注意して回ります。こういう企画の楽しみはいろいろな個性の生徒がそれぞれの良さをどのように発揮するかをみられるところですね。「やっと高校らしい思い出がひとつできました」とはある生徒の言です。
最新刊いよいよ発刊。キーワードは「スキマ」です。
大阪・おまかせHR研究会です。
「おまかせ」の最新刊、
「クラスがなごんでいい感じ~スキマ時間の小ワザ100連発」
いよいよ6月18日刊行(予定)、東京大会に間に合いました。
以下、「口上~出版にあたって」から。
東西トーザーイ!
LHR(ロングホームルーム)の時間、急に「この1時間は各クラスで自由にお使いください」と言われると何をしたらいいのか困ってしまいます――そんな声にお応えし、われら「おまかせHR研究会」が、『担任のアイディア100連発』と称し、「HRレクネタ」100発をご開帳して早や10年。
昨今では逆に、学校現場は何かと窮屈さが増し、「学力低下」「授業日数・時数確保」などの声におされ、「担任裁量でクラス仲良く楽しむ時間がなかなか取れない」との声があちこちで聞かれるようになってきました。
しかし、そんな苦しい状況でも、「HR派」教師たちは、各地でそれぞれ工夫をこらし、生徒たちと楽しく、クラスのコミュニケーションづくりに励んでおられます。
キーワードは「スキマ時間」の活用。
学校ではいろんな場面でちょっとした「スキマ」の時間が生じることも少なくない。出欠を確認した後のSHR、進路希望アンケートをとった後に微妙な感じで余ってしまった残り時間、どうせ時間いっぱいかかるだろうと思っていたのに思いのほかテキパキと決まってしまった球技大会選手決めの後……。
「1時間まるまる」は使えなくとも、10分、20分……の積み重ねで、クラスが徐々になごみ、「いい感じ」になっていく。
大阪発実践交流&執筆集団・おまかせHR研究会がお届けする、「スキマ時間」の活用アイデアが、クラスの「スキマ」を埋めていきます。どうぞご期待ください。
千載一遇の夢?
教員生活も20年近くなってきたが、今まで実現できなかった夢がふたつある。
しかし、そのうちひとつは、どうも今年、実現できそうだ。
それは、文化祭で演劇に取り組むこと。
沖縄では文化祭が三年に一度しか無い学校が多いので
担任をしている時に文化祭に当たる確率も低く、
さらに、その時クラスが演劇を選んでくれなければいけないので
何度も涙をのんできた(^^;;
しかし、今年のクラスは、クラス替えの時から話題になるほど
芸達者な生徒が多く、自然な流れで演劇に取り組むことになった。
とはいえ、1年、2年と演劇を経験した生徒はおらず、雲をもつかむ状態の様子。
ここは、年に十本以上演劇を見る芝居ヲタクの私も一肌脱がねば、と
有志のシナリオ会議に参加した。
学級役員と文化祭実行委員を中心に8人も集まったが、
なかなかいいアイディアが出ない。
そこで、前にクラスで決定したコンセプトを最確認する。
文化祭全体のテーマとして提出した
「和 ~わっつ あ わんだふる ワールド~」が
次点で没になったため、クラスのテーマにしたのだが、
ここには様々な思いが込められている。
わ、は平和の「和」であり、
みんなで「輪」になることであり、
言葉をかわす「話」でもある。
東日本大震災のことも念頭に置きながら
クラス全員が団結して、来てくれた人とも
人と人とのつながりの大切さを実感できる、
そんな作品を作りたいというのがクラスの願いだ。
それを考えた時、一人の男生徒が
「『ロスタイムライフ』はどうかな?」というアイディアを出した。
『ロスタイムライフ』とは、死の瞬間に人生のロスタイムを与えられたら
どう過ごすかということを命題にしたテレビドラマだそうで
一生懸命生きることの大切さを描けるのではないかという提案だった。
「感動」「青春」「友情」といった描きたかった要素が全て盛り込めそうで
生命の大切さもメッセージに込められるということで、演目が決定。
数人が場面ごとにシナリオを作成することが決まった。
本日は、文化祭出し物ぎめのプレゼンテーション。
職員実行委員の前で、演目について説明をし、上演許可をもらう大切な日である。
明日、実行委員が朗報を届けてくれれば、
ひと月後、またここで進捗状況を紹介したいと思っている。
東京大会を考える<その③現高生研と新高生研>
高生研全国大会は、今年、この東京大会で第50回開催となる。そしてこの大会をひとつの区切りに、高生研は新たな高生研として生まれ変わる。
現在、仮事務局を中心に準備が進められていて、この2012年東京大会の総会において正式なスタートを切ることになる。(詳しくは、「“新高生研”って何が新しくなるんだろう?」※)
この移行について、仮事務局長の藤本さんは、「『新組織の発足』でもなく、『組織の改変』でもないのです。あえて言うならそれは『新たな主体による再組織』ということになるでしょう。」(高生研全国通信2012春第161号)と伝える。この「新たな主体」というのは、何を指すのか? 高生研の会員また、※の記事を熟読された方なら気付くと思うが、「<常任委員>に変わる主体」ということになる。
高生研の会員でない人から見れば、「結局、組織の改変でしょ。」と受け止められることかもしれない。<常任委員会>を<有志グループ>に代えただけではないかと。しかし、<主体>という価値観を位置づけている点は注目すべきだと思う。
グループに主体的に関わるメンバーは、その位置づけとして総会の承認を受けることになっているものの、ある意味頼りないというか、曖昧というか、ボランタリーな存在に頼ることになる。そして、「もし、そんな主体的な人がいなくなったら組織はどうなる?」ということも考えてしまいそうだ。しかし、高生研がこの2・3年仮事務局会議で積み上げてきた議論の流れが、ここに集約されているように思う。「『18歳を市民に』と掲げる高生研」は必要とされる限り新高生研として続いていくことになる。もちろん、<主体>の様相も変化していき、組織議論は今後ますます必要になるだろう。
消閑亭さんが、「新高生研は、「頑張らない」」で伝えることを実践するために導き出したひとつの答えだと思う。
(文責 アンドウ@三重)
本の紹介(「つっこみ力」・熊本高生研通信186号から)
おすすめのl冊
パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』
(ちくま新書・700円+税・2007年2月刊行)
私(福永です)は、県が毎年出しているパンフレット『高校生のための百冊の本』(愛称「BOOKMAP」)の編集委員の末端に位置しているが、編集会議のさなかに「これは笑えて学べるよー」とある先生から提示されたのが、この本である。試しに一読すると、面白い面白い。しかも、どんどん折り目が増えていく(私は線を引く代わりにページの隅を折るクセがある。無論、身銭を切って買った本だけだが)。
著者はイタリア人と称しているが、どう考えても日本の若手の社会学者だろう(本人は「戯作者」と名乗っているけど)。彼はいう。「学問なんて誰にでもできる、くだらないけど面白い娯楽」、「社会学とは、社会と人間を対象とした究極の雑学」だと。そして、最近はやりのメディア・リテラシー(情報活用能力)なんてよくわからないことばをわかったようなフリして使うよりも、
「つっこみ力」の方がわかりやすいと説く。「つっこむ」ことで、さらに場を盛り上げ、笑いを招き入れることができる。「つっこみ
力」は「サービス精神」と「自己犠牲の精神」が息づいている点で、批判や批評、単なるメディア・リテラシーとは一線を画している。天才や異才が新しい価値を生み出し、私たち凡人は、それに「つっこむ」ことで、さらに盛り上げ、価値を高めていけるのである。
本書には、世の中の様々な疑問が登場するが、それをいくつか紹介したい。「郵政民営化でなぜ小泉自民党が圧倒的勝利をおさめたのか?」、「根拠のない国民性のイメージ(「イタリアは怠け者、日本人は我慢強い」など)を広めた名著とは?」、「”植民地支配は支配される側にも恩恵がある”という命題は正しいか?」、「ある会社の経営者が”給料を出来高制にすれば、仕事のできる社員はより多い報酬を求めて一生懸命に働くし、できない人もクビになるのを恐れて一生懸命に働く。ゆえに全社員が懸命に働く”といったが、この会社の未来は?」、「テレビのデジタル化は誰がのぞんだのか?」、「缶コーヒーの売り上げは○○○の数で決まる」、「世界一犯罪発生率の高い国は?(アメリカではありません)」などなど。どの問題も「つっこみ力」を活用すればあっさり解決(?)。
「愛と勇気とお笑い」が「つっこみ力」の三要素。さあ、みなさんも735円持って本屋さんに駆け込んで、世の中を「面白く」(「正しく」ではない)しよう!。
(文責・福永 信幸)
大会 一般分科会の紹介
大会担当の片桐です。
今回はリーフレット用の原稿に沿って、一般分科会をいくつか紹介します。
1.授業「市民になるための学び・市民のための学び-原発と放射能の授業から考える-」
(北海道立札幌琴似工業高校 川原茂雄)
昨年の3・11を契機に、生徒たちにしっかりと原発と放射能について教えなければならないと思い、4月から科目「現代社会」での「原発と放射能の授業」に取り組みました。生徒たちの強いレスポンスに押し上げられるようにして、5月からは市民に向けての「原発出前授業」も始めました。このふたつの「原発と放射能の授業」を通して、「市民になるための学び・市民のための学び」とは何かを皆さんといっしょに考えていきたいと思います。
2.HR① 「核を意識した学級」 (群馬 松本源太郎 ペンネーム)
大西忠治氏の「核のいる学級」を意識し、初めて集団主義的教育に取り組んだ学級の報告である。教育技術的な側面について焦点をあてた内容とするため、「核のいる学級」と同じく教師(・・)を、この記録の主人公に据えた。「生徒集団がもつ教育力」をどうすれば導けるのか、その方法を探ってみたい。
3.生徒会 「A男の成長に係わって」 (青森県立青森工業高校 定時制 谷埼嘉治)
中学1年で万引き補導。反省を示す丸坊主を強制されて不登校、昼夜が逆転し典型的な遊び型へ。私立高校も不合格で、定時制へたどりつく。しかし、生活は変わらず6月に留年決定、山形の叔父に預けられて働くことで何かをつかみ、再び定時制高校へ。2年時にボランティア授業で刺激された彼は、震災ボランティアを志願し私と一緒に陸前高田市へ。様々な出会い、生徒会活動の経験から、学ぶことの楽しさを知る。入学時からの彼の成長を報告する。
4.総合学習 「主権者は主催者から -総合的な学習の可能性- 」
(静岡県立藤枝北高校 橋本 純)
「高校生を地域に引きずり出す」ことが教師としての使命。授業は「地域・世界に開かれた窓」。「めんどうくささを楽しんで引き受ける」「作って食べてつながって」が日常生活での合言葉。生徒会・HRなどの自治活動はもちろん、「福祉学習」や「総合的な学習の時間」を通じて生徒を「主催者」にしたい。人任せにせず手作りの楽しさを味わうことこそが、真の豊かさであることを実感させたい。それが民主主義を支える底力になるはずである。
5.学年・学校づくり 「セーフティネットの学校づくり」序章
(公立高校 長野仁志 ペンネーム)
A高校は偏差値学力で最底辺。中退生徒が多く、卒業できる生徒は半分以下。社会的貧困の直撃を受けている。ここ数年の定員割れで統廃合も取りざたされる。ゼロ・トレランス傾向の強い生徒指導は生徒の生活現実と乖離している。生徒たちの社会への移行をみすえ、どのような実践を構築していくのか。「教育と労働・福祉をつなぐセーフティネット」としての学校づくり、その序章を生徒・保護者との“格闘”をまじえて報告します。
6.HR② 機関誌191号に掲載された、京都の小山さんのレポートです。
現時点で私の所に届いていませんが、若い教師の実践です。お楽しみに!
この夏は、新「高校生活指導 18歳を市民に」発刊をお楽しみに! vol.1 表紙デザインのふか~いワケ
こんにちは。大阪の井沼です。今夏、新高生研の発足とともに、高校生活指導もリニューアルして教育実務センターから年2回刊となります。2012年夏号から2年間、私が初代編集長を務めることになりました。新しい高生研にふさわしいインパクトのある発信源を創りだそうと思っています。9名の編集委員会メンバーは、8月1日発刊に向けて、すでに4回の編集委員会を開いています。これから、このブログで新機関誌発刊までのエピソードを連載して、がんがん宣伝したいと思っています。
ところで、新誌名は、熱い議論の末に「高校生活指導 18歳を市民に」に決まりました。デザインもすっきりお洒落になっています。最初は新誌名にこめた思いを披露するところですが、それは次回にして、今回は特にデザインのエピソードを先に。
新機関誌デザインのコンセプトは「電車のなかでも読める??」これは滋賀のFさんの提案です。これまでの高校生活指導はいかにも教育運動の雑誌という色が強くて、公共の場で読むのは何となく居心地が悪かったそうです。そこで、M美術大学で表紙デザイナー志望のOさんに「お洒落な本に」と依頼。ご覧のようなデザインになった次第。Oさんから、「頂いたサンプルのような『教材らしさ』よりも今回は小説や作品集のような『大人の人が持ち歩く情報誌』をイメージしました」とのこと。
ところで、Fさんの「居心地の悪さ」って、象徴的だと思います。おそらく以前は、そうではなかったのでしょう。学校や教師が未来と真理を語るエージェントとして一定の尊敬があった時代には。でも今や公務員とか学校関係者とわかるだけで文句のひとつも言われそうな空気って感じますよね。いわば僕たちは毎日、保護者や市民のいちゃもんオーラのなかに身を置いているわけですが、だからといってそこから身を隠すのではなく、また敵対するのでもなく、「知的に議論しませんか?」オーラで返していきたい。
新高校生活指導が、教育専門職と市民の対話を生み出す大人の知的情報誌になればいいですね。だって今、教育はまたまた、命令下のもの言えぬ世界になるか、もの言う市民の知恵を集めて考え合う世界になるかの分かれ道ですから。
地域で生きる若者、高校生(3) ~「若者」の境界線:となりまちでの出来事から~
ゴールデンウィークもそろそろ終わりに近づいている。「九連休」なんて羨ましい人も世の中にはいるようだ。しかし、学校というのは意外と杓子定規で5/1,2と暦通りに授業を行っているところがほとんどであろう。むしろ専門学校などの方が柔軟に休みにしているようで。
さて、私たち夫婦はというとゴールデンウィークらしいことはほとんどせず、私はたまった仕事を片付け、妻はたまっている段ボールの塊と格闘していた。唯一のお出かけは、実家に帰省していた妹夫婦をとなりまちの空港まで見送ったくらいだろうか。妹が私を「知らないおじさん」と教え込んでいるせいか1歳のめいは全くといいほどなつかない。
さて、空港からの帰りにスーパーで買い物をした。となりどうしのまちで人口規模も主要産業がほとんど変わらないのだが、まちの風景はずいぶんと違う。私の住んでいるまちのスーパーはほとんどが若い夫婦や家族である。となりまちのスーパーの客は若い人もいればお年寄りもいて、中高生がたむろし歩き回っている。一通り買い物を済ませて、キャンペーンの応募はがきを出そうとしていると、金髪のお年寄りが白紙のキャンペーンのはがきを「どうぞ」とよこしてくれた。また、喫茶店で一休みしていると、別のお年寄り夫婦がまたもや喫茶店のキャンペーンのはがきを2枚置いていってくれた。私たち夫婦はどこからみても30代半ばの年相応のかっこうなのだが、まるで若いのにおだちんをあげる感覚だったことに最初は「えっ」という反応をしてしまった。おかげで、喫茶店では犬柄のタオルをもらうことができ、妻はご満悦であった。
帰りの電車でさっきの出来事を振り返ると、あのスーパーでは意外と私たち世代の客が少なかったことに気づいた。あのまちのお年寄りの方々にとっては30代半ばでも20歳前後の「若僧」と同じように見えたのだろう。「若者」「大人」の境界線はまちによって「まちまち」なのかもしれない。
(北海道高生研 井上)
交流の始まり
大会事務局長の船橋聖一です。
3日が私の担当日であることを安藤さんからメールで伝えてくれました。「おっと書かなくては」。でも5月2日は厩橋チンドン倶楽部の稽古日です。かつ終わってから群馬大学の学生で「地域の活性化」をテーマに研究を進めている若者からのインタビューを受けることになっている。その後ふたりで懇親することになっている。
3日の昼間は群馬フラワーパークでのアトラクションに倶楽部の9人で出演しました。あいにくの雨で1回目は人もまばら。昼食休憩とわずかのお昼寝の後、2回目をやりました。150人座れるテントの会場に50人ぐらいでしょうか。古い歌、童謡、春の歌など10曲あまりを演奏してお客さんといっしょに歌いました。
で、帰ってから3日のこの原稿を書こうと思ったら3日の原稿がアップされているではありませんか。きっとこれは安藤さんの計らいなのでしょう。ありがとうございます。
ではこれから5月3日のその②をアップします。
ちょっとした授業の工夫です。
今年は世界史A2クラス(2年生各約40人でHR単位)、地理A2クラス(3年生各約23人で2HRを3分割した集団)、現代社会2クラス(3年生各約23人で2HRを3分割した集団)、世界史B(3年5人、うち女4人)を担当しています。全部で16時間。
地歴公民の教員は4人です。地理Aは3人が交代で共通プリント共通テストを作ってやることになっています。教科の会議で「評価の平等性を確保する」ことからこのようになりました。私はその観点も大切であることを認めつつ、3人が担当する生徒たちに合うと思われる方法を模索する必要性を話したうえで、とりあえず共通プリント共通テストに合意しました。
最初のプリントは別の先生が作った日本の都道府県名と位置の確認と世界の大地形の確認でした。私は模造紙大に拡大した白地図を黒板に貼って、まず原子力発電所のある位置に赤丸をつけて、その県名を言わせていきます。次にその場所の共通の特徴を確認します。「じゃあ私が県名を言うので後に続いて声を出して」と言って復唱させます。半分くらいの生徒たちが復唱します。これで1時間終わり。次の時間に復習を復唱でやって、「じゃあ今日は人口が増えた県ベスト5と減少した県ベスト5はどこでしょう」と聞きます。私は手にその数字が記された昨日の新聞記事の切り抜きを持っています。いくつもの質問や発言があって10都県が出され、また復唱。
「じゃあ、他の府県も覚えてほしいので47都道府県を言うから復唱しよう」と言うと、もうその指示を復唱しはじめる生徒たちが現れて、和やかな雰囲気になりました。「じゃあ、東北地方から」「じゃあ東北地方から」・・・
世界史Bの5人はそれぞれがちょっと変わっている。私も変わっている。「変人集団」。その変わりようはここに書けないのが残念です。世界史Aを除いて私の授業は学校の一番奧まったところにある人文科学研究室で行っています。私が赴任した8年前は物置のようで埃だらけというか、春の嵐でサッシの隙間から入り込んだ畑の土が積もっていました。それを私が数年かけて教室に戻しました。私はそこで授業の始まりを待つ。生徒たちがやってくる。たいていドアの前に立って「いらしゃいませ」と声をかける。大きな6人掛けの机が6個、そこに生徒たちは4人づつ私の指示で座ります。背もたれのない小さい椅子。世界史Bの5人には「どこに座ってもいいよ」と言うと一人の女子と一人の男子は私の前の机に就きました。あとの3人はちょっと困惑気味で、それぞれが別々の机に就きました。この5人の分散状態は予想通りのことでした。
最初の時間のガイダンスで「わかってもわからなくても教科書をみんなで音読していく。読んだら私が用意したプリントの問題をやる(20問)。教科書は前期で全部終わらせる。定期試験はしない。週4回(2時間続きが2回)の授業の4回目で毎週試験を行うが、その試験問題は5人が順番で作る」と言いました。
こうして4月の授業が終わって、変人集団の変人ぶりが露わになり、交流が始まりました。
バス事故に思う
京都から名古屋に越してきて丸2年経ったが、今でも月2,3回、名古屋と京都を往
復する。その移動のほとんどは自分で運転する車によるもので、その際、高速道路をも
っぱら利用する。運転するたびに思うのは、「高速道路は怖い」ということである。特
に、一人で運転していて眠気に襲われるのが最も怖い。そのたびに、長距離トラック、
バスの運転手は大変だなあと思っていた。さらに、以前NHKスペシャルで高速バスの
問題を知って、「あのバスは、なんぼ安かろうと乗らんとこ」と思っていた。そんな矢
先、関越自動車道で大事故が起きた。運転手の居眠りが原因だが、その背景に、過当な
安売り競争があることは間違いないだろう。亡くなったりケガをされたりした乗客の皆
さんには申し訳ない言い方になるが、「安けりゃいい」という価値観からはもう卒業し
よう。スーパーの野菜や肉もそうだ。安くても何が入っているか分からん○○国産より
、少々高くても安全で運送によるCO2排出の少ない地元の農産物を買おう。
私は生物を教えていたので、ついつい生物の進化の歴史となぞらえて考えてしまう。
確かに、生物は競争によって進化してきた。同様に、人間社会が競争によって進歩して
きた面があることは否定しない。しかし生物は競争だけで繁栄を勝ち取ってきたわけで
はない。むしろ現在繁栄している生物のほとんどは、共生に成功した生物だ。被子植物
がミツや果実を提供する代わりに、昆虫・鳥・ホニュウ類が受粉や種子散布を手助けし
ている関係を見れば明らかである。さらに、今世界中で最も繁栄している植物はブナ科
(シイやカシなど)とラン科であるが、かれらはいずれも菌類(キノコ)との共生に成
功した植物である。競争では限界があるのだ。共生することで安定するのだ。
人間社会も、他者と如何に共存共生できるか、それが本当の意味での繁栄、安定につ
ながると思う。産業面でもそうだ、教育面でもそうだ。適度な競争と確かな共生、これ
が持続可能な社会の決め手になると思う。
ところで、今私の一番の心配は、安売り航空券である。もし飛行機が事故を起こした
ら、バス事故の比ではない。安売り競争の果てに安全性が蔑ろにされていないことをた
だ願うばかりだ。
久田晴生
東京大会を考える<その②大会会場>
東京大会の魅力はなんと言ってもこれ以上ない都市型大会であろう。都市という幻想という話を今からするつもりはないが、江戸時代から花開いてきた都市の中に、人を引きつける様々な文化が息づいていることは確かだ。
7年前の大会ではプリンスホテルを基本宿泊施設として、芝学園の中学・高等学校の校舎を使って行われた。今考えてみると、この上ないロケーションだあったことに気づく。東京タワーあり、増上寺あり、足を伸ばせば麻布や六本木。そういえば、森ビルを遠くに眺めて会場まで歩いたことを思い出す。いまでこそ携帯やスマホで道案内させる機能があるが、この頃はまだイノベーションがそこまでたどり着いていなかったように思う。大会のしおりにつけられた案内図が役に立った。
この大会では昼食は会場には用意されなかった。各々が自分で食べ物にありつけないといけない。例の案内図には昼食をとるのに手頃なお店が手書きで表示されていた。千葉のIさんがその界隈を歩き回って作り上げたものだった。「こんな地図があると参加者としては確かに有難い。なるほど、大会作りとはこんなところからもアプローチできるのだ。」と感心しものだった。
2012年版東京大会会場は、1月13日の記事にもあるように東洋大学で計画が進められている。夏休み中ということで噂の学食の使用がどのようになるのか、最終決定が明らかにされていないが、海千山千の常任委員が集まる東京大会実行委員の交渉手腕に期待したい。 それとは別に、東洋大学周辺の手作り地図作りが、今度は群馬のFさんも加わって準備されることを伝え聞いている。
東京大会を考える<その①7年前の「今日の言霊」と「I氏基調日記」から>
2005年東京大会が行われた。7年、あっという間。月日の流れの速さをつくづく感じる。
その時から全国大会応援HPなるものが有志的に作られ、応援ブログの走り、「今日の言霊」が綴られた。31人の執筆者が日替わりで記事をおこし、更新される。アイディアは大阪のSさん。「今日の言霊」担当は沖縄のIさん。この名タイトルをつけ、原稿催促から更新を見事にやりきった。タイトル通り、日々のエピソードをそれぞれの人間が、思い思いに綴っていく。重軽長短様々だったが、それがそれぞれの味を出していて良かったし新鮮だった。Iさんはその他のページのデザインもやってたように記憶している。(その後、全国大会を応援するHP(ブログ)は、その表情や内容、形を変え、全国大会の盛り立て役としていくらかの役割を果たしてきた。)
この年の東京大会応援HPでは他に「I氏基調日記」というブログを、「今日の言霊」とは別立てで起こしていた。リンクを張って論争的な記事を載せることをした。(わたし(アンドウ)はその担当で、応援ブログとの関わりはそこに始まっている。)
大阪のIさんの基調発題は、「<つながりなおす>みんなが生きられる学校へ」というタイトルがつけられていた。「若い先生たちと話をしていて、『生徒とつながりたい』という言葉をよく聞くんです。」と、「つながり」を使う経緯を話していたことを思い出す。今でこそ何の違和感もなく使われているこの言葉だが、その当時はそこそこ歳がいった教師(たとえばわたし)には浮き足だった言葉のように感じられた。まさか、教育や社会状況の中でこれほど普通に使われる言葉になるとは思わなかった。
今回の東京大会では基調発題は行われない。それでも、80年代以降の基調を再検証する、「基調を読む」という小特集が機関誌に掲載され、それらをもとに全体会で研究協議する計画が進んでいる。たった7年の間で、「つながり」という言葉の受け止められ方が変わってきた。その背景や変遷の具合について、是非取り上げてもらいたいと、考えている今日この頃である。
新採のつもりで異動の学校へ
東京のKです。2年前、私は退職し、再雇用(東京では非常勤教員といい、月の勤務が16日)になり、新しい学校へ異動しました。異動の回数は、現役時代から数えて5回目、定時制高校を異動しています。その経験から、私の異動の時の心構えを書きたいと思います。
1、生徒達は、私を教師と認めていません。人生の先輩とも思ってもいないのです。むしろ自分たちの方が、この学校では先輩と思っているのです。
2、ゆえに、最初から教師顔で生徒達に接しないことにしています。
3、人間的な関係をできるだけ早く作ることを心がけています。それが自分の精神的な安定につながっています。
以上を心がけて、新しい学校に勤めることにしています。最初の生徒たちとの関係には気を遣います。教職員との関係はあまり気を遣わないですむのが助かっています。
生徒達との関わりを持つには、授業が勝負・クラブ活動でも人間的な関係を
教師だから授業が勝負なのは当たり前ですが、新しい学校では特に重要になると思います。ここで信頼を勝ち取らないとまともな関係を作ってもらえないのです。
私は工業科の教師なので、座学(教室での授業)を2単位持つことになっていました。
どのような授業をしたかの一例を上げてみます。
私:「ここにアルミと鉄の丸棒があります。どちらが堅いかどうやって調べますか?」
生徒A:「たたいてみる。」
生徒B:「落としてみる」
などいろいろな意見がでてきます。最初の授業で私は、生徒達に「教室は間違える場所だ」「生徒が間違えなければ教師はいらない」と、間違えることは恥ずかしいという気持ちを打ち消すように伝えているので、わりと授業での発言はするようになっていました。
ここで、物理の仮説実験授業のまねをして、堅さを調べるため、プラスチックの筒(水槽用空気排出管)とパチンコ玉を用意し、それぞれの金属の上にプラスチックの筒を立て、パチンコ玉を同じ高さから落とし、その高さの予想をさせました。やはり、教室での実験と予想は生徒たちには新鮮であって、興味をもったようです。
そのあと、生徒達から「前回のような授業をしてくれ」と要望されることもあります。教科の教える内容の関係で、いつもこういう授業ができるわけではないですが、生徒達が理解しやすい授業を目指しています。その中で生徒達との信頼関係を作るようにしています。
地方進学校の呪縛の中で
北国にもようやく春が訪れ、もう少しで桜が咲く季節になりました。豪雪の影響でまだ日陰となるところでは雪が少し残っています。学校のグラウンドも雪解けが遅く、高校野球も1週間ほど春の大会が遅れました。
今年、30年目の教師生活を迎えることになりました。地区2番手の進学校の3年担任。数学の主担当。長男も大学受験、二男は高校受験と精神的に追い込まれているというのが実情です。国公立大学に何人入るのかを問うのは邪道だと多くの人は言うでしょうが、実際にその渦中にいると、土曜講習や平常講習など地方の進学校ではせざるを得ないジレンマの中にいます。
ひとりひとりの進路を達成するために、どんなことができるのか。学年主任を中心に7人の担任ががっちりとスクラムを組み、ひとりひとりの生徒を大切に3年間育ててきました。今年、新任で来た校長は20代の時に、リーダー研修会でともに生徒のために話し合った方。高生研の話をすると笑顔で対応してくれました。
今年も学級通信、学年通信、そして学級ブログで生徒たちや保護者のかたにいろんな情報を伝える取り組みをしています。
また、授業や学年集会で積極的に生徒が発言し、行動を起こせるようなしかけも考えています。ぴらいち学習会をAO入試や推薦入試などの指導にも活用できないかも模索しています。部活動もバドミントン顧問になって20年目の節目。進学校であるが故の練習時間の少なさの中で、昨年は県ベスト8。今年はさらにその上を目指しています。
30年目の教師生活を経て高生研での学びが今こそ必要と考える今日このごろです。
新クラスになっての最初の行事は5月の炊事遠足です。3年連続となる今年の生徒たちの手料理を今から楽しみにしているところです。 (よしだ)
全国大会回想記 その①
大阪高生研の西村です。これから、月一回登場予定です。でも、いきなり期限を失念していました。
さて、何を書こうかと考えたのですが、全国大会のブログなので、わたしが参加した全国大会をいくつか回想してみたいと思います。わたしがはじめて参加した全国大会は1991年の京滋大会でした。はじめて都市型と銘打った大会だったそうで、それ以前の宿舎自治を体験していないのが残念でなりません。
この大会、同じ担任団だった国語の先生に誘われて、新任の家庭科の先生と一緒に3人で参加しました。その国語の先生は前任校で、現大阪高生研代表の中村さんと一緒だったのですが、この大会で出会っているはずの中村さんの印象がなぜか皆無なのです。
この大会で一番印象に残っている方は、当時の大阪高生研の事務局長で代表もされた、現東洋大姫路高校の辻先生です。辻先生はわたしと同じ生物の教師で、この大会の基調に「共生」という生物用語が使用されていて、いまでは何の違和感もなく使っているこの言葉が、そのときは訳が分からなくて辻先生とかなり議論したことを覚えています。
また、印象に残っているできごとは、夜の交流会で大阪高生研の企画として「夜の加茂川河畔で飲む」というのをやったことです。交流会とはいえ、現地に着いてからの思いつきのような企画で(間違ってたらごめんなさい)、さらに大阪だけではなく全国の方がその企画に参加されるというのを目の当たりにして、なんとフレキシブルな会だという印象を持ちました。
基調をはじめ、使用されている専門用語は難しく、参加した分科会も難解でほとんど意味が分かりませんでしたが、全国からたくさんの先生が参加されているという熱気と、辻先生はじめ大阪高生研の先生方の優しさに絆され、わたしの高生研通いがスタートしました。(つづく)
「ひとりの教師の回想」
静岡の絹村です。
今日は本(私家版冊子)の宣伝です。
静岡高生研では、この夏、全国の動きに併せ、高生研静岡支部から静岡高生研に
組織替えをします。
それを記念して、50年前に、静岡高生研を立ち上げ、静岡の民主教育に力を尽
くした故益田忠郎先生の遺稿を載せた冊子の完全版をつくりました。以下は、
発刊にあたっての拙稿です。
お読みいただき、興味のある方は、声をかけてください。
限定100部印刷で一冊1500円です。(ちょっと高いですがほぼ原価です。)
創成期の高生研 静岡支部の歴史(全)
-ひとりの教師の回想-』発刊にあたって
静岡高生研(高生研静岡支部) 絹村俊明
高生研静岡支部機関誌・『静岡の高校生活指導』に故益田忠郎先生が連載執筆さ
れていた「静岡支部の歴史」第1回から第13回までをまとめて一冊の冊子と
して発刊したのは、今から遡ること22年前、1990年、先生のまだご存命中
のことでした。今回、お亡くなりになる1996年までの連載第14回から第20回
までの分を加えて新たに『創成期の高生研 静岡支部の歴史(全)
-ひとりの教師の回想-』として発刊することになりました。
ことの起こりは、県常任委員会の中で、高生研静岡支部から新たに「静岡高生
研」へと生まれ変わるための熱心な議論の中で、どういう組織をつくりど んな
研究活動を目指すのか、それを歴史の中からも学ぼう、という意見が出たことで
あったと記憶しています。
全国高生研は、本年2012年夏から新しい高生研へと移行します。研究活動の
スタイルを時代に即してつくりなおし、持続可能な
研究組織として新たに立ち上げるのです。それに合わせてそれまで「支部組織」
であった静岡支部も全国高生研と協同しながらも独自のスタイルを持っ た地域
高生研として歩みだします。そうした時代の転換期において、私たちはこれまで
の研究活動をどう総括し、どう再構築していけばいいのか戸惑 い、迷いまし
た。そんなとき、私たちにとってひとつの道標になったものが、益田忠郎先生の
「支部の歴史」です。
温故知新。益田先生は、今でもその抑制された、淡々とした文体で高生研の実践
研究活動のあり方を熱く私たちに語りかけてきます。
1963年、高生研発足のときから益田先生は静岡高生研の中心として支部活動
を支えてこられました。この冊子は静岡支部の歴史であると同時に静岡 県の教
育史の1部でもあります。さらには、創成期の全国高生研の研究活動のあり様が
わかり、またそれを支えた活動家たちの奮闘の息使いが聞こえて くるような、
高生研の歴史を辿る上で大変貴重な資料となっているということも見逃せません。
県常任委員会において、この「支部の歴史」の完全版発刊にあたって学習会を
持ちました。その時、参加者が共通して感銘した箇所は、意外にも高生研の積
み上げてきた生活指導の理論、サークル活動のあり方についてではなく、自発的
な個人が集い生活指導を科学しようとする研究団体にはふさわしくないような
益田先生の次のことばでした。
「情と理とは微妙に絡み合って、互いに補完していく」、「高生研のように理に
よって成り立っている組織でも、情による結びつきを大事にしていきたい」
益田先生は、わからないことを「わからない」と平気で言える方でした。そして
どんな人に対しても対等・平等な関係をつくろうとしていました。それは、益
田先生が他者と自身への「信頼」を、生活指導を学ぶ中でつくりあげてきたから
ではないでしょうか。
教育運動と「民主的人格」の現代的あり方を益田先生のこの冊子から皆さんとと
もに学び合えたらと思います。
最後にお亡くなりになる直前、支部通信に載った益田先生のことばを紹介します。
「社会がおかしい限り高生研は必要である。」
新高生研は、「頑張らない」
消閑亭です。
きょう4月21日に、熊本高生研の人たちが『高生研全国通信』第161号(春号)の発送作業をして下さったと思います。印刷、製本、袋詰めとけっこう面倒な作業だったことでしょう。
161号の版下は私がつくりました。
この『高生研全国通信』をつくるのもあと1回だけとなりました。
『高生研全国通信』は、1997年4月、ちょうど100号から私がつくり始めました。それまでは『高生研会員通信』という誌名でした。
この『高生研会員通信』は、まだパソコンがあまり普及してなかったこともあって、ちゃんと印刷所に頼んでつくっていました。ミニ『高校生活指導』のようなもので、それなりにかっちりしていて、編集は大変な作業でした。そのために、衰退期に入った高生研としては、きちんと定期的に発行することができなくなりつつありました。
『高生研全国通信』が発行される少し前、会員数の減少を食い止めるために、会費の口座引き落とし制度を導入しました。かなり異論もありましたが、最終的には合意されました。
反対理由の主なものは、「会費を手渡しすることで人間関係が維持される」というものでした。一理ある意見です。ただ、情勢分析はできていない意見でもありました。引き落とし制度を導入しなければ、今ごろ高生研は、あっても名ばかりの団体に落ちぶれていたと思います。
多少の軋轢を覚悟して引き落としで制度を導入した手前、会員通信くらいきちんと年4回、季刊で出さないとまずいだろうと思いました。それで、私が手づくりで『高生研全国通信』として発行し始めたのです。「全国」通信としたのは、「会員」通信では、地域高生研の会員通信と紛らわしいからです。
その第100号は、NECのワープロでつくった縦書き12ページのものでした。あのころのワープロは、それなりに日本語の紙面をつくるには適していたとみえ、いま見てもきれいな紙面です。
私はやると決めたら、けっこう頑張って続けます。民間教育運動を担っていた人はみんな言っていたことですが、「継続は力」です。とにかく、内容なんか二の次で、定期的に続けること、これが大事です。ということで、数号をほかの人が書いたものの、ほとんど60号、年4回つくり続けました。
疲れました。あと1号でやめられるかと思うとほっとしています。
こういうことはどこかで区切りをつけなければなりません。特に、退職教師というのは、もう生徒の顔を見ていないのですから、通信をつくっていても、単なる作業員に過ぎません。教師をやっているからこそ、こういうことも楽しいのです。
現役教師も、退職教師に頼っていてはいけません。だから、高生研は、いったん解散すべきなのです。私は、誰が何と言おうとも、東京大会で高生研はいったん解散だと思っています。
戦後民間教育団体は、歴史的使命を終えたことを自覚すべきだと思います。「継続は力」などと古いことを言っていた人たちは、退場すべきときです。
そして、こういう決意が、幸いにも、まったく新しい組織形態をもった、新高生研を生んだと思います。
思えば、戦後民間教育運動も男社会の申し子でした。「何が何でもやりきる」みたいな発想で、家事と育児を妻に任せて夜遅くまで活動に邁進、これでは女性会員が少なくなる訳です。
新高生研は、みんなが平等で、変な権威をつくらず、軽やかに、誰でも参加できる、そういうものになっていけるような気がしています。
頑張らないで下さい。一銭も儲からないのですから。
楽しいと思える、やれる範囲のことを(なんて言うことも、余計なことでした)。