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東京大会を考える<その③現高生研と新高生研>

 高生研全国大会は、今年、この東京大会で第50回開催となる。そしてこの大会をひとつの区切りに、高生研は新たな高生研として生まれ変わる。
 現在、仮事務局を中心に準備が進められていて、この2012年東京大会の総会において正式なスタートを切ることになる。(詳しくは、「“新高生研”って何が新しくなるんだろう?」※
 この移行について、仮事務局長の藤本さんは、「『新組織の発足』でもなく、『組織の改変』でもないのです。あえて言うならそれは『新たな主体による再組織』ということになるでしょう。」(高生研全国通信2012春第161号)と伝える。この「新たな主体」というのは、何を指すのか? 高生研の会員また、の記事を熟読された方なら気付くと思うが、「<常任委員>に変わる主体」ということになる。
 高生研の会員でない人から見れば、「結局、組織の改変でしょ。」と受け止められることかもしれない。<常任委員会>を<有志グループ>に代えただけではないかと。しかし、<主体>という価値観を位置づけている点は注目すべきだと思う。
 グループに主体的に関わるメンバーは、その位置づけとして総会の承認を受けることになっているものの、ある意味頼りないというか、曖昧というか、ボランタリーな存在に頼ることになる。そして、「もし、そんな主体的な人がいなくなったら組織はどうなる?」ということも考えてしまいそうだ。しかし、高生研がこの2・3年仮事務局会議で積み上げてきた議論の流れが、ここに集約されているように思う。「『18歳を市民に』と掲げる高生研」は必要とされる限り新高生研として続いていくことになる。もちろん、<主体>の様相も変化していき、組織議論は今後ますます必要になるだろう。
 消閑亭さんが、「新高生研は、「頑張らない」」で伝えることを実践するために導き出したひとつの答えだと思う。
(文責 アンドウ@三重)

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