に投稿 コメントを残す

工業高校三年生が、福島の人たちに聞きたいこととその答え

                                   熊本高生研    藤川 秀一
<この取り組みの簡単な紹介>
 私の長男が昨年9月から今年1月まで、6か月限定で福島(郡山市)へ転勤したので職場の女性(20代後半)に「工業高校生(三年)」から託された質問を尋てもらいました。中盤の「私たちがやれること」の1~4は、私と長男が一緒に考えことです。12月上旬の考査問題に同じ設問を出しました。工業高校の生徒たちの反応はレポートの最後です。
<福島県の方への質問とその答え>
問・私たち熊本県人が災害を受けた方々のためにできることは何かありますか?
答・特にはないですが、もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。
問・今回のことで日本政府の対応や世界の国々の対応で、身を持って感じたことはど  なことですか。
答・日本政府の原発事故情報のいい加減さに腹が立った。
問・福島第一原発事故後、体調の変化はありましたか。
答・特にありません。
問・今後も福島に住み続けたいと思っていますか?
答・今のところはなんとも言えない。住まざるを得ない。
問・国に今一番やってもらいたいことは何ですか?
答・原発事故対策、原発の安定化や放射能の除染など。
問・震災の前と後では、生活や意識はどのように変わりましたか?
答・放射能の影響に敏感になった。例えば赤ちゃんのミルクを作る時、水道水ではなくミネラルウォーターを使う。(飲み水やお米を研ぐのにミネラルウォーターを使う人ちもいるようです。)
問・生活の中で苦労することは何ですか。
答・子どもたちに放射能の影響が及ばないようにすること。(ちなみに一万円前後の放射線測定器がドラッグ店ではよく売れているそうです。これはエアカウンターという機械です。福島を中心に保護者の方が購入してます。ほぼ他県では販売されていません。テレビで放射線量がでてましたが、あくまでその地域の中心地で測っているだけであり同じ市町村内でも場所によりかなり誤差があるようです。)
問・東京電力のことをどう思いますか。
答・早く事故を収束させて欲しい。
問・原発について今どう思ってますか。
問・日本各地の原発はすべてなくした方が良いと思いますか。
答・ないならそれに越したことはない
問・原発だけが悪いと思ってますか、悪いのは有り得ないレベルの地震や津波のせいゃないでしょうか。
答・悪いのは地震ではなく、事故を起こした原発です。
問・前の福島に戻ると思いますか。
答・わかりません。戻って欲しいです。
問・義援金はちゃんと届いていますか。
答・義援金は関係ありません。放射能は東電の責任ですから。
問・自分と同じ高校三年生もいると思いますが、就職や進学はどうなってますか。
答・福島県内には就職しない方がいい、県外に就職した方がいいという話しもあるそ  です。
問・今高校生はどういうことを目的として生活をされていますか。
問・震災以前の生活と比べると今の生活はどうですか。
答・基本的には変わらない。放射能の心配を除けば。
問・震災があってから約半年、大変なことがたくさんあったと思いますが、その中を  きて中で心の支えになったものはありますか。
答・家族や恋人、友人が一番の支えになった。
問・これから先どんなことが不安ですか?
答・(記録なし)
<私たちがやれること>
 「もしなにかできる機会があればやれることをやって欲しい。」という福島の人へ答として。
1.何ができるかを考えることこそが、できることの第一歩ではないだろうか。
2.被災者、被災地のことを記憶し、周りの人たちに伝えること。
3.生きたお金を使うこと。被災地・被災者に還元されるお金の使い方をする。熊本の 鶴屋で東北3県の物産展があれば、そこで物を買う。被災地を旅行し、例えば風評被害にあっている会津若松に観光してお金を使う。
4.しっかり働いて復興財源となる税金を払う。
 ここまでをプリントして生徒たちに読んでもらいました。そして、
<期末考査の「被災者や被災地に対して、わたしたちが出来ることは何でしょうか。」  という問題への3年生の回答と感想>
・この質問の答えにある日本政府の原発事故情報のいい加減さというものは、本当にそのとおりだと思いました。今回の原発事故では炉内の水位や放射能についての情報がはっきりしていなくて、ましてや隠ぺいまでもしていたりして本当に対応がいけなかったと思います。これからできることとしては、自分は電力会社に行くので、発電部門などに携わった時には、しっかりとした正しい情報を伝えていかないといけないと思いました。
・被災地から離れている私たちが出来ることは、募金と早い復興をいのる事だと思います。自分は被災地に行って人助けなどはできないので、自分に出来る一番の事だと思います。
・今すぐ出来ることは義援金だけ。直接出来ることはないと思いますが、これから自分たちはいろいろな土地で日本の発展に貢献します。具体的な例は挙げられませんが自分たちが一生懸命行うことは、巡り巡って福島の人たちの利益になることはまちがいないと思います。自分も電気関係の職に就くので、自分が本当に出来ることを早く見つけだしたいと思っています。できるだけ早く、どのような形ででも福島や周りの県の人たちの力になれたらと思っています。
・今、僕たちがやらなければならないことは、今をしっかり生きることなんじゃないかと思います。また、4月から仕事を始めて、被災地の復興のために生産することだとも思います。
・食料を届けたり、節電することもとても大事だと思う。でも自分が一番大事だと思うのは、福島で起きてしまった事故を自分たちは起こさないことだと思います。福島の人たちの経験を絶対ムダにしてはならないと思うので、自分はこれができることだと思います。
・福島県の人々の原発事故への思いを感じとり、まずそのような原発事故が起こらないように、自分達のような専門の知識を持った者達で頑張り、事故の防止に努めなくてはいけないと思う。
・被災地の人たちに質問と答えを読んで、原子力発電所に対してのいかりがすごいと感じました。放射能は人体に影響を及ぼすものなので、はやく除染してほしいと思いました。それと水の大切さを改めて感じ、節水に心がけようと思いました。
・被災地やそこにいる被災者の要望に応えてあげる事だと思う。義援金や復興の為の応援は勿論大事だけど、それ以上に被災した地域の人達の要望に応えてあげないと、ただ単に支援物資や義援金を送ってハイ終わり、という風な感じに見えてしまい、他人事のように感じてしまうところがあった。それならいっそのこと、大変かもしれないけど一人一人に要望を聞いて、もし、あるならそれに応えてあげた方が助けになる思う。
・被災された方に直接してあげられることは出来ないかもしれないが、政府がより、この問題に対応出来るように他の問題を軽減できたらと思う。そのために節約など小さなことから社会に貢献していかなければいけない。
・今私たちに何ができるかと言われれば、義援金を送る、必要品を送る、また復興をいのることしかできないと思います。原発問題も含め、今の私たちに出来ることは一握りもないと思います。だからこそ「できることはやる」そして「他人ごとにしないことが、今私たちがすべきことだと思います。「協力」「助けあい」が大切だと感じた一年でした。
・まずは募金をしてお金を送る。そしてもし被災者と会ったら快く受け入れてあげ、風評に惑わされず、正しい知識を持つ。将来同じことが起こらないよう高い技術をこれから学んで身に付けていく。
・自分一人で被災された方々になにかしてあげることはないと思うけど、被災された方々の中でも下向きな考え方になっている方々がいると思うので、テレビなどを使って少しでも元気を与えられたらいいなあと思います。
・私たちに出来ることは、これから社会に出ていく上で、一生懸命働いていろいろなものを買って経済を発展させることだと思います。直接被災地に行ってボランティアをすることも大切ですが、なかなか行く余裕はありません。行けないなら行けないで九州から東北へパワーを送って、日本国民全体で東北の復興を支えていけたらいいな思います。
・被災地の為にできることは、自分は、風評被害を減らすことが大切だと思います。実際に現地の食べ物で放射性物質が検出されていないものなら食べても大丈夫だし、食べ物が売れることによってお金が入り復興も早くなると思うからです。
・やはり地震が起きた前と後では、ずいぶん生活が変わったんだと思います。原発事故情報は隠さないで、正確な情報を伝えれば良かったのにと思いました。早く前の福島県に戻ってほしいです。
・今福島はしっかりと立ち直ろうとしていると思います。それを忘れないで生活をしていくこと、それが一番大事なのではないでしょうか?。(原文のまま)
(ふじかわしゅういち)

に投稿 コメントを残す

つづいて、SATOツーリストです

「安宿プラン、まだあいてますか?」というメールをあちこちからいただく時期となりました。
20数室おさえたのが、あと、シングル2部屋、ツイン2部屋、8/11(土)1泊だけのシングル2部屋だけになってしまいました。
ご用命はどうぞお早めに。
基本は、「8/10、11 2泊。JR巣鴨駅前(東洋大学まで徒歩圏内)、シングル素泊まり 2泊で9900円。ツイン素泊まり1人2泊で8900円」です。
今年の特徴は、大阪だけでなく、他県の方々からのご用命が多いこと。
滋賀、長野、秋田、和歌山、鳥取……。
そして今年ももちろん、「安宿」ですから、若手のご用命、多いです。
(秋田のSさん(新採女性3人で)や和歌山のHさんら、リピーター御礼!)
今年も元気な顔お互いに合わせられること、楽しみにしております。
ご用命は、わがままいいますききますお互いに! のSATOツーリストでした。
taikanokaisin@kd6.so-net.ne.jp

に投稿 コメントを残す

教科研大会と高生研大会、ハシゴできます。

大阪高生研・サトウです。
教科研大会が8月の9日(木)~11日(土)、高生研大会が同10日(金)~12日(日)。
どちらも東京。前者が法政大学、後者東洋大学。
これを「日程カブって残念やなあ」とみる向きもありますが、サトウは、「やった! ハシゴできる!」と、初の教科研大会参加を楽しみにしています。
大田堯さんのドキュメント映画「かすかな光へ」の上映がある(9日朝)し、太田さんご自身のトークもあるようだ。積極的にフクシマにかかわる詩人、アーサー・ビナードさんの語りライブもおもしろそう。
そしてナント。
10日(金)午前の「社会認識と平和」分科会では、サトウが報告するという「他流試合」もあるんです。
 サトウの報告タイトルは、「大阪府教育基本条例案を私情をまじえず教えてみた」。
おっとこれって、高生研大会にあわせて発刊する「高校生活指導」194号に載せた実践記録そのままで、毎度のごとく、「う~ん、残念。報告時間が足りません」となるのは必至。
ならばここは、「続きは、これ(高校生活指導)を買ってね」と分科会に来てくれた方々に売り込むことにしよう。
 サトウに報告依頼をくださった運営担当・久保田貢さん(愛知県立大学)からは、
「この間の大阪の動向については、教科研でも最重要検討課題として位置付けていて、先週末からの全国委員会でも大いに議論をしました」
 とのメールをもらいました。
 ならば、高生研大会の
・8月10日(金)夜 「渡部謙一さん(もと東京都立高校校長)を囲んで「教育改革」を改革する道を考える」交流会
・8月12日(日) 午前「政治と教育の“間”を考える 大阪の状況から、全国の状況から」 提起:大阪高生研 ゲスト:岡本厚 氏(岩波書店『世界』前編集長)
 も“関連企画”として、「高生研大会もハシゴできますよ」といっぱい宣伝してこよう!
 教科研大会。
 サトウは9日から行く予定です。 ご一緒しませんか?
教科研大会チラシ  http://homepage3.nifty.com/kyoukaken/2012taikaichiRM_0630.pdf
高生研大会リーフレット http://kouseiken.jp/thk3701/12TokyoTaikaiLeaf.PDF

に投稿 コメントを残す

熊本高生研 7月学習会へのお誘い

                                      熊本高生研学習担当 今田隆恵(御船高校)

 

  夏休みが迫ってきました。夏休み(又は2学期)は何か楽しいことをしたい!でも何をどうやったらいいか分からない、という方のための学習会、「菊池高校1000人バーベキュー」の仕掛け人から学ぶ、を計画しました。

 以下、レポートの内容をちょっとだけ紹介します。

昨年4月の転任早々、生徒会顧問の主査を任され、行事の波が押し寄せる中、持ち前のバイタリティあふれる行動力と交渉術で、顧問団の先生方・生徒会役員の生徒たちと共に1年間を乗り切る。そして、2年目の4月の新入生対面式。数ヶ月前から水面下で計画されてきたある構想が、菊池の街全体を巻き込んで炸裂する!その名も1000人バーベキュー!!(生徒700人、教師100人、保護者100人、同窓会100人)肉や野菜、そして使われる炭までこだわりの地元産。関わった企業10社以上・・・。当日は生徒たちの笑顔が校庭中にあふれた。実はしかし、そこまでの道のりは決して容易なものではなかった・・・。

前年度、「君たちのやりたいことはなんだ?なにか独自の新しい企画のアイディアは?」の問いかけに生徒会役員の生徒たちは、「先生、ただでさえこなすのに大変なのに・・・例年通りでいいですよ」との返答の繰り返し。「何が楽しくて、役員なんかやっているんだ?もう、やってみせるしかない。俺が楽しいと思うことをやろう!」

 2年目にして、どのようにしてこの壮大な企画が成功したのか?その技と熱い思いを聞いて、一緒に学びませんか?是非ご参加ください!! 

 

日時:7月14日(土) 15:00~17:00→いつもと時間が違います!

場所:熊本市中央公民館(白川公園そば)

     熊本市草葉町5-1

    096-353-0151

学習内容:実践分析「菊池高校1000人バーベキュー」

                                 吉田真一先生(菊池高校)

 

※お問い合わせは今田またはこのチラシをもらったお近くの高生研会員まで。

に投稿 コメントを残す

モラルとルール

この春から生徒指導部長になりました。
 高校総体の前に『生徒指導部だより』第2号を出しました。この4年間私がこだわって作り続けて来た生徒指導部のニュースレターです。その中で、携帯音楽プレーヤーの使用禁止を打ち出しました。昨年春から教師間・生徒間でいろいろ話し合ってきた懸案事項です。そのため生徒会の生徒を中心にかなり反発をかっています。話し合っている最中に一方的に禁止を打ち出したという訳です。
 もともと私はこのようなルールは不要という立場です。学校にルールが増えれば増えるほ…ど、生徒たちが自己決定する場が減り、子どもたちの自己肯定感を育む機会が減ると思うからです。
それでもあえて今回禁止を打ち出した理由は、担任団からはルールづくりを求める声が強く、作らざるを得なかったという面があります。若い担任達は「モラル」の問題じゃすまなくて、どうしても「ルール」でしか指導できないようです。必要なようです。
 先日の職員会議で三者協議会を設置することが決定しました。実はこの携帯音楽プレーヤー問題、この三者協議会の伏線になっています。最初の協議会(試行)は7月下旬を考えていますが、ここで携帯音楽プレーヤーについて生徒と話し合う予定です。教師側が一方的に作ったルールを生徒が三者協議会の議論の中で覆すというダイナミックな取組みが出来るのではないかと考えています。
けっこう生徒とは腹をわって話をすることもあるのですが、先日バドミントン部の生徒から「(生徒指導部長が)酒田先生になってむしろ厳しくなった」と詰め寄られてしまいました。
生徒指導部長はつらいな~。(青森高生研 酒田)

に投稿 コメントを残す

東京大会へのお誘い

 申込み状況をみると群馬の申込みは現在8名。5月の全国委員会で20名という目標をあげたので、今働きかけを強めています。私は6月21日に9名の方々にリーフレットと手紙を送りました。今回の大会のテーマは「18歳を市民に」~学校に対話と討論を~です。
その手紙には次のように書きました。
 
 私は1981年(27歳)のときに高生研に出会い 以後ずっと研究会に参加し 支え その運営を担ってきました
 学校という職場以外のそのような公共的な学びと交流の場所がなかったら 今の私はどんな私であったか想像もつきません
 話を聴き 話し合う場が そこに置かれる そこにつくり出されるだけで 私たち自身の教育を含む教育の仕事が開始される そのことを今改めて考えています
 しかし この置かれる つくりだされるだけ ということがいかに困難でかつ不思議さを含んだ興味深いことであるかも
 東洋大学板倉で「教職概論」の講義をはじめて3年目になります
私は高校では授業のなかで話し合うという場を置くことはありませんが この大学1年生を対象とした講義では 話し合うこと 発表すること 書かせることを毎回取り入れています
「他の人と意見がかみ合わず最後までまとめることができなかった。しかし、話し合っている途中にも相手の意見も一理あると考え、その意見をつぶすのは勿体ないと思った。と同時に自分の意見も伝えて(多分)相手にも理解してもらった。私は今まで人に嫌われるのが恐くて、他人と意見が食い違えば自分の気持ちを押し殺してきたが、こうしてお互いの意見に納得しあうこともできるのだなと思った」と書いた女子学生がいます
 この小さな一歩は実は大きな一歩であること このあたりまえに思えることが 今この世界に求められていることなのだと思います
 全国委員会で関東都府県の全国委員があげた目標数を記します。
埼玉   6→10
東京  20→40
神奈川  8→15
群馬  10→20
千葉  10→20
茨城   7→10
これで合計115名です。
その他の府県でも職場の友人やかかわりのある学生のみなさんへの働きかけをお願いします。
実行委員会事務局長 船橋聖一

に投稿 コメントを残す

全国大会回想記 その③

 大阪高生研の西村です。前回の続きです。
 1993年の全国大会は山形で開催されましたが、残念ながら私は参加しませんでした。3年の担任だったこと、当時、東北地方はいかにも遠方に感じられたこと、そしてなによりいままで一緒に行っていた同僚の先生も不参加だったことが重なって、1991年から現在までで唯一、この大会だけが不参加でした。後日、おまかせの行商で開催地を訪れ、素敵な場所に不参加だったことをたいへん悔やみました。
 1994年の長崎大会には、はじめて職場から一人で参加しました。もし、他の場所で開催されていたら参加していたかどうか…。というのも、大会参加もさることながら、当時傾倒していた坂本竜馬の足跡を訪ねることが長崎行きの重要な要因だったのです。が、大会での太鼓教室や深夜までのホテルのロビーでの語らい、早朝のソーラン節講習など、高生研全国大会の魅力にはじめて触れた大会でもありました。
 翌年は山梨大会で、大阪からの参加者は少なかったように記憶しています。私としては東京の劇団・青年劇場のM氏との語らいが非常に印象深く、さまざまなところで語ってきました。あと、帰りがけに上九一色村のサティアンを見に行ったことですか。最近、指名手配中の容疑者が次々と逮捕され、またクローズアップされていますが、当時はサティアンでの逮捕劇の直後で、現場近くは警察が交通規制をしていて遠くから眺めた程度でした。
 1995年は青森大会で、三沢温泉での開催でした。2年後に大阪で全国大会を引き受けることになり、ただ大会に参加するだけではなく、大会運営の下見としての大会参加でもありました。その歓迎の夕べでいきなり「振鈴」を見せられ仰天し、別れの集いのクライマックスに感動し、たいへん心を揺さぶられる大会でした。大会後、はじめてねぶた祭りに出会ったことをはじめ、青森・函館を堪能したことも印象的でした。
 翌年の神奈川大会は、次年度の大阪大会をかなり意識して参加した大会でした。大阪高生研のメンバーがどんどん結束していったような印象があります。とにかく、大阪大会のアッピールばっかりしていたような気がします。そのぶん、せっかくの箱根を満喫できなかったのが残念でした。   (つづく)
千葉の参加申込者が2桁に
東京大会の受付・千葉高生研より
 恒例の月曜日の東京大会参加申込者数速報です。わが千葉高生研が、地元受付の名誉にかけて2桁の大台に乗せ、トップとなりました。先週の土曜日に、千葉高生研としては最後の例会を行い、そこでの検討の結果、目標の20名はいくだろうという予測が成り立ちました。(ちなみに、千葉高生研としての例会は最後ですが、有志の研究会は続けてくことになっています。ただし、参加を広く呼びかけたりというような活動はしません)
 合計の参加申込者数は64名となりました。
千葉12
群馬9
秋田6 東京6
静岡4 熊本4
大阪3
北海道2 青森2 埼玉2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 茨城1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1

に投稿 コメントを残す

一般分科会6 「市民になるための学び・市民のための学び-原発と放射能の授業から考える-」

高生研 第50回(東京)大会
分科会B(午後)
市民になるための学び・市民のための学び-原発と放射能の授業から考える-
川原茂雄(北海道)
2011年3月11日は多くの人々にとって「人生の転機」になりました。社会科系を教え生活指導であまたの生徒たちを「主権者」に育ててきた高校教師「川原茂雄」にとっては、「懺悔」の1日であったのです。自分は原発や放射能の危険性について知っていたのに、結局は「何もできなかった」、市民として「行動できてなかった」のではないか、と。
即断即決で展開した「原発特別授業」は新聞を通じ多くの市民の反響があり、同じく3.11で立ち上がった市民との出会いあり、そこから「原発出前」教師「かわはらしげお」が誕生します。
「18歳を市民に」を前面に掲げて再スタートを切る全国高生研。これに対し北海道からは「教師の市民性」「主権者としての当事者意識」についてこの分科会を通じて問題提起します。また、父親として深い愛情が感じられるエピソードなど、ここでしか聞けない話満載です!
(文責:運営担当 北海道高生研 井上)

に投稿 コメントを残す

「ヲタ芸」をめぐるてんまつ ~昨年の熱い夏から~

 「昨日の日曜日のステージ練習、無断で来なかった人が10人もいました。無断で休むなんて人としてどうなんですか!失礼にもほどがあります!」とキツい口調で訴えたのはNさん。文化祭本番9月6日を数日後に控えた月曜午後のHRだった。
 3年生各クラス、ステージ上での持ち時間は20分と決められている。その範囲内で、なにかしらのパフォーマンスを、全員がステージに立つ場面を少なくとも一つ入れて各クラスが創意工夫する、というのが3年生に課せられたテーマである。他クラスと違って、このクラスはほぼ全員が(指定校や公募制推薦でなく)一般入試での進学希望で、夏休みは受験勉強の一つの山場だ。演劇が課題だった2年生の時は、ミヒャエル・エンデの「モモ」から台本を起こし、役者から大道具・照明・音響にいたるまで全力で取り組んで素晴らしい作品を作り上げた生徒たちだが、「今年はそんなゆとりはありません」という雰囲気が7月当初には漂っていた。
 しかし「受験を理由に文化祭に手を抜くことはしたくない」と宣言したNさんが企画担当に立候補し「音楽とダンスの趣味の合う人同士で小さなダンスグループをいくつか作って、小グループで時間を合わせて練習する。これなら練習に割く時間の負担が少ない。クラス全体では二部合唱をする。合唱の練習は二学期が始まる8月25日以降の午後にする。」という案を出してきた。この案は圧倒的多数で支持された。「小グループのリーダーを先に募ってグループ員を後から募集する方がよくない?」という担任のアドバイスが受け入れられて、いくつかのグループ募集がクラスに掲示された。
 その中に男子(このクラスには13人しかいない)Kくんの「ヲタ芸」も含まれていた。私の反応は「へー、ヲタ芸って何?」という素朴な疑問だったのだが、Nさんたち一部女子の反応は「ヲタ芸?問題外。そんなものをクラスの出しものに入れるんですか?」というもので、Nさんが仕切る企画会議(クラス全員参加)で、「ヲタ芸をクラスの出しものに入れてもいいかどうか、意見をください」と議論の俎上に乗せられてしまったのだ。「ヲタ芸」グループに参加するつもりだと意思表示した男子が8名いたのに加えて、女子を含む圧倒的多数が「入れてもいい」と意思表示したのでこの件は一見落着したが。しかし「なんで僕の案だけが、賛否を問われないといけないんですか!」とKくんは怒っていた。彼の怒りはもっともである。「『ヲタ芸』っていう呼び方がまだ社会的認知を得ていないからかなぁ~~。申し訳なかったよね~~。ライトスティックを持って踊るんだし、グループ名を『ライトスティックダンス』にしたら内容と名前が一致していいのでは?」と私は言った。Kくんのグループ名は「ライトスティックダンス」となった。
 その後各グループの持ち時間の件で「ライトスティックダンス」グループのKくんとNさんたちは再びもめた。全体で20分しか持ち時間がないところに、クラス全体合唱5分、あとの15分を6グループで割るのである。3分を要求したKくんに対してNさんが割り当てたのは2分だった。「2分ではできない」とKくんは粘ったが、「ヲタ芸を3分間も見せられて観客は楽しいですか」とNさんは冷ややかだった。「こういうことはグル―プのリーダーが集まって決めたほうがいいよ。」と私はアドバイスし、進学補習の合間を縫ってリーダー会議が何度も持たれた。結局、グループ毎にだいたいの時間を目安として持ち、通しけいこを始めてから互いに融通して20分におさめる、という方針が確認された。もっともKくんはリーダー会議には来なかったのだが。(Kくんは夏休みに入るやいなや音信不通となった。某人気女子グループのサポートをしているらしかった)
 話は元に戻り、8月後半の午後のHRである。グループ毎のダンスの練習は順調に進み、Kくんグループは8月25日以降の猛練習で完成度を上げつつあった。そのKくんたちが直前の週末のステージ練習に来なかったのである。クラス全体として少しでも良いものを、と焦るNさんの気持ちと、週末の練習は強制ではないだろ、という一部男子たちとに行き違いがあったのだ。そして冒頭のNさんの発言が飛び出したのだった。
 「無断欠席するなんて、人としてなってないと思います」。というNさんの発言に反応してKくんがつぶやいた。「お前のその言い方のほうがなってないやろ」。「え?私に向かって言うてるんですか?」(Nさん)。「そうや。お前の、その、『私の方が正論です』ていう言い方、それ、他の人を見下してるやないか」(Kくん)。「オマエ、自分のすることやってから言えや」(YさんがKくんに向かって)。クラスの雰囲気は大勢がNさんに味方しているかのようだったが・・・・・・・。
 それまで教壇の端に座りこんで聞いていた私は問うた。「みなさんはどう思うんですか?」生徒たちのクラス内での立ち位置が相対的に安定していて何かと無難にことをやり過ごしてきた生徒たちである。積極的に手は挙がらなかった。しかし私は「全員に発言してもらいます」と言って、順に生徒を充てていった。Nさんの気持ちに理解を示しつつも、メンバー員を猛特訓しているKくんの頑張りを評価する女子の発言内容が多く、Kくんを非難する声はごく少数だった。「それぞれが、できる形で力を出すと言うのが今年の方針だし、土曜の練習に来なかったのは悪くない。」という、Nさんに近い女子からの発言もあった。そのことはNさんにとっては意外で大きな衝撃だったようだ。この出来事はNさんに一時的ではあれ大きな孤独感を抱かせることとなり、この日から発表が終わるまでNさんを支えるのが私の仕事となった。(しかし後にNさんは、この事を通して自分を振り返ることができたと言っている)。
 クラスのダンスは各グループが完成度の高いパフォーマンスを見せたが、特にKくんグループのヲタ芸「ライトスティックダンス」が大喝采を受けた。私もその完成度の高さに率直に感動して見ていた。「ヲタ芸があんなすごいものだとは知らなかった。」「Kのグループはキレが全然違いますね!」と職員からも感想を寄せられたほどだった。この後、ヲタ芸は若者文化の一ジャンルとしてクラスの中に公然と位置づいたのだった。
                                      京都(田中)

に投稿 コメントを残す

交流会のお知らせ「多様なセクシャリティについて学ぼう」

交流会のお知らせ
「多様なセクシュアリティについて学ぼう 

-渡辺大輔さんを囲んで-」

日時 ; 8月10日(金)19:00~21:00(18:30~お茶会開催)
場所 ; 東洋大学1号館 4 階

自分の周りに性同一障害や同性愛者などセクシュアルマイノリティがいると考えたことがありますか?性自認と体の性は同じで異性愛が当たり前と思っていませんか?無意識に生徒へ異性愛を強要したり、「ホモネタ」を笑う生徒をそのままにしていませんか?生徒の中には、男女別の制服や男女別に行う体育の授業に違和感を持っている子がいるかもしれません。
セクシュアルマイノリティと教育の専門家である渡辺さんを囲んで、「性」のしばりから自由になる第1歩を体験しましょう。もちろんジェンダーの問題もおおいに絡んでくる交流会になるはずです。
18:30くらいから、全国津々浦々から届いた美味しいお菓子をいただきながら食後のデザートを楽しみましょう。

(前田浪江)

渡辺大輔さんのプロフィール
千葉大学・埼玉大学・都留文科大学・東京都立大学・首都大学東京
法政大学・千葉市青葉看護専門学校 非常勤講師  博士(教育学)
専門:セクシュアルマイノリティ/セクシュアルマイノリティと教育

に投稿 コメントを残す

学校の「国際化」

 火曜日の夜、公民館の一室に、日本語を学ぶ外国籍の母親と一緒に、幼稚園から高校までの子ども達が公民館にやってきます。日本語を学ぶのは、当初は、中国帰国家族でしたが、今は、中国やフィリピンなどからのお嫁さんがほとんどです。お母さんの都合で、言葉も知らず友達もいない日本に突然来た連れ子の戸惑いは気の毒なほどです。その上、学校になじめずいじめもあります。もちろん、日本で生まれた子ども達もいます。日本語教室では、日常生活にも関わって支援してきました。その結果、子供たちは元気に学校へ通っています。
 問題は学校の勉強です。日常会話はすぐできますが、「学習言語」となると大変です。学校の先生は、子ども達がおしゃべり上手だから勉強にもついてこられる、と誤解をしてしまいます。「先生は、勉強に関係ないことをしゃべって、何言ってるか分からない。」と言う子がいました。先生の言う冗談が理解できないのです。
 そして、高校入試があります。20年ほど前は、定時制しか行けなかったのですが、今は、一般入試で合格するようになりました。工業高校や商業高校、普通高校、ついには進学校にまで入るようになりました。東京外大に入り、「日中の架け橋になる」と頑張っている子もいます。その子たちは、小学校から日本語教室に通っていました。小学校の頃、日本語を上手に話すから学ばせる必要がない、と言われて来なくなった子も、高校に入ってからどうも勉強が分からない、というので話してみると、小学校3~4年生の頃の言葉が抜けていると言います。今、大学進学を目指して、また通ってきています。改めて言葉の基礎の大切さを知りました。
 実際、どの子の親が外国人なのか、分かりません。見るからに「外国人」という子は少なく、アジア系の親の場合、顔や名前で判断できない場合が多いです。特に、お母さんが外国人の場合は、子供と密接に関わりながら言葉を伝えられない、という点で子供は難しい状況に置かれます。日本人にとって当たり前な言葉が伝えられていません。母親はチラシが読めず、風習が分からないので子供に無関心な親のように見えます。ある小学校では、それまで日本語指導を必要とする子供はいない、としていたそうですが、詳しく再調査したら十数人いたそうです。ちょっと変わった子、勉強の出来ない子、親が無関心な子、という風に理解されていたそうです。現在は補助員が付き、勉強の世話だけではなく、学校の通知の説明なども親にしています。
 では、高校ではどうでしょうか。今はあまり家庭に関わらない時代で、そのことにより、多くのことが見えなくなってはいないでしょうか。昔は、夏休み中までにクラス全員の家庭訪問をすることが当然とされていました。時代の変化と言えばそれまでですが、担任が生徒の家庭に関心を持たなくなったことは正しいのでしょうか。学校でみせる生徒の姿で判断していないでしょうか。教師と保護者が仲良く出来ればよいのですが、教師側が拒んでいるような気がします。先の小学校のように、「変わった生徒」の本当の姿を知らなかった、ということはないでしょうか。
 以上は、外国人が少ない秋田の話です。愛知、神奈川、東京、静岡、大阪はそうした児童生徒の多いベスト5です。そこではまた違った問題がありますが、日本国中、いない地域はありません。身近な「国際化」への対応が、どこの学校・教師にも求められているのです。しかも、英語では対応できません。      とらぬ狸@秋田

に投稿 コメントを残す

最後の高生研な日々(その2)

 消閑亭です。
 1ヶ月はあっという間です。この間の「高生研な日々」を報告します。
 5月26日に、予定通り「メキシコ料理の会」を行ないました。午前10時にわが家に集まって、『高校生活指導』青木書店刊最終号の校正をやり、午後から、メキシコ料理をつくるという催しです。
 だいたいの方は我が家が初めてではないので、自力でたどり着けるのですが、MSさんは、忘れてしまったとかでとんでもない方に行ってしまいました。そんなこともありましたが、10時半頃には私を含めて9人が揃いました。
 ttさんとmkさんと私は厨房で料理係です。ほかの6人は校正です。KTさんは編集長にして本号の実務担当なので、もう読みません。したがって実働部隊は5人ですが、そこはプロのkyさんがいるので、順調に進みました。
 校正が終わったのは1時前。その頃には近くの学校で部活指導を終えたKTさんも現れ総勢10名に。しかし、文化祭指導が待っているというUOさんは残念ながら早退。出来上がったばかりの料理をかき込んで学校に向かいました。
 料理をつくるのはけっこう大変でした。10人分の料理というのは相当な量ですし、厨房が広い訳ではないので、手間取るのです。でもうまくできました。
 1時から5時ごろまでわいわいやりながら、楽しい会となりました。ただ残念なのは酒飲みのFSさんが腰痛になり、クルマで来たことです。1ケース2ダース用意した銀河高原ビールも余ってしまい、お土産に持っていってもらいました。
 6月10日は日曜日なので、8日金曜日に『高校生活指導』が印刷所から届きました。いつもならその日のうちに発送してしまうのですが、いろいろとやることがあったので、発送は日曜日になってしまいました。でもこれで定期発行です。自前で発行するようになってから、1回も遅れたということがありません。すごいでしょう。
 ちなみに定期購読者には前日の土曜日に発送しています。桶川高校からUOさんらが発送業務を行いました。
 『高校生活指導』の最終号を無事発行し終えたあとは、『全国通信』の最終号と、『東京大会研究紀要』の制作です。
 現在、『全国通信』は、ほぼつくり終えており、あと3本の原稿を待っている状況です。
 また、『東京大会研究紀要』は、つくり始めたところです。まだ入っていない原稿が一般分科会1つと、問題別分科会4つ、それに全体会のコメントが2つです。至急お願いします。
 今週の土曜日は、千葉高生研の例会があります。たぶん、これが最後の例会になると思います。10月には解散パーティをやる予定です。

に投稿 コメントを残す

一般分科会 1.「核を意識した学級」(松本源太郎)を紹介します

 数日前に稲葉 淳さんも紹介していましたが、分科会の運営担当として紹介します。
 私は、松本さんの実践報告を聞くために、3月に行われた群馬の春ゼミに参加しました。大会のリーフレットにも書いてあるように、松本さんは、大西忠治氏の『核のいる学級』を意識して(まねて)集団主義的教育に取り組んだ、そうです。それは、私にとって新鮮な驚きだったからです。『核のいる学級』という本があることは知っていましたが、私自身それを読んだことはありませんでした。また、人を通してではなく、本を通して高生研に参加してくるという参加の仕方も、新鮮な驚きでした。
 リーフレットにあるように、松本さんは、この実践を通して、教師の「教育技術的な側面」に焦点をあて、「生徒集団がもつ教育力」をどうすれば導けるのか、その方法を探っています。課題もたくさんあると思いますが、それ以上にその実践スタイルから、技術や方法についてたくさん学べる実践報告だと思います。
 実は私も『核のいる学級』を読み、班長立候補制の班編制をやってみました。松本さんの実践に学びながら、私も少しずつ実践しているところです。
 ぜひ、この分科会にご参加いただき、いっしょに学びましょう。
 多くの方のご参加をお待ちいたしております。
(茨城のイソヤマ)

に投稿 コメントを残す

東京大会 交流会の追加 「ネパールの若者や教育現場の状況について」

ネパール料理を食べながらネパールについて学ぼう  東京高生研:地井衣
  「ネパールの若者や教育現場の状況について」
会場は駒込駅近くにある「一粒のたね」
ネパールは、紛争からの復興途上にあるインドと中国に挟まれた内陸国です。南アジアで最も所得水準の低い後発開発途上国(LDC)であり、国際的な支援を必要としています。101の民族、92の言語(2009年改定)を持つ多民族国家ネパール。舞踊も楽器もリズムも衣装もアクセサリーに至るまで、実に様々な形態があります。「一粒のたね」は日本でただ一人のネパール舞踊家岡本マルラ有子さんがつくられた”体と心をとおした人と人との交流・癒しの拠点スペース”です。ネパール舞踊に惹かれて以来、二十数年間にもわたって、ネパールの文化支援活動をやってこられた岡本さんが、お話ししてくださいます。
お食事はもちろんネパールコース。
食事代は 2500円+飲み物代 です。
地井

に投稿 コメントを残す

大交流会

大交流会
8月11日(土)、東洋大学の学生食堂「スエヒロ」で、大会に参加した人たちがつくる大交流会があります。参加費は3000円(学生2000円)です。
オープニングは、これまでの高生研活動を振り返るスライドです。
つぎに前日の交流会でお世話になった日本でただ一人のネパール舞踊家岡本マルラ有子さんの踊りです。岡本さんは、南アジアで最も所得水準の低い国際的な支援を必要としているネパールに対して、二十数年間、ネパールの文化支援活動をしてきた方です。
若者たちのダンスに続いて、高校教師でダンサーであった佐藤誠紀さんの指導で、全員がラジオ体操ダンスで交流を深めます。
そして、新高生研のスタートを祝う各グループの紹介と出し物、各地の高生研サークルの紹介と出し物などが予定されています。各3分です。ご用意ください。
参加者一人一人が作る大交流会です。「やっぱり、高生研に来ると元気がでるね」と実感できる会としていきましょう。各地の銘酒と銘菓、持ち込み可です。

に投稿 コメントを残す

揉め事も終わり?

 大阪のKです。不慣れな女子バレーボール部顧問も2年目。前回の投稿の続きを記します。
2012年5月23日(水)体育館での練習後、職員室にいる私に男子バレーボール部のN先生がこう話しかけてきました。「K先生、女バレまた揉めたんですか?体育館前でA子が大泣きしてましたけど…」-私が体育館前に駆けつけた時には部員の姿はなく、もう更衣を始めていました。A子を訪ねて部室に行きましたが彼女はいませんでした。部室にいたCさんと私との会話-私「今日、何かあったの?」-C「いや、別に…」-私「A子、最近またしんどくなってるんじゃない?」-C「それはあると思う。Dも脚を故障したし。頼れる人がおらんくなったから。」-DはA子と同級生であり、A子の暴走を止められる唯一のメンバーだったが練習中に脚を痛めて手術をし、ギプス生活となっていました。D子は引退試合にも出られない。C子から聞き取りをした後、私は、この日の付き添いだった先生のもとへ。毎日の練習前と練習後は付き添い教員の所へ部活開始と終了の報告をすることになっています。終了報告の時、A子が目に涙をいっぱい貯めてやって来たので、それをご覧になった付き添いの先生が訳を聞こうとしたところ、大泣きし始めたそうです。A子「私たち3年生のやりたいように後輩も気を遣ってくれているのに、自分は上手くチームをまとめられていない。3年生と1、2年生とのプレイに対する考え方の違いもあって辛い。」これまで私の知るA子とは違う一面を聞いたような気がしました。すぐにN先生へ報告。N先生は私に”これから”のヒントをくださいました。「A子達3年生は、おそらく引退試合になる次の公式戦をどんな試合にしたいと思っているんでしょうか。3年生の厳しいやり方に耐え忍んできた2年生にも、4月から入部してきた1年生にも、3年生の引退=やったぁ~!って思われるのは、3年生にしてみたら可哀想ですよね。あの子達も無茶苦茶なやり方してきたけど、バレーボール生活で出来たこと・やり残したこといっぱいあると思う。次の試合をどう締めくくりたいと思ってるんでしょうか。」-この日の帰り道、N先生の言葉を思い出しながら歩いて、反省しました。私も、3年生の現役終了のカウントダウンをしていたなぁ。あと少しであの子達の代も終わる…そう思ってしまっていたことを深く反省しました。
 翌日、女バレの主顧問の先生に相談し、練習後3年生だけ残してミーティングをすることになりました。そのミーティングでA子・Bさん・Cさんの思いを聞いて、主顧問の先生も私も泣いてしまいました。「勝ちたい」という思いから空回りしていた3年生の手当をせずに、辞めていった部員に寄り添ってクラブ活動を見守ってきた顧問だったことを悔やみました。そのことに関して3年生は顧問を責めませんでした。辞めていった部員たち同様3年生も辛かったんだと思います。「とにかく1勝したい。」彼女達の思いでした。
 2012年6月3日(日)引退試合は1勝できました。Dさんも松葉杖で会場に駆けつけ、退職された元顧問の先生もお見えになり、顧問団4人のうち3名が付き添い、選手たちのご家族も見えました。素晴らしい環境の中で1勝できたことは、後輩から先輩への最高のプレゼントになったと思います。2012年6月4日(月)新チームが発足しました。
50人突破! 
東京大会の受付・千葉高生研より 
 東京大会参加申込者数が50名の大台を突破し、53名となりました。(6月17日現在)
 東京大会の参加目標は200名ですので、これでもやっと4分の1です。都道府県別の申込者数は下記の通りです。この4倍くらいお願いします。
群馬8
秋田6 千葉6
東京4 熊本4
大阪3
北海道2 青森2 埼玉2 静岡2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 茨城1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1

に投稿 コメントを残す

細腕三学年主任奮闘記⑤

沖縄の照屋です。先日、生徒会主催の陸上競技大会がありました。近隣の陸上競技場を学校で
借り上げてトラック・フィールド競技をやるのですが、当日はあいにくの雨。途中、激しい雨で何度か中断しましたが、なんとか最後の競技まで終了。僕は二年生担任なので、生徒たちの写真を撮るのに忙しく、開会式から昼食時間まではほとんど休みなく動き回っていました。
午後には「全学年HR全員リレー」(一番盛り上がる)があり、その二年生の部で、なんと担任しているクラスのアンカーとして走ることになってしまいました。15年(?)振りくらいで100mを全力疾走。頭の中で進んでいる距離よりも、実際に進んでいる距離の差は10mくらい遅れていた感じです。その時の筋肉痛が、今きています………。
 
 さて、「カーディガン着用許可」について前回からの続きです。せっかくカーディガン着用が認められたのに、よりによって三年生の違反者が増える中で「何かいい手はないものか?….」と思っていた時(去年12月頃)のことです。元生徒会長S(三年生)が、「朝のSHR時に、校内放送で『カーディガン着用違反者が増えている事に関して』注意喚起を呼び掛けたい」と生徒会担当の先生に申し入れがあったとの事。さすがにこのまま何も手を打たなければ、違反者が累計15名を突破してしまうと思ったのでしょう。(※累計15名を突破すると、その時点からどんなに寒くても「着用禁止」に戻ってしまう)生徒会が職員に了解を取り、申し入れ通り校内放送をやることになりました。
 翌日。Sは「①自分たちで希望してカーディガン着用を認めてもらったのに、それを自分たち自身で破るなんて本当にそれでいいのか ②もしこれで再度着用禁止になったら、今後何かを学校に認めてもらう事がかなり難しくなる ③先生方に注意される前に、お互い同士で注意しあっていこう」という点を中心に全生徒に呼びかけました。教師からではなく、元生徒会長Sからの呼びかけ。
 僕らの言葉よりも生徒たちに届いているに違いない。今後は違反者がいなくなるだろうと思っていました。しかし、その校内放送をした同じ週に、またまたカーディガン着用で違反者が二人出てしまいました!しかも二人とも三年生……これで違反累計11名。もはやこれまでか?…(次回に続く)

に投稿 コメントを残す

「この生活指導書がおもしろい」

群馬高生研 稲葉淳です。東京大会の申し込みをしました。
高校生活指導193号読みました。「特集2 この生活指導書がおもしろい」とっても興味深く読みました。その3つ目の『核のいる学級』大西忠治著(64から67ページ)を書いたのが、今回の全国大会の二日目(8月11日)一日通しの一般分科会「ホームルーム」を報告する松本源太郎である。
彼と初めて会ったのは、一年前の名古屋の大同大学で行われた、第49回全国大会である。群馬県から参加したメンバーで集まっての意見交換や、全国大会に参加しての感想を聞いて、鋭い指摘に驚かされた。その後、仲間からの誘いもあって毎月行っている事務局会議に参加してもらっている。
3月に行った、群馬春ゼミに彼の実践報告を聞き、参加者にいろいろな興味ある2年間のHR実践であった。3時間の報告であったため、深くまでの追及ができなかった。全国大会でもう一度彼の報告を聞き、そこに参加した全国の仲間と新しい発見があることを期待している。
                             群馬高生研 稲葉 淳

に投稿 コメントを残す

京都例会の経験から

東京大会終了時点で500人の会員をめざそう!(引き落とし会員の現状は338人)
新高生研仮事務局長の藤本です。
この5月の全国委員会の場では、今夏の東京大会終了までに会員を500名にしようと目標をたてました。(厳密な決定ではありませんが。)
現在、銀行引き落としの会員は現在338人です。新高生研の会費納入方法は、銀行引き落としのみとなります。現金会員が95名いますが、銀行引き落としの手続きをしてもらうことはなかなか容易なことではありません。また今後4年間で退職する会員は150名です。そのような現実の中での目標500名です。
もちろんなによりも現金会員の人に引き落とし会員になってもらうことが大切ですが、今後のことを考えると新しい若い人に会員になってもらうことも大切です。
京都例会では7人が会員の申し込み
4月末に竹内常一さんを迎えて行われた京都例会では、なんと7人の方が会員の申し込みをしていただきました。
例会では、このようにしました。会員になってくれる人には申込用紙を書いてもらいます。申込用紙を書いた人には、当時の最新号であった192号を贈呈します。さらに私が持っていた機関誌のバックナンバーもプレゼント。銀行引き落としの手続き用紙と京都高生研が用意した返信用封筒を申し込んだ人に渡します。後日、その手続き用紙に銀行の通帳の印鑑を押してもらって返送してもらうというやりかたです。
現在、4人の方の手続き用紙が返送されているとのことです。
申し込みと承諾で契約は成り立つ

実は、私は2月頃、全生研のリニューアルした機関誌の定期購読を申し込んだのですが、申し込みのメールを事務局に送ると、購読を申し込んだその機関誌と銀行引き落とし手続きの用紙が同時に送られてきたのです。機関誌が来たからには引き落としの手続きをせざるを得ない。というか、申し込みをして、相手(全生研事務局)が承諾したのですから、そこで契約はすでに成立しているのです。だから機関誌が送ってくるのは当然のことで押し売りでも何でもありません。しかも手続きがもたついたのですが、そうすると事務局から丁寧な催促のメールが来ました。これも当然と言えば当然。この経験を京都の例会のときに少しアレンジして使ってもらったのです。
お金はあとから、まず申込書を書いてもらう。(無理強いはダメですよ。)それで契約は成立です。
京都高生研の丁寧な取り組みがあったからこそです

もちろん例会自体にたくさんの参加者があったのですが、そのための入念な準備を京都高生研がされていたことも会員が増えた大きな要因だと思います。また例会当日の京都高生研事務局の柔らかい運営の仕方も大きいでしょう。そのあたりの取り組みは京都高生研からの報告にゆずります。
まだ新高生研の機関誌はできあがっていませんから、現時点の会員申込者に新機関誌を送ることはできません。東京大会までの会員申込者には今の最新号の193号を贈呈します。このことは全国委員会でも了承済みです。京都方式をやってみようというみなさんは、info@kouseiken.jpまでご連絡ください。
事務局だけの力では会員拡大は難しい。皆さんの力が必要です。

に投稿 コメントを残す

最近考えたこと

 小学校では、近隣の産業や史跡を調べてまとめる授業がよく行われるが、中学、高校となるとそういう機会が極端に少なくなる。従って学校に毎日通っているがその学校のある地域のことについては意外と知らないという生徒も多い。先日3年生の課題研究の一環でアンケートが実施された。テーマは「菊池のイベント」である。年間を通して菊池市で行われる祭りや催し11項目について、私が担任するクラス(34名)の生徒のうちすべて知っていると回答した生徒は0であった。もちろん菊池市出身の生徒も3割程はいるのだが、それでも知っている項目は多くて4つというところだ。この結果から察するに、菊池の産業や歴史をよく知っている生徒はさほど多くないことが予想される。
 菊池は熊本県北東部に位置し、北東部は阿蘇外輪山系を有する中山間地、南西部は菊池川、白川流域に広がる台地・平野部からなっています。農業は菊池・七城の水田地帯で評判の米を産出し、水田を利用した水田ゴボウも有名、また旭志・泗水では県内有数の畜産地帯を形成しています。台地・平野部の大津・菊陽ではニンジン・カンショの産地となっています。
 これはJAのホームページに書かれた菊池の紹介文である。比較的近い所の出身である私も知らないことがある。この菊池にある100年以上の歴史を誇る菊池高校にこの春赴任し、入学式の翌日に行われた「1000人バーベキュー」に驚いた。1000人とは、全校生徒と職員、そして参加してくださる保護者を含めた数である。使った食材はお茶も含めてすべて菊池産。肉を焼くトングは学校林の竹を加工したものであった。実は、上記のアンケートを行っている生徒の指導者もこの1000人バーベキューの仕掛け人も同じ本校の教員である。また、この先生は昨年度赴任したばかりにもかかわらず、1年生の総合的な学習の時間で「菊池の歴史探訪」という企画を打ち出し、学年全員で学校周辺を散策して学習していたというバイタリティーあふれる人物である。
これらのことから、地域に根ざした生きた学習をすることが、地域に(そこに住む・通う自分に)誇りを持てる生徒を育てることにつながるのではないか・・・と最近考えている。 この先生には、7月の熊本高生研例会で報告をしてもらう予定である。いずれ「すこぶる」にも掲載されると思う(編集長の説得次第)のでお楽しみに。