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ダイヤモンドクロッシングが見たい☆

 全国には朝夕しか運転されない純通勤路線がいくつかある。

首都圏ならJR鶴見線の大川支線など。今、鶴見線自体が「都会の中のローカル線」として、知名度が上がっている。関西では山陽本線の支線、通称和田岬線だ。

さて名古屋には?ある!? 知名度は低いが名古屋南部の臨海工業地帯を走る「名鉄築港線」だ。その始発駅は、「大江」 大会最寄りの大同町のひとつ名古屋寄り!!(ならばテツがここを訪ねぬテはないだろう)

名鉄築港線は常滑線大江駅から分かれて「東名古屋港駅」までの1.5キロを走る短い盲腸線。ダイヤは平日朝(7~8時台)8本、夕方(16~19時台)に12本、土曜は半分に減り日祝はさらに…

大江駅は何度か通って見ている。構内はケッコー広く鉄道の駅らしい駅だったように記憶している。「東名古屋港」とはどんなところか、見たい。

 1.5キロのきわめて短い鉄道路線だが、名古屋臨海鉄道東築線(JR東海道線に接続)という貨物線があって、これが名鉄築港線とほぼ直角に平面交差をしているのだ。

 (テツの世界でこれをダイヤモンドクロッシングと呼ぶ。かつては阪急西宮北口駅にもあってこれが有名だった) こんなこと、テツでなければ全く以てどうでもいいことなのだが、これが見たい。

 名鉄築港線をめぐっては、貨物線との関係他いろいろあるのだが、これは説明しても理解できないだろうから!? これ以上はよしておく。

終点「東名古屋港」から先にもまだ線路は伸びていて、すぐ先に県道55号線との踏切があるが、営業列車は走らないので滅多に閉じない「閉じずの踏切」がある。(この踏切が閉まるのは、豊川にある日本車輌が海外向けに車両をこの先の積み出し港まで回送するときのみ) これが見たい。

 大阪 中村貴彦

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「それでもここで生きていかなければいけないと思っています。」

 

青森の木村です。

いよいよ1ヶ月後に迫った名古屋大会。今回、東北からは青森・酒田孝先生、秋田・北川智彦先生、そして岩手・中順子先生の3名がレポーターとして参加します。いずれも大変素晴らしい実践報告ですので、どうぞご期待下さい。

また、2日目夜の交流会では大阪のみなさんが企画提案して下さる「大震災:東北の仲間に聞く」が開催されます。私たち東北の仲間も多数参加しますので、是非おいで下さい。

そして、実はこの交流会が実現するきっかけとなったのは、5月に開催地名古屋で行われた全国委員会でした。名古屋大会や基調、新組織体制の検討など、重要な案件が検討審議されました。そしてその中でも、忘れられない場面がありました。

初日夜、ようやく会議が終わって恒例の懇親交流会が行われました。いつもは乾杯と同時に楽しく各県報告などが行われるのですが、今回だけは違いました。

それは、他の会議を終えて駆け付けて下さった福島の齋藤毅先生から、福島の原発被災状況や学校、生徒の状況などについてのお話が始まったからでした。大変深刻な状況が齋藤先生の穏やかで淡々とした口調で語られ始めるやいなや、会場は水を打ったような静けさに包まれたのでした。学校が避難所になったこと、校庭の水たまりからは依然放射能の高い数値が検出されていることをはじめ、全県的な被災の現状と問題点についてお話し頂きました。齋藤先生ご自身も3月の異動発表で転勤が決まったものの、福島県では1学期はそのまま「前任校」での勤務となっています。

「それでもここで生きていかなければいけないと思っています。」という齋藤先生の言葉は、大変重く胸に迫ってくるものでした。

 そして同じく全国委員会で、次の全国会員通信の編集内容について担当の礒山先生から提案があった際に、北川先生と私からのお願いとして、「東北大震災特集」を設けて頂くこととなりました。

 二人で分担して原稿のお願いをしたところ、次の方々からご報告を頂きました。近日中にお手元に届くと思いますので、どうぞ各県の被災状況を感じ取って下さい。齋藤先生には「交流会」と「機関誌190号(秋号)」でじっくりとご報告頂きたいと思っています。

・ (青森)田村 儀則「津波が校門近くまで迫ってきた」(八戸水産高校)

・ (岩手)五日市正光「東北大震災:岩手県高校関係の被災状況」

・ (岩手)千葉 幸浩「私立高校生たちの震災ボランティア」

                          (一関修紅高校)

・ (宮城)勝又 信嗣「あの日あの時」

・ (宮城)小畑  茂「東北大震災:あの日とその後」

・ (大阪)佐藤  功「大阪高生研ブログにおける“大震災”」

                          (緑風冠高校)

 田村先生の報告は紙数の関係でかなり短縮させてもらいました。また千葉先生の原稿も、オリジナルな報告には岩手県内の私学9校の詳細な調査に基づいた具体的な被災状況の一覧や写真、新聞記事などが多数含まれているのですが、これも涙を呑んで割愛させて頂きました。(千葉レポートは岩手民教研「北流」に収録されています。)

 最後に、五日市先生の報告の終わりの言葉をご紹介します。

 「被災一般をひとくくりにした論評ではない、被災者一人ひとりが生きてきたかけがえのない人生に、それぞれ寄り添った具体的な取り組みこそが、求められている…」と。

 「全国会員通信」、「交流会」そして「機関誌秋号」をご期待下さい。

 

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進路

 「英語で外国人と話がしたい」という気持ちで日本語教室へ通っていた高校生がいました。教室には中国やフィリピンから嫁いできた人とその子どもが多くいます。英語はマイナーでした。3年生になって進路を考えたとき、「日本語教師になって外国との架け橋になり、みんなの役立ちたい」と思い、県内にある公立の外国語系大学の面談を受けたそうです。「日本語指導を学びたい」という熱い気持ちを伝えたら、その大学の面接者は、「そういうことで大学に来る必要はない。金にならないことだ。」と言ったそうです。あまりにショックを受けて、進学校の担任に話をしたら、「私もそう思っていた。なんで大学まで行って日本語指導をしたい、と考えたのか。」と言われショックが倍増したそうです。

 キャリア教育ということで、ちょうど『教育』4月号の佐藤和夫先生(千葉大)の「働く希望」という論文を読んでいました。高度成長期の大人たちが、その当時の就職形態を子ども達に押しつけている、という文があり、先生も親も同じだ、と思いました。時代は大きく変わったのに、先生が一番遅れているようです。「金を稼ぐだけの仕事」を今の若者が望んでいるわけではないのです。秋田県は就職率はそこそこ良いのですが、離職することが問題とされます。しかし「離職は悪い事だ」とは言えません。何度も落とされ、必死でしがみついて合格した会社が、必ずしも「生きがい」となる仕事ではありません。就職率だけを問題にする学校や行政の数値至上主義に問題があると感じます。

 30年以上前になりますが、県南の工業高校に勤めていました。県内上位の進学校がそばにあるのですが、そこに入らず、工業高校へ生徒が来ていたのです。例えば土木科というと、全国的にもやんちゃな生徒が多いのが当たり前でしたが、すばらしくできる生徒が入っていました。担任していた建築科の生徒に、「何で工業に来たの?」と聞いたら、「高校3年間を無駄にしたくない。堪能したいから。」という返事でした。本当に高校3年間を楽しみ、国家公務員に合格しました。私自身、進学校に行ったものの、大学はどうするか、何を仕事にするか悩んだものですから、ずいぶん感心したものです。工業高校で教育実習を受け、これが本来の高校ではないか、と思い、教師になることにしたのですが、間違っていなかった、と思いました。国家公務員になった卒業生は、しばらくしてから「昇級に関わる」、ということで夜間の大学に改めて入りました。

 最近は、工業高校もずいぶん「進学校」にシフトしましたし、県そのものが「難関大学合格率アップ、甲子園で1勝を」などという目標を掲げる時代です。「学校は誰のためにあるのか」というある意味分かり切ったような質問は、今の流れで言うと、「電力会社は誰のためにあるのか」と同じくらい答えが分からない質問なのでしょうか?

とらぬ狸@秋田

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PTAのバス旅行から

愛知の加賀です。

応援ブログへの書き込みは今回初めてです。毎日暑いですね。

昨日は、学校のPTAのバス旅行でした。

 500名にも満たない小規模校ですが、現役父母88名、教員30名で各学年1台、後援会のOB 父母教職員19名で合わせて,何とバス4台で、今回の名古屋大会実行委員の中心となっている先生方の三重県へ行ってきました。

 松坂の「ウェストパーク松坂 Mou&Buu」でビールとバーベキューの食事をとって、その後、お伊勢さん・おかげ横丁方面へ行ってきました。さすがに松坂牛は食べられませんでしたが、お肉を焼きながらの懇談会でした。

 「高校に入って表情が明るくなった」「俺、本当にこの学校でよかった」という子どもの声をお母さん方から聞くことができました。また、進路やコースなどの話題があがったり、学校内での保護者面談だけではゆっくりお話できない事も、気軽に話すことができ、ふだん学校では見せない生徒の様子も伺えたり有意義な時間でした。

 

 お伊勢さんでは、今年初のかき氷「赤ふく氷」を食べてきました。宇治氷のお抹茶の味のせいか、赤ふくのこし餡とお餅がなんとも言えずさっぱりとした感じで、猛暑の中、涼を得た感じでした。その後、「白鷹」で伊勢神宮御料酒五勺のおちょこで立ち飲み、いい気分で帰りのバスへ・・・・

 大会とは、あまり関係ないお話でしたね。

全国のみなさん、せっかく遠くからの参加ですので、名古屋から高速、または、近鉄電車で2時間弱で行ける距離です。宗教色もありますが、日本の三大神宮でもある伊勢神宮まで足をのばしてみませんか・・・・・・・

 ちなみに、名古屋には熱田神宮もあります。お勧めは、やはり「宮きしめん」です。普通「きしめん」というと、コシが弱いイメージがありますが、ここの「宮きしめん」はこのイメージが一掃されるほどのコシがあります。ぜひ、こちらも一度お試しあれ。

 では、みなさん、名古屋大会でお会いしましょう。

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見どころつきお誘い文・文例です。

大阪・サトウです。

 大阪の多くの高校では、期末試験の時期になりました。

 連日の猛暑、早や「夏真っ盛り」ですが、「さあもうすぐ夏休み!」というところで、ちょっとばかり開放感も。

 さて、名古屋大会まであと一ヶ月余。

 皆さん、参加者呼びかけも佳境かな。 

 サトウが最近、知己の方に送っている「メール案内」の例を下記に貼りつけました。

 若手のOさん宛てに送ったものです。

 どうぞアレンジしてお使いください&他の方の「見どころつきお誘い文」も教えて。

 公開しあってパクリあいましょう。

 よろしく。

<以下>

緑風冠高校・サトウです。

さて、1学期もゴールがみえてきました。

元気にやってますか。

以下、高生研関係のご案内をいくつか。

新任・Kさんが、卒論で引用したナマ本田由紀に会えるのと世界遺産・白川郷に行けるのとで、名古屋大会参加に前向きです。

ぜひ、一緒に行こうぜィ。

<以下、ご案内>

●行きましょ、高生研名古屋大会

2011年夏高生研第49回全国大会名古屋大会

テーマ「なぜと問い合える関係性をつくろう」

日程8月6日(土)~8月8日(月)

会場大同大学〒457-0819 愛知県名古屋市南区滝春町10-3

後援名古屋市教育委員会

見どころ抜粋

<1日目(8月6日)>

(講演)格差社会に対抗する若者政策と教育改革

講師宮本みち子(放送大学教授)

 近年、高校現場では、中退者の高止まり、就職内定率の低下、無業で卒業していく生徒、過酷な労働現場に疲れ果てて離職する生徒が顕著になっている。しかもこれらの生徒は、ある高校に偏在する傾向にある。二極化が進む社会のなかを、たくましく生き抜いていくためには、高校教育の改革が必要である。若者の実態を紹介し、シティズンシップ教育やキャリア教育への期待を述べる。

(基調発題と討論)実践記録を書くことの意味

発題者船橋聖一(全国高生研/群馬)

発題者が、自分自身、また、地元群馬のサークル仲間が実践報告を書くことで、教師として成長してきた過程を分析します。さらに、最近の大会で報告された実践報告とその分析から、実践報告を書くことと分析討論することの意味を丁寧にとらえ直します。それらを通して、高生研がこれまで大会やサークル活動などで行ってきた実践分析が、どのような意味を持つのか、あらためて提起します。

<2日目(7日)・一般分科会>

 大阪の「初担任1年記」をご紹介。

(2)三木啓司(大阪/HR/生徒に言葉が届かない!!からの出発)

 初めての担任ということで、「いいクラスを創ろう」なんて意気込んで臨んだはずが、クラスで起きるのは問題ばかり。挙げ句の果てに、生徒からは「担任と思っていない」などと言われ、どうしようもなく落ち込む日々。そんなサンドバックのような状態から、いかにして終業式に色紙を渡されるまでになったのか、実践者としての1年間の軌跡を追う。

 ほかに・・・。

(1)日比野歩(公立高校/HR/LAST KHS!個性の固まり!)

(3)池上聡一(鳥取/学年/学年集団が動く~正副室長の活躍~)

(4)北川智彦(秋田/全校/学校は変わるか?学校フォーラムと四者協議会)

(5)酒田孝(青森/生徒会/一ヶ月だけの演劇部)

(6)中順子(岩手/授業&HR/合言葉は「ぐるり」、そして「パッチギ」~「学び」の意味を問い直す~)

(7)浅田正登(公立高校/授業/オズの国の生徒たち)

<3日目(8日)・問題別分科会>

(5)高校普通科の職業的意義を問う―ポスト近代における<能力>と<学力>の変容をふまえて―

 「1990年代に、若者の仕事は大きく変貌した。非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。」(ちくま新書「教育の職業的意義」より)

 若者の労働と生活世界の現実に向き合ってきた本田さんはストレートに問いかける。その義憤にも似た問いに、教え子たちの卒業後の過酷さを垣間知る私たち高校教師はとても共感してしまうのだ。それが本田さんを再び高生研大会に呼びたい一番の理由といってもいい。

 本田さんは、その問いに次のような仮説を立てる。

「それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、括弧上職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある」と。(同上)

 そして、とりわけ現在の普通科高校を厳しく批判のまな板にのせる。

「教育制度内での通過点としての性格を強める現在の普通科高校は、生徒の学力水準に即して失敗のリスクを最小化する進路決定プロセスのシステム化が進む一方で、生徒自身による自らの将来の選択にとってしっかりした基盤となる経験の提供と、それを実現するために求められる実社会において有用性を発揮しうる能力の形成の側面が非常に弱いという問題を抱えている。」(『進路指導』84(1))

 これまた、「高校の勉強って、社会に出て何の役にたつん?」と生徒から問いかけられるような苦しい毎日を送る私たちには思わず頷いてしまいそうな…。

 いや、待てよ?私たちがホームルーム活動や行事に多大なエネルギーを注いできたことは、将来の選択の基盤になる経験や実社会で有用な能力を育てることにつながっていなかったのかな?

 そもそも、普通科高校の「普通」教育って何だったのか?

 本田さんの言う「教育の職業的意義」は「普通」教育をどう批判し乗りこえるものなのか?

 ここは、しっかり議論したいところ。分科会題名は、そんな議論を期待して、あえて論争的につけてみました。

(分科会設定者の見どころ案内より引用)

 ほかに・・・。

 

問題別分科会

(1)教育における公共性を問いなおす~学校で政治主体を育てるとは~松下良平(金沢大学)

(2)シティズンシップ教育における教師のポジショナリティと実践構図望月一枝(秋田大学)

(3)探究学習を通した高校生のアイデンティティ形成高橋亜希子(北海道教育大学)

(4)日本語を母語としない子どもの現状と課題時原千恵子(柏中央高校)伊東浄江(NPO 法人トルシーダ代表)

☆夜の交流会も原発・震災関係の最先端の話、現地からの報告など、盛りだくさんです。

☆このあと、大阪名物「アフターツアー」、今年は世界遺産白川郷の合掌民宿を1軒貸し切りツアー(8日~9日)

詳しくは、

http://kouseiken.jp/thk3701/Ngoya_osasoi.html(名古屋大会応援ブログ)

(大会リーフレットをダウンロードください)

http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/(大阪高生研ブログ)

 サトウは「勤務地を離れた研修」として参加する予定です。

 ホテルの情報などもお伝えできますので、また問い合わせください。

「名古屋市教委の後援」もあるので、ぜひ、ご一緒に。 

 暑い夏、しっかり充電して乗り切りましょうね。  

☆☆☆佐藤 功

  taikanokaisin@kd6.so-net.ne.jp☆☆☆

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サークルつれづれ~私たちの生き抜く力、「寄る」こと~

 

 近年「新任教員」のことがとても気にかかります。

 素朴な情熱、「教育愛」を支えに「専任教員」になろうとしても、何年もかかったり、新任研修や新任指導で神経をすり減らしたり、同僚関係の希薄な中で孤立して自分を出せなかったりと、聞くだけでも暗澹とするばかりです。

 就職の苦労もろくにせず、「良き時代」に甘えていた私の場合とは天と地の違いです。自分のことを恥ずかしく思う以上に、青年を育てることをせず体制維持のために青年をつぶしていく教育行政の状況に、憤りを覚えます。

 08年度より、誘いがあってある私大に出向いています。普通の教職関係の講座ではなく、教育実習のための指導を目的とするもので、実質半期余りの特殊な講座です。学級担任のような仕事だと、自分では思っています。

 教育実習をしても、実際には教職に就かない学生もたくさんいますが、真剣に迷ったり、やっと決意しての教職志望の学生も一定数います。現場に入っての初め二、三年を、どのような状況下で自分の教職人生をスタートさせねばならないのか。

 それを思うと、とても安易な理想、希望、理念など、言えません。大学できちんと学ぶことは、現場での大きな齟齬を生む元にもなる、と覚悟したうえで授業するべきなのでしょう。

 現在の学校現場で生き抜いていく力を、学生とのわずかなふれあいでどう育て、支えるのか…私にはそれに応える力量がありません。どこにでもいいから、友を得、職場に少しでも話せる同僚を得る、どこでもいいから自分のことを話せる場を得る、などと話すしか、私にはできません。

 そんな中で、一つの光を見ました。それは、雑誌『教育』(国土社・教育科学研究会)09年4月号の「若い教師のたまりば〈エデュカフェ〉」で初めて知りました。

 京都市内の公立小学校に勤め始めた若い女性教員が、誘われて組合に入ったようですが、組合の事務所はやたら汚くて乱雑だったと言います。あまり人も来ないし、この人は自分で勝手に部屋を掃除し、少しでも来やすい部屋にしようとしました。

 コーヒーも入れて、お菓子も食べられる、そんな部屋にしました。そこで月に一度は何でも話せる場を持ち、メールでいろんな人に誘いかけて、数人の仲間を得るようになったといいます。 

 ここにもサークルの原点があるように、私には思えます。たった一人の思いが形になった、とてもささやかなものです。もちろん、教育現場にいることがその人たちの共通項ですが、カフェですから、お勉強的な雰囲気を求めているわけではないようです。「居酒屋教研」から「教研」を取ったようなものだろうと、私は理解しています。

 エデュは、教育現場にいる共通項のことかな、と思います。何年続けるかとか、どう広げるかとかは、あまり問題にすることもない、そんなサークル。やはりこれが原点なのだろうなと思います。こういう寄り合いがあることを知るのが、私たちの力になるのではないでしょうか。

 昨年の秋に、京都新聞でこのサークルが取材されていました。記者の意欲が伝わってくるいい記事でしょうが、何と集まる人たちが数十人になっているそうです。月々の会には十人ぐらいが集まって親しく話せるのならいいのですが、実際にはどんな具合なんでしょう。そんなに大きくなるのは、ちょっと早すぎたのではないかなと、勝手な危惧を抱いてしまいます。でも、それだけ場を切実に求めていた人たちがいることも見えてきます。

 このエデュカフェは、いろんな風に形を変え、仲間が移ろい、おもしろい広がりを見せて、種々の場になっていくでしょう。折々に、生まれたり、水面下に潜ったり、なんかそんな営みを見る思いがします。これが私たちの生き抜く力なのでしょう。

 京都 寺井 治夫

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醸造半島知多~4500アクセス突破記念日~

 名古屋大会のビフォー アフターに丁度いいのが、知多半島。

 魚は新鮮で温泉もある。

 その知多半島。目立った河川はなく、井戸には海水が混じり、水に難渋するところ故、農業には不向きな地域であった。そのため人々はものづくりに勤しんだ。

 古代から塩づくりが行われ、平安時代には常滑焼などの陶器が作られるようになる。

さらに、知多半島は醸造技術が発達、日本酒や酢の製造が盛んになされていることから、醸造半島とも呼ばれている。

知多半島は灌漑が十分ではなく農業用の水を確保するのは容易ではなかったが、ところどころに名泉と呼ばれる良質の水が湧いた。その水を利用したのである。

 名古屋といえば、濃厚な味で刺身に合うたまり醤油が知られているが、このたまり醤油も知多産。

知多半島の醸造の歴史は、三河国の人で大野町(現常滑市)に移った、宗平宗休が味噌の製造を始めたのがその嚆矢という。知多の隣の西三河も古くから醸造業の盛んなところで、八丁味噌など赤みそをはじめ、三河みりんや白醤油が有名だ。

 因みに、「サザエさん」に登場する「三河屋」は、三河出身者が味噌や醤油などの醸造製品を扱っていた問屋の屋号で、さらに転じて酒屋などの醸造品を扱う店を指す一般的俗称となった名前。

さて、知多半島の醸造技術が生んだ逸品に、半田酢がある。知多はもともと酒造りの盛んな土地。(江戸時代には、東の灘と呼ばれていた)米がアルコール発酵すると日本酒、さらに酢酸発酵すると米酢になる。そこで酒造りで出てくる酒粕を使って酢が作られたのである。

この酒粕酢が現在の「ミツカン」の礎となった。今もミツカンの本社は知多半島の半田にある。当時は米酢は高価だったが、(いわば産業廃棄物の)酒粕を有効利用した安い半田酢は江戸に運ばれ、江戸前の寿司に使われた。江戸前の握り寿司が人気のファストフードとして広がっていったのは、実は遠く離れた醸造半島知多のおかげだったのだ。

知多半田では『博物館酢の里』を訪ねたい。(0569245111要予約)児童文学に関心があれば『新美南吉記念館』(0569264888)も外せない。

 大阪 中村 貴彦

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名古屋36℃

ご無沙汰してしまいました。

沖縄の伊藤です。

文化祭、その代休&慰霊の日を挟み、

応援ブログのことをすっかり忘れていて(爆)

岸田さんにとってもご迷惑をかけてしまいました。

ホントにごめんなさいm(_ _)m

さて、文化祭が終わったら、

期末考査で、ホントに相変わらず息つく暇もない

学校現場ですが、

それに追い討ちをかけるような猛暑!

今朝は、名古屋の予想最高気温36℃と言うのを聞いて

頭の中で、8月の大同大学を思い浮かべ

クラクラしてしまいました!(◎_◎;)

そう言えば、去年も、あの札幌が30℃超えで

冷房のない居酒屋で、うちわ片手に北海道の美味しいものを

さんざん食べたのを思い出します。

しかし、36℃!

意外に思われるかもしれませんが、

沖繩ではまずお目にかからない気温です。

毎年、夏がくる度に、

沖縄は避暑地だなぁ、と本気で思います。

今年も涼しい沖縄から、ジリジリと熱気の上がる街へ

学びを深めに行きます。

かいた汗の分だけ、何かを掴まないとね。

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キリ番、ただいま発生!4444人目を超えました☆

京都の岸田です。

Aさん、キリ番GETおめでとうございます!!

これで景気もついて、きっと参加者数は伸びますって。

名古屋市教委の後援を生かして、一気にDM作戦もいいかも?

実はキリ番設定初回、4000人目は私が自分でGETしてしまいました。

その次はなんと、京都のTが。

そしてこのたびやっと、とるべき方三重のAさんがGETなさいました。

めでたしめでたし。名古屋の逸品より京都の逸品にしましょうね?

また、こっそり応援ブログではキリ番を設定しています。

次はあなたかも?

当たった方は、ぜひコメントかメールくださいませ。

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現在の参加申込状況

全国のみなさん 

現在の参加申込状況をお知らせします。

6月28日現在で参加申込数60人です。

愛知は久田さんががんばってくれていて、学生を中心に参加者数が伸びていますが、それ以外の現地参加者が少ないです。

私たちが頼める東海地区の社会関係資本(組合、人間関係ネットワークなど)が薄いからかもしれません。

全国のみなさん、お知り合いで全国大会に来てくれそうな方がいましたら、声をかけてください。というか、助けてください。

このままでは赤字になるかも・・・?

7月20日まで1か月を切りました。よろしくお願い申し上げます。

受付担当  岡村昭弘

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ビバ、工業高校

 28日は、中学校の先生を対象とした「オープンキャンパス」があります。中学校の先生が工業高校の内容を良く分からないので、生徒の進路相談に対応できないのではないか、ということで何年か実施しています。中学校の先生は、実習中の卒業生を見つけては「頑張っているね」と感動していきます。また、工業高校で何を教えているかよく分かった、と言ってくれます。

 それはそれで嬉しいのですが、職業の選択につながる自分の進路を決定するのは中学校段階では難しく、「分からないから、とりあえず普通高校」ということで進学し、結局、大学に入っても自分の進路に自信が持てない、ということになります。

 全国大会では、講演の宮本みち子先生や、分科会での本田由紀先生が、キャリア教育を話題にします。普通高校だからこそ、「働く」という意味を学ぶ必要があると思います。

 実際、高校に入ると大学進学が唯一で、「難しい」と言われるほど価値がある、ということになります。しかし、その後のことは知らない、それ以外の人は問題にしない、という状態に問題があります。理想は、昔よく言われた「総合制高校」なんだろうと思います。そういう高校なら、自分の関心の方向や適合を考える機会が出来ると思います。

 工業高校を卒業させた保護者がよく言います。工業高校に入れば、就職に安心で必要な資格も取れ、その気になれば大学も行ける。「働く」ということを学びます。それは、教科書では教えきれない内容です。しかも、生きていく上で大切なことです。

 こうしたことは、中学校の先生だけではなく、生徒や親にも知って欲しいことです。今は大学が「学問を磨く場」でなくなった、としたらますます、仕事の技術を磨く期間として貴重な時間を無駄にしてはいけない気がします。

私は普通高校から大学へ行きましたが、工業高校の生徒が「ものづくり」に取り組む姿に感動します。まだ言い切れない面もありますが、「何で飯を食うのか」という面がない高校は、不十分だと思います。ぜひ「普通高校だからこそキャリア教育を」と考えています。

      とらぬ狸@秋田

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名古屋大会まであと6週間!

 書籍担当の松尾です。ブログ初登場です。緊張しています。

 今年は15~16社の書籍委託販売を行う予定です。「花伝社」「子どもの未来社」「太郎次郎社」「同時代社」「批評社」「青木書店」「大月書店」「学事出版」「桜井書店」「日本機関誌出版センター」「旬報社」「ほんの森出版」「高文研」「明石書店」「きょういくネット」と明日再度連絡を取る「かもがわ出版」です。昨年より2社減りました。新刊本を中心に雑誌もいくつか準備する予定です。

 また上記の出版社以外の書籍は正文館書店可児支店さんが大同大学に来て販売してくださることになりました。全国大会にてみなさんにお勧めした書籍があれば今週中に「コメント」ください。正文館さんに連絡しますので、ぜひお願いします。

 書本の販売は8月6日は「宮本みち子さんの著書」と「高校生活指導」のみの販売です。

7日は朝・昼・夕方、8日は朝・昼のみ、大会場所と宿舎が離れているので販売時間が短いです。時間をやりくりして書籍販売場所にいらしてください、お待ちしています。

最後に、書籍販売のお手伝いをしてくださると手を挙げてくださった方々、よろしくお願いします。当日飛び入りも大歓迎です、是非お手伝いに来てください。よろしくお願いいたします。

                                             松尾佳津代

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大阪の大会プレ例会

名古屋大会まであと40日余。

各地で大会に向けた企画が考えられていることでしょう。

大阪では、今年も「大会プレ例会」として、以下を企画しています。

<第1弾>

7月3日(日) 西淀川区民会館(阪神なんば線「福」駅下車10分)

3:00~4:30pm「三木レポートを読む」

4:30~5:30「基調発題を読む」

<第2弾>

7月28日(木)。 「原発問題を授業化する」という企画を検討中です。

大阪高生研7月例会で、「原発問題を授業化する」という企画を検討中です。

この日をどうぞチェックください。

 まだまだ未確定の部分ありますので、それを承知でおききください。

 今、考えているのは第1部午後3:00~5:30 第2部6:00~8:00です。場所はたかつガーデンで30名の部屋です。

第1部は現場教員の実践報告を予定しています。

「原発問題」は、いろんな取り上げ方があると思います。「原発と放射能」「原発に絡む利権構造」「原発依存の私たちの生活のとらえなおし」「原発と地域経済」「原発とエネルギー問題」・・・・この部分は先生によっていろんな視点があると思います。

社会科のみならず国語や英語、理科などいろいろな教科でとりあげられると思います。それで、今回は第1弾として、まずはいろんな実践を集めてみてはどうかと思います。

第2部は、フリージャーナリストの西谷文和さんが、今、原発問題のDVDを制作中でまもなく完成とのことで、このDVDを見て、意見交換をしようと思っています。西谷さんもお招きします。 

大阪高生研会員以外の方も参加歓迎です。

     (記:サトウ)

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高校普通科の職業的意義を問う―ポスト近代における<能力>と<学力>の変容をふまえて―問題別分科会紹介 

 大会3日目、8日に予定されている問題別分科会の紹介を、大阪の井沼さんにお願いしました。以下、その①です。

 高校普通科の職業的意義を問う

  ―ポスト近代における<能力>と<学力>の変容をふまえて―

 「1990年代に、若者の仕事は大きく変貌した。非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。」(ちくま新書「教育の職業的意義」より)

 若者の労働と生活世界の現実に向き合ってきた本田さんはストレートに問いかける。その義憤にも似た問いに、教え子たちの卒業後の過酷さを垣間知る私たち高校教師はとても共感してしまうのだ。それが本田さんを再び高生研大会に呼びたい一番の理由といってもいい。

 本田さんは、その問いに次のような仮説を立てる。

「それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、括弧上職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある」と。(同上)

 そして、とりわけ現在の普通科高校を厳しく批判のまな板にのせる。

「教育制度内での通過点としての性格を強める現在の普通科高校は、生徒の学力水準に即して失敗のリスクを最小化する進路決定プロセスのシステム化が進む一方で、生徒自身による自らの将来の選択にとってしっかりした基盤となる経験の提供と、それを実現するために求められる実社会において有用性を発揮しうる能力の形成の側面が非常に弱いという問題を抱えている。」(『進路指導』84(1))

 これまた、「高校の勉強って、社会に出て何の役にたつん?」と生徒から問いかけられるような苦しい毎日を送る私たちには思わず頷いてしまいそうな…。

 いや、待てよ?私たちがホームルーム活動や行事に多大なエネルギーを注いできたことは、将来の選択の基盤になる経験や実社会で有用な能力を育てることにつながっていなかったのかな?

 そもそも、普通科高校の「普通」教育って何だったのか?

 本田さんの言う「教育の職業的意義」は「普通」教育をどう批判し乗りこえるものなのか?

 ここは、しっかり議論したいところですね。

 分科会題名は、そんな議論を期待して、あえて論争的につけてみました。  (つづく)

 

 私自身は、大阪大会のとき、オーダーも入っていないのにコーヒーをお持ちするのにかこつけて、本田由紀さんの控室に厚かましくお邪魔し、ご著書にサインをいただきました。そして『子育ての隘路』をその昔読んだとお話ししましたら、「母親の生きづらさ」について、少しだけですが『特別講義』をお聴きできました。大会にはこれで二度目おいでくださいます。とても参加が楽しみな分科会です。

 京都 岸田康子

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駅のうなぎ屋 やまよし

 昨今の鉄道ブームと相まってデパートの「全国有名駅弁とうまいもの大会~」が大繁盛だ。東京では元祖の京王百貨店、大阪は阪神百貨店、名古屋では?

 ところで駅弁大会では「うなぎ弁当」はあまり見かけない。精々浜松自笑亭の「うなぎ弁当」ぐらいか。今日は知る人ぞ知るうなぎ弁当を紹介したい。

名古屋からJR東海道線の上り新快速に乗る。終点は豊橋。過日JR名古屋駅ホームのきしめんを取り上げたけど、「駅のきしめん」の一番は実は豊橋駅の『壺屋』だと思う。ここの「かけきしめん」、刻んだ油揚げが入っている。それもフツーの店なら別料金取るぐらいの量が。

 ここは豊川稲荷が近く、この『壺屋』ははじめて駅の中で稲荷ずしを売った店だ。ここの稲荷ずしは具が入ってなくて、酢も薄くてそれがいいチェイサーに。濃いきしめんをすすって稲荷ずしを一口かじる感覚がいいのだ。

 話が逸れた。豊橋に着いたら新所原(しんじょはら)駅で弁当を販売する『駅

のうなぎ屋やまよし』に電話をかけよ。(053 577 4181)

 新所原は豊橋から普通列車で二つ目。電話をしておけば新所原に着く時刻に合わせてできたてのうなぎ弁当をつくっておいてくれるのだ。

 新所原にはJRと天竜浜名湖鉄道の二つの駅舎がある。(天竜浜名湖鉄道の前身は国鉄二俣線、掛川と新所原を結んでいる。通称・天浜線)『駅のうなぎ屋やまよし』は天浜線の駅舎の中にある。

 ここのうなぎは創業以来ずっと浜名湖で養殖されたもの。値段は1050円。包装紙は特になし、うなぎ弁当は『中日スポーツ』で包まれている!? できたばかりでまだ温かいというより熱い。

 蓋を取る。四等分されたうなぎが目に飛び込んでくる。蒸しを入れない関西風。歯ごたえがあり焼きたての風味が広がり、タレも絶妙…

再び東海道線に乗れば、次の鷲津が近づくと浜名湖が左側に迫ってくる。天浜線なら浜名湖の北岸に沿って走る。「うなぎ弁当」を食べながら浜名湖の車窓を堪能。鉄道ファンには至福の一憩だ。

 大阪 中村 貴彦

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サークルつれづれ~教育研究サークルについて思うこと~

 京都の寺井です。

 教育研究サークルについて、思うことを少し書いてみたいと思います。

 「京都こくご教科懇」は20年、国語教育研究サークル「土曜日の会」は30年となるのですが、これが民間教育研究団体ですと、戦後60年、50年という大きな節目を迎えています。

 「教育科学研究会」は、戦後の再建時から『教育』という雑誌を発刊して以来、60年です。“戦後教育学”否定の動きを大きく問題視して、60年間の歩みを10年ずつに区切って歴史的な検討会を重ね、何冊かの“講座物”を世に出そうとしています。“戦後教育学”をこの教科研が全的に背負わねばならないとする点がよくわかりませんが、私にはとても興味深いことです。

 「日本文学協会」の国語教育部会も、やがて60年です。1976年の『日本文学』での「国語教育の戦後三十年」(シンポジウム)を読みますと、戦後の熱い思いが通らず、運動の在り方の是非を考え、子ども観や教材観が多様になっていく状況に苦慮する―その苦労がしのばれますが、議論の端に、今の私たちの状況に通じる目を感じます。この後の30年、私たちの30年は、どうたどるべきでしょうか。

 たびたび寄り集まれる、身近な者たちとしてのサークル、教育現場で汗している仲間の親しみで集まれるサークルが、たとえば、「教科懇」であり「土曜日の会」でしょう。「教科懇」は教員組合を母体としていますが、「土曜日の会」はたまたま知り合った知己のゆるい集まりです。

 その「ゆるさ」は会を始め、ずっと担って来られたFさんの強力な求心力とおもしろいバランスをとっています。

 

 「土曜日の会」の10月例会に、S市の府立高校の若い先生(女性)が初めて参加しました。どこかに国語の話ができる場がないものかとの思いが募って、大学で学んだ恩師に訴えて、ここを教えられて来た、ということです。その師は、かつての私の同僚でもあります。男子の多い工業高校では、授業に集中できず、授業している教師という自覚が持ちにくいことが、大きな悩みと言います。

 「たまらなくなって、校長に聞いたんですよ。この学校では教員の仕事の何割が授業なんですか。校長は、5割と言うんです。ショックでした。私のアイデンティティは何なのか。私はあくまでも国語の教師でありたい。」 京都は遠いけれど、今見つけたこの場は手放したくない、と思っているようです。

 「教科懇」の20年は、そんなに大きなこととはされていませんが、「土曜日の会」は、昨夏以来、継続はどうするか、世代交代はできるのか、随分気をもみ、話し合いもしました。見通しは容易ではありません。わずかな可能性を胸中に抱いて、私は協力していくつもりですが、かなり悲観的です。

 ところが、10月例会に初参加した先生を前にしますと、この方の思いを精一杯守らねばと思うようになります。

 寺井治夫

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全県で節電行動!

 6月15日は、全県一斉の節電行動の日でした。学校へも、15%を目標とした節電が要求されました。節電と言われても、出来ることは照明を消すことぐらいです。結局、指定された午後1時から3時まで、教室や職員室の照明を消しました。その効果は、本校の統計で11%減ったと言うことでした。それ以来、職員室の照明はいつも消えています。「窓際族」の年齢となった私にとっては、晴天のときは良いのですが、少し曇ると見えにくくなります。確かに無駄は良くないと思うものの、原発が動かないと大変だぞ、という脅しと感じられ、こんなにまでしなければならないは誰のせいだ、と思うと憤懣やるかたなくなります。

 北国といっても、冬が寒いだけで、夏は結構蒸し暑くなります。しかしエアコンはありません。夏の節電はばっちりです。とはいうものの、窓を開けますから、今年からは放射能が心配です。福島から100km離れていますから、それほどの心配はないのでしょうが、「直ちに心配はない」とはいきません。放射能の心配をしすぎだ、とも報道されます。しかし、20年後、30年後経って子ども達がガンなどの病気になったら、やはり「想定外だった」と言われてお終いなのでしょう。自分の身は自分で守らなければならなくなったようです。このことが、どんな勉強より今一番大切な勉強ではないかと考えています。

 前回の柴原洋一さんが、小出裕章さんのインタビュー映画「福島原発で何が起こっているのか」を使った分科会を紹介していましたが、全国委員会でそのDVDを購入し、地元で連続上映会を行いました。参加者はお年寄りがほとんどでしたが、とても良かった、と言ってくれました。小出さんのDVDの続編も出ています。ぜひ各地で上映して欲しいと思います。もちろん、全国大会で柴原さんからの説明を受けると、もっと良く理解できると思います。

     とらぬ狸@秋田

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原発の廃絶に向けて~交流会へのお誘いのようなもの

 定年まであと3年あったのですが、この3月で退職しました。早期退職を決断した理由はいくつもありますが、そのひとつは一面から言えば「やるべき事がある」ということであり、他面から言えば「忙しすぎてやるべき事ができない」ということでした。

 大規模進学校での日常は、私には目の回るような思いでした。有り体に言えば、人様のごとく軽々と仕事をこなす能力に欠けていたと言えるでしょうし、あるいは私には合わない職場(人間関係の事ではない)であったとも言えるでしょう。かつて困難校と目される学校で、挫折感もあれば充実感もある手応えのある日々を送りつつ、地域では漁民とともに原発計画に抵抗していたのは、もう20年近く前のことになります。あのころのように身体も精神も動かなくなりつつあるのを感じていました。

 37年におよぶ漁民の戦いによって、11年前に芦浜原発計画は葬り去られました。私もそれまでの17年間、反原発の道を走り続けていたのでした。それからは戦線を縮小し、他県の仲間と協力しながら、原子力政策の転換を求める政策提言を行う仕事を自分に課しました。具体的には、提言の冊子を編集したり、国会議員ニュースを発行したり、会派や議員との交渉と言うロビー活動を行ったりという作業です。まあ、そのお手伝いをしたという程度の事ですが、本務での日々の多忙さは、その作業さえしんどく思わせるものになってゆきました。

 ここ数年の私の意識の中では、刻一刻と大地震による原発の崩壊とこの世のおわりが近づいていました。とくに東海地震の震央にある中部電力の浜岡原子力発電所の事故が最も危惧されました。ただ、念のために申し添えますと、東北の巨大地震による福島第一原発の大惨事によって、地震・津波が引き起こす原発事故ばかりが意識されますが、地震などなくても原発は危険です。スリーマイル島でも、チェルノブイリでも、地震が原因の原発事故ではありません。機械は壊れるものだという平明な事実をみればよいのです。船は沈み、飛行機は落ちるものです。原発だけが絶対安全だなどという事はあり得ないのです。

 原発事故を防ぐ唯一の方法は、原発の廃絶です。仮に事故がないとしても、生み出された放射性廃棄物(死の灰)は100万年にわたって人類を脅かすことになります。このことだけでも、原発は許してはならないのです。

 1986年のチェルノブイリ事故が起きる前、結局のところ人類は大事故が起きなければ目が覚めないのかと私は絶望的な気持ちでした。そして心のどこかで、遥か彼方で原子力事故が起きればいいと自分が思っているのを感じていました。そう思う自分を許していたというべきでしょうか。そして旧ソ連での原子炉の大爆発と炎上。後悔しました。なんという酷い事を自分は願っていたのだろうと慄然としました。フォトジャーナリスト広河隆一さんの決死行によって伝わってくる現地の子供達の惨状によって、さらに打ちのめされました。決して事故を願い事故を待つなどと、人はかりそめにも思ってはならないのです。私は「事故待ち」を捨てました。

 けれども、美浜原発で死傷者のでる事故があろうと、東海村の臨界事故で死者が出ようと、もんじゅが火災事故を起こそうと、日本の原発推進政策は変わりませんでした。自分が思うように動けないまま、その日が来てしまったら悔やんでも悔やみきれない。やるだけのことをやりたい。そう思うようになりました。まだ在職中に、三重県での反原発市民団体(原発おことわり三重の会)の立ち上げに誘われました。いずれ定年退職したら、事務仕事など引き受けねばなるまいと思い、次にはこれも何かの縁であろうと思い始めました。退職した今、その事務局を担当しています。

 退職願を出して約2ヶ月後、福島原発事故が起きました。吹けば飛ぶような私一人の存在などなにほどのことかと、あるいは傲慢に聞こえるかもしれないのですが、フクシマをまのあたりにして、「自分の人生はカスだった」と思ったことでした。約30年、それを課題として生きて来て、結局は成し遂げられなかったのです。私は人生に失敗したのです。泣けてきました。すべては手遅れとなったのでした。二度と繰り返してはならないチェルノブイリを、繰り返してしまったのです。今も心の整理がついたわけではありません。先日、原発の学習会で、参加者から「どうやって原発を止めたらよいのですか」と問われて、つい「私はそのことに失敗した人間なのです。私に問わないでください」と答えてしまいました。

 ことここにいたっても、この国は目を覚ましません。いまだに原発が稼働し続けるこの現実が私には信じられない思いです。愚かな大人達によって子供達は日々放射線に曝されています。フクシマの放射能がない場所はもうありません。そのような世界を私たちは生きてゆかねばなりません。せめてこれ以上の放射能を生み出さないように、これ以上放射能汚染を増やさないように、原発廃絶という仕事はまだ残されています。

 夜間定時制高校に勤めたときに、同僚の一人が愛知の私学フェスティバルに学んで、学校の枠を超えた生徒の人権文化活動組織を構想し提起し、その立ち上げに関わりました。今も続いている「南勢地区人権を考える高校生文化フェスティバル」です。95年の事でした。同僚3人でその指導に当たりました。第1期生で実行委員会のリーダーであったAさんは、今、おことわりの会の一員として、福島の子供達の放射能疎開を支援する活動の中心にいて、毎日のように連絡を取り合っています。最後の職場でフェスティバル実行委員として出会ったBさんは、今学業を続けながら、やはり会員として行動し、会報の編集を担っています。被曝している子供達を短期間でも伊勢に招こうとAさんが招集した会議が、明日伊勢で開かれます。定時制時代の指導者3人のひとりが出席してくれるのだとAさんが嬉しい連絡をくれました。AさんやBさんといま共に行動できるこの縁をありがたいと思う私がいます。

 さて、なぜこの拙文を書き出したか、うっかりわすれるところでした。大会の1日目(8月6日)の夜の交流会で原子力発電の入門講座のようなことをやります。いまのところ京大原子炉実験所助教の小出裕章さんのインタビュー映画「福島原発で何が起こっているのか①」を1時間上映し、そのあと私が参加者の質問に答える形で進めるつもりでいます。どんな質問でもOKという前提でやります。忙しくて原発の事をゆっくり調べたり、考えたりする時間が持てない方々は、ぜひこの機会をご利用ください。

                                   6月17日 柴原洋一(無職)

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「新機関誌を考える」担当者会議をしました

 大阪・佐藤です。

 2012年以降の新高生研仮事務局で、「新高生研を考える」担当の1人をしています。

 出版不況がすすむなか、教育雑誌は「売れない」のが常識。ほかの民間教育団体の機関誌も同様で、「廃刊」「休刊」等が続いています。

 そんななか、新高生研は、「高生研型」の「活動の基軸としての機関誌」をめざし、この間、3度にわたる構想会合を開いてきました。

・5月28日 東京:湯島にて(5名で)

・6月17日 大阪:上本町にて(4名で)

・6月18日 京都:京都駅前にて(6名で)

 「拡大機関誌会議」と称し、高生研草創期を知る方から最近、深く関わるようになったという方まで意見やアイディアを出し合う。出版社との交渉や雑誌編集・発行経験者からの聴き取りなども行ってきました。

 京都駅前の某ファミレスで4時間近く粘って行った今日の会議で確認した、「新機関誌」の編集コンセプト。出された意見を列挙します。

・相互の応答がある

・全国の実践をさがす1つの手段

・理論と実践をつなぐ手段

・複数立場、視点からの分析

・目の前の生徒から、教室からの視点を明確にしたもの」

・読者参加型(「すごい実践」から「ちょっとした取り組み」までにぎやかに)

・新しい教師がつながるマガジン

・いっぽうで「あぁ、こんな見方ができるのか」と気づくことができるもの

(下略)

 せっかくの「チャンス」ですから、かなり「大胆」な機関誌提起をしたいもの。

「機関誌を考える」ことが、そのまま「新高生研で何ができるのか」を考えることになるなあ、を実感しています。

 7月18日に行われる仮事務局会議で確認したあと、名古屋大会での会員総会で提起しますので、旺盛な議論を期待! です。

 どうぞお楽しみに。

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三者面談

去年から私のつとめる定時制高校でも三者面談期間を設定するようになりました。

三年前までは、常に定員割れしていましたから、生徒の人数も知れたもので、特に期間を決めなくても、担任が適当にやってきたのです。が、去年、今年と定員いっぱいまで入学し、留年生を合わせれば50人を越えるクラスも出て来ましたから、一週間、授業を減らして対応しないと難しくなりました。

いまさらながら定時制高校は社会の変動の調整弁だったなあ、と気づきます。

面談の定番といえば、出欠・成績・進路の三題噺になります。

私が担任している三年生クラスでも、再来年の卒業に向けてどうするか、というあたりが当たり障りのない話題です。

「出欠・成績はその紙をみてください。心配なお子さんもいますが、三年生ですから、自分でなんとかするはずです。今日は、この先、お子さんがいまの親御さんと同じくらいの年齢になるまでのことを、ご一緒に考えましょう。」

いささか大きすぎる風呂敷を広げました。

「たぶん、ですね。この生徒たちは、これから二〇年のうちに、二回や三回はひどく困った事態に向き合うはずです。つとめた会社がつぶれる、クビを切られる、とか。結婚すれば安泰なんてことは全然なくて、離婚することだって当たり前にあるわけですし。とんでもないスカ男だったなんてことだってありますし。お母さんの知り合いでも、そういうことになった方は珍しくないでしょう。今回のような天変地異だってありえます。」

親はちょっと困ったような表情を浮かべる人もいれば、ウンウンという人もいます。その辺のニュアンスは知らない顔して話をすすめます。

「そういう事態に立ち至ったことがある親御さんも中にはいるでしょうから、そんな時に、こんなふうにしたんだよ、ということ、もうそろそろお子さんと話してもいい頃なのかもしれない、と思います。可能なら、そんなことをこの夏の間に話してほしいのです。もちろん、そんなこと経験したことないなあ、という方もいらっしゃるでしょうから、もしそういうことになったら、ということでもいいかな、と思います。」

高度成長期に20代になり、その後も、苦労らしい苦労もせず、ただただノンキに生きてきた私がこんなことを言うのは、アホかいな、というところもあるのですが。(スマン!)

ここ10年ほど、昔の生徒と飲む機会が増えてきて、卒業後の彼らの話を聞いていると、私には想像もできなかった事態がそこここで起こっていることがわかります。だから、なおさら。

「いま私が考えているのは、困った事態になったとき、そこからさらに困った事態を呼んでしまう場合と、そこで踏ん張ったり、なんとかできたりという場合があります。サラ金に借金して雪だるまになる場合もあれば、なんとか切り抜ける場合も。その違いってなんだろか?ということなんですが。」

(なんだか人生相談くさい)

「ひとつは自分になにか力になるものがあった場合。例えば、どうでもいいけど取っておいた資格が生きたとか。経験があったとか。もうひとつは、今はやりの言葉でいえば、つながり。忘れていたような薄いつながりが、たまたま救いになったとか。不思議なことに、そういう時に頼りになるのは肉親じゃなかった、ということを聞きます。肉親って、だからお前はダメなんだ!になるみたい。」

「この先卒業までの一年半で、生徒に身につけて欲しいのは、この二つです。屁のつっぱりにもならないと思える資格でも、ないよりは、もしもの時に生きるかもしれない。とても仲良しってわけでもない相手と、ちょっとした話ができるようになることは、たぶんいま経験しておかないと・・・・と思います。」

困ったものです。歳とると、話が長くなります。

でも、ある母親が帰り際に、

「先生ね、いま私、幼稚園の先生の資格を取ろうと、通信教育を始めたんですよ。取れたら、いまのパートのままじゃなくなるし。子どもは言ってないんですけど。」

と、そっと、教えてくれました。 (山崎和達)