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サークルつれづれ(4)~民間教研~

 京都の寺井です。

 民間教研と言われるものにも興味を持っていました。「サークル」と言っていいのかは分かりませんが、話題に入れてみたいと思います。(日教組教研や全私研などは別とします。)

 まずは、私の体験程度の話です。

 民間教研で初めてのぞいてみたのは、教育科学研究会で、80年代半ばだと思います。その少し前から雑誌『教育』を読んでいて、京都でこの「教科研」の全国集会が京都であると聞いて、出かけました。大変なにぎわいでした。

 「ことばと教育」の分科会(国語と英語)は、和室に30人余りがぎっしり集まっていました。滋賀県の中学の若い教員が、校内暴力の嵐の中で英語の授業を頑張っている報告をしました。自分も歯を折ってのすさまじい話です。でも、大学教員の方から、「それで、君、いったいどんな英語の授業をしたのかね。」と、教科指導の具体的な授業組み立てなどを問いました。この研究会では教科そのものの問題を実にシビアに追求していると知り、信頼を置きました。

 ここで知り合った京都の教員が、京都演劇団体観賞連絡協議会(団鑑連)でもつながりができて、私が校内で新劇の団体鑑賞を始めるうえで大いに力になりました。また、京都の到達度研究会にちょっと参加する機会も得ましたし、教文センターの裏にある京都教育センターにたまに出入りする機会ができました。ちょっと成長した気になったものです。

 

 しかし、二年前久しぶりに京都(立命館大学)で教科研の全国集会があった際に、思い切って実行委員会(端っこ)に参加してみたのですが、同じ分科会は十余人の静かな報告会でした。教研に人が集まらなくなった状況は、ここでも同じように悩みとなっています。人数のことだけではなく、求心力を失いつつある面も残念に思います。

 国語教育研究サークル「土曜日の会」に誘われて、日本文学協会国語部会の夏の全国集会にも参加しました。90年代に入ってからだと思います。なかなか活発で好感の持てるものでした。ここでも研究者と現場教員ががっぷり四つに組んで深い議論をしていました。教育科学研究会と同じように、とても広く深い教育研究の世界を知りまして、感服するばかりです。

 主宰の方の尽力で、二回ほど京都でこの全国集会を開催し、私も裏方の手伝いをしました。報告をと言われて、わけもわからず私の授業を出しましたが、全く見当はずれで、今でも恥ずかしくてなりません。今は、文学教育理論(文学理論)を明確に持っての研究会になっていて、窮屈な感じがして足を向けていません。

 90年代になって、突然家庭科男女共修が必修になりました。本校では、これはやろう、と考えたブレインがいて、完全実施体制を敢行しました。ひょんなことで私もその実施委員に選ばれましたので、自分の役割は外から学ぶことと勝手に決めました。いくつかの私学(奈良のT学園などの男子校)の情報も得ましたが、本気でないものは参考になりません。でも、どこに出るかもわからず、えいとばかりに、家庭科教育研究者連盟に飛び込むことにしました。

 犬山であった夏の全国集会に申しこみました。男女共修の動きが始まったので、男性の参加も十人ぐらいあったようです。が、誰も知り合いがなく、どの部屋に入っても、隅にかしこまって実践報告を聞くしかありませんでした。食事の際などは本当に恥ずかしくて、「黒一点」とはこういうことかと、ちょっとは後悔しました。男性ばかりの中、紅一点の状況で頑張っている女性の努力が如何様なものかと、やっと思いをはせることができました。

 男性であることだけでとても目立って、役員風の先生が話をしに来ます。それに応じて、本校での考え、進め具合、私の書いた職員会議原案などを紹介しますと、すごく関心を持たれて、何人かの先生と知り合いになりました。皆さん、すごい「闘う戦士」です。とうとう家教連の機関誌『月刊家庭科研究』に短い執筆を依頼されました。93年、94年と、私は二度投稿しました。のちに東京都立上野高校の、東京では有名な家庭科の先生を訪問しました。

 この犬山で、立命館中高の若き家庭科の専任M先生と知り合いました。ああ、こんな先生がほしいと思ったものです。その後何度か訪問してお会いしています。京都は公立高校で既に男女共修を取り組んでいましたので、公立の先生とも少し交流がありましたが、どんなきっかけだったか、忘れました。

 また、先のT学園の「実施検討委員」の方とも知り合いました。その方は関西の新英研を背負う一人です。教研で信頼しあえる思いがお互いにあって、こくご教科懇との合同例会の企画ができました。別に走り回って求めたわけではありませんが、何だか人の縁ができて、いろいろな活動が絡み合います。

 新英研の会にも二、三回参加したことがあります。姫路での大会、奈良での関西集会などです。教材研究、教材発掘、教材作成、授業実践、人権教育、平和教育と、実に視野広く活発な活動に見えます。英語の先生方はとても明るい!という発見もしました。以前、教育科学研究会の「ことばと教育」分科会が国語と英語の両者を含むことに得心していなかったのですが、新英研に触れていますと、言葉のこと、文学教育のことなど、一緒に話してみたいなと、素朴に思うのです。

 おまけの話があります。家庭科は本校でも一人教科です。非常勤講師を毎年頼みますが、専任としては一人です。この方はしっかりした人で、取り組み意欲と実践力を評価できます。私は嬉しくて、何かあると今でも話しかけています。つい先月も、最近作った芋畑を見せてもらいましたし、何年か前に「赤ちゃん講座」を始めるに際して相談にも乗りました。最近東京の方では、やっと私学男子校が家庭科に取り組みだしたことが話題になっています。その際に、家教連の人が本校のことを新聞記者に言ったようで、関西ではこんな学校があると、紙面に出ました。それで、暮れに学校に訪問者がありました。その専任教員が私に、応対してほしいと頼みました。まあ、その場に加わるくらいならいい、と思っていましたら、訪問者、東京私学の家庭科の先生は、私に会うのが目的で来たことが当日わかりました。一時間余り発足当時のことなどを話し、その後食事も一緒にとってひと時を過ごしました。その時、私が『月刊家庭科教育』に書いた二つの文章を見せられました。

 「あ、二つ書いていたのか」と、その時思いだしました。二つ目は何だか気が引けて手許に残さなかったのだなと、いろいろなことを思い出しました。そして家に帰って、三年前大学の非常勤をする際、書類の「論文」なるものを示す欄にせこく二、三記入しましたが、「あ、これも書いてよかったんだ」と思って、自分で一笑いしました。

 京都 寺井治夫

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