に投稿 コメントを残す

伸びるって?

 先日の授業で、「5月3日は何の日か?」とツカミで質問したつもりが、「こどもの日!」という自信満々の答えがあちこちから聞こえてちょっとショックでした。「ちゃうよ~」と言うと、次は「文化の日!」、さらに次は「勤労感謝の日」「天皇の日」(それって正式名称じゃないし…しかも12月23日のことか4月29日のことかわからないし…)結局「建国記念日」まで出てきて…終わらないので、結局こちらから言いました。

 今日の授業では、「句読点とは『。』と『、』とを合わせてそう呼ぶんだと思っていた」とのこと。高2です。知ってしまえばどうってことないことですが、今まで知らずにいても問題なかったんだなってちょっとびっくり。

 AKB48のメンバーの一人と同名で、作文の見本を作ってプリントを配ったら、「○○(メンバーの名前)って字、キレイねんなー」と生徒。いやいや、本人に頼んで書いてもらったのではないし、少しは親しみを持ってそのプリントを見てくれるかなと思って用意しただけなんやけど…

 こんなふうに書くとどんな学校?って思われるかもしれませんが、ネットなどで知りたい情報だけをピンポイントで得られるとか、新聞を広げている大人が身近にいない(いれば、新聞を読まない高校生にとっては、見出しだけでも目に入ることになりますが、最近は電車内だれも結構ケータイが多いですしね)とか、話をする相手がかなり狭い範囲だとか、に起因するのでしょうか。

 どうでもいいことかもしれないし、知ってたからどうとかではないかもしれないけれど、知っていてほしいなということからまず説明しなくてはいけなくて…雑談や余談で思わぬ時間を取られた今週でした。

 ところで、私の最近の疑問は、「核になる生徒を育てれば、その周りの生徒たちも伸びるって本当なのか」ということです。この場合の「伸びる」はメインはテストで測れる学力や積極的にアカデミックなことに挑戦して成果を上げていくといったところでしょうか。

 しばらく前に、推薦先の大学の先生から「一般入試で入ってくる学生は長文を書ける力がないから、おたくでは論文を書ける生徒を育ててほしい」とコメントをもらったことがあります。私の個人的な感想は「うちの生徒に論文を書ける力を目一杯つけたとしても、一般入試枠の学生の論文を書く力はその学生ひとりひとりにつけることでしか伸びないのではないのか」です。理屈をこねているだけでしょうか…

 「ライバルがいるからがんばれる」とか「アイツに触発されて自分もやることにした」という個々のエピソードはわかります。また逆に、居眠りや内職、忘れ物などは、授業規律という面で、個々の生徒の背景や事情はもちろん考えておかなければならないですが、「寝てもセンセーなんにも言わへんし、それでいいんや」というムードはすぐに伝染するというのもあるかと思います。

 「核になる生徒」に手厚くお金も人も時間もかけると「周りの生徒も伸びる」のか。私は、「核になる生徒」の伸びを意識しつつ、実際には教師が集団的力量を発揮していて「生徒集団全体」をみているからだと今のところは思っています。でもすぐに結果がわかるものでも、プロセスと結果が一対一対応でもないし、検証のしようもないのかもしれませんね。

 今日は授業中に鶯の鳴き声が何度も聞こえ、授業を中断して、皆で聞きました。学校の周りは大木から草木、藪、花、虫、鳥…自然に恵まれています。毎年の入学式に桜が咲いていてほしいと、幾種類もの桜が植えられており、毎年の天候がどうであれ、どの種類かはなんとか咲いているということは、生徒は知らないだろうなとその話をしたら、「ほぉーっ」とのこと。自分たちの入学は歓迎されていたんだと気持ちを新たにしてくれたようでした。

 岸田康子

 

に投稿 コメントを残す

また、全国学力調査ネタ

 寒くて大変な日々ですが、桜はけなげに咲き始めました。

 さて、本校の今年の入試の点数が非常に低く、全県的にどうなのか気にしていましたが、先日、県教委の抽出調査結果(速報)が新聞に載りました。

 「前年より40.4点減の大幅ダウンで、5教科になった昭和56年以来、初めて100点換算で50点を割った。資料から読み取った情報を自分なりに考察・再構成し、表現する総合力を問う設問を各教科とも増やしたことが主な原因と見ている。」「高校教育課では『問題作成時の想定点数を下回った。読解力や表現力を総合的に活用する力を、各高校で育てる指導を進める。』と話した。」

 「全国学力調査」で毎年上位になり、鼻高々の秋田県ですが、その正体が暴かれた気がします。それにしても、高校にその付けを回す、とはどういう気でしょうか。基本的な力を義務教育でつけないで、どうしようというのでしょうか。

 地震の被害は少なかった秋田県ですが、停電など多少の混乱はありました。しかし、これまでのような「受験体制」をとることはなく、久しぶりに落ち着いた4月を過ごしたことでしょう。もっとも、秋田県独自の調査が12月に5教科でありますから、また大変です。「全国学力調査」は延期が決まってますが、もう止めた方がよいと思います。

 そのほか、県教委は高校総合整備計画を発表し、その中に「数値目標」も入れました。

以前にも少し触れましたが、詳しい内容は以下の通りです。カッコ内は現在の数値です。

●中途退学率 1.0%(1.3%) ●1,000 人当たりの不登校生徒数 10 人(13.6 人)●就職決定率 100%(97.4%)●就職決定者の県内就職率 70%(56.8%)●県内就職者の1年以内離職率 10%(13.3%)●長期インターンシップ参加者数 60 名(29 名)●大学入試センター試験の主要科目で県平均が全国平均以上の科目数 15 科目(7 科目)●東大現役合格者数 15 名(12 名)●東北大現役合格者数 130 名(112 名)●医学部現役合格者数 40 名(26 名)

これを参考にして、各校は5年程度の中期目標の提出を求められています。東大などの合格人数を増やすことが、子ども達の幸せにつながるのでしょうか。学校も教師も、数値目標の提示を迫られ、悩んでいます。本当に、学校は子どものものではなくなってきているようです。

                     とらぬ狸@秋田

に投稿 コメントを残す

土曜の昼、金山(かなやま)にて

 大会事務局会議の前に、Oさんと待ち合わせをして大会期間中利用するホテルを下見することにしました。レジュメと資料を準備したあと、金山に到着したのは12時半過ぎ。待ち合わせの時間まで少し間があります。

 「金山で宿泊となると、多少おすすめの食事場所を案内すべきだよなぁ~」と、昼食を兼ね店を開拓することにしました。ただ、それほど時間があるわけではないので、麺類に限定することにしました。看板、店構え、そして自分の食指の動き。ふと小さな店が目に入りました。雨がぱらつく中、決めたところは「豆天狗」というつけ麺屋さん。

f:id:kohseiken_nagoya:20110425000057p:image

 入ってみて分かったのは、高山ラーメンをあつかうお店でした。自販機で食券が売られています。並で1,5玉。中で2玉。大盛りで3玉。私は、つけ麺中盛りとチャーシューのトッピングを注文しました。

 カウンター越しにヤングコーンと何かを火でぶっていて、香ばしいにおいが漂っています。やけにジュウジュウ音を立てているところから、四角く切ったチャーシューのようで、つけ汁に放り込まれて目の前に出てきました。四角いためか、ほとんど沈んでいます。面は黄色がかった太麺で、縮れているようには見えませんでした。

 高山たまりを使っているとうたっているだけあって、味噌に近いようなこくのある醤油の味が効いています。つけ麺好きでない私でも、うまいと思う味でした。

 つけ麺中盛り750円、トッピングチャーシュー300円。占めて1050円。

 決して安くはないですが、そこそこいい線いっていると思いました。

 店を出てほどなく、Oさんと合流。

 ホテル下見の結果は、大会リーフレットに反映できそうな見通しです。そのホテルから歩いて3分のつけ麺屋だったのでした。

                             アンドウ@みえ

に投稿 1件のコメント

授業参観・学級懇談会

 今回の震災で失われた尊い命と代えがたい生活、思い出…なんとも言葉がありません。私の勤務校でも兄弟姉妹校を中心に、他校にも呼びかける活動が広がっています。避難所をはじめいろいろな場所で今までと全く異なる暮らしを強いられておられる方々を思うと、このブログに日常を綴ることがなかなかできないでいました。でも、今日は思いきって書くことにします。

 勤務校では今週、本年度第1回の学級懇談会がありました。学級委員さんの選出方法が変わりました。なかなか引き受けていただき手がないのが近年のようすです。この10年で大きな変わりぶりです。

 昨日は自分の子の学校の授業参観と懇談会もありました。仕事と重ならなかったので出席しました。年に1回くらいしか行けないのが実情なので、今年度は学級委員を受けました。

 参観中の保護者の私語、撮影、待ち合わせのためのケータイでのやりとりなど、こどもたちが授業に集中しにくい中、先生方は奮闘しておられました。娘の担任は実は卒業生です。参観ではつい、立派な教師として生徒に愛される姿にこちらが励まされ、またよそのクラスも他の学年の参観にも行き、廊下から覗いただけですが、いろいろと吸収して帰ってきました。

 一小一中の学区なのでこじんまりとしていますが、元気のある学校です。生徒の座高に合わせて机の調整を担任の先生がやっておられたのを「おやじの会」が引き受けたり、今年度からは懇談会の回数を増やして、保護者が司会をするなどいろいろ工夫も始まるようです。

 集団登校なので、親一人が付き添う「旗当番」が回ってきます。集合場所はお子さんはとうに卒業された方の玄関先。登下校には「見守り隊」の方が雨の日も暑い日も立って安全を見守ってくださいます。40年前に登校中に事故で生徒がなくなるということがあったそうです。「二度とそんなことがないように」と学校近辺は朝、車もバイクも通行禁止。大通りを横切る学区ですが、年配の方も多いボランティアのみなさんには本当に頭が下がります。地域の子は地域で、と思ってくださっているようです。

 子どもが育つことに関心を寄せてくださる方が多い町。回覧板も市民運動会も健在なここに8年前に越してきました。ご近所づきあいの経験がなかったですが、今はおかずのやりとりや井戸端会議の仲間入りもさせてもらいありがたいと思っています。

 勤務校は私学なので、地域性ということをどのように大事に築いていくか、

移転も決まっているので考えることが多いです。

 岸田康子

 

 

に投稿 コメントを残す

この春、2度も沖縄へ

 京都の瀧内です。

 この春、一度目は修学旅行の引率で、二度目はおまかせHR研究会の「究極の修学旅行」に参加させていただき、沖縄へ行ってきました。今回の沖縄訪問で感じたことをお伝えできればと思います。

 まず、初日。シンポジウム『沖縄とアフガン・イラク』~沖縄から問い、オキナワを問うドキュメント21~(主催:沖縄から問い、オキナワを問うドキュメント21)に参加しました。司会は輿石正氏(ドキュメント「辺野古不合意」などの制作者)、パネラーには伊波洋一氏(前宜野湾市長)、西谷文和氏(「イラクの子供を救う会」代表)で、沖縄に米軍基地を押し付けているだけではなく、その基地から飛び立つ爆撃機がアフガニスタンやイラクで人々を殺している現実を知りました。また、殺されている人々の中には関係のない人も少なくなく、それをレポート形式でまとめられた「GOBAKU」(西谷氏の作品)を見せてもらいました。

 2日目は名護市にある「エコネット・美(ちゅら)」行ってきました。名護市東海岸沿いの旧久志村13区の小集落群は現在住民の半数以上が高齢者の過疎地にある基地に頼らない自立の地域おこしのためのエコツアーグループが「エコネット・美」です。ここは海にも山にも豊かな自然が残り、リゾート化が激しい沖縄本島の中でも希有な所でした。地元のおじぃやおばぁも巻き込んだスタッフたちと一緒になって、じんぶん企画という(じんぶん:「生きるための知恵」という沖縄のことば)運営団体がこの自然を守りながら、自然の中で人間が生き物の一つとして共生していくことを実践している場所です。

 山道を20分ほど歩かなければ到着しないこの場所は、何もないから幸せな場所でした。シュノーケリングやカヌーといったアクティビティもありながら、電気やガスがない場所で、トイレも自然との調和を考え、水洗でしたが水は川から引いたもので、汚水は地中で3層に分けられて木々の肥料に変わるようになっていました。ジューシーと手作りゆし豆腐のスープをいただき、またおやつ(?)には豆腐コロッケ、とれたての生だこの刺身などをスタッフの方からいただきました。

 夕方には辺野古へ。約15年にわたる座り込みを続け、辺野古の海を守ろうとしている「海上ヘリ基地反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」の方のところへ行きました。到着が遅く、残念ながら長い時間のお話を伺うことはできませんでしたが、すでにアメリカ軍キャンプ・シュワブとの境目である場所にV字滑走路を建設するときの目隠しのための土台工事が行われており、以前の状態(フェンス)と違う風景に西谷氏は驚いていました。私は初めての訪問でしたが、真っ白な砂浜にセメントの塊は非常に違和感を覚えました。

 

 情報は国やマスコミによってかなりコントロールされている。コントロールされていない情報を得るためには自分の目で見ること、または信頼できる情報源を持つこと。自分たちの活動を広げていくためにはマスコミを信用しすぎず、地道な情宣活動が必要であること。の2点を痛感しました。(つづく、かも?)

に投稿 コメントを残す

徐々に震災の報告が

この土日、東京で会議でした。新幹線が使えず飛行機でしたが、搭乗者がいなくて行政が補助を出してい「大館・能代空港」への便は満席でした。半袖でも汗ばむ東京から秋田に着くと、まだ雪が残り、本当に春は来るのか?と心配になります。被災地の方々はもっと大変だろうと心が痛みます。

 さて、高生研も参加している「東北民教研」の中間集会を中止する、という連絡がありました。今年は福島の岳温泉でしたが、予約していた旅館も大きな被害があったそうです。そして、岩手民教連のニュースも入っていました。県教委の発表として学校の被害が載っていました。児童・生徒の死亡は46人、安否不明が54人、教職員の死亡が3人、安否不明が3人、被害校数は、高校で68校中59校、小中学校が581校中309校ということです。実際の数値を聞くと、言葉も出ません。

 こうした中、現地では教職員も必死に頑張っていて、このニュースに取り上げられている小学校の先生の手記を一部「無断で」転載させていただきます。

 3月11日 未だかつて経験したことのない揺れにかなりうろたえながらも、何とか全校児童を校庭に避難させた我々教職員は、寒さをしのぐために体育館で子ども達を迎えに来る保護者を待ち続けていた。その様子を取材に来たテレビ局のスタッフに話しかける。「世の中、どんな様子ですか?」「大変なことになっています。仙台空港が消えました。先ほど、大槌にも大津波が到達したという情報がありました。」

 絶句する。大槌町出身の同僚に「ここは任せて今すぐ実家へ向かえ!」と送り出す。(結局、途中で警察に止められ、その日のうちに帰ってくるしかなかったが・・)・・中略・・しばらくして子ども達の人数もだいぶ減り、交代で職員も家の確認に戻ることに。母親の無事を確認し、キャンプ道具をもって学校に戻る。最後の一人を迎えに来た保護者は、運悪く盛岡に出かけていて、9時過ぎにやっと学校へたどり着いた。

 とりあえず胸をなで下ろし、全職員家路につく。三陸の惨状がラジオから聞こえてくる。「陸前高田市は壊滅状態・・」って、ふざけるな、何を大げさな!しかし、少しも大げさではなかったことを後日知ることとなる。・・後略・・

 秋田の学校でも職員の派遣をしています。本校の養護教諭が手伝いのため岩手県に3日の予定で派遣されました。これから始業式を行うという被災地の学校の困難さが気にかかります。

    とらぬ狸@秋田

に投稿 コメントを残す

名古屋の紹介-地理編

 今回から名古屋の紹介をしたいと思います。まずは名古屋の地理。

 名古屋市は太ったペギラが片手を斜め(北東)に上げている形をしています。

 その中央にあるのが金山(かなやま)、その北に、名古屋の中心街・栄(さかえ)があります。

 栄から西に行くと名古屋駅、東に行くと今池(この北東にナゴヤドームのある大曽根)を通り、東山動物園、さらには愛知万博の会場の方へと続きます。そして、北にいくとテレビ塔、名古屋城、南に行くと大須から、前述の金山を通り、熱田神宮、全国大会会場となる大同大学、さらに中部国際空港の方へと続きます。

 名古屋城築城は1610年、昨年が開府400年。その城下町と熱田の門前町をつないだところが、名古屋の始まりでした。名古屋駅は、今でこそ最も人が混雑していますが、そもそもは市街地の西外れに作られたのです。

 地質学的には、名古屋城と熱田神宮を結ぶ一帯が洪積台地で、縄文、弥生の遺跡があります。その西側に、木曽三川(木曽、長良、揖斐)による沖積平野、濃尾平野が広がっています。去年、京都の高校生たちに名古屋を案内したとき、かれらは木曽三川の河口の広さに驚いていました。

 熱田神宮から真西に国道1号線が通っていますが、これより南、つまり名古屋の南西部は、江戸時代以降干拓された土地で、1959年の伊勢湾台風を初め、水害に悩まされてきたところです。言い換えると、江戸時代、熱田神宮は海に面したところにあったわけです。東海道五十三次中、唯一の海路が、この熱田神宮と三重県の桑名を結ぶ「宮の渡し(七里の渡し)」で、熱田神宮の南西500mぐらいのところに、その碑が建っていますので、興味のある方はお立ち寄り下さい。

 さて、その伊勢湾台風によって、名古屋南西部から木曽川河口部一帯の海抜0m地帯は高潮による堤防決壊で被害を受けましたが、もう一箇所、大きな被害を受けたところがあります。それが大同大学付近なのです。当時、この付近に貯木場があり、そこから押し流された丸太が家屋を破壊したのです。大同大学近辺に伊勢湾台風を記したモニュメントがありますので、お越しの際は、一度探してみて下さい。

 伊勢湾台風の後、名古屋港の沖合に防潮堤がつくられましたが、防災対策は、このようにつねに多くの人々の犠牲が前提にあることを忘れてはならないと思います。ましてや、伊勢湾台風より遥かに甚大な被害をもたらした今回の震災。これから、様々な防災対策、エネルギー受給の見直し、街づくり、産業の復興が行われていくと思いますが、その場しのぎのような対策は絶対許してはならないと思います。 久田

に投稿 2件のコメント

顔の見える援助を

 当番を果たせず申し訳ありません。

 巨額の義援金が集まっても、緊急に必要なところに回りません。あちこちから義援金協力の要請が来ますが、やはり「顔の見える援助」をしたいと思います。むろん、そうなれば限られた場所でしかありませんが、今の義援金の集め方や使い方に疑問を感じています。

 今、白神山地を通じて知り合った人を支援しています。白神山地に何度か来て、自分の生活に疑問を持ち、だいぶ前に大手商社を若年退職し、その退職金で宅老ホームを始めた人です。宮城県鳴子にあります。今回の地震で被災した老人に救いの手を述べていますが、資金が足りない、ということで仲間内でわずかばかりの支援金を送りました。その活動状況が届きましたので、以下に紹介します。

 

 いま私はグループホーム、宅老所関連の老人福祉施設への物資搬入の手伝いをしています。これが出来るのは地元のGSが「ふかふか・はうす」の活動は全面的に協力するから燃料の心配をするなと言ってくれているからで、100km圏にある津波被害の大きい野蒜海岸のある東松島市(旧鳴瀬町、矢本町)を中心に支援活動を行っています。

 中山平温泉の飲める温泉を風呂用と別にポリタンクでも運び、まだ水道が復活していない知的障がいがある方の施設にも届けました。大震災以来初めての入浴とのこともあり、お年寄りのすばらしい笑顔が何よりのものでした。同時に友人のヴァイオリン奏者池田敏美さんの協力も得てヴァイオリンのミニコンサートを避難所を含め4ヶ所で行いました。お年寄りや障がいのある方にも一緒に合唱できるようにと歌詞カードを作りましたので皆さんと共に大きな声で唄ううちに明るい表情になるのがわかり音楽の力を改めて再認識しています。

 これからの活動は物資の届きにくい小さな避難所や宅老所への運搬も継続しながら、それと共に施設で働いているケア・スタッフ、自宅にも帰れず施設で泊まり込みで頑張っている仲間たちの支援の為、当所のように被害のない、又は少ない施設からケア・スタッフを集め送り込む準備をしています。これらの車輛用ガソリン、温泉を運んだトラックの軽油代、電話代等を皆様からの寄付金で賄っています。

 物資はもとより温泉、音楽などの出前、ケア・スタッフの心のケアなどの支援をして行きたいと思っています。鳴子温泉でゆっくり休んで英気を養ってもらいたいとも考えています。

 又、すでに被災地に直接乗り込みニーズを把握して必要なところに必要なものを自分で運ぶなど大活躍のみやぎ宅老連絡会の事務局の活動資金としてカンパもしました。太い血管で物資は来つつありますが、毛細血管を通すにはこのような献身的な活動がより必要です。

 しかし、支援活動をしている小さなNPOや個人的組織は燃料費、携帯電話などの通信費の負担をどうするかがこれからの大きな課題になります。このような支援活動をしているNPO等に資金的な支援もして行きたいと考えて行動しています。

                             とらぬ狸@秋田

に投稿 コメントを残す

今年もバースデーゲームでホームルーム開き

青森の吉田です。

しばらく、この応援ブログに書き込むことができませんでした。

4月8日(金)は2年生の2日目。始業式でしたが、

4月7日(木)の夜11時半すぎに起こった東日本大地震の余震の影響で

青森県全域で停電。臨時休校になってしまいました。

朝6時半に学校から電話があり、臨時休業。

電車もバスも運休。しかも土砂降りの雨。

生徒への連絡はなかなか難しいものがありましたが・・・

今年は学級通信のほかに

学級ブログも作っていました

http://ameblo.jp/24kizuna/entry-10855060877.html

まさか、二日目にして緊急連絡に使うとは思いませんでした

学校に先生方が集まり、クラスの生徒(1年次の生徒たちへ)40人に各自連絡。

携帯電話の電池が切れかかる中で、携帯メールを駆使してなんとか連絡。

今日は4日目にしてロングホームルーム

昨年に続き、バースデーゲームを行いました。

やはり、このゲームはなかなか良いものだと実感しました。

欠席者1名がいましたが、

39名全員が無事バースデーシートを完成することができました。

そのあとに、クラスの議長、副議長、書記、会計など

クラスの役員が自薦のかたちですぐに決まりました。

今年は、この生徒たちを中心に様々な行事を展開しようと考えています。

構想ですが、彼らに「びらいち」のスタイルで話し合いをさせようかな?

って考えています。

学級通信はこちらです。↓↓

f:id:kohseiken_nagoya:20110412181526j:image

生きる力とは何か?

今年1年間、2年生担任として頑張りたいと思います。

青森高生研

よしだ

に投稿 コメントを残す

いま わたしにできること は?

愛知高生研の柴田です。久しぶりですが、第2回目の原稿を送ります。

東日本大震災が起きて、間もなく1カ月です。新聞を読んでいると、被災地の皆さんが、多くの困難や困窮に直面しておられ、多くの悲しみや苦悩を味わっておいでの事がわかります。

福島原発の事故も、放射能による土壌汚染や海水の汚染、農民・漁業者の皆さんの暮らしへの深刻な影響など、被害が広がりこそしていても、なかなか終息のめどは立ちそうにありません。

被災によって亡くなられた方や安否不明の方の人数も、日を追って増えて行くばかりです。4月9日付朝日新聞の報道では、その合計数はとうとう3万人を超えてしまいました。被災地の皆さんの事を思うと、本当に胸の塞がる毎日です。

その半面で、被災地の方々が困難にめげず、励ましあいながら再生のあゆみを進めておいでになる報道に出会うと、心が温かくなります。避難所で、小学生や中・高生が役割をすすんで引き受けながら活動している様子には心を打たれます。

そういう状況の中で、震災以後、テレビ放送で、急に本数の増えたACのコマーシャルが流れてきます。「いま わたしにできることは 被災者の身になって考えて見よう」。その通りだと思うのですが、いま、愛知の地にいて、何ができるのか、何をすればいいのか、本当のところはよくわかりません。心は痛むのですが、心を痛めているだけではだめだというメッセージが、続いて流れてきます。「心は誰にも見えないけれど、心づかいは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にも見える。」これ又その通りだと思うのですが、痛む心や思いをどのように心づかいや思いやりに具体化したらいいのか、私にはよくわからないことばかりです。

自宅の近くに若い女性のバイオリニストがいます。彼女は、最近は東京で演奏活動をしているのですが、震災で出演予定が次々と中止になり、実家へ戻ってきました。彼女も名古屋にいて何ができるのか考えました。そこで近所の小さな喫茶店で、被災地への義捐金を募るコンサートを開きました。4日間で100人ほどの人が参加し、数万円の義捐金が集まりました。彼女の心映えや行動はとても素晴らしいと思います。でも、私自身はコンサートを聴きに行って、ほんの少しばかりの被災地支援金を彼女に託しただけです。もっとできること、やるべきことがありはしないかと、自分を責めたくなる日々です。そして、こんな思いにとらわれている人も少なくないのではないかと思います。

幸い、来週から、非常勤をしている大学で、授業が始まります。また、初対面の若い人たちと、少しばかりの時間をともにすることができます。彼ら、彼女らとともに、大震災をどのようにとらえたらいいのか、被災者や支援者の動きは、私たちにどのような人間に対する見方を提示しているのか、原子力発電の問題をどう考えて行くべきかなどを、対話しつつ考えていくことが、私の「いま すべきこと」なのかなと思っています。

秋田のとらぬ狸さんをはじめ、被災地や被災地近辺の方々、高校生や高校教師の方々の生々しい体験や、遠隔地の皆さんの支援体験や考え方などを、高生研名古屋大会やその準備過程で数多くお聞かせいただけるととても嬉しいと思っています。

 愛知高生研 柴田順三

に投稿 コメントを残す

6時間の“女子会”~京都高生研 園部例会報告~

 4月5日、S高校、No高校、Na高校の教員、小学校特別支援コーディネーターの方々、五名が集まりました。具体的な生徒の事例を出しながら、どんな支援が有効なのか、びっくりするような生徒の行為をどう受け取るべきかについて、生徒の姿を生き生きと想像しながら交流しました。

 初参加の人が二人おられたのですが、夕食を共にしながらあっという間に打ち解け、「ほ~」「なるほど~」の連続であっという間に時間が過ぎて、6時間経っていました!!

 「目から鱗でした」「次はいつにしましょうか」と、早くも次回が待たれています\(^o^)/

 次回は「困っている子にどんな支援を?」のテーマで行います。

 6月24日(金)19時より。会費は夕食のお寿司とスイーツ代、千円程度の実費のみ。 

 詳しい報告は、「京都高生研通信 春号」に掲載します。通信発送や今後の例会(京都例会もあります)の案内などご希望の方は、yasuko@fkc.ritsumei.ac.jp までお名前・郵送先・所属をお知らせください。

通信やご案内は無料です。 

 

に投稿 コメントを残す

子どもの頃の記憶

 私は生まれてから高校を卒業するまでの18年を名古屋で生活し、その後、5年を静岡で、31年を京都で生活し、昨年4月、再び名古屋に戻ってきました。戻ってきて改めて思ったことの一つに、子どもの頃の記憶の頑固さがあります。中でも、テレビのチャンネル番号の記憶は強烈です。名古屋では、1が東海(フジ系列)、3がNHK総合、5が中日(TBS系列)、9がNHK教育……となっていますが、その数字は名古屋を離れていた36年間もずっと心の中にあった、というだけでなく、この数字こそが正しいチャンネルで、京都のチャンネルは世を忍ぶ仮の姿、という感覚すらあったほどです。事実、たった1年で京都のチャンネルは私の記憶からほとんど消し飛んでしまいました。自宅住所の番地とか隣近所の人の姓名も同様です。このように、子どもの頃(とりわけ体験的、継続的)に記憶したことはずっと失われないということを、まざまざと体験している最中です(「何を今更」ですが)。

 今度の大震災で、避難を余儀なくされている方が大勢います。その中には、一時的な避難ではなく、恒久的に新たな土地に移り住むという人がおそらく出てくるでしょう。いえ、既に出ているかもしれません。

 私のようにたった18年いただけで、それも自分の意志で離れた者にとってでさえも、記憶が身体に染みついている。ましてや、生まれてから何十年とそこに住み、自分の意志とは無関係に離れざるを得なくなった人たち、その胸中を察するにはあまりあるものがあります。チャンネルの記憶というようなどうだっていいこと、いや、どうだっていいことのように見えることを含めて丸ごと生活の変更を迫られる。それは単なる「やり直し」では済まされない、異なる文化を受け入れられるか、ひいては、アイデンティティのゆらぎにもつながる問題ではないか。「江戸っ子だってねぇ」「そうよ、神田の生まれよ」…と、言えなくなってしまうとはどういうことだろうか、という問題だと思います。

 「日本語を母語としない子どもたち」(今夏全国大会の問題別分科会で取り上げます)の問題について、時原千恵子さんは「言語権」、「生活言語と学習言語」、そして「アイデンティティ」という3つの視点から言及しています(『高校生活指導』187号)。外国人労働者の子どもたちも余儀なく自国を離れて日本に来ているのです。「じゃあ、国際化とか国際人って何だろう? それはアイデンティティの揺らぎなんてないことにしてしまうこと? それとも、インターナショナルというアンデンティっていうものがあるってこと?」 この夏、一緒に考えませんか。

 実は、私の引越のことを前置きにして、子どもの頃の記憶を頼りに名古屋を紹介できたら、と思って書き始めたのですが、あらぬ方向に筆が進んでしまいました。ということで、今回はこれを本文っていうことにして、名古屋の紹介は次回以降とさせてもらいます。  久田