に投稿 コメントを残す

子どもの頃の記憶

 私は生まれてから高校を卒業するまでの18年を名古屋で生活し、その後、5年を静岡で、31年を京都で生活し、昨年4月、再び名古屋に戻ってきました。戻ってきて改めて思ったことの一つに、子どもの頃の記憶の頑固さがあります。中でも、テレビのチャンネル番号の記憶は強烈です。名古屋では、1が東海(フジ系列)、3がNHK総合、5が中日(TBS系列)、9がNHK教育……となっていますが、その数字は名古屋を離れていた36年間もずっと心の中にあった、というだけでなく、この数字こそが正しいチャンネルで、京都のチャンネルは世を忍ぶ仮の姿、という感覚すらあったほどです。事実、たった1年で京都のチャンネルは私の記憶からほとんど消し飛んでしまいました。自宅住所の番地とか隣近所の人の姓名も同様です。このように、子どもの頃(とりわけ体験的、継続的)に記憶したことはずっと失われないということを、まざまざと体験している最中です(「何を今更」ですが)。

 今度の大震災で、避難を余儀なくされている方が大勢います。その中には、一時的な避難ではなく、恒久的に新たな土地に移り住むという人がおそらく出てくるでしょう。いえ、既に出ているかもしれません。

 私のようにたった18年いただけで、それも自分の意志で離れた者にとってでさえも、記憶が身体に染みついている。ましてや、生まれてから何十年とそこに住み、自分の意志とは無関係に離れざるを得なくなった人たち、その胸中を察するにはあまりあるものがあります。チャンネルの記憶というようなどうだっていいこと、いや、どうだっていいことのように見えることを含めて丸ごと生活の変更を迫られる。それは単なる「やり直し」では済まされない、異なる文化を受け入れられるか、ひいては、アイデンティティのゆらぎにもつながる問題ではないか。「江戸っ子だってねぇ」「そうよ、神田の生まれよ」…と、言えなくなってしまうとはどういうことだろうか、という問題だと思います。

 「日本語を母語としない子どもたち」(今夏全国大会の問題別分科会で取り上げます)の問題について、時原千恵子さんは「言語権」、「生活言語と学習言語」、そして「アイデンティティ」という3つの視点から言及しています(『高校生活指導』187号)。外国人労働者の子どもたちも余儀なく自国を離れて日本に来ているのです。「じゃあ、国際化とか国際人って何だろう? それはアイデンティティの揺らぎなんてないことにしてしまうこと? それとも、インターナショナルというアンデンティっていうものがあるってこと?」 この夏、一緒に考えませんか。

 実は、私の引越のことを前置きにして、子どもの頃の記憶を頼りに名古屋を紹介できたら、と思って書き始めたのですが、あらぬ方向に筆が進んでしまいました。ということで、今回はこれを本文っていうことにして、名古屋の紹介は次回以降とさせてもらいます。  久田

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください