に投稿 コメントを残す

名古屋の紹介-地理編

 今回から名古屋の紹介をしたいと思います。まずは名古屋の地理。

 名古屋市は太ったペギラが片手を斜め(北東)に上げている形をしています。

 その中央にあるのが金山(かなやま)、その北に、名古屋の中心街・栄(さかえ)があります。

 栄から西に行くと名古屋駅、東に行くと今池(この北東にナゴヤドームのある大曽根)を通り、東山動物園、さらには愛知万博の会場の方へと続きます。そして、北にいくとテレビ塔、名古屋城、南に行くと大須から、前述の金山を通り、熱田神宮、全国大会会場となる大同大学、さらに中部国際空港の方へと続きます。

 名古屋城築城は1610年、昨年が開府400年。その城下町と熱田の門前町をつないだところが、名古屋の始まりでした。名古屋駅は、今でこそ最も人が混雑していますが、そもそもは市街地の西外れに作られたのです。

 地質学的には、名古屋城と熱田神宮を結ぶ一帯が洪積台地で、縄文、弥生の遺跡があります。その西側に、木曽三川(木曽、長良、揖斐)による沖積平野、濃尾平野が広がっています。去年、京都の高校生たちに名古屋を案内したとき、かれらは木曽三川の河口の広さに驚いていました。

 熱田神宮から真西に国道1号線が通っていますが、これより南、つまり名古屋の南西部は、江戸時代以降干拓された土地で、1959年の伊勢湾台風を初め、水害に悩まされてきたところです。言い換えると、江戸時代、熱田神宮は海に面したところにあったわけです。東海道五十三次中、唯一の海路が、この熱田神宮と三重県の桑名を結ぶ「宮の渡し(七里の渡し)」で、熱田神宮の南西500mぐらいのところに、その碑が建っていますので、興味のある方はお立ち寄り下さい。

 さて、その伊勢湾台風によって、名古屋南西部から木曽川河口部一帯の海抜0m地帯は高潮による堤防決壊で被害を受けましたが、もう一箇所、大きな被害を受けたところがあります。それが大同大学付近なのです。当時、この付近に貯木場があり、そこから押し流された丸太が家屋を破壊したのです。大同大学近辺に伊勢湾台風を記したモニュメントがありますので、お越しの際は、一度探してみて下さい。

 伊勢湾台風の後、名古屋港の沖合に防潮堤がつくられましたが、防災対策は、このようにつねに多くの人々の犠牲が前提にあることを忘れてはならないと思います。ましてや、伊勢湾台風より遥かに甚大な被害をもたらした今回の震災。これから、様々な防災対策、エネルギー受給の見直し、街づくり、産業の復興が行われていくと思いますが、その場しのぎのような対策は絶対許してはならないと思います。 久田

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください