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高校普通科の職業的意義を問う―ポスト近代における<能力>と<学力>の変容をふまえて―問題別分科会紹介 

 大会3日目、8日に予定されている問題別分科会の紹介を、大阪の井沼さんにお願いしました。以下、その①です。

 高校普通科の職業的意義を問う

  ―ポスト近代における<能力>と<学力>の変容をふまえて―

 「1990年代に、若者の仕事は大きく変貌した。非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。」(ちくま新書「教育の職業的意義」より)

 若者の労働と生活世界の現実に向き合ってきた本田さんはストレートに問いかける。その義憤にも似た問いに、教え子たちの卒業後の過酷さを垣間知る私たち高校教師はとても共感してしまうのだ。それが本田さんを再び高生研大会に呼びたい一番の理由といってもいい。

 本田さんは、その問いに次のような仮説を立てる。

「それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、括弧上職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある」と。(同上)

 そして、とりわけ現在の普通科高校を厳しく批判のまな板にのせる。

「教育制度内での通過点としての性格を強める現在の普通科高校は、生徒の学力水準に即して失敗のリスクを最小化する進路決定プロセスのシステム化が進む一方で、生徒自身による自らの将来の選択にとってしっかりした基盤となる経験の提供と、それを実現するために求められる実社会において有用性を発揮しうる能力の形成の側面が非常に弱いという問題を抱えている。」(『進路指導』84(1))

 これまた、「高校の勉強って、社会に出て何の役にたつん?」と生徒から問いかけられるような苦しい毎日を送る私たちには思わず頷いてしまいそうな…。

 いや、待てよ?私たちがホームルーム活動や行事に多大なエネルギーを注いできたことは、将来の選択の基盤になる経験や実社会で有用な能力を育てることにつながっていなかったのかな?

 そもそも、普通科高校の「普通」教育って何だったのか?

 本田さんの言う「教育の職業的意義」は「普通」教育をどう批判し乗りこえるものなのか?

 ここは、しっかり議論したいところですね。

 分科会題名は、そんな議論を期待して、あえて論争的につけてみました。  (つづく)

 

 私自身は、大阪大会のとき、オーダーも入っていないのにコーヒーをお持ちするのにかこつけて、本田由紀さんの控室に厚かましくお邪魔し、ご著書にサインをいただきました。そして『子育ての隘路』をその昔読んだとお話ししましたら、「母親の生きづらさ」について、少しだけですが『特別講義』をお聴きできました。大会にはこれで二度目おいでくださいます。とても参加が楽しみな分科会です。

 京都 岸田康子

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駅のうなぎ屋 やまよし

 昨今の鉄道ブームと相まってデパートの「全国有名駅弁とうまいもの大会~」が大繁盛だ。東京では元祖の京王百貨店、大阪は阪神百貨店、名古屋では?

 ところで駅弁大会では「うなぎ弁当」はあまり見かけない。精々浜松自笑亭の「うなぎ弁当」ぐらいか。今日は知る人ぞ知るうなぎ弁当を紹介したい。

名古屋からJR東海道線の上り新快速に乗る。終点は豊橋。過日JR名古屋駅ホームのきしめんを取り上げたけど、「駅のきしめん」の一番は実は豊橋駅の『壺屋』だと思う。ここの「かけきしめん」、刻んだ油揚げが入っている。それもフツーの店なら別料金取るぐらいの量が。

 ここは豊川稲荷が近く、この『壺屋』ははじめて駅の中で稲荷ずしを売った店だ。ここの稲荷ずしは具が入ってなくて、酢も薄くてそれがいいチェイサーに。濃いきしめんをすすって稲荷ずしを一口かじる感覚がいいのだ。

 話が逸れた。豊橋に着いたら新所原(しんじょはら)駅で弁当を販売する『駅

のうなぎ屋やまよし』に電話をかけよ。(053 577 4181)

 新所原は豊橋から普通列車で二つ目。電話をしておけば新所原に着く時刻に合わせてできたてのうなぎ弁当をつくっておいてくれるのだ。

 新所原にはJRと天竜浜名湖鉄道の二つの駅舎がある。(天竜浜名湖鉄道の前身は国鉄二俣線、掛川と新所原を結んでいる。通称・天浜線)『駅のうなぎ屋やまよし』は天浜線の駅舎の中にある。

 ここのうなぎは創業以来ずっと浜名湖で養殖されたもの。値段は1050円。包装紙は特になし、うなぎ弁当は『中日スポーツ』で包まれている!? できたばかりでまだ温かいというより熱い。

 蓋を取る。四等分されたうなぎが目に飛び込んでくる。蒸しを入れない関西風。歯ごたえがあり焼きたての風味が広がり、タレも絶妙…

再び東海道線に乗れば、次の鷲津が近づくと浜名湖が左側に迫ってくる。天浜線なら浜名湖の北岸に沿って走る。「うなぎ弁当」を食べながら浜名湖の車窓を堪能。鉄道ファンには至福の一憩だ。

 大阪 中村 貴彦

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サークルつれづれ~教育研究サークルについて思うこと~

 京都の寺井です。

 教育研究サークルについて、思うことを少し書いてみたいと思います。

 「京都こくご教科懇」は20年、国語教育研究サークル「土曜日の会」は30年となるのですが、これが民間教育研究団体ですと、戦後60年、50年という大きな節目を迎えています。

 「教育科学研究会」は、戦後の再建時から『教育』という雑誌を発刊して以来、60年です。“戦後教育学”否定の動きを大きく問題視して、60年間の歩みを10年ずつに区切って歴史的な検討会を重ね、何冊かの“講座物”を世に出そうとしています。“戦後教育学”をこの教科研が全的に背負わねばならないとする点がよくわかりませんが、私にはとても興味深いことです。

 「日本文学協会」の国語教育部会も、やがて60年です。1976年の『日本文学』での「国語教育の戦後三十年」(シンポジウム)を読みますと、戦後の熱い思いが通らず、運動の在り方の是非を考え、子ども観や教材観が多様になっていく状況に苦慮する―その苦労がしのばれますが、議論の端に、今の私たちの状況に通じる目を感じます。この後の30年、私たちの30年は、どうたどるべきでしょうか。

 たびたび寄り集まれる、身近な者たちとしてのサークル、教育現場で汗している仲間の親しみで集まれるサークルが、たとえば、「教科懇」であり「土曜日の会」でしょう。「教科懇」は教員組合を母体としていますが、「土曜日の会」はたまたま知り合った知己のゆるい集まりです。

 その「ゆるさ」は会を始め、ずっと担って来られたFさんの強力な求心力とおもしろいバランスをとっています。

 

 「土曜日の会」の10月例会に、S市の府立高校の若い先生(女性)が初めて参加しました。どこかに国語の話ができる場がないものかとの思いが募って、大学で学んだ恩師に訴えて、ここを教えられて来た、ということです。その師は、かつての私の同僚でもあります。男子の多い工業高校では、授業に集中できず、授業している教師という自覚が持ちにくいことが、大きな悩みと言います。

 「たまらなくなって、校長に聞いたんですよ。この学校では教員の仕事の何割が授業なんですか。校長は、5割と言うんです。ショックでした。私のアイデンティティは何なのか。私はあくまでも国語の教師でありたい。」 京都は遠いけれど、今見つけたこの場は手放したくない、と思っているようです。

 「教科懇」の20年は、そんなに大きなこととはされていませんが、「土曜日の会」は、昨夏以来、継続はどうするか、世代交代はできるのか、随分気をもみ、話し合いもしました。見通しは容易ではありません。わずかな可能性を胸中に抱いて、私は協力していくつもりですが、かなり悲観的です。

 ところが、10月例会に初参加した先生を前にしますと、この方の思いを精一杯守らねばと思うようになります。

 寺井治夫

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全県で節電行動!

 6月15日は、全県一斉の節電行動の日でした。学校へも、15%を目標とした節電が要求されました。節電と言われても、出来ることは照明を消すことぐらいです。結局、指定された午後1時から3時まで、教室や職員室の照明を消しました。その効果は、本校の統計で11%減ったと言うことでした。それ以来、職員室の照明はいつも消えています。「窓際族」の年齢となった私にとっては、晴天のときは良いのですが、少し曇ると見えにくくなります。確かに無駄は良くないと思うものの、原発が動かないと大変だぞ、という脅しと感じられ、こんなにまでしなければならないは誰のせいだ、と思うと憤懣やるかたなくなります。

 北国といっても、冬が寒いだけで、夏は結構蒸し暑くなります。しかしエアコンはありません。夏の節電はばっちりです。とはいうものの、窓を開けますから、今年からは放射能が心配です。福島から100km離れていますから、それほどの心配はないのでしょうが、「直ちに心配はない」とはいきません。放射能の心配をしすぎだ、とも報道されます。しかし、20年後、30年後経って子ども達がガンなどの病気になったら、やはり「想定外だった」と言われてお終いなのでしょう。自分の身は自分で守らなければならなくなったようです。このことが、どんな勉強より今一番大切な勉強ではないかと考えています。

 前回の柴原洋一さんが、小出裕章さんのインタビュー映画「福島原発で何が起こっているのか」を使った分科会を紹介していましたが、全国委員会でそのDVDを購入し、地元で連続上映会を行いました。参加者はお年寄りがほとんどでしたが、とても良かった、と言ってくれました。小出さんのDVDの続編も出ています。ぜひ各地で上映して欲しいと思います。もちろん、全国大会で柴原さんからの説明を受けると、もっと良く理解できると思います。

     とらぬ狸@秋田

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「新機関誌を考える」担当者会議をしました

 大阪・佐藤です。

 2012年以降の新高生研仮事務局で、「新高生研を考える」担当の1人をしています。

 出版不況がすすむなか、教育雑誌は「売れない」のが常識。ほかの民間教育団体の機関誌も同様で、「廃刊」「休刊」等が続いています。

 そんななか、新高生研は、「高生研型」の「活動の基軸としての機関誌」をめざし、この間、3度にわたる構想会合を開いてきました。

・5月28日 東京:湯島にて(5名で)

・6月17日 大阪:上本町にて(4名で)

・6月18日 京都:京都駅前にて(6名で)

 「拡大機関誌会議」と称し、高生研草創期を知る方から最近、深く関わるようになったという方まで意見やアイディアを出し合う。出版社との交渉や雑誌編集・発行経験者からの聴き取りなども行ってきました。

 京都駅前の某ファミレスで4時間近く粘って行った今日の会議で確認した、「新機関誌」の編集コンセプト。出された意見を列挙します。

・相互の応答がある

・全国の実践をさがす1つの手段

・理論と実践をつなぐ手段

・複数立場、視点からの分析

・目の前の生徒から、教室からの視点を明確にしたもの」

・読者参加型(「すごい実践」から「ちょっとした取り組み」までにぎやかに)

・新しい教師がつながるマガジン

・いっぽうで「あぁ、こんな見方ができるのか」と気づくことができるもの

(下略)

 せっかくの「チャンス」ですから、かなり「大胆」な機関誌提起をしたいもの。

「機関誌を考える」ことが、そのまま「新高生研で何ができるのか」を考えることになるなあ、を実感しています。

 7月18日に行われる仮事務局会議で確認したあと、名古屋大会での会員総会で提起しますので、旺盛な議論を期待! です。

 どうぞお楽しみに。

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三者面談

去年から私のつとめる定時制高校でも三者面談期間を設定するようになりました。

三年前までは、常に定員割れしていましたから、生徒の人数も知れたもので、特に期間を決めなくても、担任が適当にやってきたのです。が、去年、今年と定員いっぱいまで入学し、留年生を合わせれば50人を越えるクラスも出て来ましたから、一週間、授業を減らして対応しないと難しくなりました。

いまさらながら定時制高校は社会の変動の調整弁だったなあ、と気づきます。

面談の定番といえば、出欠・成績・進路の三題噺になります。

私が担任している三年生クラスでも、再来年の卒業に向けてどうするか、というあたりが当たり障りのない話題です。

「出欠・成績はその紙をみてください。心配なお子さんもいますが、三年生ですから、自分でなんとかするはずです。今日は、この先、お子さんがいまの親御さんと同じくらいの年齢になるまでのことを、ご一緒に考えましょう。」

いささか大きすぎる風呂敷を広げました。

「たぶん、ですね。この生徒たちは、これから二〇年のうちに、二回や三回はひどく困った事態に向き合うはずです。つとめた会社がつぶれる、クビを切られる、とか。結婚すれば安泰なんてことは全然なくて、離婚することだって当たり前にあるわけですし。とんでもないスカ男だったなんてことだってありますし。お母さんの知り合いでも、そういうことになった方は珍しくないでしょう。今回のような天変地異だってありえます。」

親はちょっと困ったような表情を浮かべる人もいれば、ウンウンという人もいます。その辺のニュアンスは知らない顔して話をすすめます。

「そういう事態に立ち至ったことがある親御さんも中にはいるでしょうから、そんな時に、こんなふうにしたんだよ、ということ、もうそろそろお子さんと話してもいい頃なのかもしれない、と思います。可能なら、そんなことをこの夏の間に話してほしいのです。もちろん、そんなこと経験したことないなあ、という方もいらっしゃるでしょうから、もしそういうことになったら、ということでもいいかな、と思います。」

高度成長期に20代になり、その後も、苦労らしい苦労もせず、ただただノンキに生きてきた私がこんなことを言うのは、アホかいな、というところもあるのですが。(スマン!)

ここ10年ほど、昔の生徒と飲む機会が増えてきて、卒業後の彼らの話を聞いていると、私には想像もできなかった事態がそこここで起こっていることがわかります。だから、なおさら。

「いま私が考えているのは、困った事態になったとき、そこからさらに困った事態を呼んでしまう場合と、そこで踏ん張ったり、なんとかできたりという場合があります。サラ金に借金して雪だるまになる場合もあれば、なんとか切り抜ける場合も。その違いってなんだろか?ということなんですが。」

(なんだか人生相談くさい)

「ひとつは自分になにか力になるものがあった場合。例えば、どうでもいいけど取っておいた資格が生きたとか。経験があったとか。もうひとつは、今はやりの言葉でいえば、つながり。忘れていたような薄いつながりが、たまたま救いになったとか。不思議なことに、そういう時に頼りになるのは肉親じゃなかった、ということを聞きます。肉親って、だからお前はダメなんだ!になるみたい。」

「この先卒業までの一年半で、生徒に身につけて欲しいのは、この二つです。屁のつっぱりにもならないと思える資格でも、ないよりは、もしもの時に生きるかもしれない。とても仲良しってわけでもない相手と、ちょっとした話ができるようになることは、たぶんいま経験しておかないと・・・・と思います。」

困ったものです。歳とると、話が長くなります。

でも、ある母親が帰り際に、

「先生ね、いま私、幼稚園の先生の資格を取ろうと、通信教育を始めたんですよ。取れたら、いまのパートのままじゃなくなるし。子どもは言ってないんですけど。」

と、そっと、教えてくれました。 (山崎和達)

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「私がきしめんです!」と主張するきしめん

  再び、大阪の中村です。

  味噌煮込みうどんを書いたなら、「きしめん」を外すわけにいかぬ。

 きしめんは愛知県を代表するご当地麺。

  ・キジ肉を入れた「きじめん」が訛った

  ・紀州出身者が作った「紀州めん」が元

 他、語源の由来が数多い。

 今の形態は幅約1センチの平打ちタイプ。

  刈谷市今川町が発祥とか。

  通常のうどんより塩分濃度が高めで、麺も少し長めだ。

専門店も勿論あるが、僕は「きしめんは名古屋駅のホームで食べるもの」 となぜか決め込んでいる。JR名古屋駅は、在来線、新幹線どのホームにも きしめんの立ち食いスタンドが。屋号(経営者)も複数。

今日は『名代住よし』で「特製住よしきしめん」を注文。

  つまみメニューもあって「どて」のボタンも押す。

  「多分、もつを八丁味噌で煮込んだヤツだろう。ならトッピングして

 食べるのもあり?」と考えた。

まず、どて。続いて揚げたて天ぷら、花かつおを載せてきしめん到  

 着!! うまい!「私がきしめんです!」と主張するきしめんだ。

  どての方は、酒の肴なのに甘い!?

 「これをきしめんにのせたら麺が負けるな」それぞれを食べ、麺が

 なくなった時点でどての残りを器に入れて、飲み干した。

立ち食いではない、ちゃんとしたところを、の向きには、テレビ搭近くの『三好屋』(中区錦3丁目)。明治42年創業で現在4代目が店を守る。

 透けて見えるほど薄いきしめんが特徴。カツオ風味のだしつゆで食べる「ざるきしめん」が絶品。

味噌煮込みうどんを紹介したら「きしめん」を書かねばバランスがとれぬ。

 (大阪 中村貴彦)

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行事は夏休み前に・・・。

皆さんの文化祭は秋でしょうか?

青森では、多くの学校が7月に文化祭があります。

私が高校2年生の時から文化祭が7月に変わりました。

その原因は・・・。

そうです。共通一次テスト。

私は共通一次元年の受験生でした。

受験モードに早く入るために、多くの行事が夏休み前にあります。

来週の月曜日から定期テスト。それが終わると球技大会。

そして、文化祭。

生徒会は大忙しです。

いつからか、クラスTシャツがおお流行り。

f:id:kohseiken_nagoya:20110614233834j:image

2000円~3000円で生徒たちが自分たちで図案作成、業者との交渉をやります。

さて、今年の文化祭はどうなりますか・・・・・。(*^-^*)

青森 吉田

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ユニークな運動会

 14日は本校の運動会です。たぶん、ユニークだな、と思う点を紹介します。自分の所もやっているよ、という学校があったら教えてください。今回は、陸上競技場が改修工事で使用できず、総合体育館の中での開催です。

1、地域で宣伝をする。

 6月初めは、全県総体で出校する生徒も教師も少ない日があります。授業が出来ないので、2時間ほどの特別時間割を組むのですが、いない生徒がいるのに授業を進めるわけにはいきません。結局、時間をもてあますわけです。それで何かできないか、ということで、間近に迫っている運動会の宣伝チラシを配ることにしました。4年ほどになります。今年は、隣の小学校へも生徒が出来るボランティアはないか、と聞いたところ、球根の植え替えなど手伝って欲しい、ということで、本職?の土木科の生徒が行きました。

2、見学者が多い。

 地域で宣伝をしたほかに、保護者へも案内を出します。そうすると、100名ほどの申込があります。申し込まない人や地域の人も合わせると150名くらいになります。自分の子どもをビデオに収めようと、結構大騒ぎです。

3、見て面白い。

 見学者が多いのは、自分の子どもの活躍が見たい、というだけではなく、見て面白いからです。以前は、走り高跳びや幅跳び、長距離走など、真面目な書目ばかりで、やる生徒も面白くなく、さぼる生徒が多かったのですが、生徒たちに種目を考えさせてから、さぼる生徒もいなくなり、見学者も「面白い」ということで、口伝えで広まっています。綱引きのは、教員チームにお父さんばかりではなくお母さんも何人か参加します。最後は科対抗リレーで盛り上がります。総合得点で優勝科が決まります。

 独特な種目は、ムカデ競争、くるくるリレー、台風の目、障害物競走、部対抗リレー、長縄跳び、玉入れ、などです。ただ、応援に関しては全く出来ていません。これからの課題です。

4、幼稚園児も参加。

 地域で宣伝をしたところ、幼稚園から見学したい、という申込がありました。せっかく来ていただくのなら、ということで、園児と手を繋いでかけっこ、の種目を作りました。190cmの高校生と小さな園児が手を繋いで走るのは、ほほえましく、高校生の心にもいたわりの気持ちが生まれるような気がします。

 今年はさらに、玉入れも行います。高校生が抱きかかえて玉入れをさせよう、というものですが、どうなりますか・・。         とらぬ狸@秋田

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青年期の課題

 大学教員生活を1年と少しやってきました。これまでやってきて一番感じたことは、当たり前のことですが「やはり学生は学生」、つまり「高校生とは違う」ということです。1年次の前期(つまり今ですが)に教職必修科目として「教職論」という科目が置かれています。その最初の授業で、これまで高生研で学んできたことを駆使して「授業開き」をするのですが、その一部で「自己紹介」という時間帯を設けています。席の近い者同士4人で班を作って、その中で互いに自己紹介するだけですが、ほとんど初対面であるにも関わらず、また私からは「自己紹介してください」と言っただけにも関わらず、名前、学科、出身校、趣味、登校経路、教職希望の理由など、様々なテーマで語り合うのです。昨年これを初めてやったとき、「やっぱり学生は学生だな」とちょっと感動に近いものを感じました。そこで学生たちに「今皆さんは、僕が打ち切りを言わなければいつまでも続けるほど、自己紹介をしました。しかし、皆さんが高校1年の時、もし自己紹介しなさいと言われて、同じように自己紹介しあったでしょうか。おそらくしなかったでしょう。この違いこそが3年間の皆さんの成長の証であり、その成長を支えてきたものが教育なのです。そしてその教育の全てではありませんが、重要な一部を占めるのが学校教育であり、皆さんは今、その仕事に携わろうとしているのです」と語ったところ、多くの学生たちは頷きました。

 もう一つは、逆に大学生と高校生に共通して感じたことです。私は、毎回の授業で取り上げた事柄と具体的な事例とを結びつけて作文するという課題を、「自分の体験談ならなお良い」として出し、そのうちのいくつかを以後の授業プリントに掲載して紹介します(掲載不可、匿名希望を本人申告の上で)。自分の受けてきた教育を、教育学で研究されてきた視点から位置づけなおすことを目的に取り組んでいるのですが、いじめを受けた体験、問題行動に走った体験、不登校で苦しんだ体験など、自身の苦しかった体験を(文章で)語り出す学生が何人も出てきたのです。「掲載不可」とも「匿名希望」とも申告していないため、掲載に当たって本人に実名でよいか確認したり、私の判断で匿名にしたりすることもあります。(このような取組によって逆に不安が増したり、責任に苛まれたりすることのないよう、注意する必要があることを肝に銘じておかなければなりませんが)

 私は『高校生活指導』184号の中で、「京都高校生春季討論集会」で自身を語り始めた高校生のことを紹介しました。私はかれらとの出会いを通して、「自己を相対化し、自己・他者・社会に対する基底的な肯定感が持てるようになること」が、青年期の最も重要な課題ではないかと考えるようになりました。そして今、そのことを大学生にも共通した課題として感じるようになったのです。

 大学進学率は50%を超えました。大学へ行くことが「フツー」の時代になったわけです。そんな時代、18才を結節点にして、高校と大学を通して青年期の課題をどう乗り越えていくかという観点を持った教育が求められるのではないかと考えています。 久田

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おまかせHR研究会、東北へ走る

「この目でしっかり見て、何かしたい」と思うものの、なかなか行けなかった東北。

 7月に秋田から呼んでいただき、それに伴って下記を企画しました。

<記>

東日本大震災支援「おまかせ出張ワークショップ」

○目的

・被災地の現状をまず知り、何ができるのかを考える。

・被災地での出張ワークショップ(できれば)

・夏の大会交流会(「東北の仲間にきく」)の打ち合わせ

○日程

●7/15(金)

・関空 →羽田経由→秋田(泊)

●7/16(土)

・全日、秋田市内で講座。労働・法教育関係の講演(井沼)と「おまかせ」ワークショップ(「ぴらっと1枚」ワークショップ)。

 その後、岩手もしくは仙台に移動。(泊)

●7/17(日)

・被災地ボランティア。

・ご要望あれば、「おまかせ」ワークショップ。

・夜、福島にて、夏の交流会(東北の仲間にきく)の打ち合わせ。

                           (福島泊)

●8/18(月)

・福島空港→伊丹

○備考

・被災地で講座を行う場合、「支援無料講座」とする。

・「宿泊手配や交通手配自分で」がボランティアの基本。

・少なくとも、「現地に気を遣わせない」「無理のないところで」が原則。

 「こんなことができるぞ」「ここでワークショップを」等あれば、お知らせください。

(大阪・サトウ)

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わしらにはこの味がたまらんのじゃあ

 大阪の中村です。

 全国大会の楽しみのひとつは現地ならではの風物に触れること、とりわけご当地料理の試食だ。

 名古屋といえば、味噌煮込みうどん、あんかけスパにきしめん、味噌カツ…台湾ラーメンも。

先づは、味噌煮込みうどん。うどんと味噌のコラボは山梨富士吉田の「吉田うどん」他あるが、ほとんどはうどんが主で味噌が脇。だが味噌煮込みうどんは、汁の味噌が決め手、味噌が主役といえる。

「どうして味噌の印象が強いんでしょうか?」

 「そりゃ、八丁味噌を使っとるでよ~」

 八丁味噌とは愛知県名産の味噌。愛知県岡崎市の岡崎城から西に八丁(約800メートル)離れたところにあった八丁村(現在の八帖町)が発祥の地なのでその名が付いた。酸味が強くかすかな渋みがある濃厚な味噌だ。

 赤味噌や白味噌などは各地域でさまざま作られているが、この八丁味噌は県内でも「カクキュウ」「まるや」の2社ぐらいでしか生産されていない。

 因みにおいしい味噌の3要素というのがある。水、大豆、塩がそれ。この地は花崗岩地質で水がおいしく、矢作大豆と良質の大豆が獲れ、矢作川の水運のおかげで良い塩が手に入った。それで八丁味噌が誕生した。

 

 八丁味噌は熟成まで3年かかる。この味噌が初めにあってそれに合ううどんを作った結果、主役と脇役が入れ替わったのでは!?と、僕は勝手に考えている。

  名古屋に着いて「味噌煮込みうどん」なら『山本屋総本家』か!? 栄にあるここが店舗として最初に味噌煮込みうどんを出した店とか。うどん屋というよりちょっとした料亭のような店構えだ。

 ここの味噌煮込みうどんは八丁味噌と白味噌を合わせてつくる。だしは昆布とカツオ節と椎茸を煮出した一番だしに、この一番だしを取った後に煮干しを加えて煮出した二番だしを加え、醤油みりん等で味を調える。煮立ったら麺と油揚げ、椎茸、かまぼこ、鶏肉、タマゴなどを入れて煮込む。さぞや軟らかな麺に?と思いきや、がっしりとした硬い仕上がりだ。それにしてもアツアツのうどん!?器も熱いので手も口もヤケドしそうだ。

 「まあ、よその土地の人にゃあ、この八丁味噌の酸っぱさが合わんかもしれんのう。わしらにはこの味がたまらんのじゃあ」と地元民に言われそうだ。(大阪 中村貴彦)

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さすが遠足! やっぱり遠足!

 京都の大野です。

 今年度は高1の学年主任兼担任をしています。

 私の勤務している学校は私学の中高一貫の女子校です。

 今の高1は中学1年から私が学年主任兼担任をしてきた学年なので可愛くって仕方がありません。4月の学年ガイダンスでも「こんないい学年はありません!私はこの学年を愛しています!」と恥ずかしげもなく公言したぐらいです。

 ただ中高一貫といっても高校から入学してくる生徒もいるので、この生徒たちと、中学から少人数クラスで家族のように親密な関係を築き上げてきた生徒たちがどのように交流し、新しいクラスの人間関係を作っていくのか、お互いに牽制し合って、変なグループ対立が起こったりしないかと、学年をスタートさせる前から心配していました。

 うちの学校では、中1の新年度開始時に1泊2日のオリエンテーション合宿があるのですが、高1ではありません。なんかないかと考えた末(というほどでもないのですが…)ここはやっぱり「遠足」でしょう!と、前もって4月当初の行事の中に、半ば強引に遠足の日を入れてもらいました。

 どんな遠足にするかを考えるための参考にさせてもらったのが、「おまかせHR研究会 編著」の「ザ・遠足 クラスづくりは遠足から」です。

 春休み中、この本を読みながらどんなふうにしていくか、ずっと考えていました。

 いざ学年がスタートしてみると、予想どおり、本校中学から進級してきた生徒たちと他中学からやってきた生徒たちの温度差がはっきりと…。

 遠足の行き先は、いくつかの条件を示して生徒たちに班毎にアイデアを出させて、多数決をとって決定。かなり制約のある条件だったので、結局、決まった行き先は奈良公園。

 せっかくなので興福寺の阿修羅像を見たいという大野の個人的願いも入れてもらって実施しました。

 最初はぎくしゃくしていた子どもたちも、班毎で点呼したり、鹿とたわむれ、お弁当後のおやつタイムで自分たちがそれぞれ持ってきたおやつをやりとりするなかで、グッグッと親密さをましていました。女の子はやっぱりおやつなのか…。

 遠足を実施した次の週から、かなりクラスの空気が変わっていました。

さすが遠足! やっぱり遠足!

 まあ、その後いろいろな生活指導上の問題はありますが、そこはまた、高生研のみなさまにお世話になるかも…。

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特別支援教育という視点

沖縄の伊藤です。

昨日、今日とNHK杯放送コンテスト県予選があり、

私が副顧問をしている映画研究会の

テレビドラマ番組が、最優秀賞をいただきました。

前の顧問の先生がプロはだしだったので、

その技を引き継いで、安定した実力を発揮し続けて

もう5年以上代表の座を守っているのですが、

今年は震災の影響で全国大会の準々決勝が

DVD審査になったので、それに通らないと東京にはいけないのですが。

それはともかく、今日は、

テレビドキュメンタリー部門最優秀賞の作品のことを書きたいと思います。

『CHANGE』と称されたこの作品は、

車椅子に乗った一年生を題材にしたものでした。

手足が不自由な彼と学校生活をするために、

その学校では多くの工夫が施されています。

特に感動的だったのは、彼のために特別ルールを作って行われた球技大会。

基準をいくつにも設ければ、多くの違う能力を持つ人々が

うまく共存できることが体感できるエピソードでした。

私は現在、特別支援コーディネーターをやっていますが、

大変繊細な問題が多く、学べば学ぶだけ難しいと思います。

でも、答えはやっぱり生徒たちの中にあるんだろうな、と

思える作品でした。

舟橋先生の基調にも、新しい実践を切り拓く視点として

特別支援教育があるというくだりがあります。

高生研で、研究していく価値のある新しいテーマですね。

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生徒が変わるとき

先週末 青森では高校総体がありました。

私はバドミントン部の女子の監督。

また県知事選もありました 。

開票作業の影響で金曜日がバドミントンの団体戦。

我が高校は男子がベスト4を守りましたが、

女子は監督の私のオーダーミスでベスト8を守ることができませんでした。

教師生活29年のうち20年間 バドミントンに関わっています。

部活動は本来、教師の業務ではありませんが、

生徒に与える影響は大きなものがあります。

青森は今年、北東北インターハイがあります。

我が高校からは女子の硬式テニスと

女子アーチェリーが県2位の成績でインターハイ出場です 。

バドミントン部の2年生は全国大会の補助で

夏休み5日間

私は大会進行の業務で一週間 このインターハイに関わります。

今日は高校総体の代休ですが、部活動の練習をしました。

先輩たちの悔しい敗戦を見て

女子の部員の眼差しと動きが明らかに変わりました。

毎日わずか2時間足らずの練習ながら

県の総体で素晴らしい成績を残している各部の生徒たち。

大学進学に向かう生徒がほぼ100%の我が校の生徒たち。

青森県は原子力半島と呼ばれる箇所があります。

核燃料サイクル基地。

東北電力の東通原子力発電所。(現在、点検中)

東京電力の東通原子力発電所はまだ工事前?

マグロで有名な大間にも原子力発電所の計画があります。

今回の福島の大きな原発事故があったにも関わらず

青森では大きな反対運動も怒らず

県知事選も原子力推進派の現知事が当選

生徒たちに青森の現実をしっかりと教えることが

今こそ大切だと感じています。

教師の役割は

生徒の心に火をつけること

学ぶこと、部活動に懸命に取り組むこと、そして

今の社会をしっかりと見つめ、考え、自分の考えのもとに行動すること。

これらは、生徒だけでなく、私たち大人にも今、

必要なことではないかと考えているところです。

新高生研のありかたについて

うまく自分の言葉で語ることはできないけれど

対立より、対話。

生徒たちがよりよく変わるために

私たち教師はどんな実践に取り組んでいかなければならないのか?

全国の先生方と膝を突き合わせて語り合いたいと思っています。

青森高生研

吉田

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どんな言葉を発するのか?

岩手の中さんから、担任している1年生の学級通信が届きました。そこには、次のようなクラスの生徒の作文が紹介されていました。

 「3月11日、東日本大震災が発生しました。あんなに大きく長い地震は初めてでした。

発生してすぐに避難訓練通りの所に行きましたが、落石等の理由で、他の高い所へ逃げました。着いた瞬間、ものすごい音が聞こえ、土煙が上がってきました。町はもう海と化していました。津波の勢いがすごく、数メートル後ろまで水が押し寄せていました。周りの友だちの家はもうありません。自分の家は、津波とかけはなれた所に建っているし、家族も心配ありませんでした。周りの友だちは家族や家の心配をし、泣いています。自分だけ、一緒にその気持ちが分かってやれない事。すごく悔しかったです。

 避難所は人であふれていました。電気もなく、静まりかえった避難所。人生で一番辛く、

暗い一夜を過ごしました。家族の無事の情報がたくさん入ってきました。しかし地震当日、

同級生の一人が欠席していました。安否情報もなく、何日経っても分かりません。その友

だちは亡くなりました。病院に行く途中で津波にあいました。79人という少ない大事な

仲間です。今までだったら、学校に行けば普通に会って、普通に話していました。普通に

学校に行けると思っていたし、いつもの毎日が続くと思っていました。地震がくるとも思っていなかったし、津波も数十センチので終わるだろうと思っていました。今回の災害で、当たり前のことが当たり前ではないという事がわかりました。

 まだ避難所にいる人もいます。テレビや新聞などで報道されている事はほんの一部であ

り、苦しみ・辛さは伝わりません。経験した人にしか分からない辛さがあります。自分た

ちに出来る事を見つけ、取り組み、一生懸命生きていく事が、今生きている自分たちの使

命だと思います。」

 この後に、中さんはこう記しています。千葉大学教育学部の藤川大祐教授は「大切なのは子どもの心のケアだけではない。被災地の現場と、社会とかけ離れた学校文化と。その落差を見た子は勉強する意味を問い直すに違いない。学校がどんなメッセージを発するかが問われている」と語っています。「おまえはどんな言葉を今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。」と言うのはあさのあつこさん。今こそ教室で、思いを語り合いたい。そして、言葉を紡ぎ続けたい。私の願いです。

今回、岩手や宮城や福島の方々に、本当に心配していろいろ教えて欲しい、とお願いしていました。しかし、生徒が書いているように、「経験した人にしか分からない辛さ」があるのだ、と改めて感じました。そしてそこに勤めているから、「勉強する意味を問い直す」生徒に向かい、「どんな言葉を今、発する」のか悩む教師がいるのだ、と分かりました。私たちは、その重さに打ちのめされ、無力感を感じます。

 市内で被災地の写真展が行われており、今日見ました。平日で誰もいない、説明する人もいない広めの空間に、被災地の写真や救助するボランティアの写真が掲示されていました。数の少なさもあり、単なる情報の提供を受けている感じがしました。やはり現地で、5感で体験するしかないのでしょう。そして、体験していない生徒に対し、どのように「言葉を発するのか」私たちも問われているのだと思います。

                    とらぬ狸@秋田

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熊本高生研の藤川です。

名古屋大会現地の実行委員会の皆さん、大会の準備ご苦労様です。

熊本高生研の藤川です。熊本高生研から名古屋大会には最低5名は参加出来そうです。これからさらに参加を募っていきたいと思います。

ところでお願いですが、青森・大阪大会では美味しい(ご当地グルメ、お酒)夜の交流会が企画されました。青森大会では私は前泊の交流会と大会当日の交流会と2回も参加し、堪能させていただきました。私のような呑兵衛にとっては、地元のお酒と料理そして楽しい歓談は、とても魅力的です。青森大会の時は事前予約は私一人だけだったのではないかと思いますが、思わず事前予約をしてしまいました。当日希望者が殺到しましたので正解でした。

忙しいなかグルメの交流会まで企画できんぞ、という声が出そうですが、もし余力がありましたら企画いただいて、7月の全国通信で参加者募集をしていただけたらと思います。よろしくお願いします。

名古屋で8月にお会いしましょう。

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名古屋大会、書籍もあります!

大阪・サトウです。

今年は書籍を三重高生研・松尾さんを店長に、全国から「やったろ!」隊が集まって店開きします。

松尾店長からは、エクセルデータ満載の「今年の書籍注文一覧」が送られてきました。

今年、「新刊中心」でいろいろ選書してくださってます。

以下、店長からの書籍リクエスト呼びかけ。

「これぞ!」というものがある方、どうぞコメント欄に返信くださいね。

<以下・松尾店長より>

名古屋大会の書籍選びの真っ最中です。

例年お世話になっている18の出版社についてこれと思う本をあげてみました。今、まとめているところです。新刊本中心に販売してはどうかなと思います。

各出版社とも新刊本を中心にあげてみました。

発行年が新しくないものでも、ぜひこれというのがあれば教えてください。

どの本もというわけにはいきませんが、例年取引のある出版社の本でおすすめの本があればぜひ知らせてください。

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ちょっと複雑

今年度、9年間在籍した流山北高校から野田中央高校に異動になりました。野田中央高校というのは6年前に野田高校(伝統ある女子高)と野田北高校(部活学校)が統合してできた学校です。千葉県の場合は廃校という言葉は使いません。が、実際には2つの学校を統合する(新しい学校を作る)形で結局両方とも潰してしまいます。統合される学校は大変です。もともと違う学校ですから、教育課程に始まって、制服や校則、上級学校への推薦基準、生徒指導のやり方、文化祭の実施要領などなど、実に細かなことをすり合わせながら新しい学校の骨格を作って行くわけです。

 おっと。そういうことを書きたかったのではありません。野田中央高校の話です。転勤しても、私に待っていたのはソフトテニス部と生徒会の顧問でした。野田中央のソフトテニス部は、男女合わせると30名ぐらいの部員がいます。昨年までとは大違いです。生徒も真面目に練習します。はっきり言って流山北高校より強いです。先日、部活の地区大会がありました。私は男子の顧問をしているのですが、個人戦で1ペアが県大会出場を決めたのみで、団体では惜しくも県大会を逃してしまいました。(リーグ戦で同率になったため、セット率の差で出場枠の3校に入れませんでした)女子はその逆で、個人では勝てなかったのですが、団体では何と1位通過で県大会出場を決めました。

 欲を言えば切りがないのですが、やはり顧問としては団体で県大会に行けた時のほうが嬉しいものです。実はこの地区大会で、流山北高校の女子がじつに9年ぶりに団体での県大会出場を果たしたのです。昨年まで、臨任で素人の顧問が面倒を見ていた、あの6人ピッタリしかメンバーのいない女子テニス部がです。一方男子は、そこそこうまい新入生が入ったにも関わらず全くダメでした。自分が関わった生徒が県大会に出場するということで悪い気持ちはしないのですが「かなり面倒を見てきた男子は一体どうなってるんだ?」と思うと、ちょっと複雑な気持ちがした大会でした。

                        野田中央高校 片桐哲郎

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指導ではなく支援を~Aくんへの対応と、高生研例会のこと~

 放課後の教室。ちらほら数名の生徒たちがなごやかに談笑しながら自習している傍らで、今日も私はAくんの机周りを片付けた。

 三日ぶりだから紙類の散乱状況はひどい。今日配布されたプリントや返却された中間テスト、教科書や資料集、弁当代わりに買ってきたパンのビニール袋などが、くちゃくちゃと机の中に突っ込まれていたり机の上に積み上げられていたりする。

 Aくんの姿はそこらにない。私はプリント類を一枚ずつ伸ばし、分類し、ファイリングしていく。「先生、おかあさんみたいなことして」とBくんの声が背後から飛んでくるけれども、「Aくんには今これが必要なんやわ~」と言って作業を続ける。教科書は教室後部の個人の棚へ、プリント類は各教科ファイルに綴じて机の中へ。要らないものはゴミ箱へ。

 「先生の日課ですね」とCさんが言ってくれる。果たしてこれでよいのかは、わからないのだけれども…。

 私は3年生の担任。Aくんとの付き合いは3年目になる。最初の2年間は、持ち物を整理せず配布物をすぐに失くすAくんに自分で整理整頓する習慣をつけさせようとしていた。しかし「自分で整理させる」ことに固執した結果、私は彼とひどくぶつかることとなった。

 2月のある日、教室を入試に使うため全私物持ち帰りが義務付けられたにもかかわらず、Aくんはビニール袋大3個に詰め込んだ紙類・教科書類を掃除用具入れに隠したのだ。後日発覚して「家庭に届ける」と言い張る私に対してAくんは「何が悪いんですか。荷物を掃除ボックスに隠して何が悪いんですか。誰にも迷惑かけてないでしょ。僕が荷物を掃除ボックスに隠したからって、入試に影響ありましたか!」と食ってかかった。

 「悪いですよ!私物持ち帰りが義務付けられていて、みんな大きなかばんを持ってきて重たい荷物をちゃんと持って帰ったのに、君だけ掃除ボックスに荷物を隠すなんて、悪いじゃないですか」「荷物を持って帰った奴らはね、掃除ボックスに隠すっていう知恵がなかっただけですよ。」「とにかく、キミの荷物、家に届けるから」と私が言った途端、Aくんの態度が変わって「オマエの顔みてるだけでキモイんじゃ!家へ来る、家へ来るって言いよって。困る言うてるやろ。アホか!ボケ!あっちいけ…(たくさんの罵声を聞いたが正確に覚えていない…)。Aくんは「家庭訪問」という言葉にキレたのだった。

 「家庭訪問」されていい思い出なんかないですよ、とその後冷静になったAくんが語った。小学校中学校時代にいやというほど家庭訪問を受けたらしかった。結局私は私物お届け家庭訪問はせず、Aくんの私物は学校で分別して要らないものを処分した。

 その頃である。同じクラスにいるCさんのお母さんからアドバイスをいただいたのは。「先生、Aくんに必要なのは、指導ではなくて支援です」。

 Cさんのおかあさんは支援学校の先生をしておられる。まじめで素直なCさんは家庭でよく学校のことを話すらしかった。私がAくんの身の回りの整理に手を出そうと思い始めた時に、Cさんを通じてお母さんに相談したら、「必要なのは指導ではなくて支援です」と言ってくださったのだった。

 指導ではなくて支援? 具体的に教師のどんな行動が想定されるのだろうか?―それは個々の生徒の状態にもよって違うだろうけれども、同じ問題にぶつかっている教師は多いはず。こんどの例会に出して、どうしたらいいか一緒に考えてもらおう、と思って4月の例会は「指導ではなく支援を」というテーマにしてもらった。

 Aくんへの対応は暗中模索状態ではあるけれども、二か月に一回の高生研例会で友人たちから出される様々な“困難を抱える生徒たち”の事例を聞きながら、少なくとも目の前の次の一歩だけは見えるような気がしている。

(京都 田中)