去年から私のつとめる定時制高校でも三者面談期間を設定するようになりました。
三年前までは、常に定員割れしていましたから、生徒の人数も知れたもので、特に期間を決めなくても、担任が適当にやってきたのです。が、去年、今年と定員いっぱいまで入学し、留年生を合わせれば50人を越えるクラスも出て来ましたから、一週間、授業を減らして対応しないと難しくなりました。
いまさらながら定時制高校は社会の変動の調整弁だったなあ、と気づきます。
面談の定番といえば、出欠・成績・進路の三題噺になります。
私が担任している三年生クラスでも、再来年の卒業に向けてどうするか、というあたりが当たり障りのない話題です。
「出欠・成績はその紙をみてください。心配なお子さんもいますが、三年生ですから、自分でなんとかするはずです。今日は、この先、お子さんがいまの親御さんと同じくらいの年齢になるまでのことを、ご一緒に考えましょう。」
いささか大きすぎる風呂敷を広げました。
「たぶん、ですね。この生徒たちは、これから二〇年のうちに、二回や三回はひどく困った事態に向き合うはずです。つとめた会社がつぶれる、クビを切られる、とか。結婚すれば安泰なんてことは全然なくて、離婚することだって当たり前にあるわけですし。とんでもないスカ男だったなんてことだってありますし。お母さんの知り合いでも、そういうことになった方は珍しくないでしょう。今回のような天変地異だってありえます。」
親はちょっと困ったような表情を浮かべる人もいれば、ウンウンという人もいます。その辺のニュアンスは知らない顔して話をすすめます。
「そういう事態に立ち至ったことがある親御さんも中にはいるでしょうから、そんな時に、こんなふうにしたんだよ、ということ、もうそろそろお子さんと話してもいい頃なのかもしれない、と思います。可能なら、そんなことをこの夏の間に話してほしいのです。もちろん、そんなこと経験したことないなあ、という方もいらっしゃるでしょうから、もしそういうことになったら、ということでもいいかな、と思います。」
高度成長期に20代になり、その後も、苦労らしい苦労もせず、ただただノンキに生きてきた私がこんなことを言うのは、アホかいな、というところもあるのですが。(スマン!)
ここ10年ほど、昔の生徒と飲む機会が増えてきて、卒業後の彼らの話を聞いていると、私には想像もできなかった事態がそこここで起こっていることがわかります。だから、なおさら。
「いま私が考えているのは、困った事態になったとき、そこからさらに困った事態を呼んでしまう場合と、そこで踏ん張ったり、なんとかできたりという場合があります。サラ金に借金して雪だるまになる場合もあれば、なんとか切り抜ける場合も。その違いってなんだろか?ということなんですが。」
(なんだか人生相談くさい)
「ひとつは自分になにか力になるものがあった場合。例えば、どうでもいいけど取っておいた資格が生きたとか。経験があったとか。もうひとつは、今はやりの言葉でいえば、つながり。忘れていたような薄いつながりが、たまたま救いになったとか。不思議なことに、そういう時に頼りになるのは肉親じゃなかった、ということを聞きます。肉親って、だからお前はダメなんだ!になるみたい。」
「この先卒業までの一年半で、生徒に身につけて欲しいのは、この二つです。屁のつっぱりにもならないと思える資格でも、ないよりは、もしもの時に生きるかもしれない。とても仲良しってわけでもない相手と、ちょっとした話ができるようになることは、たぶんいま経験しておかないと・・・・と思います。」
困ったものです。歳とると、話が長くなります。
でも、ある母親が帰り際に、
「先生ね、いま私、幼稚園の先生の資格を取ろうと、通信教育を始めたんですよ。取れたら、いまのパートのままじゃなくなるし。子どもは言ってないんですけど。」
と、そっと、教えてくれました。 (山崎和達)