大学教員生活を1年と少しやってきました。これまでやってきて一番感じたことは、当たり前のことですが「やはり学生は学生」、つまり「高校生とは違う」ということです。1年次の前期(つまり今ですが)に教職必修科目として「教職論」という科目が置かれています。その最初の授業で、これまで高生研で学んできたことを駆使して「授業開き」をするのですが、その一部で「自己紹介」という時間帯を設けています。席の近い者同士4人で班を作って、その中で互いに自己紹介するだけですが、ほとんど初対面であるにも関わらず、また私からは「自己紹介してください」と言っただけにも関わらず、名前、学科、出身校、趣味、登校経路、教職希望の理由など、様々なテーマで語り合うのです。昨年これを初めてやったとき、「やっぱり学生は学生だな」とちょっと感動に近いものを感じました。そこで学生たちに「今皆さんは、僕が打ち切りを言わなければいつまでも続けるほど、自己紹介をしました。しかし、皆さんが高校1年の時、もし自己紹介しなさいと言われて、同じように自己紹介しあったでしょうか。おそらくしなかったでしょう。この違いこそが3年間の皆さんの成長の証であり、その成長を支えてきたものが教育なのです。そしてその教育の全てではありませんが、重要な一部を占めるのが学校教育であり、皆さんは今、その仕事に携わろうとしているのです」と語ったところ、多くの学生たちは頷きました。
もう一つは、逆に大学生と高校生に共通して感じたことです。私は、毎回の授業で取り上げた事柄と具体的な事例とを結びつけて作文するという課題を、「自分の体験談ならなお良い」として出し、そのうちのいくつかを以後の授業プリントに掲載して紹介します(掲載不可、匿名希望を本人申告の上で)。自分の受けてきた教育を、教育学で研究されてきた視点から位置づけなおすことを目的に取り組んでいるのですが、いじめを受けた体験、問題行動に走った体験、不登校で苦しんだ体験など、自身の苦しかった体験を(文章で)語り出す学生が何人も出てきたのです。「掲載不可」とも「匿名希望」とも申告していないため、掲載に当たって本人に実名でよいか確認したり、私の判断で匿名にしたりすることもあります。(このような取組によって逆に不安が増したり、責任に苛まれたりすることのないよう、注意する必要があることを肝に銘じておかなければなりませんが)
私は『高校生活指導』184号の中で、「京都高校生春季討論集会」で自身を語り始めた高校生のことを紹介しました。私はかれらとの出会いを通して、「自己を相対化し、自己・他者・社会に対する基底的な肯定感が持てるようになること」が、青年期の最も重要な課題ではないかと考えるようになりました。そして今、そのことを大学生にも共通した課題として感じるようになったのです。
大学進学率は50%を超えました。大学へ行くことが「フツー」の時代になったわけです。そんな時代、18才を結節点にして、高校と大学を通して青年期の課題をどう乗り越えていくかという観点を持った教育が求められるのではないかと考えています。 久田