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現地発! 歓待とつくば駅と大会会場周辺の地図

初めまして。つくば大会の打ち合わせの手伝いをしています高山と申します。

応援ブログ1回目に書かれている、「教師ゆめ会」が学校で行われています。投稿者の小柴先生が日々大変忙しそうにしているので、ちょっとした会場設営などをできる範囲でお手伝いしているのですが、毎回のミニ報告会で話題になる事例や対処法など聞かせていただき大変勉強になっています。良い機会を与えていただき、ありがたく思っています。

大会は暑い盛りですが、みなさまお気をつけてお越しください。

 

 

つくば地図
★筑波学院大学は、A2出口から遊歩道で「つくば文化会館アルス」の横を通って、徒歩7分
★大学の職員用と来客用の駐車場約90台分を借用してあります。
★ナイフとフォークのマークが食事のできるところです。当日配布の「観光マップ」を参照。
★地図の下の方の「つくばカピオ」の近くにある「ベルガ」が、8/9の交流会「発達障害の若者の就労支援活動」の会場です。筑波学院大学から、遊歩道を通って、徒歩15分です。

遊歩道側からの大学入口
遊歩道側からの大学入口
50室確保してあるホテルマークワンつくば
50室確保してあるホテルマークワンつくば
道路側からの大学入口
道路側からの大学入口
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細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)④

 こんにちは。沖縄高生研の照屋です。うちの学校では文化祭が始まり、今日が初日でした。大雨が降ってしまいましたが、来校者は700人を超えていたそうです。舞台・展示・出店…..例年6月中旬に開催されますが、短い準備期間内で生徒たちはきっちりと仕上げてきます。明日は晴れてくれたらいいなあ。

 さて、インド滞在シリーズ「宿編」。インドについて最初の一週間ほどは、駅近くでホテルを探してタカシとヒロシを含めた僕の三人で泊まってました。三人でお金を出し合うので、そこそこのホテルを見つける事ができ、どこへ行くにも安心して出かけられました。10日ほど経ち、それぞれがインドに慣れてきた頃、個人で行動する事になりました。三人で行動していると心強いのですが、どうしても行動が一緒になりがちになってしまうので、「インドでの残りの滞在を一人で生きていこう(ちょっと大げさですが)」と三人で確認し、僕は次の目的地のアグラー(タージマハールがあることで有名。別名ピンクシティ)、タカシとヒロシもそれぞれの目的地へ向かいました。
 さて、一人で泊まるとなると、シングルの部屋がある安宿を探さなければいけません。一日の滞在費(宿泊・食事・移動・雑費等)は200ルピー(日本円で800程度)くらいで抑えるようにしていました。一泊30~40ルピーくらいのホテルを探し、居心地が良ければ連泊し、悪ければ1泊でホテルを変えました。さて、僕が泊まった範囲でのその当時のインドのホテル&トイレ事情。
 シングルで30~40ルピーくらいのホテルだと、観光地だとしても部屋の鍵は「針金を引っかける」程度のものでした。ドアの外から名刺ほどの細い物を差し込んだら簡単に開いてしまう作りだと考えて下さい。運がよければ天井に扇風機があります。ベッドの寝心地はまあまあでした。トイレには紙がありません。その代わりに、後ろの方にビアジョッキほどの大きさの容器と蛇口があります。インドを訪れたことがある人はわかると思いますが、現地の人はトイレで「大きい方」をした後は紙ではなく左手で汚れを拭き取り、最後に水で左手を洗います。インドでの滞在中は右手で食事をして左手でトイレ処理をしていました。ヒンズー教の考えでは「右手が聖なる手」で左手が「不浄な手」だったからです。ホテルによってはトイレットペーパーを売ってますが、品質があまり良くなく硬いので僕はずっと左手を使ってました。ヨーロッパからの旅行者はよく買ってましたが。
 インドで、生まれて初めて左手で自分のおしりを洗った時は相当な違和感がありました。でも、僕が行った季節、インドは冬でなおかつ乾期だったので慣れてくると洗った後はサラサラして快適に感じるようになりました。
 次にシャワー。安いホテルではまず例外なくシャワーは共同でした。ドアの鍵も既に述べたように
お粗末だったので、パスポートとトラベラーズチェック(以下TC)は肌身離さずにシャワー室で持っていきました。安宿では、お湯は出ません。真冬でも水しかつ使えないので、シャワーを浴びる時は気合いを入れます。タオルや歯ブラシ等もありません。荷物を減らすために必要最低限の衣類や荷物しか持っていかなかったので、タオルはハンドタオルだけを使っていました。洗濯設備もなかったので衣類やタオルが汚れてきたらシャワー室内で洗ってました。洗った後は室内にひもを張り、そこへかけておくと一晩で十分に乾きました。
 アグラーで5泊ほど過ごし、次はガンジス川ほとりのバラナシへ向かうことにしました。
さて、バラナシでは初めて「ドミトリー」に泊まりました。広い床で旅行者が寝袋を使って雑魚寝する宿です。ホテルに比べるとプライバシーはありませんが、                          

ドミトリーこんな感じです
ドミトリーこんな感じです

①宿泊費が安い
②旅行者が常に誰かいるので安全
③日本人を含め、いろんな国の人たちと
  交流できて情報交換できる

というメリットがありました。

バラナシに「久美子ハウス」というとても有名な宿が
 ありますが、そこでかなり強烈な経験をしました。
 次回をお楽しみに…….

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大阪高生研ウイークリーレポート⑦ 大阪高生研 6月例会 「新世界でぴらいち」

大阪高生研 6月例会 「新世界でぴらいち」

日時:2014年6月15日(日)13:30第1部スタート
▼第2部(16:00~19:00)「“新世界”紀行~新世界商店会の方からお話をきく&交歓会、もちろん串カツで一杯!)」もあります。

場所:通天閣下「新世界会館」
JR大阪環状線「新今宮」駅下車
または、地下鉄堺筋線「恵美須町」駅下車

参加費:串カツ宴会時価。

定員30名。現在、参加表明21名、そのうち7割は20~30代の「若手」。司会も若手Oさんです。

<第1部>「ぴらっと1枚実践報告」
おなじみ4人ひと組で、順に「報告」「ほめ」「けなし」「進行」を担当し、順繰りに短報告&検討会を行います。
参加者はA4版(もしくはB5版)1枚の短実践報告(レジュメでも可)を5部コピーして持参ください。
(印刷する環境がある人は35枚分お願いします)
新年度始まって2ヶ月。そろそろいろいろ見えてきたころ。肩肘張らず、気楽に、いま一番のあなたのトピックを持ち寄りください。

<第2部>「“新世界”紀行」
県外や外国からの訪問客は多いものの、地元大阪の若者の来訪が少ない「新世界」。それらのイメージ払拭も目標に、地元商店主さんたちと大阪の高校生とがタイアップし、「新世界探検隊=高校生目線MAP」を作製しました。
地元活性にかける商店主さんのお話をうかがい、交歓会。最強の遠足」づくりに励んできた大阪高生研としても何らかの有益な意見交換ができるかも。
その後、「高校生目線MAP」に従って新世界を小トリップ後、最後はもちろん、串カツほおばりながら、今日1日の交流会を行います。

※「いっぱい語ろう」がテーマですので、1,2部全参加を原則としています。
お問い合わせ、参加のお申し込みは、taikanokaisin@kd6.so-net.ne.jp

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大阪高生研ウイークリーレポート⑤ 法律家とのコラボ授業のようすがEテレで。

5/29(木)の「オトナへのトビラTV」のテーマは、「はたらくルール」。

ここで、大阪高生研メンバーたちが、弁護士さんや司法書士さんら法律の専門家と一緒に授業づくりをしていることがとりあげられています。

サトウと下川和男弁護士による授業風景ほかを、NPO法人「はたらぼ」の中嶌さんがヒャダインさんや吉本実憂さんと解説。

5月29日(木)19:25~、NHK・Eテレです。
(再放送は、6月3日(火)午前 0時25分~0時54分(月曜深夜))

さてさて、どう編集・コメントされているか、心配でもありますが。

とりあえず、予告編はこちらから。 http://www.nhk.or.jp/otona/

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ある日の出来事とオバチャンの一言

先日妻と東京の親戚の家に車で行った。行くときは高速道路が渋滞していたので、高速を途中で下りてナビを使って(妻の車。私の車にナビはついていない)一般道で行った。いつも行くルートとは違うがナビのいうとおりに行った。
用事を終えて帰り道、環状7号線に出れば道はわかるので、ナビは使わずに朝来た道をそのまま戻った。信号を右折したところで警察官に止められた。「なんでー?」と思いつつ言われるままにコンビニの駐車場に車を止めた。
「右折禁止の標識見えませんでした? あそこは六交路で、右折禁止なんですよ。すいません、免許証見せてもらえますか?」
「朝来た道を戻っただけなんですけど…」
「こちらから左折はできるんですけど、あちらから右折はできないんですよ」
しばらくして「交通反則告知書」を渡された。
「一週間以内にこの用紙を郵便局か銀行に持って行って反則金を払ってください。ゴールド免許なので、一年間違反がなければ、今日の点数は消えますから。どうかくれぐれも安全運転を続けてください」と丁寧に言われた。
低姿勢で丁寧な言い方に、「何でよりにもよってこんな所でこんなことで切符を切られなきゃならないんだ」というやり場のない憤慨も幾分か和らぎ、「まあっ、しょうがないか」とあきらめる気持ちになってきた。
コンビニに買い物に来ていて一部始終を見ていたオバチャンが帰り際にひとこと。「よかったねー、やさしいお巡りさんで」
「そうだよねー」と苦笑いしながら、オバチャンとおまわりさんに会釈をして駐車場を出た。さっきの何ともやり場のない憤慨はほぼ平常心に戻っていた。
新しい「感情の法則」を発見した。「感情は人の言葉とその受け止め方によって変化する」

礒山 馨@茨城

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大阪高生研ウイークリーレポート④ 全国フォーラムに参加してき ました。

こんばんは、首藤です。土日は久々に全国フォーラム(旧全国委員会)に参加してきました。前日から芝居見物やらなにやら遊び半分でしたが、土日はしっかり議論に参加してきました。次期事務局長を引き受ける身としては、いろいろ考えさせられるフォーラムでした。

全体の参加者は39名。入れ替わり立ち代わりでしたが、まあこんなもんでしょう
か・・・。土曜日はまず、各グループに分かれてお仕事。次に大会構想。20ページの第4次案を議論。大会グループの担当者、お疲れ様です。グループの熱意とご苦労がうかがえます。担当者曰く、「誰でもできるように形は整えられたらと思っている。あと2年は続けないといけない。」と覚悟の弁でした。

(中略)

2日目、 小玉(重夫・東大)さんの講演はおもしろかった。基調発題はかなり小玉カラーが出ることになるんだろうなあ・・・。「スクールカースト」とよばれるクラスの中あるいは学校の中の生徒の階層性を、生徒自身が自覚して「組みかえる」「はずす」「のりこえる」という「物語」・・・になるのか。

小玉さんは、「桐島、部活やめるってよ」「あまちゃん」のワンシーンをとりあげて、学校にある生徒の階層性をとりあげていたけど、そのシーンにからんでぼくが質問したくてしなかったこと「そこに教師の指導性はどうからんだのか」については関谷さんの実践から導きだされることを期待したい。

もうひとつの論点は「アマチュアリズム」。これだけ社会の問題が複雑化する中で、専門家でないアマチュアがどう政治的な判断を下せる市民として育ちうるのかという課題。小玉さんは「学力の市民化」と言ってたけど、ハンナ・アーレントの議論も引きながら、展開していた。難しい議論を井沼さんがうまくまとめたらしいけど、この時も僕は金勘定していて聞き逃す。でも、終始、ぼくは「スクールカーストってなんや?」「そんなん実践の焦点になるんかいな?」と思って聞いていた。ま、基調発題はおもしろそう。

(後略)

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細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)③

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。GW後半に梅雨入りしました。激しく降る日が多いので、
洗濯物もこの時期は部屋干しになります。雨&曇りの天気が来月中旬まで続いた後、夏に突入です。
気温自体も既に27℃になっているので、梅雨が明けたら今年も30℃の世界がやってきます。

さて、インド最初の夜のホテルの続き。ニューデリー市内のホテルへ到着。ここでの従業員さんも、迫力があるシーク教徒のおじさんでした。荷物を持って部屋まで案内されて、早速その場で「チップ!チップ」と要求されました。「ワンダラー!ワンダラー!」と言うので、チップにしては少し高くないか?と思いながらも迫力に負けてチップを払いました。タカシと荷ほどきをして、お互いに落ち着いた時には真夜中だったと思います。1月中旬だったので、インドでも真冬でした。暑いシャワーを浴びたいと思い浴室に入りましたが、お湯の出し方がわかりません。あの迫力ある従業員のおじさんを呼びたくなかったので、何とかお湯を出そうとしました。長い時間、タカシと挑戦しましたが、
どうしてもお湯が出ません。氷のように冷たい水でシャワーを浴びるのはさすがに無理なので、しょうがなくおじさんを呼びました。そのホテルでは、浴槽内のタンクにあるスイッチを入れて20分ほど待つとお湯が使えるしくみでした。説明を聞くと簡単ですが、初めての旅行者にはわかりずらい場所にスイッチがありました。説明を終えた後、おじさんはうれしそうに「チップ!チップ、ワンダラー!ワンダラー!」と手を伸ばしてきました。値切る元気もなく、チップを払いました。
30分ほど待った後、ようやく温かいお湯でシャワーを浴びた事を覚えています。
翌日はすぐにチェックアウトし(宿泊料がいくらだったか覚えてない)、タカシと市内をうろうろしながら別の宿を探しました。

さて、現地での金銭感覚について。インドの通貨はルピー・パイサ(100パイサ=1ルピー)です。
その当時のレートは1ルピー=4円でした。1ルピーで清涼飲料水(よく飲んだのは「ルミカ;レモネードソーダのような味」)が買えます。1本が1ルピーなので、日本円で大体100円くらいの価値です。食堂や屋台でよく食べたターリー(カリー+ナンあるいはライス+野菜のみじん切り+ダール【スープ】;)が2ルピーでした。
つまり4円でコーラ1本、8円で定食が食べられる、という感覚です。しかし、安いと思わずにあくまで現地の金銭感覚で考えた方がいいです。町中の食堂での給仕や駅、そして公園などでボロボロの服を着て、新聞などの売り子をしてる幼い子どもたち(5~10歳くらい)が沢山いました。彼らは一日16~17時間一生懸命働いて、日収が1ルピーという話を聞きました。彼らにとって、1ルピーはそれほどの価値がありました。一日一生懸命働いても、清涼飲料水を一本飲んでしまうとなくなります。定食を食べるには二日働かなくてはいけません。それを考えたら、1ルピーの重さが痛いほどわかりました。

ホテルでチップとして1ドル払いましたが、それは30ルピー(!)ほどの価値になります。極端に言うと、子どもたちの月収と同じくらいの金額です。初めての旅行で慣れてないというのもありましたが、チップの相場は1ルピー(高級ホテルでも5ルピーほど)だという事を後になって知りました。

さて、インドには5週間滞在しました。宿は基本的にはいきあたりばったりか、ガイドブックに載っていた所を探すようにしました。来月のブログは宿の事を中心に書きます。

(公園にて。子どもたちが「ジャパーニー!」と近寄ってきた)
(公園にて。子どもたちが「ジャパーニー!」と近寄ってきた)
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大阪高生研ウイークリーレポート③ 若手からの「軽~いレポート」

「軽~いものでいいいから、ときどきメールで送って」
 そんな依頼に、若手のKさんがときどきメールを送ってくれます。

 今週は「遠足編」。

◎◎◎

若手の軽~いつぶやき――初の遠足――

先日,1年生の春の遠足がありました.担任としての初めての遠足だったので,多くの不安がありましたが,大きな問題もなく,帰ってくることができました.

中でも,材料を生徒たち自身で用意をさせて行う昼食のときには,やはり「焼きそば」が多かったのですが,「餃子」や「焼きめし」や「マシュマロ」などもあり,見ていて飽きないメニューがいくつもありました.
また,買いすぎて食べきれないという班もたくさんありました.

集合に手間取る場面もありましたが,教室では見ることができない生徒たちの一面を垣間見ることができて,私にとっても楽しい遠足でした.
生徒たちにとっても,そうであればいいなと思っています.(K)

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生活習慣病は生活習慣を変えることから~糖尿病対策はダイエットにも有効~その3

3,まとめにかえて
 3ヶ月の生活習慣の改善を通して、私はいろいろなことを学んだ。まず、思ったことは
現代の日本人は食べ過ぎ、飲み過ぎの生活を無計画に続けているのではないかということだった。忙しくて、ご飯もゆっくり食べていられないと言って、かけ込むような食事をしている労働者や組合関係者も少なくない。茶碗にいっぱいに盛ったご飯の上に、油っぽいおかずを載せてご飯を食べる。私自身、カツ丼とラーメンを一緒に食べるような食事を続けてきたが、一定の年齢を過ぎるとあんな食生活では病気にならない方が不思議だ。
 そして、現在の国家予算に占める医療費は30兆円を超えて、3分の1が糖尿病の治療に使われているという報道があった。日本人一人ひとりの生活習慣を改善することは、国家的な問題でもあることがよく分かるようになった。世界的には、糖尿病患者が急増しているのがインドで、その原因はインド人が古来太っていることが金持ち・人格者の証明であると考えられてきたことと油ぽいものと甘いものを好んで食べてきたことにあるというような話を聞いた。現在、インドでは食事の改善が国家プロジェクトとして進められ、日本食が健康食として一つのブームになっているそうだ。
 それにしても、糖尿病などを「生活習慣病」と名付けた先人の知恵には驚くばかりだ。しかし、残念ながら、その知恵を理解している日本人は少ない。「生活習慣病は生活習慣に問題がある人がなるものだ。」と考えても、「生活習慣病は生活習慣を改善すれば治療が進む。」と考える人は少ない。生活習慣病の患者である多くの日本人は、「人から自分の生活の仕方について、何を食べるかどのように食べるかなどについてあれこれ言われる筋合いはない。それらは個人の自由である。」と考えている。
 しかし、これでは生活習慣病患者は増加するだけで、国家予算も破綻の危機に陥るだけである。そもそも、人間の身体は個人的なものだけではなく、社会的な価値を持った存在でもある。睡眠時間を削りながら仕事をしすぎて、精神疾患を患ってしまうのは当該職場の組織にも大きな問題であり、政府や行政機関、職場の管理職はそうした働き方をする労働者に有効な支援や規制をする必要がある。ブラック企業が労働者を使い捨てにするような働かせ方をするのは、社会的な労働力の使い捨てになるから問題になるのであり、政府の規制が入るのは健全な社会の構築のためには必要不可欠なことである。
 もちろん、こんな政治的・社会的観点から生活習慣病を大げさに考えなくても、ダイエットという個人的願望という観点からも生活習慣の改善は非常に効果的であることが私自身の経験から証明できた。3ヶ月で約10キロやせるなどというのはダイエット理論としては非常に優れたものである。また、この3ヶ月間の健康状態が非常によかったことも生活習慣の改善が多方面で効果的であることを明らかにした。そして何よりも私はこの3ヶ月間空腹を感じるような感覚は全く味わっていないばかりか、食事が楽しかった。
 しかし、「生活習慣を変える」ことの意義を、「生活習慣を変える必要がある」人に伝えることは非常に難しいと言わざるを得ない。人は貧しさの中で、科学的に物事を考えることを放棄してしまう。ジャーナリストの堤 未果が「ルポ貧困大国アメリカ」で、貧困層のアメリカの子どもたちがジャンクフードを食べ続けて肥満児になっていることを問題にしていたが、これはアメリカだけの問題ではない。日本の社会も貧困が拡大している。貧困の拡大の中では、労働者・国民の生活改善の道筋を見つけ出していくことは非常に難しい。私は記録マニアでもあるが、記録をしなければ生活の改善は前には進まない。しかし、記録は誰でもできることではない。生活に余裕のない人には考えられないことである。運動もしない、野菜は食べないという生活を続けながら高額のダイエット食品やサプリメントを買い続け、飲み続ける人たちには私の体験は伝わらないのか。
 しかし、民間や政府の取り組みも相まって、この20年間くらいで喫煙に関する日本人の考え方が激変したことを考えると国民一人ひとりの生活習慣の改善も全く不可能でないとも言える。そうしない限り、社会の健全な発展はあり得ないからである。学校教育の中で、「食育」の必要性が強調されてはいるが、国民的に教育内容を具体的に検討するまでには至っていない。高校教育の中でも、社会科学的な観点を重視した「家庭科教育」を通して生活習慣の改善の必要性を高校生に教えていく必要があるだろう。つまり、日本人の生活習慣の改善は、政府の労働者政策と教育政策の具体的な取り組みとして推進されなければならない問題である。
岡野 一男

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生活習慣病は生活習慣を変えることから~糖尿病対策はダイエットにも有効~その2

2,生活習慣を変えることから始めた
 病院から帰って、近くの書店で「ためしてガッテン 脱糖尿病の『超』常識」という雑誌を買ってきた。食事に関しては、カロリーではなく食事の順番を変える必要があるという指示があった。毎食、野菜を欠かさず食べ、その後に肉や魚を食べ、また野菜を食べる。そして、おかずを全て食べ終わった後で、ご飯を食べる。ご飯は沢山食べずに、お茶碗なら半膳にくらいにする。「炭水化物ダイエット」という言葉があるが、栄養指導の担当者からも炭水化物を減らすことが糖尿病にもダイエットにも効果的であると言われた。
 また、食事はゆっくり食べて、食事時間を長くすることが大切だ。別の雑誌「ためしてガッテン 科学の秘策で食べて、やせる」では、一口食べるごとに箸を置いてから、また一口食べることがよいという話が載っていた。さすがにこれは一度やってみたものの、継続することはできなかった。
 カスミなどのスーパーに行くと、きんぴらゴボウ・おから・ひじきの煮物・ほうれん草のごま和え・カボチャの煮物などの総菜類のおかずを売っている。それを、いくつか買ってきて少しづつ分けて食べるようにすると、野菜ものを毎食欠かさずに食べることができる。また、この機会にぬか漬けの樽をジョイフルホンダの食品売り場で買ってきて、野菜のぬか漬を自分で作るようにした。ぬか漬けは1日でおいしい漬け物が出来て、毎食欠かさず食べるようになった。最近では、コンビニでも一人分用のサラダ野菜や総菜ものが売っていて、野菜を食べることは簡単にできるようになっている。
 野菜に関しては、血糖値を下げるために「タマネギ」と「大豆」が最適の食材であることを新しく買った雑誌「いいこといっぱい 玉ねぎレシピ」「スローダイエット 楽々レシピ」「オレンジページ 野菜がたっぷり食べられる」等で読んだ。
 タマネギはタマネギを刻んで鰹節をふりかけて、醤油をかける。非常に簡単にできる野菜のおかずになる。タマネギと鶏肉の酢煮というのも簡単にできる。大豆は一晩水につけたものを、蒸かす。蒸かした大豆は栗のような味があって食べると非常に美味である。大豆を蒸かすときに、ゴボウやレンコンを一緒に蒸かして、それにオリーブ油とこしょうと塩をかけて混ぜると非常に美味な野菜のおかずになる。雑誌に限らず、ネットなどではこうした野菜のレシピが満載で、野菜をおいしく食べる情報は多様に流通している。
 昼食は以前は抜くこともあったが、店屋物を注文して食べるようにした。昼食を抜くと結果的に夕食を沢山食べることになってしまっていた。しかし、ご飯ものはやめて、麺ものは少なめにしてもらった。豆腐と椎茸のスープとシュウマイという組み合わせが栄養的にも非常に優れていて、よく頼んでいる。外食の場合、味付けが濃かったり、ご飯の量が多めになってしまう傾向があるので、昼食をどうするかはなかなか難しい問題である。
 また、食事の内容や量、食べる順番の他に気をつけたのは、酒を飲まないことである。宴会などでも「医者からドクターストップがかかってしまったんですよ。」と言うと誰も酒を飲むことを強制しない。ノンアルコール飲料も多様で、味も非常に工夫されている。教員になった30年数年前の「俺の酒が飲めないのか。」「俺は日頃のおまえの仕事ぶりが許せない。」「酒を飲まなければ、人間は本音で語れない。」というような言葉、怒号が飛び交った酒の席は、現在大きく変化している。
 また、糖尿病患者が自分が糖尿病であることを隠すようになると糖尿病は悪化する。糖尿病を改善するためには、患者自らが糖尿病であることを公言する必要があるというような話を聞いていたので、積極的に「糖尿病なんですよ。」と言うようにしている。実際の所、糖尿病は初期段階では自覚症状がない。この自覚症状がないことについて、Y先生も「血糖値が上がると気分が悪くなったりすればいいんですが、そうならないから悪くなっていることが自覚できないんです。」と言っていた。そして、自覚症状があるのは、かなり重傷化した時である。つまり、生活習慣病患者は初期段階で糖尿病であることを公にして、周りの人の協力を求めながら自らの生活習慣を改善する必要がある。
 飲酒に関しては、私にとっては酒の量が多くなること以上に、酒を飲むことで食事の量が多くなることが一番の問題であった。私の周りでも何も食べずに酒だけを飲み続ける人もいるが、私は飲み続け、食べ続けの状態を継続させていた。私はまんじゅうを食べながら日本酒を飲み続けることができる特異体質で、飲んだ後でラーメンを食べて、ビールを飲むような生活が最高の幸せだった。つまり、私にとって酒をやめることは食事の量を減らすことであった。
 万歩計を使って散歩をしていたこともあったが、最近は万歩計をなくして、目標を決めての散歩をしていなかった。病院から帰って早速万歩計を購入して、早朝に犬の散歩も始めた。1日1万キロを目標に、毎朝5時過ぎに起きて歩くようにした。朝、7000歩以上を歩くと学校での生活で1万歩を超える。
 そして、生活を改善するために食事の記録をきちんとつけることにした。体重だけは5年以上記録をしている。エクセルで表をつくり、食事の内容と万歩計の数字、体重を記録(別表)した。記録をすることで、変化を毎日確認することになり、生活習慣改善のモチベーションが高まった。
10月31日に95キロあった体重は、1ヶ月後の11月23日には91.3キロになり、3ヶ月後には86.2キロになった。約10キロの減量が実現した。そして、血糖値は169から101になり、HbA1Cは8.8から6.1になった。11月28日の栄養指導では、正確な記録と数値の減少に栄養指導の担当者が驚いていた。Y先生が言っていた「食事の記録」は1日分の記録で、1か月間の正確な記録ではなかったようだ。1月23日の第2回目の栄養指導では、「これ以上の指導は必要ないですね。」と担当者が宣言した。
岡野 一男
<続きは明日>

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生活習慣病は生活習慣を変えることから~糖尿病対策はダイエットにも有効~その1

1、はじめに
 私は現在56歳である。約13年前に高血圧の治療を始め、以来2ヶ月に1回通院を続けている。高血圧は母親の持病で、母親は64歳で亡くなり、母親の兄妹たちも高血圧で2人死亡している。
 私自身、40歳を越えた頃に、肩こりで首が回らなくなったことがあった。車の運転で左右の確認をしようとしても、首を回すことができなかった。痛みはやがて激痛に変わった。湿布薬などを貼ったものの、いっこうに痛みは改善しなかった。その頃の体重は100キロを超え、不規則な食事と飲酒がその原因であった。
 実家の近所に住む中学時代の同級生の女性がくも膜下出血で死んだことをきっかけに、医者に行ったところ、「高血圧を治療しなければいつ倒れてもおかしくない。」と言われた。高血圧の薬を処方してもらい、薬を飲んだところ、張りつめていたものが身体からスウッと抜けていくような感覚があった。不思議なことに、高血圧の治療薬を服用するようになって肩の痛みを感じることはなくなった。
引っ越しをした関係もあって10年前に通院する病院を変えた。新しい病院では、最初に血液検査と尿検査があり、7,8年前から高血圧の他に高脂血症であることが判明して、食事と運動不足に注意するように言われるようになった。また、3,4年前に「糖尿病の予備群です。」という診断が下った。
 そして、昨年(2013年)の10月31日のことである。前回夏に検査したときの血糖値が110から169に変化し、HbA1cの値7.1が8.8に跳ね上がっていた。いつもは優しい口調のY先生は、「この前、食事と運動不足を改善してくださいと言ったはずです。あなたも努力しますと言いましたよね。しかし、何もしなかったからこういう結果が出ているのです。HbA1cの値が改善されずにひどくなるようでしたら入院していただくことになります。」と言い、「次回の診察は2ヶ月後ではなく、1ヶ月後の11月28日にします。」と言い切った。そして、「血液検査の後に、栄養指導をしてもらいますから、食事の記録を持ってきてください。」という言葉が加わった。
 10月31日以前の食事は、朝食抜きでダイエットをめざしていたものの、夕方には缶ビールや缶チューハイを飲んで、酒の肴を食べ続けていた。帰宅途中では、いつもコンビニによって、おにぎりとサンドイッチを買って食べていた。野菜類はほとんど口にすることはなかった。犬の散歩は続けていたが、朝10分くらい歩いただけだった。万歩計をなくしたこともあって、記録を取ることを止めていた。体重は95~96キロを維持して、ダイエットをしていたつもりだったのにいっこうに体重は下がらなかった。 

岡野 一男

<続きは明後日>

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大阪高生研ウイークリーレポート② 「近畿ブロックゼミ2014in大阪」の報告を、ここで。

2013年度も終わりが近づいた3月2日、大阪大学にて近畿ブロックゼミナールが開催されました。今年は大阪が主になって開催をし、私も新事務局長として企画・運営に携わりました。

今回の近ブロのテーマは「授業祭り!!~魅せましょう!授業の底ヂカラを!!~」ということで、ズバリ「授業」に力を入れました。その甲斐もあってか、当日は78名の参加があり、なんと初参加の方が33名という盛況ぶりでした。この背景には、「授業」というもの若手に限らず多くの教師にとって向き合わなければならない問題であり、「少しでもよい授業がしたい」という思いがあるのではないかと感じさせられました。また、大阪や京都、滋賀だけでなく、和歌山や福井、岐阜、沖縄からも参加者がおり、遠くからもたくさんの参加があったことは非常にうれしいことでした。

 当日のラインナップは詫磨先生による「文化祭みて歩き」ビデオの上映&解説、「国・社・数・理・英」5教科の分科会。午後からは実践検討会が3分科会あり、そして全体会形式での授業分科会のふりかえりと交流ということで一つひとつの内容が濃いものでした。これまでも「英語」や「国語」といった特定の教科に絞って授業講座はしてきましたが、今回は5教科全部でやるという方針を立て、なおかつ「生徒がおもしろいと感じる授業」と銘打ったことは、参加する側にとっても興味を引くものであっただろうし、運営側とっても本気で人が集まるような企画にしなければと襟を正して臨めたのだと思います。そのような姿勢で臨むことができたからこそ、1週間前までは20名程度しか参加者集約ができていなかった状況から、事
局のメンバーがそれぞれのつながりを生かして声かけをすることで、結果として目標の70名を超えて、大盛況といえる78名の方の参加を呼びこめたのだと思います。

 また、今回の近ブロを通じて他教科の授業講座に出る楽しみを発見したり、一回限りの「授業祭り」ではなく「Part2をぜひ開催したい」という思いを持つことができたということは、意義深かったと言えるではないでしょうか。だからこそ、今回の「大盛況」を一回限りで終わらせてしまうのではなく、次回以降も継続して参加したくなる企画を考えていくことで、若手も増えていけばいいなぁと思いました。

(三木啓司。「早蕨」4月号より。http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/

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教師ゆめ会報告

こんにちは、つくばの小柴です。
今年は中3の担任をしています。出産育児後6年ぶり二度目の担任です。
4月スタートの忙しさを何とか乗り切ってのGWで、だいぶほっとしています。
楽しく明るく過ごしてきたつもりでも、無意識に緊張しているものですね。

さて、4月27日(日)につくばの茗溪学園で教師ゆめ会がありました。
3名の方の授業や学校に関するミニ報告があった後、つくば大会の打ち合わせをしました。
最初の報告の中に、「弱音をはける職員室」というお話がありました。
4月を思い返すと、私は6年もいるので上手くやらなければと気負っていたように思います。
幸い、学年の先生方はちょっとしたことでも情報交換をすることが習慣になっているので、不安を小さいうちに解消できていたと思いますが。

高生研では、自分のいる学校では発言できないこと、例えば「あの先生のやり方はあれでいいのか」「学校の経営は間違っている」「退学していったあの生徒、何とかできなかったのか」などのモヤモヤをぶつけることができ、また似た事例からヒントをもらうことが多くあります。
つくば大会でも、そのようなモヤモヤを持つ多くの若い教師の方々と一緒に学びあいたいと思っています。
ですが、高生研を見渡すと、ベテランばかり(失礼!)
つくば大会には、ぜひ周りの若い教師の方にも声をかけていただきたいと思います。
2日目の昼休みには、筑波山のむこうにある八郷(やさと)という地域の百姓の人たちがかき氷や加工品の販売をします。自作の歌や昔話も披露してもらう予定です。
つくばの風を感じていただけるよう、精一杯おもてなしさせていただきます。
お楽しみに!

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大阪高生研ウイークリーレポート① 迫る、「史上最強の遠足」

大阪高生研ブログ管理人・サトウです。

 待ってました、応援ブログ開設。
 大阪からも、「ウイークリーレポート」と称して、大阪ブログ抜粋を送らせていただきます。

大阪高生研ブログ http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/

 まずは、いよいよ明日に迫った「史上最強の遠足」。
 毎年この時期に、数々の「自分たちも楽しめる(一番楽しんでる?)遠足ねたの開発に励み、今年で5年目。

 今年は京都に行きます。

<以下>

みなさん、こんにちは。大阪高生研の首藤です。

4月27日(日)「史上最強の遠足」が1週間後に迫りました。午前の「ミッション!遠足ネタを探せ!in京都」に続いて午後は「戦時中の体験を聞くat立命館大学国際平和ミュージアム」です。戦時中の体験・平和講座(14:00~質疑含めて60分を予定)は、「萱草の花野の果てに ~ある少年農学校徒の満州での戦争体験~」。講師は同館ガイドを務められているMさん(京都市在住 85歳)です。大阪高生研会員のTさんよりMさんの経歴を送っていただきました。一部を紹介いたします。

Mさん:1945年4月、東京農業大学専門部農業拓殖科に入学。ただちに満州の東京農大湖北農場(中国黒竜江省虎林県)へ学生勤労報告隊の一因として開拓実習に赴く。4月でも北満は凍土。やがて凍土が溶けて低地は水浸しとなり、蒙古風が吹き荒れて夏が来る頃まで、完達山脈の山裾から低地に広がる原野の開拓は重労働だった。

絶対的な食糧難、不衛生な宿舎、職員・学生は次々にアメーバー赤痢にかかる。それでも丹精込めた農場の作物は育ち、収穫期を迎えた8月9日、満州は戦場となった・・・・。1946年8月、ようやく引き揚げ船に乗り舞鶴に入港、帰国。しかし、96人の農学徒農地58人が北満の地に埋もれた・・・。

現在は、立命館大学国際平和ミュージアムのボランティア・ガイドを会館以来20年にわたって務める。」「私は、あの戦争を語るのは生き残った者のつとめであり、負い目であると思う」これをガイドの心情として、来館する各学校の平和講話でもこの体験を話している。「八月九日以降のわれらに暦なし」「少年の屍に花紅き野萱草」「流星や友置き去りしわれを責む」「西日あび鬼の目のわれ母へ帰る」(Mさんの句集「紅い花」より)
「絶望的な逃避行」「ソ連軍の空襲と略奪」「難民収容所での極限の体験」「慰霊の旅」等々。当日ぜひ詳しくお話を伺いたいと思います。

平和講座後、ガイドボランティアのみなさんに案内いただいて館内を見学します。
(16時半終了予定)午後からのみの参加もOKです。ぜひご参加ください。参加ご希望の方は、至急ご連絡ください。

集合は、JR京都駅 中央口(0番ホームに面した)改札を出て右に歩いたところ

さてさて、今や、大阪高生研の春の吉例行事となった「史上最強の遠足」。第5弾は京都で敢行!!

午前中はグループ行動。与えられたミッションをやり遂げながら京都の魅力を満喫しつつ、その魅力を遠足ネタに仕込んだ遠足を考えます。どんなミッションが与えられるかはお楽しみ。 午後は2時に立命館大学国際平 和ミュージアムに集合。戦時中の体験を伺い、質疑応答の後、館内を見学します。戦争体験の風化が危惧される中、戦争と平和をどう語り継いでいくか、考えたいと思います。というわけで、硬軟とりあわせた魅力的な大人(?)の遠足です。ぜひご参加ください。

★日時:2014年4月27日(日)9:30
JR京都駅 中央口(0番ホームに面した)改札を出て右に歩いたところ、
みどりの窓口と日本旅行の前付近集合

★ 「ミッション!遠足ネタを探せ!in京都」& 「戦時中の体験を聞くat立命館国際平和ミュージアム」

 グループ分け:4~6人のグループに分かれます。与えられたミッション(お題)を完遂すべく京都市内を探索。 ミッションは当日のお楽しみ・・・。スマホやi-padなどネット環境 は必携か!?。 いやいや・・・そんなのなくても口と目と耳とガイドブックさえあればなんとでも!?お昼ご飯もミッションのうち!? 京都と言えばやっぱり〇〇は欠かせない・・・!?

13:50 立命館大学国際平和ミュージアムに集合  京都市北区等持院北町56-1            最寄バス停:「立命館大学前」「わら天神」 TEL. 075-465-8151

14:00 会議室でガイドの方から戦時中のお話を伺います(満州・引き揚げの体験談を予定) 16:30 終了  市バス等で移動  

17:30 懇親会 (四条河原町を予定)

★主催:大阪高生研(大阪高校生活指導研究協議会) ブログ:大阪高生研で検索   参加費:実費  お申込み・問い合わせ:首藤広道 shutti21@yahoo.co.jp (数名なら、まだイケます)

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「細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)」②

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。心地よいポカポカ陽気が続いています。新年度が始まりました。4月7日の始業式・入学式・新入生オリエンテーション・LHR、翌日からの通常授業、そして最初の土曜日には全学年の必修模試!とタイトなスケジュールで生徒たちは(特に新入生)大変だったと思いますが、同じように先生たち(特に新任職員)もかなりパタパタしていました。僕自身も新しい部署での仕事と、新しい教科書の教材研究でかなり忙しいです。

さて、インド旅行紀の続き。深夜12時近いインディラガンディ国際空港ロビー。窓の外から伸びるゾンビのような「無数の手」と叫び声とは…….
「おい!おまえ!こっちへ来い! いいホテルがあるぞ!」「いや、こっちの方がいいホテルだ!こっちへ来い!」(実際は英語。「Hey you, come here! Good hotel!」という感じ。イギリスの植民地だったので英語を話す人がけっこういた。)という何十人もの客引きの叫び声でした。その当時のインドでは、航空券を持ってないと空港の建物には入れませんでした。でも、客引きのおじさんたちは稼ぐためには夜中だろうと外国人観光客をホテルへ呼びこむのに必死に働かなくてはならなかったのです。知り合いが経営しているホテルや宿に観光客を連れてくるとリベートがもらえるそうで、なりふり構わず窓の外から手を伸ばして旅行者を捕まえようとします。初めての海外旅行で見た強烈な光景でした。うっかり窓の近くによろうものなら、それこそゾンビ映画のように捕獲されて食われてしまうんじゃないかと思ってしまいました。沖縄を出発する前は「インドに行ってくるぜ!」と少しカッコつけていましたが、実際に着いてみると、「海外に来てしまった」と初めて不安になりました。

貧乏旅行で行こうと決めていたのでホテルの予約は全くせず、さらに空港から出たとしてもどこに向かえばいいのか全然あてもありませんでした。今になって考えると、本当に無謀だったなあと思います。「客引きゾンビの手」から離れ、少し心が落ち着いたところで今夜の宿をどうしようか考えました。すると、日本人らしき男性が二人、ウロウロしているのを見つけました。彼らはどちらも眼鏡をかけ、スリッパを履いていました。思い切って話しかけてみると、京都からやってきた大学生タカシと大阪からやって来たヒロシでした。彼らも海外旅行は初めてで、なんと二人とも外国語は全く話せないと事!度胸あるなあと感じました。彼らも宿を決めてなかったので、取りあえず僕を含めた三人でしばらく一緒に行動することにしました。インフォメーションのごついおじさん(シーク教徒だったのでターバンを巻いていた)にホテルを紹介してもらい、そこへ向かうためのタクシーも手配してもらいました。空港の外へ出て、どうやって「客引きゾンビの手」から逃れたのか覚えてません。記憶があるのは、タクシーで夜道を走っている時に「牛が多いなあ..」という事でした。ヒンズーの教えで牛は聖なる動物なので、牛さんたちが道路を占拠していても彼ら(彼女ら?)を無理矢理どかす事はできません。車の方がよけなければなりません。いろんな牛(標準体型?もいればガリガリにやせた牛も)が道路やそこら中にたくさん寝ていて、そのたびにタクシーが速度を落としてよけていたのを覚えています。真夜中、外国の暗い道中でのタクシー。このまま三人とも人気のない場所に連れていかれ、身ぐるみはがされてしまうんじゃないか…….と考えた事も覚えています。
 やけに長い間、タクシー乗っていたような気がしますが、なんとかホテルに着きました。

  ようやくリラックスできてぐっすり眠れるかと思いきや…………..(続きは次回)

インド2.fw
(独立記念日の人集り)
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青森からこんにちは

20142~1

皆さん、こんにちは。

青森高生研の吉田です。

北国青森もようやく雪が融け春になりました。

桜はこれからゴールデンウイークにかけて

2月に行われた青森高生研冬の集会&東北ブロックゼミは大学生がたくさん参加

4月から教壇に立つ大学4年生も参加してくれました。

若者の元気で前向きな発言で仕事に疲れた私たちに勇気とやる気をもらいました。

私は2年目の進路指導部長です。進学校で280名のうち半分以上が国公立大学に合格しました。

真の学びについて。高校で学ぶべきものはなにか。

高生研で学んできたこと。高生研で出会った仲間とのつながりを大切に

今年1年間頑張ろうと思います。

8月 つくばでお会いしましょう。

青森高生研 吉田 雅浩

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「細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)」①

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。新任校での慌ただしい年度が終わりに近づき、すこし落ち着いたところで次年度に向けての準備をやっているところです。今日の最高気温は24℃。かなり暖かくなってきました。去年の京都大会は二日間しか参加出来なかったので、今年の筑波大会は三日間フルで参加するつもりです。

さて、今年の応援ブログは、僕がこれまでに訪れた外国旅行紀を載せようと考えてます。
初めての外国としてインドへ行ったのを皮切りに、これまでハワイ・グアム等を旅行しました。
そして、生徒たちの研修の引率として先週まで二週間イギリスにいました。今年の応援ブログは、
そのシーズン1としてインド旅行紀を綴りたいと思います(インド以外の国は来年以降の予定?)。

20年ほど前の話です。大学を一年間休学して海外旅行をしようと思いたちました。。当時は学費のために大学の講義後にバイトをしていましたが、休学して朝からそのバイトをして学費と旅費を貯めてからインドへ行こうと決めました。「なんで休学してまで行くの?卒業してからでも行けるでしょ?」と両親は猛反対。僕は「卒業してしまうと、自由になる時間は少なくなる。今行くしかない!」と反対を押し切り休学手続きをしました。強引でした。約10ヶ月バイトし、学費とインドへの旅費を貯めてインドへ出発する事になりました。一月中旬、真冬でした。

その当時、沖縄からインドへは直行便がなく(今でもないかも)、関西国際空港もない時代でした。まずは那覇空港から伊丹空港へ飛び、そこから香港経由でインドの首都ニューデリーへと飛びました。
飛行機はエアインディアで、壁紙はターバンを着た男性のデザイン。機内食もノンベジ・ベジが選べて「おお~、インドだなあ!」とうれしくなりました。また当時は機内席で喫煙OKの時代で(学生の頃、僕はタバコ吸ってました)、隣に座った男性に「May I smoke?」と確認してタバコに火をつけました。その男性は(たぶんヨーロッパ系)は「Yes, off course.」と答え、映画でよく出てくる手持ちの小さな金属製ボトルでウィスキーをグビッと飲み始めました。インドまで13時間(それくらいかかったと思います)、その男性とおしゃべりしたり、機内のスクリーンで映画を見たり、機内食を味わったりしながら過ごしました。

さて、IGIA(インディラガンディインターナショナルエアポート!長い。)に到着。24時間体制の空港なので、着いたのは夜11時半ころだったと思います。「おお~、インドだなあ!」と、また思いました。実際にインドに行ったことがある人はわかると思いますが、まず「空気」が違います。
うまく表現出来ないけど、呼吸すると明らかに「空気」が違います。その違いを体感してみたい人は、実際に訪れてみて下さい、としか言えません。

 補足説明。「貧乏旅行」をイメージしていたので、ホテル等の予約は一切してませんでした。インドへ来る前に購入したのは往復の航空券と米ドルだけでした。英語が多少話せるとはいえ、海外旅行は初体験。スーツケースがターンテーブルへ現れるまで少し不安でしたが、キチンと出てきました。
入国審査の係員は多少インドなまりの強い英語(かなり『巻き舌』の発音。後ほど詳しく説明します)で少し聞き取りずらかったものの、何とか審査をクリア。さて、到着ロビーへ。

その時すでに深夜12近く。夜の空港だから、出迎える人はほとんどいないだろうと思ったら……..
なんと到着ロビーでは、ゾンビのような多くの「無数の手」が叫び声と一緒に開いている窓から一斉に伸びていました!

(独立記念日のパレードにて)
(独立記念日のパレードにて)

「何!? あれ!?」と思てビビってしまいました 

さて、その「無数の手」と叫び声とは…….(続きは次回)

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第51回大会を振り返って

 第51回大会を振り返って、開催地京都が担った仕事を挙げてみますと、会場決定・会場校との折衝・交流会会場の確保・教委への後援申請・大会事前申し込み受け付けと参加者名簿の整理・大会会計・受付関連物作成と業務・封筒作成・しおり作成・名札作成・弁当手配と配布・オープニング行事の企画準備から運営まで・全生研とのコラボ企画の発案内容決定から運営まで・開催地企画交流会の開催・学生ボランティア募集と統括・学生独自企画の発案と協力援助・さらに大会3日間の運営面にかかわる人の配置計画・張り紙の一部・そして、ごみの分別管理と処理でした。開催地スタッフは女性7名男性3名―20代から50代までの異年齢グループでした。
 大会後、あるメンバーから「仕事も分科会参加も両方できて、とても達成感がある。」という声がありました。「楽しかった!」という声も。一昨年、旧高生研書記局から「京都で2013年度大会を引き受けていただけないか」と要請を受けた際には、「開催地の仕事としては、会場を押さえてもらうだけでいい。その他はすべて大会グループでやりますから。」ということでした。ところが、京都のグル―プに集まってくださったメンバーが「自分にできること」を一つ一つ引き受けてくださった結果、上記に紹介したような多くの内容を開催地で担うことになったのでした。もちろん「楽しかった」だけではなくて、私たちみんな、多かれ少なかれ”無理“をしながら大会終了を迎えましたが、「達成感」が共有されたのは間違いありません。<田中容子>

 学生・高校生STAFFが開催地メンバーに入ることが決まってから、私の意識は、「最後の最後の瞬間まで、私のする『仕事』は教育活動である」に集約されていました。自分の勤務校でしているのと同じく、学生・高校生にとってどんな学びの機会を提供できる京都大会開催になるのか、という意味です。そして、プロセスとゴールを私なりには緻密に考え行動していました。ゴールには「『未来』を見せることができる場」を思い描いていました。「未来」とは「希望」「期待」「明日」のようなイメージです。
 参加者組織と運営実務とは、「魅せる場の演出」「出会いのコーディネート」「『役者』に揃ってもらう」そんなことの繰り返しで、時に思わぬ方から救われピンチを乗り切ったり、ぬか喜びだとわかって凹んだり、道のりは決して平坦ではありませんでした。大会直前になっても参加者数の伸びがゆっくりだったこと、「組織の再編」の結果、「グループ型」での活動では一人のグループ員が複数のグループ員を兼務していたり事務局メンバーであるため同じ人に同じ時期に負担が重なること、顔を合わせての会議の設定には財政的にも制約があり、新しいメンバーがいても周辺会話の生まれにくい環境が残っていたこと、物理的距離もあり結局作業を一人で完結しなければならないため、ぬかったことが生じたり……従来の常任委員会体制に比べ、全体を俯瞰したり、時に非情に思われても厳しくチェックしたりする機能を担う部署がないのではないかと思うこともしばしばで、当事者性を不安に感じたり焦りもしました。
 そういうとき私が胸に刻んでいたのは、以前、生徒といっしょに進行していたプロジェクトの最終局面で物理的な危機が起こり、私が無茶を承知で動こうとした時、Kくんが言った「俺らを信じて待つ、それがヤスコの仕事」という言葉でした。やることをやってそれでも起こることについての身の処し方を、18歳から教わった瞬間でした。
 学生スタッフ(特に私の勤務校出身者)と私とのやりとりを見聞きして驚かれた方もおられるかと思うので、この場を借りて解説させてください。私は元来「さん」「くん」づけで生徒を呼ぶ教員生活を送ってきました。ところが、この2年余りで、学校には違いないけれど、教師―生徒というよりチームのような関係でいくつかの教育改革を生徒集団と教員集団でやってきました。もちろん、私は教師で、生徒は生徒なのですが、私は彼らを、彼ら同士が呼び合っているフルネームやニックネーム、姓・名の呼び捨てで呼び、彼らは私を「ヤスコ」とか「ヤスコさん」と呼ぶように変化してきました。お互いの立場・責任範囲は異なるけれど、「固有名詞の関係」といいますか、そのほうが自然になっていったのです。慣れあいや乱暴さを感じた参加者もおられたかもしれません。でも、今、彼らと私との関係ではフォーマルな場面では、私は生徒を「さん」「くん」付け・生徒は「キシダ先生」で、「インフォーマル」だとあのような感じになっています。これがどうなのかについては、まだこれからやってみて、マズければ修正して……を繰り返して探していきます。
 話を元に戻して……新高生研になっての初の大会を京都でとの要請があったときには、全生研とのコラボによる近ブロ「教育ゼミナール」が200名の参加で盛況に終わった直後だったこともあり、夢をいっぱいもらったような気分でいましたが、「全体で200名、京都で60名以上」という参加目標を達成することがどれほどのことだったのか、もちろん数には内容とそれまでの活動の充実が必須なのですが、東京大会以降自分のやったこと・やれなかったこと・やらなかったことについて、少し時間をいただき丁寧に自分の総括をしたいと考えています。
0807 そして最後に、「『未来』を見せる」というゴールは達成できたのか? 私の答えはNot yetです。そもそも「『未来』を見せる」とか言ってる時点で、自分がおこがましくて今は恥ずかしいです。一番近くで私の無茶・無理な行動(ご存知の方には、いつものことですが……)を黙って見ていたTによると、「『未来』は見せられなかったかもしれないけれど、『現実』は彼らは見てたんじゃないかな?」と。学校の先生たちが裏でこんなふうに学んでいるんだとか、授業や行事や生徒へのかかわりはこんなふうに巧まれていたのだとか、それでも、教師も人間なんだ、とか。高生研を立ち上げられたT先生によると、「この3日間での学生の変化が、定着すれば本物なんだけどね」とも。
 これでほんとに最後です。長文になってすみません。トートバッグ、ご購入ありがとうございました! ぜひ、ご自分のためだけでなく、使ってください。あれを持つことや介在させることで、高生研や教育に関わる全てのひと同士のかかわりが広がっていってほしい、という生徒の願いを表したものです。サークル開催や会員増でなくても、持つこともひとつの広め方。「容れもの」であるバッグにしたのも、あの色や形にデザインしたのも生徒のコンセプトによります。
 ちなみに版はTャツや他の物への転用など、高生研がいつでも使えるようになっています。
 これからです!<岸田康子>