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東と西のはざまで3

いよいよ、明日から全国大会である。

こ のブログも今日が最終回ということで、自ら選んだとはいえプレッシャーがかかる。担当者からも心配していただき、痛み入る。「東と西のはざま」ということ で3回連続の最終話は、私が今年4月から「東住吉高校」に転勤したことから東西南北のつく学校名をあげて話を構成しようと思っていたが、1話、2話よりさ らにどうでもよい話で、ブログ最終回には到底ふさわしくない。よって、この話は今後どうでもよいときのネタにとっておくことにする。では、いまからの話はどうでもよくない話かというとそうでもないが、まあ、高生研のことについて書く。

みなさんは、高生研がリニュアルしてからの大会や基調や機関誌に、なにがしかの違和感を抱いたことはなかっただろうか?“違和感”というと語弊があるのでもっとフィットした言い方があるかもしれないが、そ れまでの高生研にはなかった、あるいはあったが顕著でなかった、または何かの陰に隠れていた、そんなもの。その感覚は12月の「なめ教」分析で一層強まっ た。この感覚をいまは言語化することはできない。ただ単に思いすごしなのか、はたまた高生研の新たなストリームを創っていくものなのか。そんな思いで臨む 全国大会、懐かしい顔との再会と新たな出会いに期待する。では、全国大会でお会いしましょう。

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会員通信グループよりお詫びとお知らせ

日頃は、会員通信に様々な情報や原稿をお寄せ下さり、ありがとうございます。

さて。
先日、会員の皆様にお送りしました高生研全国通信175号ですが、表紙と巻頭特集「いま、熊本から伝えたいこと」が、通信グループの不手際ですっかり抜け落ちていました。
会員の皆様には、未完成の通信を届けることになり、大変ご迷惑をおかけしました。また、大災害直後にもかかわらず原稿依頼を引き受けていただき、現地から魂のこもった原稿を送っていただいた熊本高生研の皆様、執筆者の方々には、大変失礼なことをしてしまいました。
伏してお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
この特集「いま、熊本から伝えたいこと」では、「被災した時だからこそ、例会を開いて情報共有しよう」という呼びかけのもと集まった例会の様子や、高生研メンバーのそれぞれの学校の様子、そこでの創意あふれる取組などが記されています。 ピンチの時こそ生活指導教師の力が発揮される事を教えてくれます。
特集原稿を落としておきながら、恥を忍んで言います。ぜひ、全国の先生方に知ってもらいたい内容なのです。

そこで、
未送の原稿部分については全国大会にて全員に配付します。大会未参加の会員の皆様には、大会議案書と一緒に郵送させていただこうと思います。
また、東京大会では、「熊本の経験に学ぶ」(仮)の交流会を準備中です。特集記事だけではわからない熊本のナマの声をぜひ聞いてください。

それでは大会でお会いしましょう。
 

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高校生活指導202号ができました!

                     編集長・絹村俊明
 全国大会に先立って、8月上旬、高校生活指導202号が皆さんのお手元にお届けできることになりました。
 今号の第1特集は、「性の多様性と学校教育」。2015年4月、文科省から教育委員会等に「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」という通知が出され、本年4月には、その手引書のようなもの(「周知資料」)も公表されました。また、電通の最新調査によれば、8%がLGBTなどの性的マイノリティーであるという結果が出ています。
 男女2分法、スクールジェンダーに縛られている現在の学校は、多様な性を生きる生徒たちにとって大変生きづらいものとなっています。発達障害の生徒と同様、性の多様性を学ぶことは、どんな生徒にとっても生きやすい学校や社会つくるために不可欠なもののはずです。本特集は、性の多様性を学ぶことがどういう教育的な意味を持つのかを探り、性の多様性にかかわる教育実践の方向性を指し示すものとなっています。
 性の多様性にかかわる実践を集めることは困難を極めました。今の教育現場の実態を物語っていると思われます。そういう意味でも掲載された実践は、最前線で「苦闘」されている大変貴重なものであると思います。当事者からの、これまた大変貴重な報告・論文を掲載することができ、特集に厚みができました。今回、編集にご協力いただいた、渡辺さん(埼玉大)、松尾さん(静岡大)の論文も大変読みごたえがあります。
 第2特集は、「教育における政治的中立性とは」を提起するものです。これは、201号に続く第2弾です。先の参議院選ではじめて18歳選挙権が実現されました。今、私たちは、「政治教育」をどうのようにとらえ、そして実践していくのかが問われています。とりわけ各地で「紛争化」する気配もある「教育における政治的中立性」にかかわる問題について、実践を通して検証する企画となりました。実践は、模擬授業の首藤さん、生徒会実践の酒田さんというお馴染みのべテラン実践者に加え、今年の全国大会の一般分科会で報告する和光高校の橋本さんの授業実践が掲載されています。これらの実践を、三重の岡村さんが「教育における政治的中立性とは」を切り口にして分析しています。この岡村分析論文は、あいまいな「教育における政治的中立性」という問題を、「あいまいさ」を「引き受ける」ということも含みつつ、かなりクリアに整理した論文として際立ったものだと思われます。是非、岡村さんの提起に学びながら、教員への「思想弾圧」的状況に対抗していければと思います。
 最後になりましたが、この時期の高校生活指導といえば、当年度の全国大会の基調発題が、全国大会より一足早く読める号だということを忘れてはいけません。今年は、沖縄の伊藤香織さんの「封じ込められたことばを解き放つー小さな私が大きな世界と語るためにー」。沖縄の思いがぐんぐん伝わってくると同時に、そういう思いを表出する「ことば」を教育実践の中でどう紡いでいくかを学び合う基調発題になっています。機関誌の紙数の関係で、本番(大会紀要)よりも若干ダイジェスト的にはなっていますが、事前にお読みになって全国大会にご参加されると、討論に参加しやすいかと思います。
お楽しみに!

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問題別分科会2PR「実践分析をより確かなものもとするために」

久田晴生

私には、多くのテレビ番組を予約録画して夜中こっそり一人で鑑賞するという、暗い趣味があります。その中で今一番興味を持っている番組が『総合診療医・ドクターG』です。総合診療医が実際に出会った症例を、NHKが再現ドラマ化し、3名の研修医がそれを見て病名を突き止めるという科学教養番組です。医師が患者や家族から聞き出したこと、患者のちょっとした症状、バイタルデータといったものをもとにして病気の真の原因にたどり着くさまは、まるで推理ドラマを見ているようです。
 いきなり何故こんなことを書いたかというと、この番組を見るたびに、高生研大会での実践分析に共通するものを感じるからです。
 研修医たちは、再現ドラマの中で出てくる症例を説明しようと、かれの持つ膨大な知識から病名を選び取っていきます。それに対して総合診療医は、「このような高熱が出るのはなぜ?」「その前兆はなかったか」「手足の脱力が意味しているものは何?」等々、研修医がその病名を上げるに至った根拠とその是非を問うていきます。そして、症例を矛盾なく説明できた時、答にたどり着き、最後にその患者へのケアを考えます。

 私たちが教育実践を分析するときも同様です。「なぜA君は担任の指示を無視したのか」「彼がそのような行動を取るようになるまでに何があったのか」「彼が急に怒り出したのは何を意味しているのか」…
 かれら研修医と同様に、私たちも教育の場で日々問が突きつけられているのです。
 今大会の問題別分科会「実践分析…」を設定したのは、私たちが「分析」の根拠にしているものを、あらためて考えてみたいと思ったからです。
 医師たちは、膨大な科学的知見を根拠に症例を分析していきます。「教育では、医学のように原因と結果が直結するとは限らない」という反論があろうかと思いますが、それでもなお「分析の根拠となるものがあるはずだ。単なる経験から分析しているのではないはず。」と、私は考えるのです。

 これまでこのブログで高生研の意義について述べてきました。それをざっとまとめると、1つは自助グループとしての意義、2つは実践を出し合い聞き合うことであらたな実践へつなげていくという意義です。しかしここまでなら、他の民間教育団体、多くの民主的な運動を進めている団体にも当てはまることです。
 そしてもう1つの意義、それこそが高生研を高生研たらしめているものと思っています。それが、私たちが分析の根拠にしているものにあると、私は考えているのです。
 問題別分科会で議論しましょう。

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くまモンが来る!

大阪・サトウです。
いよいよ大会が近づいてきましたね。

さて、前回もお知らせした、勤務校の生徒が言い出しっぺで行う「熊本応援プロジェクト」。
大会前日の8月5日(金)に大阪で行います。

全容が固まってきましたので、お知らせさせてください。

大阪の高校生たちがたまたま行かせていただいた熊本。
その2週間後に地震が襲いました。

あのときに仲良くなった菊池高校生を今度は大阪にお招きし、実情を大阪の人たちに伝え、寄付を募って熊本に送る。
地元の区役所や商店街が後援してくれることになり、熊本高生研Yさん(商業科教員)につないでもらって映画会や物販も行います。

くまモンの来阪も決定しました。

高校生たち、クラスではあまり人に話しかけるのも苦手なメンバーたちですが、集まってわいのわいの。今日は区役所、今日は商店街、今日は熊本県大阪事務所、と、あちこちにコンタクトを取り、訪問するようになりました。

ネックは、500人ほど入る会場にどれだけ人を呼べるかということ。
ポスター貼ったりいろんなつながりたどったり、と、彼らなりに必死に宣伝しています。

どうぞ東京大会への途中下車で、お時間あれば高校生交流もみに来てやってくださいね。

<以下、彼女らがつくった「企画書」です>

タイトル:YELL〜おおさかからくまもとへ~

大阪府立旭高校生有志「熊本応援プロジェクト」
共催 旭区青少年育成推進会議
後援 千林商店街振興組合
協力 大阪府立旭高校生徒会
    熊本県立菊池高校「菊池川流域プロジェクト」実行委員会

問い合わせ先:旭区役所市民協働課(TEL06-6957-9734)

・趣旨
 映画上映、物産展、募金活動を通じて熊本にエールを届ける。

・活動経緯
 この企画に参加している一部の旭高校有志メンバーは以前より旭LINE同盟として大人を対象にLINEについての説明会を行っており、その企画で3月末に熊本に行く機会があり、そこで熊本県立菊池高校とのつながりができました。その約二週間後の4月14日に熊本震災が発生したときに菊池高校と連絡を取り合い、被災地の状況を知りました。そこで私たちにしかできない大阪から熊本への支援はないかと考えた結果、今回の企画を立案しました。

・活動目的
 今回の物産展での収益並びに募金の一部はプロジェクトの資金として使い、残りの全額を熊本に送ることで、少しでも熊本の復興の助力になればと思っています。

・日程
8月5日(金)

・場所
旭区民センター大ホール
千林商店会/千林ふれあい館
   ※事前申し込み不要、入場料無料

・準備物
プロジェクター、マイク、映画のDVD、募金箱、
熊本の特産物、ポスター、チラシ など

・企画内容
Ⅰ熊本物産展&募金
千林商店街内の千林ふれあい館で、熊本の特産物の販売と募金活動を行います。
10:00〜15:00

Ⅱ映画&トークショー
1,全編震災前の熊本県内で熊本出身の監督・俳優たちで撮影された映画「うつくしいひと」(行定勲監督・橋本愛・姜尚中・高良健吾 ほか出演)を2度上映します。
2,菊池高校・旭高校両校によるトークショーや、菊池高校の生徒が被災地へ行き、取材してきてくれたときの写真・映像を見ながら被災地の現状について伝えてもらいます。
3,震災前と震災後の熊本の写真を見比べ、熊本震災がどれほど大きな被害をもたらしたのかについて知ってもらうスライドショーを流します。(仮)
15:00〜      開場
15:30〜16:10    映画①
16:30〜18:00    熊本と大阪の高校生によるトークショーなど
18:30〜19:10    映画②
    ※映画の内容は①②とも同じ

・備考
熊本の特産品物販については菊池市の「七城メロンドーム」ほかと交渉中。
内容Ⅱ2の映像制作中。内容Ⅱ3は仮決定なので変更する可能性あり
当日のボランティア募集(旭高校生徒会が募集協力)
上映会の受付に募金箱設置予定
8月2日の千林商店街まつりでも、宣伝、募金活動を行う。

さてさて、どうなることやら。

この日のもようは、ぜひ、東京できいてくださいね。

(サトウ@おおさか)

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問題別分科会3PR 「『 みんなの学校』から学ぶこと 」であるべき学校を社会を語り合いましょう!

絹村俊明
  大阪市立大空小学校は、「自分がされていやなこと、言われていやなことは、人にしない、言わない」というたった一つのきまりと、「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念のもと、障害のある子もない子もすべての子どもが、いっしょに同じ教室で学び合い、育ち合う「みんなの学校」です。教職員だけでなく保護者や地域の人たちも「サポーター」として教育活動に参加しています。この大空小学校の実践は、ドキュメンタリーとして2013年にテレビ放映され数々の賞を受賞し、2015年2月から映画が全国で公開されています。、
 この分科会では、実際のドキュメンタリー映像を視聴した後、3人の問題提起者が、①インクルーシブ教育への希望、②ケアにかかわる権利、③「みんなの学校」と育ち合うおとな、という3つの角度から「みんなの学校」の意味することに迫ります。そして、それを受けた参加者の討論で提起内容を深めていきます。
 「みんなの学校」が指し示す「あるべき学校」「あるべき社会」の姿について、参加者みんなで語り合いたい、それがこの分科会の主眼です。是非多くの方々のご参加をお待ちしています。

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問題別分科会5PR「ホンマにできるの? 今までもやってる!? 主権者教育~生徒が主権者に育つ授業・生活指導の道筋を探る~」

 参議院選挙が終わりました。注目された18歳選挙権ですが、選挙デビューの若者は18歳が51・17%、19歳が39・66%で、18歳と19歳を合わせた投票率は45・45%だったと言います(総務省調査速報値・読売新聞)。この間、多くの学校で旺盛に主権者教育がとりくまれました。元より選挙にまつわる教育が主権者教育のすべてではありませんが、今回の参議院選挙が主権者教育の絶好の機会であったことは間違いありません。全体の投票率が54%程度だったので、微妙な数字というところでしょう・・・。
 さて、問題別分科会の「5.ホンマにできるの? 今までもやってる!? 主権者教育~生徒が主権者に育つ授業・生活指導の道筋を探る~」は、各学校でとりくまれた主権者教育の事例をもとに、主権者教育の意義と課題を考えます。懸念されるのは、「18歳選挙権バブル」が終わるだろうということ。潮が引いたように生徒も教師も関心がうすれていく一方で、日本社会がかかえる矛盾は深化していくのではない
か・・・。そのギャップが怖いところです。一時的なブームで終わらせることなく、18歳の若者が市民・主権者として育っていくためにはどんなとりくみが必要なのか、みなさん、ご一緒に考えましょう。ゲストは、総務省・文科省「副教材」の執筆協力者で若者の政治参加の活動をすすめてきた原田謙介さん(NPO法人YouthCreate代表理事)。報告者には同じく副教材執筆協力者で公民科教育のエキスパート杉浦真理さん
(立命館宇治高校)。他に大阪の実践も紹介して、主権者教育を考えます。
ぜひご参加ください。

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閉塞した高校教育に風穴をあける >問題別分科会1PR 「18歳選挙権から学力の市民化を問う~「学力幻想」を超えて~」

 私たちは、学力をつけることが、自動的に、市民を育て、生徒のためになると思い込んでいたのではないだろうか?教師は、真理のエージェント(代理人)であって、真理をわかりやすく伝えることができれば、生徒は、自然と、市民に育ってくれるという幻想にとらわれてこなかったか?そしてそのような考え方は、過度の受験競争への暗黙の肯定、消極的容認を生み出し、市民を育てる意識的な教育を衰退させてはこなかったか?
 提起者の小玉重夫氏(東京大学)は、18歳選挙権をめぐってマスコミでもしばしばコメントが求められている論者である。氏の提起をもとに、そのような幻想に私たちがとらわれてしまったのはなぜか?そのような幻想が生み出された、歴史的背景を確認していきたい。
 また18歳選挙権時代にふさわしい学力のあり方として、小玉氏は、学力の市民化を提唱する。学力の市民化とは、たとえば、教師が真理のエージェントではなくパブリックな市民社会のコーディネーター(媒介者)となることであり、また、生徒が、民主主義の実践に絶えずさらされることであり、また学力を個人の資質と考えるのではなく関係性を含んだ概念として考えることであり、そのようなものとして学力を数値化し可視化することであり、教室や学校を論争的な対話空間に組み替えていくことであるという。
 これらの提起を受けて、授業や自治活動、高校教育の在り方について考え、閉塞した高校教育に風穴をあける道筋についてリアルに考えていきたい。(藤本幹人)

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最後の最後までクオリティを上げよう

 沖縄高生研の照屋です。慌ただしかった1学期もようやく終わり、今週から学校は夏休みに入ります。ただし、同時に夏季講座も始まります。午前中の4コマだけですが、前期二週間、二週間の休みをはさんで後期二週間という日程です。実質的に完全な休みは二週間程度なので、生徒たちはもちろんですが、僕ら教員も「夏休み」というよりは、「夏季講座の間に休みがある」という感じです。1学期終業式の後、早速三者面談も始まります。早朝の講座をこなした後、16時過ぎまで三者面談が続くので、担任は大変です。
 さて、6月19(日)・20(月)でのうちのクラスの劇の話。うちの生徒たちはK(台本・舞台監督・演技指導ほぼ全ての面で関わっていた)を中心に劇を完成させようと奮闘していました。しかし、前日の音響業者との打ち合わせやリハーサルではあまりうまくいかず、また衣装も完成していませんでした。文化際前日、下校時間ギリギリまで話し合いをしたり衣装や各道具を作っていましたが、完成出来ずに不安を残したままみんな帰宅しました。当日の朝6:30、衣装作成メンバーと役者が5名登校し、家庭科被服室でミシンを使いながら衣装を作り始めました。うちのクラスの初日の出番が最初(オープニングで10:30開演)だったので、朝から衣装を作る必要があったからです。和やかな雰囲気の中、1時間ほどでようやく全ての衣装が完成しました。準備は整いました。あとは本番を全力で演じるだけです。さて、8:50の開会式は体育館ですが…..衣装作成のTが、「先生、Kがまだ来てない!」、僕「えぇ!?」彼女が来ないと、かなり困る事になります。急な発熱か、
 それとも力尽きたのか,,,,,,,もし休んだらどうしようか,,,,考えていたら、開会式開始直前で、ダッシュで体育館に入ってきました。よかった。さて、いよいよ本番。体育館には三分の二ほどの観客が入ってました。みんなで円陣を組んで気合い!の後、幕が上がりました。いくつかの場面で、役者のセリフ抜けや音響のタイミングがずれる等のトラブルはありましたが、完成度は高かったと思います。一回目の終了後、中心メンバーが集まって本番での映像を確認し、うまくいった所や改善すべき所を話し合いました。生徒たちはそれぞれ文化祭を楽しみながらも、各班で衣装作り。照明・音響の再打ち合わせ・脚本の手直し等、翌日の公演に向けて作業を始めました。結局、その日も下校時間ギリギリまで作業や話し合いが続いていました。二日目の公演。一日目に比べてミスもほとんどなく、クォリティも高まった劇になりました。みんなをまとめ、時には嫌われ役になったKにもようやく笑顔が見られ、友達と文化祭を楽しんでいました。生徒たちはもちろん、僕自身にとっても、色んな事を学べた文化祭でした。それでは来月、全国大会で会いましょう。

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学校に居場所がないと訴える生徒たちにどのように向き合い、実践を紡いでいくか 一般分科会7HRに「居場所がない生徒たちにどうかかわるか」PR

 新任の太田さんが初めて担任となった2年A組。
 1年生の時には「厳しくしつけてきた」ため「お利口」な学年だと自信をもっている持ち上がりの同僚教員。けれども実際は……

「学校へ行きたくない」、「学校をやめたい」、と訴える生徒たち。
 そんな生徒たちとの出会い、対話を通じて太田さんは「学校に居場所がない……」という問題意識を持つようになり、本報告へと結びつきます。
 居場所がないため退学を検討するそれぞれの生徒たちの生き方とどのように向き合い、実践を紡いでいくかを検討することは、まさに生活指導の探求と言えるでしょう。

(上森 さくら)

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一般分科会6PR HR「1年生と目指した公的な空間のあるクラスづくり」       

「民主的な人格を育てる」ことを教育目標とし、自治活動を育てている校風がある高校。クラス替えは三年間なく、担任だけが毎年替わる高校の1年生担任のクラスづくり。体育祭、クラス合宿、文化祭などの行事を通して生徒の「個々の力量」を基礎としない「集団づくり(生徒の自治活動)に関わる実践。私たち大人でも組織論や役割・立場論の前に、「人の力量」にゆだねる自治論が根強い中で、そうではなく、集団的な動きになるための、視点(日程や決め方、新しい組織的な動き方)を積極的に提案している。必ず双方的な視点で、誰が悪い・出来ていないという総括にはさせず、どちらにも必ずや引き取るべき総括があるという様なことばを、先生の問いかけの中で、気付かせ・自覚化させる。そういう総括が、クラスのものになることに努力されている。公的な空間を作るための担任の関わりについて、深く学び合いたいものです。

青森高生研

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一般分科会2PR「生徒会『2/3の生徒会』」で、生徒会自治づくりを学ぼう!

                                  絹村俊明
 分科会タイトルを見て、「2/3」って何だろうと思う方もいらっしゃるかもしれません。その意味は分科会に参加していただければわかるとして、この分科会は、現在、生徒会顧問をやっていたり、これからやる予定である方々はもとより、生徒会指導に少しでも興味がある方にとって、生徒会自治活動づくりについて基本的なことから学べる場になると思います。
 実践者である安藤さんの学校は、生徒会規約に生徒総会が位置づいていない、生徒総会という言葉が文面としても載っていない、いわば「生徒総会のない学校」です。生徒総会がないということは、本来、直接民主制であるはずの生徒会に最高決議機関がない、ということですから、どんな生徒会自治なのか、学校・教職員と生徒の関係はどうなっているのか、は容易に想像がつきます。実は、生徒総会が規約にはあっても実質開催されていない学校も含めれば、こういう学校は全国的には少なくないのかもしれません。
 安藤さんは、そういう学校の生徒会顧問となり、生徒会執行部に生徒会の活動が「見える」ようになるための実務を教え、体育祭や文化祭の改革を地道にすすめながら、ついに生徒総会開催に行き着きます。
「主権者教育」が叫ばれる昨今、生徒会の自治的活動も主権者を育む教育活動として意味づけなおされつつあります。政治教育としての生徒会指導の重要性は今後も注目されていくでしょう。
 安藤さんが目指している「生徒による、生徒自治、学校自治への政治的参加」はどのように実現できるのか、その可能性を実践分析の討論の中でいっしょに探り合おうではありませんか。多くの方々のご参加をお待ちしています。

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おすすめ分科会PR一般分科会5「生徒会、県を動かし、水飲み場を増設!」

タイトルを見るだけでは、何か大掛かりな取り組みのように思われるが、一貫していたことは「生徒会活性化」の一言である。しかも、それに向けた指導の一つひとつは文化祭アート、生徒会通信の工夫、生徒総会の討論の組織・・・おそらく多くの先生方も個別には取り組んだことがあるものでしょう。しかし、それを生徒が自治を学ぶ(教育としての自治)上での積み上げが行政を動かしうる極めて妥当な要 求をまとめ、その仲介の労を校長が買って出るに至ったのである。つまり、「教育としての自治」から実際の「住民自治」(行政を動かす)は思いのほか近いと言える。この取り組みはまだ「道半ば」であり今後の展開を議論する中で、参加者の現場における「高校の生徒」から行政を動かす「地域の住民」(市民)になりゆく道(経験)を見通せる分科会になるのではないかと自負するところである。(運営担当:北海道高生研 井上大樹/札幌学院大学)
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一般分科会7PR「HRに居場所がない生徒たちにどうかかわるか」

「クラッシュしても壊れない関係を読み解く、つくる、発展させる」

物語や文脈を持たずに生きているように見える現代人。しかし、そこには、読み解くべき物語や文脈があると考える。それは人間関係が衝突するときにこそ、鮮明に見えてくるものである。その現象は学校現場ではより凝縮されて見えてくるものかもしれない。映画「クラッシュ」をヒントに教師と生徒、生徒と生徒の衝突を書き綴った内容です。実践と呼べるような中核になるテーマや活動があるわけではありませんが、3人の生徒との衝突や関わりをもとに、どんな物語が浮かび上がるのか読み解いていきたいです。私自身、経験が浅く、生徒のどのような思いや願い、関係が埋まっていたのか読み解けていない部分があると思います。ぜひ、みなさんのご経験やお知恵をお借りし、分析していきたいと考えています。よろしくお願いします。

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問題別分科会4「この国の人びとに 私は 何を問いたいのか」PR

高生研全国大会史上初!?沖縄からきた大学生3人によるレポート報告!数々の実践を積み上げ、つい先日沖縄で行われた県民大会で知名度も全国レベルになりつつある玉城愛をはじめ、同じ大学に通う4年生の真鍋詩苑、3年生の小波津義嵩も共同でレポートを作成。日ごろの活動で地元紙にしばしば取り上げられ、またSNS等でも発信しているため、「実践は立派!」そういう声は聞こえてきそう・・・
しかし今回は、なぜ私たちが立ち上がったのか、行動をし続けることができたパワーの源は何だったのか、当時の気持ちや考えたことをリアルに書き起こした。高生研のメインテーマである、「18歳を市民に」。ちょうど18歳の頃から今に至るまでの記録、そして3人の各々が書いた、今感じている「大切な価値」。ここから、「18歳を市民」にする上でのヒントを何か与えられるかもしれない。
この報告会では、参加者との議論を重視!今、この国に住む人々が一度は考えなければならない問題、そして学校という場所で出来ること、必要なことをまず学生の3人が提言する。
そしてそれを踏まえて、日本、世界にまで通用する大切な価値とは何か、私たちが日常からできることは何か、その他にもいろいろ、大いに議論しましょう!!

あなたの見解がこの分科会をつくります。一緒に幸せになるために、参加してみませんか?

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一般第4分科会PR「平和教育への意志を育てる歴史教育」

 第4分科会の橋本実践の魅力は、羨ましいほど豊富な体験学習の数々です。
「戦争と史跡」という授業なのですが、おそらく学校設定科目なのでしょう。かなり自由、縛られていない、創意工夫が生きている。
メインはフィールドワーク実践です。弾薬庫跡、防空壕跡、東京大空襲・戦災資料センター、WAM(女たちの戦争と平和資料館)、陸軍登戸研究所平和資料館など、さまざまな場所に見学に出かけていきます。第5福竜丸の乗組員の方の話を聞く、という実践もある。
そして何といっても、この授業では、3泊4日の長崎研修旅行まで行っているところがすごい。選択授業で研修旅行ができるのですね。研修旅行では、原爆資料館や岡まさはる平和資料館、軍艦島、長崎歴史文化博物館を見学し、反核署名に取り組む現地の高校生たちと交流し、街頭インタビューなどの能動的な活動も行っている。一冊の本にまとめられるくらいの豊富さです。企画・準備も大変そうですが・・・。
レポートでは、紙面の制約上のためか、残念ながら、見学した日付と場所の羅列になってしまっているのですが、1つひとつの見学地とその体験がそれぞれ内容豊かなものだったことは想像できます。分科会では、もう少し聞きこんで、深めていきたいです。
実は、橋本実践で訪れた平和資料館や戦跡をネットで調べてみました。戦争・空襲に巻き込まれた庶民の視点から戦争に迫ろうとするもの、女性視点から従軍慰安婦問題を取り上げるもの、科学研究と戦争とのつながりを考えさせるもの、日本の加害責任を追及しようるするものなど、それぞれの切り口やアプローチがあり、大変興味深く面白い(intersting)ものでした。一年間を通した授業なので、複数の場所や人びとに会っていますし、つまり戦争や平和を複数の視点から考える機会になっているですね。
もし、この分科会に参加しようと決めているのでしたら、事前にネットで調べておくと面白いですよ。
分科会では、橋本さんのフィールドワーク実践の可能性を議論したいと思います。
あと、橋本実践を成り立たせている思想性、つまり「歴史教育と政治教育に通底するもの」として教師の立場性についても議論したいと思っています。
では、大会当日にお待ちしております。

運営担当 岡村昭弘 

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東と西のはざま2

 今日、7月5日は父の誕生日である。生きていると満92歳だった。父の姓は「黒松」といって、私も大学までは「黒松」姓を名乗っていた。色のつく姓はそれほど多くないと思われるが、村上春樹の小説「色彩を持たない…」にはやたらと出てきて興ざめる。週刊誌にいいように私生活を暴露された乙武洋匡の「だいじょうぶ3組」に出てくる先生の名前もみんな色つきだが、こっちは意図を感じて気にならない。教師をしていると、生徒を含めたくさんの人に出会うが、色のつく姓にはあんまり出会ったことがない。白石・黒田・赤松・青野・黄瀬・紺田・茶田・桃井…だんだん苦しくなってくる。ちょっと珍しい「黒松」から、母の実家の姓である「西村」になったときにはたいへん戸惑った。自分と同じ名前がごろごろしていたからだ。うちの実家は東大阪の「中野」という村の「西」のはずれ。道を隔てた向こうは隣村「横枕」だ。
 さて、本題。「西村」は多いのに「東村」はなぜ少ないのか?私の実践を佐藤さんがアレンジした事例に「凡男の、ぼくはおめでとうとは言わない」というのがあって、そこに出てくる主人公「凡男」の姓が「西村」をもじった「東村」なのだが、どう考えても「東村」はおかしいやろ!いままで生きてきて、「東村」さんに会ったことが一度もない。まあ、日本人の姓は大変多いので、この国のどこかには「東村」さんがいらっしゃるのだろうが…。「東田」はまあまあ多いけど、ぜったい「西田」の方が多い。「東川」もあるが、ぜったい「西川」のほうが多い。あと、「東山」と「西山」、「東本」と「西本」、「東尾」と「西尾」など、どれをとっても圧倒的に「西」に軍配が上がる。ただ、単独で「東」と「西」を比べると「あずま」発音を含めたら「東」の方が多いかもしれない。この「西」に偏った姓の分布は「北」と「南」にも言えることで、圧倒的に「北」の勝ちとなる。どうしてそうなるのか、探偵ナイトスクープに投稿したら、カンニング竹山あたりが面白おかしく調べてくれて、「アホ・バカ分布図」のように有名になるかもしれないが、私の中では答えはもう決まっている。「ひがし」や「みなみ」の後に「むら」なんかを付けると言いにくくてしょうがないでしょ?!

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◇「進学校」の教育にもメスを入れないとこの国の未来は暗い~一般分科会1「教育相談 『相談室からみえること』」PR(運営担当の一人・西村)

 高生研でも、その他の教育研究集会でも、「進学校」の教育実践のレポートをあまり見ません。しかし、近頃ますます高校現場は、「進路保障」=「出口」の指導を最重点にしているように思えます。「生徒のため」という印籠のもとに、どんどん引っ張っていくのは、どうなのでしょうか? 受験優先の教育は、本当に「生徒のため」なのでしょうか?

 数年前、「受験プレッシャー」に耐えきれず、心身に変調を来し、休学を余儀なくされた生徒がいました。その生徒の両親は、そんなに「受験、受験」という人ではなかったようです。その学校は、0時間目から授業をし(1日7時間)、模擬試験の回数も多く、夏休みもお盆前後の1週間を除いて(希望制の)進学補習があり、1年生は夏休み最初に4泊5日の(全員参加の)合宿補習があるという、「受験体制」の学校です。
 青年期という、人生で一番多感な時期に「受験一色」の高校生活を送らせて良いはずがないと思います。自分のこと、友人のこと、社会のこと、そしてもちろん政治のことも考える余裕を「進学校」の生徒にも持ってほしいと思っています。
 ところが、生徒数が減少しているにもかかわらず、「進学体制」が弱まったという声を聞きません。強固に見える「進学体制」は、一人の教員の力では、どうしようもないように思えます。そんななかで、大木聡子さんのレポートは、「息苦しい進学体制」に風穴を開けるヒントを与えてくれます。保健室や相談室は、学校内で、生徒の本音が聞ける、生徒が弱音を吐ける、数少ない場所ではないでしょうか。報告の中には、発達障害をはじめ「生きづらさ」を抱えた生徒が進学体制の中でもがく現実、そして、そのような子どもたちの視点から、学校のあり方を少しずつ問い直し共有していく過程が描かれています。
 「この学校だから当たり前?」「何か変だな」「どうしたら良いのだろう」と思っている人にとっては、大いに示唆に富む報告です。もちろん、「進学校」以外に勤務している人も大歓迎です。
 一般分科会1は、1日(7時間)かけて大木さんのレポートを分析します。こんな研究会は他にはありません。これが、高生研の魅力だと思います。大木さんのレポートを分析しながら、参加者の悩みも出せるような、そんな分科会になればいいなと思っています。「進学校の当たり前」を突く、みなさんの意見をお待ちしています。

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一般分科会3PR 「HR作りから政治教育を考えよう」(運営担当の一人・塚本)

 今年の全国大会には、静岡高生研から2名のレポーターが登場します! 一人は一般分科会1の大木さん、もう一人が一般分科会3の中村さんです。
 中村さんが静岡高生研の例会に来るようになったのは、まだ数年前のことです。大木さんのように、高生研に長く関わってきた方ではありません。産休・育休などを経て、子育てが落ち着いてから、改めて生活指導やHRづくりについて学びたいと例会に来てくれたのでした。今の勤務校でも図書課長と兼任で、自ら希望してHR担任をされています。
 中村さんがレポートを書いて、例会で発表するようになったのは3年前くらいだと思います。参加者が鋭く突っ込んだり、聞き込んだりすると、「ああそうだったのか」と深くうなずく中村さんの姿をよく見ました。「この時生徒はなんて言っていましたか」という例会での質問に答えられない時などは、その後学校で生徒にその時のことを振り返って聞きただしていました。
 また、年度途中からでも生徒にSHRの司会・連絡をさせるようになったり、班長によるドラフト制での班替えを実施したりします。こういった、どん欲な「学びたい」という姿勢に、私たちも学ばされます。
 中村さんは静岡県中部で、平和運動をする市民団体の主要メンバーとしてここ10年活躍されてもいます。静かな方ですが、芯は熱い方です。
 ぜひ、この分科会に来てください。一見ごく普通に見えるHR実践ですが、参加者が豊かに学び合えることは間違いありません。

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第2回例会を開いて

 2カ月に一回くらいのペースで例会を開こうということで、6月25日、第2回愛知岐阜合同例会を行いました。参加者の平均年齢は、久田を除くと、何と28才。私が高生研に顔を出し始めた頃を思い出してしまいました。
 テーマは特に決めておらず、参加者がレポートを持ち寄ったり、口頭で報告したりするのですが、今回はなぜか「不登校」に話題が集中しました。(前回は「特別支援教育」)。話題が集中するということは、同じようなことが各学校で起きていて、何とかしたいと皆さん考えているということでしょう。そのような問題が例会を通して浮かび上がってくるところに、例会の意義があるんですね。今更ながら、思いました。
 詳細は省きますが、話し合ったことをまとめると、およそ次の通りです。
・ 生徒に対して、時間をかける。
・ 本人が思っていることを聞く。
・ 背景に目をむける。
・ 生徒の変化をフィードバックすることで生徒本人が気づく。
・ 不登校の問題について、生徒がクラスの現状を考えて、生徒たちができることを考える。
・ この場で出された問題に対して、対策がなかなか思いつかない。具体的な対応の仕方を学んでいきたい。

 皆さんの地域でも例会をやりましょう。
第3回愛知岐阜合同例会は8月20日(土)1時半~、名古屋市南生涯学習センター(JR笠寺から徒歩7分。ガイシホールのすぐ北)で行います。時間がとれるようでしたら来て下さい。