高生研でも、その他の教育研究集会でも、「進学校」の教育実践のレポートをあまり見ません。しかし、近頃ますます高校現場は、「進路保障」=「出口」の指導を最重点にしているように思えます。「生徒のため」という印籠のもとに、どんどん引っ張っていくのは、どうなのでしょうか? 受験優先の教育は、本当に「生徒のため」なのでしょうか?
数年前、「受験プレッシャー」に耐えきれず、心身に変調を来し、休学を余儀なくされた生徒がいました。その生徒の両親は、そんなに「受験、受験」という人ではなかったようです。その学校は、0時間目から授業をし(1日7時間)、模擬試験の回数も多く、夏休みもお盆前後の1週間を除いて(希望制の)進学補習があり、1年生は夏休み最初に4泊5日の(全員参加の)合宿補習があるという、「受験体制」の学校です。
青年期という、人生で一番多感な時期に「受験一色」の高校生活を送らせて良いはずがないと思います。自分のこと、友人のこと、社会のこと、そしてもちろん政治のことも考える余裕を「進学校」の生徒にも持ってほしいと思っています。
ところが、生徒数が減少しているにもかかわらず、「進学体制」が弱まったという声を聞きません。強固に見える「進学体制」は、一人の教員の力では、どうしようもないように思えます。そんななかで、大木聡子さんのレポートは、「息苦しい進学体制」に風穴を開けるヒントを与えてくれます。保健室や相談室は、学校内で、生徒の本音が聞ける、生徒が弱音を吐ける、数少ない場所ではないでしょうか。報告の中には、発達障害をはじめ「生きづらさ」を抱えた生徒が進学体制の中でもがく現実、そして、そのような子どもたちの視点から、学校のあり方を少しずつ問い直し共有していく過程が描かれています。
「この学校だから当たり前?」「何か変だな」「どうしたら良いのだろう」と思っている人にとっては、大いに示唆に富む報告です。もちろん、「進学校」以外に勤務している人も大歓迎です。
一般分科会1は、1日(7時間)かけて大木さんのレポートを分析します。こんな研究会は他にはありません。これが、高生研の魅力だと思います。大木さんのレポートを分析しながら、参加者の悩みも出せるような、そんな分科会になればいいなと思っています。「進学校の当たり前」を突く、みなさんの意見をお待ちしています。