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高生研はこんなところ~個性・絆・ぬくもり~

北海道高生研の井上です。 もともとは社会教育・子育て支援論の研究者なのですが、縁あって1月から北海道高生研の事務局長をつとめることになりました。 よろしくお願いいたします。
私が全国高生研の会員になったのが群馬大会の時ですので、はや10年になります。
高生研では、生徒の発達や自立(直近の進路も含めて)の問題に常に深い次元で向き合う先生に数多く出会い、「教師」の仕事の奥深さを私に教えてくれました。
現在、いくつかの大学・専門学校で非常勤講師をしておりますが、いろいろな学生に出会う中で、現在の青年期を生きる「しんどさ」の一方で自立への切なる願いを秘めていることによりそった学びを追求できているのも、私自身ここで学んできたことが活かされています。
高生研の会議では若手・ベテラン関係なく、とにかく個々の価値観のぶつかり合いが激しく、正直なかなかついていけない時期もありました。しかし、それは今の日本社会で忘れ去られようとしている「深い」絆をつくろうとする人間のあたりまえの営みであり、そこには「ぬくもり」があります。写真は、先日の会議の席で私の遅まきの就職祝いに頂いた花束です。
高生研はそんな個性あふれる高校教師や様々な関係者の集まりです。個性的な教師に出会った分だけ、教育への視野、子ども・若者の理解、楽しい懇親会による体の横幅、いずれも「広がる」こと間違いなしです。

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新高生研に願う・その1…単行本を出そう

 名古屋の久田です。
 1月28日の仮事務局会議に参加して痛切に感じたことがあります。それはIさんが
新高生研機関誌の打合せに行った時の報告です。Iさんを初めとした編集グループの皆
さんの熱意はもとより、発行を引き受けていただいたK社の皆さんの熱意をヒシヒシと
感じたのです。「3000部売れる本を作る」という言葉を聞いて、これまで我々がやって
きたことは自己満足に過ぎなかったのではないか。きっと全国には、私たちからのメッ
セージを待っている人たちがいるはず。その人たちにメッセージを届ける努力をしてき
たのだろうか、と感じたのです。「3000部」という言葉には経営サイドからすれば「儲
け」が含まれているのは当然ですが、同時に、「メッセージを届ける」という意味があ
ることを改めて認識しました。(Kさん作成の新高生研リーフレットはまさに「メッセ
ージを届ける」ですね)
 帰りの新幹線の中で、Tさん、Kさんと話していてふと思いつきました。それは「機
関誌と並行して、3000部以上売れる単行本を作る」です。なぜそんなことを言うのかと
いうと、機関誌は理論研究の側面があるし、継続的に発行するために一定のスタイルと
いうものがあると思います。そのため、新規に購読者を獲得するというは、そうそう簡
単なことではないでしょう。しかし、単行本ならその時々の情勢に合わせてズバリ切り
込めるものができるのでは、と考えたからです。そして、単行本を手に取った人が「う
ん、こんなことを言っている団体って一体どんなとこ?」と興味を示したらしめたもの
。単行本を経由して、機関誌を知り、高生研を知る、そんなルートを夢見たわけです。
 とすれば、その単行本は「会員用」では意味がない。これまで高生研の“こ”の字も
知らない人が、本屋さんでふと手に取って、読んでみようと思うものにする。従って、
我々の実践をベースにしつつ、難しい言い回しや用語は使わない、題名もいささか人目
をひくようなものにする。(「さらに深く読みたい方は『高校生活指導-18才を市民に
』をどうぞ」と薦める)
 たとえば、『フツーの子がセンター試験で90点とった!-S高校英語科の奇跡』(こ
れまでしばしば報告されてきたTさんの授業実践。これにはTさんに「書けるかも」)
とか、『体罰やめますか、それとも教師やめますか』(体罰経験のある会員の懺悔と、
それを克服していった記録。もちろんゼロトレランス批判を込めて)とか…、『先生の
ワザ・特集編』もよいかと思います。
 「“新高生研”って何が新しくなるんだろう?」私はこの間、会議のあるたびに言っ
てきました。議論をすればするほど、現高生研とあまり変わらないものになりそう、そ
んな危惧を抱いてきていて、常に「何が変わるのか」を意識する必要があると思ったか
らです。勿論、新しければ良いわけではないし、古ければ悪いわけでもありませんが、
「このままじゃじり貧だよ、思い切って新しくしようよって」のが、“新高生研”へ向
けてのコンセプトだったと思います。
 今回、私からの「思い切って新しく」は、「高生研の“こ”の字も知らない人がふと
手に取るような単行本づくり」でした。
久田晴生

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「ドイツ反原発運動小史」

東京の上條です。
東京大会実行委員長ということになっていますが、これは、ほら、あれです、草野球で打撃も守備も下手なやつは仕方ないから監督にしておく、でも誰も言うことは聞かないというお決まりのパターンです。実権は事務局長船橋さんにあります。また有能な常任委員会をはじめとするみなさんがてきぱきと大会の準備をすすめて下さっています。みなさんぜひ来てくださいね。
物理に携わっているので、原発と放射線のいろいろな問題を追及したり議論したり教えたりしています。学校で放射線のシンチレーションカウンターを2台買ってもらって、生徒も一緒に測定したり、さまざまな実験をはじめています。まわりの放射線を遮蔽するのが測定には重要なので、鉛のブロックも購入しました。重い!ぎっくり腰が心配です。家庭でやるには、鉛のインゴットが東急ハンズで買えます。
 いろいろ調べる中で教えてもらった文献の中に「ドイツ反原発運動小史」(J.ラートカウ)があります。掲載誌は みすず(みすず書房 315円)11月、12月号です。目立たない小冊子ですが、貴重かつ重要な文献だと思いますのでここで紹介させていただきます。福島後ドイツがすばやく廃原発に踏み切ったのを、英断だとか無責任だとか言われることがありますが、それは一朝一夕に起こったことではなく、40年に及ぶ反原発運動の歴史の結果であることがこれを読むとよく分かります。冒頭部分から、いくつかを挙げてみましょう。
1. 世界で初めて成功した反原発運動は実はアメリカで、1985年にサンフランシスコ北部の原発計画を阻止した。このとき「カリフォルニアの1906年の地震」の記憶による、地 震の危険という論拠が決定的だった。(これは考えさせられますね)
2. ヨーロッパでは、成功しなかったが、最初のデモと占拠の直接行動は1971年にフランスで行われた。
3. 1971年にフランスに反原発運動の代表が集まった。そのときアメリカから参加したD.ブラウアーが生み出したスローガン(これには異説もあるが)が「グローバルに考え、ローカルに行動する」(Think Globally Act Locally)
で、これが反原発運動で重要な役割を果たした。なぜならこの運動では世界を結ぶ情報の交流と知識とが決定的だったから。
4.ドイツでは1968年のヴュルガッセン原発に対する抗議運動からはじまる。このとき「報道管制、虚偽や誤った情報の意識的発信」など「民主主義を茶番に変える方法」への激しい告発がなされた。
後は原文を見ていただくとして、4の1968年という年に注目していただきたいと思います。学生反乱の年ですね。しかしこの運動はそれらとは違った形で展開し、市民の抗議とあわせて、メディア、政治、行政、司法、学問の相互作用が運動の成功をもたらしたということが主張されています。私たちは原発を考える上で、歴史を考察することが日本でも重要だと考えていますが、この「小史」はとても参考になりました。

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今年の夏は東京へ

こんにちは 大会担当の片桐です。
 東京大会の会場は、正月の箱根路を圧倒的な強さで駆け抜けた校章
東洋大学です。正式決定はもう少し先ですが、まず間違いないで
しょう。そこで、今回は東洋大学を紹介します。
地図校舎1校舎2
場所は? ・・・ 地下鉄都営三田線 白山駅下車徒歩5分
     (東京都文京区白山5-28-20) 交通至便!
 歴史は? ・・・ 1887(明治20)年、哲学者井上円了が創設した銅像
「私立哲学館」がルーツ
学食が人気! ・・・『学食研究会』のHPにも、ランキング学食
第1位の有力候補と書かれています。
さて、ここで大事なお知らせです。
現在、一般分科会のレポートを募集中です。レポートに関わる情報を下記のお寄せください。よろしくお願いします。
<問い合わせ先>
片桐 哲郎  〒277‐0803 柏市小青田230‐1‐103  TEL/FAX 04-7133-7825
    Eメール:katagiri-ts@ab.cyberhome.ne.jp   携帯:090-3001-0282 
   勤務先:千葉県立野田中央高校   TEL: 04-7125-4108 FAX 04-7123-7108
<高生研への問い合せは>
高生研ホームページ:http://kouseiken.jp  Eメール:info@kouseiken.jp(全国高生研)

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3学期が始まった

 3.11が起こった年にも同じように季節はめぐり、暮れた。そして2012年が幕をあけた。明るくもなく、暗くもなく、ただはじまったように思う。
 教師の仕事季節のめぐりと強烈に連動している。夏休み、冬休み、春休みがあり、その終わりと始まりに始業式、終業式がある。長期休業中といえども、昨今あまり休みが取れない現場であることを自覚はしている。そんな状況でも、「さあ今からどうする?」といった切り替えを迫られる感覚になる。「ならば、何らかの思いを託そう」と、気持ちがまだ湧いてくる。時間は流れ、体の中を巡るものが存在するからだと思う。

DSC006950.jpg
写真は1月7日に行われた油絵技法の実技研修会の様子。県下の高校美術部員80人あまりが集まった。うちの学校からも部員11名を引率。充実感があったらしく、そこそこ好評だった。同じ会場で「美術科授業授業作品展」が4日から7日にかけて行われた。どちらも、三重県高等学校美術の分野において初めての試みであった。
 「今年は何が出来るだろう」と高生研東京大会応援ブログを立ち上げました。思い起こせば、「応援ブログ」が初めてスタートしたのも東京大会でした。あれから7年。 こけら落としは1月3日に船橋さんの文をおねがいしました。緩やかにスタートさせるにふさわしい文章。評判も上々です。昨年、名古屋大会応援ブログの恩返しも込めて、これから少しずつ賑やかに行こうと思います。
 東京大会までは、今からちょうど8ヶ月。様々な語り口で、文章が綴られるていくことを目論みます。乞うご期待!

                                                三重高生研 安藤

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見守ってくれている仲間たち

 191号に「流されていく日常を拒む精神」という題名で、基調発題を終えた感想を書いた。そのなかで1966年、私が小学校6年生のときに「やきいもやさん」という作文を書いたことに触れた。この作文は東京都東久留米市の作文コンクールに応募したものだから、活字になって残っているかもしれないが、私の手元にはない。この作文に再会したい気もするが、探そうとまでは思わない。
 つい先日の12月18日、群馬高生研の事務局会議があり、私の実践史を知っている瀧口典子さんが「船橋さんにとって大切なものを見つけた」と言って、B5版1枚の職場新聞「かわかぜ」をくれた。1987年12月5日に私が書き、前橋工業高校分会が発行したこの職場新聞の題名は「『タイ焼き』の由来」(約600字)というものだった。12歳のときは「やきいも」で、33歳では「タイ焼き」だったと知って、楽しい気分になった。
 この「かわかぜ」をなぜ玉村高校にいた瀧口さんが持っているのか。高生研の仲間で前工の同僚だった矢野間竹松さんが彼女に郵送したのだ。当時私はそんなことは知らない。彼女への手紙には「同封した日刊“かわかぜ”は土曜日担当の船橋さんのものです。文中のT高校は玉村高校、KHは日向野克己さんです。まず読んでください」と書かれている。
 職場新聞に毎週土曜日に文を書くことが、私が実践記録が書けるようになるための大切な訓練だったと、かなり後になってから気づいた。このことは名古屋大会の基調発題「なぜと問いあえる関係性をつくろう」に書いた。
 その1年間(1987年度)の私が書いた「かわかぜ」のなかで、私の成長を示しているのはどれなのだろうか。「かわかぜ」はほんの一部しか手元に残っていないので、知るよしもない。しかし、矢野間さんと瀧口さんはそれを知っていた。そして今、その「かわかぜ」298号の「『タイ焼き』の由来」に出会えた。先に「楽しい気分になった」と書いたが、その楽しさには不思議さが含まれる。
 高生研というサークルの良さは、お互いの仕事の変化に関心を寄せあう仲間がいるということである。ときに厳しく指摘し、しばしば見守る仲間がいるということである。そういう仲間がいなかったら、自分はどこに立っているのか、どこに向かっているのか、わからなくなってしまうのではないでしょうか。
 それでは「『タイ焼き』の由来」に、もし興味のある方がいるなら、次回のこのブログにアップいたしましょう。
 第50回東京大会事務局長 船橋聖一

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良質の研究討議空間とブログ空間に感謝     早く東京大会応援ブログに!

2011夏 第49回高生研全国大会 名古屋大会

無事終了。参加者目標達成でき、

ありがとうございました。

8月6日から8日にかけては、本格的な暑さのまっただ中。

大同大学学舎の廊下は30度を下らなかったと思われますが、そんなことをものともしない全国から集まった参加者が大会運営を大きく後押ししてくれました。

宮本みち子さんの講演で始まった初日、基調発題から夜の交流会まで、高生研全国大会の非日常的な学習空間が展開していきました。2日目の分科会は、スタートこそ慌てたものの、軌道に乗ったあとは余裕も出てきました。運営担当者としては、夢心地の時間でした。最終日は大変です。問題別分科会の直後にある「別れの集い」にスライド映像をどう間に合わすか、綱渡りもいいとこでした。出来上がったものは果たして皆さんの目にどう映ったでしょうか?(手直しした映像はこちら。ホントはこうしたかった、トホ

とにかく大同大学の学生さんと全国のみなさんに助けられた名古屋大会です。

<コレ>を次につなげないともったいなくて仕方がないと考えています。<コレ>とは、若い人もベテランもとにかくよってたかって研究協議空間をつくり上げたといことです。1・2人の人間の力技でつくり上げたものではないのです。

なによりもこの応援ブログが、大会の在り様を体現していると思います。何を考え、どんな行動をとるのか。言葉と行動が記されているように思います。

名古屋大会に関する感想やエピソードは、次(来年8月)に行われる東京大会応援ブログに是非たくさん載せていってもらいたいと希望します。

というか、はやくスタートさせましょう。第50回高生研全国大会 東京大会応援ブログを!

高生研全国大会名古屋大会事務局長 安藤 誠也

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熊本高生研、大会への意気込みを語る

 熊本の蓑田正一さんから、記事をいただきました!f:id:kohseiken_nagoya:20110101081317j:image:w360:right

 熊本高生研の名古屋大会への関わりを紹介します。

 ●全国大会参加者確認:F、S、Mi、T、N、Mの6人で

 ●熊本高生研会員通信「さわらび」の全国大会報告号の原稿担当予定

   全国大会総会論議の感想(M)

   白川郷ツアーの感想(Ma)

   基調発題の論議の感想(S)

   参加分科会の論議の感想(T・F)

   レポーターをしての感想(N)

 

 また、全員が会員確保&会費徴収の特命を受けています。

 全国大会参加者の皆様、熊本高生研会員確保にご協力ください。

 ●これからの全国高生研のあり方にかかわって、以下のような論議がなされ  ています。

 

  ・全国高生研の組織は必要である。

  ・全国大会は実践の交流の場として大切にしたい。

  ・機関誌については、混沌としています。

  ・熊本高生研は、全国や九ブロと連携しながら、活動を継続していく。

 ●全国大会の+αの楽しみとして

  ・名古屋の「モーニングサービス」

  ・金城ふ頭の「リニア・鉄道博物館」の見学

 ●第7回九州ブロックゼミ福岡大会総括概要(抜粋)

  (7月9日の例会にて総括)

 「押しかけ学習会」としての2回目の九ブロは福岡県八女、柳川と

  九州の主たる穀倉地帯である筑後平野を主会場に、梅雨の晴れ間

  を縫いながらの開催となりました。

  今大会のキーパーソンとなるO先生の勤務形態が3月末に明らか

  になり、予定の6月実施ができました。

  初日の午前は、西日本短期大学附属高校演劇部、野球部を訪問し

  ました。演劇部の生徒たちが実際に練習の成果を披露してくれ、

  1月のあの感動以上のものを体験でき、また部の先輩たちとの

  交流もできました。

  野球部では、N監督の御配慮によりダッグアウト席から試合を

  観戦することができました。午後からのO先生の実践分析、翌日

  の柳川川下り、鰻料理と福岡・筑後を堪能できた九ブロ大会

  でした。

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今日、名古屋は晴れ、最高32度 降水確率30%予報です

沖縄の台風が心配ですが、名古屋予報、今朝の新聞より。

今日までお読みいただいて、ほんとうにほんとうに、

ありがとうございました!!

最初は10台だったアクセス数も、最終週には90を

超える日が。

みなさんが一肌、二肌…?ぬいでくださって、

ここまで続きました!

ここで「ひつまぶし」にタッチです☆

京都 岸田康子

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山代全私研にて、100名の方に…

f:id:kohseiken_nagoya:20110104220426j:image:w360:left

みなさん、こんにちは!

あと3日で全国大会!

愛知でお会いできるのを

楽しみにしております。

さて、先週末から石川県・山代温泉では

「全国私学教育研究大会」が行われていました。

全国各地から集まった私学の方々との交流を深めることが

できるよう、いろいろな学びが準備されている大会でした。

私自身は10年ぶりの参加。組合っぽい分科会(春闘、争議、組織拡大…)や

教科など約30の分科会が用意され、3日間にわたって熱い議論が交わされました。

私は自分の教科(情報)の分科会に参加しました。

授業の進め方で毎年悩んでいるので、他校の実践や意見交流では本当に元気がもらえ、

夏休み明けからの授業が楽しみになってきました。

また、夜はさまざまな交流会(都道府県、教科懇談会、青年…)が用意され、

どこの宿舎でも夜遅くまで、楽しい声が響き渡っていました。

久しぶりに会えた人とも懐かしい話に花が咲き、時間が経つのを忘れて

しまいました。睡眠時間が少ないことを忘れる濃い非日常…

そして、忘れずお誘いしてきました! 

この1000名を超える人が集まるこの大会で、いたるところで宣伝してきました! 

名古屋大会のリーフレットを100枚持参し、愛知近県を中心に、しっかりとお渡し

してきました。

「そういえば、昔はよく行ったなぁ」とつぶやく方も。

「そうですか、ぜひ今年、久しぶりに参加してください!」とひと押しして、

受け取ってもらいました!

さあ、参加者1000名のうち1割の方にお声掛けした計算になります。

今年の全国大会も盛り上がっていきましょー!! (^o^)丿

京都 瀧内義弘

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分科会紹介

埼玉の森です。

分科会の紹介、宣伝をさせていただきます。

 一般分科会 浅田さんの分科会「オズの国の生徒たち」です。

感動的な実践記録です。様々ないがみ合い、中傷、気づけ合いなど「なるべく学校にいたくない」自分も人も信用できない定時制4年生のクラス。それを、授業担任の浅田さんのクラス討論の呼びかけ、生徒との対峙などを経て見事に感動的にミュージカル「オズの魔法使い」をやりきります。

運営は竹内先生と共にやります。竹内先生がどう「聞き込む」か運営としても学びたいと思っています。楽しく「これが実践分析だ」と思える分科会にしたいと思っています。

是非参加をお待ちしています。

もうひとつ、問題別分科会  望月さんの分科会

 「シテズンシップ教育における教師のポジショナリテイと実践構図」の紹介です。

望月さんの今回の提起は昨年の問題別からの問題関心だと認識しています。

自立が困難になる現代にあって若者をどう市民にするか、シテズンシップ教育を他者との応答にみて、どのように高生研が実践で拓いていくか提起したものです。

今回は生活指導の原点から、さらに教師の役割、シテズンシップとポジショナリテイ(立ち位置)と展開しているかなりの力作です。

 望月さんの提起に対して、私たちは実践で語りましょう。参加者の疑問、感想、実践からつながり交流できるように運営したいと思います。

是非ご参加ください。

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今でない次、ここでないあの場所と、常に夢を追いかけて行動する人                    ~京都より「K先生を偲ぶ」~

 長く高生研の会員でいらして、全国委員をしておられた時期もあったK先生が

先週急逝されたとの報を受けた時は、京都で先生を知る誰もが耳を疑いました。

 昨年3月に退職なさるまでは京都の例会には欠かさず出席してくださっていて、

その柔和な笑顔と穏やかな話しぶりがいつも例会全体にゆったりした温かさを

与えていました。

 長年の念願であった中国四川省の四姑娘山(スークーニャン)という五千メー

トル級の山系の登山に行かれた最中でのご逝去だったそうです。7月17日に

四姑娘山を背景にして撮られた写真には、笑顔で立っておられるK先生がおられ

ました。いつも例会で見せておられた柔和で穏やかな笑顔でした。

 今日の告別式の後に、かつての同僚の先生方が在職中のK先生の姿を語られ

ました。生徒たちが数学を教えてほしくて、先生に質問をするのを列をなして

待っていたというエピソード、不登校の生徒のことで悩んでいた同僚に、社会

全体のありようから現状を考えて生徒の抱えるしんどさに気付くようアドバイス

なさったというエピソード、常にさりげない優しさを周囲の人たちに与える善意

の人であり、好奇心旺盛で夢多き楽天的行動家だった―今でない次、ここでない

あの場所と、常に夢を追いかけて行動する人であった、最後まで自分らしい生き方

を求めていかれた―ということが、語られました。

 62歳という若さで亡くなってしまわれたことが、本当に、本当に残念でなりま

せん。K先生の笑顔を「生徒の生きづらさに寄り添うことが大事」という先生の

ご発言と共に心にとどめていこうと思っています。

                         京都高生研 田中容子

 数日前、K先生の訃報が届いた。昨日、告別式が行われた。

 長年に渡って京都高生研を支えてこられた方で、私の前の事務局長だ。

 1991年、ちょうど20年前、京都滋賀共催での全国大会では宿泊担当として

尽力された。この全国大会は「初の都市型大会」と銘打って、「宿舎自治」をとり

やめた最初の大会であったが、それでも宿泊担当は最もしんどい仕事であった。

400名近い参加者で、全員が宿泊したわけではないが、それでも2つのホテルを

用意しなければならなかった。「K先生が現役中にもう一度京都で大会を」と

密かに願っていたが、私の怠慢でそれができないまま、一昨年、K先生は

定年退職された。これからは悠々自適の生活……のはずだった。

 1991年は大きな転換の年だった。国際的に見れば直前に東側諸国の崩壊、国内

ではバブルの崩壊があった。不登校生が増加を始めたのもこの年からである。そして、

全国大会参加者数も、この年を1つのピークとして減少が始まる。

 高生研を含めた民間教育運動、もっと広げて考えてみれば市民運動の底流には、1つ

の対立軸、オールタナティブな社会のありようを追求する上で、東側諸国の存在は、

モデルとは言わないまでも、精神的支柱にはなっていたのではないか。70年代を

席巻した革新自治体の誕生や共産党の躍進は、その精神的支柱が背景の一つとして

あったことは否定できないと思う。その崩壊に乗じて吹き荒れたのが新自由主義と

いう嵐であった。革新運動を支えてきた世代は抵抗を試みるも、引退年齢に近づき、

かつての輝きを取り戻すにはもはや体力は残っていなかった。

 新自由主義の嵐は、とりわけ、障がい者、高齢者、母子家庭など、公的扶助を必要と

する人たちを直撃した。若年層には安定した雇用を夢物語へと変貌させた。いやそれだ

けではない。アメリカを中心として、崩壊しなかった側の陣営をも、今や深刻で慢性的

な経済危機に陥れた。そして、地球温暖化を初めとする環境破壊の進行、そこに福島原

発。多くの人たちが「このままではやばい」と感じるようになった。

 そんな中、高生研は新たな一歩を踏み出そうとしている。それが目指すものは、

きっと「夢よ、もう一度」ではないだろう。新たな精神的支柱…、でもないのかもしれ

ない。しかし、少なくとも「このままではやばい」の思いは共有できるはずだ。そして、

でっかく考えて、ちっちゃく行動するという我々の戦術を駆使して、「やばい」を乗り

越える手応えを感じたい。それが今年の全国大会だ。(後略)  久田晴生

 <京都高生研では秋号ニュースでK先生特集を組む予定です。そこに続きを

 掲載します。>

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基調学習会@沖縄高生研

 7月最後の土曜日、沖縄高生研で基調の学習会をしました。

 参加者は、仲里、照屋、伊藤の沖縄高生研メンバーに加え

 いつも参加してくださるスクールカウンセラーの神保先生、

 沖生研の喜屋武先生、それから初参加の中学校講師宮城さんという六人でした。

 高校生活指導に載った基調をテキストに、

 私と照屋さんが全国委員で聞いたことを加えながら、

 4時間半の熱い討議が出来ました。

 現高生研、最後の基調にふさわしく、

 今までの高生研の実践のスタイルを振り返る、

 捉え直す意味で必要であると言う事を念頭に、

 発題について分析を深めました。

 書き出しの部分は、高生研においては、

 実践報告と分析を繰り返しているとそれが当然であるように感じてくるが、

 高生研と関わりのない先生達にとっても重要なことであることを再認識しました。

 また、岡山さんの実践報告については、

 上條先生の「平場の参加者が実践報告会をつくる」という発言から

 沖縄高生研での学習会における問題点について話し合いました。

 実践分析において、運営担当者方の鋭い切り口が

 学びを深めてくれるのは確かで、

 沖縄高生研においても、沖生研の喜屋武先生が参加してくださると

 とても充実したものになるのですが、

 私たちひとりひとりが、そういう力をつけることを目標にしようという

 話をしました。

 三章からは、基調の主題にかかわる討論になったので

 実際の基調報告の時に、発言したいと思います。

 

 後、要望として、船橋先生の主張がもっと直接聞きたい、という話がありました。

 報告の際には、是非、船橋先生の熱い思いをお聞きしたいと思います。

 基調学習会をして、全国大会での時間がとても楽しみになりました。

 活発な議論になることを、期待しています。

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しゃちほこ堂店主より、追伸

名古屋大会書籍係の松尾です。

先日(7月31日)の追伸です。

今年の書籍は『高校生活指導』のIさんの「消閑亭緩々日記」に紹介された本を

たくさん選書しています。(私は「消閑亭緩々日記」のファンなのです)

Iさんに了承を得て「消閑亭緩々日記」に紹介されている本については、

日記に紹介された文章をチラシにしたものをはさみます。

書籍売り場にてご覧下さい。

それからぜひみなさん書籍売り場に足を運び、本をご購入ください。

ひとり2冊のノルマがあれば完売→なんてことはあり得ませんが・・・・・・。

f:id:kohseiken_nagoya:20110731234711j:image:rightでは大会当日お目にかかりましょう。

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東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会~2日目交流会~

東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会

 ~東北6県の地酒と名古屋の手羽、みそかつとともに~

 

 大阪高生研です。

 3.11から5ヶ月近く。

 この間、大阪高生研の何名かはボランティアや見学に東北を訪れました。

マスコミの報道である程度知っているつもりでしたが、やはり現地の人の話

を聞き、実際に見ることで、自分は「震災」体験をどう記憶するか、が問わ

れる思いでした。

 秋田の教研では「ぴらいち」を通じて、石巻出身の大学生が、自宅や家族、

友人だけでなく、通った小学校もなくなってしまった喪失感を語ってくれま

した。親しい人の死の意味をどう記憶するかは、残った者の生きる意味に

つながる作業なのだと気づかされました。

 何もなくなった石巻や女川では、ビデオカメラを回しながら、正直、絶望的

な気持ちになったのですが、同行したSさんは「4ヶ月でよくここまでがれき

を片付けられた」と、逆に希望を語りました。同じ風景の中にいながら、それ

を正反対のものとして記憶していくこともあるのですね。

 そのSさんが、福島では、以下のように語ります。

 ぼくにとって、今回一番考えさせられたまち、それが福島でした。 

 人々が「普通に」暮らしている。町でたむろする若者たち。通常営業している

商店。見ためまったく、どこにでもある風景です。

 避難圏からはずれた福島市内だから「普通」なのか、それとも放射能が「見え

ないもの」であるからなのか。「わからない」のは最高に不安です。(下略)

 おそらく、記憶とは、自分にとっての体験の意味を考えること抜きには成立しない

のでしょう。「震災」体験を、十把一絡げにして「かわいそう、大変だった」で

終わらせない記憶のあり方、記録のされ方を考える必要があると思います。

 いまなお復興のめどが立たない中、夏の大会には、大変な思いをされたであろう

東北の先生たちが参加されます。先生たちの「見た・聴いた・感じたこと・思い」を、

ゆっくり聴かせていただき、「震災」体験を、それぞれの記憶にとどめたいと思います。

(若干量ですが、東北各県の地酒と名古屋名物をたしなみながら…

 コーディネートは大阪です)

 日時:8月7日(日) 18:30~8:30

 場所:ホテルキヨシ名古屋第2(レストラン)

   名古屋市中区平和1-15-22

 TEL 052-321-8188 FAX 052-321-3661

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 会費:参加費 一般3000円 学生2000円 軽飲食代込み(東北のお酒を飲みながら行います)

 定員:会場の関係で、先着26人まで(厳守) ※8月6日全体会場で受け付けます。

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色々な思いを抱いて、名古屋大会へ・・・。

弘前の木村です。

昨日8月1日から、津軽の夜空を焦がす「弘前ねぷたまつり」が開幕しました。

東日本大震災に見舞われた今年は復興への願いと、犠牲者への祈りを込めた特別なねぷたまつりとして位置づけられ、開幕前夜の7月31日、特別運行「鎮魂ねぷた」が行われました。道路を川に、ねぷたを灯籠に見立てた灯籠流しの情景を表現した運行で、私も見学してきました。86団体の代表20団体の扇ねぷたが、通常はねぷたをロープで引く大勢の引き手を排し、ねぷた本体とお囃子方だけとし、間隔を詰めて次々に並び運行したのでした。メインストリートに全てのねぷたが並ぶと、運行の列は歩みを止め、一斉に「休み」のお囃子が演奏されました。(お囃子には「運行・休み・帰り」の3つがあります。)ねぷたの柔らかな明かりと、ゆったりと哀切を帯びたお囃子の音色が鎮魂の祈りをささげているようでした。そして再び動き始めたどのねぷたにも、「がんばろう東北」などの復興を願う文字が描かれ、沿道の観客から大きな拍手が送られていました。

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さて、いよいよ名古屋大会。色々な思いでこの大会を迎えます。ひとつは新しい組織への移行について、今次総会において一定の方向性が決定されるだろうと思うことです。この論議のスタートとなったのが2008年の青森大会での総会でしたので、3年かけてようやくやどりついたという思いです。

もうひとつの思いは東日本大震災のことです。退職3年目のシニアとしては大震災の教材化などに取り組む皆さんの報告をうらやましく思うところもあるのですが、あらためて今の自分に出来ることとは何かを考えるきっかけを名古屋大会で得たいと思っています。

2日目夜の大阪高生研企画「東北の仲間の話を聞く」にはもちろん参加です。会員通信の表紙を飾った被災写真の八戸水産高校・田村先生、レポーターで参加の三沢高校・酒田先生も。私はシニアの立場からいくつかお話しやご紹介を出来ればと思っています。ひとつは先日の全国会員通信の大震災特集に掲載された被災地の先生方の報告についてです。今大会に参加できない先生方の思いをお伝えしたいと思います。

また、私は昨年から近くの児童館(学童保育)に非常勤でお手伝いに行っているのですが、そこで出会った大震災の現実についても少しお話が出来ればと。

 被災地福島からお母さんと二人で弘前市に避難転校してきた女の子がいます。お父さんはご商売があり、まだ現地に残っています。市営住宅に入居し、主な家電製品は行政から支給されるとのことであったのに未だ実現していません。この熱い中、冷蔵庫も扇風機もありません。炊飯器は児童館のものをお貸ししました。それまでは煮炊きもままならず、コンビニおにぎりやお弁当だったとのこと。最近は少し緊張も薄らいできたのでしょうか、遊びながら笑顔で福島弁も出てくるようになりました。

次に中学校同期で、石巻市に嫁がれ、ご主人とともに小学校の先生をされたMさんのことです。実は今回第5回目の同期会の開催案内のために、事務局・実行委員会や県内外の方たち23名ほどから原稿をもらい、「三八会通信」(昭和38年度卒なので)を作成発送したのですが、そのなかに、被災地真っただ中のMさんからも原稿をいただきました。ご自宅が高台にあったためかろうじて被災は免れたものの、ご主人は首までつかった津波の泥水の中から危うく脱出。つかの間、翌日停電の中、自宅の階段から転げ落ちて腰骨の骨折。原稿のお願いを躊躇する思いもありましたが、思い切ってお電話したところ、ご主人と二人で渾身の原稿を書いてくだいました。悲しみ、苦しみ、そして希望、思いのこもった3600字でした。長いので削りますとおっしゃっていただきましたが、これは一字一句たりとも削るわけにはいかないと思い、全文掲載しました。Mさんは、書きながら胸が苦しくなり、涙が流れてきたとのことでしたが、それでも私自身救われたことがありました。それは悲しみ、苦しみ、絶望のどん底にあるときに、自分の「心の叫びというか声を発すること」がどれだけ救いになったか、原稿を書く機会をいただき感謝しますというお返事をいただいたことでした。Mさんは事務局スタッフの同級生ということで今回のお願いとなったのですが、団塊の世代700余名の同期生のこととて、お互いにほぼ面識はありません。しかし「ああ、一人でなかったんだ、自分を心配してくれる人がいたんだと思うと、ありがたく嬉しく…。多くの方々の励ましなどで心身ともに傷は癒されてきているんですよ。」とお便りをいただきました。

被災された方々のお話を聞かせてもらうこと、書いていただくこと。それは心に固く閉じ込められた思いを少しずつ解きほぐし、逆境の中にも希望の灯りを見出していくことに

ささやかだけれどもつながっていくのではと、今回のMさんとの交流の中で感じました。

急きょ、同期会出席の有無を知らせてもらう返信はがきに、Mさんへの「応援メッセージ」欄を追加し、同期生の皆さんに発送しました。今できることの第一歩だと思っています。

               青森高生研 木村 一男