191号に「流されていく日常を拒む精神」という題名で、基調発題を終えた感想を書いた。そのなかで1966年、私が小学校6年生のときに「やきいもやさん」という作文を書いたことに触れた。この作文は東京都東久留米市の作文コンクールに応募したものだから、活字になって残っているかもしれないが、私の手元にはない。この作文に再会したい気もするが、探そうとまでは思わない。
つい先日の12月18日、群馬高生研の事務局会議があり、私の実践史を知っている瀧口典子さんが「船橋さんにとって大切なものを見つけた」と言って、B5版1枚の職場新聞「かわかぜ」をくれた。1987年12月5日に私が書き、前橋工業高校分会が発行したこの職場新聞の題名は「『タイ焼き』の由来」(約600字)というものだった。12歳のときは「やきいも」で、33歳では「タイ焼き」だったと知って、楽しい気分になった。
この「かわかぜ」をなぜ玉村高校にいた瀧口さんが持っているのか。高生研の仲間で前工の同僚だった矢野間竹松さんが彼女に郵送したのだ。当時私はそんなことは知らない。彼女への手紙には「同封した日刊“かわかぜ”は土曜日担当の船橋さんのものです。文中のT高校は玉村高校、KHは日向野克己さんです。まず読んでください」と書かれている。
職場新聞に毎週土曜日に文を書くことが、私が実践記録が書けるようになるための大切な訓練だったと、かなり後になってから気づいた。このことは名古屋大会の基調発題「なぜと問いあえる関係性をつくろう」に書いた。
その1年間(1987年度)の私が書いた「かわかぜ」のなかで、私の成長を示しているのはどれなのだろうか。「かわかぜ」はほんの一部しか手元に残っていないので、知るよしもない。しかし、矢野間さんと瀧口さんはそれを知っていた。そして今、その「かわかぜ」298号の「『タイ焼き』の由来」に出会えた。先に「楽しい気分になった」と書いたが、その楽しさには不思議さが含まれる。
高生研というサークルの良さは、お互いの仕事の変化に関心を寄せあう仲間がいるということである。ときに厳しく指摘し、しばしば見守る仲間がいるということである。そういう仲間がいなかったら、自分はどこに立っているのか、どこに向かっているのか、わからなくなってしまうのではないでしょうか。
それでは「『タイ焼き』の由来」に、もし興味のある方がいるなら、次回のこのブログにアップいたしましょう。
第50回東京大会事務局長 船橋聖一
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待ってました!
全国各地でみんながんばってるなあ。
ボクもがんばろ。
夏に会いたいなあ・・・。
そんな気持ちが今年もあふれるような、にぎやかなブログ、期待しています。
さっそく「大阪高生研ブログ」でも紹介しました。
→ http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-af44.html
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サトウさん、
早速のコメントありがとうございます。
東京大会応援ブログ、これからごひいきに。
まだ、FC2ブログになれていませんが、
これからリンクなども貼っていきますね。
大阪からはもちろん
全国からの味わい深い原稿をお寄せください。
お願いしますね!
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安藤さん
東京大会応援ブログ開設、おめでとう!& ありがとう!
2005年の東京大会を担当した礒山です。
あのときに「大会応援ブログ」がスタートし、
みんなで「よってたかって」大会をつくりましたね。
今年の東京大会は
もっともっと多くの人が「よってたかって」つくる大会になるといいなあ!
船橋さん
「高生研というサークルの良さは、お互いの仕事の変化に関心を寄せあう仲間がいるということである」ということは、私も実感します。
そして、そういう仲間がいることをとても幸せに感じます。