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「ドイツ反原発運動小史」

東京の上條です。
東京大会実行委員長ということになっていますが、これは、ほら、あれです、草野球で打撃も守備も下手なやつは仕方ないから監督にしておく、でも誰も言うことは聞かないというお決まりのパターンです。実権は事務局長船橋さんにあります。また有能な常任委員会をはじめとするみなさんがてきぱきと大会の準備をすすめて下さっています。みなさんぜひ来てくださいね。
物理に携わっているので、原発と放射線のいろいろな問題を追及したり議論したり教えたりしています。学校で放射線のシンチレーションカウンターを2台買ってもらって、生徒も一緒に測定したり、さまざまな実験をはじめています。まわりの放射線を遮蔽するのが測定には重要なので、鉛のブロックも購入しました。重い!ぎっくり腰が心配です。家庭でやるには、鉛のインゴットが東急ハンズで買えます。
 いろいろ調べる中で教えてもらった文献の中に「ドイツ反原発運動小史」(J.ラートカウ)があります。掲載誌は みすず(みすず書房 315円)11月、12月号です。目立たない小冊子ですが、貴重かつ重要な文献だと思いますのでここで紹介させていただきます。福島後ドイツがすばやく廃原発に踏み切ったのを、英断だとか無責任だとか言われることがありますが、それは一朝一夕に起こったことではなく、40年に及ぶ反原発運動の歴史の結果であることがこれを読むとよく分かります。冒頭部分から、いくつかを挙げてみましょう。
1. 世界で初めて成功した反原発運動は実はアメリカで、1985年にサンフランシスコ北部の原発計画を阻止した。このとき「カリフォルニアの1906年の地震」の記憶による、地 震の危険という論拠が決定的だった。(これは考えさせられますね)
2. ヨーロッパでは、成功しなかったが、最初のデモと占拠の直接行動は1971年にフランスで行われた。
3. 1971年にフランスに反原発運動の代表が集まった。そのときアメリカから参加したD.ブラウアーが生み出したスローガン(これには異説もあるが)が「グローバルに考え、ローカルに行動する」(Think Globally Act Locally)
で、これが反原発運動で重要な役割を果たした。なぜならこの運動では世界を結ぶ情報の交流と知識とが決定的だったから。
4.ドイツでは1968年のヴュルガッセン原発に対する抗議運動からはじまる。このとき「報道管制、虚偽や誤った情報の意識的発信」など「民主主義を茶番に変える方法」への激しい告発がなされた。
後は原文を見ていただくとして、4の1968年という年に注目していただきたいと思います。学生反乱の年ですね。しかしこの運動はそれらとは違った形で展開し、市民の抗議とあわせて、メディア、政治、行政、司法、学問の相互作用が運動の成功をもたらしたということが主張されています。私たちは原発を考える上で、歴史を考察することが日本でも重要だと考えていますが、この「小史」はとても参考になりました。

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