弘前の木村です。
昨日8月1日から、津軽の夜空を焦がす「弘前ねぷたまつり」が開幕しました。
東日本大震災に見舞われた今年は復興への願いと、犠牲者への祈りを込めた特別なねぷたまつりとして位置づけられ、開幕前夜の7月31日、特別運行「鎮魂ねぷた」が行われました。道路を川に、ねぷたを灯籠に見立てた灯籠流しの情景を表現した運行で、私も見学してきました。86団体の代表20団体の扇ねぷたが、通常はねぷたをロープで引く大勢の引き手を排し、ねぷた本体とお囃子方だけとし、間隔を詰めて次々に並び運行したのでした。メインストリートに全てのねぷたが並ぶと、運行の列は歩みを止め、一斉に「休み」のお囃子が演奏されました。(お囃子には「運行・休み・帰り」の3つがあります。)ねぷたの柔らかな明かりと、ゆったりと哀切を帯びたお囃子の音色が鎮魂の祈りをささげているようでした。そして再び動き始めたどのねぷたにも、「がんばろう東北」などの復興を願う文字が描かれ、沿道の観客から大きな拍手が送られていました。
さて、いよいよ名古屋大会。色々な思いでこの大会を迎えます。ひとつは新しい組織への移行について、今次総会において一定の方向性が決定されるだろうと思うことです。この論議のスタートとなったのが2008年の青森大会での総会でしたので、3年かけてようやくやどりついたという思いです。
もうひとつの思いは東日本大震災のことです。退職3年目のシニアとしては大震災の教材化などに取り組む皆さんの報告をうらやましく思うところもあるのですが、あらためて今の自分に出来ることとは何かを考えるきっかけを名古屋大会で得たいと思っています。
2日目夜の大阪高生研企画「東北の仲間の話を聞く」にはもちろん参加です。会員通信の表紙を飾った被災写真の八戸水産高校・田村先生、レポーターで参加の三沢高校・酒田先生も。私はシニアの立場からいくつかお話しやご紹介を出来ればと思っています。ひとつは先日の全国会員通信の大震災特集に掲載された被災地の先生方の報告についてです。今大会に参加できない先生方の思いをお伝えしたいと思います。
また、私は昨年から近くの児童館(学童保育)に非常勤でお手伝いに行っているのですが、そこで出会った大震災の現実についても少しお話が出来ればと。
被災地福島からお母さんと二人で弘前市に避難転校してきた女の子がいます。お父さんはご商売があり、まだ現地に残っています。市営住宅に入居し、主な家電製品は行政から支給されるとのことであったのに未だ実現していません。この熱い中、冷蔵庫も扇風機もありません。炊飯器は児童館のものをお貸ししました。それまでは煮炊きもままならず、コンビニおにぎりやお弁当だったとのこと。最近は少し緊張も薄らいできたのでしょうか、遊びながら笑顔で福島弁も出てくるようになりました。
次に中学校同期で、石巻市に嫁がれ、ご主人とともに小学校の先生をされたMさんのことです。実は今回第5回目の同期会の開催案内のために、事務局・実行委員会や県内外の方たち23名ほどから原稿をもらい、「三八会通信」(昭和38年度卒なので)を作成発送したのですが、そのなかに、被災地真っただ中のMさんからも原稿をいただきました。ご自宅が高台にあったためかろうじて被災は免れたものの、ご主人は首までつかった津波の泥水の中から危うく脱出。つかの間、翌日停電の中、自宅の階段から転げ落ちて腰骨の骨折。原稿のお願いを躊躇する思いもありましたが、思い切ってお電話したところ、ご主人と二人で渾身の原稿を書いてくだいました。悲しみ、苦しみ、そして希望、思いのこもった3600字でした。長いので削りますとおっしゃっていただきましたが、これは一字一句たりとも削るわけにはいかないと思い、全文掲載しました。Mさんは、書きながら胸が苦しくなり、涙が流れてきたとのことでしたが、それでも私自身救われたことがありました。それは悲しみ、苦しみ、絶望のどん底にあるときに、自分の「心の叫びというか声を発すること」がどれだけ救いになったか、原稿を書く機会をいただき感謝しますというお返事をいただいたことでした。Mさんは事務局スタッフの同級生ということで今回のお願いとなったのですが、団塊の世代700余名の同期生のこととて、お互いにほぼ面識はありません。しかし「ああ、一人でなかったんだ、自分を心配してくれる人がいたんだと思うと、ありがたく嬉しく…。多くの方々の励ましなどで心身ともに傷は癒されてきているんですよ。」とお便りをいただきました。
被災された方々のお話を聞かせてもらうこと、書いていただくこと。それは心に固く閉じ込められた思いを少しずつ解きほぐし、逆境の中にも希望の灯りを見出していくことに
ささやかだけれどもつながっていくのではと、今回のMさんとの交流の中で感じました。
急きょ、同期会出席の有無を知らせてもらう返信はがきに、Mさんへの「応援メッセージ」欄を追加し、同期生の皆さんに発送しました。今できることの第一歩だと思っています。
青森高生研 木村 一男