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サークルつれづれ~教育研究サークルについて思うこと~

 京都の寺井です。

 教育研究サークルについて、思うことを少し書いてみたいと思います。

 「京都こくご教科懇」は20年、国語教育研究サークル「土曜日の会」は30年となるのですが、これが民間教育研究団体ですと、戦後60年、50年という大きな節目を迎えています。

 「教育科学研究会」は、戦後の再建時から『教育』という雑誌を発刊して以来、60年です。“戦後教育学”否定の動きを大きく問題視して、60年間の歩みを10年ずつに区切って歴史的な検討会を重ね、何冊かの“講座物”を世に出そうとしています。“戦後教育学”をこの教科研が全的に背負わねばならないとする点がよくわかりませんが、私にはとても興味深いことです。

 「日本文学協会」の国語教育部会も、やがて60年です。1976年の『日本文学』での「国語教育の戦後三十年」(シンポジウム)を読みますと、戦後の熱い思いが通らず、運動の在り方の是非を考え、子ども観や教材観が多様になっていく状況に苦慮する―その苦労がしのばれますが、議論の端に、今の私たちの状況に通じる目を感じます。この後の30年、私たちの30年は、どうたどるべきでしょうか。

 たびたび寄り集まれる、身近な者たちとしてのサークル、教育現場で汗している仲間の親しみで集まれるサークルが、たとえば、「教科懇」であり「土曜日の会」でしょう。「教科懇」は教員組合を母体としていますが、「土曜日の会」はたまたま知り合った知己のゆるい集まりです。

 その「ゆるさ」は会を始め、ずっと担って来られたFさんの強力な求心力とおもしろいバランスをとっています。

 

 「土曜日の会」の10月例会に、S市の府立高校の若い先生(女性)が初めて参加しました。どこかに国語の話ができる場がないものかとの思いが募って、大学で学んだ恩師に訴えて、ここを教えられて来た、ということです。その師は、かつての私の同僚でもあります。男子の多い工業高校では、授業に集中できず、授業している教師という自覚が持ちにくいことが、大きな悩みと言います。

 「たまらなくなって、校長に聞いたんですよ。この学校では教員の仕事の何割が授業なんですか。校長は、5割と言うんです。ショックでした。私のアイデンティティは何なのか。私はあくまでも国語の教師でありたい。」 京都は遠いけれど、今見つけたこの場は手放したくない、と思っているようです。

 「教科懇」の20年は、そんなに大きなこととはされていませんが、「土曜日の会」は、昨夏以来、継続はどうするか、世代交代はできるのか、随分気をもみ、話し合いもしました。見通しは容易ではありません。わずかな可能性を胸中に抱いて、私は協力していくつもりですが、かなり悲観的です。

 ところが、10月例会に初参加した先生を前にしますと、この方の思いを精一杯守らねばと思うようになります。

 寺井治夫

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台風一過

先週末、沖縄では、かなり久しぶりに

猛烈な台風が過ぎ去って行きました。

台風最接近の土曜の夜、

留学斡旋機関AYUSAの方との顔合わせということで

照屋さんも一緒に那覇の居酒屋にいたのですが、

その居酒屋でも三回停電があり、

危険性が感じられたので、少し早めに解散して

帰りに通った国際通りでは、

強風に煽られ、へし折られ、

ドアが180度全開になった軽自動車やら、

根っこから倒壊している街路樹やら、

へし曲がって機能しなくなった信号機やら、

そりゃ、もう異世界。

東京からついたばかりのAYUSAの方は、

初体験の沖縄の台風にかなり興奮されておりました。

家に帰り着いて、しばらくすると

うちも停電。

12時近かったのでそのまま寝てしまいましたが、

翌朝7時半ごろ復旧しました。

ということで、うちでは不便はほとんどなかったのですが、

中には、停電と断水が一昼夜以上続いたところもあり、

少しだけ、被災者の方の不便さがわかったという生徒もいました。

台風がすぎたあとは、久々の青空で気持ちのいい2日間でしたが、

今日はまた、梅雨に逆戻りの大雨。

沖縄の梅雨はまだまだ続きます。

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「1ヶ月だけの演劇部」三沢高校 酒田孝レポート

今年の2月の青森高生研冬の集会で酒田先生の生徒会のレポートを分析しました。酒田先生も多忙でなかなか、レポートの内容をこのブログに書き込めないようなので、2月の冬の集会の様子を田村先生が書いたものを抜粋して載せます。

2月6日(日)9時から11時45分までの2時間45分間、酒田レポートの発表と意見交換を行った。青森高生研で一本のレポートで3時間近くレポート討議をするのは久しぶりだった。当初は、酒田レポートとぴらいちの優れたレポートとの2本立ても考えていた。しかし、2日目の参加者が20名程度だったことや酒田レポートが3時間に堪えうる濃い内容だったことから、1つのレポートで実施することとした。

 レポートの内容は、三沢高校の生徒会活動とその活動をベースに1ヶ月で作り上げた演劇の2つであった。三沢高校の生徒会は、生徒会執行部を中心として活発に活動している。特徴は生徒が自主的に体育祭、文化祭、球技大会を運営していること、生徒会の予算編成や出納などの仕事を生徒自身がやっていることである。

 酒田は生徒会活動の取り組みで大切なことを、決定機関での生徒同士の話し合いによる決定と行事以外での諸問題の自主的解決だと感じている。そのため、今回の主題である演劇をするための決定に、アンケート実施、職員会議での討議、2時間にわたる生徒総会の議論、生徒会執行部と文化祭実行委員会の話し合い、臨時生徒総会と緻密なまでに生徒同士の話し合いと職員の合意形成を図っている。その結果、生徒間の意志の共有、教職員の納得が得られている。このことが、この「一ヶ月だけの演劇部」を成功させる土台となっている。

 生徒に対する酒田の次の投げかけは「本物との出会い」をさせることであった。指導者捜しに苦労するが、なんとかすばらしい本物の演劇人(みちるさん)を探し当てることができた。酒田はすぐさま、彼女の経歴を盛り込んだ、魅力的なチラシを作り上げ、劇団員を募集した。この時点で本番までは約40日。演劇は生徒が脚本を書き、生徒が自分の言葉で演じ、舞台・衣装づくりから、照明など全てを生徒が担当することになった。この演劇で生徒がしたいことは、「コスプレ」「ダンス」「何か熱い役」「ミュージカル」などであったが、みちるさんはさらりと「みんなやりましょう」と生徒の心をつかんだ。脚本はなかなか完成せず、完成したのは約20日前。劇団員は発声練習に明け暮れ、不安を募らせていた。その間の生徒の不安と葛藤はレポートから手に取るようにわかる。しかし、酒田はそれを横目に見ながら、積極的に助言もせず、手伝おうとはしない。ライオンの親が子ライオンを崖から突き落とすように。そして、7月16日の本番を迎えた。

・・・・・・・・。

この続きは酒田先生ご本人に書いてもらいます。

もうしばらくお待ちください。

青森 吉田

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養護教諭の報告

 派遣された養護教諭は、悲惨な話を聞かされました。津波に襲われた学校のプールに遺体が何体も浮いたままになっていたり、木に遺体が引っかかったままになっているのに、収容する人がいないため教員がボイラー室に収容した話。津波に流されまいと必死で木にしがみついていた母子でしたが、母親は子どもにジャンパーを手渡すと、力尽きて流されてしまった話。3月11日以来、話をしなくなった子、暗くなってしまった子、など、数え切れないほどの胸ふさぐ話があるようです。

秋田県では、児童生徒の受入支援等に取り組んでいますが、復興まで長期間が予想されることから、避難所生活をしている避難者の支援をするため、養護教諭等を派遣し、児童生徒、教職員及び避難者(高齢者)の「心のケア」や避難所における衛生管理等について専門性を生かした支援を行うことにし、4月7日~5月31日の予定で14回の養護教諭派遣を続けています。その一員に選ばれた、本校の養護教諭が報告をしました。

 行き先は宮城県石巻市です。3泊4日の仕事は、保健室の環境整備が主で、健康カードへの押印などもあります。机・椅子等の消毒作業や支給された医薬品の分別がありました。こうした活動があまり知られておらず、活用を呼びかけるため他の学校も訪問しています。

 被災直後から医療班を担当していた地元の養護教諭は、看護の資格がない自分にあらゆる処置が要求されましたが、全てに応えることができませんでした。もしかして助ける事が出来た人がいたのでは、という自責の念にかられていたそうです。先生方も復旧作業に追われ、3月中は家にもほとんど帰らず、学校で寝泊まりしていたそうです。

先生方も被災者であり、仕事をしていると気も紛れますが、精神的負担は大きく、先生方の心のケアも必要と感じたと言います。特に養護教諭は予想もしない体験や今後に対する不安などを抱え、同じ立場の人間が話を聞き、一緒に考えることが必要と感じたそうです。また、自分たちが体験できないことを派遣されたことで知ることが出来、とても勉強になったそうです。そして、全ての養護教員に参加してもらい、こうしたことを実際に知って欲しいと思ったそうです。

災害からもうじき3ヶ月です。復興は遅々として進まず、しかも、地域によって差があるようです。私たちはともすると日常の生活に流されてしまいがちですが、現地はまだ大変な生活をおくっています。やはり、現地に行って体験しなければ分からないことがたくさんあります。そうしたことを肌で感じ取り、生徒たちに伝える義務があるのではないでしょうか。特に原発に関しては、私たちより遙かに長い年月を付き合わなければならない人たちですから。       とらぬ狸@秋田

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今年の「アフター」は、世界遺産・白川郷合掌民宿1軒貸し切りだい!

 SATOツーリストです。

「今年もあるの?」

 大阪高生研&SATOツーリスト恒例の全国大会アフターツアー、皆まで言うな。

 今年は「世界遺産」をたどります。

 築280年の老舗民宿「孫右衛門」は、その囲炉裏端の歴史あるたたずまいに定評。

 種々のつてたどって、1軒貸し切りが実現。

 村落共同体の実話から、「世界遺産」になって実際どうよ? の裏話まで聞けます。

 非公開部分、見せてもらえるかな?

 1泊2食 9800円。きっちり「定価」で泊まります。郷土料理、豪華です。交通費アタマ割り。

 8月8日(月)、大会後、3時発、4時発 2便の車に分乗。9日の行程は、参加者合議で行います。

(参加される方、「書籍返本作業」にご協力ください)

 定員17名まで(きっちり)。すでに10名を超える申し込み済み。

「行くよ」という方、どうぞお早めに。

●お申し込み、お問い合わせは、「わがまま言いますききますお互いさまで! のSATOツーリスト」 taikanokaisin@kd6.so-net.ne.jp まで。 

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もう一回り広げて声をかけてください。

 東日本大震災、終わらない原発問題、それは私たちがいかに脆弱な生活基盤のうえに生活をしていたかを思い知らされたできごとでした。

 そして、被災地での中学生や高校生、教職員の活動が私たちに勇気を与えてくれました。

 被災した学生が「国も行政も当てにならなかった、地域だけが機能した」と言い、人々をつなぐ中心が学校だったことは、今後の日本を象徴しているように思います。

 子どもや若者が市民として、共に未来をつくっていける学校をつくる、そんな大会にしたいですね。

 名古屋大会では、東北の実践が3本報告されます。酒田実践は、生徒会実践と演劇が結びつき、学校カリキュラム変革に挑む実践です。北川実践は四者協議会という枠組みで生徒が地域に出ていく実践です。中実践は授業と生活指導実践が結びついた実践で、生徒の成長と集団の成長の相互作用が丁寧にみてとれる実践です。

 また、基調は、実践記録を書くという具体的な活動から、教師がエンパワーしていく道筋を示す基調です。実践を聴き取る集団=高生研の大切さが最後にじわっと伝わってくる、2011年にふさわしい基調だと思います。

 もう一回り広げて声をかけてください。名古屋でみなさまとお会いできることを楽しみにしています。

 望月一枝

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名古屋で会いましょう!

全国のみなさん、こんにちは。京都の瀧内です。

私の勤務している高校では、中間試験の真っただ中です。試験監督をしていると、教室はむっとする熱気でいっぱい(男子校でもありますし…)ですが、窓を開けるとすがすがしい空気が流れ込みます。震災でいろいろな傷を受け、今なお日常に戻れない方々がこのすがすがしい季節の空気で少しでもいやされれば…と思って青空を見上げています。

さて、いよいよ名古屋大会の要項を手に入れました!

「なぜと問い合える関係性をつくろう」というテーマで、私自身のHR運営だけではなく、職場での同僚との関係性についても考えてみようと思えるものです。今年度はメンバーチェンジなしの持ちあがりで、高校3年生の担任をしています。HRという単位で学ぶ最後の1年になりますが、小さなグループがいくつもある中、お互いが表面的な付き合いさえもないオタク⇔肉体派みたいなクラスです。何とか少しでも近づきあえるようにと思い、いろいろとチャレンジしてみるのですが…。名古屋大会では実践報告を聞き、9月からのHRに活かせることを考えています。

京都から新幹線で1時間弱、車でも2時間あれば到着します。新名神も通り、関西からは本当に近くなりました! 愛知県にもたくさん観光地があるでしょうし、少し足を延ばしてウナギの浜名湖、お隣の三重県には松坂牛・真珠で有名な伊勢湾など、前後泊にも楽しみが広がります。

ぜひたくさんの方と名古屋でお会いできること、楽しみにしています!

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原発学習会

ご無沙汰してます。

沖縄の伊藤です。

先週の土曜日、沖縄高生研の定例学習会で

仲里さんを講師として、原発に関する学習会をしました。

私の学校では、来月、文化祭があって

担当しているメディア研究会+有志で

東京電力の原発事故について発表することにしているので

その事前学習をかねて、高校生5人も参加しました。

仲里さんの専門は地学なので、

授業でも話すと言う電磁波の話から

放射線の特徴、使われ方、人体への影響などを

生活につなげてとてもわかりやすく話してくれました。

私は理科が苦手だったので、

この手の話を三時間近く、ここまで興味をもって聞けたのは初めてで

改めて、自然科学系の先生の授業の工夫の大切さを感じました。

詳しいことは、全国通信に報告が載りますが、

高校生も存分に学びを深め、

現状の問題点を真摯に見つめたようで、

中には恐怖のあまりか、言葉も失ってしまっている生徒もいました。

でも、彼女も、最後に、

「もっと勉強したいので、DVD、今度、見せてください」

と言って帰って行きました。

このDVDとは、大阪高生研の企画によく参加してらっしゃる

西谷さんの、劣化ウラン弾の被害を取り扱ったもののことです。

話だけでも涙ぐんでいた彼女が、このDVDを見るのは

とてつもない勇気だと思いますが、そんな辛い思いをしても

学びたいという気持ちは、本当に健気だなぁと感じました。

2,3号機のメルトダウンも発表され、

本当に最悪なシナリオを辿っている原発事故ですが、

この先、何十年もこの負の遺産を抱えねばならない高校生が

自分の頭で考えて、対処して行く意識を持つのは

とても必要なことだと思います。

文化祭まで、彼らの活動が、生きるちからに繋がるよう

サポートしたいなと思っています。

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北国からこんにちは

すっかり御無沙汰してしまって申し訳ありません。

全国委員会が行われた5月7日は部活動の県春季大会でした。

バドミントン部の顧問になって20年近く。

中学・高校・大学と帰宅部であった私は20代のときには演劇部

30歳になってバドミントン部の顧問になり、はや20年。

今年はインターハイが行われ、主会場で進行の仕事をします。

そのため、名古屋大会の全日程に参加できるか微妙なところにありますが、青森からは酒田先生が生徒会のレポートを発表しますので、なんとか参加したいと考えています。

来週の火曜日には酒田先生のレポートの概要を報告したいと思います。

今、気にかかっていることは、東日本大震災による子どもたちの心のこと。

授業などが妙に静か。1年生の時に比べて、はしゃぐ生徒が少ないような気がしています。静かにまじめに学習しています。

大人になった証しと言えるのかもしれませんが、気にかかります。

震災により他校から転校してきた生徒たちのことがそれ以上に心配です。

これから毎日ブログ更新との連絡をいただいています。

火曜日は責任を持って残り10回ほど更新したいと思います。

5月に行われた野外炊飯遠足の様子はこちら↓

http://ameblo.jp/24kizuna/day-20110512.html

たくさん撮った写真を使って、6月の学年PTAには

音楽入りのDVDフォトスライドショーを上映する予定です。(*^-^*)

青森 吉田

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名古屋大会の申し込みが40名を突破

名古屋大会の申し込みが40名を突破しました。

ご協力ありがとうございました。

講師陣が充実した今大会にぜひ皆さんをお誘いください。

名古屋でお待ちしています。

大会参加申込数(5月23日現在)

青森    1

秋田    3

茨城    1

群馬    1

千葉    4

東京    1

埼玉    3

神奈川   1

長野    1

静岡    2

愛知    3

三重    5

奈良    1

滋賀    2

京都    2

大阪    3

岡山    1

鳥取    1

熊本    3

沖縄    1

合計   40人

岡村昭弘 

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3者協議会を終えました

詳しいことは、全国大会で報告することになりますが、20日(金)の4時から1時間、3者協議会を開催しました。PTAからは会長以下5名、生徒会執行部から10名、教師10名の参加でした。お母さんたちのほとんどが仕事を持っているので、平日の参加は厳しかったようです。

 今年で2回目の実施です。11月に開催予定のフォーラムで、何を話し合うか決めるものです。あらかじめ、PTA役員の方々と教員からテーマについてのアンケートを取りました。届けてくれたのはお母さん2人からだけでした。生徒会は、クラスから意見を聞いたようです。

 PTA会長の議長で始めました。話し合いで特に話題になったのが、「昼休み時間を増やして欲しい」という生徒の意見でした。本校は、8時40分から10分間の朝読書、その後、ショートホームルーム、授業は9時から50分です。4時間目が終わると30分の昼食休憩です。3時10分に放課し、ショートホームルームと掃除があります。

 昼休み30分は、私たち職員も短い気がしますが、電車の時間があるので終了時間を変えることが出来にくいのです。すると、朝10分早く始業するか、朝読書をやめるかです。 昼をゆっくり過ごすことが出来れば、午後の授業も落ち着くのかな、とも思います。他の高校はどうなんでしょうか。

 また、1年生のお父さんは、高校で初めてPTA役員を引き受けたが、小中学校と違って面白そうだ、と言ってくれました。高校のPTA活動を活発にするために、けっこう大変なのですが、他はどうなんでしょうか。

とらぬ狸@秋田

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全国大会を作ることは実践的(その1)

 アンドウです。

 以前『全国大会を哲学する』と題してブログを書いてきました。本当は哲学するなどおこがましいのですが、このブログを使ってリアルタイムな「大会づくり」が伝えられたらと考えていました。それは、私が高生研の全国大会応援ブログの最初、2005東京大会の「I氏の基調日記」と題したページを担当したことと関わりがあります。これは、井沼さんが「<つながりなおす>みんなが生きられる学校へ」という基調発題を巡って、そこに至る序章的な内容をSTARWARSの続編に倣って、エピソード○○として連載してくものでした。もちろん井沼さんは多忙。定期的ではなかったものの、意見を広く求める内容は、一時、論争的な内容として載せることも出来ました。大会が終わって、「基調日記」記事は別ページに保存され、小玉さんの公開講座にも取り上げられたことがあります。

 試しに検索をかけたら東京大会の「入り口ページ」が出てきました。

(「基調日記」にはたどり着けず。「入り口ページ」の項目立て、交流会の内容など、力の入り様がうかかえ、刺激になる。当時は「今日の言霊」という毎日更新ページ(伊藤さん管理)もあった。)

 さて、2005年から6年が経ちます。ブログしか大会のお手伝いが出来なかった人間が、今は大会事務局長になっています。大会づくりを手探りでやっている状態です。いまひとつ、先のことを見通した力の入れ加減が分かりません。「まだまだ、人のネットワークを活用しきっていないなぁ~」と思ってみたり、「もっとPRしなけりゃ・・」とか、心配事が増えこそすれ、あまり減っていくことがありません。

 そんな中、応援ブログはどこか安心できる場です。私は常々、「応援ブログを更新していくことは、HR通信を定期的に出していくのに似ている」ということを感じています。ある意味、実践的な場であると。ブログ記事を綴ること自体、記録を残すということです。すでに、この「名古屋大会応援ブログ」も5ヶ月の記録が集積されています。

 今年の基調発題は「実践記録を書くことの意味」です。私はこの草稿をかなり共感的に読みました。あまり新しくはないかも知れませんが、足下を見つめ直すみたいなところがあります。私たちはどうやって立ち振る舞うのか? どう進もうとしているのか? つくりながら考えているはずです。

<つづく> 

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後援速報到着

大阪・サトウです。

2年前、大阪で全国大会を開いたとき、「夏休みだけど、なかなか休みが取れなくて……」と嘆く若手が少しでも参加しやすくなるように、との意味もこめ、教育委員会に後援申請をしました。

 結果、思っていたより簡単に後援が取れ、ぼくも「勤務地を離れた研修」扱いで堂々と大会に参加したのを覚えています。

「教委申請があったおかげで、管外出張が認められた」と、うれしそうに語る他県のメンバーもいました。

 先日、今年の現地実行委員会のHさんから、「名古屋市教育委員会より、今回の全国大会の、後援名義使用について「承認」するとの通知がありました」との連絡をいただきました。

 これから6月にかけてが、各職場に夏休み中の種々の研修案内が送られてくる季節。

 堂々と、「名古屋市教委後援 高生研全国大会 名古屋大会に一緒に行こう」と職場の人をいっぱい誘いたいもの。

 全国の経験から学び、鋭気養う夏。

 今年も楽しみにしています。

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「ぴらっと一枚実践さがし」やってみました

 茨城高教組・青年部学習会の講師を依頼された私は『高校生活指導』188号第2特集「ぴらっと一枚実践さがし」をやりませんか、と提案しました。そして、4月29日、土浦市で、茨城高教組青年部主催の「ぴらいち学習会」が開催されました。

 188号の特集記事を頼りに見よう見まねでやってみました。

 事前に準備されたレポートは2本、参加者は若手(?)4人、ベテラン(?)4人の計8人でした。ベテランと若手2人ずつ4人の班を2つ作り、それぞれにレポーターが入る形で、「ぴらいち」本来の参加者全員がレポートをする形ではありませんでしたが

、報告者、司会兼まとめ役、ほめ役、けなし役の役割分担を決めて、報告を全員で深めていきました。役割が決まっているので、割と発言しやすかったようです。しかし、私も含め、全員が初めての経験のため、それぞれ割り振られた役を十分にはこなせなかったようですが、参加者が報告を聞くだけの受け身の学習会でなく、報告に対して自分の意見を述べなければならないことで、主体的な学びができたようです。

 茨城高教組青年部は今後も県内の各地に出向き、「ぴらいち」学習会を開催していく予定だそうです。「ぴらいち」が茨城高教組青年部に広まっていき、教職員としての悩みや日常の些細な実践を気楽に報告し、気軽に実践を交流したり、教育の課題についてともにに考える機会となればいいな、と思っています。<常任・I>

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生徒に言葉が届かない!!からの出発

 岸田です。

 名古屋大会・一般分科会午前レポーター、大阪の三木さん。このブログタイトルで2日目にレポートなさいます。今年教職3年目!

 私は、「おまかせHR研究会(※大阪高生研とメンバーは似ているが別の会)」の「行商(=研修講師請負)」で、ユニット「みきしだ」を昨年末に発足させました。奈良教育大学の学生さん対象の一日でした。さらに私は昨年の札幌大会交流会での劇(分科会「教師のライフヒストリー」の成果発表)で、バドミントン部の女子高生を一緒に演じた相手が、この三木さんの職場の先輩というご縁。さっそく、三木さんについて、この職場の先輩に直撃インタビューしてまいりました!

Q:三木さんってどんな方?

A:久々の大型新人登場!!ってか!?

Q:「ってか!?」って、大型新人なんですか?それとも…??

A:いやいやいやいや(←三木さん本人の口癖なんです。)大型は大型なんですけど、新人と言われたのは2年前。この4月から3年目。しかし3年目で全国大会レポーター、また大阪高生県では事務局次長ですよ~

Q:それじゃあ、結構やり手っていうか凄腕の方?

A:ご本人は「ガラスのようにキズつきやすい」と繊細さを「ウリ」にしたい  様ですが、これがまたなかなか本格派大物なんです。

  近頃、態度もデカイ<あくまで私見(笑)>。

  周囲からも人望が厚く、学校を背負って立つ男との評価で若いながらも「将来構想委員」を任されたとか。

  いまは「仕事が恋人」と、9時10時まで超過労を苦ともせず、生徒のた めに日夜走り回っておられる先生です。

 そんな彼の奮闘ぶりを見て、応援団長をかってでようかと、にわかに追っか けやってます。

Q:職場の先輩からこの評価って、やっぱり魅力ある方なんですね。

A:もちろん、この夏も行きますよ、名古屋大会の一般分科会。

皆さんも、ぜひご一緒に彼の奮闘記を吟味しようではありませんか!

以上、大阪高生研のPN「さい」さんにお聞きしました~~     

次回はご本人からこのレポートの魅力を語っていただきたいと思います。

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「日本語を母語としない子ども達」を受けて

 分科会への参加を楽しみにしています。外国籍の子ども達は、日本全国にいます。秋田の田舎にもいます。そして、表題のような子ども達には、2通りあるかと思います。前回の久田さんが紹介しているように、外国人労働者の子ども達。もう一つは、国際結婚して生まれた子ども達。言葉の問題が起きやすいのは、母親が外国籍の場合です。外国労働者の子どもに関しては、企業責任が大きいと思います。あるいは、そうした人たちに関わる日本人の考え方もあると思います。企業は安く使って人としての幸福を考えない。その結果として、様々な不幸が彼我に起こりますが、あくまでも外国籍の方々の責任にしてしまいがちです。

 国際結婚は、嫁不足の地方で多くの例があります。母親が外国人の場合は、日本語のニュアンスが伝わりにくいようです。そのため、友だち同士の会話は大丈夫ですが、学校などで教科書の言葉や「標準語」となると、意味が分からなくなります。「分からない」と言えないまま過ごし、勉強について行けなくなります。もっとも、日本人の子どももこの辺は怪しい気がします。

 さて、うちの高校にも外国籍やそれに近い子どもが入っています。この子たちは、小さい頃から日本語教室に通っていました。今も小学生の子ども達がいます。日本語の勉強と算数などの勉強をしています。教室に来なかった子は、学校の先生に知恵遅れか勉強が出来ない子、とされていましたが、教室に通うことで、勉強が分かるようになり成績も上がりました。高校も普通に受検して合格しました。県では、こうした子ども達のために講師を貼り付けて、授業に付き添ったり、取り出して勉強をしたりしています。

 結局、学校の言葉が分からなかっただけです。

 お父さんが日本人で、お母さんがフィリピン人の女の子がいます。両親は子どもをフィリピンの親に預けていました。両親の願いは、子どもと一緒に生活をしたい、ということでした。しかし、日本語が満足に話せないと学校でいじめられます。フィリピンにはそうした理由で、日本で暮らせない子ども達がたくさんいるそうです。

 仕事の都合で各地を転々とした生活をしてきた両親は、縁あってこの能代で生活を始めました。お母さんが日本語教室に通い、どんどん読み書きが出来るようになる姿を見たお父さんは、ここに娘を呼んで一緒に生活しようと決意しました。一言も話せない娘さんが小学校に入りますが、専門の講師を学校でつけてもらい、教室にも通いました。すぐに日本語を話すようになり、勉強にもついて行くことが出来るようになりました。お母さんも、何度も落ち続けた運転免許をとうとう取ることが出来、それがNHKの番組で紹介されましたが、それはそうした流れの一部です。外国人支援は、文化も含めた生活の支援をある程度までしなければ、日本で生活する人間を育てることにはならないようです。もし自分が言葉を理解できない国で生活するとしたら、その国の言葉や文化を知らないで生活できるでしょうか。

 この国は、国民すら不幸に落とし込むと錯覚する昨今です。外国人が逃げるのは当然です。今の状態では国際化の道は遠く、英語を話す人間を育てることでは解決にならない気がします。皆さんの身近にいる外国籍の子ども達はどうですか?

              のしろ日本語学習会 http://njsl016.web.fc2.com/

    とらぬ狸@秋田

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日本語を母語としない子どもたちの現状と課題-1

 8月6日から大同大学で行われる高生研全国大会、その3日目、つまり8日の午前、問題別分科会「日本語を母語としない子どもたちの現状と課題」をシンポジウム形式で行います。パネリストは、千葉の時原千恵子さんとNPO法人トルシーダ代表の伊東浄江さんです(他にも来て頂く予定です)。このブログで、その紹介を何回かに分けて行いたいと思います。

 地元紙の中日新聞では今年に入ってから「子ども貧困」というテーマで、特集記事を連載してきました。その最終回が5月12日にあり、そのテーマが「在日ブラジル人の少年少女の問題」でした。記者は浜松を中心に取材し、3名の子どもの状況を追っています。そのうちの1人、カイキは自動車関連工場で働いている17歳。10歳の時ブラジルで仕事がなかった両親に連れられ来日。経済成長を続けるブラジルだが学歴社会は日本以上で、大学を出ていないと非正規雇用すら危ういという。公立小学校に入るも、日本語が分からない。中学に上がると国語や社会のテストは最高でも5,6点。学校は時間の浪費としか考えられず、中学2年の時退学。憲法26条は「国民は」で始まり、外国籍の子ども対象外である。

 日系3世のユウジ(20)は、ブラジルの学校で「ニホンジン」と差別され中学を中退、17歳の時、父親を追って来日した。溶接工場で働くも、日本語が分からないからと「ブラジルに帰れ」と罵られる。その頃出会った非行グループの影響で、車上荒らし、強盗、麻薬と非行がエスカレートした。少年院で中国籍やフィリピン籍の子らと一緒に日本語を学んだ。衣食が与えられ勉強に集中でき、1年後には漢字が書けるようにまでなった。少年院の職員は言う。「ここに来る子は1年で漢字の読み書きができるようになる。こうなる前に何とかなるんじゃないか」

 カリナ(13)の母は1992年来日、カリナを生んだ後、夫と別れ、自動車部品工場の派遣社員として勤める。カリナはブラジル人学校に通うが、2006年派遣先の経営不振で、母の月給が25万から8万にダウン。ブラジル人学校の月謝が払えなくなった。昨年4月、公立中学に入るが、仮名もかけず、テストはいつも零点。「ブラジル人学校に戻りたい」が口癖になり、不登校になった。ボランティアの学習支援教室で小学校のドリルからやり直すことにした。「先生のいう言葉は分かるけど、内容が分からない」とポルトガル語で答えるカリナ、「夢は?」と聞くと一転して表情が和らぎ、日本語で「小児科医。子どもが好きだから」と答えた。だが昨年末、母親は解雇された。

 問題別分科会では、トルシーダの伊東さんから豊田市の現状を話して頂く予定です。今東海地方を中心に、私たちがこれまで経験してこなかった教育の問題が起きています。この問題を現場の教師達はどう捉えたらいいのでしょうか。中日新聞の記者は「彼らもまた、この国の未来をつくる子どもたちだ」と結んでいます。

久田晴生   

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なぜと問い合える関係性をつくろう

 「なぜと問い合える関係性をつくろう」、これは名古屋大会のテーマです。

 このテーマに船橋氏が「実践報告を書くことの意味」という方向からアプローチしています。今年は名古屋でお会いしましょう!

<スケジュール>

  8月6日(土)12:00~受付

        13:00~全体会Ⅰ講演

              「格差社会に対抗する若者政策と教育大学」

               宮本みち子 放送大学教授

        15:20~全体会Ⅱ基調発題と討論

              「実践報告を書くことの意味とは何か

              ―なぜと問い合える関係性をつくろう―」

               全国高生研 船橋聖一氏

   7(日)  9:00~17:00 一般分科会

        HR、学年づくり、学校づくり、課外活動、授業などのテー        マで全国からレポートが集まってきます。

   8(月)  9:00~12:00 問題別分科会

        (1)教育における公共性を問いなおす

           ~学校で政治主体を育てるとは~

        (2)シティズンシップ教育における教師のポジショナリテ           ィと実践構図

        (3)探究学習を通した高校生のアイデンティティ形成

        (4)日本語を母語としない子どもの現状と課題

        (5)高校普通科における職業的意義

  ※3日目の午後に総会があります。

 

 以上が、今年の全国大会の概要です。さっそく声をかけたら京都をはじめ、沖縄からも「参加したいです!」とのお申し込みを聞いています。みなさん、熱心です。実は私も先週末、全国委員会に参加してきました。船橋氏の基調発題「実践報告を書くことの意味とは何か」を深める時間帯もありました。

 全国委員会参加2回目なのですが、討議のテンポや口調についていけないところも実は多々ありましたが、初参加の全国大会(箱根)のときよりは少し理解(正直に告白すると、頭の中で翻訳しています)できるようになったかなと思っています。とはいえ、たとえば「他者」まではいいのですが、「他者の他者性」という表現が討論の時に出たりして、「あ~ぬかよろこびだった…」と思うこともありました。休憩?時間の会話に「じゃ、私は『○○のポリティクス』を読んできますね」というのも聞こえました。○○の部分は、私は聞き取れなかったです。でも、私にとっては新しい世界を知ったり、人との出会いがあったり、問題を共有し、発信していけることが魅力です。また、「再会」というのも私の中では参加動機の主な部分を占めています。

 私は、全国大会まではこの応援ブログで、大会では受付をお手伝いしております。みなさま、8月6日に愛知・大同大学へ、お誘いあわせの上、おこしやす。お待ちしております。 岸田康子

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たった1日。でも、もしかしたらすっごく大きな1日

大阪・サトウです。

新しいクラスでの人間関係づくりに苦労している生徒にとって、「春の遠足」は、かなりビミョーな1日です。

学年通信係の先生から、「遠足の下見に行っての短文をください」と言われ、思わず書いた文章が、以下。

転載させてください。

<以下>

たった1日。でも、もしかしたらすっごく大きな1日

「新しいクラスになじまれへん。遠足休むかも?」

 弱気な声をときどききく。

「新しいクラスづくり」の遠足は、すごく楽しみな行事なんだけど、人によってはすっごくしんどい1日なのかもしれない。

でも、卒業していった先輩たちがよく言ってるぞ。

「あの日、勇気を出して遠足に行ってよかった」と。

「行く直前まで迷ってた。○○ちゃんが一緒に行こうと言ってくれたから、気は進まなかったけど、行くことにした。結果、行ってよかった。あの日、もし休んでたらと考えると、ゾッとする」

「後からだと笑い話なんよだけどね」と言いながら語ってくれる先輩。 

何もしなくて毎日が好転する見込みはほとんどない。

 ならば、だめでもともと。

 もしかしたら、「一気によくなるできごとがあるかもしれない。

 みんなで行こな、春の遠足。

(大阪・サトウ。大阪高生研ブログhttp://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/の「遠足」関連記事も見てね)

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さあ、これから本格的な応援です!

 全国委員会での応援ブログ担当者で、本格的な応援内容にしようと決めました。まずは、分科会の案内を、レポーターから紹介してもらうことにしました。その最初が、私の分科会4「学校は変わるか?学校フォーラムと4者協議会」です。

 私は今年1年で定年退職となります。担任を外れ、総務主任という仕事で日々パソコンに付きっきりです。高生研の実践報告となると、生徒や教師の活発な動きがなければ駄目な感じがして、諦めていたのですが、最後でもあるし、どこかに役立つ部分があるかも知れない、と思い報告することにしました。

 もし、組合や高生研に入らなかったら、つまらない教師になっていただろう、と思います。「悪いのは、生徒」などと言っていたかも知れません。でも、おかげさまで、本当におかげさまで、これまでやって来ることが出来たと思います。毎年、全国大会に参加し、積極的に参加していたわけではないのですが、ジワジワとしみこんで来たものと思います。そんな感謝の気持ちもあります。

 さて、「学校フォーラム」とか「4者協議会」というと、長野県の辰野高校のすばらしい実践などがあり、大変なことのように感じていました。しかし、学校を変える一つのテコとして考えたとき、意外とすんなり出来た気がします。もちろん、内容的には不十分きわまりないものですが、外に学校が開けていく感じはあります。特に困難校でないのに、そんなことをする必要はない、と思われたりしますが、やはり外に開き、地域や保護者の声を入れることは、生徒だけではなく教師にとっても必要なことだと思います。

 内容は、『高校生活指導』186号の「センセーのワザ」の中で報告していますが、それに加え、あるいは書けないようなことなども報告したいと思います。また、生徒会で作った「おみやげ」も出せそうです。私自身は分科会での成果を試すことは出来ませんが、ぜひ参加された皆さんの意見を次に伝えたいと思います。(できれば、このブログにコメントを)

  とらぬ狸@秋田