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キャリア教育?とシチズンシップ教育?

教師生活31年目が4月から始まります。

新しい仕事は担任でも生徒会担当でもなく

進路指導主任です。

生徒280名のうち、約半数が国公立大学に進学します。

9割が大学進学の学校です。

3年間の担任生活は、良い仲間に恵まれました。

笑いが絶えず、生徒ひとひとりをみんなで話し合う本当に居心地の良い空間でした。

最後は担任団で卒業旅行に行きました。

塩ラーメンに温泉に海鮮丼。

推薦入試や、センター試験後の忙しい毎日が嘘のように楽しい時間を過ごすことができました。

4月からは新一年生担任、教務、生徒指導、転勤とバラバラになりました。

4 7 24

 

さて、進学校で、今一番求められているのがキャリア教育なのだそうです。

キャリア教育からシチズンシップ教育へという論文を書かれている大学の先生もいるようですが、

今、ひとつよくわかりません。

皆さん、教えてください。

高生研で学んだことを進路指導でいろいろと実践できるのではないかと思います。

北国は少しずつ春に近づいています。

春四月からは、次男と一緒に同じ高校へ通うことになりました。

なんか不思議な感じです。(*^ー^*)

(あおもり よしだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

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人の輪が広がる

 3月22日付けの井沼さんの国際理解の授業の話の中に、「この報告書は、西谷さんの話を聞いていない人に本当に伝えようという言葉になっていない」という生徒の厳しい指摘があった、とありましたが、私はこの生徒の指摘がすばらしいと思いました。(生徒からこの発言を引き出した井沼さんもすばらしい!)自分が獲得したことを自分の中でまとめる場合はそこで終わってしまいますが、読み手(聴き手)を想定してその人に伝えたいという目的を持って書く場合は、自分が獲得したことを相手に届く言葉に載せる過程で、その知がより深まるのだと私は思います。何かを調べたり人に出会ったりする体験を他者に伝える、という授業内容は私の職場でもなされていますが、その他者を学校内にとどめずに地域に開いていくこともできる、ということを井沼さんから学ばせていただきました。

 話は変わって、夏の京都大会(8月3日4日5日)の宣伝をします。3日に30分間の開会行事が予定されておりまして、京都らしさと新しい高生研のコンセプトの両方がメッセージとして出せればいいな~と考えています。後半はまだ霧の中ですが、前半は京都らしい演出で京都学生祭典踊り普及部のオリジナル創作おどり「京炎そでふれ!」を見ていただくことにしました。京都学生祭典オリジナルの創作おどりである「京炎そでふれ!」は、京都の特色をふんだんに取り入れて創られました。衣装は留袖の古いのをリメイクしたもの、「京炎」というネーミングは、「学生の燃えるような想いを京都から全国に発信したい」という意味をこめているそうです。また、「きょうえん」という響きには「共演」「競演」というような意味もあり、学生が市民と「祭」を共に創りたいという思いを形にしたものだそうです。「そでふれ」は、「袖振り合うも多生の縁」ということわざが由来で、 出会いを大切にしなければならないという意味だそうです。 また、「ふれ」にはFriend(=仲間)という意味も込められているとのこと。袖触れ合う人々、 おどる人々はみな友達・仲間であり、このおどりがそのような関係を築く手助けになればという願いが込められているそうです。出演は立命館大学のサークル「おどりっつ」が快く引き受けてくださいました。出演者の中から大会参加希望者も出てきそうで、大会に向かって人の輪がじわじわ広がっていくのを感じています。

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                     (京都 田中容子)

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はじめの一歩!二歩めはそれぞれに。

3月1日、ちょっといいイベントが出来ました。「“イラク戦争10年とアフガニスタンの今を知る”はじめの一歩!」と題したそれは、国際理解を受講した3年生15人が自主的な卒業企画として行ったもので、当日は、地域の人たち含め50人以上の参加を得ることが出来ました。

国際理解は教科書のない(シラバスはありますが)、いわば担当者にすべてを任された授業です。試行錯誤のなかで15人が動き出したきっかけは、大阪ではおなじみのフリージャーナリスト西谷文和さんを招いての「アラブの春,イラク,アフガニスタン戦争を学ぶ2時間」からでした。
「ひどい状況でなぜ子どもを生むのですか?」「戦争はなくなると思いますか?」「私には何ができるのですか?」…15人からたくさんの質問が続きました。最後の質問に、西谷さんは「関心を持ち続けること」と答えてくれました。この言葉は彼らの胸に深く響いたようです。彼らはこの経験を自分たちで終わりにせずに「多くの人に知ってもらおう」と、冬休みを使って授業報告書を作成し配布を計画しました。

ところがいざ完成したときのことです。そのまとめ役だったIくんが2つの重大な問題提起をしたのです。
ひとつは、報告書の自分の感想を読んで、「オレ、こんなこと書いたンや」と他人事のように思ってしまう自分がいたという告白。Iくんは、みんなにも「もう1回、自分の感想を読んでみて」とすすめ、「関心を持ち続けること」が簡単なことではないことを教えてくれました。もうひとつは、この報告書は、西谷さんの話を聞いていない人に本当に伝えようという言葉になっていないという厳しい指摘でした。
Iくんの問題提起を受けて、僕が、ずっと関心を持ち続けられる第1歩になるような企画をみんなで考えてみよう、本当に伝えたいことを伝えられるような報告書にリライトしようと呼びかけ、3年生の残り少ない1月の授業を使ってイベント企画会議を行うことにしました。授業時間の活動は評価(成績)に入れるけれど、それ以後の活動は自由参加とすることにしました。

何度かの話し合いを重ねる中で、Sさんが「やっぱ、アフガニスタンの人に会いたい!大阪にいてへんの?」と言いだしました。
Yさんが「西谷さんの写真をたくさんの人に見てほしい。写真展できへんかな」と言いだしました。
いつの間にか「スライドショーをつくろう」という話もまとまり、友だちや在校生や保護者や近隣住民へのお誘い文やポスターやメールを作り、西谷さんから送ってもらった膨大な写真データからYさんが選んだものをみんなでパネルを手作りしたり、と、授業が終わって卒業が決まってからも3回ほど、集まれる人で集まって、わいわい楽しみながら準備を進めてきました。
当日は、アフガニスタン難民キャンプで生まれたレザさんをお迎えして、英語のスピーチの同時通訳にチャレンジしたり、サプライズの花束を用意したり、実行委員長のOくんに寄せ書きをプレゼントしたり(僕ももらいました)、僕の知らない間にいろいろな企画が生まれていてびっくり!

「関心を持ち続ける」秘訣は、自分たちが楽しむことだったのですね。それを生徒たちが教えてくれました。
さらに、今回の企画を通してあらためて認識したこと。高校生の学びを高校生自身が発信することは、世の中の大人たちを励まし、感動させる力が十分あるということです。高校生にとっても自分の学びが市民に評価されることで大きな自信が生まれます。高校の授業って、もしかして僕らが考えている以上にすごいことやってるのかも。

井沼淳一郎

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細腕二年担任奮闘記②

沖縄高生研の照屋です。先週3月3日~7日、修学旅行に行きました。北海道でスキー・TDR・東京エリアでの生徒たち各自での班行動・スカイツリー見学など、企画が盛りだくさん。生徒たちもそうですが、僕ら引率教員もかなり楽しめた旅行でした。出発の日、沖縄は19℃で北海道は-2℃。マイナス20℃近くの気温差で、生徒たちは初めて見る雪に感激していました。

さて前回の「ドラフト会議方式」の続き。この日は各班と、一年分のHR役員や各役員も同時に決める事にしました。各班の班長・班長、各委員そして三学期までの正副HR長、書記、会計です。全員が何かの係りになるように、という事です。クラスに説明すると、「それでいい」という意見が多かったのでやってみる事にしました。ただ、後になって気付きましたが、この時に一つ大切な事を説明するのを忘れていました。それは「◎各班の班長や副班長になった者はHR役員にはなれない・HR役員は一年で一度しかなれない」という事です。一年時の担任からの情報で、クラス内でリーダーシップを取れる生徒は把握していました。彼らに任せたらいろんな場面でみんなを引っ張ってくれるでしょう。でも、そうすると同じ生徒たちだけが苦労するだろうとも感じました。また周りの生徒たちも「ただリーダーについていく」だけになってしまう可能性もあると思いました。上記の「◎」の考え方なら、少なくとも一年間で全員が何かしら「班やクラス運営に関わる」経験が出来るはず、と思いました。

 

班決めドラフト会議は、ぎこちないながらも何とか進行して六つの班とそれぞれの正副班長が決まりました。次にHR役員決めです。各班の正副班長を除き、1~3学期までの正副HR長・書記男女1名づつ会計男女各1名づつです。これに卒業式実行委員や選挙管理委員も含めると、ほぼ全員が何かの係りをこなす事になります。各班から正副班長を除いた班員が、希望するHR役員を選んでいきます。

うちの学校では4月~6月にかけて遠足・新入生歓迎球技大会・陸上競技大会があります。それらを考えたら、1学期はクラスの雰囲気がある程度作られる大切な時期なので敬遠されるかな?と思いきや案外すんなり決まりました。どちらかといくと2・3学期のクラス役員が敬遠されがちでした。2・3学期のHR役員を決める時、すでに1学期のHR役員になったS(女子・副HR長)が、「先生、1学期にHR役員やったら、2・3学期はHR役員出来ないんですか?」と質問しました。僕はてっきり上記の「◎」を説明したと思いこんでしたので、「うん。出来ないよ」と答えました。3学期までの役員は、

 

1学期の正副HR長→やる気たっぷりの男子&リーダー性あふれる女子

2学期の正副HR長→おとなしいけど、堅実タイプの男子&部活一生懸命女子

3学期の正副HR長→どちらも「貧乏くじを引いてしまった….やりたくないけど、しょうがないからやる」雰囲気の男子YとBの二人組

(でも、3学期にはかなり成長する事になる)

 

といった感じでした。二時間のLHRでなんとか一年間の班と係りが決まり、正直ホッとしました。

 

でも、その日の放課後、役員決めの時に質問したSが教科の準備室に「異議申し立て」にやって来ました。「先生、HR役員は、やる気のある人にやってもらうべきです!3学期はクラスの文集を作ったり、思い出作りとかで忙しいのに、やる気がないYとBに正副HR長は無理だと思います!

私が3学期もクラス役員やります!」と。

僕は、クラス全員が納得した上で決めたと思いこんでいたので、戸惑いました。

丁寧に「①全ての生徒に役割を与える ②一部の人たちだけが苦労しない ③これまでHR役員をやった事がない人にも、あえてさせる事で成長して欲しい・周りの人たちも支えて欲しい」という事を中心に説明したら、納得してくれました。

 

「どんな事でも、全員が納得して承認を取ってから物事を決める」という事の大切さを痛感させられたクラス開きのLHRでした。

次回(4月)は行事について書く予定です。

 

 

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北国の春も間近

去年の夏は猛暑。秋近くになっても30度を超える北国でした。

冬は豪雪と猛吹雪

自然の厳しさを感じながらも北国に住む若者は3年間の高校生活を終え

新たな旅立ちをすることになりました。

我が高校の生徒の多くが大学へ進学します。

地元の大学だけでなく、北海道から東北、関東。

新潟や京都の大学に進む生徒がいます。

彼らと一緒に歩んできた3年間。

学年主任と担任7人の計8人は3年間変わりませんでした。

学年だけの職員室はいつも笑いが絶えませんでした。

生徒たちも素直で明るくそれぞれが新しい道を歩もうとしています。

ただ、残念なことは、入学してきた全員が卒業できなかったこと。

そして、3月の卒業前に、ひとりの生徒を病気で失ったことです。

何度も卒業生を出してきましたが、彼らと10年後に出会うことが本当に楽しみです。

進学校では、模擬試験の結果や国公立大学の数など目先の数字にこだわる先生も多いです。

教師になって30年。高生研で学んだことが、どこの学校にいても役立っています。

地元の大学の後期試験の集団討論の練習では、

大阪高生研から学んだゲームを取り入れ、

からだと心を開かせながら、討論させました。

まだあちこちに雪山がありますが、確実に雪解けは進み、春が近づいています。

教育学部に進んだ生徒たちや今年、新しく先生になる卒業生に声をかけて

京都大会に参加したいものです。

よしだ まさひろ(あおもり高生研)

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北国の桜は5月のゴールデンウイークです。(*^ー^*)

 

 

 

 

 

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喜びと悲しみの卒業式

3月1日は多くの高校で卒業式がありました。私が所属する高校も3月1日が卒業式。卒業生を送り出す担任団は1年次より変わらず、7人の担任と学年主任の8人がガッチリとスクラムを組んで3年間を楽しく過ごすことができました。30年の教師生活の中で、これほど学年のスタッフに恵まれたことはありません。50代、40代、30代と年齢のバランスがとれ、それぞれが持ち味を出し合い、生徒の進路達成にむけて日夜奮闘してきました。

遠足、球技大会、文化祭、運動会などの行事も積極的に生徒とともに頑張りました。1年の夏と2年の春に行われた学習合宿では真剣な学びに取り組みました。地方の進学校は経済的理由により、多くの生徒が国公立大学を目指しています。7クラス275名のうち、今日でちょうど100人の生徒が国公立大学に合格し、その他に私立大学や公務員試験に合格して、半分以上の生徒が進路を確定しました。

卒業式は彼らにとって、大きな節目の1日となりました。ともに、卒業するはずだった一人の女子生徒が、卒業式直前の2月18日に突然の病のために亡くなりました。1年生の時は私のクラスの生徒でした。明るく朗らかで、テニス部のエースでキャプテン。インターハイにも、全国選抜大会でも活躍しました。卒業式は喜びだけでなく、悲しみの卒業式でもありました。

我が高校には送辞と答辞がありません。東高校賛歌という歌がその代わりです。卒業生退場の際に、ひとりの大柄な男子生徒は声を詰まらせ、泣きながら担任にお礼の言葉を言ってくれました。私は、最後のクラス。生まれて初めて、男子生徒たちに胴上げされました。やんちゃな彼らに、この1年間は苦労させられましたが、不思議と嫌な感情は抱きませんでした。

担任からのクラスの生徒たちへのプレゼントは3年間のフォトスライドショー。3年間、いろいろな場面で写真を撮ってきました。あっという間の3年間。担任は本当に疲れますが、教師という仕事は本当にいいなあと思う今日このごろです。      (よしだ まさひろ)

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戦後教育

長野県 小澤彰一(木曽青峰高校)

 安倍総理は「戦後レジームからの脱却」と言った。これは憲法・教基法体制を捨て、元に戻すという意味である。先の政権では教基法を改悪した。現政権の施政方針は、6月の参院選を控え抑制的であるが、やはりその爪は隠し切れていない。
戦後教育とは新しい時代の主権者を育てる教育実践運動である。戦前にも水源を持つ民間教育団体が50年代に一斉に設立された。第一世代は戦争をかいくぐって新時代を迎えた教師たち。第二世代はその教師の下で熱く学ぶ生徒であった教師たち。第三世代が今退職期に入っている。
民研の「人間と教育」がこの第一世代からの聴き取りを連載した。対象の一九人の中に長野県の山岸堅磐氏が紹介されている。氏の軽妙かつ情熱的な語り口が紙面に踊って嬉しくなる。それをまとめた『ある教師の戦後史』の出版記念会が法政大学で開催された。竹内常一氏と一橋大の藤岡貞彦氏が基調発題し、藤岡氏は、彼らに共通するのは、教組運動特に教研、教育課程の自主編成、学校と地域を結ぶこと、という三点に関わってきたことと評した。
さて、次世代に何を引き継ぐかが問題だ。この春も多くの教育実践家が職場を去る。希望に燃えてめざした体制が忌み嫌われて捨て去られ、再び先人の闘争を繰り返すのか、繰り返せるのか。
比叡山大会の熱気は戻せないにしても、新高生研体制の実質第一回大会、京都大会に期待するところは大きい。

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【学校現場からの意見表明】

部活動・スポーツの指導だけに収束させず、

学校内すべての「暴力」を鎮めるために

 

~「体罰」問題を考える緊急集会で明らかになった3つの論点と実践の方向性~

 

大阪高生研事務局

 

 

「体罰」問題を考える緊急集会「今、あらためて“指導”を考える~学校における体罰・暴力をなくすために~」(1月31日開催)は、部顧問の体罰を苦に自ら命を絶たなければならなかった若者の無念の思いに哀悼の意を表し、この問題を私たちひとりひとりの指導を検証する教育的議論に引き寄せることを目的とするものでした。

 

集会の冒頭、弁護士の方から、暴行・障害・傷害致死罪と最高裁判例が示され、何人も「緊急避難」と「正当防衛」以外に「人の身体に対する有形力の不法な行使」は許されないことが確認されました。

その後の集会の討論は、3つの重要な論点とすすむべき実践の方向を明確に示すものになったと言えます。

 

第1に、体罰という暴力が子どもにどれだけ深刻な影響を及ぼすかについての確認です。

神奈川からメールを寄せてくれたある保護者は、ご自身の子ども時代の被体罰経験から、体罰の恐怖が子どもから考えることを放棄させ、見せかけのがんばりと自己肯定できない不安のなかに生きることを強いていくと指摘されました。参加されたジャーナリストからは、取材を通して、自分がされたことではなくても体罰を見せつけられること自体の恐怖が報告されました。研究者からは、ある意味で正常な恐怖心すら「心の弱さ」のせいに追い込む自己責任論を媒介して被体罰経験者のなかに体罰肯定論が生まれてしまうことが調査結果に基づいて発言がありました。

さまざまな体罰容認論・必要論が根強い中で、まず私たちが肝に銘じなければならないことは、体罰に従順な子どもではなく、体罰を「おかしい!」と言える、そして必要なSOSを、さまざまな方法で発信できる子どもを育てようという決意です。

 

第2に、私たち自身があらためて指導とは何かを問うことです。

人を指導することを生業(なりわい)にしている私たちこそ、誤った指導観を克服する不断の努力を自己に課さなければなりません。今、学校現場には、マネジメントにもとづく目標‐成果主義が浸潤し、子ども・生徒を自己の思いどおりにすることが指導であり、思いどおりに動かせる教師がよい教師であるかのような眼差しが強まっています。体罰・暴力は人を支配する快感を手っとり早く与えてくれる「麻薬のようなもの(教育研究者の発言より)」です。その快感と引き換えに、尊敬と信頼に基づいた指導‐被指導関係は捨て去られてしまいます。

また、剥き出しの暴力や体罰のみがその関係を廃棄するのではないことにも注意を払う必要があります。罰則を細かく定め、違反した場合は厳格に処分を行う「ゼロトレランス」的生徒指導は、多くの場合、生徒と教師の応答を断絶し、よりシステマティックに人を傷つけ支配しようとします。私たちは制度や構造に組み込まれた無意識の暴力性もまた、言語化する努力が必要でしょう。

集会の中で元大阪市教育委員長が述べられたように、指導とは「問いかけと応答」から成り立つ本質的に相互関係行為です。指導する者は、指導される者とともに現実を読み、感じ取り、どうなりたいのか、どうすればそうなれるのか、指導者としてやれることは何なのかを、互いに問いかけ応答しながら進みます。しかし、生徒が発する問いかけや応答は、必ずしも前向きでないかもしれません。むしろ、指導に対して否定的な様相を見せることのほうが多いでしょう。

そんな時に湧き上がる怒りや暴力的な自分をどう鎮めていくのか。

私たちは、指導の「~べからず」を数えあげるのではなく、生徒との関係を忌憚なく検討し反省しあえる場と同僚性を作りだすことに力を注ぎたいと考えます。

 

第3に、そのような真摯で自由な議論に裏打ちされた学校をどうつくるのかが問われています。

現場では、職員会議が、議論よりも「ホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)」の場に変えられ、「上から」の眼差しのなかで教師が孤立感と無力感を深めています。価値対抗的な議論と当事者の決定をともなわない民主主義では、形式的な平等が優先され、誰も本気で責任を取ろうとしません。その行き着く先は、失敗の犯人捜しと過剰な個人攻撃と首のスゲカエです。

今、学校現場に必要なことは、暴力の過ちを克服する自浄能力を具体的にどう高めるかに知恵を絞ることです。

集会では、「今年を三者協議会元年に!」という発言がありました。大阪府教育委員会が推進する学校協議会は現場教員や生徒の代表が含まれておらず、当事者の対等な参加が担保されていません。しかし、私たちは制度を待つのではなく、実践を通じて制度を作る道筋を考えたい。教師、生徒、父母、第三者が事実を共有し、知恵を集め、お互いの他者性を尊重しながら一歩ずつ相互の信頼を回復していく地道な実践を通じて、学校民主主義をリアルなものにしていきたいと考えます。

 

以上、学校現場から、私たちの思いを表明します。

 

2013年 2月