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さすが遠足! やっぱり遠足!

 京都の大野です。

 今年度は高1の学年主任兼担任をしています。

 私の勤務している学校は私学の中高一貫の女子校です。

 今の高1は中学1年から私が学年主任兼担任をしてきた学年なので可愛くって仕方がありません。4月の学年ガイダンスでも「こんないい学年はありません!私はこの学年を愛しています!」と恥ずかしげもなく公言したぐらいです。

 ただ中高一貫といっても高校から入学してくる生徒もいるので、この生徒たちと、中学から少人数クラスで家族のように親密な関係を築き上げてきた生徒たちがどのように交流し、新しいクラスの人間関係を作っていくのか、お互いに牽制し合って、変なグループ対立が起こったりしないかと、学年をスタートさせる前から心配していました。

 うちの学校では、中1の新年度開始時に1泊2日のオリエンテーション合宿があるのですが、高1ではありません。なんかないかと考えた末(というほどでもないのですが…)ここはやっぱり「遠足」でしょう!と、前もって4月当初の行事の中に、半ば強引に遠足の日を入れてもらいました。

 どんな遠足にするかを考えるための参考にさせてもらったのが、「おまかせHR研究会 編著」の「ザ・遠足 クラスづくりは遠足から」です。

 春休み中、この本を読みながらどんなふうにしていくか、ずっと考えていました。

 いざ学年がスタートしてみると、予想どおり、本校中学から進級してきた生徒たちと他中学からやってきた生徒たちの温度差がはっきりと…。

 遠足の行き先は、いくつかの条件を示して生徒たちに班毎にアイデアを出させて、多数決をとって決定。かなり制約のある条件だったので、結局、決まった行き先は奈良公園。

 せっかくなので興福寺の阿修羅像を見たいという大野の個人的願いも入れてもらって実施しました。

 最初はぎくしゃくしていた子どもたちも、班毎で点呼したり、鹿とたわむれ、お弁当後のおやつタイムで自分たちがそれぞれ持ってきたおやつをやりとりするなかで、グッグッと親密さをましていました。女の子はやっぱりおやつなのか…。

 遠足を実施した次の週から、かなりクラスの空気が変わっていました。

さすが遠足! やっぱり遠足!

 まあ、その後いろいろな生活指導上の問題はありますが、そこはまた、高生研のみなさまにお世話になるかも…。

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特別支援教育という視点

沖縄の伊藤です。

昨日、今日とNHK杯放送コンテスト県予選があり、

私が副顧問をしている映画研究会の

テレビドラマ番組が、最優秀賞をいただきました。

前の顧問の先生がプロはだしだったので、

その技を引き継いで、安定した実力を発揮し続けて

もう5年以上代表の座を守っているのですが、

今年は震災の影響で全国大会の準々決勝が

DVD審査になったので、それに通らないと東京にはいけないのですが。

それはともかく、今日は、

テレビドキュメンタリー部門最優秀賞の作品のことを書きたいと思います。

『CHANGE』と称されたこの作品は、

車椅子に乗った一年生を題材にしたものでした。

手足が不自由な彼と学校生活をするために、

その学校では多くの工夫が施されています。

特に感動的だったのは、彼のために特別ルールを作って行われた球技大会。

基準をいくつにも設ければ、多くの違う能力を持つ人々が

うまく共存できることが体感できるエピソードでした。

私は現在、特別支援コーディネーターをやっていますが、

大変繊細な問題が多く、学べば学ぶだけ難しいと思います。

でも、答えはやっぱり生徒たちの中にあるんだろうな、と

思える作品でした。

舟橋先生の基調にも、新しい実践を切り拓く視点として

特別支援教育があるというくだりがあります。

高生研で、研究していく価値のある新しいテーマですね。

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生徒が変わるとき

先週末 青森では高校総体がありました。

私はバドミントン部の女子の監督。

また県知事選もありました 。

開票作業の影響で金曜日がバドミントンの団体戦。

我が高校は男子がベスト4を守りましたが、

女子は監督の私のオーダーミスでベスト8を守ることができませんでした。

教師生活29年のうち20年間 バドミントンに関わっています。

部活動は本来、教師の業務ではありませんが、

生徒に与える影響は大きなものがあります。

青森は今年、北東北インターハイがあります。

我が高校からは女子の硬式テニスと

女子アーチェリーが県2位の成績でインターハイ出場です 。

バドミントン部の2年生は全国大会の補助で

夏休み5日間

私は大会進行の業務で一週間 このインターハイに関わります。

今日は高校総体の代休ですが、部活動の練習をしました。

先輩たちの悔しい敗戦を見て

女子の部員の眼差しと動きが明らかに変わりました。

毎日わずか2時間足らずの練習ながら

県の総体で素晴らしい成績を残している各部の生徒たち。

大学進学に向かう生徒がほぼ100%の我が校の生徒たち。

青森県は原子力半島と呼ばれる箇所があります。

核燃料サイクル基地。

東北電力の東通原子力発電所。(現在、点検中)

東京電力の東通原子力発電所はまだ工事前?

マグロで有名な大間にも原子力発電所の計画があります。

今回の福島の大きな原発事故があったにも関わらず

青森では大きな反対運動も怒らず

県知事選も原子力推進派の現知事が当選

生徒たちに青森の現実をしっかりと教えることが

今こそ大切だと感じています。

教師の役割は

生徒の心に火をつけること

学ぶこと、部活動に懸命に取り組むこと、そして

今の社会をしっかりと見つめ、考え、自分の考えのもとに行動すること。

これらは、生徒だけでなく、私たち大人にも今、

必要なことではないかと考えているところです。

新高生研のありかたについて

うまく自分の言葉で語ることはできないけれど

対立より、対話。

生徒たちがよりよく変わるために

私たち教師はどんな実践に取り組んでいかなければならないのか?

全国の先生方と膝を突き合わせて語り合いたいと思っています。

青森高生研

吉田

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どんな言葉を発するのか?

岩手の中さんから、担任している1年生の学級通信が届きました。そこには、次のようなクラスの生徒の作文が紹介されていました。

 「3月11日、東日本大震災が発生しました。あんなに大きく長い地震は初めてでした。

発生してすぐに避難訓練通りの所に行きましたが、落石等の理由で、他の高い所へ逃げました。着いた瞬間、ものすごい音が聞こえ、土煙が上がってきました。町はもう海と化していました。津波の勢いがすごく、数メートル後ろまで水が押し寄せていました。周りの友だちの家はもうありません。自分の家は、津波とかけはなれた所に建っているし、家族も心配ありませんでした。周りの友だちは家族や家の心配をし、泣いています。自分だけ、一緒にその気持ちが分かってやれない事。すごく悔しかったです。

 避難所は人であふれていました。電気もなく、静まりかえった避難所。人生で一番辛く、

暗い一夜を過ごしました。家族の無事の情報がたくさん入ってきました。しかし地震当日、

同級生の一人が欠席していました。安否情報もなく、何日経っても分かりません。その友

だちは亡くなりました。病院に行く途中で津波にあいました。79人という少ない大事な

仲間です。今までだったら、学校に行けば普通に会って、普通に話していました。普通に

学校に行けると思っていたし、いつもの毎日が続くと思っていました。地震がくるとも思っていなかったし、津波も数十センチので終わるだろうと思っていました。今回の災害で、当たり前のことが当たり前ではないという事がわかりました。

 まだ避難所にいる人もいます。テレビや新聞などで報道されている事はほんの一部であ

り、苦しみ・辛さは伝わりません。経験した人にしか分からない辛さがあります。自分た

ちに出来る事を見つけ、取り組み、一生懸命生きていく事が、今生きている自分たちの使

命だと思います。」

 この後に、中さんはこう記しています。千葉大学教育学部の藤川大祐教授は「大切なのは子どもの心のケアだけではない。被災地の現場と、社会とかけ離れた学校文化と。その落差を見た子は勉強する意味を問い直すに違いない。学校がどんなメッセージを発するかが問われている」と語っています。「おまえはどんな言葉を今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。」と言うのはあさのあつこさん。今こそ教室で、思いを語り合いたい。そして、言葉を紡ぎ続けたい。私の願いです。

今回、岩手や宮城や福島の方々に、本当に心配していろいろ教えて欲しい、とお願いしていました。しかし、生徒が書いているように、「経験した人にしか分からない辛さ」があるのだ、と改めて感じました。そしてそこに勤めているから、「勉強する意味を問い直す」生徒に向かい、「どんな言葉を今、発する」のか悩む教師がいるのだ、と分かりました。私たちは、その重さに打ちのめされ、無力感を感じます。

 市内で被災地の写真展が行われており、今日見ました。平日で誰もいない、説明する人もいない広めの空間に、被災地の写真や救助するボランティアの写真が掲示されていました。数の少なさもあり、単なる情報の提供を受けている感じがしました。やはり現地で、5感で体験するしかないのでしょう。そして、体験していない生徒に対し、どのように「言葉を発するのか」私たちも問われているのだと思います。

                    とらぬ狸@秋田

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名古屋・近郊 観光スポット紹介

 高校現役を退いて、もう4年余り、おかげで、高校教育現場的発想で書くことがすっかりできなくなってしまいました。

 新聞紙上などでは、このところ「君が代」斉唱問題が盛んに報じられています。大阪府議会が、「君が代起立条例」を可決したとか、橋下府知事が、この件で懲戒免職処分を含む「処分基準条例」を9月府議会で制定する意向だとか、最高裁が「君が代処分合憲判決」を出したとか、とても気がかりな動向です。でも、この問題では、いわば当事者の方もおられると思いますので、私があえて論評すべきことでもないか、と思ってしまいます。(非常勤を務めている大学の講義では、学生のみなさんにできるだけ正確な情報やその見方を話していかなければ、と思っています。)

 そんなわけで、今回もまた、「閑話休題」ですが、素人考えによる、「名古屋・近郊観光スポット」を少し紹介したいと思います。

 大阪高生研の「アフター・ツアー 世界遺産 白川郷の旅」素晴らしいですね。合掌造りを満喫された後は、時間があれば「高山市内見学」とか、「奥飛騨温泉郷」でもう1泊、ロープウェイで西穂高中腹まで登るとか、「乗鞍山頂へ行く」とか、「安房トンネル」を通って上高地まで行ってみるとか、周辺にも魅力的なところがいっぱいあります。よい旅をなさってください。

 ところで、「名古屋観光スポット」 まず、名古屋は初めてという方には、必須の場所は「名古屋城」です。大同大学からは、名鉄電車で金山へ、ここで地下鉄に乗り換えて、「市役所前」下車、徒歩10分ほどで名古屋城です。ほぼ、年中無休ですので、8月8日(月)午後でも、十分見ることができます。元の天守閣は「金の鯱鉾」もろとも、空襲で焼けおちてしまいました。今あるのは戦後つくられたものですが、「鯱鉾」も立派に復元されています。中はゆかりの美術品の展示場で、なかなか素晴らしいです。域内では、「本丸御殿再

建工事」が進行中、天守閣は「コンクリート製・エレベーター付き」ですが、「本丸御殿」は木造で、かつての姿を忠実に復元するようです。

 名古屋城の後は、地下鉄で2区、栄へ戻って、「テレビ塔」に登るのもいいかもしれません。展望台からは名古屋の全域が眺望できます。「後泊」される方は、テレビ等から夜景を楽しむというのもあります。「節電」でやや暗いかもしれませんが・・・。

「栄」のついでですが、名古屋は地下街も有名、「栄」と「名古屋駅」にかなりの規模の地下街があります。ショッピングもいいのですが、代表的な名古屋めし「味噌煮込みうどん」(山本屋)や、ちょっと「お茶する」にもいいです。私が時々行く喫茶店は「コンパル」という店ですが、「小倉トースト」なるものがあります。トーストの上に餡を乗せただけのシンプルな食べ物ですが、妙においしいのです。

「東山動植物園」や、「名古屋港水族館」も見る価値ありと思いますが、動植物園は月曜日休館、翌日でないと入れません。水族館は夏休み期間中無休です。開館時間も夜8時まで、金山から地下鉄で終点「名古屋港」までいけば徒歩5分ほどです。最高の呼び物は「しゃち」でしたが、メスの「ナミ」が、今年1月に死んでしまい、今はレプリカしかありません。名古屋港水族館はウミガメの研究で有名です。

 ウミガメと言えば、知多半島の先端近く、名鉄電車の知多新線・知多奥田駅(日本福祉大学・同付属高校の最寄り駅)を降りて徒歩15分ほどのところに、「南知多ビーチランド」という水族館があり、ここでもウミガメの飼育や、人工孵化を行っています。知多半島や渥美半島にはアカウミガメが産卵する浜があり、ちょうど今頃が産卵時期です。夏には人工孵化でかえった子ガメを放流しています。なお、近くに「杉本健吉美術館」(美浜緑苑駅下車)もあります。

 最近話題の博物館を2つ紹介します。一つは今年3月にJR東海が開館した「リニア・鉄道観」(名古屋駅からあおなみ線という鉄道に乗って終点の金城ふ頭駅で降りて徒歩2分、火曜日休館)です。蒸気機関車・新幹線電車・超電導リニアの実物や、鉄道ジオラマなどが展示されていて、鉄道ファンには見逃せない施設かもしれません。

 もう一つは「名古屋市科学館」(金山から地下鉄で栄へ、ここで乗り換えて名古屋駅方向へ1区、伏見で降りるとすぐ)です。最新・最大のプラネタリウム「ブラザーアール」が、公開されています。

 「科学館」の隣が「名古屋市美術館」です。9月4日まで「レンブラント 光の探求 闇の誘惑」という企画展を行っています。ほぼ同時開催で、「豊田市美術館」(豊田市)で、「フェルメール『地理学者』とオランダ・フランドル絵画展」を開催しています。

 ついでに名古屋・近郊の美術館ですが、栄には「愛知県美術館」が、その少し南には「松坂屋美術館」(百貨店松坂屋南館)があります。松坂屋美術館は8月7日まで、「昭和・メモリアル 与勇輝 展」ですが、県美術館は「福島原発事故」の「風評被害」というべきか(外国からの作品搬入が不可能になった)、8月に予定していた企画展が開催できなくなってしまいました。

 東区には、「徳川美術館」(JR中央線 大曽根駅から徒歩約15分)という、ややユニークな美術館があります。金の「茶室」とか、尾張徳川家に伝わる数多くの「宝物」が所蔵・展示されていますが、最高は「源氏物語絵巻」です。ただしこの本物は季節限定でしか見ることができません。毎年、秋です。

 その他小さな美術館ですが、地下鉄池下駅の近くに「古川美術館」というのがあります。その筋向いに「古川為三郎記念館」という邸宅と日本庭園が公開されています。市内とは思えないほど静かでゆったりとした空間です。

 愛知県には、「メナード美術館」(小牧市)、「荻須高徳美術館」(清須市)、「三岸節子美術館」(一宮市)などもあります。

 愛知県内有数の観光地は、木曽川沿いの犬山市(全国学力・学習状況調査不参加でもよく知られた)です。国宝犬山城、国宝茶室有楽苑・如庵、木曽川うかい、街角の散策路、犬山モンキーパーク(京大霊長類研究所)、近くに明治村、リトルワールドなど、観光スポットが数多くあります。犬山城へ行くには名鉄電車犬山線で、犬山遊園下車が便利です。明治村もお薦めですが、名鉄犬山駅からバスに乗り継ぎます(本数は一時間に2本ほど)。名古屋駅バスセンターから直通バスも出ていますが、本数が少ないので要注意です。

「観光スポット」と言いながら、美術館が多くを占めてしまいました。私の好み中心で、申し訳ありません。

柴田順三   

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熊本高生研の藤川です。

名古屋大会現地の実行委員会の皆さん、大会の準備ご苦労様です。

熊本高生研の藤川です。熊本高生研から名古屋大会には最低5名は参加出来そうです。これからさらに参加を募っていきたいと思います。

ところでお願いですが、青森・大阪大会では美味しい(ご当地グルメ、お酒)夜の交流会が企画されました。青森大会では私は前泊の交流会と大会当日の交流会と2回も参加し、堪能させていただきました。私のような呑兵衛にとっては、地元のお酒と料理そして楽しい歓談は、とても魅力的です。青森大会の時は事前予約は私一人だけだったのではないかと思いますが、思わず事前予約をしてしまいました。当日希望者が殺到しましたので正解でした。

忙しいなかグルメの交流会まで企画できんぞ、という声が出そうですが、もし余力がありましたら企画いただいて、7月の全国通信で参加者募集をしていただけたらと思います。よろしくお願いします。

名古屋で8月にお会いしましょう。

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名古屋大会、書籍もあります!

大阪・サトウです。

今年は書籍を三重高生研・松尾さんを店長に、全国から「やったろ!」隊が集まって店開きします。

松尾店長からは、エクセルデータ満載の「今年の書籍注文一覧」が送られてきました。

今年、「新刊中心」でいろいろ選書してくださってます。

以下、店長からの書籍リクエスト呼びかけ。

「これぞ!」というものがある方、どうぞコメント欄に返信くださいね。

<以下・松尾店長より>

名古屋大会の書籍選びの真っ最中です。

例年お世話になっている18の出版社についてこれと思う本をあげてみました。今、まとめているところです。新刊本中心に販売してはどうかなと思います。

各出版社とも新刊本を中心にあげてみました。

発行年が新しくないものでも、ぜひこれというのがあれば教えてください。

どの本もというわけにはいきませんが、例年取引のある出版社の本でおすすめの本があればぜひ知らせてください。

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ちょっと複雑

今年度、9年間在籍した流山北高校から野田中央高校に異動になりました。野田中央高校というのは6年前に野田高校(伝統ある女子高)と野田北高校(部活学校)が統合してできた学校です。千葉県の場合は廃校という言葉は使いません。が、実際には2つの学校を統合する(新しい学校を作る)形で結局両方とも潰してしまいます。統合される学校は大変です。もともと違う学校ですから、教育課程に始まって、制服や校則、上級学校への推薦基準、生徒指導のやり方、文化祭の実施要領などなど、実に細かなことをすり合わせながら新しい学校の骨格を作って行くわけです。

 おっと。そういうことを書きたかったのではありません。野田中央高校の話です。転勤しても、私に待っていたのはソフトテニス部と生徒会の顧問でした。野田中央のソフトテニス部は、男女合わせると30名ぐらいの部員がいます。昨年までとは大違いです。生徒も真面目に練習します。はっきり言って流山北高校より強いです。先日、部活の地区大会がありました。私は男子の顧問をしているのですが、個人戦で1ペアが県大会出場を決めたのみで、団体では惜しくも県大会を逃してしまいました。(リーグ戦で同率になったため、セット率の差で出場枠の3校に入れませんでした)女子はその逆で、個人では勝てなかったのですが、団体では何と1位通過で県大会出場を決めました。

 欲を言えば切りがないのですが、やはり顧問としては団体で県大会に行けた時のほうが嬉しいものです。実はこの地区大会で、流山北高校の女子がじつに9年ぶりに団体での県大会出場を果たしたのです。昨年まで、臨任で素人の顧問が面倒を見ていた、あの6人ピッタリしかメンバーのいない女子テニス部がです。一方男子は、そこそこうまい新入生が入ったにも関わらず全くダメでした。自分が関わった生徒が県大会に出場するということで悪い気持ちはしないのですが「かなり面倒を見てきた男子は一体どうなってるんだ?」と思うと、ちょっと複雑な気持ちがした大会でした。

                        野田中央高校 片桐哲郎

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指導ではなく支援を~Aくんへの対応と、高生研例会のこと~

 放課後の教室。ちらほら数名の生徒たちがなごやかに談笑しながら自習している傍らで、今日も私はAくんの机周りを片付けた。

 三日ぶりだから紙類の散乱状況はひどい。今日配布されたプリントや返却された中間テスト、教科書や資料集、弁当代わりに買ってきたパンのビニール袋などが、くちゃくちゃと机の中に突っ込まれていたり机の上に積み上げられていたりする。

 Aくんの姿はそこらにない。私はプリント類を一枚ずつ伸ばし、分類し、ファイリングしていく。「先生、おかあさんみたいなことして」とBくんの声が背後から飛んでくるけれども、「Aくんには今これが必要なんやわ~」と言って作業を続ける。教科書は教室後部の個人の棚へ、プリント類は各教科ファイルに綴じて机の中へ。要らないものはゴミ箱へ。

 「先生の日課ですね」とCさんが言ってくれる。果たしてこれでよいのかは、わからないのだけれども…。

 私は3年生の担任。Aくんとの付き合いは3年目になる。最初の2年間は、持ち物を整理せず配布物をすぐに失くすAくんに自分で整理整頓する習慣をつけさせようとしていた。しかし「自分で整理させる」ことに固執した結果、私は彼とひどくぶつかることとなった。

 2月のある日、教室を入試に使うため全私物持ち帰りが義務付けられたにもかかわらず、Aくんはビニール袋大3個に詰め込んだ紙類・教科書類を掃除用具入れに隠したのだ。後日発覚して「家庭に届ける」と言い張る私に対してAくんは「何が悪いんですか。荷物を掃除ボックスに隠して何が悪いんですか。誰にも迷惑かけてないでしょ。僕が荷物を掃除ボックスに隠したからって、入試に影響ありましたか!」と食ってかかった。

 「悪いですよ!私物持ち帰りが義務付けられていて、みんな大きなかばんを持ってきて重たい荷物をちゃんと持って帰ったのに、君だけ掃除ボックスに荷物を隠すなんて、悪いじゃないですか」「荷物を持って帰った奴らはね、掃除ボックスに隠すっていう知恵がなかっただけですよ。」「とにかく、キミの荷物、家に届けるから」と私が言った途端、Aくんの態度が変わって「オマエの顔みてるだけでキモイんじゃ!家へ来る、家へ来るって言いよって。困る言うてるやろ。アホか!ボケ!あっちいけ…(たくさんの罵声を聞いたが正確に覚えていない…)。Aくんは「家庭訪問」という言葉にキレたのだった。

 「家庭訪問」されていい思い出なんかないですよ、とその後冷静になったAくんが語った。小学校中学校時代にいやというほど家庭訪問を受けたらしかった。結局私は私物お届け家庭訪問はせず、Aくんの私物は学校で分別して要らないものを処分した。

 その頃である。同じクラスにいるCさんのお母さんからアドバイスをいただいたのは。「先生、Aくんに必要なのは、指導ではなくて支援です」。

 Cさんのおかあさんは支援学校の先生をしておられる。まじめで素直なCさんは家庭でよく学校のことを話すらしかった。私がAくんの身の回りの整理に手を出そうと思い始めた時に、Cさんを通じてお母さんに相談したら、「必要なのは指導ではなくて支援です」と言ってくださったのだった。

 指導ではなくて支援? 具体的に教師のどんな行動が想定されるのだろうか?―それは個々の生徒の状態にもよって違うだろうけれども、同じ問題にぶつかっている教師は多いはず。こんどの例会に出して、どうしたらいいか一緒に考えてもらおう、と思って4月の例会は「指導ではなく支援を」というテーマにしてもらった。

 Aくんへの対応は暗中模索状態ではあるけれども、二か月に一回の高生研例会で友人たちから出される様々な“困難を抱える生徒たち”の事例を聞きながら、少なくとも目の前の次の一歩だけは見えるような気がしている。

(京都 田中)

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サークルつれづれ~教育研究サークルについて思うこと~

 京都の寺井です。

 教育研究サークルについて、思うことを少し書いてみたいと思います。

 「京都こくご教科懇」は20年、国語教育研究サークル「土曜日の会」は30年となるのですが、これが民間教育研究団体ですと、戦後60年、50年という大きな節目を迎えています。

 「教育科学研究会」は、戦後の再建時から『教育』という雑誌を発刊して以来、60年です。“戦後教育学”否定の動きを大きく問題視して、60年間の歩みを10年ずつに区切って歴史的な検討会を重ね、何冊かの“講座物”を世に出そうとしています。“戦後教育学”をこの教科研が全的に背負わねばならないとする点がよくわかりませんが、私にはとても興味深いことです。

 「日本文学協会」の国語教育部会も、やがて60年です。1976年の『日本文学』での「国語教育の戦後三十年」(シンポジウム)を読みますと、戦後の熱い思いが通らず、運動の在り方の是非を考え、子ども観や教材観が多様になっていく状況に苦慮する―その苦労がしのばれますが、議論の端に、今の私たちの状況に通じる目を感じます。この後の30年、私たちの30年は、どうたどるべきでしょうか。

 たびたび寄り集まれる、身近な者たちとしてのサークル、教育現場で汗している仲間の親しみで集まれるサークルが、たとえば、「教科懇」であり「土曜日の会」でしょう。「教科懇」は教員組合を母体としていますが、「土曜日の会」はたまたま知り合った知己のゆるい集まりです。

 その「ゆるさ」は会を始め、ずっと担って来られたFさんの強力な求心力とおもしろいバランスをとっています。

 

 「土曜日の会」の10月例会に、S市の府立高校の若い先生(女性)が初めて参加しました。どこかに国語の話ができる場がないものかとの思いが募って、大学で学んだ恩師に訴えて、ここを教えられて来た、ということです。その師は、かつての私の同僚でもあります。男子の多い工業高校では、授業に集中できず、授業している教師という自覚が持ちにくいことが、大きな悩みと言います。

 「たまらなくなって、校長に聞いたんですよ。この学校では教員の仕事の何割が授業なんですか。校長は、5割と言うんです。ショックでした。私のアイデンティティは何なのか。私はあくまでも国語の教師でありたい。」 京都は遠いけれど、今見つけたこの場は手放したくない、と思っているようです。

 「教科懇」の20年は、そんなに大きなこととはされていませんが、「土曜日の会」は、昨夏以来、継続はどうするか、世代交代はできるのか、随分気をもみ、話し合いもしました。見通しは容易ではありません。わずかな可能性を胸中に抱いて、私は協力していくつもりですが、かなり悲観的です。

 ところが、10月例会に初参加した先生を前にしますと、この方の思いを精一杯守らねばと思うようになります。

 寺井治夫

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台風一過

先週末、沖縄では、かなり久しぶりに

猛烈な台風が過ぎ去って行きました。

台風最接近の土曜の夜、

留学斡旋機関AYUSAの方との顔合わせということで

照屋さんも一緒に那覇の居酒屋にいたのですが、

その居酒屋でも三回停電があり、

危険性が感じられたので、少し早めに解散して

帰りに通った国際通りでは、

強風に煽られ、へし折られ、

ドアが180度全開になった軽自動車やら、

根っこから倒壊している街路樹やら、

へし曲がって機能しなくなった信号機やら、

そりゃ、もう異世界。

東京からついたばかりのAYUSAの方は、

初体験の沖縄の台風にかなり興奮されておりました。

家に帰り着いて、しばらくすると

うちも停電。

12時近かったのでそのまま寝てしまいましたが、

翌朝7時半ごろ復旧しました。

ということで、うちでは不便はほとんどなかったのですが、

中には、停電と断水が一昼夜以上続いたところもあり、

少しだけ、被災者の方の不便さがわかったという生徒もいました。

台風がすぎたあとは、久々の青空で気持ちのいい2日間でしたが、

今日はまた、梅雨に逆戻りの大雨。

沖縄の梅雨はまだまだ続きます。