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今後(8/8以降)の参加申込について

みなさま
高生研鳥取大会がいよいよ近づいてまいりました。
掲載しております大会参加申込フォームですが
明日、8日(水)未明5時の時点を持ちまして
こちらでの受付を終了しました。
その後の申込につきましては
直接会場にお越し頂き受付を行って下さい。
なお不明な点につきましては
大会リーフレットの最後の所に載せています
大会実行委員長の安藤まで
お問い合わせ下さい。
よろしくお願いします。

大会実行委員長 安藤誠也

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交流会情報

親の会【らっきょうの花】は、10日の交流会②(18時30分〜20時30分)を担当します。

【会場:県民ふれあい会館4階】

多様な生き方をする若者達の保護者・支援者がお話します。
またインクルーシブダンスグループ『星の入り口』のダンスも❣️

12日は、鳥取大学教授の三木裕和先生の『特別支援教育』に関する講演が行われます。

【会場:青翔開智中学校・高等学校】

当日参加、歓迎します。
お待ちしております。

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鳥取のうまいもん紹介!②

【シロイカ】

初夏から晩秋にかけて、夜こうこうと明るく輝く日本海の風物詩「漁り火」。

この一本釣りで釣り上げられるケンサキイカを地元ではシロイカと呼びます。

甘みが強く濃厚な味わいが人気の鳥取の夏を代表する味覚です。

刺身をはじめ、煮付け、炒め 物等様々なお料理でご利用いただけます。

 

■Point 「透明感がある」白いかは、高鮮度の証

白いかは鮮度良いときは、皮が透けて内臓が見えるくらいの透明感があります。

逆に鮮度が低下すると赤っぽくなってきます。

お店での白いかの購入の目安にしてください。

 

■名前の由来・歴史

「白いか」=「赤いか」

鳥取県では「白いか」と呼んでいますが、ケンサキイカのことです。

築地市場では伊豆で漁獲される細身の白いかを「赤いか」と呼ばれているようです。

なお、鳥取県で赤いかは「そでいか」のことです。

 

■鳥取墨なし白イカ「白輝姫(しらきひめ)」

鳥取県産魚PR推進協議会では、墨袋を取り除いた「鳥取墨なし白イカ」に「白輝姫(しらきひめ)」の愛称を付け、ブランド化へ向けて取り組んでいます。

 

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道楽と勉強と仕事 その3「教育の仕事と高生研」

こんなことを考えることがあります。
「教師の振るまい方が次の過労を生んでやしまいか?」と。

私はそれなりにやりがいを持って、教師の仕事にあたれていると思っています。クラブの指導についても全体的な仕事のバランス、重点の置き方を考えて、立ち振る舞っているつもりです。それは、教師の裁量を活用して、効率化した仕事の取り組み方の結果といえます。
職場によってはまったくそんな感じに振る舞えない(それぞれの教師の裁量範囲が狭められている)ことも多いでしょう。それでも、その狭い裁量の範囲で教師の仕事を工夫するのではないでしょうか。
「子どもたちを前にすると頑張ってしまう。」
教職を志したものは、この感覚が大なり小なりあると思います。そうしたモチベーションが高まることが、教師の力量を高めていく切っ掛けになることも間違いないでしょう。

生活指導を「生活に指導される」と読むとき、教師自身の仕事を問い直す課題が見えてきます。この3回の連載のタイトルに私が辿り着いた理由です。
ワークライフバランスという言葉がありますが、そこには仕事の中身、生活の中身を規定せず、バランスをとることが目につきます。仕事を充実させると生活の質を落としたり、逆に生活の質を上げるためには金銭的に立ち行かなくなったり、そのバランスをとることをどんなものでどうやって支えるのか示されていない気がします。仕事の中身、生活の中身を示したり、このバランスをどうやってとっていくかという個々人の思想性みたいなものをどう考えさせていけばいいのでしょう?。多くの場合教えているのは教師であったりします。時間的な制約だけでなく、生き甲斐や現場で起こるトラブル、健康状態を克服していけるような考え方を私たちは子どもたちにどこで学ばせているのでしょうか。

また一方、成果達成主義的な現場、ゼロトレランス的な現場で、疲弊していく教師がいることについて私たちはどう見つめて行動していくいくべきか。
高生研の場でこそ、そのいくつかの答えを見つけ出す必要性があるのではと感じています。
(おわり ご意見ご感想をお待ちしています )    堂々庵

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駐車場に関するお知らせ(現地より)

駐車場に関するお知らせ(現地より)
 
 なるべく公共交通機関およびスクールバスをお勧めしますが、車で来られる方の駐車場は以下の通りです。
 1日目の駐車場
 県民ふれあい会館(全体会場)の駐車場が利用できます。
 他に部屋を予約した団体もありますが、ほぼ貸し切り状態ですので50台程度は駐車が可能です。
(万一足りない場合にも、近くに駐車場はあります。)
 2日 目、3日目の駐車場
 青翔開智中学校・高等学校の駐車場は、20数台分しかありません。
 そこで、付近の学校である鳥取盲学校と聾学校にお願いして駐車の許可をいただきました。
 青翔開智に置けない時は鳥取盲学校に、それでも足りない場合は聾学校に駐車してください。
(聾学校は盲学校の東隣にあります。)
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交流会情報

鳥取大会まで10日ほどとなりました。

8月10日(金)の18時30分~21時に行われる交流会は現在のところ

以下のとおりです。

交流会1「大会基調を深める交流会」(理論グループ主催)       中研修室1
交流会2「障害や困り感を抱える当事者・保護者と繋がろう」(現地主催)中研修室2
交流会3「もう一度集団主義教育の可能性を考える
~生徒を民主主義の主体へ育てるために~」    小研修室1
交流会4「『いま現場で必要?!』こんな大会にしたいな交流会(仮)」  小研修室2
交流会5「初参加者大歓迎 鳥取の食べ物も用意します(仮)」     小研修室3

皆さん、おおいに交流して鳥取大会を盛り上げていきましょう。

 

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申込フォームトラブルの報告と復旧のお知らせ

みなさま

鳥取大会実行委員長兼「鳥取大会申込フォーム」担当の安藤です。
実は7月21日~27日にかけて「申込フォーム」のトラブルが
発生していました。
私へ何人かの方から、申込の意志とそのトラブルの報告を頂きました。
なんとか原因の究明ができ、現在は復旧し、申込が可能となっています。
すべてこちらの不手際によるもので、ご迷惑をお掛けしました。
このトラブルの期間、同様に申込が出来ず諦めかけていた方がみえましたら
今一度、「申込フォーム」での申込をお願いします。
よりよい大会を目指し、ひとりでも多くの方の参加をお待ちしております。

安藤誠也

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夏の風物詩かな全国大会

東京の遠藤です。 鳥取大会も目前に迫り、全国の皆さんと会いできる日を今か今かと待ち望んでおります。 酷暑が続いておりますので、お身体ご自愛ください。

初めて全国大会に参加したのが2012年の東京大会でした。 当時、私は大学2年生。 今年で7回目の参加になります。 はじめの1、2回は高生研のことをよく理解できないままに参加していました。 気づけば私も家庭科教師として学校現場に立ち、また、大学院博士課程に進学し、学校現場と教育学研究に携わるようになりました。

今となっては夏の全国大会は、私にとって初の風物詩のようになり、とても楽しみなイベントの一つです。 年に1度、全国の仲間と学び言葉を交わす機会は、成長することのできる場であり、一年間の成長を確認できる場でもあります。 私の経験によるものですが、3回目の参加くらいから全国大会の楽しさを実感することができました。 大学生の自分には、全国の先生方による議論に圧倒されて、最初の方は分科会にもついていけず、なかなか悔しい思いもしました…。同じような思いをしたことがある人もいるのではないかと思います。

近年、同世代(20代)の仲間が少しずつ増えてくる一方で、先輩の世代に比べるとまだまだ少なく思います。 というわけで、鳥取大会では、初参加者や若手の方を対象とした交流会を開きます。もちろん、参加回数に関わらず、どなたでも歓迎です。 (美味しい鳥取料理も用意します!) 近日、交流会に関するブログを書きますので、皆さんふるってご参加ください。 鳥取大会直前ですが、8月4−5日に青森高生研主催のサマーキャンプへ参加していきます。 それでは。

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一般分科会1  行事を通じて生徒の自治と教員集団を育てる試み

学年がリーダー育成や集団的な生徒指導を目標として持たなくなったのはいつからだろうか。現在、私が副担任として関わっている学年も、年度の始めに立てる学年の指導目標は規範指導と進路だけで、リーダーの育成であるとか、行事を通して生徒の社会性を育てるなどという視点は抜け落ちている。いきおい、行事などでは教師が企画して生徒がその通りに従うという構図になりがちである。その際、生徒に求められるのはルールに従うことだけであり、生徒たちがきちんとルールを守れたかどうかでその行事が評価されてしまう。それでは教師たちが、学年という集団、あるいはクラスという集団には教育的な力はないと思っているのかいというと、そうでもない。私を含め教師達は、集団の中で生徒が成長していくことや、傷ついた生徒が癒えていくことなどを日々実感している。

先日も、あるクラスの中の2つの女子生徒の集団が激しく対立する事件が起こった。2つの集団は表面上でも、ネット上でも激しく互いを攻撃しつつ、グループ内部でもトラブルを起こし一部の生徒はグループから離脱していった。狭い教室の中でそんなふうに抗争しているものだから、一方のグループは教室に入れなくなってしまった(このあたりの顛末は別な機会に詳しく紹介したい)。しばらく別室にこもっていた一方のグループの生徒達は、楽しそうな遠足や体育祭などには参加するという。驚いたことに、遠足や体育祭に取り組む中で、この対立は次第に沈静化していったのである。今回、この事件を通して私たちは「集団の教育力」とでもいうべきものをまざまざと実感することができた。このような集団の教育力を意識的に目的化するかしないかでは学年経営やクラス経営に大きな差が出てしまう。かつてはどこの学年も、行事を中心に生徒集団を動かしていたと思うが、次第に踏襲されなくなり、忘れられてしまったのだろう。


今年の全国大会の一般分科会の第一分科会は大阪の山野先生の学年実践「行事を通じて生徒の自治と教員集団を育てる試み」である。学年として「行事を通して生徒を育てる」ということを明確に目標化し、取り組んだ2年間の実践報告である。生徒を巻き込んで行事を作り上げる中で、いろいろな背景を持った生徒が登場し、行事に関わり、成長していく様子が描かれている。生徒とかかわる時、一人ひとりにフォーカスしすぎると行き詰まってしまうが、視点を変えて、集団として生徒を動かしていくといろいろなことがうまくいくことがよくある。このレポートから、「集団の教育力」で個人を成長させる、そんな学年の生活指導を学ぶことができると思う。

T.S(青森高生研)

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鳥取のうまいもん紹介!①

【岩ガキ】

海のミルクといわれるイワガキ。夏が旬の究極の味覚。2018年は6月1日に解禁!!

鳥取のイワガキは大きいもので長さ20cm、重さ1kgにも達し、素潜り漁等で採られた天然ものです。

「海のミルク」と称されるイワガキはレモンを搾って豪快に食べる生食が最高。

冬のマガキと違い初夏からお盆にかけてが旬で、鳥取の夏の究極の味覚です。

■Point1 「つぼがき」と「ひらがき」

イワガキは海中の岩盤やコンクリートブロックに付着し成長します。

イワガキが濃密に繁殖したとき、殻が窮屈そうに歪に成長したイワガキを「つぼがき」と呼びます。

一方、回りに障害物がなく自由にのびのびと成長したイワガキを「ひらがき」といい、見た目も良く、実入りも良いことから高価格で取引されます。

■Point2 食べられるまでに4年以上

イワガキの成長は遅く、夏輝までに成長するには概ね4年を要します。

じっと日本海の荒波の中で大きく育った逸品です。

■「夏輝(なつき)」ブランド

県内で採取された岩ガキを、「夏輝(なつき)」ブランドとして販売しています。

その中でも殻長13cm以上の高品質な岩ガキには「夏輝」のブランドラベルを付けてPRしています。

 

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問題別分科会3「コミュニケーションとハラスメントの問題から生活指導実践の課題を探る」

高生研全国大会に興味を持ち、このブログと読まれているみなさん今日は。

問題別分科会3「コミュニケーションとハラスメントの問題から生活指導実践の課題を探る」を担当する、埼玉の内田です。

ずいぶん長ったらしいテーマですが、要するに生活指導の実践課題をみなさんと探りたい、という分科会です。でも、そもそも「生活指導」とは何でしょうか?「生徒指導」とどうちがうの?それも含めて参加者とともに考えたいのです。そのために、3つの実践を題材として用意します。一つは、2014年大会基調発題の関谷実践、もう一つが一昨年の全国フォーラムで報告された大阪の城塚さんのHR実践、3つめが、昨年の全国大会で報告された浦和実践です。それぞれ、優れたテーマを含んだ実践だと捉えています。この3つの実践を、コミュニケーションとハラスメントの視点を加味して分析、議論することを通して、生活指導の実践課題は何かを探ってゆきます。

昨年つくった「『ケアの倫理』と『コミュニケーション』から実践の課題を探る」という問題別分科会では、原理的なことの説明に重点を置いていました。今回は実践の分析に重点を置きたいと思っています。皆さんのご参加をお待ちしております。

 

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青森高生研サマーキャンプに参加しませんか?

昨年に引き続き、青森では夏休みにキャンプをしながら学習することにしました。

10年ほど前は、家族参加型の夏の学習会(サマーキャンプ)を開催していました。

何年かぶりに昨年度開催しました。

参加者は多くありませんでしたが、学習はもちろん、みんなで夕食を作り、

たき火を囲みながらの語らいは学校や生徒のことだけでなく、いろんなことを

ともに話し合える貴重な時間を過ごすことができました。

先生だけでなく生徒もどこか疲れ切っている今の学校。

自然の中で、時間をゆったりと過ごし、仲間と一緒に過ごすことは明日への元気と勇気に

繋がると思っています。

涼しい青森の酸ヶ湯温泉キャンプ場で楽しい学びの時間をともに過ごしませんか。

青森 吉田

8月4日(土)
13:30~15:30 講演 竹原 幸太 氏(東北公益文科大学)
「子ども・学級の相互発見を促す揉め事の解決方法とは?」
15:30~18:00 テント設営・夕食準備・温泉入
18:00~20:00 夕食懇親会 場所 キャンプサイト
8月5日(日)
7:00~8:00 朝食 バイキング
9:00~11:00 レポート発表・分析 場所:管理棟会議室
11:00~12:00 片付け・昼食準備
12:00~13:00 昼食・閉会集会

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受験勉強をしない 毎日勉強する 

もしこの世の中から受験競争がなくなったら、勉強しなくなるのだろうか?競争に勝ち抜くために他人よりも良い成績を残すための工夫と積み重ねが受験勉強だとすると競争倍率に応じて勉強の量は変わる。高校受験、大学受験、資格試験、就職試験、昇進試験など常に競争にさらされることで自分自身を高めてきたという人も多いことであろう。私もそれなりに競争に参加しそれなりに結果を残してきた。

「受験勉強が楽しい」と思える人は少ない。苦しさを伴いその苦しさの先にしか得られないものがある。だから今は、礎を築くときであり「何も考えずに言われたとおりに」取り組みなさい。きっとそれらの苦労が報われる時が来るからそれまで努力し続けなさい。結果が出ないのは取り組みが悪かったからで、できるまで工夫と改善を繰り返しなさい。そうすればいつか夢は叶うでしょう。

競争がなくて、相対的に自分を位置づけることがなくなると、どうやって生きていくのかわからなくなる。工夫と積み重ねの必要性を感じなくなる。何をどのように頑張ればいいのかわからなくなる。このように感じるのは、我々教員の側に多く、以外と生徒たちはそのようなことにとらわれていなかったりする。なぜ勉強するのか?その先に何があるのか?この取り組みによって自分に何が得られるのか?そもそも自分はどのようになりたいのか?このような疑問に我々教員は応えてきたのだろうか?生徒にとっての課題は明確なのに、学校の都合によってその課題は、後回しにされているのではないか?

そうは言っても現実社会では、なお競争が残っており、他者と戦い相対的に自分の位置を高めることが必要である。また保護者や卒業生、地域の方々や関係者の声は学校の方針に大きく影響する。だから進んでは戻り、紆余曲折を経ているのだと思う。学校現場にいて日々の活動に疑問を持ってもじっくりと考える時間をとれない。議論する相手と時間が合わない。職員会議が機能していない。皆で話し合って決めることをしなくなってずいぶんと年数が経ってしまった。

それでも取り組みは続ける。諦めてはいない。毎日勉強する生徒をひとりでも多くしたい。学ぶことが楽しくて、学ばなければ自分の生活を豊かにできない。そのために話し合い、自分たちで決める。自分が何を学ばなければならないのかに気づかせることが、毎日勉強する一番の理由とモチベーションとなることを信じている。高生研の活動で出会った人たちから刺激を受け、自分が考えることを口にし、議論することができるようになった。少しずつしか進まないし、大きな流れを変えることは難しい。でも活動していると不安や不満が解消される。結果は出ていないけど活動し続けることで自分の安定を保っているように感じる。

主語も曖昧で主張もゆらゆらはっきりしない。そのような文章を読ませてしまい不愉快かもしれません。申し訳ございません。私自身の成長の課程だと思って許してください。

熊本高生研 吉田 真一

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「旅の途中」

この前高生研の大会に参加したのは、いつのことでしたか。クラブで忙しかったり、夏の予定と合わなかったりで、かなりブランクが開いてしまいました。

今年は、半ば強引に九州での研修を予定に組み込んで、その流れで四国・小豆島・隠岐、そして鳥取の全国大会へという流れで、久しぶりに参加出来ることになりました。

ちょっとしたきっかけで、十年ちょっと前に大阪高生研の皆さんと知り合い、高生研やおまかせHR研究会に関わる中で、いろんなことを気づかされてきました。それまで無我夢中で行ってきた授業やHRの実践を分析していただいたり、他の先生方の実践を教えていただいたり。実践を大事にしつつ、一歩引いた視点から客観的に振り返って見ることの大切さを教えていただきました。特に大阪の皆さんは、あの人もこの人も皆キャラが立っていて面白い(笑)。真面目な会議の席でも常にボケようと手ぐすね引いてますから油断が出来ません。ボケ合戦をかいくぐって会議が進んでいくのもすごいんですけども。でまぁ、本を書いたり出前講座をしたりして稼いだお金で肉を食い、温泉に入り、また旅に出ると。  久しぶりに全国大会に参加して、懐かしい皆さんとお会いするのが楽しみです。濃密な3日間にしましょうね!

大阪 牧口

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「全国大会出たいのに、あ~ぁ今年も出られない。(残念)」

○多事多忙にまぎれ、目の前の生徒たちのことを同僚と語り合わなくなったのはいつからだろう。ここ12年間、3つの学校で生徒会顧問ばかりやっている。行事をこなすばかりで、1つ終われば次の準備、それも終われば来年度の準備とルーティン化し、ぐるぐる回っている。何かやり切っていない、ほどほど上手くいって満足してしまう。生徒会顧問としては、生徒達がやってみた内容がどうだったかという結果より、企画の提案がどれほど早く、準備が予定通りで合理的に進んだかが気になってしまう。生徒たちに小さなつまづきや失敗をさせて、葛藤の中で協力し合い、やり遂げた自分たちに自信が持ているように成長させたいと思ってはいるのだが。でも、実際には失敗させないように先回りして、顧問の方でお世話し過ぎてしまう。

○教員になって、担任をずっとやり続けたいと思っていた。生徒会顧問も生徒全体を見渡せる立ち位置も面白いが、生徒会役員の生徒とも、授業を担当する生徒とも、人間関係が希薄で、正直言ってつまらなくなってきた。公開文化祭、体育祭、小文化祭(非公開)と大行事が3年で一回りし、毎年新しく入ってくる生徒会役員の生徒を指導しながら、何とかうまくまとめて行事を終える。何か変えたい、生徒からの要望はないのかとけしかけても、生徒は面倒くさいことはやりたくない。高校の組合の役員も兼ねて、ますます多忙になり、実は自分も担任を回避して年間の見通しがきく生徒会顧問に逃げているのか。でも、こんな話は職場で同僚とはできないもの。 ○高生研全国大会で、自分が思いつかないような視点で、バッサリと実践を切り捨ててもらえる場は、他にはない。地域高生研がない自分には、東北ブロックで青森に参加しているが、教師にとって一番大事な実践を云々し合える仲間は大事だ。

福島 齋藤

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道楽と勉強と仕事 その2「道楽と高度プロフェッショナル制度」

「働き方改革法」が成立しました。
その1で書いた「独りブラック」をつぶやいていたOさんは、法案の中にある「高度プロフェッショナル制度」をとりあげ、「個人個人の仕事へのこだわりを経営者側が搾取していく構図」と指摘されていました。法案から削除はされましたが「裁量労働制」などもその構図を如実に実現するものであるように思います。
私は以前から、教師の仕事について考えてきました。熊沢誠さんの講演をお願いしにいったときからこのテーマと職業教育でした。教師の仕事はやればやるだけ更に仕事が増えるのではないか? また、中途半端にやっていても自分が本当にやりたい(教育という)仕事ができないのではないか? そもそも教師にとっての研修とは仕事なのか何なのか? 教職調整手当の名の下に必要以上に働き過ぎていやしないだろうか?
変な話、高生研に関わる中で、よりいっそうそのことを考えるようになったように思います。

以前(20年ぐらい前)、私の子どもがまだ小さいとき、高生研への学習会への参加は家族の憩いの時間に少なからず影響を及ぼすもので、それらのいくつかの誘いを断っていたこともありました。しかし、年を重ねるごとに、教師としての未熟さを少しでも改善できるのならという気持ちが勝ってきました。プライベートの中に高生研の存在意義を確保できるようになってきました。

高生研の先輩の中には「私は妻に『高生研は俺の道楽』と言っている」という話を聞きいたことがありました。自己研修の場を「道楽」と考えるというのはある意味新鮮で、私も同じことが言えるかなぁと真剣に考えたことがありました。
この「道楽」という言葉は、好きなことを追求することで生じる時間的、社会的な緊張感をほぐす意味があるようには感じています。それでも、私にとっては、高生研で勉強することは道楽といいきれない感覚です。もし、道楽と言ってしまうと、教師という仕事までも道楽になるのではないか?そう思えてきます。

「高度プロフェッショナル制度」のモデルは教職調整手当を名目に長時間時間外労働をしている教職ではないでしょうか。しかも、給与水準、時間水準は遙かに低レベルのモデルです。昔教師は「聖職者」という意味あいが社会に定着していたと聞きます。それはある意味教師の裁量を増やしていって仕事の内容や量をも増やしていったといえると思います。
今はどうでしょう。以前あった裁量の範囲は狭められていることは確かでしょう。更に免許更新制や指導要領の更新でほぼ強制的な研修がじわじわと進められ、教師にとって本来的な研修を選ぶ時間やモチベーションがおちていると思います。あらためて、教師の研修の内容が問われてきているように思います。                  (その3に つづく)

堂々庵

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一般分科会6 「地域づくり×人づくり」~若者が地域をつくる~

ここに本当の主権者教育があるのではないか?

「村岡高校のような学校で、学んでみたかった」「彼・彼女らの表情やまなざしが、3年間で大きく変わっていった」「私から見れば『地域の隠された魅力』というのは、村高そのもので」あった。これは、地域探求の授業に3年間かかわったある鳥取大学の教員のことばである。この大学教員にこう言わしめる村岡高校とはどういう学校なのだろうか?

A「私は香美(かみ)町職員となって香美町の課題に真正面向き合って活性化に貢献したい」「将来教員として地域と学校へのつなぎ役として恩返ししたい」
B「大学を卒業して地元に帰ってくる。私の地域活性化案実行に移したい」
C「大学に進学し村岡を外から見ることになる。村岡に何ができるかを見つけ出し、地元に恩返しをしたい」
D「教員になり、地域をつくる後輩を育てたい」
E「この3年間は人生を大きく変えた。地域の状況を知り、地元に返ってきて地域の活性化に活躍したい」
一つひとつが卒業生たちの声である。

かつて、兵庫県北部の但馬(たじま)の地で活躍した教育者東井義雄氏は「村を捨てる学力」ではなく「村を育てる学力」の必要性を説いた。これらは、村岡高校が「村を育てる学力」を生み出していることを証明する。
「村を育てる学力」を彼・彼女らの中に生み出すために、今井さんたちはどのようなしくみをつくりあげただろうか?そのしくみの何が生徒たちに変化を生み出したのだろうか?なぜ彼・彼女らは地域を愛するようになったのか?

村岡高校の実践は、過疎地だからできたのではないと思う。真に若者に必要な学力とは何か?そのために必要なしくみは何か?主権者教育としてとらえ直しながら、ともに考えたい。(運営担当 藤本幹人)

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一般分科会3  教育活動をリフレーミングする教育相談

「教育相談」を学校の中でどう位置づけるか?

藤野さんは「(教育相談は)重要度は認知されていても地味な扱いをされている。・・・」と書いています。しかし、教育相談という立場だからこそ、他の教員と異なる視点でみることができ、「学校を問い直す」こともできるのだとも言っています。

そこで、この「リフレーミング」という発想がでてきます。「リフレーミング」とは、あまり聞き慣れないことばかもしれませんが、生徒本人の視点で今起きていることを捉えなおすことです。生徒目線のストーリーで考えると、今起きていることや起こったことの違った面が見えてきます。

私は何回かこの藤野さんの実践報告を聞いたことがありますが、個々の生徒に対応するだけでなく、学校づくりの視点をもって、組織としてどう動いていくのが生徒にとっていいのかを考えている人です。そのため、いつも参考になることがたくさんあります。

今回は具体的な実践の中身は紀要には掲載していませんが、当日は口頭で実践も報告しながら、わかりやすく「リフレーミング」を掘り下げていきます。「教育相談」に関心がある人も、そうでない人もこの「リフレーミング」は生徒を理解するためにはとても参考になると思われます。多くの方に聞いていただけたらと思います。

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鳥取大会まで1ヶ月になりました。

7月になりました。みなさんお元気でしょうか。

現地の鳥取から二日目、三日目の会場までのバスについて

追加連絡がありました。

シティホテルに宿泊の方は、ホテルから徒歩1分のところに、

スクールバスの戎町という停留所があるそうです。

こちらをご利用下さい、詳細な時間は、変更したリーフレットをご覧下さい。

現地で用意したホテルの宿泊申込みは締切りました。

台風が近づいていますが、皆さんのところは大丈夫でしょうか。

青森は夏休みは1ヶ月と短いですが、夏休み前に文化祭が多くの学校であります。

生徒たちが行事の中で大きく成長する。

新しい学校でも笑顔で元気な生徒たちの姿が眩しく見える毎日です。

 

青森高生研 吉田

 

 

 

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道楽と勉強と仕事 その1「独りブラックとクラブ」

これから過労のことについて連載で書こうと思います。

昨今、働き方改革とその中身について国会で議論されていて自民党案に決まってしまうかも知れない状況ですが、「働くこと」は「生きる」ことと「人が求めるもの」を考えると何かと杓子定規に行かないものであると思えてきます。

ある先生が「教材研究をやっているとどんどん時間が要って、『独りブラック』の状態だ」と口にしていました。
なんか、この「独りブラック」という言葉、他人事に感じませんでした。

私自身は、教材研究で「独りブラック」の状態にはなっていないつもりですが、クラブ指導では生徒たちの追求するものに関わるがあまり土日も出てまさにその状態です。決して嫌々やっているのではなく、多少の理想を求めての関わりです。傍目から見たら恐らくいきすぎていると感じるだろう時間的の関わり方をしています。
教員のクラブ指導はボランティアという位置づけです。私もそのボランティアとしてできる範囲でやってるつもりです。私は美術部をみていて、時間の折り目切り目はわきまえていますので、決して無指導的に関わっているわけではありません。ただ、制作に向けての試行錯誤や逡巡する生徒に対して、待つ時間も必要だったりするのです。
これは高生研で時々耳にする「自分で自分を引き受けていく」ステップではないかと・・。

一方、こんなこともあります。
学校に来れなくなる生徒に対して、担任としてどうするのか。
私の答えはまったく煮え切らないものです。
時として関わり、時として見守り、それぞれ違って当たり前。ただ、前に踏み出す勇気はどこかで引き出したい。
そう考えています。
実際やっていることとしては、親や本人と連絡をとったり、家庭訪問したりです。

ふとこんなことを考えます。
学校に来れなくなった生徒に対して、ボランティア的に関わったらどうだろうと。
その生徒にとことん興味を持って、それこそクラブで関わる生徒と同じように、どこか手応えのある関わりを探っていく。そうすれば、前に進むのではないかと。

しかし、そこに踏み出せません。教師の時間(教師の労働時間)を考えたとき、それを超えない範囲でとことんそのボランティアを追求することは、ボランティアの域を超えています。強いていえば、クラブ指導とこちらと天秤にかけてしまい、より手応えがある過労を選ぶのです。             (その2に つづく )   堂々庵