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文化祭などの取り組みで学んだもの

K(東京)

 退職するまで、ホームルームや生徒会役員会で文化祭・送別会などさまざまな取り組みをやってきた。
 高生研大会などで合唱を習ったり、太鼓を習ったり、寸劇をしたりした。それらが役に立てば良いと思っていた。
 結果、取り組んだことは、生徒達の要望を取り入れたものと自分が少しは自信がある、得意な事だったように思う。
 文化祭では、「からくり人形・茶運び人形の製作」「出店・焼鳥屋」「輪ゴムの射撃ゲーム」。生徒会役員会で取り組んだのは「水戸黄門の劇」「影絵」
 工業高校定時制の卒業までの担任期間は、4回の16年間と担任途中2年間が2回の4年間、合計20年間(38年間の在職)であった。生徒会顧問を十年ぐらいやっていたので、生徒会役員で送別会の出し物を出したこともあった。
 A校では、単学級で文化祭の出し物が食べ物出店が多かった。「焼鳥屋」は生徒の中で赤提灯の焼鳥屋をやっている生徒(中学時代いじめられていた)がいたので、その生徒の要望を入れて行なったものである。
 やや工業高校にふさわしいものと言ったら、「からくり人形」と「輪ゴムの射撃ゲームのピストル製作」である。
 「からくり人形」は暴走族など荒れていた時期に、生徒達が取り組みたい物が無かったので、私の発案で生徒達にやらせた出し物であった。
 B校の文化祭では、学校の授業で作ったものの展示が中心だったので、クラスとして取り組める部分の少ない文化祭だったが、何かを作らせることでクラス参加をした。それが「輪ゴムの射撃ゲーム」であった。
 生徒の一人が趣味的なものとして作りたかった「輪ゴムピストル」をクラスとして取り組んだ。インターネットで調べたコンピューター製図(CAD)の輪ゴムピストル図面を利用し、機械(ウォータージェット)で形を削りだしたものである。それを3丁作り、手仕上げで組み立てて作り上げた。射的ゲームの的は学年を越え、科で共同して動物などのペーパークラフトを作った。屋台の部分はクラスで作り上げた。
生徒会役員会の取り組み
 生徒会の役員による水戸黄門劇は、送別会の出し物がクラスの取り組みとして出てこないので、生徒会役員会劇を取り組み指導した。やはり、自分が劇を習ったことがなかったので、どたばた的な劇で終わってしまったように思う。
 影絵については、やはり、送別会で、生徒会役員会として取り組んだ。当時群馬高生研の人が本を出していたので、それを参考に作り上げた。これは見栄えのするものができたのではないかと思っている。
それぞれの学校の文化行事
 4つの学校を経験してきて、文化祭の内容は、その学校の継承されてきた文化の内容に規定されている部分があり、生徒たちも前年の文化祭でこの学校の文化祭とはこのようなものだと影響されているので、新しいものを取り入れるのはむずかしいことが多かったように思う。
 最後赴任したB校は、文化祭を科で取り組むんでいた。球技大会・運動会・文化祭を科の取り組みとしておこない。科での集会を持つ中で、そこで上級生がリーダーとして下級生の前に立ち、取り組みをリードしていた。それを科の教員が指導していた。文化祭では、その上級生のリーダーに、科の部屋のレイアウトを考えさせ、準備の3日間の準備内容の把握とその指導をさせていた。
 そのような取り組みの中で下級生と上級生との人間関係を作っていった。私の経験したB校以外の定時制工業高校では、各学年間の人間的な関係がクラブ活動でさえ、薄くなっているのを感じていたので、その取り組みの良さを強く感じた。
 

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124人、25都道府県から申込み

124人、25都道府県から申込み
東京大会受付・千葉高生研より
この1週間で20人ほど参加申込みがありました。東京が20人の大台に乗せましたが、新たに申し込まれた方のうち5人は東洋大学の学生です。これで学生は24人となりました。約5分の1です。
山形県と兵庫県から初めての申込みがあり、これで25都道府県となりました。過半数の都道府県から申込みがあったことになります。
 リーフレットに申込み締切日を7月20日と書いたために、「締切日を過ぎても大丈夫ですか」という問い合わせが数件ありました。全然問題ないわけで、これからは申し込み締切日を設ける必要はないと思います。これは宿舎を斡旋していた時代の名残ですね。
 さて、大会まであと1週間あまり、申し込みを加速させてください。

7月29日現在124名
東京20
秋田19 
千葉13 
群馬12
静岡8 
神奈川7 
京都5
青森4 熊本4 大阪4
北海道3 茨城3 埼玉3 沖縄3 
宮城2 山梨2 三重2 滋賀2 長野2
山形1 福島1 愛知1 兵庫1 和歌山1 鳥取1
学生・院生24(上記に含まれています)

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「つくってきた人」と「つくっていく人」へ大きな感謝と敬意を

田中克樹(熊本高生研)

 熊本の月例会(学習会と事務局会)後の夜の懇親会(自由参加)。そのとき、「田中さんは、熊本高生研の将来についてどう思ってるの?どうしていきたいの?」という問いかけに襲われることがよくあります。
 自由参加ですから回答も自由。今の答は、「まだ、自分のことだけで精一杯。でも、あとを続けて頂ける方がいなければ『会を閉じる』ところまではきちんと自分達がしようと思います」(このアイデア現高生研常任委員の方々のパクリです)。実際、現在の事務局では私は一番年下(同級生がもうお1人)。数年前、30代前半までは「若手」とか呼ばれて(もてはやされ?)、とにかくうしろをついて回るだけでよかったのですが・・・ハァ(ため息)。
 
 そんな私ですが、今回の全国高生研の大幅な組織改編では、考えを深めさせられました。
まず何よりも、これまで「全国大会の準備・運営」「機関誌の編集・発行」「全国通信の編集・発送」の3本柱を手がけてこられた常任委員の方々に、そしてこれからそれらの仕事を引き受けられた新組織の方々に、心からの感謝と敬意を表したいと思います。
 最初、上記のような仕事を「普通の現場の先生」がされていることを知ったときは驚愕しました。だってこんなクソミソに忙しい学校現場(朝早くから夜遅く・ストレス溜まりまくりな)にいて・・・。その思いは今でも変わりません。
 5年前に「高生研を解散します」と宣言され、様々な議論を経て、新しい形(指導・被指導の関係からの昇華・ボランタリーな組織運営)でうごきだしていく過程には、学ばせていただくモノが豊かにありました。
 いま、自分の実践を見ている「もう1人の自分」がいる感覚があります。高生研での学びのタマモノなわけですが、パクってきたばかりの自分から(上記の感謝と敬意を表した方々のような)「与えられる人」に少しでも近づけるようになりたいと思っています。

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教師生活30年目に思うこと

 南国からは30度以上の猛暑の便りが聞こえて来ますが、北国は25度前後のちょうど良い毎日を過ごしています。しかし、夏休みはどこに行ってしまったのか?4月から土日も休み無く働き続けている毎日です。
 特に、今年は3年生担任であり、7月20日(金)に一区切りの全校集会を行ったものの(二期制なので終業式はない)翌日から7月いっぱい進学講習。生徒は6時間講習であり、私は2時間担当の講習の合間を使って、クラス40人の保護者との面談。そして、部活動の指導と、休み無く動いているというのが実情です。地方の進学校の宿命というのか、矛盾を抱えながらも生徒と相対しているというのが本音です。
 それでも、クラスの生徒たちの明るさと元気、そして3年学年団のチームワークの良さが支えでここまでやってこれました。
 昨年の名古屋大会は参加できませんでしたが、今回の東京大会は全日程参加する予定です。30年目の教師生活の節目を迎えた今、新たな出会いと原点に立ち返っての学びをこの大会でと考えています。
 
kitataro01.jpgkitataro02.jpg
 
 よっし~の3年4組のブログ http://ameblo.jp/24kizuna/day-20120714.html 
                                   北国 太郎

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「『定年まで』働くことのリアリティー」から考える現場や高生研

 日教組の月刊の機関誌(月刊JTU4月号)に表題括弧の特集が組まれていた。
 まず、このタイトル「『定年まで』働くことのリアリティー」を見たとき2つのリアリティーについて考えてしまった。その1つは、おそらくその特集の主旨だろう「教育現場の過酷な状況が定年まで働きにくくしている」ということ。(生徒指導や進学指導で過酷な教育現場を思い浮かべてしまった。)そしてもう1つは、「今や『定年まで』働くことのできる職業自体が非現実的であるのかもしれない」ということ。(現に教職に就いている者として、自虐的な視点であろうか。)
 特集の内容を読んでみると、前者であることがすぐ理解できた。そればかりか、興味深い内容が取り扱われていた。簡単に要約すると次のような内容である。
survey11-z02.jpg
①日教組が行った『教員の働きがいに関する意識調査』を、様々な一般企業労働組合の「働くこと」に関する意識調査の結果と比較、分析している。
②その結果、教職員の働きがい感は一般企業従業員のそれよりも遙かに上回っている。
survey11-z03.jpg
③しかし、そういった仕事を続けたいという意欲は、教職員の側が年齢と共に下降する一方、一般企業のそれは徐々に上昇し、50歳代以上ではほぼ拮抗する。
④特に、40歳代から50歳代の教職員の落ち込みは激しい。
⑤男女で分けて見た場合、50歳代で仕事を続けたいという意欲は、一般企業の女性従業員が女性教職員のを逆転している。
survey11-z04.jpg
⑥また、働きがいの内発的充足(仕事が楽しい)と外発的充足(休暇、労働時間の充足度)を比較し、教員の働きがいはバランスが良くないと指摘している。
(『教員の働きがいに関する意識調査』で検索。http://www.jtu-net.or.jp/survey11.html)
 紙面には、これに関しての教員と研究者との座談会が取り上げられ、教員からこんな指摘があった。「(静岡県教組の研究所の調査、『50代というのはサポートが受けられない』という結果がある)50代になると、ベテランだから同僚からのサポートも別にいらないでしょ、というような感じになってしまって、いろいろきつくなっているのに、見過ごされている部分が多いのかな、と。それが、50代でガクッと意欲が落ちる原因の1つであるのかなと思います。」 さらに、国際経済労働研究所研究員はこんな分析を加えている。「年齢が上がることに、特に男性は、児童生徒との関係が困難になる、という結果が出ているんです。女性はその点、ソーシャルスキルが高いといいますか、子どもたちとの関係性の面では、年齢とともに下がるということはありません。男性は年齢が上がるごとに、ジェネレーションギャップをうまく処理できないのか、子どもたちとのやりとりに難を感じるようになる。」座談会は、「燃えつきない」ための労働条件整備とサポート体制について組合が機能していくべきだと締めくくっている。
survey11-z05.jpg
 このような内容をなぜ取り上げているかというと、まさしく明日は(今も?!)我が身を感じているからだ。現場で働いていて「歳やなぁ」と年齢を意識したり、落ち込んだり、「確かに言わずもがな」の内容であるが、このように分析されると少し視界が広がるような気がする。何か手の打ち方があるのではないかと。家庭も職場も見据え、ジェネレーションギャップやジェンダーの問題をどう越えていくか?
 一見、「未知なるもの(例えば年齢差のある生徒世代とのコミュニケーション)をどう知るか」という問題であるように思う。そして、その方向には解決策は見いだしにくいようにも思う。世代差については様々なとらえ方があるだろうし、様相も多様であろう。「把握できた」と思ったところですぐずれが生じたり、裏切られるのではないだろうか。ならば、超える方法はないのか? いったいどうすればいいのか?
 思い出すのが「ポジショナリティー」と「多様性」という言葉であった。かつて、秋田大の望月さんが高生研の基調発題で取り上げ、公共性や政治参加の論考の中でもよく取り上げられる言葉がポジショナリティーである。当事者性を意識するとともに、自分の立ち位置を他者を意識した上で把握することと認識している。それから「多様性」は、岡村さんが討議空間づくりについて論考した基調で目にとまった言葉だ。多様な他者の受け止める場が保障されなければ、安心して生活したり、働いたり、生きていきにくい状況に陥るのではないか。
 わたしたちができることは、そんな場所や時間を共有できる関係づくりや環境づくり目を向け取り組んでいくことだと思う。組合的な環境整備(労働時間や休暇)はその先にあるのであって、まずは、多様性の保障する意識と空間が無ければ話にならないように思う。

<みえ高生研通信2012/6号から再編集> 
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全国大会回想記 その④最終回

 大阪高生研の西村です。いよいよ全国大会が近づいて参りました。駄文を連ねたこのシリーズも今日で終わりです。私が参加した全国大会の半分も書けませんでした。1999年以降の大会のことはまた書く機会が巡って来るやも知れませんので、本日は1998大阪大会のことに絞って書きたいと思います。
 この大会をあえて客観的に見れば、さして開催場所のロケーションが良かったわけでもなく、ホテルのアメニティや飯がうまかったわけでもなく、エキサイティングな議論があったわけでもなく、ごく平凡な大会だったろうと思います。しいて良かった点をあげれば、前後の大会に比べて参加者が多かったことでしょうか。でも、私の気持ちの中では、歴代の全国大会の充足度を折れ線グラフで書けば、主要国における日本の国債発行額/国家予算(まどろっこしい比喩でごめんなさい)のように、ダントツで跳ね上がるのです。
 あの高揚感は何だったのか?それは文化祭で生徒が燃えるのといっしょで、自分が主体的に取り組んだ証なのでしょう。2年前から始めた準備、自分がチーフとして取り組んだ劇と太鼓の文化行事、分科会にも出ずに売り歩いたビール、眠らずに考え続けた別れの集いの出し物、会場での仕事が済んだ後の2トントラックでの書籍の返却等々、すべてが充実していました。振り返った50余年の人生の中でも、とくに光り輝く時間でした。
 こんな経験ができる高生研を、全国大会を失くしてはならないという思いで、新高生研の立ち上げのお手伝いを微力ながらさせていただいております。またどこかの地域で全国大会が開催された折り、取り組んだ人々の胸にさまざまな思いがきざまれる、という営みが今後も長く続きますよう祈念して、このシリーズを結びたいと思います。(おわり)

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100人突破!

100人突破!
東京大会受付・千葉高生研より

 ようやく参加申込者が100人を突破しました。しかし、先週と今週増えたのはほとんどが学生の申込です。学生の参加申込は19人に達しました。
 夏休みに入りましたので、少しは余裕が出てきたと思います。至急参加申込をお願いします。と言ってもこのブログを読んでいる人は、当然もう申込みをしていることでしょう。ぜひ、周りの人への声かけ、メールかけをお願いします。

7月22日現在103名
秋田19
千葉13 東京13
群馬11
静岡6 
神奈川5 
青森4 熊本4
北海道3 茨城3 京都3 大阪3 
宮城2 埼玉2 三重2 滋賀2 沖縄2
福島1 山梨1 長野1 愛知1 和歌山1 鳥取1
学生・院生19(上記に含まれています)

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「指定討論」

先日、東京大会全体会Ⅰ「田村哲樹講演」に向けての
「熟議民主主義・プレ研究会」が東京大学で行われました。
私は担当のMさんから無茶振りで指定討論者を任され、
普段なら絶対読まないような政治学の本を読んで学習会に
のぞみました。
解説をしていただいたKさんの「闘技民主主義」と「熟議民主主義」
の違い等、大変わかりやすかったです。
しかし、さて「指定討論」となると、相変わらずわけがわからないままです。
同じ指定討論者のFさんとともに「自分のできる範囲でやるしかないよね」
ということで開き直り、「熟議民主主義を生活指導論から定義し直してやろう」
ととんでもないことを考え始めました。
というのは、今、いろんなところから「熟議」ということばが聞こえてくるから
です。
「熟議のすすめ」というパンフレットを文科省も出しています。
http://jukugi.mext.go.jp/archive/512.pdfこれに出てくる小学校の教師が先日のNHK「プロフェショナル」に
出演していましたね。観終わって、なんだかなぁ、って感想を持ちました。
どこが「熟議」なの?いやむしろ「熟議」を避けているだろう、って感じで。
「討議づくり」を通して「関係性の組み換え」を追求してきた高生研が、
巷で話題の「熟議」に「ちょっと待った!」と、分け入る隙がありそうです。
そんな、指定討論にしたいなぁ・・・
静岡・K

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日本を生きる

 前回、秋田の外国籍の子どもについて書きましたが、7月11日から、朝日新聞で「いま子どもたちは・・日本を生きる・・新宿編」という連載を掲載しています。新宿区には、3万人超の外国人が暮らしているようで、そのうち学齢期の子が1650人と推定されています。しかし、区立学校へ通う子は480人に過ぎません。国・私立や外国人学校に通う子を差し引いても、かなりの子ども達が学校へ行っていないことになります。授業へついて行けず、やめた子もいます。
そうした子どもたちを支援しているNPOが取り上げられています。困難を抱える子どもたちへ親身に関わるボランティアのご苦労には頭が下がります。都会なら、勉強を教えてくれる大学生や社会人がたくさんいます。しかし田舎では、大学生はおらず、退職した教員すら当てに出来ません。対象となる子どもは少なくても、地方でボランティアを確保することは困難です。
 こうした問題を突き詰めれば、教育委員会や学校の無理解が子どもたちの困難を増幅させているように思います。言葉をよく理解できないだけなのに障害児扱いして、それで済ませてしまいがちです。年齢が、日本の中学2年生相当だから、2年生にしなければならない、と言います。当たり前のように見えますが、日本語がおぼつかない子に、これから1年ほどの学校教育で高校を受検させる、ということが可能でしょうか。高校へ必ずしも行かなくてもよい、そういう子のために単位制高校もある、という意見もありますが、それで幸せになることができるでしょうか。つまり、普通の日本人と同じように、社会で生きていく力をつけることができるか、ということです。多くの子どもたちは、学校からドロップアウトしたり、同じ仲間で固まり、社会の片隅で生きているのではないでしょうか。
 記事にあるように、日本が「外国人の子にとって暮らしやすい国」であるかどうか、です。「多文化共生」をうたい、「グローバル化」を推し進めようというのなら、教育には根本的に変えなければならないことがたくさんありそうです。ひょっとしたら、それが日本人の子ども達のためにもなるかも知れません。直接関わる教師にとっては、これからは避けて通ることのできない問題です。
 こうした記事を見ると、学校の実情が出てくることは少なく、出たとしても否定的な例として出てきます。教師として悲しいことと思います。
 少子化が進む日本にとって、外国籍の子どもたちが地域社会を支える市民として育つことは、じつに重要なことであるはずです。「18歳を市民に」は、すべての子どもたちに通ずることです。今でこそ小中学校の問題のように見えますが、つまるところ、高校にも大きく関わる問題になるのではないでしょうか           とらぬ狸@秋田

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この夏のもうひとつの楽しみ

 この夏、第50回東京大会の他にもうひとつ楽しみができました。以前、このブログでも紹介のあった(7月13日の「魅力的な響き」)8月18日に宮崎観光ホテルで行われる「哲学の午後」と題したイベントに参加することにしたのです。
宮崎の山下道也さんと熊本高生研のコラボ企画ですが、私にとってこれは願ってもない魅力的な企画なのです。というのは、2010年6月の「九州ブロックゼミin宮崎」に参加予定だったのを、我が家の事情で当日ドタキャンせざるを得なかった、ということがあったからです。あのときのリベンジ(?)を果たしたいという思いで、この企画のお話を聞いてすぐ参加を決意しました。
内容は、<1部>【哲学 in the afternoon】「生き延びるための思想」~上野千鶴子さんの東京大学退職記念特別講演のDVDを観よう!~(14:30~16:00) 「リーダーは要らない」~山下道也の熊本高生研歓迎記念ゼミ~(16:15~18:00) <2部>【哲学 in the night】パーティ!(18:30~) というものです。2年前は、次の日に山下さん宅で行われた「水よう会」に特別参加するというビッグな企画だったのですが、今回はそれはないようです。わたし的にはちょっと残念! 
お盆の後で飛行機代はちょっと割高ですが、それに見合う収穫があることは間違いなし! また、熊本高生研のみなさん(今のところ5人参加する予定だそうです)と交流できるのもすごく楽しみです。
ごいっしょにいかがでしょう? 参加しませんか?
(茨城のイソヤマ)

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東洋大学とその周辺

 消閑亭です。
 7月6日に、Fさんと東洋大学白山キャンパスとその周辺の調査をしてきました。最初大会会場として予定した6号館は、中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)が8月11日から13日まで開かれるので使えなくなりました。その代替教室として、1号館4階が借りられることになり、それを見学するとともに周辺の飲食店を調べてきたのです。
 東洋大学は、「中央線」と「山手線の上半分」に挟まれた地域にあります。その中央線水道橋駅から、山手線巣鴨駅まで、南北に白山通りという大きな道路が通っています。
 白山通りの中ごろ、水道橋駅から2.7キロ、巣鴨駅から1.3キロくらいのところに東洋大学はあります。
白山通りの地下には都営地下鉄三田線が通っていて、南から水道橋-春日-白山-千石-巣鴨という順で駅があります。「白山駅」が東洋大学の最寄り駅ですが、「千石駅」からもそれほど遠くはありません。
 白山通りは、北上すると白山駅の手前で旧白山通りと往復4車線の現白山通りに分岐して、次の千石駅のところでまた合流します。その中ほどに東洋大学はあり、正門は旧白山通りに、西門は現白山通りに面しています。大学は新旧を横断する形になっているのですね。(ちなみに、千石駅のそばにK代表が定年まで勤務していた都立小石川高校があります)
 正門を入ると左手に工事中のビルがあります。これは建設中の8号館です。8号館の奥が1号館で、その4階フロアのほぼ半分を使うことができます。広いエレベーターホールがあり、そこで受付や書籍販売を行います。分科会は、廊下を挟んで向かい合っている5つの教室を使います。エレベーターホールから見て左側に大教室が2つ、右側に普通の大きさの教室が3つあります。大教室のひとつを使って全体会も行います。大教室の机は移動できません。普通の大きさの教室の机は可動式です。
 大交流会は、3号館地下の学生食堂「スエヒロ」で行います。1号館からは空中通路を使って2号館に、さらに3号館へとつながっています。
 昼食は、ディベート甲子園が開かれている間は、6号館地下にある学生食堂の一部を使って摂ることができます。この食堂は、大学学食ランキングで1位となった有名どころなのだそうですが、残念ながら夏休み中とあって、基本、閉館です。ディベート甲子園用に、チャオドマーニというイタリアンの店と、マントラというカレーの店だけが開くそうです。この学生食堂は、ショッピングモールにあるようなフードコートスタイルなのです。
 6号館へも、館内を伝っていくことができますが、かなり複雑なので、いったん外に出た方がわかりやすいでしょう。6号館は、ホテルのように立派で垢抜けた感じがする建物で、現白山通りの西門に面しています。
 昼食は学生食堂だけでは、足りないと思いますので、正門近くのお店を使うことになるでしょう。当日詳しいマップを配布します。正門から1分のところにココスと浜寿司(回転寿司)があります。ほかにも小さな店がチョコチョコとあります。セブンイレブンは正門斜め前にあります。(大学内にもあるのですが夏休み中はお休みです)
 なお、東洋大学から東に1.3キロほど歩くと地下鉄千代田線「千駄木駅」、南に1.2キロほど歩くと東京大学農学部があります。全国委員会でお世話になったふたき旅館(今はもうありません)までは約1.5キロほどです。

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熊本発<6月学習会報告・感想編>

問い、悩みながらの授業づくり(前編)http://tokyotaikai2012ouen.blog.fc2.com/blog-entry-116.html
分析会に参加しての感想
藤川 秀一(熊本工業高校定時制)
 このままでも十分凄い実践ですが、これからますます成長していく可能性を秘めた実践です。2学期にその後を、1月大会で一応の集大成を報告していただき、そして全国大会でもぜひ発表してもらいたいと参加者の皆さんの意見が一致しました。
 集中出来ない生徒が何人かいる数学の授業、私語をしだした生徒たちは初めの頃は注意したら止めていたが、だんだん激しくなり、さらに聞かずにぼーっとしたり寝ている者も出てきます。
 教科担任の深久先生は生徒たちに「授業中に授業と全く関係のない私的な話が、注意を受けても延々と続く状態を、あなたはどう感じますか、どう思いますか、どう考えますか」というアンケートを実施します。
 このアンケートに20名のクラスの生徒のうちのなんと10名が記名で回答しました。 また17名が「このままではいけない」と書き込みます。
 深久先生は、アンケートの前に、すべて打ち出したものを皆に返すとは言いましたが、話し合いをするとまでは言っていませんでした。深久先生自身もそこまでの展望は持っていませんでした。
 話し合いができるかもしれないと深久先生が決断させられたのは、あの名前出しOKの十名(特に冒頭の女子3名)によるところが大きかったそうです
 深久先生の気持ちに応えて2名の生徒が司会に立候補し、話し合いの結果「授業中の5つのルール」が決められ、「サポートティーチャー(小先生?)」を3名の生徒が引き受けます。
 私も20年くらい前、40人の中で20人くらいの生徒がしゃべる、「しゃべるな!」と怒るとそのまま寝る。「寝るな!」と怒ると起きてしゃべり出すというクラスにアンケートを取り、それを生徒たちに返して考えさせる取り組みをしたことがあります。しかし深久クラスのように生徒の司会で話し合いをやり、さらに「授業中の5つのルール」まで作り、生徒が「サポートティーチャー」に立候補するなんてところまでは行きませんでした。その意味でも深久実践には感嘆させられます。
 生徒のアンケートの文章で気になったのがO君の「昨年に比べたら全然ましになった方だと思うし、気にならない。あと、昨年のテストはこばかにしたテストって先生は言ったけど、2組の男子はそれでみんな助かったから、別に悔しいとか思っていません。自分は昨年のテストでよかったと思う。」という意見です。
 私が深久先生だったら「O君の意見は私(深久)に対するスルドイ指摘であり、とても大事な意見だ。」とベタ褒めし、さらに「昨年に比べたら全然ましになった」とO君から評価されたことは大変嬉しいと高く評価すると同時に、今の授業の状態が「気にならない」というのはなぜだろうとコメントするでしょう。
О君は「自分は昨年のテスト(学年末考査)でよかったと思う。」と書いていますが、これから二つの意味が読み取れます。ひとつは文字通り「よかった」という意味です。もうひとつは逆に昨年の学年末のテストは「俺を(О君を)小馬鹿にしている」と感じたという意味です。 だからこそО君はその事を言い当てた深久先生に対して「昨年のテストはこばかにしたテストって先生は言ったけど」(深久先生が「こばかに」というような言葉を不用意に使ったとは考えにくい。О君の中にはすでにその言葉が一定の位置を占めていたのではないでしょうか。)「自分は昨年のテストでよかったと思う」と激しく反発しているのではないでしょうか。
 また「昨年に比べたら全然ましになった」と昨年の授業者を厳しく批判しているのだと思います。しかしО君はその悔しさを一応脇に置いて「2組の男子はそれでみんな助かったから」と鋭く指摘しています。ここに彼の批判精神とリーダー性を読み取ることができます。彼がこれからサポートティーチャーに立候補した時、深久先生の授業は大きく深化するのではないでしょうか。
 レポート分析の中で、これからの課題として指摘されたのが、
①「授業中の5つのルール」の点検をどのようにするのか。
②サポートティーチャー(小先生)をこれからどのように育てていくのか。の2点でした。
 このうちの②については、週に一回くらい放課後サポートティーチャーに集まって貰い、お茶しながら「サポートティーチャーやって嬉しかったこと、うまくいかなかったこと、こうすればいいんじゃ」というようなことをおしゃべりし、さらに深久先生の授業に対する要求が出るようになったらと思います。
 これからの展開が楽しみです。乞うご期待。(ふじかわ しゅういち)
教科でも可能なシチズンシップ教育
福永 信幸(湧心館高校定時制)
 5月に数学の模擬授業を体験し、「分かる授業」に懸命に取り組んでおられる深久さんの姿勢に感銘を受けました。そして6月学習会で「実際の生徒・クラスの現状」(の一部)に触れ、「これは感銘を受けたでは済まないくらいの高度な実践」だということに気づきました。「担任でないクラスの教科担当者がここまで生徒に迫れるのか?、いや、授業がうまくいかないクラスなんてどこの学校にでもあり、ごまかしながら毎日を過ごしている私(たち?)が生徒に全く迫っていないのか?」。困惑と刺激の学習会でした。
 以下、深久実践で私が評価する3点について述べたいと思います。
 まず最初に、「授業全体の緻密な構成」です。決して高いとはいえない勤務校での数学への興味・関心に対して、「解けることは楽しいこと」に気づかせるような、考え抜いた授業の流れだと感じました。特に②の「生徒のペンは置かせる」指導が「書くことと聞くことは同時にできない」という言われてみれば当然のことですが(私は板書しながら自己満足的に説明しています)、生徒の理解を重要視することが徹底しています。そして⑥の「周りに聞いて教えてもらってよい」や⑦の「(問題が)できた人は教師が○をつけ平常点に入れる」など、生徒間のコミュニケーションや考査以外の評価ポイントの積み重ねもしっかり加味されています。
 第二に、深久さんの「役者ぶり」(もちろん良い意味で)です。アンケートを取る際に、最初に用紙を配らず、生徒の顔を見ながら趣旨を分かりやすく説明されています(私だったら最初から配ってしまいます)。リード文も良いと思います。具体的に生徒の名前を挙げつつ自分の失敗を謝罪し、「ちからを貸してくれる人」(サポートティチャー)が出てきて欲しいという展望にまで言及しています。そしてアンケート結果を発表する時はもちろん、「話し合い」の場でも2人の女子生徒に進行役を任せながら(ここが重要です。私だったら介入して「教師主導」になると思います)、「授業ルールを自分たちで決定」させているのです。
 最後に、「このクラスのすごさを発見した深久さんの見識」です。私語が多く授業がうまく進まないクラスは私なら職員室で「また○○たちが騒いで、注意してもきかんとですよ」と言い放ってオシマイでしょう。深久さんは「課題は多いが、このクラスは1年間過ごした軌跡が必ず成果となって出る。自分たちの意見をキチンと出せる」と確信を持って、記名アンケート→結果発表→話し合い→ルール作りという一連の流れをつくられたのしょう(ご本人は「それは買いかぶりです。話し合いから先は、生徒に助けられながらの実践です」とおっしゃっていますが、私は「無意識のうちに計算している」と見ました。仲間贔屓すぎるでしょうか?)。
 重箱の隅をつつくような疑問点(職員集団はどう反応しているか、生徒の家庭環境はどうかなど)はさておき、「教科でも可能なシチズンシップ教育」を熊本から証明した実践ではないかと思います。秋以降の再報告が本当に楽しみです。
                             (ふくなが のぶゆき)

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全国大会3週間前、前触れ

第4回実行委員会は8月10日(金)9:00~東洋大学白山校舎1号館4Fの1409教室にて開催します。15名の実行委員が準備のために集合します。その他お手伝いできる人がいたら来てください。昼食をプレゼントします。仕事は本並べ、受付準備、会場の掲示物、順路案内掲示などいろいろあります。分科会会場のお世話係も募集しています。
さらに前日9日(木)の15:00~18:00まで紀要、しおり、議案書、書籍、その他の搬入作業があります。余力のある方は9日の15:00に白山校舎正門前に集合してください。1号館4階に案内します。そして18:00~は前泊交流会です。池野と船橋が幹事です。なおこのふたりは高級ホテルに3泊します。
書籍販売は64歳の平井敏久さんと58歳の船橋がやっています。群馬からの参加者10名も販売員です。藤川さん(熊本)と夏原さん(滋賀)と久田さん(愛知)も販売員です。池野、船橋、坂田、平井、平野その他で約500冊の古書を放出します。岐阜の田山地さんは私の出している古書を全部買いたいといいますが、「予約は10冊までね」と我慢してもらいました。古書のリストは大会のしおりに掲載します。
新刊書もあります。山吹書店、桜井書店、ほんの森出版、大月書店、青木書店、築地書館、教育ネット、学事出版、太郎次郎社、高文研に注文を出しています。
山吹書店からは「子ども・若者としあわせをひらく」(竹内常一・佐藤洋作共編)が近日出版されますが、20冊用意します。交流会では元都立高校校長の渡部謙一さんを招いています。著書の「東京の「教育改革」は何をもたらしたか」(高文研)を10冊用意します。
じゃあ、東洋大学白山校舎で会いましょう。
大会事務局長 船橋聖一

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揉め事の先には…

 大阪のKです。東京大会、参加できることになりました!しかも父と2人で、青春18切符で10時間かけてのんびり上京します(父はのんびり東京観光をするようです)。いつも全国大会では元気をもらえるので、今年も楽しみにしています♪
 5月のブログ以来、顧問をしている女子バレーボール部の内容を記してきました。今回で最終回、最近の部活動の様子を書いてみます。
 6月の第2週から、新チームが発足。体育会系の部活ならでは?と思う節々が見えてきます。体育館の練習時、日が入り眩しいので、練習開始前にギャラリーのカーテンを閉めます(ギャラリーは体育館フロアより高い位置にあり)。練習後はそのカーテンを開けて、消灯して体育館を定時制に空け渡します。ある日の練習後、1年生が体育館ギャラリーのカーテンを開けるのに戸惑っていると、2年生5人が「もう、やり方教えたのに全然できてへんやん」「遅いわ-」「はよ(早く)しろや」と言って円陣を組んで、必死に頑張る1年生の方を見上げていました。部活動の最後、集合をするために私もその場に居合わせました。2年生の声にイライラして、私「そんなに言うなら、あなた達2年生も上がってカーテン開けるのを手伝ってあげたら?」- 副キャプテンのTさん「一度、やり方を教えたんです。」この言葉に私は結構呆れてしまいました。「一度で全部を理解できていないことが今わかったのだから、何度も教えてあげるのが上級生の役割でしょう。」私がこう言うと、2年は渋々「はい」と返事をしました。
 その日から程なくして、1年生3人が退部届けを取りにきました。理由は「1年生同士での雰囲気が悪い。」話しを聞くと、練習後の更衣室で同じ1年の女バレの選手から悪口を言われているとのこと。この件は2年生の耳にも入り、何度もミーティングを重ねました。訴えてきた1年生と2年生がまず話しをし、1年生同士でも話し合い、顧問も入って全体ミーティングを行いました。悪口を言ったことになっている女子の言い分は「1年で決めた、練習時間の30分前には集合して準備に取り掛かるというルールが守られていない」「練習中も声が小さい」「先輩に注意されたことが改善されていない」というもの。彼女から見ると、退部したいと言う3人の態度は鈍臭く見えるようでした。全体ミーティングで、2年生は全力で3人を引き止め、1年生の中には泣きながら引き止める人もいました。キャプテンから、K先生からも一言と言われ、「辞めるも辞めないもあなた達次第だけど、コートに戻って来ると決めるなら、相当の覚悟が必要になるんやで。」あえて引き止めませんでした。このミーティングの直後、退部希望者のうち2名が私のところにやってきました。「K先生の言う『覚悟』が私達にはありません。」退部していきました。
 体育館の耐震工事がこの7月より始まり、8月末まで体育館が使えない状況にあります。グラウンド練習を放課後に毎日行うようになり、バレー部なのに選手達は日焼けをしながら頑張っています。7月9日より外部コーチの先生をお迎えしました(年間30回の技術指導)。2年生は、新チームとしての方針も考えながら「自分たちで」1勝できる工夫を考えてくれています。男子バレーボール部のN先生のお計らいで昨日(7/17)、近隣校の体育館をお借りしての合同練習&練習試合が実現しました。試合の時の選手の表情を見ていると、楽しそうでいきいきとしていました。そんな彼女達の表情が、正直女バレと関わることがしんどいと思っていた私の背中を押してくれました。この選手達のために、この夏は練習場所をたくさん押さえたいと思います。

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東京大会全体会:熟議民主主義について討議しよう

 東京大会一日目の全体会には、熟議民主主義論で著名な政治学者田村哲樹さんを講師に迎えます。私としては、招聘できたことは大変うれしいことで、個人的に盛り上がっています。田村さんは名古屋大学勤務でもあり、実は昨年の名古屋大会に呼びたかった講師でもあったのですが、オーストラリアの大学に出張していることがわかりあきらめました。今回は念願かなって講師に招聘できたので、全体会で議論がもりあがることを願っています。代表的な著書は『熟議の理由』(勁草書房)。全体会論議の前にぜひ読んでいただきたい好著です。
 さて、熟議民主主義論とは何でしょうか。簡単に言えば、熟議とは、「とことん話し合うこと」。民主主義に市民の話し合いのプロセスを組み込んでいくことと考ればいいのでしょうか。私の理解では、討議とそう変わらない気もしますが、討議には「熟議」と「闘技」があり、何に力点を置くかによって変わってくるようです。闘技民主主義の側からすれば、熟議は合意形成的で、民主主義における意見対立・抗争性の意味を軽視していると言えるようです。
また、別の議論では、熟議民主主義は市民による理性的な議論に期待をかけすぎているのではないか。会議でどのような飲み物を出すかという判断のように、それまでの同じような場面の履歴を参照し、その数理的な集計から一般意思を導き出せるという手もある。それは、インターネット等によって技術的可能性も担保されている。市民の選考(一般意思)の反映を技術的に可能にさせればよい。こういう反論もあるようです。
 一方、熟議民主主義が強調しているポイントは、「選好の変容」。熟議の過程で、他人の意見に触れて、自分の意見が変わっていく、自分の意見が反映されて全体の合意が変わっていく。「選好の反映」よりも「選好の変容」に力点が置かれています。直観的に理解しやすいし、「選好が変容」する面白さも共有できるのですが、これまでの討議づくり実践は必ずしもそれを目的とはしていなかったのではないでしょうか。
 私の理解では、高生研において討議をつくす実践の意味は、「決定」を全体のものとして受け止め直すプロセスにこそあったのではないかと思います。「決定」が安直に破られるのは、「決定」が一部の者の提案にとどまっていて、その他の者にとっては「決意のない決定」に成り下がってしまっているからだ、と。それで、討議をつくすことで、「形式的な決定」を全員が関与した「決意のある決定」へと発展させること。そうすることで、「集団のちから」が本物になっていく、と。ここでは、「集団のちから」が第一目的で、「選好の変容」は二次的なものなのだと感じます。
 「討議実践はいままでも行ってきた。何も目新しいものではない」という意見もあろうかと思いますが、その議論文脈の異なりからより根源的な民主主義像をさぐれたらと思います。全体会の日の夜の交流会では、「田村哲樹を囲んで」を行います。知的刺激あるれる交流会にしたいと思います。ぜひ参加してください。(岡村)

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熊本発<6月学習会報告・レポート編>

問い、悩みながらの授業づくり(前編)
深久 史朗(公立高校)
 2年生のあるクラスでの数学の授業づくりについての報告です。
 昨年、どの授業でも「お手上げ状態」で、教室後ろに交替で学年の先生方がついていてやっと授業ができていた。成績不振で数名が学校を去らざるをえなかった・・・等々。どの先生からも「とにかく大変だった・・・」との声を聞いた。
 今年度4月当初「昨年とはうって変わって本当に良くなった」という周りの先生方の話に、昨年の話は本当だろうか・・・と思っていた。ところが、中間考査が終わった5月末から立ち歩き・私語・授業妨害・・・が出はじめる。自分なりに工夫した授業構成で自信があっただけに(他のクラスではうまくいっている)、困り悩んだ(他の教科の授業でも同じ状況だったことがちょっとした救い)。高生研でMさんからの「授業妨害は、生徒の授業批判の表れ。生徒に聞いてみては」とのアドバイスに、私なりに丁寧に聞く姿勢は見せたものの、何も出てこなかった(ちなみに、問題行動を起こす生徒たちとの関係は良好、休み時間や放課後の会話や希望補習やったり)。
 授業は以下のような流れで進めている。
① 本日のテーマを提示、ノートに書かせる
② 例題を生徒たちと、発問と応答を繰り返しながら、解く
(生徒のペンは置かせる。「考える・理解する」と「書く」を明確に区別する)
③ 質問がないか、理解したかどうかを「○○くん、どう?大丈夫?」など言って確認する。「うーん、いまいち」とか言われる場合はもう一回やる
④ 例題をノートに書かせる(板書を見ながら)
⑤ 各自で教科書の練習問題を解かせる。苦手な生徒には支援を意識的にする。
⑥ 生徒は、分からない場合は周りに聞いて教えてもらってよい
⑦ できた人は手を挙げる→教師が丸をつける→本日の授業は「合格」。平常点に加味
⑧ 演習プリント(宿題)をもらってやる
⑨ 9割方の生徒が終われば、次へ進む(途中の人は放課後やあとから持ってくる)
 クラスは全員で20名(男子7名。元気がいい5名とおとなしく静かな2名。女子13名)。男子は数学が苦手な生徒が多いが、授業には積極的(当初は)だった。女子は数名苦手な生徒がいるものの比較的理解が早い生徒が多い。授業規律が乱れていった経過は以下のような感じ。
●②,④,⑤のとき、私語をし出す。
 始めの頃は注意したらやめていたが、だんだんと激しくなる。
 ぼーっとしている、寝ている(もちろん起こそうとするが)
●③は写すだけになる
●⑤のとき自分で解けない。もしくは最初から解く意欲を見せない
 (ついてやれば解ける場合もある)
 そのような中、1回目の授業停止事件。私が切れて、説明と板書を突然やめて、「君たちが授業者の私との約束を守れないなら私は授業をする気になれない」と言って、その時間はそれ以降授業をしなかった。あとで、勉強の良くできる生徒(学級委員)から「飛ばしたところをきちんやってほしい」とクレームがあった。その次の授業ではしばらくは静かになるが、すぐに元の黙阿弥。
 そして、衝突が起きた。切れた私が大声で「オォイ!!」と怒鳴ってしまった。それまで穏やか人間だった(演じてた?)深久が切れた?!生徒たちは皆驚いたことと思う。当のA君はふてくされて突っ伏して寝てしまった(フリ?)。授業の最後に次回アンケートを取る予告をして、その時間は終了した。
 次の授業で、以下のような話をしてアンケートを配布した。
「前回の授業で、話したようにアンケートを取ります。『あなたたちの数学の力はスゴイ。2ヶ月間の授業から深久は確信し、それを断言できる』この言葉にウソはありません。そして、今2年2組の授業は危機に陥っていると、私は認識しています。「そんなおおげさな」皆さんはそう言うかもしれません。しかし、これまで数々のクラスで授業してきた私には、そのことが分かるのです。
この状況を解決するには、深久一人の力では無理だと判断しました。現に前回、あろうことか、この学校に来て初めてあのような「不快感丸出しの怒り」を露わにし(ダサくて最低です)、その結果が「A君のあの態度」(一つの例としてです。A君ゴメン)です。
 これから先もし、それでもなお、深久一人の力で授業をやろうとするならば、「A君のあの態度」はつづき、結局は進級できないという結果が来ることは目に見えています(1つの例としてです。A君ゴメンなさい)。
 しかし、もし、この2年2組の皆さんの中に「ちからを貸してくれる人」が現れるのなら(その人はひとりでも多くいると助かりますが)、そのような状況も回避できるかもしれない」
 アンケートの内容は、「授業中に『授業と全く関係のない私的な話が、注意を受けても延々と続く状態』をあなたは、どう感じますか、どう思いますか、どう考えますか」という質問と、「サポートティーチャーをやってもよいという人は丸をつけて下さい」の2つだけ。
 生徒の書いた答はすべて打ち出して皆に返し、今後の授業を考える機会にしたい旨を伝え書いてもらった。生徒たちの返答は、以下のようなものだった(抜粋)。
・真剣に学びたい人にとっては迷惑だと思う。(Mさん)・うるさくてイライラする。集中できない。空気を読んでほしい。自分もだけど注意する人がいない。(Gさん)
・うるさくて、授業に集中しにくい。なんで注意されたのにまた、話すんだろうと感じた。(NBさん)
ダメだと思う。(A君)・しずかにしなきゃいけない。(H君)・昨年に比べたら全然ましになった方だと思うし、気にならない。あと、昨年のテストはこばかにしたテストって先生は言ったけど、2組の男子はそれでみんな助かったから、別に悔しいとか思っていません。自分は昨年のテストでよかったと思う。(O君) 
 (以下、後編(「スコブル」次号)に続きます)        (ふかひさ しろう)

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細腕三学年主任奮闘記⑥(最終回)

 沖縄の照屋です。先月下旬に梅雨が明け、それからは連日32~33℃の真夏日が続いてます。
夜も気温が27℃以下にならない熱帯夜…僕は教員になって九年目です。
今は実家を出てアパートに住んでますが、エアコンはありません。引っ越しする時、「しばらくは、エアコンいらないや」と思い、扇風機だけで過ごしてきました。そうこうしているうち、エアコンなしの生活が九年目に突入しました。自分では節電に貢献してると思ってますが、生徒たちにこの話をすると、かなりびっくりします。今年までは我慢して、来年はエアコン買おうかな?…..
 「カーディガン着用許可」顛末最終話。元生徒会長Sが校内放送で呼びかけたのにも関わらず、三年生を中心に違反者が相次ぎ、「有無を言わさず再禁止」の15人になるまであと4名。
卒業まであと三か月に迫った時期でした。冬服に切り替わって、わずか1ヶ月で11名もの違反者が出た時点で、生徒たちや先生方(僕も含めて)の中に、「やっぱりだめか..」という雰囲気が漂い始めました。
そんな時、Sを中心に、三年生の元生徒会執行部メンバーから「学年集会」を持ちたいと要望がありました。その中には、生徒総会でガーディガン着用を認めて欲しいと発言した女生徒もいました。
Sは「放送しただけでは効果が薄いかもしれません。最後の最後まで、なんとか三年生に正しく着用するように訴えたいです。学年集会で、直接三年生全員に伝えたいので、学年集会を開きたいのですが?…」
との事でした。三学年担任および全職員に確認し、OKをもらいました。
Sが校内放送で呼び掛けた翌週、朝のSHR時に三年生全員が体育館に集まりました。雨が降っていました。担任の出欠点呼の後、司会や段取りを全て彼らに任せました。最初に、Sがこの学年集会の主旨を説明。その後、元生徒会執行部メンバーが全三年生の前に一列に並んで立ちました。
 Sは、校内放送で延べた事をもう一度丁寧に説得するように三年生へ伝えました。そして発言してくれた女生徒もみんなに訴えました。三年生たちは最初から最後まで静かに聞いていましたが、全体的には何となくあっさりと集会が終わった印象しか僕には残っていません。
 しかし、その学年集会後、1・2年生を含めて違反する者はピタっといなくなりました。三年生全員の目の前で、しかも同級生が説得した効果があったのかな?という感じがします。
新年度発足時(2012年度)、生徒指導部からは「前年度、カーディガンの違反者は合計11名。累計15名は超えなかったので、指導部としては、今年度からは「正しい基準で」着用を認めたいと思います。」と提案があり、承認されました。僕がこの高校に勤務してから初めて経験する、「生徒からの要求で」一つの校則が変わった瞬間でした。
 さて、僕の応援部ブログもこれで終わりです。来月は全国大会です。みなさん、その時に会いましょう。
秋田大学から大量の参加

東京大会受付・千葉高生研より
 秋田大学からたくさんの参加申込があり、秋田からの参加申込数が15人になりました。学生の参加数も13人に増えました。
 7月16日現在の参加申込数は93名になりました。和歌山県から初の参加申込があり、これで23都道府県から参加申込があったことになります。
 夏休みが近くなりましたが、現場教師は忙しいようで、常連さんを含めてまだまだという感じがします。いっそう周りへの働きかけをお願いします。
7月16日現在93名
秋田15
千葉13
東京12
群馬10
静岡6 
神奈川4 熊本4
北海道3 茨城3 京都3 大阪3 青森3
埼玉2 三重2 滋賀2 沖縄2
福島1 山梨1 長野1 愛知1 和歌山1 鳥取1
学生・院生13(上記に含まれています)

 
 

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一般分科会3 「三回目の文化祭から見えた生徒の姿」

 小山みなみさんの実践「三回目の文化祭から見えた生徒の姿」は、高校三年生の文化祭に向けてのクラスの指導の記録であり、登場するのはもちろん生徒たちなのだ。
 しかし、この記録はまぎれもなく教師の成長物語だと言える。教師とはかくあるべき――生徒の自主活動に足を踏み入れてはいけない・生徒と共に立つという姿勢ではなく――という教師像をあらかじめ持って臨んだ初担任だった。しかし一年生から二年生へと学年を持ちあがっていくうちに、元々小山さんが資質として持っていた「人と正面からかかわっていく熱意」がホームルーム担任としても溢れだしてくる。そうして三年目の文化祭では・・・。
 続きは当日の分科会でたっぷりと聴いてください。お楽しみに!
田中容子

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群馬が担当する書籍販売・古本市 の紹介

群馬の送る フルホン があなたの実践を変える・・・カモ
群馬高生研では現在いろいろな方の協力を得て、約300冊の古本を確保しました。
一部紹介します、斎藤喜博全集18巻、マカレンコ全集8巻、クルプスカヤ全集4巻!等多数あります。
教育の情熱に燃えていた青年時代に買ったあの全集だが、いつの間にか”積ん読”になってしまいました。その全集を是非、『若者の君に読んで欲しい』というのが提供者の思いです。
・集団づくりの理論書、 ・実践書、 ・集団遊び、などなど高生研ゆかりの本がいっぱい集まりました。そのほかにも教育一般書もあります。これら古本との出会いがあなたの実践を変えるかもしれません。
時代は変わっても良書のもつうまさは変わらない。
当日は古本をめぐって参加者の皆さんと交流できればと考えています
一冊100円から200円くらいで大会初日10日(金)12時頃からガンガン売りまくります。
         東洋大学1号館 4階で待っています。 
                               群馬高生研 稲葉 淳

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魅力的な響き

先日、宮崎の山下道也さんから、大量のチラシが送られてきました。チラシの内容は、8月に行われる「哲学の午後」と題したイベント。以前このブログでもお誘いをかけてありましたが、わたしはこの「哲学の午後」という響きがなんともいいなぁと思いました。しかも、押しかける我々熊本髙生研を歓迎して記念ゼミ「リーダーは要らない」まで開いてくださるなんて!数年前に一度、山下さんが開催される「水よう会」にお邪魔したことがありますが、その活発な議論と参加者の笑顔が思い出されます。
 「わたし的に(若者表現を真似て)言えば、40年前から高生研の中で実践し考えてきた「集団つくり」のいちばん中心にあった(そのことも当時わたしはよくわからなかった)「核づくり」の意味が、ほんと今頃になってようやく見えてきた~」とおっしゃる山下さんのお話を是非聞きたいものです。しかし、学校ではその時期夏期課外が・・・。なんとかならないかなぁ。
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