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問題別分科会4「この国の人びとに 私は 何を問いたいのか」PR

高生研全国大会史上初!?沖縄からきた大学生3人によるレポート報告!数々の実践を積み上げ、つい先日沖縄で行われた県民大会で知名度も全国レベルになりつつある玉城愛をはじめ、同じ大学に通う4年生の真鍋詩苑、3年生の小波津義嵩も共同でレポートを作成。日ごろの活動で地元紙にしばしば取り上げられ、またSNS等でも発信しているため、「実践は立派!」そういう声は聞こえてきそう・・・
しかし今回は、なぜ私たちが立ち上がったのか、行動をし続けることができたパワーの源は何だったのか、当時の気持ちや考えたことをリアルに書き起こした。高生研のメインテーマである、「18歳を市民に」。ちょうど18歳の頃から今に至るまでの記録、そして3人の各々が書いた、今感じている「大切な価値」。ここから、「18歳を市民」にする上でのヒントを何か与えられるかもしれない。
この報告会では、参加者との議論を重視!今、この国に住む人々が一度は考えなければならない問題、そして学校という場所で出来ること、必要なことをまず学生の3人が提言する。
そしてそれを踏まえて、日本、世界にまで通用する大切な価値とは何か、私たちが日常からできることは何か、その他にもいろいろ、大いに議論しましょう!!

あなたの見解がこの分科会をつくります。一緒に幸せになるために、参加してみませんか?

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一般第4分科会PR「平和教育への意志を育てる歴史教育」

 第4分科会の橋本実践の魅力は、羨ましいほど豊富な体験学習の数々です。
「戦争と史跡」という授業なのですが、おそらく学校設定科目なのでしょう。かなり自由、縛られていない、創意工夫が生きている。
メインはフィールドワーク実践です。弾薬庫跡、防空壕跡、東京大空襲・戦災資料センター、WAM(女たちの戦争と平和資料館)、陸軍登戸研究所平和資料館など、さまざまな場所に見学に出かけていきます。第5福竜丸の乗組員の方の話を聞く、という実践もある。
そして何といっても、この授業では、3泊4日の長崎研修旅行まで行っているところがすごい。選択授業で研修旅行ができるのですね。研修旅行では、原爆資料館や岡まさはる平和資料館、軍艦島、長崎歴史文化博物館を見学し、反核署名に取り組む現地の高校生たちと交流し、街頭インタビューなどの能動的な活動も行っている。一冊の本にまとめられるくらいの豊富さです。企画・準備も大変そうですが・・・。
レポートでは、紙面の制約上のためか、残念ながら、見学した日付と場所の羅列になってしまっているのですが、1つひとつの見学地とその体験がそれぞれ内容豊かなものだったことは想像できます。分科会では、もう少し聞きこんで、深めていきたいです。
実は、橋本実践で訪れた平和資料館や戦跡をネットで調べてみました。戦争・空襲に巻き込まれた庶民の視点から戦争に迫ろうとするもの、女性視点から従軍慰安婦問題を取り上げるもの、科学研究と戦争とのつながりを考えさせるもの、日本の加害責任を追及しようるするものなど、それぞれの切り口やアプローチがあり、大変興味深く面白い(intersting)ものでした。一年間を通した授業なので、複数の場所や人びとに会っていますし、つまり戦争や平和を複数の視点から考える機会になっているですね。
もし、この分科会に参加しようと決めているのでしたら、事前にネットで調べておくと面白いですよ。
分科会では、橋本さんのフィールドワーク実践の可能性を議論したいと思います。
あと、橋本実践を成り立たせている思想性、つまり「歴史教育と政治教育に通底するもの」として教師の立場性についても議論したいと思っています。
では、大会当日にお待ちしております。

運営担当 岡村昭弘 

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東と西のはざま2

 今日、7月5日は父の誕生日である。生きていると満92歳だった。父の姓は「黒松」といって、私も大学までは「黒松」姓を名乗っていた。色のつく姓はそれほど多くないと思われるが、村上春樹の小説「色彩を持たない…」にはやたらと出てきて興ざめる。週刊誌にいいように私生活を暴露された乙武洋匡の「だいじょうぶ3組」に出てくる先生の名前もみんな色つきだが、こっちは意図を感じて気にならない。教師をしていると、生徒を含めたくさんの人に出会うが、色のつく姓にはあんまり出会ったことがない。白石・黒田・赤松・青野・黄瀬・紺田・茶田・桃井…だんだん苦しくなってくる。ちょっと珍しい「黒松」から、母の実家の姓である「西村」になったときにはたいへん戸惑った。自分と同じ名前がごろごろしていたからだ。うちの実家は東大阪の「中野」という村の「西」のはずれ。道を隔てた向こうは隣村「横枕」だ。
 さて、本題。「西村」は多いのに「東村」はなぜ少ないのか?私の実践を佐藤さんがアレンジした事例に「凡男の、ぼくはおめでとうとは言わない」というのがあって、そこに出てくる主人公「凡男」の姓が「西村」をもじった「東村」なのだが、どう考えても「東村」はおかしいやろ!いままで生きてきて、「東村」さんに会ったことが一度もない。まあ、日本人の姓は大変多いので、この国のどこかには「東村」さんがいらっしゃるのだろうが…。「東田」はまあまあ多いけど、ぜったい「西田」の方が多い。「東川」もあるが、ぜったい「西川」のほうが多い。あと、「東山」と「西山」、「東本」と「西本」、「東尾」と「西尾」など、どれをとっても圧倒的に「西」に軍配が上がる。ただ、単独で「東」と「西」を比べると「あずま」発音を含めたら「東」の方が多いかもしれない。この「西」に偏った姓の分布は「北」と「南」にも言えることで、圧倒的に「北」の勝ちとなる。どうしてそうなるのか、探偵ナイトスクープに投稿したら、カンニング竹山あたりが面白おかしく調べてくれて、「アホ・バカ分布図」のように有名になるかもしれないが、私の中では答えはもう決まっている。「ひがし」や「みなみ」の後に「むら」なんかを付けると言いにくくてしょうがないでしょ?!

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◇「進学校」の教育にもメスを入れないとこの国の未来は暗い~一般分科会1「教育相談 『相談室からみえること』」PR(運営担当の一人・西村)

 高生研でも、その他の教育研究集会でも、「進学校」の教育実践のレポートをあまり見ません。しかし、近頃ますます高校現場は、「進路保障」=「出口」の指導を最重点にしているように思えます。「生徒のため」という印籠のもとに、どんどん引っ張っていくのは、どうなのでしょうか? 受験優先の教育は、本当に「生徒のため」なのでしょうか?

 数年前、「受験プレッシャー」に耐えきれず、心身に変調を来し、休学を余儀なくされた生徒がいました。その生徒の両親は、そんなに「受験、受験」という人ではなかったようです。その学校は、0時間目から授業をし(1日7時間)、模擬試験の回数も多く、夏休みもお盆前後の1週間を除いて(希望制の)進学補習があり、1年生は夏休み最初に4泊5日の(全員参加の)合宿補習があるという、「受験体制」の学校です。
 青年期という、人生で一番多感な時期に「受験一色」の高校生活を送らせて良いはずがないと思います。自分のこと、友人のこと、社会のこと、そしてもちろん政治のことも考える余裕を「進学校」の生徒にも持ってほしいと思っています。
 ところが、生徒数が減少しているにもかかわらず、「進学体制」が弱まったという声を聞きません。強固に見える「進学体制」は、一人の教員の力では、どうしようもないように思えます。そんななかで、大木聡子さんのレポートは、「息苦しい進学体制」に風穴を開けるヒントを与えてくれます。保健室や相談室は、学校内で、生徒の本音が聞ける、生徒が弱音を吐ける、数少ない場所ではないでしょうか。報告の中には、発達障害をはじめ「生きづらさ」を抱えた生徒が進学体制の中でもがく現実、そして、そのような子どもたちの視点から、学校のあり方を少しずつ問い直し共有していく過程が描かれています。
 「この学校だから当たり前?」「何か変だな」「どうしたら良いのだろう」と思っている人にとっては、大いに示唆に富む報告です。もちろん、「進学校」以外に勤務している人も大歓迎です。
 一般分科会1は、1日(7時間)かけて大木さんのレポートを分析します。こんな研究会は他にはありません。これが、高生研の魅力だと思います。大木さんのレポートを分析しながら、参加者の悩みも出せるような、そんな分科会になればいいなと思っています。「進学校の当たり前」を突く、みなさんの意見をお待ちしています。