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熊本高生研、大会への意気込みを語る
熊本高生研の名古屋大会への関わりを紹介します。
●全国大会参加者確認:F、S、Mi、T、N、Mの6人で
●熊本高生研会員通信「さわらび」の全国大会報告号の原稿担当予定
全国大会総会論議の感想(M)
白川郷ツアーの感想(Ma)
基調発題の論議の感想(S)
参加分科会の論議の感想(T・F)
レポーターをしての感想(N)
また、全員が会員確保&会費徴収の特命を受けています。
全国大会参加者の皆様、熊本高生研会員確保にご協力ください。
●これからの全国高生研のあり方にかかわって、以下のような論議がなされ ています。
・全国高生研の組織は必要である。
・全国大会は実践の交流の場として大切にしたい。
・機関誌については、混沌としています。
・熊本高生研は、全国や九ブロと連携しながら、活動を継続していく。
●全国大会の+αの楽しみとして
・名古屋の「モーニングサービス」
・金城ふ頭の「リニア・鉄道博物館」の見学
●第7回九州ブロックゼミ福岡大会総括概要(抜粋)
(7月9日の例会にて総括)
「押しかけ学習会」としての2回目の九ブロは福岡県八女、柳川と
九州の主たる穀倉地帯である筑後平野を主会場に、梅雨の晴れ間
を縫いながらの開催となりました。
今大会のキーパーソンとなるO先生の勤務形態が3月末に明らか
になり、予定の6月実施ができました。
初日の午前は、西日本短期大学附属高校演劇部、野球部を訪問し
ました。演劇部の生徒たちが実際に練習の成果を披露してくれ、
1月のあの感動以上のものを体験でき、また部の先輩たちとの
交流もできました。
野球部では、N監督の御配慮によりダッグアウト席から試合を
観戦することができました。午後からのO先生の実践分析、翌日
の柳川川下り、鰻料理と福岡・筑後を堪能できた九ブロ大会
でした。
今日、名古屋は晴れ、最高32度 降水確率30%予報です
沖縄の台風が心配ですが、名古屋予報、今朝の新聞より。
今日までお読みいただいて、ほんとうにほんとうに、
ありがとうございました!!
最初は10台だったアクセス数も、最終週には90を
超える日が。
みなさんが一肌、二肌…?ぬいでくださって、
ここまで続きました!
ここで「ひつまぶし」にタッチです☆
京都 岸田康子
山代全私研にて、100名の方に…
みなさん、こんにちは!
あと3日で全国大会!
愛知でお会いできるのを
楽しみにしております。
さて、先週末から石川県・山代温泉では
「全国私学教育研究大会」が行われていました。
全国各地から集まった私学の方々との交流を深めることが
できるよう、いろいろな学びが準備されている大会でした。
私自身は10年ぶりの参加。組合っぽい分科会(春闘、争議、組織拡大…)や
教科など約30の分科会が用意され、3日間にわたって熱い議論が交わされました。
私は自分の教科(情報)の分科会に参加しました。
授業の進め方で毎年悩んでいるので、他校の実践や意見交流では本当に元気がもらえ、
夏休み明けからの授業が楽しみになってきました。
また、夜はさまざまな交流会(都道府県、教科懇談会、青年…)が用意され、
どこの宿舎でも夜遅くまで、楽しい声が響き渡っていました。
久しぶりに会えた人とも懐かしい話に花が咲き、時間が経つのを忘れて
しまいました。睡眠時間が少ないことを忘れる濃い非日常…
そして、忘れずお誘いしてきました!
この1000名を超える人が集まるこの大会で、いたるところで宣伝してきました!
名古屋大会のリーフレットを100枚持参し、愛知近県を中心に、しっかりとお渡し
してきました。
「そういえば、昔はよく行ったなぁ」とつぶやく方も。
「そうですか、ぜひ今年、久しぶりに参加してください!」とひと押しして、
受け取ってもらいました!
さあ、参加者1000名のうち1割の方にお声掛けした計算になります。
今年の全国大会も盛り上がっていきましょー!! (^o^)丿
京都 瀧内義弘
分科会紹介
埼玉の森です。
分科会の紹介、宣伝をさせていただきます。
一般分科会 浅田さんの分科会「オズの国の生徒たち」です。
感動的な実践記録です。様々ないがみ合い、中傷、気づけ合いなど「なるべく学校にいたくない」自分も人も信用できない定時制4年生のクラス。それを、授業担任の浅田さんのクラス討論の呼びかけ、生徒との対峙などを経て見事に感動的にミュージカル「オズの魔法使い」をやりきります。
運営は竹内先生と共にやります。竹内先生がどう「聞き込む」か運営としても学びたいと思っています。楽しく「これが実践分析だ」と思える分科会にしたいと思っています。
是非参加をお待ちしています。
もうひとつ、問題別分科会 望月さんの分科会
「シテズンシップ教育における教師のポジショナリテイと実践構図」の紹介です。
望月さんの今回の提起は昨年の問題別からの問題関心だと認識しています。
自立が困難になる現代にあって若者をどう市民にするか、シテズンシップ教育を他者との応答にみて、どのように高生研が実践で拓いていくか提起したものです。
今回は生活指導の原点から、さらに教師の役割、シテズンシップとポジショナリテイ(立ち位置)と展開しているかなりの力作です。
望月さんの提起に対して、私たちは実践で語りましょう。参加者の疑問、感想、実践からつながり交流できるように運営したいと思います。
是非ご参加ください。
今でない次、ここでないあの場所と、常に夢を追いかけて行動する人 ~京都より「K先生を偲ぶ」~
長く高生研の会員でいらして、全国委員をしておられた時期もあったK先生が
先週急逝されたとの報を受けた時は、京都で先生を知る誰もが耳を疑いました。
昨年3月に退職なさるまでは京都の例会には欠かさず出席してくださっていて、
その柔和な笑顔と穏やかな話しぶりがいつも例会全体にゆったりした温かさを
与えていました。
長年の念願であった中国四川省の四姑娘山(スークーニャン)という五千メー
トル級の山系の登山に行かれた最中でのご逝去だったそうです。7月17日に
四姑娘山を背景にして撮られた写真には、笑顔で立っておられるK先生がおられ
ました。いつも例会で見せておられた柔和で穏やかな笑顔でした。
今日の告別式の後に、かつての同僚の先生方が在職中のK先生の姿を語られ
ました。生徒たちが数学を教えてほしくて、先生に質問をするのを列をなして
待っていたというエピソード、不登校の生徒のことで悩んでいた同僚に、社会
全体のありようから現状を考えて生徒の抱えるしんどさに気付くようアドバイス
なさったというエピソード、常にさりげない優しさを周囲の人たちに与える善意
の人であり、好奇心旺盛で夢多き楽天的行動家だった―今でない次、ここでない
あの場所と、常に夢を追いかけて行動する人であった、最後まで自分らしい生き方
を求めていかれた―ということが、語られました。
62歳という若さで亡くなってしまわれたことが、本当に、本当に残念でなりま
せん。K先生の笑顔を「生徒の生きづらさに寄り添うことが大事」という先生の
ご発言と共に心にとどめていこうと思っています。
京都高生研 田中容子
数日前、K先生の訃報が届いた。昨日、告別式が行われた。
長年に渡って京都高生研を支えてこられた方で、私の前の事務局長だ。
1991年、ちょうど20年前、京都滋賀共催での全国大会では宿泊担当として
尽力された。この全国大会は「初の都市型大会」と銘打って、「宿舎自治」をとり
やめた最初の大会であったが、それでも宿泊担当は最もしんどい仕事であった。
400名近い参加者で、全員が宿泊したわけではないが、それでも2つのホテルを
用意しなければならなかった。「K先生が現役中にもう一度京都で大会を」と
密かに願っていたが、私の怠慢でそれができないまま、一昨年、K先生は
定年退職された。これからは悠々自適の生活……のはずだった。
1991年は大きな転換の年だった。国際的に見れば直前に東側諸国の崩壊、国内
ではバブルの崩壊があった。不登校生が増加を始めたのもこの年からである。そして、
全国大会参加者数も、この年を1つのピークとして減少が始まる。
高生研を含めた民間教育運動、もっと広げて考えてみれば市民運動の底流には、1つ
の対立軸、オールタナティブな社会のありようを追求する上で、東側諸国の存在は、
モデルとは言わないまでも、精神的支柱にはなっていたのではないか。70年代を
席巻した革新自治体の誕生や共産党の躍進は、その精神的支柱が背景の一つとして
あったことは否定できないと思う。その崩壊に乗じて吹き荒れたのが新自由主義と
いう嵐であった。革新運動を支えてきた世代は抵抗を試みるも、引退年齢に近づき、
かつての輝きを取り戻すにはもはや体力は残っていなかった。
新自由主義の嵐は、とりわけ、障がい者、高齢者、母子家庭など、公的扶助を必要と
する人たちを直撃した。若年層には安定した雇用を夢物語へと変貌させた。いやそれだ
けではない。アメリカを中心として、崩壊しなかった側の陣営をも、今や深刻で慢性的
な経済危機に陥れた。そして、地球温暖化を初めとする環境破壊の進行、そこに福島原
発。多くの人たちが「このままではやばい」と感じるようになった。
そんな中、高生研は新たな一歩を踏み出そうとしている。それが目指すものは、
きっと「夢よ、もう一度」ではないだろう。新たな精神的支柱…、でもないのかもしれ
ない。しかし、少なくとも「このままではやばい」の思いは共有できるはずだ。そして、
でっかく考えて、ちっちゃく行動するという我々の戦術を駆使して、「やばい」を乗り
越える手応えを感じたい。それが今年の全国大会だ。(後略) 久田晴生
<京都高生研では秋号ニュースでK先生特集を組む予定です。そこに続きを
掲載します。>
基調学習会@沖縄高生研
7月最後の土曜日、沖縄高生研で基調の学習会をしました。
参加者は、仲里、照屋、伊藤の沖縄高生研メンバーに加え
いつも参加してくださるスクールカウンセラーの神保先生、
沖生研の喜屋武先生、それから初参加の中学校講師宮城さんという六人でした。
高校生活指導に載った基調をテキストに、
私と照屋さんが全国委員で聞いたことを加えながら、
4時間半の熱い討議が出来ました。
現高生研、最後の基調にふさわしく、
今までの高生研の実践のスタイルを振り返る、
捉え直す意味で必要であると言う事を念頭に、
発題について分析を深めました。
書き出しの部分は、高生研においては、
実践報告と分析を繰り返しているとそれが当然であるように感じてくるが、
高生研と関わりのない先生達にとっても重要なことであることを再認識しました。
また、岡山さんの実践報告については、
上條先生の「平場の参加者が実践報告会をつくる」という発言から
沖縄高生研での学習会における問題点について話し合いました。
実践分析において、運営担当者方の鋭い切り口が
学びを深めてくれるのは確かで、
沖縄高生研においても、沖生研の喜屋武先生が参加してくださると
とても充実したものになるのですが、
私たちひとりひとりが、そういう力をつけることを目標にしようという
話をしました。
三章からは、基調の主題にかかわる討論になったので
実際の基調報告の時に、発言したいと思います。
後、要望として、船橋先生の主張がもっと直接聞きたい、という話がありました。
報告の際には、是非、船橋先生の熱い思いをお聞きしたいと思います。
基調学習会をして、全国大会での時間がとても楽しみになりました。
活発な議論になることを、期待しています。
本日は、記事が3つあります!お見逃しなく!!
しゃちほこ堂店主より、追伸
東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会~2日目交流会~
東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会
~東北6県の地酒と名古屋の手羽、みそかつとともに~
大阪高生研です。
3.11から5ヶ月近く。
この間、大阪高生研の何名かはボランティアや見学に東北を訪れました。
マスコミの報道である程度知っているつもりでしたが、やはり現地の人の話
を聞き、実際に見ることで、自分は「震災」体験をどう記憶するか、が問わ
れる思いでした。
秋田の教研では「ぴらいち」を通じて、石巻出身の大学生が、自宅や家族、
友人だけでなく、通った小学校もなくなってしまった喪失感を語ってくれま
した。親しい人の死の意味をどう記憶するかは、残った者の生きる意味に
つながる作業なのだと気づかされました。
何もなくなった石巻や女川では、ビデオカメラを回しながら、正直、絶望的
な気持ちになったのですが、同行したSさんは「4ヶ月でよくここまでがれき
を片付けられた」と、逆に希望を語りました。同じ風景の中にいながら、それ
を正反対のものとして記憶していくこともあるのですね。
そのSさんが、福島では、以下のように語ります。
ぼくにとって、今回一番考えさせられたまち、それが福島でした。
人々が「普通に」暮らしている。町でたむろする若者たち。通常営業している
商店。見ためまったく、どこにでもある風景です。
避難圏からはずれた福島市内だから「普通」なのか、それとも放射能が「見え
ないもの」であるからなのか。「わからない」のは最高に不安です。(下略)
おそらく、記憶とは、自分にとっての体験の意味を考えること抜きには成立しない
のでしょう。「震災」体験を、十把一絡げにして「かわいそう、大変だった」で
終わらせない記憶のあり方、記録のされ方を考える必要があると思います。
いまなお復興のめどが立たない中、夏の大会には、大変な思いをされたであろう
東北の先生たちが参加されます。先生たちの「見た・聴いた・感じたこと・思い」を、
ゆっくり聴かせていただき、「震災」体験を、それぞれの記憶にとどめたいと思います。
(若干量ですが、東北各県の地酒と名古屋名物をたしなみながら…
コーディネートは大阪です)
日時:8月7日(日) 18:30~8:30
場所:ホテルキヨシ名古屋第2(レストラン)
名古屋市中区平和1-15-22
TEL 052-321-8188 FAX 052-321-3661
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/mapOperation.top?f_hotel_no=926&f_teikei=&f_static=1
会費:参加費 一般3000円 学生2000円 軽飲食代込み(東北のお酒を飲みながら行います)
定員:会場の関係で、先着26人まで(厳守) ※8月6日全体会場で受け付けます。
色々な思いを抱いて、名古屋大会へ・・・。
弘前の木村です。
昨日8月1日から、津軽の夜空を焦がす「弘前ねぷたまつり」が開幕しました。
東日本大震災に見舞われた今年は復興への願いと、犠牲者への祈りを込めた特別なねぷたまつりとして位置づけられ、開幕前夜の7月31日、特別運行「鎮魂ねぷた」が行われました。道路を川に、ねぷたを灯籠に見立てた灯籠流しの情景を表現した運行で、私も見学してきました。86団体の代表20団体の扇ねぷたが、通常はねぷたをロープで引く大勢の引き手を排し、ねぷた本体とお囃子方だけとし、間隔を詰めて次々に並び運行したのでした。メインストリートに全てのねぷたが並ぶと、運行の列は歩みを止め、一斉に「休み」のお囃子が演奏されました。(お囃子には「運行・休み・帰り」の3つがあります。)ねぷたの柔らかな明かりと、ゆったりと哀切を帯びたお囃子の音色が鎮魂の祈りをささげているようでした。そして再び動き始めたどのねぷたにも、「がんばろう東北」などの復興を願う文字が描かれ、沿道の観客から大きな拍手が送られていました。
さて、いよいよ名古屋大会。色々な思いでこの大会を迎えます。ひとつは新しい組織への移行について、今次総会において一定の方向性が決定されるだろうと思うことです。この論議のスタートとなったのが2008年の青森大会での総会でしたので、3年かけてようやくやどりついたという思いです。
もうひとつの思いは東日本大震災のことです。退職3年目のシニアとしては大震災の教材化などに取り組む皆さんの報告をうらやましく思うところもあるのですが、あらためて今の自分に出来ることとは何かを考えるきっかけを名古屋大会で得たいと思っています。
2日目夜の大阪高生研企画「東北の仲間の話を聞く」にはもちろん参加です。会員通信の表紙を飾った被災写真の八戸水産高校・田村先生、レポーターで参加の三沢高校・酒田先生も。私はシニアの立場からいくつかお話しやご紹介を出来ればと思っています。ひとつは先日の全国会員通信の大震災特集に掲載された被災地の先生方の報告についてです。今大会に参加できない先生方の思いをお伝えしたいと思います。
また、私は昨年から近くの児童館(学童保育)に非常勤でお手伝いに行っているのですが、そこで出会った大震災の現実についても少しお話が出来ればと。
被災地福島からお母さんと二人で弘前市に避難転校してきた女の子がいます。お父さんはご商売があり、まだ現地に残っています。市営住宅に入居し、主な家電製品は行政から支給されるとのことであったのに未だ実現していません。この熱い中、冷蔵庫も扇風機もありません。炊飯器は児童館のものをお貸ししました。それまでは煮炊きもままならず、コンビニおにぎりやお弁当だったとのこと。最近は少し緊張も薄らいできたのでしょうか、遊びながら笑顔で福島弁も出てくるようになりました。
次に中学校同期で、石巻市に嫁がれ、ご主人とともに小学校の先生をされたMさんのことです。実は今回第5回目の同期会の開催案内のために、事務局・実行委員会や県内外の方たち23名ほどから原稿をもらい、「三八会通信」(昭和38年度卒なので)を作成発送したのですが、そのなかに、被災地真っただ中のMさんからも原稿をいただきました。ご自宅が高台にあったためかろうじて被災は免れたものの、ご主人は首までつかった津波の泥水の中から危うく脱出。つかの間、翌日停電の中、自宅の階段から転げ落ちて腰骨の骨折。原稿のお願いを躊躇する思いもありましたが、思い切ってお電話したところ、ご主人と二人で渾身の原稿を書いてくだいました。悲しみ、苦しみ、そして希望、思いのこもった3600字でした。長いので削りますとおっしゃっていただきましたが、これは一字一句たりとも削るわけにはいかないと思い、全文掲載しました。Mさんは、書きながら胸が苦しくなり、涙が流れてきたとのことでしたが、それでも私自身救われたことがありました。それは悲しみ、苦しみ、絶望のどん底にあるときに、自分の「心の叫びというか声を発すること」がどれだけ救いになったか、原稿を書く機会をいただき感謝しますというお返事をいただいたことでした。Mさんは事務局スタッフの同級生ということで今回のお願いとなったのですが、団塊の世代700余名の同期生のこととて、お互いにほぼ面識はありません。しかし「ああ、一人でなかったんだ、自分を心配してくれる人がいたんだと思うと、ありがたく嬉しく…。多くの方々の励ましなどで心身ともに傷は癒されてきているんですよ。」とお便りをいただきました。
被災された方々のお話を聞かせてもらうこと、書いていただくこと。それは心に固く閉じ込められた思いを少しずつ解きほぐし、逆境の中にも希望の灯りを見出していくことに
ささやかだけれどもつながっていくのではと、今回のMさんとの交流の中で感じました。
急きょ、同期会出席の有無を知らせてもらう返信はがきに、Mさんへの「応援メッセージ」欄を追加し、同期生の皆さんに発送しました。今できることの第一歩だと思っています。
青森高生研 木村 一男
まもなく6000アクセス突破☆ ありがとうございます!!
しゃちほこ堂書店
本田由紀氏 分科会紹介 その3
<その2からの続きです>
しかし、その点はたぶん、本田さんにとっては想定内のことだと思います。 そこで、分科会での本田さんのお話に3つ要望させてもらいました。
第1は、あえて反論・反発も辞せず提起された「普通科高校の変革」のキーワードである「能力」の捉え方について話してほしい。
本田さんは、ポスト近代化社会における「能力」概念の変容について、とりわけ、欧米のように職務給が社会の常識にならなかった日本社会における企業的な能力評価の問題点をふまえて分析されています。そして、欧米のような社会的タガがないままに暴走する日本の能力に関する言説を批判し、「能力を飼い慣らす」「タガをはめる」ことを目的として、上記の教育の職業的意義が構想されているからです。
第2は、「タガをはめる」ためには、教育の職業的レリバンスだけでなく、ヨーロッパで整備されているような分野別・水準別の統一的な「能力」評価・証明制度の整備と、企業組織を横断する形での職務別労働市場の形成が一体となっていかなければならないはずです。なのになぜ、今回は教育の職業的レリバンスだけが取り出され提起されたか、という点です。社会変革と教育変革を一体で提起されたところに、本田さんの主張のキモがあると、私は思っています。
最後に、本田さんの提起は、ポスト近代化社会において、個々人の能力を不断に向上・更新することによって社会経済への人々の包摂を計る社会政策を踏襲するものであり、かえって「能力」という脅迫に人々を巻き込む可能性があることを、本田さん自身も認めています。普通教育の「普通」とは、そのような能力の多寡にかかわらず、等しく保障されるべき教育とは何かを問いかけるものであったと思います。だとしたら、本田さんの言う教育の職業的意義を育むカリキュラムと普通教育のカリキュラムはどのような関係としてあるべきなのか、を聴きたいと思います。
本田さんからは、以上の3点について、「分科会で補足する」とお返事をいただきました。これらの点は、本田さんの『労働再審① 転換期の労働と<能力>』(大月書店2010年)を読むとよりはっきりします。分科会に参加しようとお考えの皆さんにぜひお勧めします。
大阪 井沼淳一郎
基調学習会@沖縄高生研
7月最後の土曜日、沖縄高生研で基調の学習会をしました。
参加者は、仲里、照屋、伊藤の沖縄高生研メンバーに加え
いつも参加してくださるスクールカウンセラーの神保先生、
沖生研の喜屋武先生、それから初参加の中学校講師宮城さんという六人でした。
高校生活指導に載った基調をテキストに、
私と照屋さんが全国委員で聞いたことを加えながら、
4時間半の熱い討議が出来ました。
現高生研、最後の基調にふさわしく、
今までの高生研の実践のスタイルを振り返る、
捉え直す意味で必要であると言う事を念頭に、
発題について分析を深めました。
書き出しの部分は、高生研においては、
実践報告と分析を繰り返しているとそれが当然であるように感じてくるが、
高生研と関わりのない先生達にとっても重要なことであることを再認識しました。
また、岡山さんの実践報告については、
上條先生の「平場の参加者が実践報告会をつくる」という発言から
沖縄高生研での学習会における問題点について話し合いました。
実践分析において、運営担当者方の鋭い切り口が
学びを深めてくれるのは確かで、
沖縄高生研においても、沖生研の喜屋武先生が参加してくださると
とても充実したものになるのですが、
私たちひとりひとりが、そういう力をつけることを目標にしようという
話をしました。
三章からは、基調の主題にかかわる討論になったので
実際の基調報告の時に、発言したいと思います。
後、要望として、船橋先生の主張がもっと直接聞きたい、という話がありました。
報告の際には、是非、船橋先生の熱い思いをお聞きしたいと思います。
基調学習会をして、全国大会での時間がとても楽しみになりました。
活発な議論になることを、期待しています。
充実のラインナップ、「しゃちほこ堂書店」、まもなく開店☆
書籍担当の松尾です。
みなさん、書籍売り場に名前がつきました。
「しゃちほこ堂書店」です!!
高生研担当の14社250種と、正文館可児広見店さんにお願いした60種、合わせて300を超えるラインナップで
みなさんのご来店をお待ちしています。
1種類の本につき2冊を基本としながら、5冊または10冊のものあります。
販売は、6日全体会会場にて高生研担当本と正文館書店本、
7日は本部近くにて高生研担当本のみ
8日は本部近くにて高生研担当本と正文館書店本
を予定しています。
書籍販売の時間は限られていますが、ぜひ書籍売り場にいらしてください。
当日、受付にて配布される「しおり」に販売書籍一覧があります。
ご覧ください。
いよいよ今週末大会開会、「しゃちほこ堂」もオープンです!
書籍売り場でお会いしましょう♪
本日は、記事が3つあります!お見逃しなく!!
しゃちほこ堂店主より、追伸
いこみゃあ若者~名古屋の夜、寄ってたもれ~
緊急告知!! 今大会の交流会に若者企画、登場!
いこみゃあ若者 ~名古屋の夜寄ってたもれ~
名古屋の夜を秋田の学生が主催します!
若手教師のみなさん、教職を目指しているみなさん、
日々の学校生活の楽しみや悩み、なんでも語り明かしましょう。
若者の悩みを聞いてくれる「心の若いベテラン」もどうぞ参加ください!
ここで会ったのも何かの縁。
秋田の名産品をつまみながらみんなで交流しましょう、寄ってたもれ~。
若手による若手のための企画。
大人数だとうまくまとめるのは大変では?との主催者若手を察して、
大阪大会で若手交流会を実施した若手ながら経験者の方から、
ノウハウはさっそく継がれているようです。
若手教師の方や教師を目指す学生さんたちが、同じ目線で悩みや疑問を自由に
語り合える会になったら素敵ですね☆
心の若いベテランの方は、ぜひ「若者の語り」をじっくり聞いてくださいませ。
そしてそっとサポートしてくださると、なおありがたいです。
情宣紙「ひつまぶし」に続き、ディープな名古屋という感じのネーミング。
参加者みんなで「寄ってたかって」、
名古屋の昼も夜も、ディープに学び遊べる場としてつくっていきましょう!
京都 岸田康子
東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会~2日目交流会~
東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会
~東北6県の地酒と名古屋の手羽、みそかつとともに~
大阪高生研です。
3.11から5ヶ月近く。
この間、大阪高生研の何名かはボランティアや見学に東北を訪れました。
マスコミの報道である程度知っているつもりでしたが、やはり現地の人の話
を聞き、実際に見ることで、自分は「震災」体験をどう記憶するか、が問わ
れる思いでした。
秋田の教研では「ぴらいち」を通じて、石巻出身の大学生が、自宅や家族、
友人だけでなく、通った小学校もなくなってしまった喪失感を語ってくれま
した。親しい人の死の意味をどう記憶するかは、残った者の生きる意味に
つながる作業なのだと気づかされました。
何もなくなった石巻や女川では、ビデオカメラを回しながら、正直、絶望的
な気持ちになったのですが、同行したSさんは「4ヶ月でよくここまでがれき
を片付けられた」と、逆に希望を語りました。同じ風景の中にいながら、それ
を正反対のものとして記憶していくこともあるのですね。
そのSさんが、福島では、以下のように語ります。
ぼくにとって、今回一番考えさせられたまち、それが福島でした。
人々が「普通に」暮らしている。町でたむろする若者たち。通常営業している
商店。見ためまったく、どこにでもある風景です。
避難圏からはずれた福島市内だから「普通」なのか、それとも放射能が「見え
ないもの」であるからなのか。「わからない」のは最高に不安です。(下略)
おそらく、記憶とは、自分にとっての体験の意味を考えること抜きには成立しない
のでしょう。「震災」体験を、十把一絡げにして「かわいそう、大変だった」で
終わらせない記憶のあり方、記録のされ方を考える必要があると思います。
いまなお復興のめどが立たない中、夏の大会には、大変な思いをされたであろう
東北の先生たちが参加されます。先生たちの「見た・聴いた・感じたこと・思い」を、
ゆっくり聴かせていただき、「震災」体験を、それぞれの記憶にとどめたいと思います。
(若干量ですが、東北各県の地酒と名古屋名物をたしなみながら…
コーディネートは大阪です)
日時:8月7日(日) 18:30~8:30
場所:ホテルキヨシ名古屋第2(レストラン)
名古屋市中区平和1-15-22
TEL 052-321-8188 FAX 052-321-3661
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/mapOperation.top?f_hotel_no=926&f_teikei=&f_static=1
会費:参加費 一般3000円 学生2000円 軽飲食代込み(東北のお酒を飲みながら行います)
定員:会場の関係で、先着26人まで(厳守) ※8月6日全体会場で受け付けます。