<その2からの続きです>
しかし、その点はたぶん、本田さんにとっては想定内のことだと思います。 そこで、分科会での本田さんのお話に3つ要望させてもらいました。
第1は、あえて反論・反発も辞せず提起された「普通科高校の変革」のキーワードである「能力」の捉え方について話してほしい。
本田さんは、ポスト近代化社会における「能力」概念の変容について、とりわけ、欧米のように職務給が社会の常識にならなかった日本社会における企業的な能力評価の問題点をふまえて分析されています。そして、欧米のような社会的タガがないままに暴走する日本の能力に関する言説を批判し、「能力を飼い慣らす」「タガをはめる」ことを目的として、上記の教育の職業的意義が構想されているからです。
第2は、「タガをはめる」ためには、教育の職業的レリバンスだけでなく、ヨーロッパで整備されているような分野別・水準別の統一的な「能力」評価・証明制度の整備と、企業組織を横断する形での職務別労働市場の形成が一体となっていかなければならないはずです。なのになぜ、今回は教育の職業的レリバンスだけが取り出され提起されたか、という点です。社会変革と教育変革を一体で提起されたところに、本田さんの主張のキモがあると、私は思っています。
最後に、本田さんの提起は、ポスト近代化社会において、個々人の能力を不断に向上・更新することによって社会経済への人々の包摂を計る社会政策を踏襲するものであり、かえって「能力」という脅迫に人々を巻き込む可能性があることを、本田さん自身も認めています。普通教育の「普通」とは、そのような能力の多寡にかかわらず、等しく保障されるべき教育とは何かを問いかけるものであったと思います。だとしたら、本田さんの言う教育の職業的意義を育むカリキュラムと普通教育のカリキュラムはどのような関係としてあるべきなのか、を聴きたいと思います。
本田さんからは、以上の3点について、「分科会で補足する」とお返事をいただきました。これらの点は、本田さんの『労働再審① 転換期の労働と<能力>』(大月書店2010年)を読むとよりはっきりします。分科会に参加しようとお考えの皆さんにぜひお勧めします。
大阪 井沼淳一郎