名古屋の久田です。
1月28日の仮事務局会議に参加して痛切に感じたことがあります。それはIさんが
新高生研機関誌の打合せに行った時の報告です。Iさんを初めとした編集グループの皆
さんの熱意はもとより、発行を引き受けていただいたK社の皆さんの熱意をヒシヒシと
感じたのです。「3000部売れる本を作る」という言葉を聞いて、これまで我々がやって
きたことは自己満足に過ぎなかったのではないか。きっと全国には、私たちからのメッ
セージを待っている人たちがいるはず。その人たちにメッセージを届ける努力をしてき
たのだろうか、と感じたのです。「3000部」という言葉には経営サイドからすれば「儲
け」が含まれているのは当然ですが、同時に、「メッセージを届ける」という意味があ
ることを改めて認識しました。(Kさん作成の新高生研リーフレットはまさに「メッセ
ージを届ける」ですね)
帰りの新幹線の中で、Tさん、Kさんと話していてふと思いつきました。それは「機
関誌と並行して、3000部以上売れる単行本を作る」です。なぜそんなことを言うのかと
いうと、機関誌は理論研究の側面があるし、継続的に発行するために一定のスタイルと
いうものがあると思います。そのため、新規に購読者を獲得するというは、そうそう簡
単なことではないでしょう。しかし、単行本ならその時々の情勢に合わせてズバリ切り
込めるものができるのでは、と考えたからです。そして、単行本を手に取った人が「う
ん、こんなことを言っている団体って一体どんなとこ?」と興味を示したらしめたもの
。単行本を経由して、機関誌を知り、高生研を知る、そんなルートを夢見たわけです。
とすれば、その単行本は「会員用」では意味がない。これまで高生研の“こ”の字も
知らない人が、本屋さんでふと手に取って、読んでみようと思うものにする。従って、
我々の実践をベースにしつつ、難しい言い回しや用語は使わない、題名もいささか人目
をひくようなものにする。(「さらに深く読みたい方は『高校生活指導-18才を市民に
』をどうぞ」と薦める)
たとえば、『フツーの子がセンター試験で90点とった!-S高校英語科の奇跡』(こ
れまでしばしば報告されてきたTさんの授業実践。これにはTさんに「書けるかも」)
とか、『体罰やめますか、それとも教師やめますか』(体罰経験のある会員の懺悔と、
それを克服していった記録。もちろんゼロトレランス批判を込めて)とか…、『先生の
ワザ・特集編』もよいかと思います。
「“新高生研”って何が新しくなるんだろう?」私はこの間、会議のあるたびに言っ
てきました。議論をすればするほど、現高生研とあまり変わらないものになりそう、そ
んな危惧を抱いてきていて、常に「何が変わるのか」を意識する必要があると思ったか
らです。勿論、新しければ良いわけではないし、古ければ悪いわけでもありませんが、
「このままじゃじり貧だよ、思い切って新しくしようよって」のが、“新高生研”へ向
けてのコンセプトだったと思います。
今回、私からの「思い切って新しく」は、「高生研の“こ”の字も知らない人がふと
手に取るような単行本づくり」でした。
久田晴生
月: 2012年1月
「ドイツ反原発運動小史」
東京の上條です。
東京大会実行委員長ということになっていますが、これは、ほら、あれです、草野球で打撃も守備も下手なやつは仕方ないから監督にしておく、でも誰も言うことは聞かないというお決まりのパターンです。実権は事務局長船橋さんにあります。また有能な常任委員会をはじめとするみなさんがてきぱきと大会の準備をすすめて下さっています。みなさんぜひ来てくださいね。
物理に携わっているので、原発と放射線のいろいろな問題を追及したり議論したり教えたりしています。学校で放射線のシンチレーションカウンターを2台買ってもらって、生徒も一緒に測定したり、さまざまな実験をはじめています。まわりの放射線を遮蔽するのが測定には重要なので、鉛のブロックも購入しました。重い!ぎっくり腰が心配です。家庭でやるには、鉛のインゴットが東急ハンズで買えます。
いろいろ調べる中で教えてもらった文献の中に「ドイツ反原発運動小史」(J.ラートカウ)があります。掲載誌は みすず(みすず書房 315円)11月、12月号です。目立たない小冊子ですが、貴重かつ重要な文献だと思いますのでここで紹介させていただきます。福島後ドイツがすばやく廃原発に踏み切ったのを、英断だとか無責任だとか言われることがありますが、それは一朝一夕に起こったことではなく、40年に及ぶ反原発運動の歴史の結果であることがこれを読むとよく分かります。冒頭部分から、いくつかを挙げてみましょう。
1. 世界で初めて成功した反原発運動は実はアメリカで、1985年にサンフランシスコ北部の原発計画を阻止した。このとき「カリフォルニアの1906年の地震」の記憶による、地 震の危険という論拠が決定的だった。(これは考えさせられますね)
2. ヨーロッパでは、成功しなかったが、最初のデモと占拠の直接行動は1971年にフランスで行われた。
3. 1971年にフランスに反原発運動の代表が集まった。そのときアメリカから参加したD.ブラウアーが生み出したスローガン(これには異説もあるが)が「グローバルに考え、ローカルに行動する」(Think Globally Act Locally)
で、これが反原発運動で重要な役割を果たした。なぜならこの運動では世界を結ぶ情報の交流と知識とが決定的だったから。
4.ドイツでは1968年のヴュルガッセン原発に対する抗議運動からはじまる。このとき「報道管制、虚偽や誤った情報の意識的発信」など「民主主義を茶番に変える方法」への激しい告発がなされた。
後は原文を見ていただくとして、4の1968年という年に注目していただきたいと思います。学生反乱の年ですね。しかしこの運動はそれらとは違った形で展開し、市民の抗議とあわせて、メディア、政治、行政、司法、学問の相互作用が運動の成功をもたらしたということが主張されています。私たちは原発を考える上で、歴史を考察することが日本でも重要だと考えていますが、この「小史」はとても参考になりました。
今年の夏は東京へ
こんにちは 大会担当の片桐です。
東京大会の会場は、正月の箱根路を圧倒的な強さで駆け抜けた
東洋大学です。正式決定はもう少し先ですが、まず間違いないで
しょう。そこで、今回は東洋大学を紹介します。
場所は? ・・・ 地下鉄都営三田線 白山駅下車徒歩5分
(東京都文京区白山5-28-20) 交通至便!
歴史は? ・・・ 1887(明治20)年、哲学者井上円了が創設した
「私立哲学館」がルーツ
学食が人気! ・・・『学食研究会』のHPにも、ランキング
第1位の有力候補と書かれています。
さて、ここで大事なお知らせです。
現在、一般分科会のレポートを募集中です。レポートに関わる情報を下記のお寄せください。よろしくお願いします。
<問い合わせ先>
片桐 哲郎 〒277‐0803 柏市小青田230‐1‐103 TEL/FAX 04-7133-7825
Eメール:katagiri-ts@ab.cyberhome.ne.jp 携帯:090-3001-0282
勤務先:千葉県立野田中央高校 TEL: 04-7125-4108 FAX 04-7123-7108
<高生研への問い合せは>
高生研ホームページ:http://kouseiken.jp Eメール:info@kouseiken.jp(全国高生研)
3学期が始まった
3.11が起こった年にも同じように季節はめぐり、暮れた。そして2012年が幕をあけた。明るくもなく、暗くもなく、ただはじまったように思う。
教師の仕事は季節のめぐりと強烈に連動している。夏休み、冬休み、春休みがあり、その終わりと始まりに始業式、終業式がある。長期休業中といえども、昨今あまり休みが取れない現場であることを自覚はしている。そんな状況でも、「さあ今からどうする?」といった切り替えを迫られる感覚になる。「ならば、何らかの思いを託そう」と、気持ちがまだ湧いてくる。時間は流れ、体の中を巡るものが存在するからだと思う。
写真は1月7日に行われた油絵技法の実技研修会の様子。県下の高校美術部員80人あまりが集まった。うちの学校からも部員11名を引率。充実感があったらしく、そこそこ好評だった。同じ会場で「美術科授業授業作品展」が4日から7日にかけて行われた。どちらも、三重県高等学校美術の分野において初めての試みであった。
「今年は何が出来るだろう」と高生研東京大会応援ブログを立ち上げました。思い起こせば、「応援ブログ」が初めてスタートしたのも東京大会でした。あれから7年。 こけら落としは1月3日に船橋さんの文をおねがいしました。緩やかにスタートさせるにふさわしい文章。評判も上々です。昨年、名古屋大会応援ブログの恩返しも込めて、これから少しずつ賑やかに行こうと思います。
東京大会までは、今からちょうど8ヶ月。様々な語り口で、文章が綴られるていくことを目論みます。乞うご期待!
三重高生研 安藤
見守ってくれている仲間たち
191号に「流されていく日常を拒む精神」という題名で、基調発題を終えた感想を書いた。そのなかで1966年、私が小学校6年生のときに「やきいもやさん」という作文を書いたことに触れた。この作文は東京都東久留米市の作文コンクールに応募したものだから、活字になって残っているかもしれないが、私の手元にはない。この作文に再会したい気もするが、探そうとまでは思わない。
つい先日の12月18日、群馬高生研の事務局会議があり、私の実践史を知っている瀧口典子さんが「船橋さんにとって大切なものを見つけた」と言って、B5版1枚の職場新聞「かわかぜ」をくれた。1987年12月5日に私が書き、前橋工業高校分会が発行したこの職場新聞の題名は「『タイ焼き』の由来」(約600字)というものだった。12歳のときは「やきいも」で、33歳では「タイ焼き」だったと知って、楽しい気分になった。
この「かわかぜ」をなぜ玉村高校にいた瀧口さんが持っているのか。高生研の仲間で前工の同僚だった矢野間竹松さんが彼女に郵送したのだ。当時私はそんなことは知らない。彼女への手紙には「同封した日刊“かわかぜ”は土曜日担当の船橋さんのものです。文中のT高校は玉村高校、KHは日向野克己さんです。まず読んでください」と書かれている。
職場新聞に毎週土曜日に文を書くことが、私が実践記録が書けるようになるための大切な訓練だったと、かなり後になってから気づいた。このことは名古屋大会の基調発題「なぜと問いあえる関係性をつくろう」に書いた。
その1年間(1987年度)の私が書いた「かわかぜ」のなかで、私の成長を示しているのはどれなのだろうか。「かわかぜ」はほんの一部しか手元に残っていないので、知るよしもない。しかし、矢野間さんと瀧口さんはそれを知っていた。そして今、その「かわかぜ」298号の「『タイ焼き』の由来」に出会えた。先に「楽しい気分になった」と書いたが、その楽しさには不思議さが含まれる。
高生研というサークルの良さは、お互いの仕事の変化に関心を寄せあう仲間がいるということである。ときに厳しく指摘し、しばしば見守る仲間がいるということである。そういう仲間がいなかったら、自分はどこに立っているのか、どこに向かっているのか、わからなくなってしまうのではないでしょうか。
それでは「『タイ焼き』の由来」に、もし興味のある方がいるなら、次回のこのブログにアップいたしましょう。
第50回東京大会事務局長 船橋聖一