に投稿 コメントを残す

「ふたき旅館」閉館と高生研

 “ふたき旅館が7月で閉館…”

 12月12日(日)、全国委員会が終わったその日のうちに、いつものように大阪の首藤先生から丁寧な全国委員会報告がMLメールで発信されました。(首藤先生のリアルタイムな速報発信にはいつも脱帽です。)

 そのなかに“ふたき旅館が7月で閉館することとなり、会議の席上、ご主人からご挨拶があったと”とのことを知りました。私は椎間板ヘルニアの手術で退院直後だったため、やむなく全国委員会を欠席していたものですから、思わず“あーっ”と天井を仰ぎました。

“ふたき旅館での最後の全国委員会に出れなかった!!”と。

 ご存じのように、ふたき旅館は本郷三丁目交差点から東大赤門前を過ぎ、東京空襲の戦火を免れた住宅地に入った一角に位置する古い旅館です。近くには樋口一葉の寓居跡など、江戸から明治・大正の時代を彷彿とさせる歴史的建造物やたたずまいが残る実に魅力的な町並みの中にあります。

 高生研が5月と12月の全国委員会や、9月の常任合宿などで本当に長年にわたりお世話になってきた会場です。

 次回5月の全国委員会が、06滋賀大会に続き、開催地名古屋で行うことになっていましたから、12月の全国委員会が文字通り「ふたき」での最後の全国委員会になってしまったのです。

全国各地から「ふたき」に集い、多くの実践や運動が報告され、同時に幾多の討議や激論が交わされてきた場でもありました。現場でヘトヘトになっていても、なぜか「ふたき」にたどり着くと元気が出て、夜を徹しての交流にお酒もはかどりました。翌日は二日酔いで多少具合が悪くても、会議が終わってまた帰るときには、“また頑張るぞ!”という気持で「ふたき」の玄関を出たものでした。

いわばある意味で、「ふたきは高生研の聖地だった」と言っても過言ではないような気がしているのです。

私、木村は退職して2年目になりますが、1986年(昭和61年)、県事務局長になって初めて全国委員会に参加するようになりました。かれこれ25年の「ふたき」とのお付き合いになります。多くの思い出や出来事は次回に回しますが、私にとって特に「ふたき」が忘れられない理由があります。

皆さんはお気づきだったでしょうか。「ふたき」の従業員の方々はほとんど全員、青森からの季節あるいはほぼ通年の出稼ぎの方たちだったのです。

はじめての全国委員会。緊張の連続でしたが、休憩時間にふと廊下に出ると、奥の方から聞こえてくる従業員のおばさんたちの会話から津軽弁のイントネーションが聞こえてきたのです。すぐに帳場(フロント)でいつものご主人にうかがったところ、やはり青森県西津軽郡出身の皆さんでした。ちなみに、ご主人の奥様も青森県ご出身とのこと。そんなこんなで、特に「ふたき」が私にとって身近に感じる存在になったのでした。

「ふたき旅館と私」。そんなテーマで一筆、感謝と思い出を綴り、お世話になった「ふたき」にみんなでプレゼントするというのはどうでしょうね。「ふたきを語ること」は「私と高生研を語ること」。そんな気がしているのです。

名古屋大会、私も一実行委員として頑張りたいと思います。よろしくお願いします。

青森高生研 木村 一男

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください