久田晴生(愛知)
皆さんはきっと、国際人権規約の「中等教育・高等教育の漸進的無償化」条項というのを聞いたことがあると思います。高校や大学の学費をだんだん無償に近づけていくという条項です。日本政府は長い間、この条項を留保(組合運動なんかでもしばしば「日本とマダガスカルだけ」と引き合いに出されていたやつです)していたのですが、昨年9月、この留保の撤回を国連に通告し、国連はこれを受理しました。高校では既に公立の無償化は実現されていますが、大学でも無償に近づけていく方向に、日本政府もいよいよ踏み出したわけです。
なんでこんなことをいきなり言うのかというと、昨年秋から私は、東海地区の私立大学助成運動推進協議会というところで議長をやることになり、この問題に対して(今までも関心はあったのですが)力を入れていかなければ、と思っているからです。ではそのことが高生研とどんな関係があるかというと、大学進学率に直結すると考えているからです。
現在日本では4年生大学への進学率が、同年代の人口比で51%に達しています。これは一見高いように感じると思いますが、実は諸外国では70%を越えているところがざらで、途上国でも急速に進学率を上げているのが実情です。国づくりに教育は欠かせないと考えているのです。この冬、田中真紀子前文科大臣が3つの大学新設を認めないということで一時物議を醸しましたが、彼女の考えはその点、時代遅れとも言えます。事実、下村現文科大臣は、70%を目安にすると公言しています。
しかし国庫助成が貧困なため、学費が高く、奨学金を借りようにも有利子制(外国ではこれは「奨学金」とは呼ばず「教育ローン」と呼ぶ)で卒業後の返済に多くの人が不安を抱えています。高等教育無償化の方向に踏み出さない限り、70%という目標はおろか、現学生にとっても卒業後の家計破綻が増大する(ひいては税収減にもつながり社会の不安定要素になる)ことが懸念されます。
では、何らかの経済的保障もされ、進学率も上昇したとします。その場合、大学入試が易化し、高校教育にゆとりが生まれるでしょうか。おそらくそうはならないと思います。今の中学教育を見れば明らかです。高校がほぼ全入であるがゆえに高校の階層化が進み、さらに進学できなかった数%の子たちのその後の進路は困難を極めます。同じようなことが高校でも起こってくるのではないか。たとえば、求人の条件がほとんど「大卒」になり、無理して大学へ行かそうとするとか。そして、「国が援助しているんだから、それに見合った人材を育成せよ」という圧力(既に大学では非常に強い)が一層強まるでしょう。教育基本法に書かれた「人格の完成」という教育の目的なんて、もう吹っ飛んでしまっています。
高校の授業料無償化にしても、高等教育の漸進的無償化にしても、一昨年国会で揉めた子ども手当にしても、その根底には、子どもは社会で育てるという理念があるはずです。その理念を忘れないことが、これからの教育実践に問われてくるように思います。