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進路

 「英語で外国人と話がしたい」という気持ちで日本語教室へ通っていた高校生がいました。教室には中国やフィリピンから嫁いできた人とその子どもが多くいます。英語はマイナーでした。3年生になって進路を考えたとき、「日本語教師になって外国との架け橋になり、みんなの役立ちたい」と思い、県内にある公立の外国語系大学の面談を受けたそうです。「日本語指導を学びたい」という熱い気持ちを伝えたら、その大学の面接者は、「そういうことで大学に来る必要はない。金にならないことだ。」と言ったそうです。あまりにショックを受けて、進学校の担任に話をしたら、「私もそう思っていた。なんで大学まで行って日本語指導をしたい、と考えたのか。」と言われショックが倍増したそうです。

 キャリア教育ということで、ちょうど『教育』4月号の佐藤和夫先生(千葉大)の「働く希望」という論文を読んでいました。高度成長期の大人たちが、その当時の就職形態を子ども達に押しつけている、という文があり、先生も親も同じだ、と思いました。時代は大きく変わったのに、先生が一番遅れているようです。「金を稼ぐだけの仕事」を今の若者が望んでいるわけではないのです。秋田県は就職率はそこそこ良いのですが、離職することが問題とされます。しかし「離職は悪い事だ」とは言えません。何度も落とされ、必死でしがみついて合格した会社が、必ずしも「生きがい」となる仕事ではありません。就職率だけを問題にする学校や行政の数値至上主義に問題があると感じます。

 30年以上前になりますが、県南の工業高校に勤めていました。県内上位の進学校がそばにあるのですが、そこに入らず、工業高校へ生徒が来ていたのです。例えば土木科というと、全国的にもやんちゃな生徒が多いのが当たり前でしたが、すばらしくできる生徒が入っていました。担任していた建築科の生徒に、「何で工業に来たの?」と聞いたら、「高校3年間を無駄にしたくない。堪能したいから。」という返事でした。本当に高校3年間を楽しみ、国家公務員に合格しました。私自身、進学校に行ったものの、大学はどうするか、何を仕事にするか悩んだものですから、ずいぶん感心したものです。工業高校で教育実習を受け、これが本来の高校ではないか、と思い、教師になることにしたのですが、間違っていなかった、と思いました。国家公務員になった卒業生は、しばらくしてから「昇級に関わる」、ということで夜間の大学に改めて入りました。

 最近は、工業高校もずいぶん「進学校」にシフトしましたし、県そのものが「難関大学合格率アップ、甲子園で1勝を」などという目標を掲げる時代です。「学校は誰のためにあるのか」というある意味分かり切ったような質問は、今の流れで言うと、「電力会社は誰のためにあるのか」と同じくらい答えが分からない質問なのでしょうか?

とらぬ狸@秋田

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