大震災の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
さて、震災にかかわって、多くの情報がネット上でも行き交っています。その中には「チェーンメール」、つまりネット版「不幸の手紙」も随分とあるようです。大災害に遭われた方を前に「不謹慎」とのそしりを受けるかもしれませんが、今回、チェーンメールの問題を通して、情報のあり方、教育のあり方について考えてみました。
最近、私が加入しているメーリングリストで、あるメールがありました。それは、知人からの回りまわってのお願いとして、13日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくので中部電力や関西電力から送電を行う。ついては、我々一人ずつが節電をし関東の人を救おう、という主旨のもので、最後に「このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!」と結んでいます。
おそらく誰かに指摘されたのだと思いますが、その直後に削除依頼のメールが入りました。私は初め、これがチェーンメールに該当するとは気づきませんでした。
チェーンメールについてネットで調べてみると、次のように書かれています。
まず、「迷惑メール相談センター」(http://www.dekyo.or.jp/soudan/)には次のように書かれています。
チェーンメールは、
・情報の出所がわからない
・転送を繰り返していく途中で情報の内容が改変されることがある
・その情報を広めることが必要なくなっても、止めることができないため、間違った情報、不確実な情報を拡散してしまうことになる迷惑メールです。
さらに、「総務省トップ > 重要なお知らせ > 東北地方太平洋沖地震に関するチェーンメール等にご注意ください。」(http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu01_000096.html)には、
いつの時点のものか分からない情報を広めることはやめてください。
最初の発信者が発信したときには正しかった情報でも、相手が受け取った時点では状況が変わっていることもあります。
と書かれています。つまり先ほどのメールは
①「知人からの回りまわってのお願い」→「情報の出所がわからない」に該当する。
②「13日18時以降関東の電気の備蓄が底をつく」→情報の出所がわからない上、正確かどうかも分からない。たとえ「発信したときには正しかった情報」であったとしても、「相手が受け取った時点では状況が変わっていることもある」にも該当する可能性もある。
③「我々一人ずつが節電が関東の人を救う」→関西の節電がどの程度関東に貢献できるか、明かになっていない。正確な情報とは言えない。
また、「Wikipedia」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB)によると、
チェーンメール(chain mail, chain letter)は、連鎖的に(チェーン)不特定多数への配布をするように求める手紙である。
とあり、さらに、特徴として、
特徴 [編集]
チェーンメールは、メールの最後に「このメールをn(n>1)人の人に送ってください」といった内容のことが書かれているのが特徴である。そして「止めると殺される」などの脅し文句が入っていることも多いが、その逆に「~のために広めてください」と積極的な流布が社会に貢献するかのような文句がつけられていることもある。
とあります。つまり、「連鎖的に不特定多数への配布」が問題であって、「脅し文句」が書かれているのか「社会貢献」のつもりで書かれたものなのかは、関係ないということです。
つまり、
④「このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!」→「連鎖的に不特定多数への配布」に該当する。
⑤「社会貢献」のつもりでも、ダメ。
以上の理由から、先ほどのメールはチェーンメールに該当すると言えるわけです。
しかしここでふと疑問が起きました。チェーンメールに似たことを自分もこれまでやってきたのではないかという疑問です。たとえば、組合のビラまきとか署名活動というような、社会運動や市民運動における組織化(昔流に言えば「オルグ」)と、チェーンメールはどこがどう違うんだろうということです。
そもそも社会運動はできるだけ多くの人に知ってほしいと思ってやっているし、仲間に加わってほしいと思って呼びかけをします。署名集めだって、賛同した人が署名用紙をコピーして署名を広げることだってあります。実際、ネット上でもしばしば「この署名を広げて下さい」という投稿を見かけます。これは「連鎖的に不特定多数への配布」には該当しないのでしょうか。
呼びかけをしたりビラをまいたりするとき、いちいち情報の出所を明示することだって、ほとんどしていないと思います。
みんな「社会貢献」と思ってやっています。しかし、情報を受け取った人の中には、その活動を「悪意」と見る人もいるでしょう。
どなたか、このあたりのことを教えていただける方はいませんか。
「情報の出所」ということでもう一つ。前述の「迷惑メール相談センター」に、
報道や行政機関のウェブサイト等の信頼できる情報源で真偽を確かめ、冷静に対処してください。
とあります。しかしその「報道や行政機関」の言うことに疑念を挟まざるを得ないような状況があるから、多くの人は自前のネットワークで対処しようとしているわけです。「報道や行政機関」も「自前のネット」もひっくるめて、そこから如何に正確な情報を得るのか、我々自身の見抜く力、判断する力が問われているように思います。
そしてこのことは、上述した「社会運動における組織化」とも関連するように思います。情報を発信するものとしての責任は何なのか。また逆に、受け取った側の責任は何なのか。こういったことを自省も含めて冷静に考える必要がある。さらに、教育に携わる者として、そういったことにかかわって教育のあり方を考える必要があるのではないかと思います。
高生研がここ10年「政治的判断力」「18才を市民に」をスローガンに掲げてきたのも、そのことと軌を一にしたものと言えると思います。
考えてみれば、1923年関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の原因も「チェーンメール」と言えるでしょう。
「Wikipedia」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD)によると、「このデマを流布した首謀者は、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎である」とあります。
もしこれが事実としたら、90年前の人と比べて現代人は、「報道や行政機関」からの情報を鵜呑みするのではなく、自前のネットワークからの情報も加味しながら、より正確な情報を得ようとする賢さを獲得していると言えるのではないでしょうか。
また、虐殺どころか、国内外からの支援もそうだし、冷静に対処されている現地の方々もそうだし、困難な中でもシー・シェパードの乗組員を助けるという報道(「ゆかしメディア」http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yucasee-20110317-6983/1.htm)を見てもわかるように、冷静な判断、人道の精神というのも、ずっと高まっていると言えるのではないでしょうか。
少なくとも「津波を利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」(石原都知事発言。3月15日付「中日」。この発言は「腹が立つ」を通り越して、こんな人が千数百万人の自治体首長だなんて、情けなさでいっぱいです)というような方向に社会が動いてきたのではないことだけは確かです。
毎度のことながら、長文で失礼しました。久田晴生